十一 次期当主の一手
エリカが目を覚ました時、辺り一帯に焦げ臭さが立ち込めていた。
遠くの方では誰かが大声でやり取りをしている。だが、自分の身の周りは騒がしくない。
どうやら戦いは上手く終わったようだ。周りの状況からそう判断しつつも、一応警戒しながらエリカは身を起こす。
「失礼します。お目覚めでしょうか」
扉の向こうからキャサリンが声を掛けてきたのでエリカは返答する。
「ええ。今起きたところです。どうぞ入って」
中に入ってきたキャサリンはエリカの様子を見るなり安心した表情を浮かべた。
「お身体に違和感はありませんか?」
「ええ。大丈夫そうです。少しだけ寝不足な感じがしますけど。
それで戦いの方はどうなりましたの?」
「シーボーンを制圧。敵の増援もなく、現在は仮設の拠点を築いているところです。ジャベリンシップは東部への援護攻撃を開始しています」
軍人らしい端的に纏めた報告だったが、エリカはそれが気になった。
「わざわざ拠点を構築せずとも元々あったものを接収すれば良かったのではありませんの?」
エリカの予想通り、キャサリンは表情を曇らせた。言葉を選んでいるのが分かったのでエリカは先に話し始める。
「シーボーンの兵士達は降伏に応じなかったのですね?」
「はい。その通りです。エヴァンス卿の説得を跳ね除け、攻撃を続けてきたのでこちらも対応せねばなりませんでした」
「そう。分かりました」
エリカはベッドから出ると、すぐに着替えだす。
「クレア叔母様とマッコード先生はどちらに?」
「お二方ともこの旗艦にいらっしゃいます。現在、増援のロイロット子爵と進攻経路などについて話し合われています」
「それは……。叔母様達には面倒な役目を押し付けてしまいましたね。今からでも援護に行かなくては」
ロイロット子爵は根っからの軍務系貴族で、マクファーソン王国内のオークを束ねている顔も併せ持っている。
亜人として迫害を受けてきた歴史が重なるミノタウロスのウィンストン伯爵とは仲が良く、それ故にスタンフォード家との相性は良くなかった。
大胆に着替えを済ませたエリカは、そのままキャサリンを引き連れて船室を出る。
臨時の指揮所にもなっている船長室に近付くにつれ、目覚めた時から聞こえていた大声のやり取りが更に大きくなっていく。それを聞いてエリカは思わず顔をしかめた。
「全く、そちらの次期当主は呑気なものだな。戦場でひと眠りとは聞いて呆れるわ!」
「恐れながら申し上げます。その反動が大きいことを覚悟された上で、エリカ様はガーフィールド伯爵率いる船団を一手に相手取られたのです。それを呑気と仰るのはご無体が過ぎます!」
「やかましいわ!我らは一刻も早く敵の首根っこを押さえねばならんのだ。それだというのにシーボーンを押さえたくらいで足踏みしているようでは話にならん」
エリカは一度、深呼吸をすると船長室の扉を開く。
「これはロイロット子爵。お出迎えが遅くなりまして申し訳ございません。スタンフォード家の次期当主、エリカ・スタンフォードでございます」
「あなたがエリカ殿か。ティモシー・ロイロットだ。その様子だとぐっすりと眠れたのかな?」
いきなり先制パンチを放ってくるロイロットをクレアが凄まじい目つきで睨みつける。立場上、貴族間のことには中立であらねばならないベアトリスですら軽蔑の眼差しを隠そうともしなかった。
それがあったからこそ、エリカは冷静なままカウンターを放つことができた。
「おかげさまで疲れを取ることができました。何分、わたくし達だけでガーフィールド伯爵の船団を壊滅させなければなりませんでしたので随分と骨が折れましたわ」
その言葉にロイロットがピクリと眉を震わせる。貴族ならではの表現を言い直すとエリカが言ったのは、何もしていない奴がしゃしゃり出てくるなという意味になる。
だが、そこでエリカは相手の顔を立てることも忘れない。
「わたくし達の務めはマッコード先生をこのシーボーンまで護衛すること。裏切り者を存分に蹴散らしたい思いはありますが、その役目を授けられたのはロイロット卿でございます。ロイロット卿率いる精強な軍勢がこの地から北上してガーネット王国に正義の鉄槌を打ち振るうお姿をお見送りできれば幸いですわ」
過剰な言い回しにクレアが何か言いたげに見つめてくるのをエリカは無視する。何せ相手はマクファーソン王国に流れ着いたオーク達のリーダーの血を受け継いでいるのだ。オークの王とも言うべきロイロット卿にはこれくらいの言い回しの方が好まれる。
実際、ロイロットはまんざらでもない様子で鷹揚に頷いた。
「まあ、エリカ殿の言う通りではあるな。我らこそが裏切り者共に目にもの見せてくれようぞ」
そう言うとロイロットはまたエリカにジャブを放つ。
「だが、それにしてもこの都市のありさまときたら。これでは進軍にも苦労するぞ」
「ロイロット卿。そのことですが、こちらに関しては私が指揮したことです」
ベアトリスが口を開く。ロイロットは彼女に訝し気な視線を向ける。
「それはどういうことですかな?」
「恐れ入りますが、私の口からは申せません。詳細をお聞きになりたいのでしたら陛下にお尋ねください」
それだけでベアトリスが勅命を受けていることが分かったロイロットは、不満げな表情を隠そうともせずに文句を言う。
「それならそうと最初に言えば良いものを。分かった。シーボーンの状態についてスタンフォード家を非難したことは謝罪しよう。先程の言葉は取り消す」
「私などではなくエリカ様に仰ってください」
言葉を向けられたクレアが鋭く返すが、エリカ自身がなだめにかかる。
「クレア叔母様。それこそわたくしが決めることです。ロイロット卿。スタンフォード家は謝罪を受け取りましたのでご安心くださいな」
「ふむ。だが、戦場での姿勢に関する見解の相違については考えを改めるつもりはないぞ。あの海賊貴族の船団をねじ伏せたのは称賛に値するが、戦いはまだ始まったばかりなのだ」
「ええ。勿論ですわ。それでですが、今はガーネット王国への進攻経路などの話し合いをされていたとか」
「ああ。その通りだ。シーボーンの状況を見るに今すぐ進軍というわけにもいかん。ここは敵国の最南端にある土地で、安全な補給路はまだ海上にしかない。ここで徴発もできん以上、うかうかと攻め込むこともできん」
「分かりますわ。ですが、結果的にそうなって良かったかと」
「む?自分が何を言っているのか分かっているのか?進軍の遅れを喜んでいるように聞こえるが」
ロイロットは露骨に顔をしかめる。だが、エリカは心の中でしめしめと腹黒い笑みを浮かべている。
「いえ、わたくしが言いたかったのはロイロット卿の新たな民達のことです」
「新たな民だと?」
その言葉にロイロットは関心を見せる。対照的にクレアは途端に顔を青ざめさせた。
「はい。この討伐が終われば国王陛下は活躍著しい者へ褒美を取らせられるでしょう。もし領地をお与えになるのであれば、その地に通じた者をお選びになるはず。特に敵国の地となれば、万が一に備えて攻め手にお与えになるのが定石かと」
「ふむ。確かに一理ある。攻め手は守り手の気持ちが分かるからな」
だが、ロイロットも馬鹿ではない。エリカが暗にシーボーンを譲ると言っていることの真意を探りにかかる。
「だが、それで言えばシーボーンを押さえたのはエリカ殿であろう。それをみすみす断ろうというのはどういうつもりかな?」
「ロイロット卿のお力をお借りしたいからですわ」
「ほう?それはまた大胆な。大方、想像はつくが一応聞こうか」
「ありがとうございます。ロイロット卿も知っての通り、父は悪評に苦しめられています。ロイロット卿のお耳にも流れていることでしょうが、それを聞き流して頂きたい。更に言えばそういった悪評を打ち消すのにお力添え頂きたいのです」
エリカの思わぬ提案にロイロットは笑みを隠し切れなかった。あまりにも釣り合わない交換条件にスタンフォード家の行く末を心配してしまいそうになる。それだけにまだ裏があるのではないかと、ロイロットは更に揺さぶりをかけていく。
「その程度のことなどお安い御用ではあるが、それだけの為に家を大きくする機会を棒に振るというのかね?にわかには信じられん話だ」
「軍功著しいロイロット卿とは違い、当家は内務系の貴族です。それだけに軍務や外務での結果は良くも悪くも過剰に評価されがちです。
冒険者ギルドへの救援に関しても、未だに父は死霊術の影響下にあるのではないかという根も葉もない流言飛語がございます。それを払拭せねば家を大きくすることもままなりません」
この辺りはエリカも真実を述べている。貴族の世界では蹴落とし合いなど日常茶飯事である。特にここ数年で何かと目立っているスタンフォード家は追い落とす標的にされやすかった。
「なるほど。気持ちは分かった。その話をお受けしよう。ついては書面を取り交わしたい。準備を頼めるか?」
エリカは頷くと、紙とペンを用意させる。領地が下賜される場合、スタンフォード家はシーボーンを初めとする領地を辞退する代わりにロイロット家を推薦することとし、代わりにロイロット家はスタンフォード家に対する流言飛語を認めないとするといった内容が二つの用紙に纏められていく。
できあがったそれらにエリカとロイロットがサインをし、その裏側に立会人としてベアトリスがサインをした。
お互いに一通ずつ懐にしまうと、エリカとロイロットは握手する。だが、心の中でロイロットはエリカを憐れんでいた。
エリカの気持ちも分かるが、それを正直に出し過ぎている。足元を見られるならまだしも自分の値打ちを自ら下げるようでは先が思いやられることだろう。
だがロイロットは気付いていない。エリカがこの交換条件を持ち出した意味を。
自軍の指揮を執る為にシーボーンの仮説拠点へと戻っていくロイロットを見送るなり、エリカにクレアが猛然と詰め寄った。
「エリカ様。どうしてあのようなことを!あれではあまりにも報われません!お気は確かですか!」
「クレア叔母様。本当にシーボーンが欲しいのですか?」
グッと堪えていた怒りを爆発させていたクレアだったが、エリカの顔色を見て思わずゾッとする。彼女は驚くほど無表情だった。
「シーボーンはジャベリンシップの攻撃で壊滅的な被害を受けました。恐らく、無関係の人達も巻き込まれたことでしょう。その人達の怨嗟の声を浴び続けることなんてできません」
「お気持ちは分かりますが、戦場ではよくあることです!そのようなことを気にしていては貴族など務まりません!」
「ええ。そうですね。ですが、今のスタンフォード家が敵意溢れる土地を下賜されることは何としても防がねばなりません。領地経営に失敗すれば今以上にスタンフォード家はあらぬ噂を立てられます。成功させる努力をしたいところですが、帝国も相手取っている現在の状況下では大して旨みのないガーネット王国の領地に目を向けるべきではありません」
エリカはクレアを見つめる。その目には激情の炎が宿っている。
「今回の件に関してスタンフォード家は報奨金を求めるだけに留めます。領地を下賜されることになるのであれば、転封によって空いた王国内の領地の一部を賜るよう陛下にお願いするつもりです。
ですが、まずその話にまではならないでしょう。この戦いはそう簡単には終わらない。長年の同盟国だったガーネット王国がクーデターを受けたとはいえ、これほどまでに素早く王国へ攻め込めるはずがありません。糸を引いているのは帝国とみてまず間違いないでしょう。
家を大きくすることに目を向けるのであれば、わたくし達は帝国との戦いに目を向けなければならないのです。その為にも、足を引っ張ることしか考えられない者達を徹底的に、迅速に黙らせる必要があります」
エリカはシーボーンの街並みへと目を向けた。ジャベリンシップの攻撃による被害は甚大で、船の上からでもところどころでガレキが散乱し、火の手が上がっている惨状が目に映る。
「ロイロット卿は始まりに過ぎません。彼が新たな領地を上手く治めるならそれで良し。そうでなかったとしてもスタンフォード家には何の被害もありません。
それに引き換えロイロット卿はわたくし達の後ろ盾にならねばなりません。領地経営に失敗したからと言って言いがかりをつけてきても、証文がある以上それはまかり通りません。それも明らかにこちらに不利な内容だというのに。
そうなった時、ロイロット卿に味方する者も間接的に不義を果たす者だと宣言するようなものです。その時は証文を全面に押し出していきます」
そこまで聞いてクレアは背筋に冷たいものが走る感覚を覚えた。その感覚を前に経験したのはもういつのことになるのだろうか。
目的の為には手段を選ばず、時間をかけてでも自身が望む結果を引き寄せる手を打っていく姪の姿にクレアは言葉を呑むしかなかった。




