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彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 最後の学年のこと
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二 蠢動

 室内に重苦しい空気が立ち込める。


 アルフレッドはこめかみの辺りに手を置きながらマンローを見やる。にわかには信じられないという様子だ。


「マンロー卿。あなたを疑うわけではないが、それは事実なのだろうか?同盟国の貴族に対してそのようなことを企てるとは正直考えにくい」

「ええ。私もその通りです。ですが、それ以外には考えられないのです」

「失礼を承知で言うが、離反者の仕業ではないのですな?」

「はい。そのことはRCISの調査でも明らかになっています」


 マンローの瞳は澄んでいる。そこには、どのような疑念を抱かれても真摯に向き合おうとする強い意志が宿っていた。


「その件はRCISに報告を?」

「はい。ですが、事故という調査結果はくつがえりませんでした。ただ、誤解して頂きたくないのですが、事故であろうと何であろうと、我々は自分達を救ってくださった方々への恩を忘れることは一切ございません」


 そう言うとマンローは懐から革袋を取り出した。膨れ上がったその形状から中身がぎっしりと詰まっているのは明らかだ。


「こちらは賠償金の残りです」


 少なくともエリカ自身はマンローの言葉を受け入れてみても良いのではないかと考え始めている。賠償金支払いから逃れる為の方便であれば、残金を持参する必要がないのだから。

 逆に考えれば、そこまでしてでも先の話を信じて欲しいとマンローは思っている。全てをいきなり信じるのは難しいが、その思いだけは汲み取っても良いだろう。


「分かりました。男爵の言葉を信じましょう。ですが、何故そのような話を当家に?恐らくですが、RCISからも箝口令が敷かれているのでは?」


 その言葉にマンローは目を伏せた。


「このようなことを申し上げるのは心苦しいのですが、今回の件の狙いは我々ではなかったかと」

「何だと?」


 アルフレッドが顔をしかめるが、エリカは話の行き着く先を見て取った。


「侵攻の前準備だったということですの?」


 次期当主とはいえ口をはさむべきではない。アステリアが目線だけでエリカをたしなめたが、マンローは特に気にした風でもなく、エリカに軽く頷いた。


「そのようなことは許されるはずが……」


 アルフレッドは青い顔だ。マンローの話が事実ならガーネット王国は同盟を反故にしたことになる。そして、もし彼らが侵攻してくるのであれば、洋上ルートの狙い目はシーダーラインになる。

 シーダーラインから王都までは道なりに続いている。勿論、その道中にはスタンフォード家のみならず別の貴族の領地もあるので、侵攻しようにも一筋縄ではいかない。


 だが、真っ先に戦うこととなるのはスタンフォード家であり、勝とうが負けようが領地も領民も疲弊するのは明らかだった。


「同盟国だからと気を許すべきではないかと。少なくとも当家はあちらの動きには細心の注意を払います」


 ガーネット王国への懸念をアルフレッド達に伝えると、マンローは慌ただしく帰っていった。


 エリカは父親に向き直る。


「クレア叔母様に警戒態勢を取るようにお伝えすべきかと」

「いや、マンロー男爵の話だけでは動けんさ」


 アルフレッドはいつになく眉間にしわを寄せている。余程マンローの話が衝撃的だったのだろう。それはその場にいた全員も同じ感覚だろうが、エリカだけはあり得る話だと達観している。

 そもそも自分自身が転生したという突拍子もない出来事を経験した張本人なのだ。にわかに信じられないような話もすんなりと受け入れることができる。


「お気持ちは分かりますが、シーダーラインにはガーネット王国の交易船も寄港します。用心しておくに越したことはないかと存じます」

「そこなんだ。自由にシーダーラインへ出入りできるのに、どうしてこのようなまどろっこしい手を打つ必要がある?」


 意外なことに、アルフレッドの疑問に答えたのはエリカではなくアステリアだった。


「損害を最小限に抑える為よ」


 エリカは頷いた。

 トロイの木馬よろしく交易船から兵士を送りだしても、遅かれ早かれ援軍がやって来る。だが、もしシーダーラインで大きな事故が起これば、スタンフォード家も領民達もその対処に追われることとなる。

 そうして疲弊していく相手を打ち倒すのは余りにも簡単だ。


 アステリアの仮説を聞いたアルフレッドは深いため息をついた。


「恐らくですが、マンロー家を意図して狙ったわけではなかったかと。『ブラックフィッシュ』は近くを通った交易船を無作為に選んだだけかと思いますわ。彼らにとっては、シーダーラインで騒ぎが起きるのが重要で、そのきっかけを作るのは誰でも良かったのでしょう」

「そうなのだろうな。あの日、エリカがシーダーラインの近くにいてくれて良かったとつくづく思うよ」

「いえ、運が良かったのです。寄港した後で爆発が起きていれば、事態の収拾はより困難なものになっていたかと」


 エリカは心の底からそう思う。犠牲者には申し訳ないが、海上での爆発だったからこそシーダーラインに被害が出ることはなかったのだ。


 アルフレッドは控えていたカーティスを傍に呼ぶ。


「カーティス。エヴァンス卿に伝令を頼む。シーダーラインに怪しい動きがあるとな」

「かしこまりました」

「お待ちください。お父様」


 部屋を出ていこうとするカーティスをエリカは目線で引き留めつつ、アルフレッドを真正面から見据える。


「その伝令ですが、ブラッドリーさんにお願いしたいのです」

「エリカ……」


 アルフレッドの表情は苦々しい。だが、エリカは一歩前に出て話を続ける。


「ブラッドリーさんが動くことで、マンロー男爵の話の裏付けを取ることができますわ。

 本来、ブラッドリーさんを初めとする警護がわたくし達に就いたのは、シーダーラインの戦略的重要性にあります。当然、マンロー男爵の話もお城には届いているでしょう。

 彼女を通じて今後の王国の方針が見えてきますし、シーダーラインの価値をわたくし達が真に理解していることも伝えることができます」


 エリカの言葉に頷いたのはアステリアだった。


「あなた、エリカの案でいきましょう」

「ああ、そうだな……」


 それでもどこか不満げな表情を見せつつ、アルフレッドは部屋の外で控えているキャサリンを呼び入れた。


「失礼します」


 心なしか緊張気味に挨拶しつつ姿を見せたキャサリンにアルフレッドは向き合う。


「ブラッドリー殿。あなたにエヴァンス卿への伝令を頼みたい。これは娘からの推薦だ」


 口を開きかけたキャサリンを制するようにアルフレッドが補足する。その言葉にキャサリンはエリカへちらりと視線を向けたが、当の本人が大きく頷いたのだからもう何も言うことはできなかった。


 心なしか口元をほころばせているのはどういう意味なのだろうと思いつつ、キャサリンはエリカからアルフレッドに視線を戻した。


「かしこまりました」

「内容は次の通り。シーダーラインに寄港するガーネット王国の交易船の動向に注意せよ。以上だ」

「かしこまりました」


 伝令の内容にキャサリンは驚きつつも、忠実にその内容を記憶する。


「よろしく頼む」

「その前に一つよろしいでしょうか。お父様」

「何だ?」


 アルフレッドがエリカに視線を向けたが、彼女自身はキャサリンを見つめている。


「替わりの警護はこちらから伯爵夫人に依頼します。ですから、あなたは急いでクレア叔母様の元に向かってくださいな。これは最優先事項なのです」


 えも言われぬエリカの気迫に驚く両親を尻目に、キャサリンはしっかりと頷くとすぐに出立していった。


「カーティス」

「はい、エリカお嬢様」

「コーンウェル伯爵夫人に先触れを。火急の件にて至急お会いしたいと」

「かしこまりました」

「お父様。護衛としてアリスを付けたいのですがよろしいでしょうか?」

「ああ、構わない」


 エリカはテキパキと動いていくが内心は焦りに満ちている。どうも言い知れぬ不安が頭から離れない。

 マンローの話通りにガーネット王国が同盟関係を反故にしようとしているのが事実だったとしても別に驚かない。だが、もしそれすらも誰かの描いた計画だったとしたら。


 エリカは暗い戦争の影がすぐそこまで近づいてきている気がして寒気を覚えた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ユージーン・マンロー男爵は馬車の中で今後の動きをどうするか思案していた。


 RCISの対応などを見て、マンローは自身の仮説が正しいと確信している。本来ならば事故であろうと何かしらの罰が科せられるはずなのに、一切のお咎めがないのがその証拠だ。

 十中八九、ガーネット王国は侵攻してくるだろう。


 だが、表立って対応することは許されない。まだ同盟関係が成立している以上、防衛の意思を見せることは反逆の意思があると受け止められかねない。そして、それをガーネット王国が望んでいるとすれば、関係破棄の口実を与えることになる。

 だからこそ、マンローはスタンフォード家にこの仮説を伝えた。自身が充分に動けなくても、彼らならまだ動きやすい立場にある。しかし、それは問題を丸投げしたようなものでもある。


 彼らの動きに合わせて自分達も動くしかない不甲斐なさにマンローは歯ぎしりしたい心境だった。


 その時、馬車が揺れた。


「何事だ?」


 マンローが声を上げるが、御者からの返事はない。嫌な予感を覚えたマンローは剣を手に取った。

 その瞬間、馬車の扉が蹴破られ、剣先が室内に飛び込んできた。マンローは身をよじってそれを躱すが、剣先がわずかに腹部をかすめた。


「チッ!」


 マンローは舌打ちしつつ、すぐに背後の扉を開けて外に転がり出ようとする。だが、扉を開けた瞬間、別の剣がマンローの胸元を貫いた。


「ぐふっ!」


 致命傷を受けたことは自分でも分かっているが、それでもマンローは襲撃者の姿を一目見ようと相手の剣を掴んだ。


「お見事」


 襲撃者はマンローに短いながらも称賛の言葉を送る。だが、おもむろに彼の身体を蹴りつけると、強引に剣を抜き取った。


 自身の手の血肉を引き裂きながら剣が抜かれていくのをマンローはぼんやりとした意識の中で感じていた。

 せめて最後に相手を見定めようとしたものの、相手の姿はローブに覆われていて何も分からなかった。


 マンローが動かなくなったのを確認すると、襲撃者は剣に付いた血を紙で拭う。


「終わったか?」


 最初にマンローに傷をつけた襲撃者が、小さいがはっきりと聞き取れる声でもう一人に確認する。


「ああ」


 もう一人は剣を鞘に納めると、何事もなかったかのように歩き始める。御者が喉笛をかき切られているのを横目で確認したが、何も言わずにその場を去る。

 御者には悪いことをしたと思わない。少しの金で主人を裏切って、こちらが指定した場所へと馬車を進めるような者だ。

 こういうタイプは金を積まれると、すぐに態度を変える。口封じしないことなどあり得なかった。


 警邏中の警官達がマンロー達の変わり果てた姿を見つけたのは夕闇が広がり始めた頃のことで、その時には彼らから流れ出た血液も固まり始めていた。


 そして、それとほぼ同時刻。

 エリカはコーンウェル伯爵夫人の元に向かっているところだった。


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