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プロローグ ~六年前のこと~

新連載です。

 時々、かつての生活を夢に見る。


 第一志望ではなかったけれどその大学は結果的に充実していたし、社会人になってからは転職もしたけれど、最後の職場では人にも立場にも恵まれた。子供はまだいなかったものの息ぴったりなパートナーにも恵まれた。

 全てが満たされた幸せというわけにはいかないけれど、平凡で、でもその当たり前がちょっとだけ嬉しい日々。

 けれど、今はそれも過去の話。決して手に届かないからこそ、その時のことを夢で見る度に複雑な思いに駆られる。


「はあ……」


 広々とした部屋の中でため息がむなしく響く。明かりがない室内は完全に真っ暗で、カーテンの隙間からこぼれる月の光がほんの僅かに差し込んでくるだけだ。いくら寝ぼけまなことはいえ、今がまだ夜遅い時間なのは痛いほど分かる。

 窓の外では、虫たちが織りなす音色が静かに広がっている。普段は耳に心地よいその鳴き声が、今は妙に耳に残って離れない。


 今日も当時の生活を夢に見た。いつも慌ただしく過ごしていたけれど、振り返って見れば何だかきらきらとしていた毎日。それが頭の中からいつまで経っても離れなくて、気だるい表情を浮かべてエリカは身を起こす。その時、肌にまとわりつく嫌な感覚から、初めて自分が汗をかいていたことに気付いた。


 エリカはサイドテーブルに用意されてあった水差しを手に取ると、グラスになみなみと水を注ぐ。


「美味しい……」


 余程喉が渇いていたのか、少しずつ飲むつもりだった水は一口だけで半分以上も減っている。少しはしたないかなと自嘲気味に微笑むと、残りを一気に飲み干した。

 空になったグラスを眺める。かけられていた魔法の効果でグラスの中身は程よい冷たさを保っていた。


「本当に便利よね、これ」


 一人呟くエリカはグラスを戻すとベッドの外に出る。もう眠れそうになかった。


 ふと部屋の中が暗くなる。

 窓の方を見ると、差し込んでいた月の光が消えていくところだった。やがて漆黒の闇が広がり、完全な暗闇がエリカを包んだ。

 エリカは窓に近付く。窓のそばには枝付き燭台が置かれており、ロウソクがセットされている。だが、火は点いていない。

 ロウソクの先を親指と人差し指で軽くつまむ。エリカは注意深く呪文の詠唱を行う。


「火よ、灯れ」


 そのままそっと指を離すと、小さな明かりが灯った。


 エリカはスタンフォード家という子爵家の一人娘で、年齢は十歳とまだ子供だが既に次期当主として様々な教育を受けているところだった。とはいえ、まだ学院に通う前の遊び盛りな年頃ということもあって、エリカは室内で行われる魔法や作法といった座学よりも剣術や体術といった実技に関心を寄せていた。

 その為、貴族の娘にしては元気があり余る活発さを持っていたが、ある日庭園にいた小鳥を捕まえる為に、はしたなくもテーブルによじ登ったせいで転んだ拍子に足の骨を折ってしまい、自室のベッドで寝たきり状態とさせられる療養生活が続いた。


 足の回復の為という判断だったが、外で遊べなくなったことは活発な少女を気落ちさせるのに充分で、そのせいかエリカは体調不良になりやすくなっていた。間の悪いことに、当時流行っていた病に倒れてしまい、ここ三ヶ月は予断を許さない状態が続いていた。

 特に四日前までの五日間は意識がある時とない時を繰り返し、一時は駆け付けた主治医が「今晩が峠です」と両親に伝える程だった。

 だからこそエリカが目を覚ました時、両親や使用人達は涙を流して喜んだ。主治医も奇跡の回復だと驚きながらも、当面の間は絶対安静と両親にくぎを刺すことを忘れなかった。

 こうして、エリカの長い療養生活が再び始まった。


 だが、それは驚きと困惑に満ちた日々でもあった。

 揺らめくロウソクの火に照らされて窓が鏡のようになる。そこにいたのは金髪で緑色の瞳をした可愛らしい少女だったが、その中にいたのは全く別の人格だった。


 四日前のことである。

 目を開けた時、姫島晴夏は困惑した。

 うっすらと「今晩が峠です」と言われているのを聞いていたような気がする。それは家族に向けられたものだったが、その言葉で晴夏は覚悟を決めることができた。だからその日、晴夏は旅立とうと思ったのだ。

 死ぬことは怖くないなんて言えば嘘になる。ただ、これ以上家族や周りの人に迷惑をかけたくなかったし、何より家族のみならず会社の同僚や大学時代からの友人まで駆けつけてくれたのが嬉しかった。二十代後半で人生を終えるのは何とも寂しいものだし心残りも随分とあったが、最後の花道としてこれ程相応しい最期はないだろうと思うと、これから死ぬことが有難くすら思えた。


 そうして、静かに、眠るように短い人生の幕を閉じたはずなのに、また目を開けた自分がいた。


 何とか持ちこたえたのだろうか。そう思いつつも、最後に目を閉じた時に自分を見送ってくれていた家族や友人達がぼんやりとだが再び目に映って、少し申し訳なく思う。

 だが、段々と明確になってくるその顔つきはどれもまるで見覚えのないものだった。外国人の知り合いなんて一人もいないのにどういうことだろうか。まさか、これが怖い話などでよく出てくる死神や天使の正体なのかと興味半分、怖さ半分で眺めていると、その中の一人が「エリカ様!お気づきになられましたか」と叫び始め、そこからはてんやわんやの騒ぎになった。


 こうして困惑が冷めやらぬままに、姫島晴夏はエリカ・スタンフォードとしての人生を歩み始めることになる。


 幸いなことに自分自身の記憶だけでなく、転生するまでのエリカ・スタンフォードの記憶も引き継いでいたので、見知らぬ人に囲まれていても誰が誰かはすぐに把握できたし、字も問題なく読み書きができた。会話も問題なくやり取りできる。

 そして主に引き継いだ記憶から、ヴィクトリア女王統治時代のイギリスに極めて似ているが全く別の世界にいることを知った。


 まず、文化や科学技術などは自身の知識と噛み合わない。いわゆるスチームパンクの世界観に似ているが、参政権などの男女平等は既に果たされているように先進的だった。当主が女性である家も多く、エリカ自身も次期当主である。

 また、この世界では人狼や吸血鬼といった存在も実在する。ただ、それらの存在は自分が知っている小説やゲームで描かれてきた性質とは違う。例えば、この家の門番はオークだ。外見こそ自分が知っている姿と全く変わらないが、常に礼儀正しく知性も高い。時折自宅にやって来る官僚の中にはミノタウロスやドワーフもいた。他にも神話やゲームなどでおなじみの「モンスター」達がこの世界では人間と同じ「ヒト」として存在している。ただ、獣人と呼ばれる存在はこの世界にはいないようだった。

 魔法や魔術が当たり前に存在することを知った時はもう驚かなくなっていたくらい、この世界は自分が知っている世界と極めて似ていて、異なっていた。


 日が昇るまでかなりの時間があるが、もう一度眠りたくても眠気は取れている。


 仕方なくエリカは先程火を点けたばかりの燭台を持って部屋の外に出た。向かう先は図書室だ。

 療養生活とは言うものの、実際は一日の大半を自分の部屋で過ごすだけだから今のエリカにとっては退屈極まりない。そこで図書室にある本を読みふけるのが唯一の楽しみとなっていた。何しろ前世の知識や経験では通用しないものが数多くある世界である。何が原因か分からないし、理解できないことも多いがこうして転生した以上、この状況をとことん楽しむしかない。

 記憶によると本来のエリカは読書が大嫌いだったらしい。なので、本を読みたいと言った時は使用人だけでなく両親にすら驚かれ、病の後遺症かもしれないとまた主治医を呼ばれる始末だった。


 エリカは図書室に入る。途端によく通る声が彼女を呼び止めた。


「これはエリカ嬢。勉強熱心なのは素晴らしいですが、それにしても時間を考えませんと」

「ああ、先生。起きてたんですか」

「エリカ嬢。そのような言葉遣いは余り感心致しませんよ」


 そう言いながらもオズワルドは愉快そうな表情を浮かべて立っている。

 オズワルドはスタンフォード家に長年勤めるドラゴンの家庭教師で、本来のエリカには苦手な相手だったらしい。だが、転生してきた晴夏にとっては、歩く図書館と言えるほど様々な知識を持っており、聞けばそれらを進んで話してくれるオズワルドの存在が心強く、ありがたかった。特に、魔法や魔術の知識はとても豊富で、時間を見つけては話を聞いたり魔法や魔術関連の本を読み進めてもらったりしていた。オズワルドも、今までは何かと勉強をサボっていた「おてんば娘」が病から回復した途端に自分になついて、色々なことを積極的に質問するだけでなく自主的に学び始めたのだから、この変化を手放しで喜んでいた。


「先生こそこんな時間に何してるんですか?」

「私は少し調べ物を」


 オズワルドは読んでいた分厚い本を閉じると、そっと本棚にしまう。


「さあ、お部屋に戻りませんと。気付いた皆さんが心配しますし、お体にも障りますよ」

「えー、来たばかりなのに」

「確かにそうですね。それでは、こちらの本をお部屋にお持ちしましょう」


 別の本棚から本を取ると、エリカに差し出す。それを受け取りながらエリカはオズワルドをまじまじと見つめた。


 夜も遅い時間帯なのに、それを感じさせない程にオズワルドの服装は洗練されている。

 青のダブルスーツの柄はピンストライプと言うらしく、とても細い点線があしらわれている。その胸ポケットにはシルクのスカーフが収まっている。シャツは淡いピンク色で、革靴は茶色のウィングチップだ。

 転生前でもこんな着こなしをしている人は見たことがなかったと思いつつ、エリカはお礼を伝える。


「ありがとう、先生。これ、ずっと読みたかったの」

「どういたしまして。さあ、お部屋に戻りましょう」


 オズワルドの背を追いかけながら、エリカは借りた本の表紙を見る。それは『魔術史概論入門編』だった。

 十歳の子供が興味を持つ本じゃないよなと自分に心の中でツッコミを入れながらも、エリカはその本を早く読みたい思いに駆られている。さっき見た夢のことはもう記憶の片隅へと追いやられていた。


次回は明後日13日(水)更新予定です。

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