表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

Episode.1

少年は採掘用のトロッコの最後尾に乗っていました。

石炭の残りかすが多すぎてくるぶしのあたりまで埋もれ、

身動きが取れなくてトロッコの端に両手を風呂にでも浸かる様にかけ、

振動で体を強く打ち付けるのを防いでいましたが、

そうしているのも握力の限界がきて、仕方なく

石炭まみれになってもうずくまってやり過ごすことに決めました。

そうこうしている間にもトロッコはもの凄い速さで外門近くに向かっていました。

石炭の微粒子が喉に入ってやられるのを防ぐために、

麻のボロ切れを口に噛んでいました。

ドスン、ガチャン、と大きな音を立てて、

トロッコが停止すると、石炭まみれでぎしょぎしょになった髪で

少年は荷車から這い出ました。

乗っていたのは少年だけではなく、何人も出てきましたが

どいつもろくな出で立ちではないことは明らかでした。

血のべっとりついた鉞の様なものを背につけ、

黒装束で顔が全く見えないひょろりとした背の男や、

顔になまなましい傷がいくつも入った白髪のがっしりした中年の男など、

見るからに一癖二癖ありそうな人間ばかりでした。

少年も大抵の悪事は一通りやってのけ、

治安の悪い地域に入り浸った時期ももちろんありましたが、

それでも彼らの様な人間をみるとなんとも言いようの無い感覚が

体を走り抜けるのを感じました。

なんとも言いようの無い、と言うのは少年はむしろ彼らに恐怖ではなく

親しみを感じていたからです。

中央近くの団欒とした家族ずれの様な将来を

明日の食料にも難儀する様な少年は全く想像することもつかなかったですし、

だからこそ自分の将来を彼らの様な存在に重ね合わせ、

そして彼らは間違いなく少年にはかっこよく映ってしまっていたのでした。

それは人間は根本的には保守的であり、かく言う少年もその中の一人であることを

十分に示す良い例でした。


外門をくぐり抜ける彼らを門番は何も咎めずに、

見て見ぬ振り、がこれほど似合う状況も早々ありません。

中には軽く一礼する門兵もいるほどです。

それもそのはずです。

彼らは門兵なんか比じゃ無いくらいに手練ればかりですし、

「誰もしたく無いけれどやらなければならないこと」を

進んでやってのけているのが彼らだったからです。

この国、世界にはいろんな仕事があって、それぞれの人間が自分にあった

ものを選んで一生涯を進んでいきますが、

「誰もしたく無い」なんてものは決まっていて、それは命に関わるやつです。

少年は童話に出てくる悪魔を少しかたどった無骨な黒鉄でできた兜を被り、

全身を軽い鉄でできた鎧で覆いました。

その一式纏った姿は質素であるにも関わらずなんとも言えない狂気を孕んでおり、

小型の群青の血がこびりついた、王国の紋章が描かれた盾をだらしなく下げて

門をくぐりました。

その盾は一番下の位の宮殿の軍兵が支給されるやつで、

全く同じものを槍とともに門兵は持っていましたが、

少年の左手に持つそれが、自身よりもずっと禍々しく重みのあるものの様に

思えてなりませんでした。


外に出ると少年は彼方まで広がる死の大地にいつも思いを巡らせました。

少年は昔から窮屈な場所にいるよりも、こういう

開放感のある様な場所の方が好きでした。

そのわけは、これまでの半生をずっとじめじめした暗い場所で

生きてきたからでした。

しかし開放感がいくらあっても、少年は自分の人生という

暗い部屋からはいっこうに光がさし込もうにもありませんでした。

親もいない。身内もいない。自分が誰かも知らない。

字もろくに書けない。何も知らない。何もない。

少年はトロッコに乗っている時に、その顔が傷だらけの初老の男が

腕を組んで目を瞑っているのを幾度となく眺めていました。

彼に家族はいるのだろうか。友人はいるのだろうか。

外の世界の何を生業としているのだろうか。

きっといないに違いない。僕と同じ様なことをしているに違いない。

だからこそ将来きっとあなたみたいに僕はなる。

こんな押し付けがましい空想も、想像も全て少年の自己満足ですし、

そういうことに耽っていないとやりきれない様な境地にこの少年は長い間いたのです。

しかし、少年が全く思ってもいないところから光が一筋この部屋に

差し込むことになるのです。

そのことは、もうすぐに、分かることになるでしょう。

真っ暗闇の大地をざっ、ざっと音を立てて歩き始めると、

少年は磁場切り石を手の上に乗せて、方角を確認しました。

いくつものてっぺんの見えない柱の間を縫う様にして、

目的地に向かって歩みを進め始めました。


随分長い間歩いていた少年は、視界がやっと届く位の前の方に

あるものを見つけて、立ち止まりました。

少年は今回の仕事の食料や矢じり、毒や投槍、投石など

物資が大量に入った自分の体重よりも重い鞄をどさっ、と自身の隣に置き、

少し深呼吸しました。

全くの真夜中でありますので、少年の息は

ほわほわと暗闇に映えました。

全くもってこの仕事には必要のない

例の奇妙な兜と、軽い鉄の小装具の具合を確認すると、

これまた奇妙な真っ黒の刀身の中振りの剣を鞘から引き抜きました。

その剣はあまり装飾がこしらえておらず、盾同様に何度も血が固まっては

拭った様な跡があり、表面は不規則にざらざらしていました。

火起こしの粉を地面に振りまき、何度か投石で打ち付けると、あっという間に

細長い火が縦に伸びました。

そこにニイラギの枝を数本落とし、火が落ち着いたのを見ると、

物資の鞄を置いて、だらしなく剣と盾を握り直し、ゆっくりと闇に消えていきました。


人間の男の3倍はあろうかという4メドルもする巨躯を焚き火の周りに

無造作にもたげて眠りについている牛頭の化け物は、三本の指を胸に組んで

オクボの大木からできた長槌を自身の横に置いて仰向けで寝ていました。

焚き火の周りには天魚の串刺しの食べ残しが散らかっていました。

ふっさりとした茶色い体毛が夜風に揺れて、立派にそびえた黒紫の角が月明かりでキラキラと

光っていました。

はぐれか、と近くまできた少年は思いましたが、

火の大きさから薄々は予想していただけに、

音が届く範囲で群れがいる、寝はぐれでないかどうかだけ

確かめようと迂回して辺りに目をこらしながら近ずいていきました。

しかし、この時少年は珍しく迂闊でした。

その牛頭が仰向けになっているだけで、意識がしっかりとしており、

大地に優れた耳がついていることでにじり寄る少年の足音に完全に気がついていることに

全く気がつかなかったのです。

視線を目に戻すと、そこには長槌を両手で握りしめ、寝込みの襲撃者に

怒りを露わにした臨戦態勢の牛頭がいました。

「ルォォォォォォォォォォォォォォォ!」

兜の中にがんがん、と牛頭の叫び声が響き渡りました。

しかし、ここで牛頭は確実な違和感を覚えます。

自身の威嚇を前にしても、この小さき人間の襲撃者は身じろぎひとつせずに

じっとこちらを見据えているのです。

そのありように、明らかな苛立ちを覚えた怪物は、

いきなり長槌を振りかざして彼に振り下ろしてかかりました。

しかし、振っても振ってもすんでのところで彼に当てることは叶いません。

実に惜しいところになって、この忌まわしい小人はするん、と攻撃をかわすのであります。

怒りが限界に達した怪物は、自身の長槌を片手に持ち替え、

空いた左手で少年を握りつぶそうとしましたが、

これを待っていたと言わんばかりに少年は盾で受け止め、

その手の付け根に刀をすっ、と差し入れたのです。

「バァァァァァァァァァァ!!!」

初めの威嚇とは比べものにならないほどの悲痛な叫びが暗闇の大地に響きました。

フゥ、フゥ、とあらん限りの憎しみを込めて牛頭は少年を見つめています。

「バァ、ガァ、ルォ、センッ・・・

 フゥッ・・・フゥッ・・・。」

牛頭の動きがまたより一層激しいものとなり、長槌が右から左、上から下へと

縦横無尽に振り下ろされました。

怪物の本気を前に少年は少し怖じ気ずくのを感じましたが、

またすぐにいつもの高揚感が全身を巡って行くのを感じました。

一瞬の気の緩みも許されずに、命のやりとりを人間以上の力を持つ何かとやっている。

「ふぅ、ふぅっ・・・。」

今のは首がもう少し左だったら終わりだったな、とか

今の切り込みは結構深くいったな、とか考えているうちに、

少年を「あの感覚」が襲いました。

それは、すべての時がゆっくりに見えて、

まるで時が止まっているかのごとく思える状態のことです。

いつも極限状態で集中している時に発生し、

今少年に、上から下に槌を化け物が振り下ろさんとしている瞬間でした。

少年はゆっくりと剣を両手に持ち直し、

その持ち手めがけて左から剣を振り払いました。

途端に群青の血が吹き出て、怪物の指が二本、根元から千切れました。

耳をつんざく様な悲鳴が響き渡り、長槌が明後日の方向に

投げ飛ばされましたが、少年はその隙を見逃すはずもなく、

右懐の剣を握り直して、胸下の心臓の位置めがけて一直線に剣を差し込みました。

その瞬間に感覚が途切れ、汗でぐっしょりで呼吸が乱れ乱れの自分と、

目がいかれて手から血が出たままで動かない目の前の怪物がよだれを口から垂らしながら

事切れている光景がまざまざと目に移りました。

剣から手を離すと、その場にへたり込む様に少年は座り、

怪物はそのまま後ろに倒れて、砂埃が大量に舞い散り、焚き火の火は消え、

辺りは再び真っ暗な闇と沈黙に包まれました。

少年の荒い息ずかいだけが、響いていました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ