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MANA & DREAM 白狐の願い  作者: 広瀬直樹
夢の外
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君は逃げる方を選んだんだね

 目を見開くと、眼前に鬱蒼(うっそう)としたジャングルが広がっていた。日が高いというのに、ジャングルの中は薄暗く、木陰に何が潜んでいるのか目視できない。


 伊武輝は、監視ドローンが舞い降りて来るかどうか、上空を警戒した。しかし、すぐに現れるはずが、十数秒待っても何も降りてこない。


 よし、匿名機能がはたらいているな。まずはセキュリティに引っかからずにログインできた。


 今から一人で手際よく敵を倒して、欲しいアイテムを回収しなければならない。それと、ゲームの更新で新たに登場した強敵を、一人でどこまで通用できるのか確かめる必要がある。


 伊武輝は手を前にかざすと、その手に付けている銀色の指輪が、伊武輝の身長ほどのある杖となった。杖を掴んで心のうちで呪文を唱えると、何もないところから一掴みの砂が宙に現れた。その砂は蛍の光のように緑色に帯びた光を放っている。


「あっちか」


 砂は川のように森の中へさーっと流れ始めた。伊武輝はその砂のあとを走って追いかける。目標の敵をいち早く見つけてくれる魔法だ。敵だけでなく、人や物を探すときも大いに役立つ。


 誰にも邪魔されずに砂を追いかけていくうちに、伊武輝の耳にかすかに人の声が聞こえた。伊武輝の向かう方向から聞こえてくる。


 同じ獲物を狙っている奴がいるのか?


 森が深くなり、木々が行く手を邪魔してくる。伊武輝は草木をかき分けながら砂の川を追い続けた。すると、窮屈そうに流れる砂の川が、突如一本の光る糸に変わった。獲物が確実に近いことを合図してくれている。


 伊武輝は走る足音を静め、灌木の陰に身を潜めた。灌木から顔を上げて様子を伺うと、広い草っ原で悪戦苦闘している三人がいた。背中姿しか見えないが、武器を構える人はおらず、疲弊し切っていてボロボロだ。


 いや、この三人だけではない。よく見ると、何かを囲むようにして、たくさんの人が地に横たわっていた。あちらこちらに、草むらがどす黒い血痕で染まっている。伊武輝はくんくんと嗅ぐと、血なまぐさいにおいが襲いかかり、眉間にしわを寄せた。


 死体だ。累々と死体が転がり落ちている。仮想世界で死ぬことは、現実世界に戻れず、あの世に行ってしまうこと意味する。


 どういうことだ。悪意のある仮想世界ならまだしも、ここは健全で、誰も死ぬことなんてない。なのに、セキュリティが機能していない?


 こめかみに一筋の汗がツーっと流れ、伊武輝の心臓がドクドクと高鳴る。


 もしかしたらおれも死んでしまう?


 伊武輝は気配を悟られないようにそっとしゃがんで灌木の陰に身を潜み、不動の姿勢を保ち続けた。枝葉のわずかな隙間からなんとか様子を伺えることができる。


 しかし伊武輝は、死体に囲まれている人物に動揺を隠しきれずに唾を飲んだ。


「なんであいつがここに?」


 そこにいたのは、大学に現れた黒い化け物だった。全身に赤い目がびっしりと埋め尽くされ、ぎょろぎょろと動いている。思わず声を漏らしてしまったが、化け物も、化け物を前にしている三人も気付かなかった。よく見ると、化け物の足の下に、伊武輝が探していた敵が踏みにじられていた。巨大熊の毛皮をまるで敷物のように扱われている。


 とんだ災難に導いてくれたな、この杖は。


 伊武輝は手にしている杖を呪っている中、三人のうち一人が地に刺さった刀を引き抜いた。その男は傷だらけで、袴やさらしが血で赤く染まっている。背中を丸め、足元がおぼつかないまま、化け物に向かってふらふらと歩き始めた。ずるずると刀を引きずりながら地に線を引いている。


「おれが、死ぬ……? そんなことあってたまるか!」


 その男の声を聞いて、伊武輝は目を丸くした。この人たちは、世界大会で何度も優勝している最強チームではないか。確か五人いたはずなのに、今は侍一人に、弓兵が二人しかいない。残る二人がここにいない?


 侍の後方で膝を地についている一人の弓兵が叫んだ。


「やめろ!」


 侍は引き止める声を無視して、雄叫びをあげながらその場から消えた。すると、瞬時に間合いを詰めて化け物の前に現れた。


 無謀にも正面から挑んだ。とてもじゃないが、冷静ではない。


 侍は刀を低く構え、化け物に目掛けて斜めに切り上げた。


 避ける様子もない化け物は、その斬撃を受け止めた。だが、切り口がすぐにくっつき、時間を巻き戻したかのように元に戻ってしまった。


 化け物は侍の首をつかんだ。二人の弓兵は救助しようと弓を引くが、矢を放とうとしない。化け物が侍を盾にしているからだ。弓兵たちは悔しそうに弓矢をキリキリと虚しく鳴らしたままじっと構えた。


 化け物は攻撃してこないことを確認すると、突然、伊武輝の身の毛がよだつようなことを言い放った。


「弘坂伊武輝と白狐はどこだ」


 伊武輝は戦慄を覚えた。


 大学で起きたことは夢じゃなかったんだ! それにおれのことを探している! ということはまさか、あいつは仮想世界を転々としながら探しているのか?


 侍は首を掴まえている手から逃れようと、刀を捨てて腕力でこじ開けようとした。だが化け物の握力に敵わず、みるみるうちに顔が青くなっていく。


 伊武輝は助けようと体がわずかに動くが、そのまま硬直してしまった。狙われていると思うと、自分の命が惜しかったのだ。それに対処法が思い浮かばない。世界最強のチームでさえ勝てないのであれば、なんのちからにもなれない。白狐さえいれば……。


 侍はかすかに横に顔を振った。化け物は問答無用で侍を手荒に絞め殺した。ゴキッと折れる音がすると、抵抗していた侍の両腕が脱力して垂れ下がった。


 助太刀できなかった残りの弓兵二人は、引いた矢を離すが、あらぬ方向に飛んで地面に刺さった。どうしたのだと伊武輝は伺うと、二人はだらんと腕が垂れてその場で泣き崩れていた。


 あの二人はもはや極限状態で、戦うどころじゃない。


 退避させなければ。戦えなくても、二人と一緒に逃げ出すことはできるはずだ。


 化け物がまだ二人に襲いかからないうちに、伊武輝は意を決して胸の内で呪文を唱えた。


 生きとし生ける森よ、大地よ。我らをあの邪悪なる者から隠したまえ。姿も気配もすべて!


 するとあたり一面、霧がだんだん濃くなっていき、化け物も弓兵たちも見えなくなった。だが、光る砂が伊武輝に弓兵たちの居場所を教えてくれた。


 伊武輝は続けざまに呪文を唱えると、二人をここから遠く、安全なところへ瞬間移動させた。


 あとはおれもここから……。


「君は逃げる方を選んだんだね」


 耳元でささやくそのどす黒い声は、伊武輝の心臓を鷲掴みした。化け物が背後にいる。体が動けない。息が苦しい。濃霧に紛れている化け物は続けて言った。


「君が逃した二人だけど、今頃、危ない目に遭っているよ? ぼくは一人じゃないからね。ちゃんとわかってる?」


「そんなわけ……」


「結界を施した街に飛ばしたから? でもそこは、とうに壊滅状態だよ」


 はったりだ。そんなわけがない。どんなに強力な敵でも、街には入れないよう、この世界は設計されているはずだ。だけど、さっきの死体といい、侍が死ぬ瞬間といい、まさか、あの街まで?


「気にくわない顔をしているね。どうしても信じないなら、時間をあげるから見てみなよ」


 ケタケタあざ笑う化け物はご満悦そうにそう言うと、伊武輝の横から、黒くて細い人差し指を突き出した。


 すると、伊武輝の口が勝手に動いた。


「わ、我に、見せよ。安息の地、アスファレスを」


 すると、虚空に縁のない窓が現れ、中には荒廃の姿をした街が映し出された。街が焼かれ、建物が崩壊し、赤い目をした黒煙があちこちでわいている。炎に照らされた血まみれの死体が層々に横たわっていた。兵士は赤い目と戦い、市民や子供らは必死になって逃げ回っている。声は聞こえないが、伊武輝の頭の中では阿鼻叫喚の叫び声が響き渡っていた。


 伊武輝が送り出した二人はすぐにわかった。彼らは、無表情のまま呆然としてその光景を眺めていた。魂が抜けきっているように目が虚ろだ。全部諦めてしまったのだろう。


 化け物は、歯軋りする伊武輝を見てにんまりと笑った。


「ね? これでわかったでしょ。君たちは戦っても逃げても、結果は同じ」


 どうなってるんだ。管理者はいったい何をしている? この街のセキュリティ機能でさえ全くはたらいてないなんて。


 化け物は突然、伊武輝の前に出て濃霧の中に消えた。


 一体何を? でも、やるなら今しかない。


 伊武輝は強制ログアウトを試みた。だが、自分の身に何の変化もなかった。何度も同じ司令を送っても何も変わらなかった。伊武輝の顔が真っ青になる。


「戻れ、戻れ、現実世界に戻れ!」


 伊武輝は張り裂けんばかりの声を上げるが、意識が現実世界に戻らない。


 化け物にごまかしは効かなかった。濃霧がだんだん晴れていくと、さっきまで森や草むらがあったはずの場所が、今や草木は枯れ果て、地面が干からびてヒビが入っている。


 化け物はニターッと笑った。


「ログアウトできないのはね、この世界ごと、ぼくが支配しているからなんだよ! 誰も外に出られないし、外からこの世界に入れない! アクセス権はぼくの手中にある。愚かな人間は何も手出しできない。君は鳥かごの中なのさ!」


 化け物は甲高く笑い猛った。その声は色々な声が混じっていた。男の声、女の声、大人の声、子供の声、歓喜、恐怖。その声がうねりとなって、伊武輝の体に侵食していった。


 間違いない。こいつはコンピューターウイルスだ。それも質が悪い。標的を逃さずに確実に仕留める。邪魔する奴は徹底的に排除するか、乗っ取って操る。このウイルスは、この世界を崩壊するほどの絶大なちからを持っている。これが新種のコンピューターウイルスなのか?


「さぁ君も、ぼくたちと仲間になろう」


 ウイルスは再び伊武輝の元へ瞬時に近寄ると、真っ黒な腕を彼の腕をがしっと掴んだ。前回と同様、みるみるうちに黒い痣が腕に広がっていく。


 冷たい。怖い。


 胸の底から苦しい感情がわいてくるが、しかし、黒い痣の侵食が途中で止まり、同時に高ぶる感情も収まった。これにはウイルスも訝しげになり、掴んでいる伊武輝の腕をじっと見ていた。


 しばしの沈黙が訪れた。すると突然、伊武輝の腕から眩い青白い光が放たれた。強烈な光は二人の目を痛めつけた。伊武輝は目を細め、何が起きているのか注視した。ウイルスは掴んだ手を離し、赤い目を細めて距離をとった。ウイルスが予期しないことに危機感を感じているのだろう。


「やはりお前か」


 憎しみを帯びた声色をしたウイルスは、その光を睨んだ。


 伊武輝の前に、白狐が居座っていた。白狐が放つ光は、伊武輝を守る結界となっていた。


 白狐は尻尾を高く上げながら、一心にウイルスを睨んでいる。


「なんで、お前……」


 この世界は外から入れないんじゃなかったのか?


「やっぱり考えていることは同じだな。その男に、バックドアを仕掛けていたなんてな」


 聞いたことがある。どんな強固のセキュリティでも、一旦侵入して裏口を作ってしまえば、再侵入するときがとても楽になる。その裏口のことをバックドアと言われている。


 でも、おれにバックドアだと? いったいいつだ?


 その答えを導くのにそう時間はかからなかった。白狐が腕を噛み付いてきた、あの時だ。治療とともに、バックドアが仕込まれたんだ。


 そうなるとおれは、別の仮想世界に飛ばされ、そこで白狐に噛まれたということになる。夢だとこうはいかないだろう。


 ウイルスは狼狽えていたものの、徐々に冷静さを取り戻した。


「ま、どのみち好都合だ。この世界に入った以上、もう二度と出られない。まとめてこの世界ごと、崩壊してやる」


「そんなことをしてしまったら、お前も死ぬんだぞ?」


 伊武輝がそう言うと、ウイルスはケタケタ笑った。


「言ったでしょ。ぼくは一人じゃない。ぼくは誰かの意思のコピーだ。永遠にコピーし続けて、この意思を次のぼくに残す。お前らにはコピーがない。お前らはここで死ぬんだよ!」


 伊武輝たちの足元が揺れ始めた。地響きが轟いている。ゴウゴウと吹き荒れ、何かが起ころうとする。


「おい、狐。何か策はないのか?」


 伊武輝は強い地震で立っていられず、両手を地に着いた。嫌な予感しかしない。確実におれたちを消しにかかって来ようとしている。


 一方、白狐は俯いて、身にまとう光を天高くまで伸ばした。だが、ウイルスは一目見るなり嘲笑った。


「抜け道を探しても無駄だよ。ぼくのちからは、この世界ごとを取り込んでとても強大だからね。いくら救世主でも、太刀打ちできないさ」


 白狐も気づいたようで、光をさっと消してすぐに諦めた。


 まさか、自分から助け舟を出しておいて、結局共倒れっていうことじゃないだろうな?


 白狐は何か思い込むように俯いて目を伏せた。


「悟っているんだよ。終わりをね」


 地面の揺れが収まらない。それどころか徐々に大きくなっていく。空が翳り、暴風と雷が地に降り注いでくる。何もせずにじっとしている白狐は、何か考えているようだ。


 伊武輝は為す術がないので、息を呑んでただ静観するしかなかった。ログアウトできないのであれば、こいつを倒すしかない。白狐にそんなちからがあるのだろうか。


 ウイルスは黒い腕を天高く掲げた。勝ち誇っているかのようにニヤついている。


「君たちはここで死ね!」


 ウイルスは勢いよく腕を振り下ろした。その瞬間、白狐は見開き、瞬時に伊武輝の足に尻尾をまとわりつかせた。あっという間のことだったので、伊武輝は気づかなかった。


 伊武輝と白狐は雷に打たれる直前になって突如消えた。ウイルスは落下地点まで瞬間移動をして、焼き焦げた地面をまじまじと眺めた。


 ウイルスは逃したと理解すると、怒りに任せて大地震を引き起こさせた。

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