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MANA & DREAM 白狐の願い  作者: 広瀬直樹
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これでサヨナラなんて、おれは言わない!

 伊武輝は鼻息を吐いた。


「思い出せたとしても、選ぶのはおれだ。案内してくれ」


 伊武輝がそう言ってゆっくりと立ち上がると、篠野の顔がぱあっと明るくなった。


「ああ、それでいい。思い出してくれ」


 篠野はばっと立ち上がると、興奮気味に足早に校舎に向かった。伊武輝はその後に続き、校内を見て回った。

 教室、会議室、実験室、研究室、講堂、コンピューター室、スポーツ施設、食堂と、巡りに巡った。

 篠野は立ち入る度に熱心に語った。どういうところなのか、どういう目的で使われるのか、伊武輝がどんなことをしていたのか、どんなことを思っていたのか、事細やかに話してくれた。

 伊武輝は話を聞く度に失笑した。実験室では、間違えて部品を廃棄して恥を掻いてしまった。講堂では、発表するときに派手に転んでしまった。コンピュータ室では、先生が無能なばかりに伊武輝が生徒に教えて回っていた。篠野は、いろんなことを覚えていた。


 しかし、同時に恐れていた。聞けば聞くほど、夢の世界での出来事や、マナとの出会いは、全て偽りだったのかと。戻ればならないのは夢ではなく、現実ではないのかと。篠野の言っていることが本当ならば、おれは夢の住人だということになる。もし、そうだとしたら、今までのことは一体なんだったのだろう。

 篠野と一緒に歩みを進めるほど、伊武輝の足取りが重くなった。それを見兼ねた篠野は、次の場所まで続く廊下の途中で、立ち止まった。


「思い出すのが、怖い?」

「え?」


 篠野は壁に寄りかかって、伊武輝に対して体を横に向けた。


「気持ちはよくわかる。ぼくもそうだった。現実を受け止められるほど、強くはない。幻であってほしいと、何度願ったことか。でも現実なんだ、これが。それに、現実は人の見る世界によって異なる。ぼくと君の見ている現実は違う」


 何のことなのかわからず、伊武輝は次の言葉を待った。篠野はふうと一息吐いた。


「ぼくは植物状態なんだ。今、現実では、ぼくの体は動かない。呼吸器や心臓ポンプがなければ死んでしまう。だから、仮想世界である程度やんちゃなことをしても許してもらえた」


 君は覚えてないんだろうけど、と篠野が言っても、伊武輝はピンと来ないまま、話を聞き続けた。


「ナノボットと仮想世界がなけば、こんな生きがいを味わうことも、君に会うこともなかった。医療が大幅に進歩したとは言っても、完治できるのは限られている。ぼくには親はいるけど、それも作られた世界でしか会えない。本当の自分の顔の写真も見せてくれたけど、果たして本物なのか疑わしい。目の前にいる両親も、本当の両親なのか、疑ってしまう。ぼくはいわゆるアバターで、本物のぼくを知らない。どんな顔で、体で、どんな性格なのか」

「性格はわかるだろ?」


 伊武輝は話を挟むと、篠野は静かに首を振った。


「それは違う。今の自分は、この偽りの容姿のおかげで振る舞えるんだ。容姿も変われば、性格も変わる。醜い自分だとわかったら、性格も暗くなりやすい。でもね、人が良いと言われても、孤独だった。苦しかった。仮想世界にいても、その話のほとんどは現実の出来事だ。みんなと交わることは難しかった」


 篠野は自分の手のひらを見た。


「みんな思い思いにアバターを作る。本気で振る舞える自分を作って、楽しんでいる。だけどみんな、現実世界ではちゃんとした体を持っている。本当の体を使って、五体満足に自分の意思で行動できる。障がい者のぼくにとって、羨ましくてしょうがなかった。誰かが作ったまやかしの世界でしか生きられないのが、悔しかった。それでも生きるしかない。ぼくの体が目覚められると信じて」


 篠野は懐から一枚の写真を取り出した。写真には篠野と女性が隣り合って笑いあっていた。


「この学校に入って本当によかったと思う。君のことはもちろん、彼女にも会えた。君は覚えていないだろうけど、付き合っている彼女もぼくと同じだ。彼女はぼくの、そしてぼくは彼女の理解者だ。そしていつの間にか惹かれあった。余計に死にたくないって思った」

「つまり、おれに何が言いたいんだ?」


 結論を急いでいる伊武輝に、篠野は微笑んだ。


「生まれで人は決まる。それは事実なんだ。望まない形で生まれたのなら、両親や神様を一生恨むしかない。だけど同時に、育ちで人は変わる。要は、たとえ君が思い出して悲しみに暮れても、それはひとときに過ぎない。でも、悲壮に囚われるか、脱するかは本人次第。大丈夫、必ず手を差し伸べてくれる人が現れるよ」


 思い出したら悲しいとか、きっとそうではない。思い出した時、本心がわからなくなり、逃げ惑い、諦めてしまうじゃないかと思っている。


 見失うな、決して。


 そうやって自分を鼓舞した伊武輝は、行こう、と言って篠野を促した。

 篠野は頷いた。扉の方へ歩き出し、伊武輝も続く。

 二人は扉の前に立ち、篠野がドアノブに手をかけて扉を引いた。汚れひとつない校舎に似合わず、ギギギと重苦しい音が鳴る。

 二人は中に入ると、講堂は誰もいなかった。いや、教壇のそばに誰かがいた。


「あれ、本当に狐がいたんだ」


 篠野が呆然と扉の前で立っているので、伊武輝は篠野を通り越して前に出た。

 白銀の毛並みに、清くて蒼い瞳をした狐。マナがお尻を着けてちょこんと座って座席の方に顔を向いている。


「ここにいたのか、マナ」


 伊武輝は後ろから話しかけるが、マナは微動だにせず、前方を見つめ続けていた。


「何か知っているんだな。だからここに連れてきた。そうだろ?」


 マナは返事をしない。篠野は不安そうに二人のやりとりを見届けている。

 伊武輝はマナの前に回り込んでしゃがんだ。それでも、マナは毅然とした態度で伊武輝の目を見た。


「おれが一番不安なのは、全部思い出した時、おれがおれじゃなくなって、マナのことを傷つけてしまうんじゃないかと恐れているからだ。マナがいなくなってしまって、おれがおれでいられなくなるのを恐れている。だから、だから……」


 突然、伊武輝はマナに抱きついた。マナは驚いて目をまん丸になっている。


「お願いだ。思い出したくない。マナは休んでていいから、なあ、このまま、もう帰ろう?」

 伊武輝の肩と声は震え、涙が溢れている。顔を毛並みにうずくまり、少しでもごまかそうとするが、マナは穏やかに微笑んだ。尻尾を伊武輝の背中まで回し、抱擁した。


 大丈夫だよ、と言われている気がする。


 マナは伊武輝が落ち着いたところを見計らい、しっぽをピンと立たせた。すると、尾の先が青白く光り、それに呼応するように、伊武輝の右腕からも青白く光った。

 その瞬間、伊武輝の目が見開いた。情景が頭の中になだれ込んでくる。


 何をしている、マナ。まさか、これは全部、おれの記憶?


 伊武輝は喚いた。頭痛に苛まれ、身動きがとれない。マナに寄りかかって頭を抱えたまま、為す術がなく受け止め続けた。

 閉じ込めている塔の夢、猫の親子の夢、喫茶店の夢、卒塔婆の夢、ゴザムの夢、夢の世界、ゲーム、学校、そして現実。夢の保護に四苦八苦し、そして成功したこと。苦しい過去に押しつぶされそうになったこと。エレから初めて杖を授かったこと。助けるために夢の世界に連れて来られたこと。コンピューターウイルス、ナノボット。そして何より、側にはマナがいたこと……。

 初めてマナと会ってから、あの閉じ込められた塔の夢まで、早送りを見ているように次々と思い出す。それだけでなく、記憶に連なるすべてのことを思い出した。


 そして伊武輝は知った。自分は夢の守護者ではない。本当は夢の住人で、現実に戻らねばならない。マナとも別れないといけない。


 マナと一緒に夢を守ることばかり考えていた。だけど、ここにいてはいけないんだ。これ以上夢の世界にいたら、もっと大変なことが起きそうな気がする。惨事が起きる前に戻らないといけない。でも、離れ離れになるのは嫌だ……。


 頭痛が次第に収まると、伊武輝は歯を食いしばった。うずくまる顔からほろりと別の涙が溢れる。伊武輝はマナをぎゅっと抱きしめてそのまま離さなかった。


「お前の行動はいつもわかんないんだよ! 腕を噛み付いてくるし、引き摺り回すし、集中を掻き乱すし、思い出したくもない記憶を思い出しちまうし。お前はいつも余計なことしかしない。いつも終いには、お前の気持ちを踏みにじることになるしな」


 マナは悲しげに微笑むと、伊武輝の耳元で小さく、こんと鳴いた。


「今回もそうだ。これでサヨナラなんて、おれは言わない! まだお前に、なんにもしてやれてない! だけど、これ以上戻らないでいたら、おれは、おれは……」


 嗚咽を漏らし、続けて言うことができなくなった。抱きしめる腕のちからが小さくなり、マナは伊武輝の腕から離れると、寂しそうな目をしながら伊武輝の頬をペロリと舐めて涙を拭った。

 伊武輝は落ち着かせて言った。


「おれは、帰るべきところに帰るよ」


 マナは小さくこんと鳴いた。名残惜しそうに、再び抱きついてきた。マナの目に涙を浮かんでいたような気がする。動物も、悲しみで泣くことがあるのだろうか。

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