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MANA & DREAM 白狐の願い  作者: 広瀬直樹
幽閉
36/43

なにか良くないことが起きているんだな?

 伊武輝の前で歩いていたマナがこんと鳴いた。伊武輝は前方を見て、きょとんとした。


「これがそうなのか?」


 その夢は、大きさが人の身長ほどあって、悪夢のような黒い渦もなく、特に変わったところはない。だが、マナは慎重に夢の周りをぐるぐると歩き始めた。


「マナもこの夢は初めてだあ。それもそうだあ。まだ悪夢に侵されたことはない。だけどなあ、この人、夢からまだ醒めたことがない。ずっとなあ」

「ずっとって、どれくらい?」


 伊武輝は驚いて、思わず口走った。


「さあ、それはわからない。この夢が生まれてからずっとだあ。普通の人だったら何百、何千という回数で夢を見るんだろうけど、この夢はまだ一回目だあ」


 バクは悲しげな目で夢を見た。


「この夢は悪夢とは異なる。夢そのものに異常があると思うんだけれどなあ、夢に閉じ込められた人がこの中にいる。きっと一筋縄じゃいかない」

「夢に異常があるのなら尚更、中に入るのは危険じゃないのか?」


 指摘されたバクは、警戒している伊武輝に手のひらを向けた。


「大丈夫。外から注意深く観察するし、危険だと判断したら夢に穴を開けてお前さんたちを救済する。もちろん、夢の住人を無傷のままでなあ」

「そんなことできるのか?」


 伊武輝は両眉を上げた。


「ああ。簡単だあ。それと、夢の住人を夢から醒ましても問題ないけどなあ、そのままでもいい。きっとおいらたちがどうこうできることじゃない。長が言うには、今回は特別に干渉しても問題ないそうだあ」


 ふーん、と伊武輝は頷いた。

「要は、夢そのものの治療ってことでいいのか?」

「そうだと思っていい。よろしくなあ」


 マナは余裕そうに、後ろ足で顔を引っ掻いた。伊武輝は腕を伸ばして筋肉を溶きほぐした。

 バクは伊武輝たちの背後から声を低くして言った。


「だけど迷うなよ、決して」


 伊武輝は耳を疑った。


「今なんて?」


 伸びをやめた伊武輝はバクの方に振り返ったが、後ろからなにかに押され、バランスが崩れた。彼はそのまま前に倒れ込むようにして夢に入っていった。

 伊武輝の背中を体当たりしたバクは、鋭い目でマナを一瞥した。マナの口が半開きになり、伊武輝に続けて夢に慌てて入っていった。




 閉じ込めている夢の中身はとてもシンプルだった。

 真っ暗な中、心持たないろうそくの明かりだけが頼りで、石壁に目の高さと同じ位置に等間隔で並べられている。塔内は螺旋状に光る小さな火で全体を淡く浮かび上がらせていた。

 伊武輝たちは円柱の塔の中にいて、薄暗い螺旋階段に足を着いている。石階段は上下に伸びているが、窓が一つもなく、石壁に覆われている。匂いを嗅ぐとかすかにカビ臭く、湿気で少しジトジトしている。

 マナもくんくんと匂いを嗅ぐも、何も手がかり見つからなかったようで、上を見たり、下を見たりしてソワソワしていた。


「背中を押したのはマナか?」


 伊武輝がそう言うと、マナは首を振った。

 バクのせいか。ゆったりとしたバクがそんなことをするなんて、なんだか胸騒ぎがする。


「バクの言われたとおり、内側から保護を掛ける。それから出口を探そうか」

 しかし、マナは横に首を振った。

「出口を探すのが先決だって?」

 マナはうなずいた。

「保護をかけたら、出口が現れるかもしれないんだぞ? それに外から助けるって言ってたじゃないか」

 それでもマナは頑なに否定した。

「なにか良くないことが起きているんだな?」

 マナはうなずいた。


 伊武輝は階段の手すりに体を乗り出し、最上部と最下部を交互に見た。ろうそくの明かりだけでは、薄暗くて様子が伺えない。

 ざっと見た所、夢の出口らしき亀裂が見当たらない。それもそのはずで、夢の住人が眠りにつく瞬間でしか現れない。夢の住人に外の存在を知らせないためだ。


 伊武輝は手すりから離れ、杖を手にとって呪文を唱えた。すると、杖の先から砂粒が現れた。蛍色に光る砂粒は、最上部と最下部の二手に分かれ、細い川が二本流れるように空を移動した。なにか手がかりを見つけたら、強く発光するようお願いしてある。

 伊武輝とマナは数秒だけ待っていると、すぐさま最下部の方へ向かった砂粒が強光を放った。

 伊武輝は自身に魔法を掛け、手すりから飛び降りた。それに続いてマナは手すりから手すりへと飛び移りながら階段を下っていった。

 伊武輝は合図を送っている砂粒のところまで降下すると、ぷかぷかと宙を浮きながら静止した。マナも到達し、手すりのところに鎮座した。

 そこで、手すりから離れてうずくまっていたのは、小学生くらいの小さな男の子だった。


「誰?」


 男の子は怯える様子で伊武輝とマナを見ていた。伊武輝は手すりに腰掛け、男の子と向かい合った。


「驚かせてごめんな。おれは伊武輝。君は?」

「ぼくは、わからない」

「わからないって?」


 記憶がないのかと思ったが、実はそうではなかった。


「まだ名前をもらってないんだ」


 もらってないって、それじゃあ、生まれてからずっと夢から醒めていないというのか?


「だから、好きに名前を付けて呼んでよ」

「そういうわけにもいかない。名前は親から授かるものだ。だから、少年と呼ばせてくれ」

「親って?」


 男の子はきょとんとした顔で伊武輝を見た。

 そうか、夢から醒めてないっていうことは、生みの親のことを知らないんだな。


「少年の誕生を喜び、少年を育ててくれる人のことだよ」

「よくわかんない」


 そうか、と伊武輝はちらりと笑った。


「なあ、ずっとこの塔に住んでいるのか?」


 少年は怯えるように体を震わせた。


「こんなところ住みたくないよ。暗いし、狭いし、早く外に出たいよ。お兄ちゃんたちは外から来たんだよね? だったら出口を教えてよ!」


 少年は伊武輝の裾をわし摑んで懇願した。


「ときどきあいつが現れるんだ。追いかけてくるんだよ」

「あいつって?」

「気配のことだよ」

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