マナは沈黙を守り続けている
マナは夢の亀裂から抜け出すと、外にはバクが待ち構えていた。マナはバクに一瞥すると、伊武輝をそっと地面に置いた。
バクは真剣な眼差しでマナをじっと見ていた。
「マナ。お前さんはいったい、何者なんだ?」
いつもの間の抜けたような口調は抜け落ち、本気で言っている。マナはバクに対して体を横に向いて座り込んだ。
「伊武輝が言っていたな。人工の夢、つまり仮想世界が存在すると」
バクはゆっくりと宙を漂いながらマナの正面に回り込んだ。
「その世界に入るには、体内で循環している目に見えない機械が必要だとあの悪夢が言っていたな。お前さんにも人間と同じ、その機械があるとも。お前さん、本当は人間なんだろう? おいらやお前さんのような夢の守護者に任務がある。だけど時折、守護者が入れない夢がある。そんな夢に限って、お前さんしか入れない」
バクの目つきが鋭くなる。
「今、わかった。お前さんにしか入れない夢は、実は人工の夢で、体に機械を宿していない守護者は入れない。そしてしゃべらないのは、ボロを出さないため。人間だった時のお前さんの記憶はもうほとんど思い出せないはずだけど、機械を使えば忘れずに済むんじゃないのか? おいらたちにはない、その不思議なちからは、人間が生み出した邪悪なるもの。違うか?」
マナは毅然としてバクを見つめ返している。
「お前さんが来たときから、すでに夢の世界の崩壊が始まっていたんだろ! お前さんが人間のスパイで、夢の外の世界を支配しようと目論んでいるんだろ!」
あの穏やかなバクが、声を荒げてマナに当たる。
「思えば始めから気付くべきだった。お前さんが来たときから、夢に変異が起きていた。おいらたちに味方だと指し示すには絶好の機会だった。違うか? マナ!」
マナは何も動じず、真っ直ぐな眼でバクを見ている。
「おいらたちに信頼を得て、夢の中に侵入することを許してもらえた。お前さんが悪夢を退治する最中、別の何かを夢に埋め込んでいるんだろ? それ以外なにも思いつかない。長にも気づかれないところに何かを隠している。悪夢とは違う、何かを。今は何も起きていないが、時が来れば何かが起こるんだろう?」
マナは沈黙を守り続けている。頭を縦にも横にも振らない。
「応えろ!」
バクがマナの眼前まで詰め寄った。疑いの眼差しが、マナの目の前にある。その剣幕は凄まじく、バクの荒い鼻息がマナの顔にかかる。
険悪な雰囲気の中、伊武輝がぱちっと目が醒めた。
「マナ!」
がばっと上体を起こして大声で伊武輝が叫ぶと、バクがびくんと飛び上がった。
マナは、伊武輝が目覚めたことにとても嬉しがって、伊武輝を上体を寝かしつけるように前脚で抑え、馬乗りの格好になった。尻尾をブンブン振り回し、伊武輝の顔中を舐め回した。
「やめろ、やめろって。おれはもう大丈夫だから。心配掛けたな」
伊武輝はマナの頭を撫でると、マナの顔がとろとろになってしまった。
あなたが傷つくと悲しむ人がいるでしょ?
母猫の言葉を思い出した。悲しんでいるとは思わないが、マナは心配してたんだろうな。こんなに嬉しがっていると、こっちも嬉しくなる。
「よお、伊武輝。驚かせるなあ。びっくりして心臓止まったかと思ったあ」
さっきの憤怒とは打って変わり、元のバクに戻っていた。
「お前さんの保護魔法、微力とはいえ、うまく言ったんだってな。リアに聞いたあ」
バクは保護が施された夢を眺めた。
「だけどなあ、伊武輝、必要がないのに記憶を掘り起こしただろ? 自業自得としか言いようがないけど、なんで掘り起こしたんだ?」
伊武輝は力なく笑った。
「すまなかった。より強い保護をしようとすると、夢に亀裂が入った。その原因は記憶にあるんじゃないかって探ろうとしたんだ。そうしたら、悪夢が生まれてしまった」
バクは唸った。
「そうだあ。夢は気まぐれだけどなあ、必要なときだけ見せてくる。反対に言えば、必要のないときに見せようとすると、悪夢が生まれやすい。記憶は夢と密接につながっている。そのことをお前さんは、よーくわかったはずだあ」
伊武輝は力強くうなずいた。母猫の幸せな記憶がせっかく浮き彫りになったというのに、不用意に一番悲しい記憶を思い出させてしまった。
もう二度と人の記憶を覗き見ることなんてしない。伊武輝はそう誓った。
バクは伊武輝にニッと小さく笑いかけた。
「伊武輝、今はできることをしろ。微力な保護しかできないのなら、全部とは言わない、夢をたくさん保護して、要領が掴むまで強力な保護は控えろ」
「でもそんなことをしても……」
「高い効果は期待できないって? それでいいんだ。十個中三個でも防げるのなら、マナはその三個分だけ戦わずに済むんだ。お前さんは夢の住人を助けるだけでなく、マナも助けているんだ。でもおいらの楽しみが減るけどなあ」
マナの手助けになっている。そう思うと、伊武輝は、胸の内がほんわりと暖かくなるのを感じ取った。
「ところでバク、記憶を掘り起こした罰は、いったいどうなるんだ」
「長にちゃんと伝えた。今回も許してもらえるそうだ。全く寛容すぎるのも問題だなあ」
おいらはこれで、とバクは言うと、マナとすれ違いざまに耳打ちをした。
長にはまだ言っていない、だがおいらは味方ではない、と。




