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MANA & DREAM 白狐の願い  作者: 広瀬直樹
こんにちは、仮想世界
3/43

どうなっても知らねえぞ

2019.2.5. に修正しました

 すると突然、静寂を破るように、伊武輝の目と鼻の先にぱっと人の顔が現れた。


「やあ、弘坂くん!」


 調子のいい声色で間近に話しかけられると、伊武輝は度肝を抜かれた。突如現れた男の腹に目掛けて、すかさず拳を食らわした。腹の奥まで拳が入り込み、鉄拳制裁をくらった男は俯いて、お腹を押さえながら涙をこらえて咳き込んだ。相当効いたようで、呼吸が落ち着くのに時間がかかった。

 男はやっと顔を上げると、参ったというように苦笑いした。


「いきなりグーで挨拶かい」


 痛そうに体を丸めているこの男は、学校で唯一付き合いのある篠野晃之という人物だ。

 篠野は伊武輝より頭一個分身長が高く、丸眼鏡を掛けている。しかも綺麗な小顔で、爽やかなショートヘアーだ。今日は大人っぽい赤ワインのシャツと白のパンツを身につけているが、すらっとしている体から少しか弱さが感じられる。


「最低限のマナーも守れない奴に灸を据えているだけだ。これでもう七回目だけどな」

「いちいち数えてるのかい?」

「何度もなんども眼前出現すりゃあ、自然と数えちまうんだよ。ほんと、篠野は懲りないよな」


 人の目の前に現れると、正面衝突する危険性がある。現実世界に戻ると怪我は残らないが、痛かったという経験は積み重なってしまう。

 だから常に注意を呼びかけているのだが、篠野はやめていない。


「いい加減、やめてくれないか? ぶつかると痛いのが残るし、心臓に悪いんだよ」


 伊武輝は少し尖らせた。


「いいじゃないか、ちょっとした挨拶だ」

「篠野、お前は他の人にもやっているのか?」

「いいや、きみだけ」


 なんでおれだけなんだよ。

 下がってくる眼鏡を手でクイっと上げると、篠野はふふんと微笑んだ。

 伊武輝はふんと鼻を鳴らした。


「何度も言っても無駄だと思うけど、いいのか、眼前出現していて。それに——ほーら、今日も来たぞ」


 上空から飛行物体が二人の元に颯爽と舞い降りてきた。

 巡回している監視ドローンだ。鳩と同じ大きさの小型無人航空機で、四枚のプロペラがぶーんと鳴っている。上部と下部には、赤いランプがくるくると回転していた。 

 監視ドローンは、篠野に淡々と警告を発した。


「二点減点。詳しくは後日連絡します」


 監視ドローンはそれだけを言うと、ぶーんと羽音を鳴らしながら、再び空高く飛んだ。


「別に怪我させたわけじゃないからいいじゃないか」


 篠野は上空に消える監視ドローンに向かって、両腕を広げてふんと鼻を鳴らした。


「篠野、今日ので合わせて何点引かれたんだ?」


 伊武輝は呆れて言った。

 人には持ち点がある。ある一定数まで減点されると、仮想世界に入れなくなり、講習を受けるか、悪くすれば逮捕されることもある。


「それは口外しない。ご想像にお任せするよ」


 朗らかにそう言うが、篠野は何度も眼前出現するからだいぶ点数が減らされているはずだ。それなのに、今日も自由気ままにここに立っている。


「なあ、何か抜け穴があるのか? 減点されても、免除する方法が」


 篠野の目が少し見開いた。落ち着いた雰囲気が一瞬止まった。


「いや、知らないよ」少しぎこちなく歩き出した。伊武輝も合わせて歩く。「ところでさ、昨夜のゲームのアップデート情報、見た?」

「ああ、もちろん」と、伊武輝は思い出して、にやりと笑った。

「思えば、サービス開始と同時に始められたのはラッキーだったな、篠野。おれたちは他の奴らよりも抜きん出て強いし、運営はスポーツにしようと動き始めているしな。今日の講義が終わったらちょうどアップデートが終わっているはずだ。時間になったらすぐにやろう」


 伊武輝は今朝起こった出来事を頭の中から払いのけ、気持ちはゲームに切り替わっていた。伊武輝の目が爛々と踊っているが、篠野はその目を見て、顔を背けながら申し訳なさそうに頭を掻いた。


「なあ、弘坂。実は……」

「なんだ?」


 伊武輝はそわそわしている篠野に不信感がわいた。篠野はばつが悪そうだったが、奮起して真率な目を見せた。


「ゲームをやめようと思うんだ」


 伊武輝はそれを聞いて、歩みを止めた。


「はあ? なんでだよ」


 さっきまで踊っていた伊武輝の目つきが、たちまち怒りへと変わった。

 前に歩いていた篠野も立ち止まり、伊武輝に振り向いた。後ろから学生たちが二人の傍を通り過ぎながら校舎内へ入っていく。


「もちろん、あのゲームだけじゃなくて、今やっているゲーム、全部だ」

「おい、ふざけるなよ」


 篠野はプロゲーマーになるとは公言していないが、ここまで付き合っている以上、気持ちではそうだと思っていた。

 伊武輝は拳を握りしめた。腹の底からふつふつと煮えたぎり頭まで血が上る。たかが数年の付き合いとはいえ、篠野ほどの強い味方がいなくなるのは痛手だ。篠野がいなければ倒せない敵も数えきれない。もしやめてしまったら今までのように簡単にゲーム攻略できない。また新しく味方を見つけるのは心底厳しい。


「ふざけてなんかないさ。ぼくは彼女のためにやめるんだ。これ以上ゲームするんだったら別れようって、釘打たれているのさ」


 モテモテなのは知っていたが、まさか彼女がいたなんて知らなかった。


「それって現実世界で会った人なのか?」


 伊武輝が念を押して訊くと、篠野は肩をすくめた。


「いいや、この世界でだよ」


 今時、仮想世界で彼女を作るなんてお笑いの種にもならない。伊武輝は侮蔑していた。


「たかが空想の彼女のためにゲームをやめるのか?」


 冷ややかに言うと、伊武輝は歩き出して篠野の傍を通り過ぎ、他の学生に続いてドアを開けて校舎内に入った。

 すると突然、伊武輝の視界が勝手に動いた。

 伊武輝も何が起きたのかわからず、気がつくと壁に押し付けられ、目と鼻の先には険しい顔で見下ろしている篠野がいた。


「たかがだって! 弘坂、何言っているのかわかってるのか!」


 硬くて冷たい校舎のコンクリートの壁が背中に幾度かぶつかる。胸には襟を掴んでる篠野の手があった。シャツと胸の皮膚が強く擦れてジリジリする。学生たちはその光景を興味津々に見入っていたが、時間を気にしているように立ち止まることなく歩き続けた。

 伊武輝は目をそらさずに淡々と篠野に話しかけた。


「お前はゲームより、本当の外見も知らない彼女の方を選ぶのか?」

「当たり前だろ。ゲームしていても、知識も身につかないし、何の役にも立たない。ただの時間つぶしだ」


 何の役にも立たなくて、ただの時間つぶしだって? そう言うお前はそれを今までずっとしてきたじゃないか。人の言える立場だと思っているのか?

 それに、ゲームはスポーツだ。一戦一戦が勝負の世界だ。勝った時の興奮、負けた時の悔しさは忘れられない。大会で勝てばファンの大歓声がどっと湧くし、負ければ一緒に悔しがってくれる。ゲームは、見ている人全員に感動を分け与えられる素晴らしいものなんだよ。

 篠野の言葉にかちんときた伊武輝は、矢継ぎに言葉を飛ばした。


「彼女もまた、単なる暇つぶしだったら? お金が目当てだったら? 個人情報が目当てだったら? 今時、外見を装うだけでなく、内面まで装うことだってできるんだ。いや、外見が変わるから心も変わる。お前も心理学を専攻しているんだからわかるだろ?」


 篠野は握りしめている手の力を緩め、伊武輝を解放させた。そして、大きなため息を吐いた。


「心理学を専攻してたって、好きな人の前では盲目になる。人の心を読んだり、誘導したりなんて、そんな簡単にできやしない。できたとしても、してはならないんだ。たとえ、彼女がどうであれ、ぼくはゲームをやめる。人生は短い。これからは意義のあることに力を注ぎたい」


 わかってくれると思っていた、篠野はそう呟きながら、伊武輝を残して去っていった。

 伊武輝は離れていく篠野の背中姿に、冷たい眼差しをぶつけていた。

 全く理解できないな。顔も知らない人と付き合うことは、リスクしかない。


 仮想世界は恩恵ばかりではない。外見を自由に変えられるということは、正体を隠すことが容易になる。

 最も問題になっているのは、悪意のある仮想世界だ。そこでは詐欺、恐喝、暴力、ウイルス感染など、死ぬかもしれないという恐怖で潰させる凶行を受ける。入ると二度と出られない監禁場所もある。監視の目から外れたところで、かつ匿名の状態でやりたい放題するのでなかなか捕まりにくい。

 隣に敵がいる。伊武輝は最初に、その考えを前提に疑いを晴らすことから始めている。篠野と初めて会った時だってそうだった。篠野はどんな人物か、どんなときでもじっくりと観察していていたが、結果はシロだった。


「どうなっても知らねえぞ」


 伊武輝はしわくちゃになったシャツをすっと整え、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。

 ゲームより外見を知らない彼女を選んだのだから、本当にバカだ。

 校舎中にチャイムが鳴り響く。伊武輝はその音を聞いた途端、足早に教室へ向かった。すでに講義が始まっていた。

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