快感を覚えてしまったら、止めることは難しい
マナはうつむいたが、意を決したように目つきがキッと鋭くなった。マナは舌でぺろりと夢を舐めた。
夢が見せる記憶は、とても残酷だった。女の子は、クラスの子たちからいじめを受けていたのだ。机に落書きされたり、靴に泥を被せられたり、虫を食べさせたり、教科書が隠されたり。いわば、クラスの中で階級社会ができていた。いじめる者の身なりは小奇麗で堂々としていた。一方、女の子はみすぼらしくオドオドしていた。きっと、それほど裕福ではなかったのだろう。それだけではない。クラスの子はみんなゲームのコントローラーを握りしめて遊んでいる一方、女の子はボールや縄跳びを手にしていた。どのくらい過去の話かわからないが、都会に馴染めない田舎者とそう変わらない。
女の子は、女性には気丈に明るく振る舞っていた。きっと心配させたくなかったのだろう。
だけどある日、女の子は手紙を書き残し、飛び降り自殺をした。
いじめに耐えきれず、校舎の屋上からアスファルトにめがけて自ら頭を強打した。
女性は手紙を読んで、いじめによるものだと学校に訴えたが、学校は認めなかった。女の子の無念を晴らすため、裁判で戦うことを決意して訴訟を起こした。
だが、開廷するまでの間、女性の元に嫌がらせの電話やメールが矢継ぎ早にやってきた。不審な人物が自宅に押しかけてきたこともあった。終いには、ストーカーにナイフで腹部に刺されるといった最悪の事態になってしまった。
蓋をあけてみると、いじめっ子の親に権力があり、裏でカバーストーリーを流していたという話だった。女の子が自殺したのは親の暴力が原因であり、証拠はすべて捏造したものだと。
マスコミは容易に信じてしまい、間違った情報が流れていたのだ。真偽を確かめもせずに信じ、間違った正義を持った人が、女性の住所や行動を割り出し、犯行に至った。
その後、ストーカーは殺人未遂で逮捕され、女性は一命をとりとめた。
だが、訴訟は取り下げられた。女性は一連の騒動から、暗に、訴えを取り下げなければ殺すと意味しているのをわかったからだ。
病室にいる女性の目はとても虚ろで、誰も信じていなかった。医師や看護師に怒号を浴びせ、物を投げつけた。夜中になると、一人、泣け叫んでいた。
そこで映像は途切れた。夢は何もなかったかのようにそこに佇んだ。
伊武輝は、やるせない気持ちでいっぱいになった。
「おれもいろいろあったけど、なんで目の敵にされるんだろうな。あの子はただ、友達を作りたかっただけなのに。あの女も、娘に何があったのか、事前にわかっていたはずなのに。だけど元をたどれば、全部、権力や暴力で支配する人、いや、その人の感情のせいなんだよな。快感を覚えてしまったら、止めることは難しい。人間の悪いところだ」
伊武輝は重い溜息を吐いて頭を掻いた。
「やっぱり不安だよ。おれなんかが務まるかどうか」
女性の夢により強固な守りを施すために記憶を見たのに、反対に、壮絶な映像を目の当たりにして、怖気づいた。そして気づいた。必要以上に人の心に踏み入ると、自分までもが飲み込まれてしまうことに。
マナは、伊武輝の脚に体を擦り付けた。
無理するなって、励ましているのだろうか。
「マナは不安に思わないか? いや、マナは強いからそんなことはないか」
マナは、伊武輝の言葉に否定するように、頭を横に振った。
「怖いのか?」
マナは縦に頷く。
「でも果敢に行動できる。おれとは大違いだ」
伊武輝は感慨にふけっていると、マナは女性の夢の内部が黒ずみ初めていることに気がついた。女性に悪夢が侵食しているのだ。
マナの行動は早かった。躊躇なく夢に飛び込んだ。
伊武輝は置いてけぼりにされて一瞬戸惑ったが、悪夢に侵食されている夢を見て事態をすぐさま把握した。
きっとおれが記憶を掘り返したせいだ。おれが悪夢を生み出したんだから、おれがなんとかしなければ。もしできるのなら、あの人を不幸から助けてあげたい。
逃げるなよ。
頭の中で幻聴が一瞬過ると、伊武輝は胸にざわつきを感じながら、マナに続けて夢に入った。
おれは逃げてなんてない。




