夢は気まぐれで、その真意は誰にもわからない
すぐに止めに入るリアの声がなく、淡々と時間が過ぎていった。
突然、ぽんぽんと、伊武輝の脚に何かが軽く叩いてきた。伊武輝が目を開くと、足元には見守っていたマナがいた。伊武輝に向かって、なんだか嬉しそうに微笑を浮かべている。
伊武輝は夢の方に視線を向けた。
夢が、以前に比べて輝きを増していた。小さな亀裂は白い傷跡となって、それが強い光となっていた。
受け入れてもらえた。魔法が効いたこと以上に、そのことに嬉しく思えた。
「うまくできたな」
リアは夢から視線を逸らさずに言った。
「これならおらのちからも必要ないな。ひとまずは合格、ということだろうか」
伊武輝はリアの言葉に引っかかり、むっとなった。
「ひとまず?」
「ああ。伊武輝の本命は、最初に見せた魔法、もしくはそれ以上の強い魔法だろう。ないよりかはマシだが、強力な魔物相手なら侵入できるだろう。まだ安心できないってこった」
リアは微笑を浮かべた。
「だけど、希望が見えてきた。弱い悪夢でも、夢を喰って成長する奴がいる。そいつらを未然に防げるようになったんだ。おかげで、おらの仕事もだいぶ減るってもんよ。頼りにしてるぜ」
伊武輝はリアの言葉を噛み締めていた。今まで誰かに頼られることも、感謝の言葉もなかった。温かい気持ちが、胸の冷たいわだかまりを溶かしていく。
なんだろう。自然と笑みがこぼれてしまう。
伊武輝は照れくさく笑った。
保護できたのは、きっと自分のちからではない。敵であるおれを一歩譲って受け入れただけに過ぎない。だけど、それってどんなに難しいことか。子供は喧嘩するけど、大人は子供よりも幼稚になって、より暴力的に相手を傷つけて拒絶するようになる。おれもそうなった。過去のせいだとはいえ、このままじゃいけない。おれもいつか、この夢と同じように受け入れなければ。
一方、マナは保護を施した夢の周りをぐるぐると見て回っていた。白い傷跡をちょんちょんと触ってみたり、匂いを嗅いだりして様子を伺っている。
首をかしげるマナは、興味に駆られたのか、ぺろりと傷跡を舐めてみた。
すると、夢の表面がテレビのスクリーンのように映像が映し出された。
女性が一人、暗闇の中でただ一点を見つめている。充血している目の下にクマができ、肩まで伸びている髪はボサボサだ。女性が見ていたのは、仏壇に飾られた、あどけない女の子の写真だ。女性は全く微動だにしない。
映像がゆらゆらと揺らぎ、場面が変わった。先程の悲壮な映像とは打って変わり、鮮やかな映像が映し出された。
女性が、ランドセルを背負う子供と一緒に手を繋いで道を歩いている。桜の花びらが舞い、二人とも、正装を着ている。顔を向き合うたび、歯を見せて笑い合っている。
これはいったい何が起きている? 夢が隠していた記憶を見ているのだろうか。
「マナ、お前なあ」
一緒に見ていたリアは怪訝そうにマナを一瞥した。
「リア、これはいったい?」
伊武輝が尋ねると、リアの口がへの字に曲がった。
「感づいていると思うが、これは夢が持つ記憶だ。おらたち夢の守護者は、外から夢を覗き見ることができる。だが、記憶を直接覗くのはタブーだ。不本意ではないにしろ、マナは記憶を掘り起こしてしまった。長にはおらが報告しておくが、初めての事だし、咎めるだけで特に処罰はないだろう」
「なんでタブーなんだ?」
「思い出したくない記憶が鮮明に思い出すと、身も心も破滅することもあるからだ。今回はそうはならなかったようだが、もしかしすると、この女は今、この最も輝かしい記憶を思い出したのかもな」
リアは笑みを浮かべながら腕を組んだ。
「夢は記憶や欲から作られるが、記憶や欲を複雑に絡み合い、編集や加工をし、ときには打ち消し合うこともあれば、出来上がったものと反対のものを作り出す。夢は気まぐれで、その真意は誰にもわからない。夢見る人を鼓舞するためか、大事なことを思い出させるのか、それとも忘れさせるためなのか。どのみち、夢は幻を見せているのに違いはない。だけど、おらたちが見せる幻を選ぶ権利はない」
伊武輝は、女性の笑顔を見つめた。
「少しでも元気付けられたのなら、幻でもいいよ」
リアは鼻でふっと笑った。
「どうだか。効果は一時的なものだ。直に幻から醒めるか、また別の幻に苛まれる。もしかしたら、悪夢かもしれないがな」
リアは伊武輝と向かい合った。
「改めて忠告しておく。記憶は掘り返してはならない。記憶に絡みついている恐怖に押しつぶされて星になってしまうことがある。新米だから覚えることも多いだろうが、人の生死に関与していることを、絶対に忘れるな」
長に報告してくる、と一言告げると、リアは煙に巻かれて去っていった。
リアの言っていることは、伊武輝も身を持って体感している。生きていても、自分は地獄にいるような絶望を何度も味わっている。
だから、その地獄の縁に立っている女性を助けたい。もう二度と、おれと同じ目に遭わせたくない。
伊武輝は再び女性の顔を見た。
この幸せを奪ったのは、いったい誰だろう。あるべくして起こったなんて思いたくない。女の子も同じだ。まだ小学生になったばかりじゃないか。
「なあ、マナ」
伊武輝が話しかけると、マナは顔を伊武輝に向けた。
「なんで死んだのか、見せてくれないか?」
マナはその言葉に横に首を振った。
さっきリアに言われたばかりでしょ、と言っているようだ。
「わかってる。この人がどん底の絶望をもう一度体験させてしまうかもしれない。だけど、どうしても知りたい。きっと、より強い保護を施すためにも、必要なことだと思う。だからお願いだ。悪夢に苛まれたらおれが責任を取る」




