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MANA & DREAM 白狐の願い  作者: 広瀬直樹
亡霊
21/43

もう見たくない……!

 さっき見た幻想のあまりにもの怖さに、言葉が途切れ途切れになって震えていた。

 逃げたい。逃げたい。なんで直視しなくちゃならないんだ。やっと忘れることができたのに、どうしてまた掘り返す必要があるんだ。

 もう見たくない。もう全て終わったことなのに、なんで。

 伊武輝はその場にずっと立ちすくんでいると、マナのことを思い出した。

 そうだ。きっとマナが助けてくれる。そうだよ。ずっと待っていれば、きっと助けに来てくれる。わざわざ次の過去を見る必要なんてないんだ。そう、きっと……。


 しかし、待てど待てど誰も来ない。活気も体温も、足元から水面にゆっくりと吸収され、滝となって落ちていく。

 伊武輝は天を仰いだ。


「おい、外からおれのことを見てんだろ? なんで助けないんだ。見殺しにしていいと思ってんのか? いい加減にしろ。おれを助けやがれ!」


 伊武輝の声は虚空に消えたが、それが伊武輝を駆り立てた。


 今も昔も変わらない。

 誰にも頼るな。おれ一人で生きるしかないんだ。


 伊武輝は次の卒塔婆まで歩いた。それに合わせて、背後の滝が伊武輝のあとを追いかけてくる。だが、伊武輝を奈落の底に突き落とそうとはしてこない。


 卒塔婆は、さっきのと比べて十センチ高くなっている。伊武輝は間髪入れずに卒塔婆に触れた。

 すると、急に胸が締め付けられ、息苦しくなった。胸踊るような感情が湧いてこない。胸に這いずり回る鬱屈が頭へ登ると、生きること自体が虚しくなり、思考が白くなりぼやける。何度も息を吐いても治らない。ただ、どうやったら胸や頭に残るこの苦しみから開放されるかだけは、微かに考えることができた。

 伊武輝はちらりと横に視線を向けると、そこにはキッチンがあった。ガス台もタイルの壁もシンクも薄汚れていて、よく使い込まれている形跡があった。


 そうだ、あれなら……。


 伊武輝はキッチンの下にある扉を開けると、ごちゃごちゃと乱雑に積み重なった調理器具があった。伊武輝は迷いもせず、扉の内側に置いてある物を手にとって、それをじっと見つめた。


 これさえあれば、この苦しみから逃げられる。大人は簡単でも、子供のぼくでもできるのかな?

 どうやったら一瞬で終わらせられるのかな?

 それとも、別の何かがいいのかな?


 伊武輝は手にしている物を凝視していると、背後から声を掛けられた。


「何してるの、危ないものを持って」


 甲高くて怖がっている声だった。伊武輝は言われてハッと気づいた。両手に持っていたのは、刃渡り二十センチの包丁だった。伊武輝は振り返った。そこには、少しぽっちゃりとした中年の女性が立っていた。

 女性の顔は、戸惑いと恐怖に満ちていた。

 伊武輝は複数回瞬きをすると、また元の静かな場所に戻った。だが、胸の内の苦しみはくすぶったままだ。


 親、いや、モンスターの気が逸れている隙に、おれは児童養護施設になんとか逃げ込んだ。寄付金や国のわずかな支給金で運営していたが、周りの大人たちが怖かった。モンスターに作られた心の傷がそうさせるのだ。もしかしたら、ずっと傷口が大きくなり、開きっぱなしだったのかもしれない。

 気がついたときには、いつも死ぬことを考えていた。他の児童とうまくいかず、いつも大人たちがそばにいる。気の休まるところなんてなかった。包丁を手にしていた伊武輝を見かけた職員は、肝を冷やしたという。

 だけどそれは、子供が死んでしまう危険よりも、自分が殺される危険を感じた言葉ではないかと、今は思う。特に不正な運営だとは思わなかったけど、命に関しては自分の方が大事なのは当たり前だろう。それに、もし事件が起きたら、もはや運営は継続できない。大人たちの暮らしがなくなるのを恐れていたに違いない。

 伊武輝は呼吸が乱れ、荒くなる。心の傷の疼きが止まらない。


 早くこの苦しみを開放してくれ……。


 残るはあと二本。

 伊武輝は、次の卒塔婆までふらふらと歩み寄った。木の棒は、伊武輝の肩くらいまで高くなっていた。伊武輝は震える手で、恐る恐る卒塔婆に触れた。

 すると、クスクス笑う女子の声が聞こえた。


「ねえ、見てよアレ。気持ち悪くない?」

「キモい、キモい、キモい。骸骨だよ」

「油ギトギトでキショい。うわ、フケが大量にあるんですけどー」


 学校の制服を来た女子グループにジロジロと見られ、指さされる。電車の吊り革に掴まっている伊武輝と立ち話する女子グループ以外、誰もいない。ガタンゴトンと電車に揺れながら、伊武輝は聞こえぬふりをしてじっと耳を傾ける。

 女子の一人がカバンから取り出したのは、スマートフォン。


「写真撮って拡散するね」


 パシャと無機質な音が聞こえたと思ったら、伊武輝のズボンのポケットが震えた。

 伊武輝はスマートフォンをポケットから手に取り、画面を見た。クスクス笑う声が、おおっぴらに馬鹿笑いへと変わっていった。

 画面にはつり革に掴まって立っている伊武輝の猫背の姿が映し出されていた。画像だけでなく、文章が添えられていた。内容はこうだ。

 消えろ。キモい。近寄るな。来るな。クズ。死刑。死ね。


「だまれえ!」


 伊武輝は女子グループにめがけてスマートフォンをぶん投げると、女子グループは消え、また元の場所に戻った。


「やめてくれ、お願いだ……」


 誰かに懇願するように言いながら、その場でバシャンと水しぶきをあげて膝を着き、へたり込んだ。伊武輝はうめき声を漏らしながら、涙が頬に伝った。

 何をしたって言うんだ。迷惑掛けずに生きているじゃないか。おれが生きていることが邪魔なのか。どうして人並みに生活するのを許されないんだ。

 苦しい。胸が苦しい。頭が真っ白だ。

 残るはあと一本。


 だけど、もう見たくない……!


 伊武輝は腰をひねって、そっと後ろを振り返った。あと数歩下がるだけで奈落の底に落ちてしまう大きな滝が、音もなく流れ続けている。そこに行けばラクになれるだろうか。前進していてはより一層苦しくなるだけだ。だったら、ここで引き下がれば、ラクになれるはずだ。

 伊武輝はよろよろと立ち上がり、胸を抑えながら滝に向かって歩きだした。目がきょろきょろと動き、視点が定まらない。

 あと三歩、あと二歩、あと一歩。

 歩む脚がピタリと止まり、今度はガクガクと震えだした。全身から冷や汗がどっと吹いてくる。

 なんだよ、死ぬのが怖いのか?

 そう思った瞬間、脚の震えが全身に広がり、ガタガタと歯が鳴る。胸から何か吐き出してしまいそうだ。

 あと一歩……。

 逃げるなよ。

 逃げたい。

 逃げるなよ。

 逃げたい。

 あと一歩……。

 あと一歩のところで、伊武輝は尻もちを着いた。ぜーぜーと息を切らし、顔を歪めて大粒の涙がこぼれた。


「なんだよ、ちくしょう。ちくしょう……!」


 拳を何度も水面に振り下ろし、バシャンバシャンと水しぶきが上がった。水しぶきで波紋が広がる。そして別の方からも、違う波紋がゆらゆらと広がっていた。

 どこからとこもなく現れたマナは、伊武輝の涙をそっと舌で拭った。

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