そんなに行きたけりゃ一人で行けばいいじゃないか
伊武輝は眠りから覚めると、お腹に心地よい温もりを感じた。視線をお腹に向けると、白い毛並みをしている獣が丸くなって寝ていた。
獣の正体はマナだった。一度起きて、伊武輝のそばまで寄ってきたのだろう。
くんくんと嗅ぐと、野生じみた獣の匂いがする。だが、血生臭さはない。
伊武輝は、マナの毛並みに沿って撫でた。すると、マナはすぐさまに起きて立ち上がった。よほど驚いたのか、その場でおろおろしていたが、伊武輝が撫でてくれたのだと気づき、尻尾をぶんぶん振り回して、満面の笑みを浮かべた。
「起こしちゃったな。ごめんよ」
伊武輝は体を起こしてあぐらを組み、そばまで駆け寄るマナの頭を撫でた。マナの顔がとろとろになっている。
「なあ、マナ。なんでお前はこんなに人懐っこいんだ?」
まるでペットのように振る舞っている。まだ会って間もないはずだ。マナは伊武輝にお腹を見せるほど警戒心はない。伊武輝は、マナが仰向けになって見えているお腹をくすぐるように撫で回した。マナはへっへっへっと息を吐いている。
「さて、どうしようか」
夢の保護。おれに務まるのだろうか。
伊武輝は撫でる手を止めて立ち上がり、杖を取り出した。マナも体を起こし、伊武輝と一緒にゴザムの夢の前に立った。
カンッと地面に杖を突き立てると、伊武輝は目をスッと閉じた。
夢の世界に棲むものたちよ、その眠りし主を敵から守り給え。
胸の内で唱えると、目の前の夢に薄い膜ができた。しかし、前回のと比べると大して変わらず、下半分しか膜が覆っていなかった。
「だめか」
失敗に終わった夢を、伊武輝はしかめっ面でじっと見た。マナは興味深そうに夢の周りを歩き始めた。この世界では珍しいことなんだろうか。不安定な保護膜をまじまじと見ている。
伊武輝はこのあとも何度も呪文を唱えた。
言葉を付け足したり、変えたり、あえて削ったりして、どのような効果が現れるのかを見極めていた。夢の保護膜も呪文によって大きくなったり、小さくなったりした。厚くなったと思えば、薄くなったこともあった。色が変わったこともあった。完全に覆ったと思ったら、よく見ると穴ぼこだらけの膜で、高揚感がしゅんとしぼんだ。マナはそんな変化する保護膜を見て楽しむように、能天気に飛んだり跳ねたりしていた。
しかし幸いなことに、夢に穴が開くことはなかった。予想したとおり、まだまだちからがないのだろう。伊武輝は夢に傷つけないよう配慮しながら、引き続き呪文を探った。
だが、
「あーもう。やってらんねえ」
ちからだけでなく忍耐も足りない伊武輝は、杖を後ろにぽいっと放り投げた。杖はカラカラと乾いた音が鳴り響いた。その様子をずっと見ていたマナは、その場でビクンと跳ねた。伊武輝はごろんと大の字になって横になり、頭を掻きむしった。
「なんでうまくいかねえんだ。おれが知らない言葉があるのか? ちから不足なのか? でもやっと五割なんだ。ここまでできたら、絶対にできないはずはねえんだ」
頭の中で思ったことを上空に向かって口にした。
なにがいけない? どうやったらいい?
すべての神経を熟考に集中させている伊武輝のそばまで、マナはそっと歩み寄り、伊武輝の腕に足でちょんちょんと突っついた。
「なんだよ」
伊武輝はイライラした口で言うと、マナは鼻先をある一方に向けた。
伊武輝は肘を着いて上半身を少し起こした。マナの視線の先を見ると、別の夢がぷかぷかと浮かんでいた。少しも黒ずんでなく、特になんの変哲のない。ただの夢だった。
「悪夢でもなんでもなさそうだな?」
伊武輝がそう言っても、マナは尻尾を高くあげ、前傾姿勢で、伊武輝の耳元でこんこんとでかい声で鳴き始めた。
「あーもう、うるせえ。こっちは疲れているんだ。放って置いてくれ」
マナは伊武輝を無視して、しきりにこんこんと鳴いた。伊武輝は目を強く瞑った。頭の中でガンガン鳴り響く。
一向に鳴き止まないマナに我慢しきれなかった伊武輝は、拳を握りしめ、地面を思いっきりガンッと叩いた。マナの鳴き声がピタリと止んで目が丸くなった。
「いい加減にしろ! そんなに行きたけりゃ一人で行けばいいじゃないか」
マナはそれでも伊武輝をあの夢まで連れて行こうと、今度は裾を咥えた。だけど、伊武輝の様子を伺うように上目遣いでそっと引っ張っていた。
だが、伊武輝はマナの頬をピシャリと叩いた。マナの口から裾が離れ、少しの間呆然としていた。ゆっくりと顔を伊武輝に向けると、マナの目が少し潤んでいた気がした。
「一人にしてくれって言っているのが、わからねえのか!」
伊武輝がそう怒鳴ると、マナの耳と尻尾が元気がなくなったようにぺたんと垂れ下がった。マナは伊武輝のそばから離れ、マナが行きたがっていた夢の方へ歩いていった。
マナがなにか助言してくれるならまだしも、なにも教えてくれないんだったら、自分一人でやるしかない。答えは自分で考えるしかないんだ。少しの時間も惜しい。寄り道している暇なんてないんだ。ゴザムの夢にまた黒鳥が現れたら、ゴザムだけでなく、おれもマナもやられるかもしれない。
伊武輝は深く深呼吸をして、熱くなった頭を冷やした。すると頭の片隅から、抑圧されたある考えが思い浮かんだ。
そうだ、少し夢のことを調べよう。バクの言っていた、夢にちょっかいを出した奴に訊いて、情報を集めよう。
伊武輝は落ちた杖に腕を伸ばした。手に収まると、すくっと立ち上がってまずはバクを探し始めた。しかし、夢の世界はとても広大だ。地平線の彼方まで歩いても地面に端っこがない。それに、バクは普段どんなところにいるのか、検討もつかなかった。
伊武輝は呪文でバクを探すも、居場所を感知するができなかった。仕方がないので、歩いてしらみつぶしをすることにした。




