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第13話 微かな希望

雑居ビルの薄暗く狭い階段の先にもりしげ動物病院はあった。

動物病院としては決していいとは言えない立地に加え、所々色あせた看板や古いアルミサッシの扉からはお世辞にもいい印象は受けない。

前を行く愛花も同じ気持ちを抱いているのだろうう。

それでも、僅かな希望を捨てないように扉を開いて中に入った。壮亮を後に続く。

扉の先は待合室になっていた。


もりしげ動物病院の中は想像よりも綺麗だった。

日に当たって変色したタイルや、年季を感じるくたびれた待合室のソファなど、見た目は人気のクリニックと比べれば数段見劣りする。

しかし、古いなりにも掃除が行き届いているためか悪い印象は受けない。

さっきまでの階段で臭っていた埃混じりのカビ臭さもない。

壮亮は、待合室を見渡して田舎の診療所はこんな感じなのかな、とふと考えた。

待合室は綺麗だったが人影はなく、奥の診察室にも人の気配がなかった。

愛花が靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて中へ進む。


「ごめん下さい。誰かいませんか?」


呼びかけた声は人のいない待合室で反射して小さなエコーになって帰ってきた。

それでも反応がなく、愛花がもう一度呼びかけようとした時、


「どうされました」


年季の入った女性の声がして二人は入って左側のカウンターを見た。

てっきり誰もいないと思っていたその場所には、腰が曲がった小柄な老婦人が一人座っていた。


「あの、私が飼っている猫を見ていただきたくて」


突然の老婦人の登場に面食らいながらも愛花はなんとか目的を告げる。

カウンターの老婦人は元から細い目をさらに細めて愛花とその後ろに立つ壮亮を見た。


「猫ちゃんはいないようだけど?」


「今日は連れてきていないんです。まずはミルクを診ていただけるかどうかをお伺いに来ました」


無意識に"飼っている猫"が"ミルク"に変わる。

老婦人もそれに気づいたようだったがあえてそこには触れない。


「医者に診るのを拒まれるような大病なのかい?それなら来るところを間違えてるよ。

こんな小さな病院じゃ診てあげれる症状にも限界がある」


老婦人は申し訳なさそうに言った。

その優しい言葉に、愛花は首を振った。


「そうじゃないんです。実はミルクは今……妊娠しているんです」


妊娠している。

その一言を発するのに不自然な間があった。その、間の長さから愛花がこれまで何人の獣医に同じ言葉を投げかけ、その度に断られてきたのかが想像できた。

タブレットに赤く表示された大量の拒否された動物病院のリストと、雑居ビルに踏み込む時の愛花の背中を思い出す。

きっと壮亮思っている以上に、愛花は苦しんできた。

同じようなシュチュエーションで何度も希望を打ち砕かれてきたのだろ。

それでももう一度同じ言葉を発したのだ。

ミルクのお腹の中にある子を救いたい。ただその一心で。


言葉を発した直後、愛花は無意識に身構えた。

そうしないと、もし希望が打ち砕かれる言葉が返ってきたとき立っていられる気がしなかったからだ。

壮亮もつられて全身に力が入る。


だが、帰ってきたのは予想外なものだった。


「はははははは」


三人だけの待合室に響いたのは老婦人の笑い声だった。


「最近の若い人が考えることは面白いね」


笑い過ぎで少し苦しそうな老婦人が二人を見ていった。

笑われた二人は何がそんなにおかしいのか理解できずに首を傾げた。

だがその疑問はその直後に解消された。


「妊娠っていうのは病気じゃないんだ。そもそも病院に連れて行く必要なんて本当はないんだよ」


深いシワが刻まれた優しい目尻にさらに深い笑い皺を作って笑う老婦人の顔を見て、愛花は微かな希望がそこにある事に気付いた。

と同時に、全身に入っていた力が急に抜けらのを感じた。


「危ない!」


膝から崩れそうになった愛花の両脇を壮亮が抱えながら支える。


「ありがとうございます」


愛花はまだ力が入らないのな壮亮に体を預けたまま。

そのままソファに連れていかれる。

そこで少し落ち着いたのか、深い呼吸を何度かした後愛花はカウンターの老婦人の顔を真剣な目で見つめた。


「その話し、もう少し詳しくお聞かせ願えないでしょうか?」


愛花の問いに老婦人は短く、


「もちろん」


と答えた。










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