6:しあわせって、どこに落ちてるんでしょうね
塔の外へ出ると、重力は地上向きに戻っていた。
塔の外壁に設けられたキャットウォークで、二人は強張った身体を伸ばした。
ひんやりとした早朝の空気が、二人の身体に篭った熱を冷ましていってくれた。
天海は強張った身体を伸ばしながら言った。
「ひさびさの外だね、オシラサマ!」
『ええ、とっても清々しいです!』
天海は軽やかにキャットウォークの柵まで走り寄って、身を乗り出すように世界を見下ろした。腰まで伸びる灰色の髪が、空の淡い色に染まる。今日は後ろで二つに縛っていた。密度の高い風がそよそよと吹きつけ、彼女の後ろ髪と衣服を柔らかく膨らませる。気持ちよさげに目を細めた彼女は、遅れて横に並んだオシラサマに落ち着いた声音で話しかけた。
「あの廃墟都市も……」
『なんです?』
「いや……それでもあそこだって、きっと昔はしあわせな場所だったんだよなって思って」
『そうですね。不気味な場所でしたけど、そこで静かな暮らしを送っていたヒトたちが確かにいたんですものね。今は滅んで、永遠にも近い時間のなかで忘却されていく、名前も無い人たち……。その存在に気づかない人間が大半かもしれないけれど、三億年という長い時間を越えて想いを馳せてくれるような物好きが、一人くらいいてくれるのだとしたら……』
オシラサマは、噛みしめるように続けた。
『わたしもしあわせに暮らせるなら、ああいう終わり方がいい』
そして少し迷ってから、最後に付け加える。
『でもしあわせって、どこに落ちてるんでしょうね』
天海とオシラサマは顔を見合わせて、同時に首を横に振った。
それから晴れやかな顔で、塔の周囲に広がる空の世界を見渡した。
雲海の底に沈む原初の大地、仮初の大気に霞む地球外殻、そしてそれらを結ぶように張り巡らされた無数の白い巨塔と皿のような空中都市たち。重力も戻って、視点も戻って、ここでは一歩を踏み出すだけで、正しい重力によってどこまでも落ちていくことができる……。
そうだ、これでもう邪魔な要素は無くなった。これからはどこにでも行けるんだ、とオシラサマは思った。それは安易な楽観だったが、偏重力や無重量を味わった彼女たちにとって、ようやく見えてきた希望のようなものでもあった。
例の白い鳩も嬉しそうに羽を伸ばし、空を羽ばたき始めている。
オシラサマは、ぱたぱたと飛ぶその動きを視線で追いかけながら、天海に問うた。
『ところで、あの子の名前は決めたんですか? すっかり友達ですし』
「ああ、名前の無いほうが親しみがわくと思って、敢えて決めてないんだ」
『素敵ですね、それ』
「そうかな、一応考えてはいるんだけどね」
鳩はゆっくりと降りてくると、オシラサマの肩に停まった。
『行きましょう。道なりに進めば、稼働可能なリフトもあるはずですから』
再び二人は、塔の外壁を下り始める。今度は、然るべきルートをとって。
工事用の鉄材を組んだだけのお粗末な外階段に、二人ぶんの乾いた足音が響き渡る。
足場は鉄の格子で出来ていて、眼下をどこまでも見下ろすことができた。