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九十億年のカナタ/新世界系少女ふたり旅  作者: 朝野神棲
第一話 忘却都市のテオリア
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1:重力の歪みが激しいね

わたしたちの明日と彼らの明日、どちらが本物なんだろうね? ――雲野カナタ

 真っ青な虚空がどこまでも広がっていた。上下感を欠いた空の世界を、白く巨大な柱たちが無数に貫いていく。バベルの塔を思わせるように屹立するそれらは遥か彼方の地上から伸び、雲を抜け、大気を抜け、やがて消失点の彼方へと吸い込まれていく。


 永遠に続くと思われた筈の柱の先には、もう一つの地上が広がっていた。地球の大気を取り囲むように存在するあべこべの大地。見たままを端的に言い表すのなら、それはまさに『地球を取り囲む外殻の内壁』とでも呼べるような存在。そこにも大地が広がっている。


「ここは、重力の歪みが激しいね」と、灰色の髪の少女が言った。


『先の会戦で重力鋲が抜け落ちちゃいましたからね。暫くはこんな感じが続くと思いますよ』


 地球と、それを閉じ込める外殻。二人が立っているのは、そんな二つの閉じた世界の狭間を行き来するために設けられた、巨大な塔の一つ、その外壁の上だった。重力は塔の中芯に向かって働いているようで、二人は塔の外壁に対して垂直に立っている。奇妙な光景だ。空に落ちる心配が無い代わりに、どこへ行くこともできない。


 二人にとって、世界は九十度ほど傾いて見えていた。つまり縦の世界における塔に居るはずが、二つの壁と壁とを繋ぐ橋の上に立っているように錯覚させられたのだ。上を見ても下を見ても、何処までも続く空の世界。前を見ても後ろを見ても、果てしなく真っ直ぐと伸びる白亜の柱。地上も外殻も大気で霞んで見え、生きているうちに歩いて到達できるとは思えない。


 偏った重力に閉じ込められた場所。どうすれば此処へ来られるというのか、どうすれば此処から離れられるというのか、それすらも理解に苦しむような場所。翼や車、もしくはそれらに類する手段を持たない彼女たちにとって、そこは墓場と同義と言えた。


 音は無く、暴力的な静寂が場を充たす。大気が希薄になっているのかもしれない。


「暫くって?」と、灰色の髪の少女が問い返す。


 腰まで届く灰色の髪をヘアゴムで一本に纏めた、十四歳ほどの大人びた少女だった。

 すると、傍らのもう一人が答える。同い年くらいの少女の声だが、こちらは機械の声だった。


『トーテムによる視察団が派遣されるまでだから、だいたい八百年くらいは』


「長いね」


『短いよ。でも、それだけのことをしてしまったんです』


 灰色の髪の少女は、ずいぶんと身軽な格好をしていた。灰色の半袖パーカーを羽織って前を閉じ、デニム地のホットパンツと革製の編み上げブーツをはいている。背中にはぱんぱんに膨らんだナップザックを背負っているが、こちらも旅用の装備とは程遠い。まるで街歩き用の質素なものだった。


 左脚の付け根にはバンドが巻かれており、真っ白なナイフが一振り納めてある。

 胸元には、氷のように透き通った結晶細工のドッグタグを下げている。

 彼女は足を止め、ほぅ……と息を呑んだ。


「まるで終わりが見えないね。空から地上まで、歩いて何日ほどかかるのだろう?」


『重力がちゃんと地上向きになっていれば、楽に移動もできるはずなのに。これじゃあね』


「ねえ、オシラサマ。あの飛行機みたいなものは、もう使えないのかい?」


 灰色の髪の少女にオシラサマと呼ばれた機械人形は、首を横に振った。


『フライトフレームならだめです。推進機ごとあなたに壊されちゃったから、もう翔べない』


「この調子で〈苔むしたダヴィデ〉まで行けるのかい? ここが何処かすら分からないのに」


『此処は旧い型のタワータイプ宇宙エレベーター〈カーリダーサの塔〉の九十二番棟〈情熱のモーガン〉ですね。廃棄されてから三億年程度だったかな。わたしたちはずっとその上を歩いてきたわけだけど、いつになっても景色は変わらない。いったい高度はどれくらいなんだろう。……ねえ、天海あまみさん。目印になるような施設や文字は見かけなかった?』


 天海と呼ばれた灰色の髪の少女は、静かに首を横に振った。


『そう、ですか……せめて夜になる前に、落ち着ける場所くらいは見つけたいですね』


「地上までは遠いよ。焦らずに行こう。此処には世界のすべての時間があるんだから」


 それから二人は再び無口になって、ゆっくりと歩を進め始めた。歩いても、歩いても、景色も時間も変わらない。だから二人は、決して焦ることだけはしなかった。ただひたすらに、前へ進み続ける。橋の上を歩き続ける――もとい塔を下り続ける。垂直に。


「ねえ、どれくらいの時間が経ったのかな」と天海が言った。


『重力が歪めば時間も歪む。あまり考えないほうが良いと思いますよ』


「僕の故郷までついてこいだなんて、無茶言って悪いね」


『構いませんよ。どうせやることなんてなかったし、それに……』


「それに?」


『もしそれで、家族に会う手がかりが見つかるなら……』


 オシラサマは黙り込んでしまった。天海は無理に追求することはしなかった。

 何分か、何時間か、あるいは何日か経った頃、天海はようやっと立ち止まった。


「喉が渇いた」


『何も持ってませんよ……?』


 そう困惑したオシラサマを余所に、天海は塔の外壁に付着した樹木のような霊晶の塊に歩み寄り、その等柱状の結晶を一本抜き取った。


 瞬きもしないうちに、結晶片は天海の掌中で缶ジュースの姿となった。青いラベルだった。オシラサマはそれを、自分たちの世界で言うスポーツドリンクのようなものかな、と思いながら、タブをひねる天海の姿をじっと見ていた。


 ごく、ごく、と天海は美味しそうにそれを飲んだ。独り占めというわけではないが、それを見守るオシラサマの様子は、どことなく羨ましげでもあった。天海の三倍程度、五メートル程の巨躯を持つオシラサマ。


 氷のように透明な霊素結晶性の内骨格と、液晶が内蔵された白い外骨格。つるつるに磨き上げられた外装には『Transmitter_Of_The_Ethereal_Mankind』というディスプレイ表示が浮かび上がっている。


 そんな機械人形の彼女には、天海のような吸収器官や代謝機能は備わっていない。フェイスカバーの奥の双眸は、少し淋しげにも見えた。


『美味しい、ですか?』


「どうかな。必要なことだからね」


 空になった缶を天海が放ると、空中で缶は霊子結晶に還元され、情熱のモーガンに作用している偏重力から逃れるように、正しい重力の方向――二人が目指している地上のほうへと引かれ落ちていった。二人からは、崩れた砂鉄がまっすぐ遠くへ遠ざかっていくように見えた。


 数日ほどしてオシラサマが言った。重力が歪んでいるから数秒かもしれないが。


『霊子の翻訳、上手ですね。この時代の子たちは、みんなあなたのようにできるんですか?』


「読み書き算盤のようなものだよ。できる子もいれば、できない子もいる。得手不得手もある。読解力の差によって貧富や身分の差だって出来るし、そもそも肉体の枠を伴っているぶん、ホモ=フェノメノンのような完璧な生き方をしているとは、天地がひっくり返っても言えない」


 偏重力で天地がひっくり返ったような世界に、天海の声が投ぜられる。全く響かない。


『完璧な生き方?』とオシラサマが訊き返す。


「ヒトがヒトらしく生きるってことだよ。ヒトがヒトのなかで生きていく意味と言い換えてもいい。シアワセのカタチってやつさ。そのためには物質は枷でしかない。オシラサマだってそんな〝器〟に憑依しているくらいなんだから、なんとなくは理解してもらえるよね? 読み方は忘れたけど、確か肩の文字は『幽霊からの伝達者』って意味なんだろう?」


『うん。トランスミッター・オブ・ジ・エーテリアル・マンカインド、略してトーテム。わたしたち幽霊が、あなたたち現生人類にメッセージを送りつけるための、仮初の身体。現世に干渉する機械仕掛けの〝器〟。だから君の言うこと、なんとなくは分かるよ。わたしたちの時代こそ、そういう〝物質の限界〟みたいなものに最も直面してたから』


「戦争?」と天海が訊いた。


『戦争は、時代遅れになりつつあった。その代わりテロと内紛が非道かった。母が死んだ』


「原始的だね」


『うん、原始的だね。でもきっと避け得ぬことだった。必要なことで、通過儀礼で……』


「そんなキミたちのために、僕たちは生まれ死んでいくんだね」


『言わないでください。わたしだって、何が正しいのやら……』


 そう言ってオシラサマは天を仰いだ。ただ、この場合どこが〝天〟なのかは分からない。


 地球と外殻――重なり合った二つの球の狭間に横たわる淡い虚空の世界は、なだらかな弧を描く。空を穿つ白い巨塔たちは、無数の連絡通路によって蜘蛛の巣のように絡み合いながら、大気の塊と化した地球の仮の骨組みを築き上げていた。雲の彼方で大気に霞む、城壁のように聳える地上を目の当たりにして、『遠いですね』とオシラサマは言った。


 天海は再び歩きだした。


「行こうか。ここにいても何も始まらない。ここには世界の全ての時間があるだけだ」


 オシラサマと天海は、二人っきりで空の世界を渡り続ける。

 その間、オシラサマは自分に言い聞かせるようにひとりごちた。


『……誰だって死ぬのは怖い。悪魔の囁きを無視することなんて出来なかったんですよ』


 機械仕掛けの手のひらを見つめながら、彼女は続ける。

 頭部から放たれた薄いレーザー光線――可視化された彼女の視線が世界を彷徨った。


『助かる術が……あると知ってしまえば、ね』


 天海は聞こえないふりをした。優しげで、それでいて悲しげな表情を隠していた。

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