第六話 巡れ周れ世界よ。
白い世界を、僕は歩いていた。
僕は、誰を探しているのだろう。いや、誰も探していないのだろうか。いや、僕は、愛しているという声に誘われて、僕は歩いている。
僕は、その誰かに出会わなければならない。はやく、辿り着かなければならない。
どこだ。僕に包み込む優しさを与えたのは。どこに向かっているのかもわからない、白い世界を。だから、歩く。その先に。
僕は、歩き続ける。
白い世界を見つめて、狂わない自分が不思議だった。これだけ同じ光景が続けば、狂うのではないか。普通。
生まれた瞬間から、踏み台が無ければ生きる事すらできなかった僕は、愛されるべきではないと教えるまで、狂うわけにはいかない、いや、それすら、本気で思っているかも怪しい。だって、僕は知っているから、愛される資格が無い人間なんていないと。
矛盾した考えが、概念が、僕の中でひたすらに渦巻いて、それがさらに僕の足を速めた。早く会わなければならない、会えば答えは見つかると、僕は確信している。
地図も道標も無い、ただ白いだけの世界を、僕は歩く。
二人だけのお茶会。正直、この人とは二人きりになりたくはなかった。
何でかははっきりとは言えない。ただ、直感がそう言っている。この人の前では、嘘を吐けないと。見透かされている感じがして、苦手だ。莉々も、多分苦手なんだろうなぁ、夏樹先輩。
嘘を吐き慣れているから、他人の嘘には敏感なのかな。何でも良いけど。
「うんうん。理解できているよ、続きをどうぞ」
夏樹先輩には、まず、私たちの本来の立場について話した。最初に、ここでのお話は他言無用と確認を取ったから。
そして、相馬先輩が、どうしておかしくなったのか、そのきっかけになったことも。
相馬先輩の、自己犠牲の行動の根幹にある、罪悪感、その正体。
「そっか。うん」
話し終えて、顔を上げる。気がつけば、下を向いて話していた。
「うんうん」
ただ、咀嚼するように、うなづき続ける。
「うん、わかった。ねぇ」
「はい」
「私、キレそう」
「こうしていれば、微笑ましいのですけど」
お互いを抱きしめ合って眠る二人に、そっと掛け布団をかける。
夏樹先輩はその日は帰った。一回落ち着いてくるとのことだ。怒りたい気持ちは、わからなくもない。むしろ、正直に感情を出せる夏樹先輩が、羨ましい。
感情を押し殺す。自分の道を突き進もうと、もがき、苦しみ、一度でも傷ついて欲しくないと願った私は、その姿にどう向き合えば良いのか、ずっと考えていた。わからない。でも、二人が好きだから。だから、黙っていた。
「愛しているから、何も望まないのですか?」
一度、陽菜先輩に向けた言葉が、自分に返って来た。
私の答えは、望めど黙す。
私と先輩は、相馬先輩の在り方に関しては、一度たりとも、同意には至ったことはない。決してわかり合えない一線だと、先輩もわかっているし、私もそう思っている。だから、お互い強要もしないし、わかり合おうともしない。
ただ、お互い、先輩を見守る、その一点だけで、一線を保っている。
私の思いは、どこに捨てれば良いのか。そればかり、考えている。けれど、捨てたくないとも考える。あぁ、私は、何て中途半端なんだ。
私は先輩に自分を重ね、先輩に憧れている。私がいつも一緒にいる先輩二人は、憧れの対象。そして、相馬先輩が私にとって特別だったのは、自分を重ねていたからだと、今更気づいた。傷つきたいけど、怖い、という私の思い、でも、先輩はそれを乗り越えて行ったから。
「そういうこと、だったのですね。私」
私も、ベッドの傍で丸くなる。
「なら、私のはやはり恋ではありません」
私は、愛されなきゃ愛せない。そういう人だ。気持ちに対して受動的な人だ。でも、悪い事だとは思っていない。むしろ、自分を守る上では、一番良いのではと思う。嫌いと思われればこちらも嫌いと思えて、無関心なら無関心になれる。愛されれば、愛せる。
「先輩方が、私の事を好きだから、私も、先輩方を好きになれる」
憧れだけは切り離せて、よかった。
私と先輩は似た者同士だと思っていたけど、こうして自分を受け入れられた私と、自分を受け入れられない先輩と、今この瞬間、全く違う存在になったと思った。
あなたのお母さんの思いを、どうしたら伝えられるのでしょう。亡くなってしまった人の思いなんて、想像でしかわからない。
ずっと、先輩は罪悪感の檻に閉じ込められるつもりなのでしょうか。
誰が許しても、先輩自身が自分を許さない限り、駄目なのでしょう。
そんな事が、可能とは、私にできるとは思えなかった。夏樹先輩にも無理だと思った。陽菜先輩でも、わからない。
誰でもない、先輩自身が……。
でもそれでも、私たちから離れようとはしないのは、私たちと居た時間は先輩の中で大切なものという証拠で。私は、どうしたら良いかわからなくなる。
ずっと先輩を陽菜先輩と二人で守り続けるという選択肢も、私の中にはあった。
でも、陽菜先輩は許さないし、相馬先輩の夢を聞いてしまった私には、選べない。そんな選択肢を。
思わず。私は陽菜先輩を抱きしめた。こんな時、参ってしまっている先輩を。一番頼りになる存在でなくてはならない存在を。
「乃安さん……」
「陽菜先輩……」
あぁ、本当だ。私も結構参っていたんだ。だから、夏樹先輩にまで頼ってしまったんだ。
「お願いです。陽菜先輩。相馬先輩を助けてください……」
気がつけば、そんな事を、頼んでいた。陽菜先輩にとって、それはきっと魔法の言葉。
でも、それはまだ誰にも、明確な答えはわからない。けど。私たちは超えなきゃいけない壁なんだ。
私たちを救いながら、自分も進んできた先輩を本当に救う時が来た。諦めちゃ、駄目だ。
人を一人に助けるのに、何の犠牲も伴わないなんて、ありえないのだから。私の今までの考えが、甘かったんだ。
世の中、交換で成り立っているというのなら。
私は、陽菜先輩を無理矢理でも立ち上がらせる。大好きな陽菜先輩を、私は傷つける。初心者が扱うナイフのように、私は自分を切りながら相手を切る。
陽菜先輩の目に、光が宿ったように見えた。その目に映る私は、どこか辛そうで、でも、それを見た瞬間他人事のように眺める目に変わった。そして、陽菜先輩も、そんな私に、悲し気な目を向けた。傷つくことが大嫌いな私が、よくできたものだ、その程度しか、私は思っていない。私は一度、自分の感情を殺した。心が、冷たくなっていく。
「陽菜先輩。また、相馬先輩、奪っちゃいますよ」
「……」
陽菜先輩は目を伏せた。まだ弱々しい光は、なかなか焚きつけられない。奪われても文句は言えない。そんな顔をしている。
私は立ち上がる。もう、限界だ。蓋をしておくのは。
「では、先輩。また」
私は家を出た。夏樹先輩の家にでも行こう。
「うぐっ、うわん、うぐ」
「はいはい。辛かったねぇ」
夏樹先輩の胸の中で泣いた。辛かった。辛かった。陽菜先輩に冷たくするの、物凄く辛かった。
「夏樹先輩い……、私、……どウすればイいのですか……」
「はいはい、まずは落ち着いてね」
「はい」
心が痛い。痛いよう。でも、耐えなきゃ。今は。ここで甘えるだけ甘えて、先輩達の前では毅然と、振舞わなきゃ。だから、今はここで甘えておこう。
「なんか、乃安ちゃんのその縋るような視線を向けられていると、変な気分になっちゃうなぁ」
「……どういう意味ですかぁ?」
「何でもないよぉ」
一人部屋でパソコンを弄っている。それだけなのに、悪寒が走る。
「乃安ちゃんが、危ない……」
がたっと椅子が倒れた。