第九話 現実を見つめる。
帰り道、コンビニでトイレ休憩を挟む。運転って滅茶苦茶疲れる。よくもまあ、陽菜はほいほいできるものだ。学科も実技もノーミスで行けたけど、実生活で使うとなると、色々、ローカルルールというかそう言うのにものすごく振り回される。
はぁ。
「相馬君、スピード出し過ぎです」
「うん。だから右車線走ってる」
「……ローカルルールに馴染んでいるではないですか……」
呆れられてしまった。まぁ仕方がないではないか、こんなスピードの出しやすい直線道路が目の前に敷かれていては。むしろ、ルールを順守できる陽菜が凄い。
さて、六十まで出せる道路で八十出してしまっている僕は、陽菜に言われてはいるが、スピードを緩める気は無い。
「警察は怖いけどねぇ」
「ルールを守っていれば敵も味方になりますよ」
「正論だな」
「正論ですね~」
「まぁ、とりあえず、お疲れ様です。相馬君」
頬に冷たいものが押し付けられた。
「コーヒーです。どうぞ。お疲れ様です」
ここまで来れば、あとはもう家まですぐだ。
途中のガソリンスタンドで給油して、しばらく、見慣れた風景が窓の外に見えた。後部座席に座る乃安の寝顔をミラー越しにちらりと見て、それに気づいた陽菜も思わず微笑む。
家について、どれ、乃安を運びますかと思ったら陽菜が既に運んでいた。
「世話のかかる子ですね。私より背が高くなるから、苦労するでは無いですか」
「陽菜が意地になっているだけでは?」
「いいえ違います。とりあえずこの子はソファにでも放り投げておきましょう」
難民キャンプに来ていた。
気がつけば、僕らは二人で活動していた。
あの日、一緒に空爆の中逃げてきた、あのお兄さんは、機銃掃射に巻き込まれた。脱出したパイロットを助けに行こうとしたところ、敵と間違えられたらしい。
また一人、死んだ。
僕らは、運は良い。まだ、生きている。
火を起こして、貴重な飲み水を飲む。味が無いくせに噛み応えだけはある保存食も、そろそろ底が見えていた。
「明日は、どこに行きますか?」
こんな生活なのに、陽菜だけは変わらなかった。ただ、僕のやりたいことに、付いてきてくれる。
「あぁ、そうだな」
僕は陽菜の顔が、見れなかった。
「一回、帰ろうか」
「……はい」
日本に帰って、僕は愕然とした。
僕らが、あんな世界を見た後なのに、日本は何も変わっていなかった。
いや、当たり前だ。たったの五か月、たったの五か月で何が変わる。でも……。
家も、乃安が週一で掃除してくれているから、綺麗だった。そこら辺に転がっている光景が、普通だった。平凡だった。
だから、僕はすぐに荷物を纏めた。
「また、行くのですか? 旅に」
その言葉に、頷けなかったけど。怖くなった。
あれだけもらった勇気すら、世界の広さに向かって行くには、足りない。
吐いた。今朝から何も食べていないけど、吐いた。
背中をさすってくれる手に気づいた。
「大丈夫ですよ」
陽菜は、そう断言した。
「少し、でかけませんか? 夜に」
僕は、黙って頷いた。
陽菜が僕を誘った場所は、もうわかる。星が綺麗に見える丘だ。なんで、今更。こんな所に。
まぁ、良いや。陽菜には付き合わせてばかりだから。別に、文句を言う資格も無いし、言う気力も無い。
懐中電灯の明かりと、木々の隙間から零れる月明かりだけを頼りに、僕らは歩いた。散々険しい道を歩いたり走ったりしたから今更この程度の坂道、何という事も無かった。
「着きましたね」
「うん」
星々も、何の変りもなく、僕らを迎えた。今更、感動することなんて無かった。
「綺麗ですね」
「あぁ」
この春卒業して、すぐに海外に飛び出して。僕らは何を得たのだろう。
日本に、逃げ帰って、僕は、何をしているんだ。
折角ここまで来て、空を見上げることなく蹲って。僕は……。
「もう一度、もう一度だけ」
気がつけば、そう呟いていた。
「もう一度だけ、付き合ってくれ」
陽菜にそう告げていた。
「もちろんです」
当たり前のようにそう頷く。
「どこまでも。どこへでも。私は隣にいます」
「なんで! 何で、そんな、当たり前のように、そう言えるんだよ! 怖くないのかよ! 死ぬかもしれなないんだぞ! 僕の、無意味な活動は! なんで、そんな、僕のために、陽菜は……」
言葉が上手く出てこなかった。良い年して泣きじゃくる僕を陽菜は考え込むように眺めてしばらく。
「私が、相馬君に付き添う理由は、それが今の私の生きる理由だからです」
手と手だけが繋がれて、向かい合う。
「世間知らずだった私に、あなたがくれたのは、生きる理由です」
「そんなの、そんなの……」
「貰いました。勝手に。あなた自身が、私の生きる理由です。恋人同士って、そういうものでしょう?」
陽菜は小さく笑いながら、一歩、距離を詰めた。
「だから、私はあなたが生きているなら、大丈夫なのです」
「重いなぁ」
「世間知らずな女の子に、あんな守りたくなる要素を見せられたら、そうなりますよ」
「そうかい」
ようやく、僕は上を向けた。星が煌めいていた。でも、視界がぼやけた。
堪えろ、僕。今は。堪えろ。まだ、駄目だ。
「あー、星が綺麗だなー」
手を離して後ろを向いて、さりげなく目元を拭いながらそう言った。
「……そうですね」
そして、僕らは再び、降り立った。降り立った場所は、最近紛争によって難民になった人々が流れ込んできた比較的発展している国だった。
「また、二人だね」
「ですね」
まだ、立ち直れていないことを、陽菜は気づいていた。だけど、手は握らず、僕の意志を確認するように、チラチラと僕の様子を見ている。
前を向いた。頭を回した。
一歩、踏み出した。
難民を受け入れる問題点は犯罪率の増加とか、自国の国民の雇用の問題とか、色々ある。それらを解決することは、僕らにはできない。じゃあ、何でわざわざここに来たのか。何の団体にも属していない僕らの話は政府は聞きはしないし、ここで僕らができる事なんて何もない。
何もできない、そんな現実を受け止めに、僕らは来たんだ。それは単なるエゴで、今ここで困っているであろう人々には何のプラスにも得にもならない事だった。
「これが、現実なんだ」
現実を見つめた。ただ、現実を見つめる。
路上で無気力に座り込む人。悲観して俯く子ども。
でも、僕はもう一方の現実として、政府に身を隠しながらも、生活を成り立たせる人がいることを、知っている。
「行こう」
「もう良いのですか?」
「あぁ」
僕らは現実から一度、背を向ける。僕らができることは別にある。
その子どもの目は死んでいなかった。未来を見据えていた。
「あんた、戦場に行くんだろ。俺も連れて行ってくれよ」
その子は、僕にそう声をかけてきた。男の子だ。
「駄目だ。危ないから」
「知るかよ。妹がいるんだ。助けに行きたいんだ」
その子は言う。でも、その時の僕は反射的に思った。死んでいるだろうと。
「わかった。僕が代わりに探してくるよ」
「駄目だ! 俺が行くんだ」
僕はその子に足払いをかけて、そして、その頭に銃を突きつけた。
「な、なんだよ」
「僕より強い奴がうようよいるところに、こんなにあっさりやられる奴、連れて行けるか」
でも、あの目が気になった。あの目は、全然諦めていなかったから。
あんな目ができる奴が、まだ、こんな所に残っていることに驚いた。
少しだけ、背筋が伸びた。視界が広くなった気がする。
「陽菜、頑張ろうか」
「どうしたのですか? 今更」
「いや、ちょっとね」
見つかれば射殺もおかしくない状況。どこにも属していないというのは、辛いものだ。




