第八話 人間、生きながら死んでいるようなものだ。
うぐっ。眩暈が。
起きた瞬間感じたのはそれだった。 原因は知らん。
視界がはっきりして飛び込んできたのは和風の部屋。だけど、拘ってプライバシーを強化したらしい。日本の建築の良い所は空間の共有にありとよく言われるが、もうそんな時代ではないとおじちゃんは防音、セキュリティをしっかりしたとのこと。
「ほわぁ、先輩、おはようございまーす」
「あぁ、おはよう」
乃安が目を擦りながら布団からのそのそ出てきた。
「うぐ、まだ寝たい。寝ます」
そして布団に戻って行った。
乃安の妙な引きこもり気質、何となく感じてはいたけど、ここまでとは。あの快活というか、人当たりの良い後輩の裏の顔という物か。
そういえば、陽菜はどこだ? いないな。
「乃安。僕少し出かけてくるよ」
「はぁい、いってらっしゃ~い、ませ~」
布団から手だけだしてぶらぶらと、見送りはそれだけだった。
陽菜の居場所は気になるけど、ここに泊まっている時の習慣だけはやめたくなかった。
走って、母さんに会いに行く。僕も酷いマザコンだ。でも、会える時に会っておかないと、次、いつ会えるのかなんて、わからないのだから。
遠くに漁船が見えた。カモメが鳴いていた。海が輝いていた。でも、それでも深い、深い蒼だ。どこか心惹かれる、そんな蒼だ。
そう、思わず足を向けて、そのまま落ちて行ってしまいたくなるような、そんな。
お墓の前には、見慣れた後ろ姿があった。
「陽菜?」
思わず、手を伸ばしてその肩を掴んだ。
「あれ? まだ、寝ていると思いました。昨日は盛り上がりましたからね」
いつも、通りだ。はっと振り向いた顔には、まるでわかっていたかのように何の表情も浮かんでいなかった。すとんと感情が抜け落ちていた。
そして一瞬、陽菜の顔に感情がスーッと入ってくる。
「どうかされましたか? 私、何かおかしいですか?」
「……いや、何でも無い。陽菜こそ、ここにいるとは思わなかったよ」
「ご挨拶、ちゃんとしたかったので、一人で。もう済みましたけど。お掃除されるのであれば、もう大丈夫ですけど、そう言うわけにもいきませんよね? ここで見ていますから、どうぞ、気が済むまで」
柄杓で水をかけて、とりあえず雑巾でふく。
ごしごしと、でも、昨日掃除したばかりで、さっき陽菜も掃除したというのであれば、それは完全に自己満足の世界で、僕は手を止めた。
「帰ろうか」
「良いのですか?」
「うん」
「わかりました」
背を向ける。次はいつ来れるだろうか。僕はここに。
誰もいない墓地で、僕は陽菜を抱きしめた。一瞬の抵抗も無かった。陽菜はまるで当たり前のように腕にすっぽりと収まった。何度やっても、いつやっても、僕にとって陽菜という存在を感じることは必要なことだ。大事で大事で、仕方ない。どうしようもない。
この温もりだけは、失いたくない。
「私は、こうして甘えて頂けることが、なによりも嬉しいです」
帰り道、二人で歩いている時、陽菜はそう言った。
「それが、陽菜の本音?」
「それ以外に何があるというのですか」
当たり前のように、それが厳然たる事実のように、陽菜は言う。
「人は、生きながら死んでいる。僕らは、ずっと一緒にはいられない」
「当然です。だから私たちは、こうして、一秒でも長く、一緒に過ごすのです」
目を閉じて、陽菜は歌いだした。僕にはそれが何の曲かわからなかった。優しい音が、朝の町に小さく響いた。
目を閉じてその音色に耳を傾ける。日本語では無かった。多分、英語だ。スラスラと知っている曲を歌い上げるのではなく、心から、じっくりと歌っていた。
曲が終わり、陽菜は、目を開ける。
「私は、できるなら歌いながら死にたいです」
「なんで?」
「生まれた瞬間から寄り添ってくれる存在を迎えるなら、それが一番ふさわしいと思います」
「一緒が良いな、僕は陽菜と」
「そうですね。それが無理ならどうか私を先に逝かせてください」
「なんで?」
「ただの我儘です」
町は、ゆっくりと朝を迎えていた。昨日の賑わいとは程遠い、静かな朝。あちこちから湯気が上がり、耳を澄ませば人々の声が聞こえる。
「ただいま」
乃安はまだ布団の中にいた。
「あっ、帰って来たのですね。では、私も起きます」
うとうとと乃安は目を擦りながら出てくる。僕はパッと目を逸らした。
「乃安さん、着物脱げてますよ」
「あっ、はい。というか先輩、今更目を逸らす事も無いじゃないですか……」
「そういう問題じゃないんだよなぁ」
ぼやくけど、でも、今更感があるのは否定できない。
とりあえず作務衣に着替えて厨房に向かう。既におじいちゃんもおばあちゃんも仕事していて、僕らも手順はわかっているので、手伝いに入った。
仕事が終わると僕らも朝食を食べる。それから旅館を掃除して、午前の作業は終わった。
流石に慣れたものだ。
堤防沿いには釣り人が釣り糸を垂らして時間を過ごしている。
砂浜は今日も盛り上がっている。波打ち際を歩いていると、ポンと肩を叩かれた。
「せーんぱいっ!」
「……どうした?」
「あれ? 滅茶苦茶可愛い風の後輩をやってみたのですが」
「いつもと変わらん」
「ということは、先輩にとって私は滅茶苦茶可愛い後輩なのですね!」
墓穴を掘った。
「んで、何してるの?」
「陽菜先輩と私で、相馬先輩探し競争をしていて、私が勝ちました。褒めてください」
「もっと遊びとか色々あるだろ……」
「あれ? あっ、私の負けだ」
「なんで?」
「相馬先輩、既に見つかってます」
「へぇ」
乃安は、僕の頭の上を見ている。僕もつられて上を見る。
「乃安さん、まだまだですね」
陽菜はこちらにスマホの画面を見せている。乃安が僕の後ろに忍び足で近づいている映像が映っていた。
「あはは、負けちゃいました」
彼女たちは僕を一人にはしない。いつでもどこでも見つけてくれる。
なんだか嬉しい。
一人が、当たり前だと思っていたから。
三人で砂浜に降りる。去年なら、また砂遊び大会とかやったけど、今年は三人で一つの物を作る事にした。僕はいつも見る側だったから、こうして参加するのは初めてなのに気づいた。
三人でせっせと作ったものは、普通の一軒家だった。
「あはは、意外と普通の物ができましたね」
庭付きの、二階建ての、ベランダもある一軒家。
何で、僕らはこれを作ったのだろう。
夕日が沈んでいく。潮が満ちて、僕らの作った家は流れて行く。少しづつ。庭が侵食され、家の壁は泥になり、崩れていく。
海は茜色に煌めく。
そんな様子を僕らは眺めていた。
家族連れが続々と帰って行き、砂浜は静かになった。
僕は、大事にされている。僕は、愛されていることを強く実感したかった。それが、叶っている。否定し続けていた願いだったのに。
願いを否定するのは、それは、自分で自分を殺す行為だ。生きているから、願うのだから。本当の意味で生きているから、願うのだ。もっと変えたい、変われ。変わってくれと。
なら、今の僕は何を願うのか。こうして、満ち足りている僕は、何を願うのか。
「僕は、僕は! もっと幸せになるんだー!!」
海に向かって、そう叫んだ。
そして、海に向かって駆け出そうとしたところを、服の襟元を掴まれ止められた。
「ぐえっ」
「テンションに任せて何をしようとしているのですか? 落ち着きましょう」
「すいません」
落ち着こう。僕。
そして、そろそろ戻らなきゃいけない時間だ。
「帰ろうか」
「そうですね」
旅行に来たからと、観光に焦る事は無い。その町の雰囲気を楽しむのも旅行なんだ。
町が眠りにつく準備を始めた。夕日がどこか眩しいけど、少しづつ、夜が顔を覗かせている。
家に帰れば、また日常だ。でも、何も怖くは無かった。




