第四話 師匠再来。
カーテンの隙間から差し込む光がものすごく眩しく感じた。
何かクラクラするとは思ったが、それはまぁ、自分でも原因は自覚しているので置いておこう。最近、こんなのばかりだなと自分に呆れかえりながら布団を出て手近なジャージを身にまとう。
とりあえず日課を処理する。大学生になってもこれはやめなかった。
それに、先生は常に生徒よりも強くなければならない。それは、強権を振るうわけでは無い。戦い方を教えるのであれば常に生徒の上を行き、勉強を教えるのであれば常に生徒より物を知っていなければならない。一つの事に固執せず、出来る限り多角的に物を見て、しかしその努力をしているように見せず、常に飄々としていなければならない。
昨日、父さんから突然電話がかかってきて、そう言われた。
叱れ、しかし褒めろ。
うん。理屈はわかる。しかし我が父よ。僕はあなたの課した修行で何回も死にかけました。
中三の夏。山でわざわざ熊と試合させられたこと。三分経った辺りで父さんが追っ払ってくれたけど。熊にも僕にもいい迷惑だ。
もちろん。僕は僕の生徒にそんな事はさせる気ないけど。
中二の冬。山に一人放置させられたこと。あれは死ぬかと思った。木の根を齧って一日過ごしてたら迎えに来た。
中一の夏。朝起きたら隣県の山の中に自転車と一週間分の泊まりの荷物と一緒に放置されていた事。どうにか帰ったけど、絶対にぶっ殺すと本気で思った。焼肉に連れて行ってくれたけど。
うん。僕の修行は参考にならん。
大学の食堂、二人で昼食。
うちの食堂は結構美味い。夏樹とこの間連絡とったけど、あまり美味しくないらしいから、羨ましいとか言ってた。
陽菜はラーメンをすすっている。
乃安に弁当をお願いすることもあるが。一時間目の時は。でもやはり味とかそこら辺維持するとなると、中途半端な時間からの時は、こうやって食堂で食べる。乃安としても、そうして欲しいらしい。美味しいまま食べて欲しい。乃安の願いだ。
今日で講義はいったん終わり、明日から大学は夏休みだ。
夏休みになると、土日休みの平日バイトとなる。それも午前中で終わり午後は休みというホワイト仕様。一応、陽菜と乃安二人を同時に相手にして鍛えてはいるけど。
いや、これが三十人の生徒を相手するより手強い。息ぴったりな二人は本当に強い。
何かサインでも出しているのかと思ったけど、そう言うわけでも無く、視線だけでお互いのやりたいことを伝えあっているようで。何回かやられかけた。少なくとも完璧に勝てたことは無い。多分、陽菜と乃安という人を知っていたから対処できたのであって、お互い初対面の初見なら秒殺されていただろう。
そんなわけで、派出所に来た。青臭い。生き物の匂いがする。
武道場には既に生徒が集まり正座で待っていた。
「じゃあ、やろっか」
その合図で、一番前に座っていた三人が短い木刀を片手に殴り掛かって来た。
この光景、あれだ、最近漫画で見た気がする。あれ感動したな。個人的に。
「ひたすら実戦形式に徹するのは良いが、怪我はするなよ」
「今はまだ大丈夫ですけど、呑み込みが早いですね、皆さん」
でも、今日の稽古の映像を見る。
「はぁ」
複数人での戦闘時の動きは格段に良くなったけど、一対一になった途端、鈍くなるというか、動き方に迷いが出るな。
「メイド長。何で彼女たちに戦闘教練をつけているのですか? というか、何でメイドに戦い方を教えているのですか?」
「必要だからだ」
「それは?」
メイド長はマグカップ片手に立ち上がる。
「お前は、今の平和がいつまで続くと思っている? 突然、明日崩壊する。その可能性が無いと言えるか? この私ですら気づかない前兆が進行していないと誰が保証できる?」
空のマグカップに紅茶を注ぎ、僕にも差し出す。一口飲んで唇を湿らせ、メイド長と向き直る。
「金を差し出せば手に入る時代が、拳をぶつけ合って奪い合う時代に突然変異しないと誰が言える」
「まさか、その不確定な事のためにですか?」
「いいや。もちろん。私は効率的な事が大好きだからそんな事ではない。必要なのはもちろん当然だ。自分の身を守れる手段は多い方が良い。そして、自分の隣の奴を守れるくらいの力を持っておく方が後悔が少ない。それだけだ。あいつらも、いつか自分にとって大切な奴の一人や二人くらい、できるだろ、いずれ」
メイド長は遠い目をどこかに向ける。
「突然、隣にいた奴が死ぬ。大切だった奴が死ぬ。そんな体験、私の子どもたちにさせたくないからな。だから頼んだぞ、日暮先生」
「はい」
「それと、言っておくが。この派出所において陽菜の方が異常だからな。何でもかんでも平均以上にこなせるなんて。大抵、ここのメイドはだいたいが平均程度で何かに特化されているのが普通だからな。真城のような、戦闘特化あとは普通が良い例だ。乃安は、あれは陽菜に憧れた結果だからな。料理特化を選んだみたいだが」
「でも、陽菜が言っていたメイド長の理想って」
「あくまで理想だ」
空のマグカップを机に置くと、乃安が横から手を伸ばして回収する。
「じゃあ、今日はこれで」
「あぁ、お疲れさん」
そして玄関ホールに降りると、何か入口にいた。
「よう、相馬。ここを通れると思うなよ」
「結城さん、何しているのですか?」
「いやーね。お前がここにいるって言うからさ、今日は頑張って仕事を切り上げてきたんだよ。やるぞ。相馬」
「えー!」
生徒たちにとっては昼休みの時間。けれど、結城さんと僕の試合となると、熱心な三十人は見稽古という形で集まってきた。
「さて、それじゃあ、軽く。背中ついたら負けという事で」
「マジでやるんですか?」
「おうよ。理由が必要か?」
「そりゃ。理由なきゃやりたくないですよ」
結城さんは腕を組む。そして、三秒、顔を上げる。
「お前、最近自分より弱い奴としたやってないだろ。だから、たまに自分より強い奴とやらなきゃ感覚鈍るぞ。お前の良い所は、強い奴相手でもギリギリまで戦える粘り強さだ。それはお前の反射神経と読み、対応力にある。よって、それを失うのは惜しい。つうわけで、稽古つけてやるよ、あたしが」
「……わかりました」
構えない。変化即応で。
集中する。時間の流れが遅くなる。全身の感覚が研ぎ澄まされる感覚。そして、その向こう側、よくわからない、でも、本能が、体に告げる。
前に出る。一気に距離を詰める。突き出された拳は顔のすぐ横を通った。膝蹴りは片手で止められた。距離を離す。
「おいおい。お前、度胸がついたな。一手一手に自分を信じる度胸。お前の課題、克服したな」
「ありませんよ。そんなの」
また、時間が遅くなる感覚。結城さんの動きが、鮮明に見える。そして、また本能が手を後ろに伸ばさせた。掴んだ木刀の柄。素早く構えて前に突き出す。
結城さんは僕の剣戟を正確に捌く。距離を詰めさせないように注意する。ここまでで分かった。僕はまだ、この人より弱い。少なくとも、武器無しでやり合ったらまた負ける。
木刀と拳がぶつかり合った。
「マジっすか。僕の最速の攻撃、拳で合わせちゃいます?」
「なめんなよ」
逆立ちの勢いを利用した蹴りが手首に当たる。木刀が床に落ちた。
後ろに飛んだがもう遅い。腹をぼこぼこに殴られ蹴りでフィニッシュ。背中を付いた。
「がはっ、けほっけほっ」
「うーん。すっきりした」
「おい脳筋。次は私が相手だ」
「陽菜先輩。落ち着いてください。勝てる相手じゃありません」
「乃安さんも来れば、一撃くらいは。それで仕留めます」
「まだまだだな、相馬。いやでも、楽しかった。どうしてもお前との戦いは本気出さないと駄目だからなぁ。最高だぜ」
親指立てて立ち去って行く、目の前の課題を置いて立ち去る、師匠のような存在は、相変わらずありがたい存在である。
そっか、なるほどな。僕の見立ては間違いじゃなかった。度胸だ。でも、度胸ってどうやって教えれば良いんだ?




