第九話 世界を満喫しなきゃ負けだ。
陽菜と手を繋いで歩いていた。通学路を。アホになったのか? 僕らは。いや、アホなんだろう。
三年生の文化祭はわりとあっさり終わった。体育祭もなーなーで済ませて、みんなの頭は受験で大半が占められている。そして先生方もこんな状況で些細なことを大ごとにしたくない。じゃあどうするか。
残り少ない高校生活を全力で楽しむ。そうしなきゃ、負けだ。なんて結論に至った。文化祭と体育祭を周りに流されて適当にやってしまった時に気づいたのだった。
失ってしまった時間は取り戻せない。ならば、これから来る時間を全力で過ごすのみ。さぁ、始めよう。
「お前らよう、仲が良いのは良いが、今までの清い付き合い方というか、見せつけないスッキリした付き合い方は何処に捨ててきた。あの俺らの精神に優しいお前らはどうした!」
「死にました」
陽菜は京介の地獄の底から響くような声に、さらっと答えた。這い上がって来たゾンビ京介を地獄の底に再び蹴落とした。
「まぁ、それはそれとして」
ゾンビは人間に戻り、僕らの前を後ろ向きで歩く。
「実際、あまり周りをイラつかせるような事はするなよ」
京介の言う事はもっともだ、周りに流されないのと、空気を読まないのは、違う。
僕らは、僕らの道を行く。センター試験の点数次第だが、行きたい大学は大体決まっている。自宅から通える大学だけど。
でもだからと言って、他の道に行く人たちの足を引っ張っても良い理由にはならない。
だから学校が見えてきた辺りで、示し合わせたように僕らの手は離れた。
「あっ、待ってください」
木陰に連れ込まれて。一瞬だけ、触れるだけの、優しい口づけ。
「行きましょう」
それで満足して、陽菜は歩き出した。僕も、何事も無かったことを装って歩く。
冬は、確かに訪れていた。
相馬君は、許したのではない。彼は受け入れたのだ。今生きている自分を。彼は一生許すつもりなんて、無いのだろう。自分の事を。
だから、彼は相変わらず、自分を犠牲にするような真似をするだろう。嫌な事でも苦しい事でも、自分から突っ込んでいく。人は学ばないし、成長しない。根本的に。彼も人なのだから、同じなんだ。もはやこの生き方は彼の根源なんだ。
ならもう、私にできる事、それは、彼の傍に居続ける。支え続ける。時に手を引き、時に抱きしめ。時に蹴り倒してでも止める。それだけだ。
今までも変わりない。でも、確かに変わったのは。彼が、私をちゃんと頼りにしてくれる。それはとても大きくて、とても大事な事。
時が癒してくれるなんて、私は信じた事無いけど、でも、今はその時に頼りたい。
十二月になって雪が降り始めた。
このころになると、休み時間もシャーペンが走る音と、参考書を捲る音が聞こえる。栄養ドリンク片手にやっている人もいる。
異様な光景だ。ここまでやらなければならない理由が、わからない。
僕たちの三年間は、この時のためだったのか。この時のためにしか用意されていなかったのか、一年生の頃からずっと対策を重ねてきた僕だけど、今更、そう思ってしまった。
世界を変えたいと思った。でも、僕は具体的にどう変えたいのか。優しい世界という漠然としたテーマしかなかった。
何だろう。優しい世界って。
落ち着こうと思って息を吐いた。また、こうして、向き合うのか。自分の夢と。あの時は壊れて行く自分を感じたけど、今は違う。
ひどく落ち着いている。落ち着いて、窓から見える景色を眺めている。雪は降り積もり、校庭を白く染め上げて行く。
手元の問題集は解答が書き込まれて、隣に置いたノートには途中計算が書き込まれ、黒く染まっている。
教室にはもう誰もいない。
扉がガラリと開いた。顔を覗かせた陽菜が、小さく微笑む。
「お待たせしました。面談終わりました」
「お疲れ」
陽菜は僕の隣に座る。この学校に今どれくらい人はいるだろうか。世界は今、僕ら二人だけという錯覚に陥った。
どちらからというわけでも無く、唇を重ねて、抱き合った。
ヒーターが消えた教室、残された温もりはお互いのものだけ。
「制服着ていられる期間も残りわずかですね」
「うん」
見つからないように、教室の隅。陽菜を壁に押し付けるような形で。
ダッシュで学校を出た。
流石に、夢中になり過ぎた。はぁ。
「乃安さんからメールが来るという事態に……」
「怒っているかなぁ」
「いえ、ご主人様が帰ってこない程度では怒らないように教育されているので」
「程度って……」
「雇い主が警察のお世話になるという事例もあるので。あと、唐突にお亡くなりになられたりもすることがありますし。それに比べれば、帰ってこないなんて些細な問題です」
クリスマスももうすぐ。それが終わればあっという間に正月。そしてセンター試験。
なぁ、日暮相馬。お前の思う世界って何だろうな。
今の僕の答えは。こうして隣に大好きな人がいてくれる世界だよ。
「でもさ、大好きな人が一緒にいてくれない人もいるんだよね」
「全方面に気を使うのは、自分に余裕がある人ですら無理ですよ。人に与えられた幸せは、本当に幸せでしょうか?」
目を閉じて指を立てて、陽菜は静かに語る。
「貧困国のために井戸を掘るのではなく、井戸の掘り方を教えろというのは、よく言われる話ですよね?」
「うん」
「幸せを与えるのではなく、幸せの掴み方を教えるのです。あなたが言う、誰も踏み台にせず、不幸にもしない幸せの掴み方を考えて、それを広めるのです」
当たり前だけど、見失いがちな、そこら辺に転がっている、簡単な真実。
「理想論ですよね。そんな幸せ。笑い飛ばしたくなりますよ。でも、相馬君なら、やってくれてしまいそうな気もします」
ツンとすまし顔、でも、すぐに陽菜らしくもない行動、ニコッと笑ってウィンクという、何だかドキッとするような行動をして。
「だから、実現してくださいね。あなたが相手にするのは世界ですよ。文字通り、世界が敵に回っても、私朝野陽菜はあなたの傍にいますけどね」
何度目かもわからない熱烈な告白。でも、こういうのは何度やってもやられても、嬉しいし気恥ずかしい。慣れる事なんて、一生無い。
こうして新鮮な気持ちでいつも一緒にいられる。
手を繋ぐだけでどこか緊張して、でも、触れていたくて。
「ありがとう」
感謝は忘れずに伝える。
「ありがとう、大好きだ」
僕にはもったいない、なんて言わない。
歩き出さなきゃ。早く遠く。僕が向かうべき場所に。それがどこかは知らないけど。明日なのかその先の未来なのか果てなのか近所なのか。どこでも良い。僕は行くだけだ。行ってやるべきことをやる。それだけの事だ。
センター試験の結果は、結論から言えば、理想通りだった。この点数なら、地元の大学も問題ない。本番でミスらなきゃ良いだけだ。
「やっぱ陽菜の膝枕良いわ」
「そうですか。私も慣れたものです」
「最初はきつかったの?」
「えぇ。結構。相馬君眠ったら起きないので」
安心しちゃうんだよなぁ。仕方ないよなぁ。
みんなもセンター試験ではこけなかったみたいだ。今は自由登校期間。家には僕と陽菜だけ。もうわざわざ学校に行く理由なんて無い。だから家で受験対策したりこんな風に恋人らしく過ごしたりしている。
後はまぁ、もうすぐ陽菜はメイドじゃなくなるわけだしね。
陽菜はメイド治めと言った感じで、普段よりメイドらしさに拘ったりもして、家の掃除とかその他諸々が、さらに念入りに積極的になった。これ以上念入りにしてどうする気だとは思うけど。
「耳かきしますね」
「そりゃどうも」
今は不安ではない。メイドとご主人様というつながりを失っても。今まで、恋人というつながりに不安を覚えていたけど。でも、もう、大丈夫だと、僕は言えるんだ。
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