プロローグ
大陸南東部に位置する港町リスドの西、鬱蒼と茂る森の中を一路南へと向かう。
目印は木々の間からこぼれ落ちる日の光だ。もう昼はかなり過ぎており、やや西に傾いた太陽を目指しての行軍は少し忙しない。
この森自体は薬の材料として重宝される各種薬草や、毛皮から肉まで高値で売れる猛獣の類、鉄や銅の鉱床など様々な資源に溢れた宝庫で、日々傭兵ギルドのメンバーで溢れているのだが、さすがに夕方近くなってから森の奥に進もうとする猛者は極少数である。
そんな中、一般探索ルートからも迂回し南の何も無い海辺へと向かう一行は、他の傭兵から見たらさぞかし奇妙に映っただろう。
一人は胸当てと膝が隠れるブーツを履いてはいるものの、この場所にそぐわないような純白にやや海の色が混じった流麗なドレスを着こなし、腰まである長い黒髪を優雅に掻き分ける妖艶な女性。
一人は昼間から浴びるほど酒を飲んで酔っ払っているようにしか見えない赤ら顔の痩せた中年男性。
そして最後の一人が鉄の全身鎧を身に纏い、特徴的な曲剣を腰の鞘に納め、危なげなく周囲を伺う、やや藍がかったショートカットの女性。
私だって、この時間に森の南へ進むこんな三人組を見たら警戒する。
きっと正体を知ったら、町の中では子犬のように纏わりついてくる可愛い妹分でさえ関わり合いになるのを避けて踵を返すはずだ。――残念ではあるが。
その、全身鎧を纏った一番傭兵らしい姿の女性が、私ことマッダレーナ=スティーアである。
親しい者からはマリーという愛称で呼ばれている。私もこの「マリー」という響きがすごく気に入っているのだが、付けてくれたのはリスドに来てから出来た親友のレヴィだ。
レヴィ――レヴィア=ラハブは何とも掴みどころのない女性である。
最初に出会ったのは、私がまだこの港町にやって来て間もない頃、傭兵ギルドに登録して依頼をいくつかこなし茶タグを卒業したくらいの時だ。依頼を探しに来た私は、埃っぽいギルドの中ですぐ汚れるのではないかと冷や冷やするほど鮮やかな純白を基としたドレスに身を包んだ、何とも場違いな女性に目を奪われた。
最初は依頼を出す側としてやってきた貴婦人かと思ったが、ふと視線が合った瞬間、自分と同等もしくはそれ以上の歴戦の強者であると確信する。
すぐに私は声を掛けたが、とにかくレヴィは素っ気無かった。ただ、男どもの下卑た視線を浴び続けていたからか、私が同行するのは受け入れてくれた。――勝負に関しては呆れたような目で断られてしまったが。
私とレヴィはそれからいくつかの依頼を一緒に請け負ったのだが、ちょうど半年前、ギルドの幹部から受けた強制依頼を転機にしばらくご無沙汰になった。
私たち二人が次々に依頼をこなし、着実にタグをランクアップしていく事が鬱陶しいと思われたのだろう。――要するにギルドの幹部に嵌められて殺されかけたのだ。
とある洞窟の奥にある資源調査、として出向いた先に実際巣くっていたのはギルド支部を悩ませていた盗賊の集団であった。
これを仕組んだ輩はきっと私たちが多勢に無勢で殺されると思ったのだろう。だがそれを完膚なきまでに叩きのめした私たちはそのままギルドの闇に足を突っ込むことになる。
ただ、そんな状況に嫌気が差したレヴィはほとぼりが冷めるまでリスドから離れて行ってしまった。
――私だって乗り気だったわけではない。
そもそも私はこのリスド出身ではなく、大陸の北方に位置する大国ラティウム連邦の要衝ラヴェンナからこの町にやってきた、いわばよそ者だ。
本来、ギルドが抱える問題はこの町に住む者が解決するべきだろう。
だが、正しい行為がまかり通らず鬱屈した連中の思うがままになっている状況は我慢ならなかった。
私はこれでも先祖代々続くスティーア家の出で、ラヴェンティーナ師団の准将を仰せつかっているれっきとした軍人だ。人々を守る立場にある者が、利権を貪り実力ある者を排除して闇から支配を続けるなど、考えただけでも虫唾が走る。
それに、私がこの町にやってきた理由は研鑽を積んでランクアップをすることだった。
スティーア家の初代エッツィオ=スティーア曰く、「成人した者は必ず国外で経験を積み、一回り大きく成長して帰らなくてはならない」だそうだ。これをわかりやすく言い直せば、国外のギルドでランクアップして帰国せよ、である。
実際、この家訓に従い父や兄たちも成人と同時に国外に出て見聞を広め、一回りも二回りも成長して帰国し優れた将となった。私も当然例外ではなく19歳の時に家を出ることになる。本当はもう少し早く出たかったのだが、妹の教師役を努めねばならず、やや遅めの留学になった。
だから、早くランクアップをしなくてはならない。
そういった意味で、ギルドマスターからの連日の強制依頼はまさに私にとってはうってつけの内容だったと言える。
私はとにかく精力的に動き回った。
そしてこの半年でリスドは大きく生まれ変わることになる――。
―――
「南の入り江までもう少しね。何とか日が沈む前に到着できそうよ」
先を歩くレヴィが振り向いてそう告げた。言われてみれば、潮の香りが漂ってきた気がする。
「それは僥倖。確かオーケアニデス族が待っていると」
「そう……だけど、ラドン。キミのそのしゃべりは何とかならないかい? 昔とのギャップでおかしな感覚になるよ」
「無茶を言わんでくれ――下さい。大陸で暮らして千年以上……。孤島にいた時のような、それこそあの小僧のような頃に戻るなど無理な話だ――です」
赤ら顔の男が額から流れる汗を拭いながら、言い難そうに話す。
この痩せ細った年のころ四十ほどの年配の男が、ラドン。にわかには信じられない話だが、竜だ。
そして今回、私がこの場所までやって来ることになったのもひとえにこの竜が原因である。
この男に初めて会ったのは、この森をはるか西に向かった先にあるモンジベロ火山にある洞窟の奥深くであった。
連日の強制依頼をこなし、そろそろランクアップをと思っていた矢先のある日、久しぶりに本部のギルドマスターに直接呼び出されて強制依頼を言い渡された私はその内容を聞いて辟易した。
モンジベロ火山にある髑髏岩の洞窟の中の資源調査という、まさにレヴィと別れる事になったあの半年前の依頼とほぼ同じだったのだ。
さすがの私も最初は悪い夢なのではないかと耳を疑ったのだが、もう一つのキーワードを聞いて一も二も無く飛びついてしまう。――そのキーワードとは竜であった。
竜と言えば、まだほとんど人が魔法を使えなかった黎明の時代に大陸に住んでいたとされる伝説の魔獣だ。よく物語の中で、一度その怒りを買えば町や国どころか大地すらも灰燼に帰すほどの力を持つものとして描かれる恐ろしい存在である。
そんな竜と私の家は因縁浅からぬものがあった。賢人ともてはやされた初代エッツィオ=スティーアが一躍有名になったのは、この竜を退治したからである。
初代以降もちょくちょく竜と我がスティーア家は関わり合いになるのだが、その秘密は今はおこう。
そんな伝説の魔獣、竜を見たという何とも訝しい報告の為に、わざわざ森を西へ百キロ以上進んだ先にあるモンジベロ火山の洞窟へ行く……。もはや正気の沙汰とは思えない依頼内容なのに、私ははからずも心躍らされていた。
さすがに一人で、といったことはなく、お調子者だが腕前は目を見張るものがある貴族出身のフアン=アラゴンと、ギルド内部から若手のホープであるイェルド=リュングバルが付けられた。
どちらもそれなりに実力者であったが、それでもレヴィに比べると格段に劣っていた。このまま竜に会うには少々不安だったところで、私は幸運にもリスドを目指すレヴィと半年ぶりに再会したのである。
―――
「レヴィと再会したのはちょうどこの辺りではないか?」
私は周囲を見渡しながら、三叉路になった森の道を感慨深げに見る。
「そう、だね。ここでマリーと出会わなければ、少なくとも私が今、長老に会いに行く必要はなかっただろうね」
レヴィが溜息交じりに私の方を見た。
「なっ……ひどいぞ、レヴィ! さすがに私のせいではないだろう?」
私は若干おっかなびっくりにラドンの顔を見る。まだ出会いの時の衝撃は覚めやらず、この男に恐れを抱く自分がいるのは否定できない。
「フン……。女、口の聞き方に気をつけ――」
「ラドンが悪いのは当たり前よ。本来ならラドンだけ長老様にこっぴどく叱られて幽閉でも何でもされていれば良かったのにね」
「ぬあああ。レ、レヴィアさん、そこは一つ穏便に願いたいのだが……」
「何を甘えているの。自分の仕出かしたことは自分で責任を取りなさい」
レヴィは容赦なくラドンを切り捨てる。この男の正体は10mを超える火竜なのだが、私と変わらないレヴィにここまで怯える姿には違和感を禁じえない。
「それにしてもマリーはラドンにまだ固いわね」
「それは当然だろう? 洞窟ではあやうく死に掛けたんだ。あの姿をそうたやすく忘れるなんて出来ない」
「はっはっはっ。あの時の顔は最高であったな、女」
無神経にラドンは笑ったが、レヴィが一睨みすると直立不動で縮み上がる。
「私には問題ないのにおかしな話ね」
「レヴィは親友だからな。話せないなんてありえない」
「ふふ、正体を見せても、まだそう言ってもらえるかな」
「と言うより、まだ信じられないんだ。レヴィも、そしてカトルも……なんて」
そう、私はあの時初めてカトルと出会った。
再会したレヴィのそばには、私と同じか少し背の高い赤髪の可愛らしい子が寄り添っていた。最初は少しだけムッとなったが、よく見ればその表情はまだあどけなく、レヴィのかげで警戒しながらも好奇心の塊のようなやや蒼がかった瞳をキョロキョロさせながらこちらを見ている姿は何とも愛らしい。
ただ、私に気付いたレヴィが話しかけに来たので、その子は一人取り残されてしまった。そこにフアンとイェルドが絡んでいくのが見え、とにかく気になってしまい、レヴィとの会話もそこそこに私はその子に挨拶をしに行った。
「マッダレーナ=スティーア。軍人だ。よろしく。マリーと呼んでくれ、可愛らしいお嬢さん」
最初は12、3歳くらいの可憐な女の子かと思った。――だが。
「俺はお・と・こ、だ!」
「ええっ?!」
そう言われて私はマジマジと頭からつま先までを見返した。
目を引く腰辺りまで伸びた赤い髪や、長く伸びたまつげと二重まぶたによって大きく見える瞳は、その可愛らしさを助長し、まだ成長しきっていないように見える細身の身体や、私と同じくらいの大きさの手のひらは、男の子と言われても全くピンと来ない。
だが、次の瞬間そんな考えは全て消し飛んだ。
「俺はカトル=チェスター。間違いなく男だ!」
そう叫んだ少年――カトルは、あっという間に私との間合いを詰めて来た。
「そ、それは失礼だった。謝る。このとおりだ。すまん」
驚きのあまり咄嗟に頭を下げたが、その身のこなし、そして何よりカトルの気迫に、私の心はこれ以上ない程揺さぶられた。
――この少年は間違いなく強い! 私はこの少年と戦いたい……!
そう強く思った私は、鉄石で表示されたとんでもない剣術レベルの確認と称して支部の地下演習場でカトルと戦ったのだ。
結果は惨敗もいいところであったが、得たものは非常に大きかった。
そんな縁で、私はカトルとマリーという二人の協力を得て竜が目撃されたという髑髏岩の洞窟に向かったのである。
そこにいたのが、このラドンという火竜であった。
全長はゆうに10mを超え、さらに大きな両の翼を優雅に羽ばたかせていたその威圧感たるや、さすがの私も身が竦む思いだったのを覚えている。
生まれて初めて、明確に死を覚悟した。
それでもその恐怖に打ち勝てたのは、ひとえにカトルの献身があったからだろう。
私を救ってくれたカトルを守らなくてはという思いで、はるか崇高な存在であった竜の前に立ちはだかったのだ。
だが、そこで火竜の口から驚愕の事実を告げられることになる。
カトル、そしてレヴィもまた竜族であるということを。
―――
「すまない、マリー。洞窟の件を長老に報告する為、一緒に島まで来てくれないか?」
カトルは竜族であると知られてはならなかった。だからレヴィは遠く竜族の住む孤島の長老にお伺いを立てに行くという。
そんな竜族の聖地に、人である私が足を踏み入れる……!
こんな機会は二度とないだろう。本来ならば全てを差し置いてでも同行を希望するところだ。だが今、私と契約を交わしているサーニャが大変な問題を抱えてしまい、そう簡単に何日もリスドから離れるわけにはいかなかった。
「それなら早く戻って来れるようにするだけよ。……マリーには地獄を見てもらうことになるけれどね」
「恐ろしいことを言うな、レヴィ。不安になるではないか」
「わしは覚悟を決めておるぞ。女、大丈夫だ。死にはしない」
思えば、私の後悔はこの時すでに始まっていたのかもしれない。好奇心が勝っていたとはいえ、レヴィの言葉に一抹の不安が過ぎったのも事実だ。
そんな思いをよそに歩みを進め、ついに森が途切れ広大な海が視界に現れた。
「着いたよ。意外と早かったね」
砂浜に一隻の帆船が停留していた。そのそばに居た者たちがレヴィの姿を見てひざまづいている。その労をねぎらいながら、レヴィは船へと歩いていった。
「さあ、境界の島へ向かいましょう」
そうレヴィに促され、私は大きく頷いた。
……ここまで来たら引き返すわけにもいかない。何より、竜族の長老に会える貴重な機会を精一杯楽しもう。
私はそう考えて、彼女の後ろに続いて船に乗り込むのであった。
本編ともども宜しくお願いします。