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またね

作者: 山下真響

 あなたが余命僅かだと母から連絡が入ったのは十一月の半ばのことだった。


『もうあなたに会おうとは思っていません』


 その言葉に添えられた、母の最後の願い。それは、私があなたと会うことだった。


 たまたま繁忙期だった私は仕事を終えて娘を保育園へ迎えに行った後、助手席にカレンダーを載せて病院へ向かった。暗くなった車内で、娘が食べる遅すぎるおやつのバリバリ噛み砕く音が耳障りに響く。


 あなたは、うちの会社のカレンダーが大好きで、いつも年の暮れに私が持って寄越すのを楽しみにしていた。四季折々の美しい日本の風景を切り取った写真が大きく広がり、そこはあなたにとって理想や望郷に浸るための窓だったのかもしれない。


 もう歳が歳だから、そうそう予定なんて入らないあなただけれど、私が久しぶりに行くとなると闊達な力強い字でその旨を書き込んでくれていたり。それを見る度になぜか誇らしげになる私は、いつの間にかやさぐれて、人でなしの道を着々と進み続けていた。


 あなたは知らない。知らないままでいい。

 きっと非情で真っ赤に染まったあの時代を生きてきたあなたは厳格な人だから、こんな事実を目の当たりにしたらどうなることか。何も私はこれ以上余命を短くするのに一役買うことはないと思ったので、近況は語るまいと誓って病院の自動ドアをくぐる。


 透析ができるのは後僅かだ。透析ができなくなると、いよいよカウントダウンが始まる。


 思いのほか元気な顔を見せてくれたあなたは、かっかっかっと笑いながら、娘の方に手を伸ばし頭を撫でてくれた。私も手を伸ばしたけれど、握り返してくれた手に力は無かった。


 面会は短かった。あなたが、病院に小さな子を連れてきてはいけない、病院は案外不清潔なところなのだと私を叱ったからだ。


 私は「またね」と言った。

 あなたは涙を浮かべて「またね」と言った。






 帰り道、私の隣にはカレンダーがあった。まだ、あった。信号でブレーキを踏んだ拍子に転がって、足元に落ちてきた。それを取り上げると、カレンダーにかけてあったビニールカバーに水滴が落ちた。


 渡せなかった。

 おそらく来年を見ることのできないあなたに、私は勇気を出せなかった。












 あなたが亡くなったのは、それから一ヶ月後のことだった。無宗教のあなたは飾りっけのない家族葬で見送られた。と、聞いた。


 あなたが灰になる時、私は来年のカレンダーを床に広げて座り込んでいた。何も私は、嘘をついて「またね」と言ったわけではない。私もいずれあなたの元に行くのだから。それが最近早まっている気がするのが、自分でも不安なのだ。




 私を繋ぎとめる人はいる。大きな手、小さな手、汚れた手、つやつや光る美しい爪のついた手、いろいろ。


 まずは、ここに残された来年という一年を生きてみよう。あなたが見れなかった来年を、精一杯生きてみよう。


 そうやって生きる努力を重ねれば、いつしか私は私を許せるかもしれないから。そして、もう少しだけ、真っ当になれるかもしれない。







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