プロローグ ~マギア・エンデ~
「……なにさこれ」
視界の下には倒れた私。ドッペルゲンガーというか、それを見下ろす私は妙な浮遊感。幽体離脱でもしているのかしら。
どうやら私の本体は頭を地下道の坂道にあるポールに酷く打ちつけたらしく、血がじわじわと池を作っている。
どうしてこうなった。
えーっと、専門学校の帰りに雨が降ってきて、地下道を通って早めに帰ろうと思ってたんだけど……って。
「あああーーーー!!」
絶叫を上げて思い出した。地下道に反響しないのは自分が霊体だからかもしれない。現に明かりに手が透けてなんとなく向こうが見えているし。
地下道の坂を上って居る時に前からスマホをいじりながら自転車に乗っていた高校生に轢かれたのだ。
車に楽しいと書いて轢くと読む……。まぁなんで日本人ってこんな考えを思いついたのやら。漢字って不思議よね。
急ブレーキをかけた様子だったけれど、雨で濡れたタイヤが地下道のタイルを止まれるわけないでしょうが。
それよりもあの野郎、どこ行った!
『自転車は押して』と看板にも大きく描かれているでしょうが!
その看板がついているポールに後頭部をぶつけて血溜まりの中にいる私。なんてシュール。
見回してみれど人は居ない。
幸い、この地下道は痴漢防止の為、高性能監視カメラがついているから、犯人特定は余裕でしょうけれど。
でも、こうなっている私ってばどうなってるのかな。
幽体離脱? それとも自縛霊? 解らないけれど自分のお葬式とか見なくちゃいけないのかな。
さっきから自分の体に戻ろうとして体を重ねてみても戻れないしこれはやっぱり死んだのかなぁ。身体を擦り抜けて自分の体内が見える。と、言っても人間の身体の中って暗いのね。よく漫画やドラマで人間の内部がピカーと光ってるけれど、あれは完全に作り物だったらしい。
当然よね。何も体の中に光源がある訳じゃないんだから。あったらあったで地球外生命体のナニカとか大騒ぎにもなりそうだけれど。
手で触っても何も触れないし……。困ったなぁ。
ウンウンと悩んでいると、声が上から……つまり地下道の出入り口の方から聞こえて来た。
「うわ、これは酷いね」
「うん、ほんとに」
だれか通りがかってくれたのかな? どうせ霊体っぽい私の声と姿は聞こえてないし見えないだろうけれど、一応私からも相槌を打っておこう。どう見ても殺害現場というか事故現場だからね。私の頭からトマトジュースとグレープジュースを混ぜた果肉100%ジュースみたいな物が漏れ出しているし。自分で表現して気持ち悪くなっちゃった。うぷグロい。
「流石にこれは精神衛生上良くないね。キミの部屋に行こうか」
「え? は? え?」
まさか返事が返ってくるとは思わなかった為、驚いていると腕を引かれた。
一瞬、目が眩み、瞬いてみるとそこは見慣れた自分のアパートの部屋だった。
「うぇ? あれ?」
普段自分が使っている照明。少し明るすぎるかなと思ったけれどデザインが気に入ったので友人の反対を押し切り購入したアンティーク風の電灯。その眩しさでシパシパする目を擦りながら辺りを確認すると、そこには中性的な顔だちをした男の子が立っていた。
年の頃は15、6歳くらいだろうか。
「始めまして、かな? 一応これでも神様です。人間の格好をするのは久しぶりだから勝手にキミのイメージで形作らせて貰ったよ」
あ、そういえばどこかで見た事あるなぁと思ったら、初恋の人によく似ているんだ。
『ごめんね、君の事はお母さんとしか思えない』って言われて振られたのはショックだったなぁ。
そりゃ家事スキルMAXだけどさぁ、お菓子とか作ったりボタンとかほつれていたから付けてあげたけどさぁ……。お母さんはないでしょう、お母さんは。別にその当時ぽちゃっても無かったんだけれど。ええ、勿論今でもぽっちゃりでは無いけれど。ええ、はい。重要なので2回言いました。逆にスレンダーなのが悩みどころ。
私がなんとなく目の前の自称神様を胡乱気な瞳で見つめていると勝手に喋りだした。
「えーっと、享年19歳。彼氏ナシ、家族構成は父、母、妹と弟が一人ずつか。キミはあのままだと自縛霊になって地下道の怪異として80年ほど有名になるところだったんだよ」
どうやら私はそんな長い時間、幽霊扱いをされるらしい。
これは救って貰ったと思っていいんだよね?
「はぁ、どうも。ありがとうございます。あ、今お茶入れますね」
一応お礼を言って頭をペコリと下げた。
そのままトテトテと歩いて食器かごに入れておいたティーポットに水を入れて火にかける。……ってあれ? 物に触れる? 水道も出せる?
「あ、ここはキミの意識を具象化した場所だから物にも触れるよ。冷蔵庫にキミが作ったマフィンとレアチーズケーキがあるでしょ。ボクはそれが食べたいな」
「はぁ、まぁ変な幽霊にされるよりかはよっぽど良いんですけど。よく知ってますね」
苦笑しながら冷蔵庫から自称神様が言った二品を取る。
あんな事にならなければ今日、妹と弟が遊びに来る予定だったので焼いておいた物だ。
ケーキナイフをポットを沸かしているガスコンロの火に当て、切り分ける。
こうする事で、切り口が綺麗になるのだ。
何を隠そう私は調理師学校に通っているのだ。しかも結構有名な。エヘン。
「ま、それも今日で終わりだけれどねー」
「ぐっふ……!」
私の心を読んだのか自称神様はノンビリとどこから出したのかファイルをめくっている。うぐ、胸にグサリと来て変な声が出てしまった。ジロリと睨むとまったく悪びれた様子も無く飄々とした口調で言い放った。
「あ、ちなみにキミを轢いた男子高校生だけれど、すぐに彼が持っていたスマホで119番すれば助かった可能性があったんだけどね。その判断をせず逃げたって事で彼は減点対象」
「殺す! 絶対殺す! とりついてやる!」
ケーキナイフを持ったまま、ドアを開けようと……。あれ?開かない。
「うん、この部屋の外は作って無いんだ。ごめんね、だからドアも開かない」
冷静な声で突っ込まれる。
その間にポットが沸き、シュンシュン音をたてている。
ドアが開かない事も解ったので大人しくカップをトレイに乗せ、紅茶を入れて切り分けたお菓子をお皿に乗せた。
そしてティーポットに茶葉を入れて、カップをポットのお湯で温め砂時計をひっくり返してしばらく待つことにした。無音の時間が過ぎ、その間に玄関にある姿見を見たりする。良かった、頭からドクドクとジュースは出ていないみたい。見た目は傷一つない健康な私だ。
そんなこんなで茶葉が開いた頃、カップに高い位置から熱々の紅茶を注ぎ淹れた。
「……どうぞ、お砂糖はこちらです」
「うん、ありがとう。ケーキも美味しそうだね。ちなみにあの男子高校生だけれど、この先の未来はキミと弟さんと妹さんのファンクラブ達に一生人殺しと罵られて肩身の狭い想いをしながら孤独死していく運命にあるよ。どう? 少し溜飲が下がったかな?」
自称神様はアハハと笑いつつ、紙製に見えるファイルを置いてカップに砂糖を三杯ほど入れてフーフーと掻き混ぜながら冷ましている。
この神様ぽい男の子は随分と猫舌で甘党らしい。
「まぁ、キミを慕う人がそれだけ多かったって事だよね。もし、の可能性だけれどキミが失恋から立ち直って誰かと付き合っていたら男を駄目にする悪女として有名になってた所なんだよ。それはそれでこの世界が傾いてたからボクとしてはホッとしているんだけれどね。いやいやいやいや罪作りなお方」
シナを作ってオネエ言葉で言われても若干気持悪い。けれどもそれを声に出すよりも、もし、といわれた可能性の話にチクリと胸が痛んだ。私が誰かと付き合っていたら少なくとも今現在死ぬことは無かったらしい。もう少し生きたかったけれど、別に傾国をしたい訳じゃないから複雑な気持ちだ。
でもあの男子高校生は未成年者として罪に問えないから少しやりすぎだとは思うけれど、迷惑行為をしながらそのまま逃げていったのは許せない。しかし弟と妹よ、いくらお姉ちゃんの仇だとは言っても人一人を追い詰めてはいけないと思うのだよ……。
後はお父さんとお母さんが泣かないか心配かなぁ。
チーズケーキにフォークを刺し、上品に食べている自称神様。なんだか可愛い。ああ、食べかすが口の周りに。
ウェットティッシュで軽く拭いてあげたらニパと笑われた。うぐ、黙っていれば可愛いのよね。黙っていれば。
「それで、私はどうなるんです?」
手持ち無沙汰で立てかけておいたアコースティックギターなんかをポロンと鳴らす。
このアパートは壁は結構厚いのでアンプに繋いで大音量で響かせない限りは音が漏れる事は無い。
ま、今は私の部屋しかないみたいなのでそんな心配は無用なんだけれどね。
少し哀し目の静かな曲を奏でる。一応自分への鎮魂歌と言うことで。そう言えば親戚の子は私のギター好きだったわよね。お裁縫が得意でその子が来るたびに私が何曲か奏でてあげたらお礼だと言って、お手製の縫いぐるみとお人形くれたっけ。 今も棚に飾ってあるけれど、落ち込んだ時に元気付けてくれるような不思議な人形だったなぁ。人形劇が得意で幼稚園や老人ホームによくボランティアに行っていると聞いたっけ。
「……良い曲だね。あぁ、これからキミにはちょっと異世界に転生をしてもらいたいんだ」
え、いや、ちょっと待って!? どこぞの教師のように『今から君達には殺し合いをしてもらいます』みたいなノリで言われちゃったよ!
「……断ったら?」
「同時期に死んだ別の人が代わりに行くことになって、キミの魂は記憶を失い、輪廻の中に組み込まれる事になる。だけど、キミが慕われているからその分、異世界に持っていける力も多いんだ。この地球はもう神様なんてほとんど意味を成さないからね。人間達が作り出した紛い物の神様が多すぎる。この国、つまり君達が日本と呼んでいる場所はそうでも無いみたいだけれど。この際、地球にある余剰な力をついでに持って行って貰おうかと。なに、古来から居る神と呼ばれるモノ達には必要無い力だよ。だから心配しなくても良い。で、持っていける量は徳、つまりその人の行いと縁の繋がりの強さに比例するからキミにお願いしたいんだ。今なら夢枕に立って家族とお別れする権利もつけてあげるよ」
随分破格な待遇らしい。モグモグと今度はマフィンに手をつけた自称神様が喋っている。むむう、食べかすが大量に口の周りに。気になる。
「……解りました。夢枕に立てるなら家族に遺言を残して旅立とうと思います」
再び拭いてあげたらモゴモゴと何やら喋ろうとしていたけれどそのまま構わず拭き続けた。あぶぶぶとかうぶぶぶとか言っている姿がちょっと面白い。
「コホン……うん、じゃあキミの携帯端末、現世ではスマホと言うんだっけ。それで動画を撮って? 最後のメッセージになるから」
私はポケットを探り、スマホを取り出すとビデオ録画ボタンを押して顔が映っている事を確認してから話しだす。こんな事で本当に遺言みたいな事が残せるのか少しばかり疑う気持もあったけれど、何かしていないと前にも進めないだろうし。
「……私がいきなり死んじゃって驚いているだろうけれど、ごめんなさい。私は神様に連れられて幸せな人生を異世界で歩むらしいです。だから私が居なくなっても悲しまないでね。あ、それと私の部屋の冷蔵庫にあるケーキとマフィンは早目に食べてね。父さん、母さん。育ててくれてありがとう。それから妹、弟よ。私ファンクラブがあるなんて始めて知ったよ。有名になってたんだね。あまり権力は悪用しちゃ駄目だぞ。あ、復讐は三倍返しでお願いするね。それじゃあ行ってきます。……グスッ……バイバイ!」
録画停止ボタンを押し、最後は涙目になってしまったのをティッシュで隠す。
神様はティーポットから勝手に紅茶の残りを自分で注いで飲んでいる。
あー、それ多分渋くなってるよ。目分量で淹れちゃったから若干余っちゃったのね。
案の定濃い目の紅茶を口に含んだ神様は苦そうな顔をしている。
「……幸せかどうかは言ってないんだけどなぁ……。まぁ向こうの神様にできるだけ便宜を図って貰うね」
何か不穏な事を言われた。
「じゃ、行こうか。あ、それからボクはこれが終わったら地球から離れて別の場所の神様になる予定なんだ。だからキミのサポートとかは一切できない。けれどもキミが幸せになる事を祈っているよ」
自称ニコリと悪意の無い笑顔を浮かべて手を引かれ、フワリと浮き上がる感触を味わい、私の体と神様は天井を抜け、光の射す方へと進んでいった……。
後に私はこの笑顔に騙された事に気が付き、激しく後悔する事になる。
閲覧ありがとうございます。
タイトルでネタバレ。
物語が始まるのは次のお話からです。