Borderland - Part 4
ビルの内部は、当然電力や魔力が通っていないため、照明器具が作用しておらず薄暗い。光源と言えば、分厚いコンクリート壁の所々に開いた、ガラスが無惨に割れ散った窓からの陽光くらいのものだ。その陽光も、アーケードの屋根に遮られているため、スッキリしないぼんやりした薄明かりになっている。
「ロビーのような広い場所があるはずだ! そこに展開して、入り口通路から進入してくるムシ達を迎撃するぞ!」
蒼治の指示に従い、一行は瓦礫と土埃が散らばる通路を1列になって駆け抜けると、長椅子が並ぶロビーに到達する。走り続けて疲労した足が、埃まみれとは言え体重を支える安定感に満ちた椅子を求めて疼きを訴えてくる。その求めに応じてゆっくりと腰を落ち着けたいのはヤマヤマだが、生憎と交戦は今だに気を抜けない状況が続いている。安楽の誘惑を振り捨てて、一同は一人として欠けることなく踵を返すと、元来た通路を睨んで左右に広く展開する。
「散ッ々追い回してくれてさッ! 今度はこっちの番だって、思い知らせてやるっ!」
紫が苛立ちを込めながら、潜めた声で小さく叫ぶ。魔装で作り上げた機動大剣を横に構え、針のように眉をつり上げたその威勢は、やる気満々だ。
他の3人も彼女の同様の気概を見せて、分厚いコンクリートを貫通するような強い眼差しで通路の方を睨みつけている…が。
数秒…十数秒…と経過しても、通路の向こう側から騒がしい足音は全く聞こえない。
折角、疲労の中から振り絞った威勢を全身に満たして待ち受けているというのに。これでは、あまりにも拍子抜けだ。
「…なんで、来ねーンだ…?」
溜まらなくなったロイが、構えは解かずとも眉だけは怪訝に跳ね上げながら、疑問を口にする。
そんな彼の言葉を耳にしたノーラは、さっき目にしたカーブの向こう側から伸びる影の光景を思い返す。
「あの…さっき、私たちがアーケード商店街に入って来た後…癌様獣達のだと思うんですが…ゴチャゴチャした影が、その場で暴れているのが見えたんです…。
もしかして、それが原因かも知れません…」
「前方から迫ってきていた多足歩行戦車と交戦状態に陥ってしまい、僕達を追撃するどころではなくなった…とかかな?」
「まぁ、考えられなくはないです話ですけど…」
蒼治の考えに、紫は今一納得していない同意の言葉を述べる。
もしも蒼治の考えが正解ならば、ビルへと逃げ込む一同の背後では激しい戦闘が起こっていたはずであろうが…そんな気配は全く感じなかったし、間近な銃声も爆音も聞こえなかった。
そして今も、ビルの壁越しに聞こえてくるのは、遠距離の戦闘の音ばかりだ。
何か、想定を越えた異様な事象が発生している。そんなイヤな予感が一同の間に――蒼治にすらも――立ちこめ、ジットリした深いな冷や汗が皮膚の上に噴き出す。
ペロリ――口元に伝ってきた汗粒を、ロイが舌を伸ばして舐めとった、その直後のこと。
ゾワリ――ロイの真紅の髪が、危機を前にしたハリネズミの針のごとく逆立つ。
「ロイ君…? どうしたの…?」
と口にしたノーラの言葉と、ロイが暴風の勢いで転身し、背後を振り向いたのは、ほぼ同時。
「伏せろッ!」
雷撃のごとき咆哮を口にしながら、黒い疾風となって、ロビーの奥へと飛び出してゆく、ロイ。賢竜の鋭敏な野生の感覚が捉えた危機的状況を全く飲み込めず、疑問符を浮かべながらノーラたちが3人が首を回すだけで背後を振り向いた…その時。
一同は、異様な光景を目の当たりにする。
ロビーを覆う、濃淡の入り交じった影。奥の壁沿いに広がる、より一層濃い影の一帯に、"異変"は起きていた。真闇に近い特濃の漆黒が、音もなく、餅のようにプックリと膨らんでいるのだ。
飛び出したロイが膨らんだ黒の一団に肉薄するよりも早く。黒はぼやけた輪郭を持ちながらも、明確な形状を確立する。その姿は――旧時代の中世に登場した単発式長銃に似た銃を構えて屈む、黒一色の人型だ。総勢十数名の彼らは横一列にズラリと並び、こちらに照準を合わせている。
呀ッ――ロイが爆裂のような咆哮を上げて、黒竜の拳を烈風のように放つのと…ババババァンッ、と連続する銃声が木霊したのは、ほぼ同時である。
発射された弾丸は、射手と同じく輪郭のぼやけた黒一色の実弾(?)である。至近距離で発砲されたロイは回避する間もないが、それは想定済だ。彼は予め、全身の皮膚に強靱な竜鱗を張り巡らせ、弾丸への対応策としていたのだ。
ロイの拳が黒一色の人々に抉り込まれるより早く、弾丸は彼の身体に着弾する。ロイの想定では、弾丸はカキンと虚しい金属音を上げてあらぬ方向へと弾き跳ぶはずであった。しかし、実際は…微風ほどの衝撃もなく着弾した弾丸どもは、まるで砂地に落ちた雨滴のように、ロイの体内へと吸収されてゆく。
ゾワリ――着弾地点から、凍り付くような不快な冷気が広がり、脊椎へとジワジワと浸透してゆく。竜鱗で覆われていない顔面や脚部の皮膚に、思わず寒疣が粟立つ。
(なんだ…この攻撃!?)
疑問が脳裏に過ぎるものの、今はそれを振り捨てて、拳への集中を再開する。黒い烈風となった拳は、ぼやけた黒一色の人型の無貌の顔面へあっと言う間に吸い込まれる。
避ける間もなく、人型の顔へと拳は直撃した――のだが、ロイの眉が即座に怪訝にしかめられる。
手応えが、全くない。
それどころか…拳が直撃した途端、人型の顔が煙のようにユラユラと霧散したのだ。
「な…!?」
予想だにしなかった光景に驚愕の声を上げた瞬間、黒一色の人型どもが一斉に全身を煙状に変化させ、蒸発した。――と思った矢先、ロビーの中のバラけた位置に、突出したロイを含めて星撒部一行を包囲するような形で出現する。しかも、彼らの足場は床だけではない。壁や天井に接地して出現し、三次元的に包囲しているのだ。まるで、重力の影響を受けていないかのように。
「ま、また新手ぇ!?」
本日、パニックになりっぱなしの紫が騒ぐ。ロイ以外の3人は蒼治の防御用方術陣で銃弾を防御しており、ロイが感じたような冷気には苛まれてはいなかった。
「気をつけろよ、みんなっ!
こいつら、ブン殴っても手応えないどころか、身体が」
ロイが仲間たちへ警告の言葉を語っている最中のこと。突然、彼の舌が無惨なほどにもつれ出す。
「へむりのひょうになっひまいひゃやっへ…っへ、なんらろ、こへは…」
言葉のもつれにも負けじと言葉を口にし続けていたロイだが、段々と口の動きが鈍くなってゆく…どころか、体中に微弱な電流が流れているようなチクチクした不快感と共に、全身から力が抜けてゆく。脚が体重を支えきれなくなり、こんにゃくのように間接がクニャリと曲がると、瓦礫と土埃まみれの床に倒れ込んでしまった。
先に彼の体内に潜り込んだ弾丸の影響であることは、間違いないだろう。
「ロイ君…!!」
防御手段もなく、孤立状態で無力化してしまったロイを回収するべく、ノーラが駆け出した、その瞬間。
ババババァンッ! ロビー中に銃声が響き、ありとあらゆる角度から漆黒の弾丸が3人へと襲いかかる。
「ノーラさん、待って!」
蒼治がノーラの腕を掴むのと同時に、再び防御用方術陣を展開。青白い魔力励起光で構成された、小さな真円形の方術陣たちは3人の周囲を半球状に取り囲み、弾丸を受け止める。方術陣に接触した弾丸は、バチっ! と静電気が弾けるような音を立てながら、ボロボロと小片に砕けたかと思うと宙に蒸発してゆく。
一方、防御の外側にいたロイの方には、幸いにも弾丸は飛んでいなかった。単に、黒一色の人型どもは無力化したロイにこれ以上攻撃をしても無意味だと判断しただけかも知れない。
しかし、弾丸の雨が止んだ直後、1人の人型がシュワァッ、と旋風が立つような有様でロイのすぐ隣に立つと、うつ伏せに倒れている彼の制服の襟をグイッと引っ張る。そしてそのまま小走りで進み始める…より一層黒色の濃い影で覆われている、ロビーの隅を目掛けて。
旧時代的な常識で考えれば、自ら行き止まりに進む愚かな行為にしか見えないが…。魔法科学に登場によって、物理法則までもが覆されかねない現代に生きるノーラは、目にした光景に対して多大な不安を確信する。
あの黒い人型は、ロイごと壁の中に入り込み、彼を浚ってゆくだろう…と。
何が目的でロイを欲しているのか、その背景は想像できないものの…。
(そんなことは、させないっ!)
理屈など考える暇もなく、ノーラは蒼治の腕を振りきって、方術陣の防御の中から弾丸のように飛び出す!
「ノーラさん!? 考えなしに動いちゃ…!」
背後から投げかけられる蒼治の諫めなど露ほども気にかけず、ノーラは一気に黒い人型の元へ肉薄する。
道中、幸いにもロビー中を取り囲む人型どもからの射撃はなかった。銃身の外観通り、連射には向かず、次弾の準備まで時間がかかるようだ。
これを絶好の好機とばかりに、全力で疾走して褐色の疾風となったノーラは、かけ声も口にせず問答無用で大剣を横薙ぎに一閃。人型の首から上を斬り飛ばした。
…いや、刀身が通り抜けた顔面は弾けるには弾けたものの、やはり煙のようにフワリと揺らぐだけだ。そのまま人型はロイを取り残して、全身を蒸発させて姿を眩ます。
「ロイ君、大丈夫!?」
ノーラは脇目も振らずに俯せで大の字に倒れるロイを、素早く肩に担ぐ。今だ全身の痺れが抜けないロイは、頸とガックリとうなだれたまま、全く呂律の回らない舌でノロノロと謝罪らしき言葉を口にする。
「ふまへぇ…へま、はへはへちまっは…」
何を言っているのか聞き取れなかったこともあり、ノーラは特に返事を返すことをせず、代わりに素早く転身して蒼治たちの方へと足を急がせる。
ロイの症状はじっくりと解析すれば、ノーラならば確実に快癒させられることだろう。だが、余裕に乏しい交戦の中では、もっと治療に長けた人物に任せたほうが安心だ。
(相川さんの治療技術なら…私なんかよりずっと早く、ロイ君を治せるはず…!)
昨日、アオイデュアで天使と交戦した後に見せた、紫の優秀極まりない治療術を思い出す。
その紫の元へと、有らん限りの力を振り絞って疾走するノーラであるが…蒼治の防御用方術陣の障壁に至るより早く、ロビー中からババババァンッ! と発砲音が響く。
ノーラの足が先か。それとも、黒一色の人型どもの弾丸が先か。怖々と目を細めたくなるような緊張が、空間を駆けめぐる。
その緊張の拮抗状態を大きく崩したのは、パニック状態ばかりが目についていた紫だ。
「早くっ!」
そんなかけ声は、紫自身の背に装備されたバーニア推進機関の駆動音にかき消された。土埃をもうもうと上げながら、青白いバーニアの噴射の軌跡を残しつつ、紫はまさに一瞬でノーラのすぐ隣へと至る。
この時にはすでに、弾丸は3人の身体まであと十数センチほどまで迫っている状況だ。
この窮地に対して紫が取った行動。それは、右拳部の装甲内部から3本の電極様機関を解放すると、即座にバチバチと明黄色の電流を放ちながら、地面に「砕け散れ!」とばかりに叩きつける。
転瞬、紫の拳を中心に、半球状の明黄色の電流の爆発が起きる。激しい電場の奔流にノーラやロイはおろか、紫自身の髪もブワッと盛大に逆立つ。とは言え、細胞内の電子が狂乱して肉体を灼き焦がすような悲惨な現象は起こらない。体毛がチリチリと逆立つ不快感に襲われる程度の影響しかない。
だが…この電流の爆発は、黒一色の人型どもに対しては、全く異なる影響をもたらす。
電流に飲み込まれた弾丸は、風船が弾けるような有様でプクッと膨れてパァンと爆ぜる。そして電流の放つ光明に晒された人型達は、砂嵐にでも襲われたような有様で全身を縮こめて腕で顔を覆い、完全な防御態勢を取る。そんな彼らの輪郭のぼやけた体表では、重度の火傷のような水疱様の傷がブクブクと発生する。
「よっしゃっ!
先輩っ、ノーラちゃんっ! この間に、早くロビーを抜けるよっ!」
紫はノーラをグイッと引っ張り、背部のバーニア推進機関を全開にして、暴風の勢いでロビーを突き抜ける。蒼治は紫に見向きもされずに残されてしまっていたが、そんな状況に苦笑を浮かべつつも不満を表情に張り付けることなく、サッサと足を動かしてロビーから脱出する。
ロビーを抜けたには短い通路が続いており、その突き当たりには元来た方向とは別の出入り口がある。この出入り口は強化プラスチック製の引き戸になっており、表面には激しい亀裂が幾筋も走っている。
この引き戸の手前で、紫たち3人は蒼治の到着を待っていた。ロイはまだ治療されておらず、ノーラの肩にすがりついている状態だ。紫はそんな支え合う2人を背後に匿い、ロビーの方を向いて身構えている。
合流した蒼治は紫と並んで立つと、ロビーの方向に視線を投じたまま、彼女に感心を含めた言葉をかける。
「さっきの状況下でよくも、アイツらの弱点を割り出せたな…!」
「別に、あの場でアイツらの存在定義を解析したワケじゃないですよ。
思い出したんですよ、アイツらのこと」
「思い出した…?」
「はい。以前、人類分類学の授業で習ったんですよ。
アイツら、『影様霊』ですよ。つまり、死霊です」
影様霊。それは、旧時代の地球から知られている死霊の一種である。当時は肉眼で知覚されるよりも、画像の中に不鮮明な人間状の影として捉えられることが多く、心霊写真の有名なパターンとしてよく知られていた。
魔法科学が登場した現代では、死霊たちは人類審査委員会が定めた基準さえ満たしていれば、人類として認定され人権を耐えられる立派な種族として確立している。旧時代的な思考の持ち主は"死霊"という名前の響きから彼らにあまり良い印象を持たないが、彼ら自体は多くの種族と同様、良いも悪いもない世界の住人である。
…しかしながら、今回星撒部一同に襲いかかってきた一団は、間違いなく危険な存在と断定できよう。
「癌様獣とか言う化け物に、大型機動兵器に、今度死霊か…。
この都市国家は、一体どうなってるんだ…。戦争は終わったんじゃないのか…?」
うんざりした様子で言葉を吐く蒼治に乗っかり、紫がチラリと背後のノーラに視線を走らせながら、普段の毒を取り戻してトゲトゲしく語る。
「誰かさんが向こう見ずな仕事さえ取ってこなければ、今頃私たちも子供たちとぬくぬく折り紙して過ごせてたのにねー!」
「ご…ごめんなさい…」
しゅん、と肩を落としたノーラがたまらずに謝罪を口にすると、未だ麻痺が取れないロイが下がった肩を伝って床にズルリと落ちてしまう。
「ぶへぇ!」
倒れざまに顎を強打してしまったロイが間抜けな声を上げると、ノーラは慌ててしゃがみ込んでロイを持ち上げる。
「ご、ごめんなさいっ!」
「あーあ! "霧の優等生"なんて名前が、笑わせてくれるわー!」
紫がハンッ、と鼻で笑いながら、キツい調子で責めてくる。再びこちらに走らせた視線に、烈火のような怒りがチラついているところを見ると、ロイを蔑ろに扱ったことに相当怒っているようだ。
「ひょ、ひょんにゃに…」
「そんなに責めるな、相川。今はそんな場合じゃないだろう」
呂律の回らない舌でフォローしようとしたロイの言葉を引き継いで、蒼治がヤレヤレと言ったため息を含ませながら紫を諫める。紫はベッと舌を出して悪びれる。
そんな紫の意地悪な仕草が引き金になってしまった…というのは言い過ぎであろうが…。
丁度良いというか、不幸にもというべきか、このタイミングで星撒部一行の命運をまたまたも揺るがす事態が起きてしまう。
ガァンッ! すぐ間近で雷が落ちたかのような、轟音。そして、ビル全体に響きわたる、激震。
何事か!? 音のした背後へと一斉に振り向く、星撒部部員たち。視界一杯に映る、激しく亀裂の走る強化プラスチック製引き戸の向こう側…そこに在るのは、こちらに砲口を向けた多足歩行戦車。
「くそっ! こんな所で!」
蒼治が罵声を上げるのと、多足歩行戦車の砲口の奥に魔術励起光がぼうっと灯るのは、ほぼ同時だ。なんとか逃げ出さねばならないが、唯一の退路である背後の通路の奥には、影様霊どもが待ち受けているはずだ。
「突破するしかないですね…っ!」
ノーラが右手に大剣を構え、左腕でしっかりとロイを負った状態で、引き戸の向こう側へと跳び出そうと前傾姿勢を取る。多足歩行戦車の砲撃は恐ろしいが、図体のデカい相手はこちらほど機敏には動けないし、死角も多い。特に、脚部に持ち上げられた腹部の下に潜り込めれば、砲撃は確実に回避できる。
ノーラの判断を瞬時にくみ取った蒼治も紫も文句は言わず、彼女に従って跳び出そうと一歩踏み出す――。
そして、一同は一斉に――盛大に、その場にすっ転んだ。
「えっ!?」
「なっ!?」
「ちょっ!?」
呂律の回らぬロイ以外の3人が、状況を把握できずに声を上げる。彼の見に起きたことは、皆同じだ。駆け出そうとした足が、全く上がらなかったのだ。
慌てて足下を見やると…影に覆われた床が忌々しい沼地のように、彼らの足首までスッポリと掴まえている!
「ま、まさか…!」
この状況を目にして、いち早く事象の原因に思い当たった紫が、表情に焦燥の蒼白と苛立ちの赤味を同居させながら、眉値に深い皺を寄せて床を睨みつける。
そして紫は、色濃い影の闇の中に溶け込むようにして存在する、まるで餅のように丸々と膨らんだ幾つかの"それ"を見つける。その正体は、床から生首のように生えた、影様霊の頸だ。
(そうだ、こいつらってば…影を自在に利用できるんだっ!)
影様霊はその名に影と言う言葉を冠しているように、影と密接な関係を持つ。彼らは影を、ある時は影同士を繋ぐ扉のように、ある時は自在に形状を変えられる粘土のように、そしてある時は自分の身体の延長として利用することが出来る。
今、彼らが星撒部一同に対して行っている攻撃は、"扉"と"身体の延長"の合わせ技だ。床に広がる影を巨大な掌のように使って一同の身体を拘束し、何処かへと引きずり込もうとしている。
それとも、多足歩行戦車と結託し、砲撃の確実な餌食となるように拘束しているのかも知れない。
どんな真意があるにせよ、この状況が非常にマズいことには変わりない。
(砲撃が来るまでに、間に合うかしら…!)
紫はギリリと歯噛みしながら、まだ影の中に飲まれていない右手を振り上げ、装甲から突出した3本の電極様機関に電流を宿す。ついさっきやってのけたように、電磁場の炸裂で影様霊たちを振り払うつもりだ。
影様霊のみならず、死霊という種族は電磁場の塊である。故に、周波数をうまく調整した電磁場を作用させることで、彼らに多大な影響を与えることが可能だ。
ヴウン…と大気を電離させる鈍い音が響き、電極の間に蛍光灯の照明のごとき輝きが宿る頃。多足歩行戦車の砲口の中でも、魔術励起光が真夏の陽光のような激しい輝きを放つ。互いに、行動を起こすのに十分な準備が整ったのだ。
(イチかバチかってトコかな!? でも、これ以外に選択肢なんて、ないっ!)
容易に脳裏を過ぎる最悪の未来にジットリとした冷や汗を噴き出しながらも、紫は意を決して目を見開き、帯電した拳を影の広がる床に叩きつけにかかる。
一方で、多足歩行戦車の砲口の奥から、膨張するように魔術の輝きがせり上がってくる…その最中のこと。ガゴンッ、ガゴンッ! と甲高く、重く、そして痛々しい金属の衝突音が響きわたり、多足歩行戦車が大きくバランスを崩す。砲口が大きく逸れてすぐ間近に地面に向かってしまい、発射済の砲弾は停止しようもなくそのまま大地に激突。盛大な爆炎の柱を上げる。
「何だ!? 何が起きたんだ!?」
蒼治が眼鏡の向こう側で瞼をパチパチさせながら、もうもうたる炎と煙の合間に視線を投げる。すると、多足歩行戦車の車体に群がる、"凶蟲"タイプの癌様獣の姿が見えた。どうやら、横合いから多足歩行戦車に激しく体当たりして絡みついたらしい。
事態はますます混迷の色を深めたが、紫にとっては紛れもない好機だ。後ろ髪を引く不安要素は片づいた。これで心置きなく、影様霊への攻撃に専念できる!
ドンッ! ビルごと揺るがせ、と言わんばかりに拳を叩きつけると、バチバチバチッ! と派手な電離音を響かせて、明星のような電磁場の爆発が起こる。影様霊どもはたまらず床に広がる影の中から飛び出して、疾風のように通路の奥へと退避するが、その背中は重度の火傷を負ったように無惨な水疱だらけになっている。
影様霊が去ったお蔭で、影の拘束から解放された星撒部一同は一斉に立ち上がると、視線を交わし合って互いの状態に変化がないことを確認。そして、出入り口に一番近い位置にいるノーラがロイを負っていない右肩から強化プラスチック製の扉に体当たりし、扉をガゴンッ! という無惨な音と共に吹き飛ばしながら、通りへと身を躍らす。そのすぐ後ろを紫、蒼治の順序で続く。
通りは片側ずつ2車線になっている、道幅が結構広い道路になっている。そのほぼど真ん中に倒れ込んでいる多足歩行戦車を横目に、4人は未だ晴れぬ爆煙の中を掻き分け、混戦の場から早々に離脱するべく、またもや全力疾走する。
『あ…っ! この…逃がさないわよっ!』
背後から、エコーの掛かった女性の声が投げつけられる。どうやら、多足歩行戦車のスピーカーが発声したものらしい。この戦車の搭乗者が女性なのか、それとも戦車に搭載されたAIが女性格なのかは、判断出来かねるが。
それはともかくとして、戦車の行動は叫ぶだけに留まらない。車体上部装甲の幾部分かをカパリと開き、機銃を出現させると、逃げる4人に向けて掃射を開始する。
しかし、今だに車体に取り付いて離れない癌様獣どもに苛まれ、うまく照準が合わせられないようだ。銃弾はかなり滅茶苦茶に4人の足下や頭上などを通り過ぎてゆく。とは言え、中には直撃コースで驀進してくる弾丸もあるので、決して油断はできない。
危うい弾丸はしんがりの蒼治が小規模の防御用方術陣を都度展開して弾き返し、事なきを得ている。が、安心するどころか、蒼治は眼鏡の向こう側で目をギョッと見開く。というのも、戦車に取り付いていた癌様獣の一部がギョロリとこちらに充血した眼球を向けると、一目散に追撃を始めたからだ。
弾丸の雨と癌様獣、その凶悪な二重奏が不協和音の木霊のように迫り来る。
「くそっ、なんだって言うんだ!
なんで僕達を、ここまで執拗に追い回すんだ、こいつらは!」
これまでの散々な逃避行に溢れんばかりの嫌気を抱きながら、蒼治は唾棄する。方術陣を展開しながら、癌様獣に対抗すべく後ろ走りをしながら、双銃の銃口を向ける。
彼が引き金を引くより早く…今度は、先頭のノーラから慌てた声が上がる。
「そんな…先回りされた!?」
そう、4人の進路上…盛大に傾いて道路の向かい側の建造物にのしかかっているビルが作り出す太い影の中で。大地を染める黒色の中から、餅が膨らむようにプクプクと丸みを帯びた隆起が出現し…数瞬後には、膝を立てて屈み、長銃を構えた影様霊の縦列陣が出現する。
「もぉっ!! 今日は挟み撃ちのバーゲンセールでもやってるワケぇ!?」
紫が自暴自棄気味に泣き笑いながら叫ぶ。彼女のみならず、星撒部の間に暗澹とした失意と疲労感が漂い出す。
今回は横に脇道もなく、左右には入り口部分が完全に潰れた建物ばかりが並ぶため、屋内へ逃げ込むことも出来ない。前後は言わずもがな、敵勢によって塞がれてしまっている。この状況で見いだせる唯一の逃走経路は…上空だけだ。
紫なら魔装のバーニア推進機関で飛行することが可能だし、ノーラも蒼治も『宙地』による空中歩行が可能だ。ロイが健在ならば、竜翼で軽快に飛行出来たであろうが、彼の麻痺は一向に回復する兆しを見せない。ノーラが担いだまま、空へ歩き出すことになるだろう。
3人は一瞬だけ顔を見合わせ、無言ながら以心伝心並の意識合わせを行うと、一斉に空へと視線を向ける。
逃走経路を上空に取ることを、決意した瞬間だ。
だが、折角決意した、その直後。彼らの眼は一斉にギクリと丸く見開かれ、プルプルと震える。
何故ならば…ヴォンヴォンヴォン、と浮遊感のある鈍い電子音と共に、積雲のような影が3つ、上空を塞いだからだ。
唯一の逃走経路も潰されてしまった…水が凍り付き、そのまま破裂してしまうかのような冷えついた絶望感が一行の中に広がる…が。
冷たい時間は、束の間のこと。焦燥で開ききっていた瞳孔がスゥッと収縮し、パチクリと瞬きをすると…彼らの眼に、安堵の光明が灯る。
上空に現れた、積雲のごとき3つの影。その正体は、風霊エンジンで飛行する、3隻の小型飛行戦艦だ。これが全く見知らぬ戦艦ならば、多足歩行戦車の勢力の増援、または新手かと疑って絶望の深淵にたたき込まれたことだろう。しかし、幸いにも、戦艦の船底中央に張り付いている所属組織のトレードマークは、この窮地においてなお一行に綿毛のような安堵感を与えてくれた。
地球と、それを囲むハトの翼を持つ輪っかのマーク。地球の治安維持を謳う世界的機関、地球圏治安監視集団のものだ。軍団ごとに定められている輪っかのカラーは、深い紫色である。
星撒部部員の顔が、歓迎の色に綻ぶ。彼らの知る通りならば、地球圏治安監視集団の職務は民間人である彼らを襲撃している、その他勢力の成敗にある。星撒部の一同は、心強い援軍を得たのだ。
「なんとか、助かったみたいだな…!」
一同の気持ちを代表して、蒼治が安堵の吐息と共に小さく叫んだ。
◆ ◆ ◆
一方。星撒部一同の交戦地点から、かなり離れた距離にある、とある場所で…。
デスクと椅子、そして壁にデカデカと掲示されたアルカインテールの地図以外に全く飾り気のない、ガランとした一室にて。デスクの上に組んだ両足を乗せ、腰かけた椅子をギィギィ鳴らしながら体重を掛けて揺らしている、1人の男がいる。
深い紫色のコートに身を包んだ大柄な男だ。目深に被った軍帽の中央には、深い紫色の輪を持つ地球圏治安監視集団のトレードマークがついている。
コートの胸元には様々な徽章がゴチャゴチャと着いており、組織内でまとまった権能を持つ地位と、見栄えをあまり気にしない性格が伺い知れる。
男は、暇を持て余している。とは言え、業務を放棄して権力を振りかざしているだけで済むような身分と云うワケではない。彼の現在の職務が単に、待機することなだけなのだ。
くかー、くかー、と寝息のような規則正しい、脱力した呼吸を繰り返すこと、もう数十分。本当に寝入ってしまいそうになる一歩手前で、どうにか意識と格闘していると…。トントントン、と部屋の扉が早いテンポで叩かれる。
ピクン、と男は身体を小さく揺らして椅子の動きを止めると、太くて大きな唇をニィッと笑みの形に歪める。不本意な退屈が破られたことを、心底喜んでいる表情だ。
「おう、入ってこいよ!」
姿勢を正すことなく、扉の向こう側にいるノックの主へ叫ぶ。すると即座に、扉はキュイン、と小さな駆動音を上げて自動でスライドする。
開ききった部屋の出入り口からキビキビした足取りで入ってきたのは、これまた深い紫色のコートに身を包んだ、オオカミの顔と尻尾を持つ獣人属の軍人である。
「ラングファー中佐。クラウスの部隊から報告が入りました」
「今頃かよ。予定時刻よりずいぶんと遅ぇじゃねぇか」
男――地球圏治安監視集団の"パープルコート"軍団所属の中佐、ゼオギルド・グラーフ・ラングファーは、下士官からの丁寧な報告に対して荒々しい言葉遣いで返答する。別段、機嫌が悪いというワケではなく、この男の粗野な性格の現れだ。
「で? 合流は出来たのかよ、イミューンの部隊とはよ?」
足でデスク面をグッと踏みつけると、椅子はガタンッ、と軋む音を大きく立てながら、倒れ込みそうなほどに傾く。そこでゼオギルドは非常にうまく体重移動を行って体勢を立て直し、両足を地につけた形で座り直す。
転瞬、着地の勢いのままに上体を起こし、デスクの上に肘を立てて、下士官の眼前へと上半身をグイッと突き出す。
餌を前にして長時間耐え続けた末、ついにありつけた肉食獣の凄絶なしたり顔にも似た表情が、彼の顔に浮かぶ。その威圧感に、オオカミ面の下士官はギクリと身体を硬直させ、やり場に困った視線を両手に掴んだタブレット端末に落とす。
「そ、それが、その…」
「あぁん? なんか問題でも起きたってのか? それならそれで、サッサと報告しやがれ」
「え、えぇと…。
と、ともかく、この映像をご覧下さい」
下士官は獣毛で覆われた指をギクシャク動かしながらタブレット端末を操作すると、彼とゼオギルドの間に平面型のホログラムディスプレイが出現する。
ディスプレイが表示しているのは、瓦解した街並みの俯瞰アングルでのフルカラー映像である。その中央には、安堵した表情でカメラ目線を送っている、同じようなデザインの制服を着込んだ一団――星撒部の部員4人が映っている。
つまり、この映像はノーラたちの上空に現れた飛行戦艦が撮影しているものだ。
また、ディスプレイの中には、体勢を崩してもがいている多足歩行戦車や、それにアリのごとく群がる癌様獣の群も鮮明に写っている。ただし、倒れたビルの影に潜む影様霊の一団だけは、ビルに邪魔されて映像には映らない。
この光景を目にしたゼオギルドは、太い金色の眉毛を思い切りしかめる。
「なんだぁ、おい!? こいつら、イミューンどもじゃねーぞ!?
ったく、クラウスども、何を経費浪費して追跡してんだよ!」
「イミューンの部隊の到着予定時刻に、この都市国家に進入しては、派手に交戦していたとのことで…。てっきり、イミューンの部隊が"いずれかの勢力"の襲撃を受けたものと考えたようです…」
下士官の説明は筋が通っている。事前に通知された情報のタイミングで事態が発生したのだから、まさか全く尾別の事態が偶然発生していたなどと夢にも思わなかったことには、同情できるはずだ。
しかしゼオギルドは、露骨に露わにした非難を引っ込めることなく、映像に噛みつかんばかりの粗暴な勢いで、ハァー! と溜め息を吐く。
その後、興味を失ったように脱力し、椅子に一気に全体重をかけて座りこむ。椅子はギシギシッ、と破壊されそうな悲鳴を上げて、大きく後ろ方へ倒れ込む。そこですかさずゼオギルドは両足をバッと上げたかと思うと、ドッカとデスクの上に振り下ろして、組む。そして、下士官が入室する前の、やる気のない待機体勢へ戻る。
これに面食らった下士官は、数瞬の間、視線をディスプレイとゼオギルドの顔の間で交互に行き来させていたが。やがて、怖ず怖ずと声を掛ける。
「あの…如何しましょうか?
大佐に、ご判断を仰いだ方が良いのではないでしょうか…? 相手は、事情を知らない民間人です…それに、オペレーターによれば、制服から判断するに彼らは自由学園都市ユーテリアの生徒のようですから…」
「あーあー、知ってるっての。有名な話じゃねーか。
つーか、てめぇ、尉官にもなってオペレーターに聞かねーと、そんなことも分かんねーのかよ?」
「す、すみません…勉強不足なもので…」
「大方、成績点稼ぎに空間汚染された戦地の観察にでも来てたんだろうよ。で、小賢しくもカラクリに気付いて、こっち側に足を踏み入れちまったってトコだろうな。
運が悪ぃっつーか、余計なことに頸を突っ込むバカっつーか…。まぁ、オレ達にとっちゃ、ただのメンドクセー異物でしかねーけどな」
帽子の内側に手をつっこみ、くすんだ金髪の茂る頭をボリボリと掻きむしる。目にした状況に向けてか、それともそんな情報をもってきた下士官に向けてか、心底面倒臭そうな態度だ。
「は、はぁ…。
そ、それで、大佐には指示を仰がなくてよろしいのですか…?
ユーテリアは、我々とは非常に良好な関係にありますし…"英雄の卵"と称される彼らも、一介の民間人ですから…その…邪見に扱うのは得策ではないと思いますし…。かと言って、我々が抱える事情を鑑みますと、全面的に保護するというワケにもいかないかと思いますし…。
難しい判断かと思いますので、大佐にお伝えするのが定石だと思うのですが…」
ゼオギルドの不服そうな態度を刺激しないよう、精一杯気を遣って怖ず怖ずと提案すると。ゼオギルドは一考することもなく、瞬時に「バァーカ!」と声を上げる。
「何にも難しいことなんてねーだろ。
オレ達がこの都市国家で何をしてンのか、少し考えりゃソッコーで答えが出るだろーが。
大佐殿に指示を仰ぐほどのものじゃないっつーの」
「そ、それでは…ど、どのような対処を…?」
訝しむオオカミ面の下士官の様子を、ハッ、と鼻で笑ってゼオギルドはサラリと答える。
「目撃者は、消せ。事情を知らねーヤツなら、尚更のこと、速やかにブッ殺せ」
- To Be Continued -