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Borderland - Part 2

 ◆ ◆ ◆

 

 偽装空間の向こう側にたどり着いたからと言って、直ちに何か分かるというものではなかった。

 見渡す限りの瓦礫、瓦礫、瓦礫ばかり。特筆すべきものは何1つないように見受けられる。

 ――"見受けられる"と言及したのは、視覚的な情報に限れば、ということを強調するためだ。では、他の感覚の観点に立つことで、何らかの特徴を確認できるかと言えば…。

 「…なんか、遠くの方が(やかま)しいわね」

 紫が眉根に(しわ)を寄せて、そう評した。

 彼女の言葉通り、都市(まち)の遠方からは、ズゥーン…ズゥーン…と、くぐもった雷鳴のような鈍い轟音が断続的に聞こえてくる。

 「確かに…何の音だ? 爆発音みたいな感じだが…」

 蒼治が首を傾げてそう感想を述べると、彼の背後でノーラがギクリとする。

 「そんな、爆発音って…この都市(まち)の戦争状態って、もうすでに終結したという話でしたよね…?

 なんで今になって…爆発音なんて物騒なものが聞こえるんですか…?」

 「僕は"感じ"って言っただけで、確定したワケじゃないよ」

 オロオロするノーラに対して、蒼治は苦笑しながら言及する。

 「とは言え…この位置に居ても、この音の正体は確認できないな」

 蒼治は前方に向き直り、誰ともなしにそう呟いた。

 彼の言う通り、一行の現在位置周辺は建造物に由来する背の高い瓦礫が林立していることもあり、遠方まで見渡すことはできない。先の轟音が本当に爆発音だとしても、爆煙を確認できるような状態ではない。

 「もう少し、見通しの良いところまで移動してみよう」

 蒼治は後輩たちにそう言い残すと、彼らの答えを待たずに素早く歩みを進める。後輩たちも先輩である蒼治の提案以外に何かやれることも考え付かないので、異論を挟むことなく黙って従う。

 蒼治が歩く道のりは、入都ゲートからそのまま続く道路の成れ果てである。激しい亀裂が走ったり、大小の瓦礫が散らばっていたりと路面の状態は最悪だが、元々はゲートから入ってきた鉱物資源輸送車が利用する基幹道路だったらしい。市壁に沿ってグルリと巨大な弧を描くこの道路に沿って進めば、都市の中心部に延びる別の基幹道路に合流する可能性は高い。

 一行が足場の悪い道をヒョコヒョコと歩いている途中、視界には特に目新しいものが入って来ることはない。相変わらずくぐもった轟音が遠方の雷鳴のように続いているばかりだ。この音さえ無ければ周囲の光景は、悲壮感を通り越して退屈さをもたらしていたことであろう。

 無言で歩くこと、十数分ほどの後。ついに道路にT字路が現れる。市壁と正反対の方向には、今まで歩いてきた道路よりも更に幅の広い道路が真っ直ぐに延びている。

 先頭を歩いてきた蒼治がすかさず、道路の遠方へと視線を投げるが…。

 「うーん…これじゃあ、分からないなぁ…」

 すぐに首を左右に振って、眉をひそめる。それもそのはず、道路は左右を背の高い摩天楼に囲まれているのだが、そのうちの何本かが盛大に傾いたり倒れたりしていて、視界を塞いでいるのだ。

 「うわぁ…すごい光景ですね…」

 蒼治に追いついたノーラもまた、道路の遠方に視線を投げると、固唾を飲むような感嘆の声を上げる。

 昨日のアオイデュアの火炎地獄と化した街並みも壮絶であったが、骸骨を連想させるような退廃的な街並みが視界一杯に遠く遠く続いている様も、なかなかに壮観である。

 とは言え、感激したところで、何か新しい情報が得られるわけでもない。かと言って、視界が晴れる場所を求めて、この長い長い道路をひたすら進むのもナンセンスだ。そもそも、この道路の先に開けた場所があるかどうか、確証も持てない。

 蒼治が、どうするべきか、という言葉を表情に張り付けて顎に手をおいて思考に耽り始めた頃。彼の背後で紫が一つ咳払いしてから、提案する。

 「私が"尋ねてみる"わ。

 えーと…ここら辺のどこかに…」

 何に"尋ねてみる"のか、という疑問を挟む隙も与えずに、紫は瓦礫ばかりの大地に視線を落として見回す。しばらくそうした行動の後、「あった、あった!」と小さく叫んで、小走りに移動する。

 移動した先の地点は、一見すると、周囲の光景に比べて何の変哲もない場所である。だが、紫がスッとしゃがんだ時、ノーラはふと気付く。紫の足下に、タンポポに似た形の植物がアスファルトの亀裂の隙間から生えている。芽生えてからそれほど時間が立っていないようで、葉は小さくて初々しい黄色がかった緑色をしており、花などは付けていない。

 この植物に対して手を伸ばした紫は、

 「ゴメン、葉っぱを1枚、もらうね」

 と優しく声をかけながら、丁寧に両手を使って、ノコギリ様の葉を一枚千切る。

 これを手にして立ち上がった紫が、次は何をするのかとノーラが注視していると。彼女は葉の断面の周辺を、唇でフワリと挟んだのだ。

 そして紫は、葉の断面から滲み出る植物の汁でもジックリ味わうように、目を軽く閉じ、ゆっくりと呼吸を繰り返す。唇の端がピク、ピクと動いているのが見えるが、これはどうやら舌を動かしている証のようだ。断面を舐めているらしい。

 この行動の意味を理解できず、小首を傾げていたノーラであったが…ふと、脳裏に学園での授業の1コマが過ぎると、「あっ」と小さく呟いて気がつく。

 紫の行動は、現代のサバイバル技術において"植物読プラント・リーディング"と呼ばれる、立派な情報収集行為だ。ノーラは極地における活動にはあまり興味がなかったため、極地環境およびサバイバル系の授業は教養程度にしか受けていなかったため、その用語がスルリと頭の中から出てこなかったのだ。

 (確か…)

 おぼろげな記憶を辿り、ノーラは教師による"植物読プラント・リーディング"の解説を思い出す。――植物は成長や活動こそ動物に比べれば速度は穏やかだが、その身に受ける時間経過は動物と変わらない。むしろ動きがゆっくりな分、過去に経験した事象が魂魄に沈着しやすい、という特徴がある。これを利用して、植物の魂魄から過去の事象の形跡を辿り、思考内で解析する。それが、この技術の概要だ。

 紫はクラスの中でも、極地を含めた環境学ではダントツの成績を誇る。そんな彼女にとって"植物読プラント・リーディング"とは、双眼鏡で周囲を確認するのと等しいほどの定番の情報収集行為であろう。

 葉っぱを味わう…いや、味覚を通して葉っぱの魂魄にアクセスし、解析すること、数十秒程度。ゆっくりと瞼を開き、薄い桜色の唇から真紅の舌をチロリと出しながら葉っぱを口から取り出して、右手の指で[[rb:摘]]まむと。そのままクルクルと回して(もてあそ)びながら、眉根に渓谷のような深い皺を寄せる。

 「どうしたんだ?」

 ただならぬ様子に蒼治が尋ねると、紫は真冬の空の元に薄着で放り出されたようにブルブルッと震えてから、岩でも噛み砕くような堅い調子で答える。

 「すっごい、悪寒の味…。この植物()、現在進行形で、ひどく怯えてる。

 それに…煙臭いのとか、焦げ臭いのとか、感電するみたいなピリピリしたのとか…ともかく、不味(まず)い味ばっかり。それも、1ヶ月前とかそんなんじゃない。極最近…そうね、2、3日前の記憶の味かな」

 煙臭い、焦げ臭い、そして感電するような味…その言葉はどれもこれも、きな臭いものばかりだ。これには蒼治のみならず、ノーラも紫同様に眉をしかめる。

 「君の言葉を(かんが)みると、どうも"戦闘"って単語が連想されるんだけど…」

 「そうですね」

 蒼治の問いかけに、紫ははっきりと首を縦に振る。

 「私も、そう思いますよ。この植物()から、燃えるだとか潰されるだとか云うことに対する恐怖がひしひし伝わってきましたからね。

 かなり派手なドンパチやってるような感じですね」

 「そ、そんな…!? それじゃあ…ホントに…この都市(まち)の戦争状態が、今も続いてるってこと…なの!?」

 ノーラが悲鳴に近い声を上げる。自らが受けた"クマのヌイグルミ探し"だけでも途方に暮れる任務だと思っているのだ。そこに、混沌の化身たる戦争が加わっては、話が更にややこしくなるどころの話ではない。

 「しかし、気になるのは…」蒼治が例によって眼鏡を直しながら堅い言葉を挟む、「植物が現在進行形で怯えている、ということだな。この場所に、何か物騒なものでも仕掛けられてるいるのか?」

 言いながら、キラリと輝く眼鏡越しにキョロキョロと周囲を見回していると…突如、ギクリ、と蒼治の身体が固まる。

 魔術に造詣の深い蒼治のことだ、魔化(エンチャント)系の戦術トラップでも見つけたのだろうかと、女子2人がそちらの方を向くと…彼女らもまた、ギョッと目を見開いて固まる。

 3人が見たもの、それは危険な魔化(エンチャント)でもなければ、露骨な兵器でもない。――ロイである。

 考えてみれば、入都する前まで騒がしかった彼が、急に黙り込んだままになっていた状態は異様であった。

 そして、3人の視界に映るロイの有様は、正しく異様そのものである。

 その姿はまるで、仇敵を前にして全身の総毛を立たせて威嚇するネコを思わせる。ただし、ロイはネコどころではない、正真正銘の(ドラゴン)だ。そんな彼の迫力といったら、ネコの比どころではない。真紅の髪からは槍先のような角が鋭く天をめがけて延び、両手は黒々とした鱗に覆われた長い鉤爪を持つ竜腕へ変化している。両足も靴が完全に破裂し、手と同様な強靱な黒竜の足が露出している。尻尾は鱗に幾重ものトゲが生えた凶悪な状態へと変じている。背に翼こそ現れてはいないものの、ほぼ本気の臨戦態勢だ。

 鋭い牙が露になる口からグルルル、と威嚇を込めた咽喉(のど)鳴りを漏らす剣呑極まりないロイに、額にジットリと冷や汗を張り付けたノーラが()()ずと尋ねる。

 「ロイ君…? い、一体…どうしたの…?」

 「お前ら、気付かねーのか!?

 物(すげ)ぇ量の殺意だぞ! この辺りに近づいた頃から、急にオレ達に向けて来やがった!

 どこからって方向は分かんねーけど…! ともかく、かなりヤバいぜ!」

 「うっそ!? 殺意!?」

 「気配なんか、全然感じないぞ!? 生命の存在を裏付けるような術式だって、全く感知できてないし!?」

 紫も蒼治も、ロイの言葉は全くの想定外だったようだ。激しくキョロキョロと首を回しながら、周囲の確認を行うが…。どう見ても、死に絶えた荒廃の閑寂の有様しか目に入ってこない。どこにも、爪や牙を研ぐ凶暴な要素など見受けられない。

 しかし、『賢竜(ワイズドラゴン)』という希有にして特殊な存在であるロイが、その特異で鋭敏な知覚で把握し、殺気むき出しで警戒しているのだ。これを気のせいだと笑い飛ばすことは、とてもでないができはしない。

 何度も何度も視界を巡らせても、殺意の主は確認できない。雲を掴むどころではない、全くの暗中模索の状況に、ノーラ達は自然と互いの死角を補うべく、背中合わせになって1箇所に固まる。蒼治も愛用の双銃を取り出して身構え、4人全員が臨戦態勢を取る。

 「どこに居るってのよ…! これで取り越し苦労だったら、ロイ、アンタのことをブッ叩くかんね…!」

 ジットリと冷や汗を浮かべた紫が、丁度真後ろに位置取っているロイに静かに毒づいた、その時。一滴の汗滴が、ツツーッと瞼の上を滑り、紫の赤みがかったブラウンの瞳の中に入り込む。ジンと沁みる塩気に、紫が左眼をギュッと閉じた。

 

 ほんの一瞬だけ出来た、一行の死角。そこを"敵"は見逃さなかった。

 半分閉ざされた紫の視界の中で…ビルの端っこと思われる、角張った形をした人の身長ほどもある瓦礫が、急激な変化を始める。

 まるで、油粘土細工の作品を一度手でこね直すかのように…瓦礫の形が、グニャリ、と輪郭と外観を失って融け出す。そのまま暗い灰色がかった軟体へと変じた"瓦礫"は、弄ばれるパン生地のようにグニグニと変じると…以前とは全く異なる形態へと変形を完了する。

 この数瞬の過程の中、"瓦礫"は徹底した無音を貫いていた。変形の過程をよくよく観察すれば、表面に非常に鈍い輝きをした蛍光色の魔術励起光が発されていることに気付くことが出来たであろう。この励起光の起因となる魔術は、どうやら形質の変形とともに音声の発生の阻害を行っているらしい。

 こうして変形を完了した"瓦礫"――いや、今や全く瓦礫とは呼べない――の形状は、外観が甲殻類か甲虫に似ている。ただし、外骨格は光沢を抑えた鈍い色の金属装甲であり、間接から覗く筋肉繊維は、陽光を反射してキラキラと輝く生体金属繊維だ。地に突き立つ4対の脚は、先端が槍のように尖った凶悪なもので、カニの脚にも見えなくはない。ズングリした胴体はクモにも見えるが、毛は全く存在せず、多少の隆起は存在するもののツルリとした外観をしている。

 そして、頭部。上下左右に円上に収縮する口腔の周囲には、白い牙がズラリと並んでいる。その表面に見えるいくつもの黒ずんだ染みは、何物かを食した痕なのかも知れない。この口器も特徴的であるが、更に眼を引くのは、顔面のほぼ中央にデンと据えられた巨大な単眼だ。瞼を失った人間の眼球に似たそれは、黒々とした光彩とコントラストを成すように、白目が真っ赤に充血し、ブヨブヨと腫れ上がっている。徹夜明けの人物でもここまで酷くはならないだろう、と言うほどの、病的という印象を遙かに越えた不気味な眼球だ。

 "瓦礫"――いや、こいつを一時的に"凶蟲"と名付けよう――は変わり果てた自身の形状を馴らすように、ギチギチゾロリ、と牙を(うごめ)かすと。4対の脚をバネのように引き絞った後、無音のまま烈風の速度で水平方向に跳躍する。

 そして、紫が閉じた左瞼を上げるのと同じ速度で、彼女の方へと肉薄した。

 

 パチリ、と紫が左眼を全開にした、その途端。

 「は…?」

 眼前に迫る異形の凶獣のアップを視認した紫は、驚くよりも状況が理解できず、疑問符を浮かべて間抜けな声を上げた。

 直後、"凶蟲"はグワァッと円形の口を拡張し、ネットリした唾液の糸を見せつける。その不快な光景に紫の危機感がゾワリと機能し始めるが…遅い。彼女の視界の端に、槍のように研ぎ澄まされた刃状の脚の先端が、霞んで見えるほどの高速で迫り来る様子が確認できた。

 いや…霞んで見えるのは、速度のためだけではない。脚自身が超高速で振動していることにも起因する。つまり、"凶蟲"の脚部は高硬度の物体も豆腐のように切断できる、超高周波振動ブレードの役割を成しているのだ。

 (ヤバッ…!)

 紫の脳裏に、自身の頭が横一文字に真っ二つにされる様子が描画される。その最悪の未来を回避しようと理性が叫ぶものの…本能がそれを上回る声量で"手遅れだ!"と叫んでいる。その虚しく惨めな悲鳴によって、紫の足は大地に張り付いてしまったかのように、ピクリとも動いてくれない。ただただ、不毛な冷や汗ばかりがブワリと滝のように全身が吹き出すばかり。もはや紫は、悲劇の虜となってしまった――。

 転瞬――ガギィンッ! 激しく、耳障りな金属の衝突音が、紫の鼓膜をふるわせる。。

 (え…金属音?)

 無意識に眼を閉じてしまっていた紫は、暗い視界の中に響く想定外の音に、キョトンと疑問符を浮かべる。

 状況が呑み込めぬまま、パチクリと瞼を開くと、そこには…"凶蟲"の超高周波振動ブレードの脚部を受け止める、一本の長剣。その刀身もまた輪郭が霞んで見えるが、それはこの長剣自体も超高周波振動ブレードであるようだ。その周波数で"凶獣"の脚部の振動を減衰させることで、悲劇の遂行を阻止しているらしい。 

 唐突に現れたこの長剣は、一体どこからきたというのか? 相変わらず疑問符を浮かべたまま、刀身に沿って視線を這わせてゆくと…。やがて長剣は、(つか)を握り込む両手へ、そしてアオイデュアの制服を着込んだ腕へ…そして遂には、両足を踏ん張って"凶蟲"の体重に抗うノーラの姿にたどり着いた。

 そこで、紫はようやく理解する。今回のあまりに唐突な出来事を前に、神業とも言える反射速度で反応したノーラが瞬時に愛用の大剣を『定義変換(コンヴァージョン)』し、"凶蟲"の攻撃を防御してくれたことを。

 「大丈夫ですか、相川さん…!」

 視線だけをチラリと紫へ寄越しながら雷光のように問いかけるノーラであるが、それもほんの一瞬のことだ。紫の答えを待たずに、ノーラは両足に全力を込めて引き絞られたバネのように大地を蹴ると、"凶蟲"を一気に弾き飛ばす。この際、ノーラの足の裏に方術陣が出現したことから、筋力倍加系の身体(フィジカル・)魔化(エンチャント)によってこの行動を可能にしたことが分かる。

 

 「ギュイィッ!」

 仰け反りながら吹き飛ばされる"、凶獣"。しかし宙を滑るのは一瞬のこと、すぐに刃状の脚部を延ばして大地に突き立て、ブレーキをかけながら体勢を立て直す。

 「な、何なのよ、あいつ!? どっから沸いて来たのよ!?」

 紫の叫びに対して、"凶蟲"が返答だとばかりに取った行動は…背部の装甲を4カ所、パカリと解放して、銃口を出現させる。

 「ちょっ、嘘っ!?」

 未だに状況に対応できずに、慌てるばかりの紫に対し、"凶蟲"は銃口からガガガガッ、と電子的な連続音を放ちながら弾丸を掃射する。放たれた弾丸は単なる銃弾ではなく、魔化(エンチャント)を表現する青や赤の励起光を伴いながら、生物的な曲線機動を描いて迫ってくる。

 これに対応したのも、ノーラだ。紫の前に飛び出しながら、手にした長剣に対して『定義変換(コンヴァージョン)』を発現。肉薄する弾丸の性質に合わせて刀身の性質を変形させると、烈風のように銀閃を(はし)らせ、凶弾をことごとく弾き散らす。弾丸と刀身が激突した瞬間、炎や霜をまき散らす小爆発が発生し、弾丸に込められた徹底的な殺意が見て取れる。

 弾がを弾かれ続けながらも、"凶蟲"は掃射を一行に停止しない。むしろ、掃射速度を速めてノーラの防御行動を手一杯に追い込むと…続いて、腹部の装甲をパカリと解放。そこからは、背部のものよりもずっと口径の大きい砲門が姿を表し、即座に術式を収束させて射撃体勢に入る。

 ――ここに来てようやく、紫の瞳に怒りの色に染まった活力が沸き上がる。

 「こんのッ、キモムシッ! いつまでも調子に乗ってンじゃないわよっ!」

 ようやく口から飛び出した啖呵(たんか)を切りながら、魔装(イクィップメント)の機械装甲のバックパックおよび足裏のブースト機関を爆発的に始動。ノーラが防ぐ弾丸の雨の中をかい潜り、"凶蟲"の真紅の眼球の目前まで肉薄すると。

 「どっせいぃっ!」

 素早くしゃがみ込んだか早いが、右腕部の装甲にある放電機関から盛大な電火を放出しながら、固めた拳で"凶蟲"の顎を殴りつける。バチンッ! と電撃の爆ぜる音と共に、"凶蟲"の巨体が宙に浮き上がる。

 「ンでもって、こいつで…っ!」

 紫の攻撃は終わらない。殴りつけて伸ばしきった右腕に左腕を添えると、両手の合間に魔力を終結。先に魔装(イクィップメント)した際に具現化していなかった魔術機関付き大剣を出現させると、刀身の背についた4つのエンジンを始動。流星のごとき勢いでもって、烈しい斬閃を空間に(はし)らせる。

 (ザン)ッ! 重金属を斬り裂く苛烈な音が、大気に響きわたった時には、宙に浮いた"凶蟲"の巨体は袈裟斬りになっていた。美しい平面をした断面からは、有機体と金属機関が融合した異形の内臓が露わになり、人体の血液と同様のドロリとした真紅の体液がビシャリと宙に飛び出す。

 (奇襲なんてセコい真似してくるから、こんな目に遭うのよっ!)

 胸中で勝ち(とき)を上げ、ニヤリとほくそ笑む紫であったが…その愉悦も、ほんの一瞬のこと。彼女が表情が一転し、雷に打たれたような驚愕に染まる。

 "凶蟲"の傷口から、ブクブクと泡立つように金属質の細胞が増殖。見る見るうちに断面の合間を繋ぐと、油粘土をこねるようにニュルリと滑らかに変質し――何事もなかったかのように、元の状態へと快癒する。

 「嘘…っ!」

 紫の驚愕を冷めぬ間に、"凶蟲"は背中の装甲をパカリと開くと、今度はバーニア機関を露出。鉛直下方に推進材を噴出し、烈風と共に着地すると、腹部から露出したままの砲門で紫を照準しつつ、再び術式を収束。そして、プラズマ状の術式のビームを放出した。

 「ちいぃっ!」

 紫は舌打ちしつつ、大剣の刀身に橙色に輝く術式のフィールドを形成。"凶蟲"が放ったビームに真っ正面から両断するようにぶつけると、ビームは幾つもの細い奔流となったあらぬ方向へと弾き飛ばされ、紫は事なきを得る。

 だが、"凶蟲"の殺意に満ちた攻撃行動は終わらない。一気に紫の眼前に肉薄すると、今度は1対の前脚を超高周波振動ブレードと成して、左右同時から紫の体を切断せんと狙う。

 「なんのっ!」

 紫はすかさず半歩退いて、術式のフィールドを展開したままの大剣の刀身で"凶蟲"のブレードを受け止める。ギギギギィッ、と耳障りな振動音が火花を散らすように響きわたる。

 「ゴメンッ、ノーラちゃんでもロイでもいいからっ! 手、貸してくんない!? こいつ、相当厄介で…!」

 グイグイと前進してくる"凶蟲"と対峙したまま、声だけで仲間たちに助力を求めるが…。返答は、ない。

 「ねぇ、聞いてンの!? みんなッ!」

 チラリと背後に視線を向け、返答を催促した紫だが…。すぐに、固唾と共にその言葉を咽喉(のど)の奥深くにまで押し込む。

 紫は即座に理解した。仲間たちは、自分に助力するどころではないのだと。

 彼らは彼らで、おぞましくも恐ろしい状況を打開することで手一杯になっているのだと。

 

 紫が"凶蟲"との交戦を開始した頃。始めに彼女に手を貸したノーラは勿論のこと、ロイや蒼治もすかさず助勢しようと駆け出すところであった。

 だが――彼らの足を止めさせたのは、一行を取り巻く周辺環境の劇的な変化である。

 ニュルリ、ズルリ、ドロリ…物体が融け出し、流動する音がそこかしこから絶え間なく発生する。何事かと視界を巡らすノーラ達は、そこで背筋の凍り付く光景を視認する。

 路面に散らばっていた大小の瓦礫の大半が、微細な外観を捨てて油粘土の塊のような固い粘性体へと変質する。そのまま形状を変化させるものもあれば、小さな塊同士が終結して体積を増すものもある。その差異はともかくとして、変形の過程は紫を襲う"凶蟲"とほぼ同じである。

 「こいつらかよっ、さっきからオレ達に殺気をぶつけてきやがってたのはっ!」

 ロイが、牙だらけの口から苛立った声を上げるのと、ほぼ同時に。一行の周囲での瓦礫の変形が完了する。

 そして現れたのは…紫が交戦中のものと同型の"凶蟲"に加え、それよりも体積がずっと小さい――人の両手で抱えられるほどの大きさだ――真円形の胴体に3対の刃状の足がついたもの。後者は、巨大なテントウムシのようにも見えなくはない。こいつらは変形完了直後に背部の装甲を展開し、陽光を受けてうっすらと虹色を呈するフィルム質の"(はね)"を解放。ヴィィィン、と微かな振動音を奏でながら高速で羽ばたき、己の身体を宙に浮かさせると、脚を草刈り機の刃のように高速回転しながら飛び回る。…このタイプの個体を、"羽虫"と名付けよう。

 今や一行の周囲は、瓦礫よりも蟲どもの群れの方が目立つ状態だ。ざっと数えても、優に100を超えた数量である。そいつらが瓦礫に擬態し、なおかつ、魔術に長けた蒼治の探知魔術にも引っかからないような魔術的迷彩を施して潜んでいたのだ。

 ヴィィィィィンッ! 耳障りな翅と脚の駆動音を奏でながら、"羽虫"どもがフリスビーのように飛行しつつ、ノーラ、ロイ、蒼治を押し囲みながら接近する。その合間を縫うように、ズガガガガガッ、と機銃の掃射音と色とりどりの魔術励起光を呈する弾丸が雨霰と注ぐ。弾丸の発砲主は、勿論、"羽虫"よりも遠巻きに位置取りして背部装甲から銃口を出している、"凶蟲"どもだ。

 「散開して、回避および撃破だっ!」

 蒼治が雷のような指示を口にする頃には、ノーラもロイも既に各々別方向に跳び退いている。一カ所に固まっていては、取り囲まれて一網打尽にされることくらい、分かり切っている。

 ノーラは、中空に方術陣で足場を作って空中移動する『宙地』を繰り返しながら、超高周波振動する長剣を嵐のように振るいまくる。霞んだ銀閃が(はし)る度に、"羽虫"は高速回転する脚をグシャリと破壊され、そのまま両断される。真紅の体液を撒き散らしながら瓦礫と化し、ボロボロと路上に零れ落ちる。一方で、"羽虫"の合間を縫って、滑らかなカーブを描いて追尾してくる"凶蟲"の凶弾が迫れば、左手で防御用方術陣を展開して、その目的を阻む。

 実に巧みな戦いを繰り広げている彼女であるが、その行動範囲は一向に広がらない。むしろ、押し込まれてさえいる。というのも、両断した"羽虫"どもの残骸は着地するが早いか、即座にブクブクと切断面を泡立てて組織を高速再生。ものの数秒で健全な構造を取り戻すと、身体を馴らすこともなく瞬時に翅と脚を動かして、再びノーラに襲いかかるのだ。

 (こんなの…キリがないッ!)

 長剣を振るい、あるいは方術陣を展開しながら、眉根をひそめる。

 こうした苦境に立っているのは、蒼治もロイも同じだ。

 蒼治は身体の周囲にいくつもの防御用方術陣を展開しつつ、フルオート射撃モードに設定した双銃をひっきりなしに連射し、"羽虫"どもを撃ち落としている。彼が使用している銃弾は、術式のみで構成された弾丸であるため、物理的な弾切れを心配する必要はない。とは言え、(たお)しても片っ端から再生してくる"羽虫"には、正直、頭を抱えっぱなしだ。

 (くそっ! 何か、打開策はないのかっ!)

 形而上相から"羽虫"や"凶蟲"の魔術的性質をとくと解析したいところだが、そんな余裕はなかなか作れない。解析に入ろうとすれば、その行動を丁度邪魔するかのように、背後に回り込んだ"凶蟲"の魔化(エンチャント)された弾丸が方術陣に激突し、相殺しきれない衝撃に蒼治の痩躯が激しく揺さぶられる。

 「くっ!!」

 体勢を立て直すのと、防御用方術陣を維持するのと、この2つを同時に行うことで手一杯になっているところへ、ここぞとばかりに復活した"羽虫"が黒々とした霧のように群れて蒼治を攻撃する。

 まるで、ホラー映画においてコウモリの大群に襲われているような風体になった蒼治だが、彼は恐慌しそうになる思考を、フッと深呼吸と共に押し込める。そして、防御用方術陣の構造をさらに緻密に、そして強度を引き上げると、眼鏡越しにギラリと戦意の眼光を灯す。あとは落ち着いて、しかしながら素早く照準を定め、"羽虫"たちをフルオート射撃で蜂の巣にしながら、跳ねるように身体を引き起こす。

 なんとか窮地を脱したものの…状況は好転しない。撃ち落とした"羽虫"どもは早くもブクブクと組織を増殖させて、再生を始めている。

 「一体、どうすれば…っ!」

 有効な打開策が浮かばず、蒼治は思わず唾棄する。

 彼から離れること、十数メートル先では。ロイが漆黒の颶風となって、両の手足の鉤爪と強靱な尾を絶え間なく振るい、"羽虫"どもを破壊してゆく。"羽虫"の合間を縫って肉薄する"凶蟲"由来の魔化(エンチャント)弾に対しては、方術陣を形成して防御出来ない代わりに、強靱極まりない硬度を誇る鱗で(ことごと)くを弾き飛ばす。

 しかし、彼もまた状況が(かんば)しいとは言えない。破壊した"羽虫"は片っ端から再生して再び戦列に加わり、あらゆる方向から突撃してくる。全く(らち)の明かない状況に露骨な嫌気を表情に張り付けたロイは、牙だらけの口をギリリと噛み締める。

 「斬るのも叩くのも意味ないってんんならッ! これでどうだよっ!」

 "羽虫"たちを威嚇するように怒声を張り上げたかと思うと、ヒュッと鋭い音と共に吸気。直後、牙をゾロリとかみ合わせた口を露わにすると、牙の隙間から赤々とした輝きと共にもうもうたる蒸気が沸き上がっている。

 (ガァ)――ッ! ロイが大口を開き絶叫すると、轟声と共に咽喉(のど)の奥から(まばゆ)いばかりの真紅の熱奔流が放たれる。(ドラゴン)族の特有にして特徴的な攻撃、竜息吹(ドラゴンブレス)である。

 熱線は振り撒く高熱量で大気にリング状の衝撃波を発生させながら、射線上の"羽虫"、そしてその奥に鎮座する"凶蟲"を押し包んで進む。熱線が通った痕に残るのは、黒々とした消し炭になった蟲どもの肉塊だ。

 「ここまでやりゃあ、いくらしつこいテメェらでも、流石に動けねぇ――」

 己の成した大破壊に優越感を感じて、勝ち口上を述べているロイであったが。ニンマリと愉悦に曲がっていた口元が、すぐにポカンと間抜けに開く。

 と言うのも――消し炭にした肉塊の表面がブクブクと泡立って、金属と有機体が混合した組織を山のように盛り上げると、そのまま肉で出来た粘土をこねるように形状が激変。あっと言う間に元の蟲の形状に戻ると、"羽虫"はフィルム状の翅を高速で羽ばたかせて飛翔を始めるし、"凶蟲"は背部や腹部の装甲を展開して銃口や砲門を露出して魔化(エンチャント)弾や術式ビーム砲を放ってくる。

 ロイは即座に優越感をかなぐり捨てて、再び漆黒の颶風となって対処に当たるが…。その顔には、苛立ちよりも驚愕と焦燥が浮かんで止まない。

 「マジかよっ、オレの火炎息吹(ファイアブレス)も役に立たないのかよっ!?」

 さて…最初に"凶蟲"との戦闘を繰り広げていた紫も、今では大量の"羽虫"とも相手をしなければならない状況に陥っていた。

 「いい加減ッ! 吹っ飛んで、そのまま起きあがってくんなッてのっ!」

 背部と大剣のブースト機関を全開にして戦場を赤白の流星となって疾駆し、術式の刀身で"羽虫"を叩き斬りながら吹き飛ばすものの、彼女の周囲がスッキリすることはない。やはり次から次へと、再生した"羽虫"たちが戦線に復帰して彼女を執拗に狙うのだ。

 他の3人と同様、気丈に戦い続ける紫であるが、実際は星撒部一行の中で一番の苦境に立たされている。彼女は方術に長けているワケではないので、防御用方術陣を用いて"凶蟲"の弾丸やビーム砲を阻止することができない。かと言って、彼女の魔装(イクウィップメント)による装甲は、ロイの竜鱗ほどの強度を誇るワケでもない。大剣の体積による広範囲のカバーとブースト機関による高速移動で立ち回ってはいるものの、ひっきりなしの攻撃で装甲にはみるみるうちに損傷が広がってゆく。

 (ヤバッ…このままじゃ、押し込まれるのも時間の問題じゃん…ッ!)

 "羽虫"を一撃で3匹同時に両断しながら、ギリッと歯噛みをするものの、紫も蒼治同様、有効な状況打開策が頭に浮かばない。

 無尽蔵の敵戦力によって窮地へと追い込まれてゆく、星撒部一行。希望を振り撒くことを使命する彼らであるが、出口の見えない真闇のトンネルのような状況に、苛立ちと共に失意の感情が芽生えてくる。

 そんな中、蒼治と同様、状況打開のために敵の形而上相性質を確認する隙を伺っていたノーラは、記憶の琴線にふと触れるものを感ずる。

 ――金属と有機体が混合した体構造…真紅に充血し、腫れ上がった眼球…超絶的な再生能力…。これらのキーワードが、彼女の脳裏にとある記憶の光景を浮かび上がらせる。

 (…そうだ…! 私、この"蟲たち"のこと、知ってる…!)

 目を見開きながら、左掌に展開した方術陣で魔化(エンチャント)弾を弾き、右手に握った長剣で"羽虫"どもに斬撃の嵐を浴びせながら、思考を記憶の光景へ…過去に学園で受けた授業の内容へと、想いを馳せる――。

 

 ユーテリアに籍を置く身として、1日の授業には可能な限り出席することが義務だと感じていた頃。さほど興味を抱かなかったが、比較的役に立ちそうだと思って受けた、教養系の授業。

 羊顔の獣人教諭が担当していたその授業は、人類の定義およびその種類に関する学問――人類分類学に関する内容であった。

 「…とまぁ、今までのことをまとめると、現代における人類の定義とは詰まるところ…」

 獣人教諭は電子黒板に、丸みを帯びたフォントの文字で書かれた箇条書きを表示すると、レーザーポインタでその一部を指し示しながら解説する。

 「次の3つの点が条件となっています。

 1つ目は、自我を主張出来ること。2つ目は、言語的なコミュニケーションを行えること。3つ目として、魂魄を有すること。

 この3つを満たしてさえ居れば、あらゆる生物において例外なく人類と定義することができますし、逆に言えばホモ・サピエンスであっても条件を満たしていない個体は人類として認められないということです。

 対象の個体が人類かどうかを判定するが、地球に本部を置く人類審査委員会でありますが、それこそ天文学的な数量を誇る有魂魄個体すべてに対して逐次判定を下すのは非常な手間になります。そこで彼らは、人類を親に持つ個体は原則的に人類として判定することにし、疑わしい場合のみを取り扱って審議を行うことにしています。

 ここで問題となってくるのは、子が先天的障害をもって生まれる、または成人であっても後天的な障害によって条件を欠いた場合、人類としての認定を取り消されるべきかどうかということですが…」

 思い返してみると、授業の内容をかなり細部まで覚えているものだな、ちょっと驚くノーラであったが。ダラダラと授業の全内容を掘り起こしていては、遅かれ早かれ、戦闘への集中に支障をきたすことになるだろう。

 そこでノーラは、今回必要な部分のみにフォーカスを当てるよう、思考のライブラリをかき混ぜる。すると、脳裏に描かれたのは、同教諭が数枚の画像を電子黒板に表示している光景だ。

 電子黒板に鮮明なフルカラー立体映像として映し出されているその"存在"は、金属の外骨格に有機的なフォルムを有し、充血して腫れ上がった眼球を有する蟲状の生物。――形状こそ、実際に目にしたものとは異なるが、雰囲気は間違く、現在交戦中の"凶蟲"や"羽虫"と同等のものだ。

 「彼らは、人類審査委員会によって『癌様獣(キャンサー)』と呼ばれる種族です」

 教諭は、ノーラ達が正に交戦中の存在について、ピタリと種族名を口にしていた。

 「彼らは、先に上げた人類認定の条件をすべて満たしているにも関わらず、人類審査委員会によって未だに人類認定されていない種族です。

 その大きな理由として、多種族に対する非常に高い攻撃性が上げられます。彼らは種の存続のために環境と融和するという選択肢を持たず、ひたすらに食料および排除すべき障害物として、攻撃行動を取る傾向が強いのです。

 彼ら自身は電波通信などを通して硬度なコミュニケーションを行っているにも関わらず、他種族との接触をまるで無視する様子から、人類認定委員会からは言語的コミュニケーション不能と判断すべきだ、という意見が聞かれます」

 ようやく種族名までたどり着いたは良いが、交戦時下ではあまり役に立たない知識が再生されてしまった。ノーラは眉根を寄せながら、そして"羽虫"どもの猛攻を剣閃でいなしながら、さらに思考を深くに潜らせる。

 「彼の名前の由来は、その強力な再生および増殖能力に因ります」

 …遂に、ノーラの記憶は有効な知識にたどり着いた!

 しかし、安堵するのは早すぎる。有用な情報をきちんと引き出すまでは、気を抜けない。速読するように、素早く記憶を読み出す。

 「…彼らのこの能力は、細胞由来のものではなく、分子構造レベルに起因します。体組織の約70%を構築する重金属の金属格子構造内に、細胞核に似た状態で高密度の術式が格納されています。霊核と呼ばれているこの構造が、周囲の生態情報と常にフィードバックし合っており、異常が起きた際には異相空間上に存在する、種族間共通のエネルギー貯蔵組織から組織再生のためのエネルギーをリアルタイムで取り出すことができるのです。

 彼らの体を破壊するためには、この霊核の術式構造を破壊することが不可欠になるワケです。

 さて、彼らの名の由来についてですが、有機生物の体構造においてもっとも再生・増殖能力が高い癌細胞(キャンサー)と、金属性の外骨格が甲殻類生物(キャンサー)を連想させるところに掛けているワケですね。さらには、種族間共通のエネルギー貯蔵組織を肥大化させるために、恒星系単位での物質浸食活動もまた、癌細胞の作用を連想させることもあり…」

 ノリにノった記憶は、さらに教諭の話を再生させるべく先走ろうとするが、ノーラは小さく首を振ってこれを遮断。即座に交戦の現実に集中の大半を引き戻しながら、教諭の話の中にあった打開策の実行に取りかかる。

 

 ノーラは『定義変換(コンヴァージョン)』を実行し、手にする長剣の性質を変化。一撃必殺に重点を置いた超高周波振動ブレードから、破壊力が乏しいものの強度の高い大剣へと作り替える。

 この変化によって、ノーラは"羽虫"の数を一時的にとは言え減らす手段を失った。大剣の鈍器のような刃は"羽虫"をブッ叩き飛ばすことは出来るものの、重金属性の外骨格の破壊には至らない。あっと云う間に、ノーラは霞のような"羽虫"の大群に取り囲まれてしまう。

 だが、このリスクは覚悟の内だ。肉を斬らせて骨を断つ、そのための布石なのだから。

 制服を切り裂き、その下にある皮膚をも削り取る"羽虫"の刃脚を乱舞のごとき動きでかわし続けながら、何度も何度も、刀鍛冶が精魂込めて刀身を打つが如く、大剣を叩きつけ続ける。その度に刀身に響く衝撃を――衝撃の中に込められた、試験用術式の反応のさざ波を、着実に紐解いてゆく。

 制服の上着がボロ切れ同様の見窄(みずぼ)らしい有様へと変じた頃…。見栄えを失ったノーラは、その代わりに機知を得る。

 (間違いない…ッ!)

 雷光のような確信は、そのまま大事の即決を呼び込む。宵闇から突如閃く星のごとくギラリと輝く眼光と共に、ノーラは手にした愛剣へ魔力を注ぎ、『定義変換(コンヴァージョン)』を発動。数瞬の間、パタパタとタイルをひっくり返すような所作を見せながら、愛剣は体積を収縮し、細い二等辺三角形の刀身へと変じる。しかし、その刃先には切れ味を想像させるような輝きはなく、鈍器とまではいかないものの、刃物とは到底思えない風体だ。

 だが、この姿は正解だ。何せ、この刀身は、本当の意味での刀身ではない。これは、刃を発生させるための装置なのだ。

 変形完了の直後、二等辺三角形の形をした"偽刀身"の周囲から、虹色に輝くオーロラのような輝きが現れる。これこそ、この剣の真の刀身――術式で形成された力場フィールドだ。

 この間も容赦なくノーラの周囲を飛び回り、着実に制服や皮膚を傷つけてくる"羽虫"に対し、このオーロラの刀身で殺伐の世界を彩ろうとせんばかりに、舞踏のような洗練された無駄のない動きで斬撃を放つ。

 オーロラ状の刀身は、"羽虫"の堅固な重金属の装甲をふわりと撫でる…が、それで直ちに装甲がかち割れるワケではない。むしろ、斬撃を喰らった後の数瞬の間、"羽虫"は微風ほどの衝撃も受けずにピンピンしており、急旋回してノーラの肉深くを狙おうとしたほどだ。

 だが、ほどなくして"羽虫"に異変が起こる。高速にして滑らかの飛跡が、突如、ガクンと鋭角を描いて歪んだかと思うと…フィルム状の翅の動きがビクビクと痙攣しながら弱まり、揚力を失って重力の為すがままに破壊された路上に落下する。ビチャリ、と熟れすぎた果実が潰れるような音を立てて着地した"羽虫"の姿は…生体実験に失敗した悲惨な奇形の肉塊を思わせる、醜悪にして無様な姿だ。この状態でもなお、充血した眼を更に腫れ上がらせ、爛々とした憎悪でノーラを睨みつけながら動こうともがくが…。もはや形を為していない脚は言うことを聞かず、瀕死の芋虫のように弱々しくピク…ピク…と動くばかりだ。

 ノーラの試みは、成功したのだ! 癌様獣(キャンサー)の強靱な生命を支える霊核の構造を狂わせ、その生体組織活動を発狂させることに成功したのだ!

 「!?」

 "羽虫"たち、そして遠巻きに掃射を続けている"凶蟲"が、真紅の眼球に困惑を色を浮かべる。見慣れた人類とはかけ離れた形状をしているとは言え、癌様獣(キャンサー)は人類認定に近い知的生命体。感情というものを確実に所有しているのだ。

 その感情こそが、今のノーラに味方する。困惑という隙が出来た"羽虫"たちを一筆書きで結ぶようにオーロラ状の刃を走らせると、殺虫剤にやられた蠅のように"羽虫"たちは次々と大地に転がり、無様な肉塊と化す。

 ついに有効な打開策を得て、精神的にも肉体的にもほんの少し余裕が出来たノーラは、仲間に機知を共有すべく声を張り上げる。

 「私の剣を、見てくださいっ!

 これで、この癌様獣(キャンサー)たちを抑えることができます!」

 ノーラ以外の3人が果たして癌様獣(キャンサー)という固有名詞を知っていたかどうかは、分からない。だが、それは重要な問題ではない。少なくとも蒼治と紫はノーラの意図を瞬時に汲み取ると、すぐさまノーラの刀身にチラリと視線を走らせて術式を解析すると、自らの獲物にも同様の術式を適用。紫の大剣の刃先にも、蒼治が放つ弾丸にも、ノーラの愛剣と同様の虹色のオーロラの輝きが出現する。

 この術式の刃や弾丸で"羽虫"や"凶蟲"を打ち据えれば、重金属の装甲に覆われた敵の体は壊れた綿菓子製造機のようにブクブクと奇形の肉塊を異常増殖させる。そして癌様獣(キャンサー)たちは、次々に身体の自由を奪われ、プルプルと小刻みに震えながら荒れ果てた路面に倒れるのであった。

 「ノーラちゃん、ナイスッ!」

 紫が凄まじい効力に感激を隠せず、交戦中だというのにノーラに向けて突き立てた親指を向けて、彼女の功績を称える。一方、普段から生真面目な蒼治は紫のようにその場で感激を伝えなかったものの、胸中では多大な感謝をノーラに向けているはずだった。

 ノーラの機転により、形勢は大逆転へと向かっていたが…ただ一人、苦戦を強いられている者がいる。ロイだ。

 彼は仲間たちに比べて術式解析能力は散々であるため、[[竜息吹>ドラゴンブレス]]に対癌様獣(キャンサー)用術式を乗せて発射することがなかなかできずにいる。

 「くっそぉっ、みんなして楽勝ムードだってのに、オレだけカッコ[[rb;悪>わり]]ぃじゃねぇかっ!」

 毒づきながら、次から次へと向かってくる"羽虫"を両の手足の鉤爪で叩き斬りまくる。だが、この攻撃手段をとり続ける限り、敵は無限に再生して立ち向かってくるのだ。

 しかし、ロイは『天使』や『士師』をも打倒できる実力者だ。このままで終わるワケがなかった。

 彼は術式による癌様獣(キャンサー)の討伐を諦めた代わりに、攻撃の手段を変化させる。鉤爪で肉体を分断するのではなく、敢えて拳や踵などの鈍器的部位で敵に攻撃し始めたのだ。

 一見すると、傷跡の痛々しさが減じたために、攻撃が有効性を欠いたように見える。しかし、そうではない。拳や蹴りを喰らった癌様獣(キャンサー)たちは、あろうことか、身体の動きを停止させ、力なく荒れ果てた路面上に倒れ込むのだ。

 ロイが癌様獣(キャンサー)たちを機能停止に追い込む手段。それは、拳撃および蹴撃のインパクトの瞬間に特定周波の振動を引き起こして、癌様獣(キャンサー)の内臓器官を激しく揺さぶって"酔い"状態を作り出し、神経の動作を寸断する――つまり、気絶状態に陥らせることだ。ノーラ達の攻撃に比べれば華はないし、根本的な肉体の無力化を狙うことは出来ないが、敵を足止めして余裕を作るには充分な効果を得られる。

 ロイの周囲に気絶した"羽虫"の山が出来てきた頃。彼はようやくノーラの術式を解析すると、竜息吹(ドラゴンブレス)に術式の構成を乗せて、広範囲の癌様獣(キャンサー)たちを一気に無力化させることに成功した。

 「よっしゃぁっ! オイコラ、蟲どもっ! これでみんな、殺虫してやんぜっ!」

 調子付いたロイが意気揚々と声をあげながら、竜息吹(ドラゴンブレス)を連発する。他の3人もそれぞれの武器で"羽虫"、そしてその後方に位置取っていた"凶蟲"をも手がけて無力化を進める。こうして戦況は、完全に星撒部の方へと傾いてゆく。

 

 …だが、癌様獣(キャンサー)たちは、このままで終わるほど無能ではなかった。

 

 異変は、突如起きた。

 ノーラたちの武器が、"凶蟲"の装甲を捕らえた、その時。刃はガァンと甲高い音を立てて弾き飛ばされ、術式の弾丸はカンカンカンカンッ、と耳障りな音を上げながらあらぬ方向へと散らされてゆく。ロイの竜息吹(ドラゴンブレス)も、烈風となって癌様獣(キャンサー)どもの身体を強烈に吹き抜けてゆくが、当の癌様獣(キャンサー)たちは風を耐え忍ぶ巨木のごとく身をガッシリと固めてやり過ごすだけで、外傷はおろか肉体の変化も発生しない。

 「ちょっ、なんだぁ!? いきなり…」

 突然、攻撃が有効性を完全に失ってしまった場面を目の当たりにして、ロイがキョトンとして声を上げたところ。"凶蟲"が背部の銃口から魔化(エンチャント)弾を掃射。彼のこれ以上の発言を咽喉(のど)の奥へと押しやる。

 ロイほどのリアクションは取らないものの、ノーラたち3人もこの現象には困惑するばかりだ。

 (まさか…癌様獣(キャンサー)たちが、霊核の構成を補正して、弱点を克服した!?)

 ノーラは原因を推測するものの、再び愛剣を定義変換(コンヴァージョン)してその事実を確かめることは――できない。

 何故ならば…戦況が再び癌様獣(キャンサー)に傾いたからだ。それこそ、あまりの傾斜に星撒部の4人が絶望の奈落に転覆するほどに。

 まず、路面に転がっていた"羽虫"の肉体が、みるみるうちに奇形状態から快癒し、元の頑強な重金属製の甲虫へと戻ってゆく。倒れた敵が大量に、そして一斉に息を吹き返してゆく光景は、希望を振り撒く星撒部の心にさえも愕然とした絶望をもたらすのに充分である。

 しかし、癌様獣(キャンサー)の逆襲はこれだけに留まらない。

 一行を左右に挟んで立つ、傾き、崩れた、優に地上10階を超える高層建築物。その巨大な体積が屋上から基底部に向けて、グニャリグニャリと粘土質へと変じてゆく。そして、パン生地から1つ1つのパンがもぎ取られてゆくように、粘土が歪んだ球体の形状を取り、幾つも幾つも空中へと遊離。そのままグニグニと形を変えてゆくと…ケンミジンコにイカの長大な触腕を装備したような、新しいタイプの癌様獣(キャンサー)の群となる。

 「ま、まさか…あのビル全体に、コイツらが擬態してるって言うんじゃないだろうな…!?」

 蒼治が頬をヒクつかせながら、脱力気味に呟く。しかしその言葉は決して冗談ではなく、残念ながら、的を得ていた。

 この新型の癌様獣(キャンサー)――便宜的に"長脚"と呼ぼう――は、結局2つのビルが根こそぎ変じて大群を作ったのだ。そしてヤツらは、長楕円形をした触腕の先端を青色の魔力励起光でボゥ…と輝かせながら、空中を遊泳し、ノーラ達の頭上へ迫ると…。腹部から術式で構築された球形の砲弾を射出し、激しい空爆を与えてくる。

 「おいおいっ、マジかよっ!?」

 ロイが辛うじて非難の声を上げたが、すぐに轟雷のような術式の爆音によってかき消される。半球形状の破壊性質を持つ術式の飛散は、大気を電離させながら激しい衝撃をばらまき、路上をあっと言う間に帯電した土煙で満たす。

 「皆さん…ケホッ…無事ですか…!」

 せき込みながらノーラが声を上げると、それにすかさず反応したのは仲間ではなく…眩い蒼白を呈した術式のビーム砲だ。明確な殺意と正確な狙いを伴ったそれは、間違いなく、敵である癌様獣(キャンサー)による攻撃だ。

 (くっ…! 状況が、悪すぎる…!)

 ノーラは胸中で舌打ちの1つもしたい衝動に借られながら、すかさず左手で方術陣を作り、ビーム砲を弾く。網膜を()くような、鮮明に過ぎる光の飛沫がバラ撒かれる、その合間に…。光と土煙の中から、無数の"羽虫"たちが刃状の脚を回転させながら飛来してくる。

 「!!」

 歯噛みするノーラは、しかし理性を捨てることなく、冷静にして迅速に定義変換(コンヴァージョン)を実行。再び愛剣を鈍器の形に変え、変質した癌様獣(キャンサー)の霊核の構造を探る作業に入ることを試みるが…。空爆と土煙によって思うように行動を起こせない。

 (一度、土煙の中から脱出して…周囲の状況を把握するべきかな…!)

 思うが早いか、ノーラは飛来する"羽虫"を大剣で叩き飛ばしながら、『宙地』でもって空中を蹴って上昇。土煙の中からなんとか飛び出す。

 視界が晴れた転瞬、即座に視線を巡らせて状況を把握に勤しむ。すると、自分と同じく視界の確保を狙って上空に飛び出した紫とロイの姿が見えた。紫は魔装(イクウィップメント)で生成した装甲の背部に設置されたバーニア推進機関で、ロイは背中から漆黒の竜翼を生やして、それぞれ飛翔している。しかし、蒼治の姿は見えない。

 「ノーラも無事か!

 …それじゃ、蒼治は!? どーなってんだ!?」

 「先輩って、『宙地』使えたはずだよね!? 何で出てこないのよ!?

 まさか、やられちゃったとか!?」

 ロイと紫が口早にやり取りしている最中、その声に反応したように土煙の中からビーム砲と"羽虫"が飛び出してくる。そして頭上からは、"長脚"がフワリとした動きで、しかし魚雷のような速度で突撃してくる。大量に飛びかかってくるその有様は、バケツひっくり返したような土砂降りの雨を連想させる。"長脚"は爆撃だけでなく、近接攻撃用の兵器も備えているようだ。

 「蒼治のことは後だ!

 とにかく…避けるなり、ブッ倒すなりしねーと!」

 語るが早いか、ロイは既に手足や竜息吹(ドラゴンブレス)で迎撃を開始している。しかし、弱点を克服してしまった癌様獣(キャンサー)たちは一時的に体勢を崩したり損傷を受けるものの、即座にブクブク泡立ちながら再生し、果敢な殺意を剥き出しにして襲撃してくる。

 「こんなの…どうしろってのよっ!」

 大剣を自棄気味に振り回す紫が、苛立ちを込めて怒声を張り上げた頃。宙の3人は癌様獣(キャンサー)の勢いに押され、未だ土煙の晴れぬ地上へと押されてゆく。

 一番高度の低い位置で、絶え間なく『宙地』を繰り返しては回避行動と迎撃兼解析行動を取っていたノーラの脚が、ついに土煙の中へと突っ込んでしまった時のこと。

 ガタガタガタガタガタッ! まるで岩石の表面が連続で剥離されるような音が、土煙の向こう側から響いてくる。その音が、路面のアスファルトが砕けた音であることは、想像に(かた)くない。

 この耳障りな騒音が発生した、ほんの数瞬後――。

 「くっそぉっ!」

 火を吹くような罵声と共に、土煙の中から噴石の飛び出してきたのは、蒼治だ。両手に携えた双銃は、どちらも眼下に銃口を向けており、頭上には一瞥もくれていない。

 (蒼治先輩、頭上にも注意しないと!)

 その警告は、ノーラの唇から発されることはなかった。なにせ、彼女は目にした驚愕の光景に、言葉を咽喉(のど)の奥深くに飲み下してしまったのだから。

 ハッと呼吸と共に固唾を飲んだのは、ノーラだけはない。紫もロイも、蒼治を追って土煙の中から現れた"それ"を目にして、一瞬とは言え行動を停止せざるを得ない衝撃に思考を殴りつけられる。

 全長が優に10メートルを超える重金属の装甲で完全に覆われながらもしなやかにして強靱に躍動する、尻尾とも触手とも付かない巨大な"鞭"が飛び出して来たのだ。

 蒼治はこの"鞭"をめがけて、術式の弾丸を連射、連射、連射。着弾した弾丸は閃光の爆発と共に強烈な衝撃を発生させ、"鞭"を大きく揺るがすが…後退させるには至らない。"鞭"は蒼治の跳躍速度よりも数段速い動きで、彼の脚を捕まえようとする。

 「ちぃっ!」

 蒼治が『宙地』用の方術陣の足場を作って飛び跳ねるが――時は既に遅し。足首の高度まで達した鞭が、(ツル)のように彼の足首にまとわりつく――。

 「させるかってンだよっ!」

 直前、漆黒の影が高速で降り注ぎ、蒼治のすぐ隣を過ぎる。転瞬、"ガァンッと重厚な金属がへし曲がる音が響き、"鞭"は大きくたわんで地上へと押しのけられる。

 蒼治を救った影の正体は、ロイだ。ハヤブサのように翼を絞って急降下した彼は、速度と重力を味方にして全体重を掛けた一撃を喰らわせたのだ。

 "鞭"が土煙の中に消えるのを見届けずに、ロイは蒼治の手をガッシリと掴むと、竜翼を羽ばたかせて急上昇する。

 「ありがとう、助かったよ、ロイ!」

 「お礼なんか後回しだ、空は空でヤバ過ぎるんだよっ!」

 男子生徒2人が言葉のやり取りをするすぐ(そば)から、"羽虫"の群れや”長脚”の術式砲弾が迫る。蒼治は芽生え掛けた安堵の雰囲気をかなぐり捨てると、ロイに捕まったまま自由な左手一本で掃射を行い、"羽虫"の迎撃や術式砲弾の破壊を行う。

 そんな慌ただしい攻防の切り替わりの最中…ロイ達からかなり離れた位置まで押し込まれていた紫が、悲鳴とも怒号とも付かない絶叫を張り上げる。

 「ちょっと、先輩っ! 何、連れて来たんですかっ!」

 "連れて来た"? 何を言っているのか呑み込めない男子生徒2人が、チラリと眼下に視線を走らせて瞬間。思わず身体が固まりそうになる。

 ギョロリ――土煙の中から、成人の身長に匹敵する直径を持つ巨大な真紅の眼球が、こちらを見上げているのだ。

 「おいおい、なんだ、あのデカい奴はぁっ!?」

 ロイが思わず問いをぶつけた、その瞬間。眼球に続いて土煙の中から、巨大なヘビにも見える長大な胴体の一部がズルリと姿を表す。その体表の至るところで、装甲がカパカパと蓋のように開いて、"何か"が詰まった穴を開く。まるで、ハスの花を思わせる、身震いを喚起させる光景だ。

 次の瞬間、穴という穴が爆炎の赫々(かっかく)に染まると共に、ゴォッ、と大気を吹き飛ばすような轟音を発する。そして穴に詰まっていた"何か"が、盛大な濃灰色の爆円煙と共に射出される。その"何か"の正体とは――対人兵器としては豪勢なほどに大きな、ミサイルだ。

 「ちょっ、なんだこりゃっ!?」

 「ロイ、速く避けろ!」

 「うっわぁっ、私のことも補足してンじゃないっ! こっち来てる、来てるぅっ!」

 叫びまくる3者に対して、静寂を貫いているのはノーラだ。とは言え、その態度は沈着冷静とはとても言えない状態だ。褐色の顔にはサッと蒼白が差し、大粒の冷や汗がブワリと噴き出す。

 勿論、ノーラも即座に回避行動を取っている。だが、翼のあるロイや、バーニア推進機関を持つ紫に比べて、『宙地』による連続跳躍でしか空中移動が出来ない彼女にとって、高速で自在に空中を飛び回るこの攻撃への対処は、かなり辛い。

 (それでも…なんとかしないと…やられちゃうっ!)

 もはや、背に腹は変えられない、のっぴきならない状況だ。ノーラは敵の解析を捨て、防御に徹するべく迅速に定義変換(コンヴァージョン)を実行。刀身をシェルター状の装甲へと変化させる。生成した装甲の表面は、もちろん、防御用の術式が高密度に展開され、ミサイル着弾時の爆炎や衝撃、その他の魔術的効果を減じるための準備が構されている。

 装甲で身体全体を覆った、まさにその瞬間。ミサイルが次々に着弾。シェルターの内側は鼓膜を聾する轟音が暴れ回り、ノーラは思わず両耳の穴を塞いだ。

 その後、シェルターは防御用術式で相殺しきれなかった衝撃に吹き飛ばされたようだ。全方位の視界を装甲で塞いでしまったノーラは、鉛直方向への強烈な加速を感じる。そして瞬きもする間もなく、ガゴンッ! という堅い悲鳴と共に激しい激突の衝撃を身に受け、シェルターの中で身体が浮き上がる。どうやら、シェルターは地面に激突してしまったらしい。

 脳天を突き抜けた衝撃にフラフラするが、このまま殻に閉じこもっていては癌様獣(キャンサー)どもに囲まれて、身動きがとれなくなってしまう。その事態を避けるべく、ノーラは身体に鞭打って定義変換(コンヴァージョン)を実行し、シェルターをコンパクトな剣へと変化させる。途端に開けた視界は、土煙の及んでいない路上だ。どうやら、ミサイルの爆発によってかなりの距離を吹き飛ばされてしまったらしい。

 「ロイ君や、相川さん…それに、蒼治先輩は!?」

 急いで土煙の方向へと視線を投げて、彼らの姿を探す。土煙の上空にはもうもうたる黒煙が上がっており、飛行していたはずの3人の姿は全く見えない。無事なのか、はたまた不幸にもやられてしまったのか、伺い知ることは出来ない。

 だが、ノーラもいつまでも仲間たちの心配ばかりしてはいられなかった。土煙や黒煙の中から"羽虫"や"長脚"が飛び出し、ノーラをめがけて急接近してきたのだ。彼らはどうやら、特徴的な巨大な赤眼による視覚だけでなく、音響定位などの非視覚的手段でも周囲の状況を鮮明に把握できるようだ。

 「…っ!」

 もはや、口にする言葉も、頭に浮かぶ言葉も、ない。黒い雲霞のごとき物量で迫る癌様獣(キャンサー)どもを眼前に、しっかと立っていられるのは悲壮な決意でも、窮地ゆえの奇妙な高揚感によるものでもない。ただ単に、生存本能の叫ぶままに、生きながらえるための抵抗をせんとしているだけ。

 しかし、ノーラの理性は生存本能の下敷きになりながら、必死に訴える。――これは無理だ、敵うわけがない、逃げるしかない――と。

 弱気な理性に対して、ノーラはこう問い返す。――"逃げるしかない"とすれば、一体どこへ、どうやって逃げれるのか!?

 その疑問への返答の代わりに、脚が巨木の根本のごとく大地に張り付いてしまう。

 構えた剣が、プルプルと震えている。それは恐怖か、怯懦か、それとも悲壮感か。確実に言えることは、武者震いではない、と云うことだけだ。

 正に、絶望が具現化したような戦況。

 それを眼前にしたノーラは、遙か上空にぼんやりとそびえる、小さい奇妙な『天国』に…その中にひょっとしたら住まっているのかも知れない、全知全能にして慈悲深い絶対神なる存在に、祈りを捧げたくて仕方がなくなった。

 

 そんな悲劇に見舞われた乙女の祈りが、天に通じたのか――。

 突然、ノーラの頭上を、巨大な影がスゥーッと土煙の方へ向かって過ぎる。


- To Be Continued -

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