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Tank! - Part 5

 「(しおり)ちゃん、か。可愛い名前だね」

 「えへへ。この名前もね、パパがつけてくれたものなんだよ。

 本のしおりみたいに、みんなの心に残るような人になるように、って意味なんだって。カッコいいでしょ!」

 先までのどんよりした瞳が一変、真夏の晴天のごとく輝く。やはり栞は、父の話をしている時が一番活き活きとしている。

 「お父さんのこと、本当に好きなんだね」

 「うん!」

 栞は元気良く首を縦に振ると、ツリ目を細めて、過ぎ去った日々へと視線を向ける。

 「あたいのママさ、小さい頃にどこかに居なくなっちゃってね…。それから、パパがあたいのことを、1人で面倒みてくれたんだ。

 パパは、都市国家(まち)の大事な仕事をしていて、すごく大変で忙しいんだ。

 でもね、いつもあたいのために時間を作ってくれたんだ」

 「…とっても、優しいお父さんなんだね」

 そう答えながら、ノーラは父親を誇れる栞のことを羨ましく思っていた。というのも、ノーランは自分の父親をあまり良くは思っていないからだ。ひたすらに自分の期待ばかり押しつけてくるばかりで、ろくに会話が出来ないどころか、顔さえ見せてくれなかった父親とは、いまだに家族であるという実感が湧かない。

 そんなノーラの胸中など知る由もなく、栞は遠い目に寂しげな薄い笑いを浮かべると、折りかけの折り紙をいじりながら語る。

 「こういう風にね、指を使って何を作るのをやってるとさ…パパのこと、思い出すんだよね…」

 言い終えた、その瞬間。栞の笑みがクシャクシャに歪んだかと思うと、深青の瞳が雨曇りのように濁る。そして、突然の豪雨のごとく、涙腺からブワリと大粒の涙が溢れ出す。

 栞は、父親のことを思い出したのだろう――恐らくは、辛く苦しい離別の際の出来事を。

 「だ、大丈夫…?」

 ノーラはオロオロしながら、栞の背中に手を当てる。入部したてで子供とのやり取りに全く慣れていない自分が出しゃばるべきではなかったと、冷や汗が吹き出す胸の底で後悔する。

 しかし栞は、溢れ出す涙を両腕で必死に拭い取りながら、潤んだ笑みを浮かべつつ、嗚咽混じりで言葉を続ける。

 「パパ…パパさ、あたいが、あの都市国家(まち)を離れる、時にさ、くれたんだ、クマの、ヌイグルミ。あたいがね、前にさ、友達の家に、行ってさ、欲しくなった、ヌイグルミ。それで、駄々こねて、作ってもらいたかった、ヌイグルミ。

 パパ、あの頃、すごくすごく、忙しかったはずなのに、ちゃんと、作ってくれた、ヌイグルミ。

 パパさ、オレの代わりに、これを持ってろってさ、渡してくれた、ヌイグルミ。

 なのに、なのにさぁ…」

 笑いを浮かべることで必死にせき止めていた号泣が、大きく鎌首を持ち上げて、栞の表情を奪う。栞の顔は赤子のように真っ赤に染まり、涙を拒絶するように堅く閉じた瞼の隙間からは、止めきれない大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。

 「無くしちゃっ、たんだよぉ…っ。

 避難する、車に、乗ったときにぃ…すごく、ものすごく、混んでてさ…ギュウギュウに、もみくちゃに、されてたらぁ…っ!

 腕の中から、なくなってたんだよぉ…っ!」

 父親が僅かな暇を見つけて作ったヌイグルミ。それを紛失してしまった、という落ち度が子供心に大きな罪悪感を植え付けてるのも事実だ。だが、それだけが栞の号泣を誘っているワケでないことを、ノーラは感じ取る。

 話の内容からすると、栞はやはり、戦況が激しくなった時期に避難をした子供のようだ。避難用車両がごった返していた、という話の部分から察するに、かなりのっぴきならない事態に陥っていたことが容易に想像できる。

 そんな事態の最中、我が子と共に避難用車両に乗らず、戦禍に蹂躙される都市国家に残った栞の父親とは、恐らく公共機関の職員…もしかすると、軍警察やレスキュー部隊のような、有事の際に前線に関わる職業に就いていたのかも知れない。

 そして栞は、父親の生存を絶望視している。もしかすると、目の前で父親が亡くなったのを目撃しているかも知れない。

 だからこそ、栞は父親の最後の温もりを宿しているヌイグルミに執着しているのだ。

 彼女はこのキャンプに避難してからずっと、ヌイグルミの紛失を後悔し続けているのだろう。その暗い陰は、誰にも拭えるものではない。故郷が悲劇に見舞われたことをも認識していない子供たちは、栞の抱える事情を全く理解できず、彼女のことを単に暗くて近づきたくないヤツとしか見なせないだろう。事情を理解している職員とて、父親の温もりの代わりになり得るものを提供できるワケでなく、栞の抱える問題の解決を時間に委ねることしか出来ないのだろう。

 それゆえに栞は、子供たちからも職員からも敬遠され、孤立してしまっているのだ。

 ――では、ノーラは栞に対して一体、何が出来るというのだろうか。

 知り合ったのは、ついさっきのこと。栞の抱える事情を聞き知ったとは言え、到底実感出来るものではない。そんな立場の彼女が、幼いながら凄絶な過去を背負う少女に対して、一体何が出来るというのだろうか。

 その自問に対して、ノーラは建設的な答えを出せそうにない。

 …だが。

 (このままには…しておけない)

 溢れる涙に溺れ、活力の輝きが失意に曇る栞の眼を見て、ノーラは口を堅く結ぶ。

 (この()の瞳を、曇らせたままになんか…絶対に、させたくない…!)

 希望を持てず、眼にどんよりと曇らせたままの人生の苦しみ、辛さ、無気力感を、ノーラはよく知っている。栞の場合は、そこに加えて、幼い身でありながら凄絶な過去を背負わねばならないのだ。その辛苦は時間が癒すかも知れないが…癒されるまでの期間は、確実に、拷問そのものだ。

 なんとかして、栞のそんな暗澹とした人生から救い出したい。――だが、どうやって?

 頭の中をグルグルと問いばかりが回り続けるノーラは、泣きじゃくる幼子を慰める余裕もなく、必死に答えを掴もうと足掻き続けていた…その時。

 「――なぁ、アンタ」

 ふと、凛とした男の声が響く。空回りするばかりの思考を停止させ、ノーラが声をする方に目を向けると――そこには、胸の前で腕を組んだ、真紅の髪に竜の尾を持つ青年の姿があった。ロイだ。

 ロイの言葉は、ノーラではなく、泣きじゃくる栞に向けられていた。それを覚った栞は、いまだに涙が零れ続ける雨曇りの瞳で、ロイを見上げる。

 ロイは笑うでもなく、悩むでもなく、苛立(いらだ)つでもなく、淡々とした調子で尋ねる。

 「アンタの瞳の曇りは、そのクマのヌイグルミさえ見つかれば、晴れるのか?」

 その問いは、一見すると、非常に無神経なものにも聞こえる。栞が背負う一番の悲しみは、誰がどう考えても、父親との離別だ。それは死別という最悪の形ですらあり得る。それを、クマのヌイグルミという一介の物体さえあれば、全ての肩代わりが効くのか、と尋ねているのに等しいからだ。

 普通に考えれば、当然、釣り合いっこない。父親という世界に唯一無二の存在の生命にとって代われる物体など、あるワケがない。

 だが…それでも…栞は、雨曇りの瞳に雷光のような閃きを灯し、生来のツリ目を更に鋭く釣り上げると。コクリと大きく、力強く首を縦に振る。

 「…うん…うん…っ!

 パパのヌイグルミさえあれば…あたい、泣かない…っ!

 あの中には、パパが、いるんだもん…っ!」

 そのように語るということはやはり、栞は自身の父親の生存を否定し、それを受け入れている。その悲愴な覚悟に、ノーラはどうしても不憫さを隠せず、眉を下げて表情に陰を落とす。

 しかし…ロイの反応は、ノーラの真逆だ。栞の曇りも、ノーラの陰りも、全てを弾き飛ばすような燦々たる太陽の笑みをニカッと浮かべる。

 「それなら、簡単じゃねーか!

 なぁ、ノーラ!」

 いきなり同意を求められ、ノーラは表情の陰りもそこそこに、きょとんとしてしまう。一体、何が簡単だというのだろうか?

 考え込む間もなく、ロイが答えを口にする。

 「見つけちまえば良いじゃねーか、そのヌイグルミ!」

 あまりにも単純明快な答え。しかしそれで、ノーラは「あっ」と声を上げると…独りで首を縦に数度振り、納得する。

 (…そうだよ…! 見つけちゃえば良いんだよ…!)

 首を振る度に、ノーラの表情から陰が消え、スッキリとした輝きが満ちてゆく。

 相手は、物言わも言わねば、暴れもしないヌイグルミだ。昨日のアオイデュアでの出来事のように、天使やら士師といった厄介な凶悪な存在を相手にするワケじゃない。次元干渉兵器による環境汚染が懸念されるものの、実力者揃いの星撒部の力を持ってすれば、どうとでも打開できるはずだ。

 全然問題ない! 昨日の騒動に比べれば、この程度の仕事、なんてことはない!

 

 ――ここでノーラが普段の怜悧な思考を行使できていれば、この判断があまりにツメが甘いものだと十分に理解できたことであろう。

 しかし、この時点のノーラは、栞の瞳の曇りに対してあまりにも感情的になっており、客観性がスッポリと抜け落ちていたのだ。

 正に、落ち度という他に言いようがない失態であった。

 

 失態にはまりこんでしまったという自覚を全く抱かぬまま、ノーラはロイの言を得て、水を得た魚の心地になる。

 「大丈夫だよ、栞ちゃん…!」

 胸を叩かんばかりの力強い言葉を口にしつつ、ノーラは両腕で栞の両肩をガッシリと掴み、彼女の雨曇りの瞳と向き合う。

 栞は涙が止まらぬままであるものの、ノーラの得意げな表情の輝きに当てられ、泣き顔の陰りが減じてきょとんとした顔を作る。その顔は、"一体何が大丈夫なの?"と問い(ただ)している。

 ノーラは一瞬、視線でロイを指しつつ語る。

 「このお兄ちゃんが言う通りだよ!

 私たちで、栞ちゃんのヌイグルミ、見つけてあげる!」

 「そ、そんなこと、出来るの…?」

 そう問い返してきた栞の意図を、この時のノーラは、約束の確認だと確信していた。だからこそ、彼女はニッコリと笑み、力強く首を縦に振ったのだ。

 「うん、出来るよ…!

 大丈夫だよ…任せておいて!

 私が必ず、あなたが置いてきてしまった希望の星を、届けてみせるから…!」

 ――しかし、今考えてみれば、栞は破壊されつくした故郷で小さなヌイグルミを探すことの困難さを覚っていたが故に、問い返してきたのではないか…と考えられなくもない。

 だとしても、ノーラの言葉は、少女の懸念を一気に振り払い、失意に曇る眼に期待という名の輝きを灯すのに十分な役割を果たしたのだ。

 栞はノーラの腕の合間から自身の腕を突き出し、ゴシゴシと涙が溢れる眼を擦ると…手を退けた時には、泣き顔は微塵の面影もなく消え去っていた。

 「それじゃあ、お姉ちゃん、あたい、ホントのホントに、お願いしちゃうよ…!

 パパのヌイグルミのこと…お願いしちゃうよ…!」

 「うん、ホントのホントに、お願いされちゃうよ。

 もしも心配なら…ここで、約束しようか。指切りしよう」

 ノーラは右腕を栞の肩から離すと、小指を突き立てて栞の眼前に持ち上げる。

 「うん…約束! 絶対に絶対の、約束だよ…!」

 栞はツリ目を見開き、眼に真夏の太陽がギラギラ照りつけるような青を宿すと、しっかりとノーラの小指に自らの小指を絡ませる。

 その直後…もう一つの小指が、2人の小指に被さるようにして絡まる。

 無骨ながら、どこか柔らかな丸みが見て取れる、栞よりもノーラよりも大きな手の主は、ロイだ。

 彼はニィッと牙を剥き出しにし、絶好の玩具を見つけた幼子とも、獲物を見つけた肉食獣とも取れる、ギラギラした笑みを浮かべる。

 「オレにも一枚、噛ませてくれよ!

 この手で希望の星を取り戻すなんて、面白そうじゃねーかっ!」

 ――今考えて見れば、ロイも言い出しっぺの1人と言えるので、この申し出は当然といえば当然のことだ。しかしノーラは、そんな怜悧な理性などかなぐり捨て、しっかりと絡まった小指がもたらす熱い興奮に突き動かされるがまま、ロイの申し出を大歓迎してニッコリ頷く。

 「ロイ君が来てくれるなら…100人力だよ!

 栞ちゃん、このお兄ちゃんが居てくれるんだもん…ヌイグルミは見つかったも同然だよ!」

 ノーラのみならず、ギラギラとした自信が燃えたぎる魂魄が目に見えるようなロイも目にした栞には、もはや懸念の色はない。涙腺の崩壊はピッタリと止まり、年相応のパァッと晴れ渡るような笑顔を浮かべる。

 「うん! おねーちゃんとおにーちゃんのこと、あたい、信じる!」

 「よーし、そうと決まりゃあっ!」

 ロイは雷が昇るようにガバッと立ち上がると、バシンッと己の拳と手のひらを打ち合わせる。

 「ノーラ! 早速、副部長に話を通そうぜ!

 そして、サクッとヌイグルミを見つけて、希望の星を1つもぎ取ってこようぜっ!」

 そしてロイはノーラの腕を取ってグイッと引っ張り上げ、そのまま渚の元へと走り出そうとした――その時。

 「あっ、ちょっと待ってっ!」

 栞が声を上げて制す。ロイは一歩踏み出した足を慌てて踏み留めたものの、思わずバランスを崩して「おわぁっ!」と叫びながら両腕で宙を掻く。彼に引っ張られていたノーラも倒れ込みそうになるが、なんとか踏ん張り、ロイほどバランスを崩すことなく体勢を立て直す。

 「なんだよ、どうしたってんだよ!?」

 ロイが(しぼ)まぬ勢いのまま、眉根に盛大な皺を寄せて栞に尋ねると。栞はロイの表情にひるむことなく、テーブルの上から一枚の折り紙と鉛筆を取り出すと、鉛筆の芯を折らんばかりの勢いでゴリゴリと何かを描き始める。

 「パパのヌイグルミ、探してくれるんでしょう? でも、おにーちゃんもおねーちゃんも、パパのヌイグルミがどんなのか、知らないじゃん。

 だからさ、教えてあげるんだよ!」

 そう語る栞の口調は陽気な歌を口ずさむかのようで、テーブルの下では両足をリズムに乗せてブラブラ動かしている。先程までの潤んだ失意はどこへやら、今の栞は弾む期待にノリに乗っている。

 数分後…。

 「うん、出来たっ!

 これっ! これだよっ、パパのヌイグルミ!」

 栞は折り紙の裏側を表にしてヒラヒラさせながら、ノーラとロイに見せつける。そこに描かれているのは、明らかに少女漫画に影響を受けつつも、有り余る勢いによる(いびつ)な太い線で描かれた、クマのヌイグルミの絵。

 ――つまり、今現在のノーラが目的の手がかりとして持ち歩いている絵だ。

 この当時からして、ノーラはその絵が手がかりとしてあまりにも抽象的で実用性が薄いことを覚り、思わず苦笑を浮かべていたが…。

 「おっ、アンタ、絵がうまいじゃねーかっ!」

 ロイが顔を輝かせて、盛大な拍手を送らんばかりの勢いで褒めちぎる。その行動は、子供慣れしているロイの優しさから来る演技かと思いきや…キラキラと純真無垢な光を称えた金色の瞳を見る限り、到底演技には見えず、混じりっけのない本心のようだ。

 そんな気持ちの良い褒め方をされて、幼い栞が良い気にならないワケがない。まだ発育していないぺったんこの胸をエッヘンと張り、鼻の下を人差し指で(こす)りながら、これ以上ないくらい得意げに語る。

 「そりゃあ、あたいはパパの血を引いてるもの!

 パパはね、裁縫だけじゃなくて、絵も上手だったんだから!」

 「こんなスゲェ手がかりがあるんだ、すぐに見つけちまうだろうぜ!

 なぁ、ノーラ!」

 同意を求められても、とてもでないが首を縦に振る気にはなれず、たはは、と苦笑いを浮かべてお茶を濁すノーラであった。

 「それじゃ、この絵、借りて行くぜ。

 ちょっとオレたちのボス…つーか、副部長に話つけなきゃならねーけど、それが終わったらすぐに探しに行くからな!

 絶対に、持って帰って来てやる。だから、ボロボロ泣いてないで、ズーンと暗くなってないで、笑って待ってろ!」

 「うん…!

 指切りで約束、したもんね! おにーちゃんとおねーちゃんのこと、絶対に信じて、待ってるから!」

 そしてロイは拳を作って栞に向けると、栞も拳を作り、軽くロイの拳にぶつける。これもまた、指切りと似たような約束の挨拶だ。

 そして2人は、2つの太陽となってニカッと笑い合うと…ロイは今度こそ、雷が昇る勢いで立ち上がると、ノーラの手を引いて小走りで進む。

 「じゃあ行こうぜ、ノーラ! さっさと副部長に話付けて、現地に突撃だぜっ!」

 「うん…!

 栞ちゃんの希望、絶対に見つけて帰ろうね…!」

 

 こうして2人は、広いホールの中を数分ほど小走りで彷徨(さまよ)うと、窓際で子供たちに囲まれて未だに遊びの中心を為している渚を見つける。

 

 「おっ、居た居た!

 おーいっ、副部長っ! 話あるんだけどさぁっ!」

 渚を見つけたロイは、腕を大きく振りながら声を張り上げる。

 その頃の渚は、幼稚園に入りたて頃の小さな女の子を肩車しつつ、変形の鬼ごっこのつもりなのか、「がおーっ! おぬしら1人残らず、捕まえてくれようぞーっ!」などと叫びながら子供たちを追い回しているところだった。追い回される子供たちはそんな渚を楽しみ、キャッキャと笑い叫んで走り回ったり、渚の背後に回って蹴りだの拳だのを繰り出したりと、大はしゃぎしている。

 そこへ突如割って入ったロイの声に渚は嫌な顔一つせず、ピタッと足を止めて、子供たちに向けていた爽やかな笑顔のままこちらを振り向く。

 「むうぅ? 何用かのう、ロイにノーラよ。

 その顔つきから察するに…何やら愉快なことでも見つけたようじゃな?」

 「愉快っつーか…まぁ、悪い話じゃないのは確かだ。

 んで、その話について、副部長に相談したいんだけどさ…」

 ロイが()()まんで事情を説明する。手短ながら、確実に内容のツボを押さえた物言いに、ノーラは目をパチクリさせながら感心する。"暴走君"という名前が先行して脳筋的なイメージがつきまとうロイだが、案外に頭の回転が早い。

 考えてみれば彼は、天使やら士師やらといった、柔軟な機転が生死を分ける難敵との戦いを幾度も潜り抜けてきているのだから、当たり前といえば当たり前のことかも知れない。

 「…っつーワケさ。

 希望の星を世界中に振り撒く、オレたち星撒部としちゃあ、見過ごせないだろ?

 だからさ、オレとノーラを現地に送り込んで欲しいんだよ」

 それはつまり、現在の仕事を放棄することを意味する。現状、相手にせねばならない子供たちの数に対して、星撒部は人手不足な状態だ。そこを懸念されて、渚が渋い顔をするのではないか…と、ロイとノーラは考えていたものだが。

 彼らの懸念こそ、杞憂であったようだ。

 「うむ、相分かった!」

 渚は肩車していた女の子を静かに床に降ろすと、輝かんばかりの清々しい表情で快諾する。

 「自主的に絶望を希望に変えんと行動を起こすその姿勢、感心じゃわい!

 特に、ノーラじゃな! 入部初日から、わしらの部のポリシーをよーく心得ておるようじゃからのう!」

 ――今思えば、ここでやはり渚が作業の無謀さを説いてくれさえすれば、ノーラは蒼治や紫を難題に巻き込まずに済んだように思える。

 だが、思い返せば、渚はこのようにも言っていた。

 「確か、アルカインテール、とか言ったかのう? その現地の状況については、地球圏治安監視集団(エグリゴリ)どももまだ十分に把握しておらぬのじゃろう?

 ならば、おぬしらが直接現地調査を行えば、クマのヌイグルミ以上の収穫も期待できるワケじゃな! ひょっとすれば、ここにおる子供たち全員どころか、このキャンプに住まう者達全てが享受できる、巨大な希望を手に入れられるかも知れぬ!

 これは、人員を裂くに十分な仕事じゃわい!」

 それから渚は、ホールをキョロキョロと見回し、ある2人の人物を見つけると、親指で彼らを指し示しなが言葉を続ける。

 「とは言え、次元干渉兵器が使用された現場におぬしら2人だけを送り出す、というのはあまりにも酷というものじゃ。

 じゃから、蒼治のヤツと紫も付けようぞ。

 あやつらはどうせ、子供が相手では全く戦力にならぬからのう」

 親指の先では、子供たちを相手に冷や汗を果敢ばかりにたじろぐ蒼治と、彼のすぐ側で壁にうつ伏せにもたれてぐったりとしている紫の姿があった。

 

 ――こうしてロイとノーラは、蒼治と紫の2人を一行に加えると、渚に連れられて施設を出た。

 そのまま渚は公共施設が立ち並ぶ区域をしばらく歩き回ると、放置された公園のように雑然と樹木と雑草が生い茂った区画の中に入る。難民キャンプを運営する"オレンジコート"は恐らく、ここにも何らかの施設を建設するつもりだったのであろうが、何らかの理由で計画が流れてしまったのだろう。

 子供たちが遊ぶにしても、あまりにも草むらが深いため、人があまり近寄らない。だが、それこそ渚にとって好都合だ。

 寸毫の躊躇(ためら)いもなく、腿のあたりまで生い茂る雑草の海の中を掻き分け、渚はサッサと進んで行く。その後をロイとノーラ、そして紫が進み、最後尾を蒼治がたじろぎながら進んで行く。蒼治はどうやら、草むらの中に潜む(ムシ)を懸念しているようだ。

 なにはともあれ、一行は木々に囲まれて外側からは見えにくい一画まで進むと、ようやく歩みを止めた。

 

 「さーて、早速じゃが、現地に送り込んでやるかのう!」

 渚がその言葉を口にするが早いか、背後からキンコンという澄んだ鐘の音を響かせて、彼女の天使を召喚する。例のごとく、天使に空間転移のための扉を開かせるつもりなのだ。

 渚がわざわざ人目につかない場所を選んだのは、天使を使役している場面を――ひいては、彼女が『現女神』であるという事実を赤の他人に知らせたくないからだ。どういう事情かは知らないが、彼女は"神"を冠する存在でありながら、崇め奉られることを毛嫌っている節がある。

 出現した包帯と鎖だらけの無貌の天使は、早々に転移の扉の作成に取りかかる。それが実体化するよりも早く、蒼治が眼鏡をクイッと直しながら渚に尋ねる。

 「良いのか、一気に4人も居なくなって? 人手、足りないんじゃないのか?」

 すると渚は、ケラケラと笑って手を振りながら答える。

 「もう取っかかりは出来ておるからのう、後は流れに乗っかるだけでも十分じゃわい。

 それにのう、蒼治に紫…子供を苦手とするおぬしらは、居ても居なくてもあまり変わらぬしな」

 「…戦力になれずに、スミマセン…」

 普段の嫌みたっぷりの強気はどこへやら、紫がションボリして答える。後に渚のことを尊敬していると彼女は語っていたが、それは偽りではないようだ。そして、紫の役に立てないことを本気で悔しがり、情けなく思っている。

 そんな彼女に対しても、渚はケラケラと謝罪を笑い飛ばす。

 「人間、誰でも得手不得手はあるものじゃ。おぬしだからこそ出来ることも沢山ある。じゃから、そう落ち込むでないわ」

 そんなやり取りをしている間に、扉の実体化が完了した。そしてギギィと重厚な音を立てながら開くと、純白の光が溢れる通廊が姿を現す。

 「アルカインテールの区域内に直通…とは行かぬが、だいぶ近い位置には転移できるはずじゃ。

 何かあったら、すぐにナビットで連絡するのじゃぞ。

 …とは言ってものう、空間汚染の度合いが分からぬからなぁ、まともに通信できるかどうか怪しいがのう」

 「まっ、オレたち4人も居りゃ、大大抵の事態はひっくり返せるさ」

 そう軽い口調で語ったのは、ロイだ。そしてその言葉を残すと直ぐに、通廊の中へと身を投じる。

 「…確かに、子供を相手にするよりは、戦地跡の探索の方が、僕には気楽だな…」

 蒼治は眼鏡の下で苦笑しながら、ロイに続いて通廊へと入って行く。

 「おぬしの場合は、他の取り柄も少ないからのう、今回の仕事で精々男を上げるのじゃぞっ!」

 そう語りながら渚は、バンッ、と蒼治の背中を強かに叩く。すると蒼治は、「おわっ!」と驚きの声を上げながらバランスを崩しつつ、通廊の中に全身を投じた。

 3番目に扉をくぐるのは、紫である。彼女は先の2人のように、渚へ何か言葉を残すことはなかったが…。

 「…この仕事って、実は結構無茶だよね…」

 そんな風に独りごちていたが、渚の耳には届かなかったようだ。…あるいは、聞こえていても敢えて無視されたのかも知れない。何にせよ、紫は特に突っ込みを受けぬまま、純白の輝きの中へと消えて行く。

 ――この頃には既に、紫はこの仕事の困難さを覚っていたようだ。

 さて、最後に扉をくぐりにかかるのはノーラだが…。扉を目前にしてふと足を止めると、渚の方に振り向く。

 現地へ向かうことに後込(しりご)みしたワケではない。ふと唐突に、疑問が湧き出たのである。

 「あの…先輩、1つ、伺ってもいいですか…?」

 「むうぅ? なんじゃ、言うてみい」

 「昨日…アオイデュアで、部員の皆さんで天使や士師を倒してましたよね…?

 そんな実力者揃いの星撒部なんですから…"獄炎の女神"のような非道な求心活動をする『現女神』を、どんどん成敗して行けば…多くの人の命も救えますし、絶望の発生も防げるんじゃないですか…?」

 その質問に対し、渚は苦笑しながら手をパタパタと振る。

 「そう上手く行くのならば、わしもとっくにやりたいところなのじゃがな…。なかなか上手く行かぬものじゃ。

 確かに、天使程度ならばなんとかなるやも知れぬが…士師はなかなかそうは行かぬ。

 昨日、おぬしは初戦にして士師を打ち破っておるからな、大した脅威に感じておらぬかも知れぬが…」

 「い、いえ…そんなことは、ないですけど…」

 慌ててパタパタ手を振って否定すると、渚はクスリと笑って言葉を続ける。

 「大前提として、士師は(すべから)く強い。

 昨日おぬしが士師との戦いで勝利を収められたのは、単純に、おぬしの方が強かったから、というワケじゃ。それは揺るがぬ事実じゃから、誇っても良い。

 じゃが、士師の強さは一定ではない。昨日おぬしが交戦した者どもより強い士師は、平気でゴロゴロしておる。

 特に、"獄炎"のヤツはやたらと士師の頭数を揃える傾向があるかのう。ゴロツキに毛が生えた程度の士師も沢山抱えておるはずじゃ。昨日、おぬしが交戦した個体はそれと同レベルかは定かではないがのう。

 しかし、"獄炎"のヤツも、本物の実力を伴った士師を抱えておる。中でも特に名を馳せておる個体が、"炎星の士師"レヴェイン・モーセじゃ。

 あやつは、地球圏治安監視集団(エグリゴリ)との戦いを幾度も潜り抜け、全てに勝利を収めておる怪物じゃ。そして何より、バウアーが一戦交えるも、仕留め損ねておる」

 ノーランがゴクリと固唾を飲む。とは言え、渚が非常に評価しているバウアーとの下りを気にしているというよりも、地球圏治安監視集団(エグリゴリ)に対する常勝の話題で畏怖を抱いていた。何せノーラは、バウアーの実力をその目で見ていないので、彼を物差しにして実力を推し量ることが出来ないのだから。

 何はともあれ、一気に緊張ムードとなってしまったノーラを、渚はケラケラと笑って肩を叩いてほぐす。

 「じゃが、今より向かうアルカインテールは、とうに戦いが終わった後じゃと聞く。士師のような厄介な相手に遭うこともないじゃろうよ。

 まぁ、見知らぬ土地の観光を兼ねておるのじゃと、気楽な気持ちで行ってくれば良い」

 「…分かりました。

 『現女神』の件については、私の浅はかな判断でした。そうですよね…そんなに簡単に澄むなら、地球圏治安監視集団(エグリゴリ)がとっくに『現女神』を管理してますよね…。

 …余計な考えでした…頭を切り替えて、これからの活動に集中します…」

 「うむ! 大きな成果が得られるよう、この空の下から見守っておるぞ!」

 渚から激励をもらったノーラは、それ以上足を止めることなく、純白の通廊の中へと身を踊らせたのであった。

 

 ――こうして現地、アルカインテールに到着し、そして現在に至る。

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