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Epilogue - Part 2

 ◆ ◆ ◆

 

 アルカインテールから難民キャンプに向かう飛行艦隊において、避難民の大半は『クリムゾンコート』の艦に乗り込んでいた。艦隊の先頭を飾る大和の艦には蘇芳や珠姫、レッゾと云った避難民も乗り合わせていたものの、『クリムゾンコート』の飛行艦に比べて容積がずっと小さいため、さほど人を乗せてはいなかった。

 大和の艦におけるメインの乗客と言えば、星撒部自身に加えてレナ、そして『クルムゾンコート』総司令のルミナリアと、部員の治療に当たる衛生班である。

 衛生班は実に手厚い治療をしてくれた。ノーラは治療魔術の過剰被曝(オーバードース)によって体組織に異常が起きるのではないかと冷や冷やしてしまったくらいだ。

 治療において特に物凄かったのは、やはりロイであった。アルカインテールを蹂躙する各組織きっての実力者との巴戦は、彼の体に重篤なダメージをもたらしていたのだ。そんな状態で苦痛をチラリとも顔に出さず、ヒョコヒョコと歩き回っていた事に、治療術士達は驚きを隠せないでいた。

 「骨、折れてるじゃないか…! 痛くないのか…!?」

 「いてっ! いてててっ!

 そりゃ、押されりゃ(いて)ぇに決まってるだろ!」

 「おいおい、こっち内臓破裂を起こしてるぞ…! よく失血ショック起こさなかったな…!」

 「あー、なるほど! 内臓、破裂してたのか!

 なんか滅茶苦茶(いて)ぇと思ってたンだけどよ、そうかそうか! 分かってスッキリしたぜ!」

 「…笑い事じゃないぞ。下手すりゃ命に関わるんだぞ…」

 治療術士にブツブツと諫められながら処置を施されている間中、ロイはたまに悲鳴を上げることこそあれ、大抵はケラケラと笑って過ごしていた。

 流石は『暴走君』と称されるロイ。こんな怪我は日常茶飯事なのかも知れない。

 何はともあれ、元気一杯なロイに安堵したノーラは、彼の次に気にかかる相手…イェルグに視線を向ける。

 イェルグは癌様獣(キャンサー)の大群に加えて"インダストリー"の機動兵器と交戦したにも関わらず、怪我の度合いは重篤ではなかった。衣類は派手に破けていたものの、それに比べて体の異常は驚くほど少なかった。

 ――いや、体に元から潜む異常のお陰で、重篤な傷を負わずに済んだ…と言うのが正確な表現であろう。

 イェルグの体のあちこちには青々とした蒼空が埋め込まれている。この部位を触診しようとした治療術士の指が、スルリと通り抜けたところを見る限り、イェルグの体の"空"は本物の空に違いないようである。

 そんなイェルグの体は、百戦錬磨のはずの地球圏治安監視集団(エグリゴリ)の衛生班もたじろがせていた。[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]によって多数の異相世界が入り交じったと言えども、体に空を埋め込んでいるような種族の存在は耳にしたことがない。

 (ロイ君のように、稀少種族(レア・レイス)なのかな…?)

 そんな疑問を胸中で転がしているレナの目の前で、イェルグは衛生班の人間に包帯を所望していた。空の体部を隠す布は壊れてしまったため、その代わりとして使うとのことだ。

 「私が、巻きますよ」

 そう申し出た女性人員に対し、イェルグはやんわりと固辞する。

 「大丈夫、慣れてるんでね。

 自分とやらないと、しっくりこないんだ」

 そんなやり取りを経て包帯だけを受け取ったイェルグは、術式を付加した後に右の二の腕にクルクルと巻き付け始めた。…と、彼の視線がふと、ノーラの顔に向けられる。ノーラの視線に気が付いたらしい。

 イェルグは初め、見つめられている理由が見当たらないと言った風体でキョトンとしていたが。やがて、「ああ、そういやぁ…」と声を出して、ニッと笑った。

 「後でこの体の事を話すって、言ってたよな。

 今でも聞きたい?」

 ノーラは失礼かも知れないと理性で分かっていながら、欲求に負けて首を縦に振る。

 「…先輩の気に障らないのでしたら…是非、お聞きしたいです」

 するとイェルグは包帯を巻く手を止めて、微笑みを浮かべたまま飄々(ひょうひょう)と語り出した。

 「それなりに面白い話だからな。何かの際の話のタネすると良いぜ」

 

 「オレのこの体は、故郷じゃそれほど珍しいものじゃない。

 ただ、珍しくないのはオレの故郷だけの話だ。故郷を出ちまえば、同じ世界の中だってビックリされるだろうよ」

 「…つまり…地域個体差とか、風土病…みたいなものなんですか…?」

 ノーラの問いに、イェルグは首を横に振る。

 「いや。別に故郷自体にゃ原因はないんだ。実際、新生児にゃオレ達みたいな異変は認められてないからな」

 「つまり、その特徴は…後天的なもの、ということですか?」

 「その通り」

 イェルグはノーラの顔を指差して肯定する。

 「これは、事故の後遺症なのさ」

 そしてイェルグは、"事故"について語り始めた。

 曰く――。彼の出身世界エバーブルーは、空が大半を占めている。この構造は世界創世時からのものではなく、後天的にして、なんと人為的な要因によるものであるという。

 エバーブルーの歴史を紐解くと、過去に魔法科学が非常に発達した文明の存在に行き当たる。しかしこの文明は、世界規模の致命的な術失態禍(ファンブル)を引き起こしてしまった。その結果、元々は惑星の体を成していた世界の構造が破綻し、大地や大海の大部分が失われ、蒼空が広漠と広がる世界と成り果てた。この世界で陸地と言えば、蒼空の中を雲に混じって点々と浮かぶ浮遊島のことを指す。

 人類の生活の拠点は勿論、浮遊島である。しかし、その(わず)かな体積から採取できるエネルギーや資源は余りにも少ない。

 そこで人類は、広漠たる蒼空に満ちあふれる強大な風霊と旧文明から引き継いだ魔法科学技術を利用し、発電や物質精製を行うことで、文明を存続させてきた。

 イェルグの故郷であった浮遊島も、その例に漏れない。巨大な風霊発電所と物質精製プラントを中心にした都市が築かれた、エバーブルーでは典型的な生活圏が構築されていた。産業の面では、プラントで数種の稀少金属を精製できた為に、他島から頻繁に飛行船が来訪するほど賑わいを見せていた。都市の生活水準も、エバーブルーの中では高い方であった。

 「空ばっかりの世界だってのに、空に飽きるどころか興味を持っちまったのは、飛行船で賑わう港の光景が根底にあるのかもな。

 実際、オレの小さい頃の夢は、飛行船の船長だったしな」

 イェルグはそう言葉を挟んで、更に話を続けた――。

 "事故"は別に、プラントがフル稼働していたために術失態禍(ファンブル)が誘発された…というワケではない。何時かはそんな事態が訪れる可能性もあっただろうが、本件では関係がない。

 原因は、正に不運と言って差し支えないものであった。

 エバーブルー観測史上でも類を見ない勢力を持つ嵐が、イェルグの故郷に直撃したのである。

 蒼空ばかりとなったことで風霊の力が強大に過ぎるエバーブルーでは、嵐の勢力は自ずと強くなりがちである。地球の各種台風など可愛い部類に見えるほどだ。

 そんな嵐が常在する世界のことであるから、人類は魔法技術を駆使した対策を講じてはいた。しかしながら、その時の嵐は対策を根こそぎひっくり返してしまうようなものであった。

 都市を防衛する結界は崩壊。岩をも穿(うが)つ勢いの氷雪と風雨が都市を飲み込み、暴れ狂った。

 結果、風霊発電機に過剰な風霊が供給されてしまい、術失態禍(ファンブル)が発生してしまったのだ。

 暴走し、牙を剥いた風霊達が、(ただ)でさえ逃げ場を失っていた人々に襲いかかった。発電所近くの住民達は瞬時に肉体を気化され、分子の欠片も残さずに嵐空の中へと溶け込んでしまった。

 しかし、彼らは苦痛を感じなかった分、幸運と言うことも出来よう。真に不幸であったのは、中途半端に風霊達の毒牙に掛かってしまった者達かも知れない。

 全身の気化を免れたものの、イェルグのように体部が空と化してしまったのである。

 今のイェルグの振る舞いを見ていると、その症状に一体どんな弊害があるのかと疑いたくなってくるだろう。しかしながらこの症状、実際に非常に厄介であり、残酷なまでに致命的な事態を引き起こすものであった。

 定義が"空"と化した体組織は、そのままでは元の機能を発揮出来ない。ただ"空"として体にはめ込まれているに過ぎない。つまり…心肺や中枢神経が空に浸食されてしまった場合、血液循環や呼吸を初めとする生命維持活動が停止してしまうのだ。これにより人々は、新陳代謝の停止や窒息の症状を呈し、多大な苦痛に苛まれながらゆるゆると死に向かっていった。

 空による浸食が運良く致命的な体部に起こらなかったとしても、暴走した風霊に襲いかかれて殺害されることも多々あった。

 こうしてイェルグの故郷は、地獄と化した。

 「オレは七人家族だったんだけどな。この事故っつーか災厄で、オレ以外みんな死んじまったよ。

 親父は発電所の作業員だったから、一瞬で気化しちまったらしいし。お袋やじーさんにばーさん、弟と妹は体を蝕んだ空にやられちまったのさ」

 「…すみません…辛い事、思い出させてしまって…」

 ノーラが目を伏せて語ると、イェルグは悲哀を含まずに、純粋に微笑んでみせる。

 「いやいや、気にしちゃいない。この話はもう、オレの語り草だからな。

 さすがに大笑いしながらってワケにゃいかんが、ヘコむことはないよ」

 そんなやり取りを挟み、話は続く――。

 イェルグも見ての通り、体の大半を空に蝕まれた。心肺を初めとした重要器官が欠損したために、彼もまた地獄の苦しみを味わった。

 しかし、どんな幸運が彼に微笑んだのか。それとも、先天的な才能でもあったのか。イェルグは空と化した器官の定義を取り戻し、虫の息で生き延びたのである。

 その後。故郷の浮遊島に救助の手がさしのべられたのは、嵐が過ぎ去ってから2日が経過してのことだった。島は風霊によって荒らされ、穴開けパンチを滅茶苦茶に使ったように酷く抉れてしまっていた。

 生き残った住人の大半は、故郷を捨てる事を望んだ。絶望的な破壊を目にしたショックに加え、島内を凶悪な風霊達が未だに闊歩しており、命の危険があるからだ。

 しかしながら、どこの浮遊島の都市も救助を差し向けることはあっても、住人を引き取ることは決してしなかった。体を空に蝕まれた不気味な姿を嫌ったのかも知れないし、彼らを引き入れることで同じ災害を呼び込んでしまうのではないかというジンクスを恐れたのかも知れない。

 とにかくイェルグは、家族を失った故郷から離れることなく、少年時代を過ごした。

 「空には家族を奪われ、故郷を滅茶苦茶にされたってのに…我ながらどんな神経してンのか、オレはどうにも空を憎めなくてね。

 毎日空だの飛行船だの眺めて過ごしてたし、飛行船の船長になるって夢も嫌気が差すどころか、膨らみっぱなしだったんだ。

 所詮は、自分の欲望にしか興味がない利己主義者ってことなのかも知れん」

 「いえ…そんなこと、ないですよ…!」

 イェルグの自嘲を、ノーラがすかさずフォローした。するとイェルグは一瞬、笑みに照れくさそうな色を交えて鼻の頭を掻いた。

 彼の話は続く――。

 空や飛行船ばかり眺めて過ごしていたとは言うものの、実際にはそんな気楽な時間ばかりを過ごしていたワケではなかった。島内は相変わらず風霊が闊歩しており、避難居住区が襲撃を受けることは多々あった。

 イェルグは居住区の衛兵の目を潜り抜けて独りで出歩いていたこともあり、単身で風霊と遭遇することも珍しくなかった。

 そんな時、イェルグは勿論、一目散に逃げ出していたものだが。やがて、思い通りに散策すら出来ない状況に嫌気が差し、風霊達に一泡吹かせてやりたいと考えるようになった。

 少年時代のイェルグは武器の扱いなどは知らず、衛兵達も彼に武器を預けてはくれない。かと言って、肉体を鍛え上げるだけでは、存在の重きを形而上相に置いている精霊を撃退することは出来ない。では、他に何か手段はないだろうか?

 そこでイェルグが着目したのが、自分の体を蝕む空である。

 彼は被災者の中では、体部の空との調和が最も取れている人物である。そこで彼は、体の空を利用して何か出来ないかと、コッソリと当てもない訓練を繰り返すようになった。

 その結果として手に入れたのが、体部の天候を操作し、外部にまで影響を与える能力である。

 そしてイェルグは、見事に風霊を撃退するまでの力を得ることに成功した。

 「んで、戦力になると分かった途端、故郷のヤツらだの他島から来た衛兵だのが、こぞってオレを当てにし始めたんだ。

 オレも悪い気はしなかったんでね、礼も貰えたことだし、頑張るまではしなくてもソコソコ働いてたんだよ。

 そしたらある日、ユーテリアからのスカウトが来たのさ。

 エバーブルーは異相世界とはあまり交流がないってのに、どこから話を聞きつけたのやら。本人に聞いても、いまだにはぐらかして教えてくれないんだよ」

 「本人…? スカウトの方って、ことですよね…? 今でも交流があるんですか…?」

 「そりゃ、勿論。何せ、我らが部活の顧問でいらっしゃるヴェズ・ガードナー先生だからな」

 その名前を耳にしたノーラは、「あっ…」と小さく呟いて納得した。アルカインテールに赴く前のこと、ノーラの前に姿を見せたヴェズは、スカウトで走り回っていると言っていた。

 「ウチの部にゃ、ヴェズ先生にスカウトされたヤツらが多いんだ。

 バウアーも渚も、ロイもだな。特にバウアーとロイは、ユーテリアの準生徒としてヴェズ先生にミッチリと基礎教養を教わった身だからな。恩師と言っても過言じゃないはずだ」

 「じゃあ、星撒部って…ヴェズ先生のスカウトしてきた生徒が集まる部活なんですか…? だから、先生自身が顧問に収まってるんですか…?」

 「いや、それはたまたまだよ」

 イェルグは手を左右に振って否定した。

 「まっ、バウアーと渚が立ち上げたからな。身近な教師と言えば、ヴェズ先生が真っ先に思い浮かんだってだけだろうよ」

 「それじゃあ…イェルグ先輩が、ヴァネッサ先輩と知り合うきっかけになったのも、ヴェズ先生のスカウト繋がりだったりするんですか…?」

 この質問にもイェルグは手をパタパタと振って「いやいや」と否定した。

 「ヴァネッサはノーラと同じ、正面からの入学だよ。

 あいつは名門軍人の家系でね、箔を付ける意味に加えて、名門に相応しい未来の旦那を見つけるためにも、ユーテリアに入学させられたらしい。ヴァネッサ自身は正直、ユーテリアへの入学は乗り気じゃなかったそうだぜ」

 「…それじゃあ、ヴァネッサ先輩とはどうやって、お知り合いに…?」

 イェルグは宙に目を泳がせて、暫し言葉を選んだ後に。ノーラへと視線を戻すと同時にこう答える。

 「まっ、所謂"ひょんな事から"ってヤツだな。

 ちょっとした小競り合いがあってな。その仲裁に入ったのが、オレとヴァネッサだったってだけだ」

 "小競り合い"と聞いて、ノーラはすぐにピンと来る。

 ユーテリアは"英雄の卵"と呼ばれるような優秀な生徒を擁する教育機関として有名であるが、その入り口は広い。望みさえすれば、よほどの問題がない限りは入学を拒否されることはない。

 故に、入学時点では能力差による淘汰が存在しない。すると、生徒の中には"英雄の卵"と称するには余りにも見合わぬ能力の持ち主が現れる。

 そして、彼ら"落第生"と"英雄の卵"の差は、時間の経過と共に顕著に増大してゆく。こうして生じた格差により、実力の有る者が無い者を卑下する事態も生まれてくる。または、血の滲むような努力を重ねて"英雄の卵"に相応しい力を付けた者が、努力もせずにのうのうと学籍を謳歌する生徒に不満を抱くことも少なくない。

 このギャップが衝突して、所謂"いじめ"のような行為が起こってしまう。

 ユーテリア側はこの問題が発覚し次第、速やかな対処を行ってはいるものの、相当の非がなければいじめた側に退学などの処罰を行うことはしない。"いじめ"の事実は決して褒められたことではないが、彼らの主張する不満が一理あることも多々ある。こういった事情も込み合って、能力格差による衝突の問題はユーテリアが抱える大きな問題の一つとなっている。

 ノーラもこうした"いじめ"の場面を目撃した事が数度あるが、仲裁に入った事は一度しかない。しかもその一度では、いじめられる側が持つ問題点を突きつけられ、何も言えなくなってしまったという苦い経験がある。それからは、心が痛むとも口出しすることはなくなってしまった。

 そんな難しい問題に取り組んだイェルグとヴァネッサには、敬意の念を抱かずにはいられない。

 「仲裁の方は、なんとか上手くいったんだ。そしたら、ヴァネッサのヤツ、オレのことを妙に気に入ったようでな。それからボチボチ一緒に行動するようになったり、あいつがウチの部に入ったりしたんだよ。

 そんで…まぁ、ある時に…その、な…」

 イェルグはボサボサになった黒髪をやたらと掻きむしりながら、はにかみ笑いを浮かべつつ舌の上で言葉を転がす。明らかに、照れている。

 何を言わんとしているか、ノーラも大体想像がつき、顔がほんのり赤く染まったのとほぼ同時。イェルグがようやく言葉を形にする。

 「あいつが、オレにコクってくれた」

 「…お、おめでとう、ございます…」

 ノーラはぎこちなく、とっさに頭に浮かんだ祝いの言葉を口にすると。イェルグは照れたまま、「あー、ありがとう」と答える。

 「それじゃ、ヴァネッサ先輩も、イェルグ先輩の体の事は当然、知ってるんですよね…?」

 「勿論。ウチの部で知らなかったのは、ノーラ、アンタだけだよ。

 でも、別に隠してたワケじゃない。ノーラは入部してからやたらと忙しかったからな、教える機会がなかっただけだ」

 面と向かって指摘されたノーラは、ここ3日のことを振り返り、イェルグの言葉を痛感して思わず苦笑いがこみ上げる。ただただ授業をこなすだけの毎日から、都市国家の危機の救助に参加したり、士師だの『バベル』だのといった化け物じみた存在と交戦したり…。客観的に考えると、とんでもない日々だったなと心底実感する。

 それはそれとして…ノーラの頭の片隅には、ヴァネッサがイェルグの体を初めて知ってどんな反応を示したのか。体の事を知った上で、付き合いを決心したのか。そんな乙女らしい恋愛事情への興味がムクムクと鎌首をもたげていた。

 その疑問を口にするより早く…もしかして、表情に出ていたのかも知れないが…イェルグから話題を振ってくれた。

 「ヴァネッサのヤツがオレの体の事を初めて知った時、そりゃあ、ちょっとはビックリしてたさ。

 だから、オレもこう言っておいたんだよ――オレは詰まるところ、身体障害持ちだし、身寄りもないような身の上だ。対してお前は、五体満足だし名家のお嬢様だ。釣り合わないから、恋仲になるはよそうぜ――ってな。

 そしたら、ヴァネッサのヤツにスゲェ叱られたよ。

 生まれだとか、身体がどうだとか、身寄りがどうだとか、そんな事で決めたんじゃない。オレという人間そのものが気に入ったんだ…ってな。その気持ちは例え、自分の親兄弟になんと言われようとも、曲げるつもりは無い…ってよ。

 そんな言葉、真っ正面から恥ずかしげもなく言われてみろよ」

 イェルグはちょっと照れくさそうに笑ってから間を置いて、そしてポツリと漏らした。

 「()れるしかないだろうが」

 そんな惚気(のろけ)話を耳にしても、ノーラは気を悪くすることも恥ずかしくなることもなかった。むしろ、胸の中を快晴の空を走る爽やかな風が吹いたような気分を感じていた。

 なにせ、イェルグときたら身体に張り付いた蒼空よりもなお爽やかな笑顔を見せていたのだから。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ノーラは思考を回想から現実に戻す。

 現実のイェルグは、ヴァネッサの隣に座って、未だに向かいの席の大和をからかいながらフォローしている。

 イェルグとヴァネッサは部内でも公然の恋仲であるが、目のやり場に困るようなベタベタした行為は決して見せない。今も隣の席同士ながら、手を握り合ったり肩に腕を回したりといったスキンシップを見せない。他の部員に接する時と同じように、極々自然な態度で喋ったり笑ったりするだけだ。

 見る者が見れば、ドライな関係と評するかも知れない。

 しかし、これこそが彼らの絆の体現なのだ…と、ノーラは今、はっきりと理解した。

 スキンシップによる物理的な接触を得なければ安心できないような、脆い絆ではないのだ。離れていれば多少の心配はするだろうが、それでも絆に対する信頼が揺らぐことなどない。そんな強固な絆が、2人の間に確実に根付いているのだ。

 ヴァネッサがイェルグに詰め寄っている場面はよくよく見かけるものの、それは決して絆の亀裂の具現ではないのだ。それは、ヴァネッサのイェルグに対する甘えの形なのだ。

 イェルグはそれを百も承知なのだ。彼にとってヴァネッサのそういう行動は、絆を料理に例えるならばスパイスのようなものに過ぎないのだ。それで絆の"味"や"風味"が良くなることはあれ、ひび割れて壊れてしまうことはないのだ。

 (もしも…私にも想いを共有できる人が出来たら…お2人みたいな絆が築けると良いなぁ…)

 春の日差しを視界に入れた時のように、ノーラは微笑みに目を細めて大和を中心とした騒ぎを見つめている。

 

 そんな最中。

 店内に、落雷を思わせるような勢いでバンッ! と大きな音が轟く。

 テーブルに座す部員およびレナ一同だけでなく、料理を運んで来たウェイトレスまでがビクッと身体を(すく)めて、音の方を向く。

 音の主は、店内に入ってきた渚である。先ほどの音は、店の扉を力任せに思い切り開いた音のようだ。

 ドスドスと大股で席へと進む渚の顔は、ムスッと頬が膨らんでいる。バウアー本人にレナの話の真偽を直接問い(ただ)していたようだが、この様子からすると不幸にも真実であったらしい。

 叩き壊さんばかりの勢いで椅子を引き、そしてドカッと腰を下ろす、渚。そんな彼女に柔和な微笑みを浮かべながら(なだ)めるのは、隣に差す紫を越した先に居るアリエッタである。――ちなみに紫は、渚の事を尊敬しているとは言え、爆弾のような状態の彼女を刺激する勇気はないようで、ぎこちなく身を(すく)ませているばかりだ。

 「あらあら、渚ちゃん。どうしたのかしら?

 せっかくの打ち上げの席なのに、そんな顔をするなんて、勿体ないわ。ほら、スマイルで楽しみましょう」

 「こんな顔、したくてしてるワケではないわい!

 悪いのは、ぜーんぶっ! バウアーのバカタレの所為(せい)じゃ!」

 そして、フライドポテトや鶏の皮の唐揚げをザラザラと皿の上に山と盛ると、口いっぱいに頬張る。冬眠前のリスのように膨らんだ口腔の隙間から、プンスカネチネチとした調子で文句が漏れる。

 「全く…っ! 何じゃ、何じゃ! わしと会えば時間が掛かるから、それを避けておったじゃと…!

 別銀河と学園とを行き来する方が、よっぽど手間暇掛かるじゃろうが…っ!

 ならば、わしと一言二言話すくらい、なんの事があろうか…!」

 渚の全身から溢れ出すトゲトゲしい感情に、宴の雰囲気が黒く染まってゆく。ロイだけは持ち前の鈍感さで、何事もないように料理を胃袋に詰め込み続けているが、それ以外のメンバーは雰囲気に当てられて気まずい感じになる。

 事の発端となったレナすら、"やらなきゃ良かった"という後悔の言葉が顔に張り付いている。(なだ)めていたアリエッタも、微笑みに苦いものが混じってしまう。

 渚とバウアーは星撒部を立ち上げた者同士であるが、それ以上の深い仲――例えば、イェルグとヴァネッサのような男女の仲にあるのかも知れない。部員達の口からはそんな話が出たことは無いが、それが事実だとすれば、渚もヴァネッサのごとくヤキモチを抱きやすいタイプなのかも知れない。

 その事実はどうあれ、場が険悪になるのは、宴の主賓たるノーラとしても好ましいことではない。そこで彼女は、雰囲気を変えるべく、バウアーから離れる話題を振ることにする。

 「あ、あの、副部長…。

 アルカインテールの件なんですけど、『パープルコート』以外の勢力は、どうなったんですか…? 何かペナルティを課せられたんですか…?」

 すると渚は、「ああん!?」と不良少女が因縁付けるような有様で訊き返してくる。ノーラはビクッとして身構えたが、転瞬、渚は険悪さを引っ込め、腕を組んで答える。

 「うむ、一応課せられたのじゃが…。

 癌様獣(キャンサー)と"インダストリー"は、実質何の不利益にもなっておらんじゃろうよ」

 渚の様子にホッと胸をなで下ろしたノーラは、この流れを続けるため、そして自身の好奇心を満たすために続けて(たず)ねる。

 「それって、どういうことですか…?」

 「まず、癌様獣(キャンサー)についてじゃが」

 「渚は手にしたポテトで目の前のトマトソースをグルグルかき混ぜながら語る。

 「あやつらには、原則として向こう30年間は人類として認可せず、また地球圏との一切の交流を認めない、とのペナルティを課したようじゃがな…。

 あやつらは元々、地球圏のみならず、他種族とも交流が非常に薄い。誰に咎められようが構わずに、侵略しては蹂躙し、資源とエネルギーを奪取して自活しておる。

 今回のペナルティが課せられたとしても、何の影響もないじゃろう。あやつらには人類として認可されたいという欲求もないじゃろうしのう」

 「…そう考えると、なんだか不思議な生き物ですね…」

 ノーラが素直に胸中に浮かんだ疑問を口にすると、渚は眉根に(しわ)を寄せて「むうぅ?」と食いつく。

 「癌様獣(かれら)は元々、自活出来る能力がある種族ですよね…? それなら、面倒な敵対行動を取って報復の危険性を(おか)してまで、地球圏に(こだわ)る必要はないじゃないですか…?

 どうしてカイパーベルトに巣窟の飛び地を置いてまで、地球圏…というか、地球に拘るんですかね…? 数量で攻めきることもしませんし…」

 「あやつらについては、交流もないことじゃし、未知の部分が多い。わしは専門家でないから、稚拙な予想程度しか立てられぬが…。

 『冥骸』の[[rb:死語生命]]のように、あやつらのルーツに地球が関係しておるのかも知れぬな」

 「ルーツに地球、ですか…。

 でも、[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]以前の地球って、魔法科学は概念すら存在しませんでしたし、宇宙航空技術も生まれたての赤ちゃんみたいなものでしたよね…?

 そんな状況下で、癌様獣(キャンサー)のように高度な魔法科学技術を体質に取り入れた生物とどんな接点を持てるんでしょうね…?」

 ノーラの問い返しに、渚は苦笑いを浮かべる。

 「じゃから、わしの稚拙な予想と言ったじゃろうが。専門家ですら言い当てておらぬ事実を、専門外のわしが言い当てられるワケが無かろう」

 「あ…すみません。つい…考えてみると、結構面白くて…」

 「ならば、詳しそうな教諭を捕まえて話を聞いてみると良いじゃろう。種族分類学の教諭で詳しいのは…さて、誰じゃったかのう…?」

 首を捻る渚に対し、ノーラはパタパタと手を振る。

 「すみません…、今は良いです。後で自分で調べてみますから。

 それよりも、"インダストリー"と『冥骸』について、聞かせてくれませんか…?」

 渚は「ふむ」と(うなづ)いてから、ノーラの問いに答える。

 「"インダストリー"には現状、罰金のペナルティが課せられたが、それ以上の処罰――例えば、地球圏文化と一定期間の取引中止などじゃな――については、議論中とのことじゃ」

 「つまり…場合によっては、罰金だけで済んでしまう…ということですか?」

 ノーラの問いに、渚は即座に首を縦に振る。

 「しかも、罰金のみの処罰に留まる線が濃厚のようじゃ。

 罰金も、"インダストリー"の規模からすれば会社が傾く程の金額ではないようじゃしのう。

 そんな余裕ある状況故に、いけしゃあしゃあと大和にスカウトのメッセージを送りつけて来たりしておるのじゃろう」

 「ホント、迷惑千万な話ッスよ…」

 渚の話を耳にした大和が、ガックリとうなだれながら言葉を挟む。

 「オレはアルカインテールの避難民の皆さんを助けた立場なのに…(はた)から見ると、"インダストリー"の片棒を担いでいたように見えるじゃないッスかぁ…。

 あんなドス黒企業となんか、絶対関わりたくないって思ってたのにぃ…」

 大和の怨嗟(えんさ)の声にノーラは思わず苦笑いを浮かべながら、渚に問い返す。

 「癌様獣(キャンサー)と比べると、随分と軽い処罰ですよね…? どういう事なんでしょうか…?」

 「まっ、簡単な理屈じゃよ」

 渚はラッシーをゴクゴクと飲み下すのを挟んでから、言葉を続ける。

 「地球圏の国家や組織には、"インダストリー"と取引を持つ者が多い。あやつらは兵器だけでなく、私設軍隊を派兵しての戦力貸与だの訓練請負もビジネスとしておるからのう。

 それが打ち切られてしまえば、国家や組織としての力が如実に減じてしまう。それを危惧しておるのじゃよ。

 それ故、アルカインテールの一件は利潤追求という一般的な企業理念に適うものであり、『バベル』自体を作り出したワケではないのだから、倫理観の欠落もさほど認められず罪状は軽度だ、と主張する者まで出ている始末らしい」

 「まさに、他人の庭での出来事は他人事、って態度ですねー…何か嫌な感じですよね」

 紫が、次第に平静を取り戻してゆく渚に安心して言葉を挟む。渚はそれに同意し、溜息を吐きながら首を縦に振る。

 「個人レベルですら、他人と意識を完全に共有できないが故に、印象の齟齬(そご)やら、過大または過小の評価が起こる。そんな個人が大量に集まった国家となれば、推して知るべし、というところじゃな。

 どんなに時代が進み、科学が劇的な進歩を遂げようとも、こういった感情面の進歩は何万年経とうが横這いなのじゃろうな…としみじみ思うわい」

 「お前のその言葉遣いでそんな事言われると、実際に時代を見てきたように感じちまうな。

 よっ、おばあちゃん!」

 レナが横からからかうと、渚は「黙らんかい、闖入者めが」とからかい半分で返す。"おばあちゃん"の言葉に怒らないのは、彼女が見た目通りのティーンエイジャーであるが故の余裕であろう。

 「まぁ、兎に角じゃ。

 反省の色もなく、のうのうとのさばっとる両者は、是非にも『冥骸』の態度を見習ってほしいものじゃな」

 渚が話題を戻して、言葉を続ける。

 「今回の件で一番まともに反省しておるのは、『冥骸』だけじゃよ。

 ペナルティの裁定が下るより早く、アルカインテールの復興の援助を申し出ておった。他にも、死後生命(アンデッド)ならではの国際的援助を無償で行うことまで約束してのう。

 これまでの経緯から地球圏住民からの風当たりは厳しいと言うに、それを甘んじて受け入れた上で、自ら罰を背負うことを選んだのじゃ。

 立派な心がけじゃわい」

 「うんうん、立派だよねっ! じーちゃん達、よく頑張った!」

 渚の言葉の直後に、すかさずナミトが口を挟むと。渚は意外そうに数度パチクリと瞬きしてから問う。

 「むうぅ? ナミト、『冥骸』の現状を把握しておったのか?」

 「うん!

 アルカインテールで仲良くなってから、じーちゃん達とは連絡取り合ってたんだ!」

 そしてナミトは、頭の後ろに両手を回して、感慨深げに眼を閉じながら言葉を続ける。

 「ホント、地球側との和解が進んで良かったよぉ!

 そもそも、じーちゃん達がグレちゃったのって、地球側にも責任があるじゃん? それなのに、一方的にじーちゃん達だけが悪い扱いを受けてたんだからねー。不公平だったと思うよー」

 ナミトの言う通り、『冥骸』には悲劇と評して過言でない結成背景がある。

 『冥骸』所属の古参の死後生命(アンデッド)達は、地球の旧時代末期において『怨霊兵器』と称されて国家に利用されていた者達である。[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]以前の魔法科学が確立していない時期、地球上の死後生命(アンデッド)は自我の乏しい存在であった。そこにつけ込んで、地球人類は機械的な方法で彼らを操作し、損傷しない兵器として利用してきたのである。

 しかし、[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]勃発後に、死後生命(アンデッド)達が自我を確立していった事から、地球人類は彼らに危惧を抱いた。何らかの理由で反抗心を抱き、その結果として反乱などを起こされることを恐れたのである。そこで地球人類は『怨霊兵器』達を太陽系外縁宙域へと追いやったのだ。

 『怨霊兵器』達からすれば、貢献に貢献を重ねてきた挙げ句に、その報酬として手酷い仇を返されたワケだから、憤るのは当然と言える。

 「[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]勃発直後の時期の地球は、まだまだ悪名高き米帝が幅を利かせておったがのう。今とは名前が残るばかりの存在と成り果てたというに、米帝の定めた『怨霊兵器』追放宣言が惰性で効力を発しておった状況を是正せんかった地球にも、大きな非はある。

 地球側としてはこの非を素直に認めた上で、今回の『冥骸』の働き如何によっては、彼らのための都市国家の建造を認めるつもりのようじゃ。

 『冥骸』に煮え湯を飲まされていた連中からは、当然反発の声が上がっておる。とは言え、『冥骸』の背景に同情する勢力の方が圧倒的多数らしいからのう、都市国家は近い将来実現するじゃろうて」

 ナミトは渚の言葉を嬉しそうに(うなず)きながら聞き終えると、人差し指を立てて、今度はロイに視線をやりながら語る。

 「それにしても、ビックリしたなぁ! 今回の和解の話を発案したのが、『破塞』のじーちゃんでも『涼月』のじーちゃんでもなくてさ。亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)おば…おっと、お姫様だって云うんだもん!

 ねぇ、ロイ! ビックリだよねぇ!」

 話を振られたロイは「うん?」と聞き返しながら料理を口に運ぶ手を止めると。視線を宙に泳がせてから、あっけらかんと語る。

 「…誰だ、そいつ?」

 「ちょ…っ!

 戦ったじゃんかッ! ゴスロリがビシッと決まった、怨霊(レイス)のお姫様!」

 「…ああー、はいはい!

 あいつか、あいつね!

 へぇー、あの強情そうなヤツがねぇ! そりゃ、ビックリだ!」

 「なんでも、ロイと負けてから考えが変わったんだってさ!

 ロイの拳はひたすらに殴るしか芸がないと思ってたんだけど、心を真っ直ぐにも出来るんだねぇ! ボク、見直したよ!」

 「…その言い方、バカにされてるように聞こえるンだけどよ…?」

 ロイが半眼で睨むが、ナミトは悪びれもせずニコニコとするばかりである。

 そして『冥骸』に関する話題の締めくくりとして、渚の言葉が場に響く。

 「怨嗟のぶつけ合いだけでは、問題の解決なぞ決して望めぬ。時には信念を見直し、誤謬(ごびゅう)を正して進むべき方向を修正することも必要じゃ。

 おぬしらも、己の信念を盲信してはならぬぞ」

 響きの良い言葉であるが、すかさずレナが横やりを入れる。

 「そういう言い方してると、お前が『冥骸』の連中以上に歳食ったばーちゃんに見えるぞ」

 すると渚はケラケラと笑いながら、言葉のトゲをいなす。

 「成熟した心の持ち主と言ってもらおうかのう!」

 ――どうやら、バウアー関係によって悪くなった機嫌はすっかり良くなったらしい。(はた)から彼女を眺めるノーラは、ホッと一息を吐く。

 そんな渚が、急に眉根に(しわ)を寄せたのは、バウアーの事を思い出したからではない。頭を過ぎる別の話題によるものだ。

 「しっかし…今回の件、『冥骸』は勿論除外として、癌様獣(キャンサー)よりも"インダストリー"よりも、気に食わぬ者どもがおる。

 肝心の、事件の首謀者どもじゃ」

 その言葉に、ノーラはキョトンとして問い返す。

 「首謀者って…『パープルコート』のアルカインテール駐留部隊のことじゃないんですか…?

 彼らへの処遇は決定したって、言ってましたよね…?」

 渚は(かぶり)を振る。

 「駐留部隊の全人員が首謀者ではないじゃろう。大半の者は、上からの命令に従っただけじゃ。まぁ、悪事に荷担したことには変わりないからのう、ペナルティを課せられたワケじゃが、彼ら全員が軍法会議に掛けられるワケではない。

 真に非難せねばならぬのは、『バベル』計画を構想して指揮し、実行の総責任者として働いていた者共。

 具体的に言えば、アルカインテール駐留部隊の総指揮官であるヘイグマン・ドラグワーズ大佐。そして、彼に同調して『バベル』の研究開発を押し進めたツァーイン・テッヒャー博士じゃ」

 「その人達が、どうしたんですか…? 文民も含まれているようですし、国際法廷の場で罪を裁かれるんじゃないんですか…?

 罪状は数多いでしょうし、判決…というか処罰の決定までには、時間がかかるんじゃないでしょうか…?」

 「うむ、そういう話は百も承知なのじゃが…。

 法廷を開こうにも、肝心の2人が姿を消しておってのう。地球圏治安監視集団(エグリゴリ)にしてもアルカインテールにしても、しっくりこない状態になっておるのじゃ」

 「そう…なんですか?」

 ノーラはちょっとした驚きと共に聞き返す。

 『バベル』事件終息後は、直ちに入都した『クリムゾンコート』によって都市は完全に制圧されたはずだ。その中から、実力主義の元で大佐の地位にまで上り詰めたヘイグマンが居るとは言え、たった2人で『クリムゾンコート』を潜り抜けて脱出出来るとは到底思えない。

 まして、『バベル』破壊時の魔術的フィードバックにより、彼ら2人が定義的な損傷を受けたであろうことは想像に難くない。そんな手負いの状態では、まともに身体すら動かせないかも知れない。

 そんなノーラの思考に同調するように、渚は首を縦に振る。

 「2人の失踪については、不明な点が多々あるのじゃ。

 まず、ヘイグマン大佐については、『パープルコート』の拠点基地内で彼の崩壊した肉体が見つかっておる。しかしながら、現場の記憶走査によれば、大佐は魂魄だけの状態で肉体を抜け出しておることが確認されているそうじゃ。

 大佐は肉体的には死んだかも知れぬが、死後生命(アンデッド)として存在を保持し続けている可能性が高い。

 そして、ツァーイン博士については、崩壊した肉体の一部と、移動して出来た血痕が複数見つかっておるそうじゃ。彼の生存は確実じゃろうな。

 何にせよ、2人は手負いの状態じゃ。だというのに、大量の兵員が投入されている状況下で、閉鎖された亜空間中にある拠点から、おめおめと逃走しておる。

 しかも、投入された兵員には死傷者まで出ておるのじゃ。

 誠にきな臭い話じゃろう?」

 「…誰かが2人の逃走を手引きした、という可能性はないんですか…?」

 そう訊いた矢先、ノーラはハッと口を(つぐ)んでから、付け加える。

 「『クリムゾンコート』の兵員だらけのアルカインテールに潜入していたり、ましてや侵入した…というのも、考えにくい話ですけど…」

 しかし渚は、ラッシーを飲み下しながら、酷く真摯な面持ちで首を縦に振る。

 「いや、その可能性が大有りなんじゃよ。

 拠点での死傷者のうち、生存者はほとんどが意識不明の重体に陥っておるのじゃがな。極(わず)かな話の聞ける者達から聞いた話には、男女の2人組を見かけた、ということなのじゃ」

 「男女…ですか」

 言葉を返しながらノーラは頭中で思考を転がすが。星撒部の中で一番の新参者である彼女が外界の事情に詳しいワケがなく、すぐに考えは頭打ちになる。

 「うむ。その2人組が一体誰なのかについても記憶走査が行われたそうじゃが…記憶の定義が滅茶苦茶に破壊されておってのう。髪の毛一本程度の情報も得られぬようじゃ」

 「そうですか…」

 ノーラが相づちを打った直後、渚は「しかし」と続ける。その表情は、酷く苦々しい。

 「わしは…いや、地球圏治安監視集団(エグリゴリ)もそうじゃろうが…大体の見当がついておる。

 これが確かならば…厄介極まりない話じゃよ」

 「…その誰かって、一体…」

 尋ねるノーラを、渚はピタリと手のひらを向けて制する。

 「その内、時がくれば嫌でも分かる。

 じゃが、今は知らん方が良い。

 …意地悪しておるようで申し訳ないのじゃが、今はそれで納得しておいてくれい」

 ノーラの刺激された好奇心は暴れ出さんばかりであったが、渚の刃のように冷たく険しい表情に押されたこともあり、食い下がりたい気持ちをグッと飲み下す。

 そんなノーラの気を逸らそうというのか、渚は別の話題を振る。

 「それで、事件に関する裁判については、2人の代わりにヘイグマン大佐に一番近しいとされていたゼオギルド・グラーフ・ラングファー中佐を被告として開廷する方向で検討されておるようじゃ。

 ロイ、おぬしのよく知るラングファー中佐じゃぞ」

 いきなり話を振られたロイは、左頬を一杯に膨らませながら咀嚼(そしゃく)しつつ、(しば)し視線を宙に泳がせると。ゴクリッ、と飲み込んでからキョトンと語る。

 「…誰だっけ、そいつ?」

 再びのとぼけた発言に、渚のみならず、彼女の隣の紫までも思わず苦笑い。

 「おぬし、健忘症のきらいがあるのではないか…?

 おぬしが5つ巴の戦いを繰り広げていた時の、『パープルコート』側の相手じゃ。五行系統の魔術を使う男じゃよ」

 「…ああーっ! あのアゴ野郎か!」

 ロイは心底納得し、ポン、と手を打つ。どうやらロイは、5つ巴の乱戦の中で戦った相手を印象でしか覚えていないらしい。まぁ、乱戦の中では名前を訊いたり覚えたりする暇などないのも事実であろう。

 「開廷予定ってことは、まだ裁判は開かれてないのか。

 迅速な対応を売りにしてる地球圏治安監視集団(エグリゴリ)しちゃ、珍しいンじゃねーか?」

 食事にばかり集中しているかと思いきや、話はしっかり耳に入れていたらしい。ロイが続けてそう尋ねると、渚は(うなず)いてから答える。

 「ラングファー中佐は重傷を負っており、現状では法廷に立たせるのは酷と判断したらしいのじゃ。

 十分回復させた後に、しっかりと経緯を聴取するつもりとのことじゃ」

 「いっつもの事だけどさ、ロイはやり過ぎンのよ」

 紫が毒を含んだ笑みをニマリと浮かべてロイを刺す。しかし当のロイは苛立ちもせず、ポリポリと頬を掻く。

 「確かに、足腰立たなくなる程度にゃブッ叩いたけどよ。

 あいつのガタイなら、地球圏治安監視集団(エグリゴリ)の治療を受けりゃ直ぐにピンピンするだろうさ」

 「うーむ、それならば良いのじゃが…。

 聞くところに寄れば、治療経過はあまり(かんば)しくないらしいのじゃ。

 怪我の程度も()ることながら、精神的なダメージも大きいようでな。マトモに問答するには、結構時間がかかりそうとの話じゃ」

 「そう…なんですか…」

 渚に答えたのはロイではなく、ノーラである。

 「そうなると…確かに、スッキリしないですよね。

 本当の首謀者は居ない。及第点の当事者も深手の為に治療しなくてはならず、法廷がなかなか開けない…。

 私がアルカインテールの住民だったら…あまり良い気分じゃないですね…」

 渚は、うむ、と同意しながら頷く。

 「ベストが叶わなくとも、なるべくベストに近いベターな結果になることを祈るばかりじゃ」

 遠い目をして語る渚に、ノーラも頷いて同調するのだった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 地球圏治安監視集団(エグリゴリ)の本拠地のある都市国家アルベルは、他の都市国家には見られない特徴がいくつも存在する。

 その1つが、形状である。

 普通の都市国家は市壁に囲まれた円形のものだ。発展する場合も同心円状に面積を広げるので、余程の地理的な問題がない限りは円形が崩れることはない。

 しかし、アルベルは円形が7つ、丁度北斗七星の形に連なった形状をしている。発展に際しては北斗七星の形を壊さぬよう、上に向かって延びてゆく。故にアルベルはしばしば、"積層都市群"と呼び慣わされる。

 一方で、発展は絶対に地下方向には及ばない。とは言え、岩盤が堅すぎるといった要因で地下に構造物を建設できないというワケではない。単にアルベルの地下は、正に"日の当たらない場所"――いや、"日を当ててはいけない場所"として確保されているからだ。

 廃棄物や下水の処理施設は勿論のこと。各軍団の任務で回収された危険物を保管す施設などが存在する。

 その類の1つとして、"フィフス"と呼ばれる子都市の地下には、地球圏治安監視集団(エグリゴリ)より生じた犯罪者達を専門的に収容する刑務所が存在する。

 地球圏治安監視集団(エグリゴリ)に所属する者達は、例外なく高い水準の魔法技術を有している。そんな彼らを収監するのに通常の刑務所では全くの役不足である。檻のみならず壁までも一瞬で破壊され、脱走されかねない。

 故に"フィフス"地下の刑務所には、他の刑務所には見られない非常に高い拘束機能が備わっている。例えば、収監者にあてがわれる独房には窓どころか出入り口さえ見当たらない。加えて、独房内は(すべから)く耐魔術用の魔化(エンチャント)を施している上に、収監者の体内にも魔術使用を禁じる身体魔化フィジカル・エンチャントを施している。この為、転移魔術を使っても収監者が脱獄できないようにしてある。

 一方、看守等の職員が見回り等のために移動を行う際には、存在定義認証と暗号キーを用いた魔術使用許可を取った上で、転移魔術を用いるのである。

 

 さて、こんな鉄壁にして孤独な刑務所の一画に、元アルカインテール駐留部隊のゼオギルド・グラーフ・ラングファー中佐は収監されていた。

 彼の独房は、他の者に比べて少し賑やかだ。テーブルやトイレこそ他の独房と全く同一だが、ベッドは医療用のものだし、治療用の薬剤を投与する点滴のスタンドというインテリアもある。これらの待遇は収監時に酷く負傷していた彼に配慮してのものである。

 収監されて2日目。ゼオギルドの肉体的損傷は1日目に施された手厚い治療の甲斐もあって、ほぼ全快している。実際に彼は痛みもだるさも感じていない。

 これが普段の彼ならば、殺風景すぎるこの部屋での膨大な退屈時間をしのぐためにも、身体トレーニングを行っていたことだろう。猪突猛進な性格の彼は何度も営倉送りになったことがある。場所がアルベルの独房に移ったからと言って、へこたれるような彼ではないはずだが…。

 2日目に入った彼は、筋骨隆々の巨躯をベッドに横たえたまま、白一色の壁と向かい合ってジッとして動かない。…いや、時折僅かに肩やら足先やらがプルプルと震えることはある。が、目立った動きは何一つ見受けられない。

 そんな彼の独房内に、突如、転移と防御結界の両面を備えた方術陣が音もなく現れる。直後、その中に3人の人物が現れる。

 一人は、医療用の白衣を身につけた中年の男。この刑務所に常勤医である。そして彼の手前には、機動装甲服(MAS)とはいかないまでも、全身を完全武装した蛍光緑色のコートを来た兵士達。刑務所の運営に携わっている3軍団の1つ、『ライムコート』に所属する看守である。

 「ゼオギルド。検診の時間だ。

 起きろ」

 看守の1人が命令するが、ゼオギルドはピクリとも動かない。看守は舌打ちして、明らかに苛立った語気でもう一度命令する。

 「起きろ…! おい、耳付いてンのか! 起きろと言っている!」

 それでもゼオギルドは(だんま)りを貫き、微動だにしない。

 するともう一人の看守が、マスク越しに目を刃のように怒らせて、火を吐くような怒声を上げる。

 「いい加減にしろよッ、恥(さら)しッ!

 そうやって腑抜けたフリしてりゃ、正しくも優しい法廷様が待っててくれて、実刑が遠のくと思ってるんだろうがッ!

 そうは行かねぇぞッ!

 テメェの病人の化けの皮なんざ、すぐにひっぺ返されるんだよッ!

 何がストレス性の精神衰弱だぁ!? 好き勝手暴れ回って来たテメェが、そんなモンにドップリ浸かるタマかよッ!」

 収監2日目にして、ここまで看守の怒りを買うにはワケがある。アルカインテールの一件で地球圏治安監視集団(エグリゴリ)の信用を(おとし)めた事への怒りも勿論ある。加えて、昨日の治療後に五体満足になったものの、今のように(だんま)りを決め込んで動かず、食事さえも摂らないのだ。これでは看守が収監者を(いじ)めているかのような構図になってしまい、看守は苦々しい想いを抱いているのである。

 「テメェ…!

 トイレに行く時はモゾモゾ動くくせによぉッ!

 ちょっと起きるくらい、もっと簡単だろうがッ!」

 最初に声をかけた看守が怒りを爆発させ、ズカズカとゼオギルドに近寄ろうとするが。それの肩をとっさに掴んで制したのは、常勤医である。

 いきり立って睨みつける看守の眼光にも怯まず、常勤医は静かに首を左右に振ってみせる。彼の(かげ)りを帯びた憂いの視線は、看守の熱くなった思考に冷や水を浴びせる。バツが悪そうに、チッと舌打ちした看守はプイッとそっぽを向いてゼオギルドから大きく視線を逸らす。

 看守とは対照的に、常勤医はスタスタと2、3歩ゼオギルドへと近寄ると、出来る限りの柔らかさで声を掛ける。

 「中佐。食べずに寝てばかりでは、身体にも心にも毒です。その勇ましい身体が(みじ)めになってしまいますよ。

 今日の夕食はカツレツですから、是非とも味わって下さい。この刑務所、娯楽の類は全くありませんが、その分食事だけは刑務所とは思えないほど絶品ですよ」

 しかし、ゼオギルドは常勤医の温かな声にもピクリとも反応せず、背を向けて寝ころんだままである。

 その様子に看守2人は再び頭に血が昇り始めるが。常勤医はクルリと踵を返すと同時に片腕ずつ彼らの肩をポンと抱くと。

 「行きましょう。

 私の用事は済みました」

 そうボソリと呟く。

 常勤医の用事とは、勿論、ゼオギルドの治療とその経過の観察である。その目的は無論、一刻も早い裁判開廷を実現させるためだ。しかし、常勤医は治療と呼べるような処置もしなければ、具合を計るための診察すらもしていない。それでも彼は、"用事は済んだ"と言い、退室を促している。

 看守達は常勤医が患者であるゼオギルドに情が移ったのではないかと(いぶか)しみ、再度刃のような視線で睨みつけたが。常勤医の(かげ)った(まなこ)に宿る冷気に、同情とは全く異なる奈落のような負の感情を見い出すと、ハッと息を飲む。

 それから直ぐに看守は暗号キーを使うと、3人は一瞬にしてゼオギルドの独房から姿を消す。

 

 3人が転移した先は、刑務所内の通路である。

 各独房へと移動するには転移魔術を使わねばならないにも関わらず通路が存在するのは、何処からでも独房へと転移出来るワケではないからである。通路の壁に扉の代わり設置された転移触媒の方術陣を使うことで、対応する独房へと移動することが出来るのだ。

 このセキュリティは、万が一収監者が看守などを人質に取って脱獄を試みた場合に、逃走経路を限定させる目的がある。

 それはともかくとして。触媒方術陣だけが唯一の装飾となっている殺風景な通路に到着して直ぐに、看守は常勤医に噛みつくような非難がましい言葉を投げつける。

 「対応が甘すぎやしないか!?

 いつまでもあんな生活を許してたら、裁判なんて開けやしない。あいつはバツも受けずに、のうのうとタダ飯食っては寝る生活を謳歌するばかりじゃないか!

 自分が担当する患者だから情が湧くってのは分かるがよ、もっと大きい視点で物を見て対応してくれよ!」

 「情が湧く…ですか」

 常勤医は看守の言葉を繰り返し、肩を(すく)める。

 「確かに、医者としては折角治療した患者が壊されてしまうというのは、やるせないね。

 裁判を受ければ、彼はヘイグマン大佐達に代わって重罰を受けるに違いないからね。

 最悪、"地獄炉"に叩き込まれて心身ともに定義が崩壊するほどに酷使される可能性もある。それを考えると、いたたまれない気持ちになるというのも、本音だ」

 それに対して看守が反論を述べようと息を吸って胸を膨らませた矢先。常勤医は「しかしね、」と言葉を続ける。

 「地球圏治安監視集団(エグリゴリ)に所属する者の立場として、地球圏住民の信頼を裏切って行動した彼らは罰されるべきだ、という怒りもある。

 その点を踏まえて、私は敢えて彼をこのままにしておくことにしたんだ。

 ――彼は今、正に罰を受けているのだから」

 「罰?

 食っちゃ寝生活で、罰?」

 看守が非難がましく繰り返すが、常勤医は氷のように冷え切った眼差しを作り、淡々と語る。

 「彼は精神的な苦痛に苛まれ続けている。寝食をまともにこなすことができないくらいに。

 彼は、口を開いたヘビを目の前にしたカエルのように、怯えきっている」

 「怯えてる…だって!?」

 看守が思わず、ハッ! と鼻で笑い飛ばす。

 「おいおい、センセ! あいつがどんなヤツか知ってンのかよ!?

 "獄炎の女神"の本拠地『炎麗宮』での地獄のような戦闘の中、ガキの遊びみたいに笑いながら戦い抜いたような男だぞ!?

 そんなヤツが、怯えてる!? 冗談にしても笑えなさ過ぎだろ!」

 ゲラゲラと笑い飛ばす看守達だが、常勤医はあくまでも冷淡さを崩さない。

 「間違いないよ。彼は怯えてる。

 魂魄系の医学を(かじ)った者なら、誰でもハッキリ分かる。

 世が旧時代でも、彼の発汗状態や心拍数、血圧を測定すれば明白だろう」

 そのヒンヤリとした石のような物言いに、流石の看守達も笑いを引っ込める。代わりに、マスクの越しに怪訝そうな表情を作る。

 「それじゃあ…あいつがホントに怯えまくってるンなら、そのまま放置しちまっていいのかよ?

 精神疾患に陥っていよいよ引きこもるなんてことになれば、裁判は遅れるだけだぜ?」

 「確かに、向精神薬を投与するなりして、治療するのが医者として正しいあり方なのでしょうね。

 …でも、敢えてそれをしないことが、彼への罰です」

 「…?」

 看守2人は顔を見合わせて首を傾げる。常勤医は言葉を続ける。

 「彼は怯え続ける。寝食忘れて、身体が細るほどに。その状態は(しばら)く続くでしょうし、それによって開廷が遅れるのも違いないでしょう。

 でも、最後は必ず、彼の方から口を割り、法廷でも何でも良いので外界に出してくれ、と懇願することになるでしょうね。

 彼の精神傾向的に、このまま抑鬱や統合失調と云った症状に至るほど我慢を続けられるとは思わない。

 そして、彼は法廷の場で、怯えから逃れるために…その方法が罰を受けることであろうとも…知る限り包み隠さず、洗いざらい全てを告白してくれるでしょう。

 そうなることで、アルカインテールの住民も心底納得してくれるのではないでしょうか」

 「…センセ、地味にスゲェ(ワル)だな…」

 看守がマスクの下で頬をヒクつかせながら語ると、常勤医はようやく冷淡さを脱ぎ捨てると、バツが悪そうな笑みを浮かべて後頭部を掻く。

 「私も医者である前に、人間ですからね。職務よりも感情が表立つことが多々ありましてね、開業医なんてサービス業に従事してたら、すぐに胃袋が溶けちゃうでしょうね。

 だからこそ、この地下で医療に携わっているワケですけども」

 「確かに、患者を選ぶ医者がやってる病院にゃ、行きたくないわな」

 「全く同感だ。

 センセ、アンタは天性の地下(アングラ)向きだよ」

 3人はそう語り合って軽く笑うと。ふと、一人の看守が話題をゼオギルドに戻す。

 「それにしても、ゼオギルドの野郎。何にも怖いものなんか無さそうなデカい顔してる癖して、一体がそんなに怖いんだかね?」

 するともう一人の看守が、ピンと人差し指を立てて思いつきを口にする。

 「あいつ、アルカインテールでユーテリアの学生にボッコボコにやられたんだよな? しかもその戦闘で、学生は1対4の圧倒的な不利な状況だってらしいじゃないか。それを覆しての大勝利だったらしい。

 そんな怪物みたいな芸当を目の当たりにして、プライドがポッキリ折れちまったンじゃねーの?

 ホラ、お高くとまってるヤツって、一度自信を無くすと、トコトンまで(しぼ)んじまうって言うじゃんか?」

 「なるほどね、そりゃ一理あるわ。

 で、センセの見解としては、どーよ? やっぱりユーテリアの学生が原因かねぇ?」

 質問を振られた常勤医は、困ったような笑みを浮かべて首を傾げる。

 「どうだろうね…。いくら魂魄の形而上相視認から心身の状態を量れると言っても、万能じゃないからねぇ…。彼の怯懦の原因が何かは、彼の口から聞くしかないね。

 ただ…私は、ユーテリアの学生も確かに原因には一枚噛んでいるとは思うんだけど、主たる要因はそれとはまた別じゃないかと思ってる」

 「ほ…? 何か根拠あるンですか?」

 看守が尋ねると、常勤医はうっすらと青みがかったアゴに手を置き、視線を宙に泳がせながら語る。

 「彼が拘束されたのは、アルカインテール近傍の亜空間に設置された駐留軍の本部でしょう?

 対して、彼がユーテリアの学生と戦ったのは、アルカインテールの市内だ。

 とすると、彼は学生と交戦して敗北した後、移動したということになる。

 学生が怯懦の原因だとしたら、果たして重傷を負った身を押してまで長い距離を移動出来るだろうか? 『クリムゾンコート』の機動装甲歩兵(MASS)部隊をかわしながら?

 私としては、学生との敗北は彼に憤怒や悔恨といった激情を生みこそすれ、怯懦にはつながらなかったと思う。

 彼が怯懦を患ったのは、駐留軍本部にたどり着いてからだと考えているよ」

 「んー…言われてみりゃ、センセの言う事にも一理あるなぁ…」

 先ほど、相棒の言葉にも"一理ある"と言っていた看守が、常勤医に(なら)ってアゴに手を置く。

 「あいつ、捕まった時に瀕死の状態だったって話ですからねぇ…。その状態で市内から亜空間内の本部へ移動ってのは…まぁ、あのガタイなんで無理とも言い切れないスけど…難しいでしょうねぇ…」

 「それに…本部内で『クリムゾンコート』が見かけたって言う、男女の二人組。あれも引っかかるよなぁ…。

 そいつに何かやられた…ってことも考えられるだろうけど…そもそもそんな奴らが本当に居たのかどうか、実証できてないからなぁ…」

 もう一人の看守も腕を組んで首を傾げる。

 3人は暫しその場に留まって首を捻り合っていたが。

 「…やめましょうか」

 真っ先に発言したのは、常勤医である。

 「そういう事実関係を検証するのは私たちの仕事じゃありませんし。

 目撃情報のある男女2人組が本当に存在したからといって、彼の罪状や処遇には影響ないでしょうし。

 何より、ここで井戸端会議しているところを見(とが)められて私たちが罰を受けるような羽目に陥るのは嫌ですからね」

 「ああ、違いねぇ!」

 看守2人は声を揃えて同意して(うなず)く。

 「私たちが担当しなければならないのは、(ゼオギルド)だけではありませんからね。

 さっさと次を回って、お仕事を済ませちゃいましょう」

 常勤医の言葉を期に、3人は通路をスタスタを歩き出し、次の独房へと向かう。

 

 一方。独房の中のゼオギルドは、3人が去った後も壁を向いて寝ころんだまま、微動だにしていなかった。

 3人に決して見せなかった彼の顔は、真っ青な怯えの色に染まりきっており、冷たい汗がジットリと噴き出し続けている。汗は顔のみならず、青白い囚人服を羽織った体中から絶え間なく噴き出ていた。故に、彼のベッドはジットリと湿り気を帯びている。

 ゼオギルドの右手は、ベッドのシーツをギュッと握り締めている。まるで、それが怯懦の苦獄から救い出してくれる、天から垂れたロープであるかのように。だが、シーツは手のひらから噴き出す玉の汗でビッショリと濡れるばかりで、不快感を喚起することこそあれ、安堵をもたらすことはない。

 それでも、何かを握り締めておかねば、頭の中から勇気やら正気やらが吹き飛んでしまうような気がしてならない。

 (クソッ…! クソッ…!)

 唾棄の台詞で一杯の胸中を過ぎるのは、彼に怯懦をチラつかせて止まぬ恐怖の記憶。

 その記憶の主たる要因は、常勤医が推測した通り、ロイに関するものではない。

 とは言え、ロイに敗北した事実が彼に影響を及ぼしていることも事実である。ロイに砕かれた手の甲と胸の行玉の痕跡――クレーターのように綺麗にポッカリと開き、くすんだ赤色を呈する筋組織が露わになったその部位を見ていると、憤怒とも怨嗟ともつかぬ激情の炎が燃え上がる。

 部隊の中で、実力に絶対の自信を持っていたというのに、4対1の状況下でむざむざ惨めな敗北を喫したという事実は、やはり大きな衝撃となっている。

 ――しかし、それよりも余程大きな衝撃が、ゼオギルドを苛んでいる。

 

 ゼオギルドは、もう何十度目かの記憶の想起を行う。

 本当はやりたくないのに、傷を更に痛めつけることで体を鍛える苦行でも行っているかのように、思い出さずにはいられない。

 ――"あいつら"に遭遇した時のことを。

 

 ロイに敗北したゼオギルドは暫く意識を失っていたが。やがて意識を取り戻すと、空に『クリムゾンコート』の艦隊が展開している光景を目にして、自分達の野望が潰えた事を理解した。

 しかしながらゼオギルドは、いつまでも敗北に呆然としているほど大人しい性分の持ち主ではなかった。

 (このままぼーっとしてたら、『クリムゾンコート』どもに捕まって、アルベルの地下送りになるだけだ…!

 ンなクソ詰まんねぇ時間、ゴメンだぜ!)

 (きた)るべき処罰からなんとか逃れる(すべ)は無いものだろうか? そう考えて真っ先に頭に浮かんだのは、ヘイグマン大佐である。

 "獄炎の女神"との戦闘で潰走し、肉体は衰えたものの、新たな野望に燃えるだけの気力を持ち合わせた人物。大凡(おおよそ)人を敬うという感情を持ち合わせぬ自分が唯一、上官として心底認めている男。

 彼ならば、この野望が潰えても、新たな野望を抱いて再起するだろう。そして、自分の暴力を再び存分に振るえる場所を提供してくれるに違いないだろう。

 そう考えるが早いが、ゼオギルドは即座に移動を開始。満身創痍ではあったが、常人と比べれば十分過ぎるほどの体力が残っている。本営のある亜空間に繋がりやすい地点を探し出し、あらかじめ支給されている術符を用いて転移を行った。

 転移した先は、本営のエントランスフロア。殺風景にしてだだっ広い空間のほぼ中央に到着したゼオギルドは、即座にハッと目を見開く。

 フロアの床や壁のあちこちに、ドデカい鉄球でも叩き込んだような破壊の痕跡がある! そして、床には五体を投げて倒れ、微動だにしない西洋騎士様の機動装甲服(MAS)を着込んだ兵士達の姿が見える!

 (『クリムゾンコート』!

 もう入り込んでやがンのか!)

 驚愕するものの、冷静に考えれば(もっと)もな事だ。『クリムゾンコート』は駐留部隊を制圧しに来ているのだから、真っ先にその指揮中枢を掌握しようと試みるのはセオリーだ。そして、駐留部隊の本営の位置は『パープルコート』本隊が把握している。面倒な探査など行う必要もなく、『クリムゾンコート』はダイレクトに本営に攻め込めるワケだ。

 (クッソッ! 大佐は!? どうなってやがンだ!? 捕まっちまったとか!?)

 ゼオギルドはヘイグマンが居るであろう司令室へ、一目散に駆け出した。

 その道中の光景は、エントランスフロアと同様であった。破壊の痕、そして倒れて動かぬ『クリムゾンコート』の隊員。隊員についてはジックリ観察していないので生死のほどは分からない。が、深海に放り込まれた空き缶のようにつぶれた機動装甲服(MAS)やら、間接部から踏み潰されたトマトのように流れ出る赤黒い血液を見ていると、致命的であるようには思える。

 (一体誰だ…? こんな事しでかせる奴ぁ?)

 ゼオギルドは頭を巡らす。部隊の人員の大半は、今回の作戦のために出払っている。とは言え、さすがに本営をもぬけの殻にするワケにはいかないので、最低限の人員を配置して防衛に当たらせてはいた。しかしながら、彼らの実力はさほど高くはない。実力が高い者達ならば、決戦のために都市へと投入している。

 そんな彼らが、量的に絶対的優位な『クリムゾンコート』の兵員達を、ここまでの圧倒的な戦力でねじ伏せられるものなのか? その自問に、ゼオギルドは即座に"否"と答える。

 (ってことは…まさか、大佐が!?)

 炎麗宮の戦い以前のヘイグマンなら、十分にあり得る話だ。だが、今の彼が単体でここまでの戦力を有しているだろうか? 危機に瀕して普段以上の実力が出るという話は往々にして存在するが、枯れ果てたような肉体となった彼が一瞬にして全盛期の実力に戻れるだろうか?

 (そんな事が出来るンなら、後衛に収まってるような人じゃねぇ。自分から最前線に立つはずだ)

 では、一体誰がこの所業を? 疑問が一巡りした頃、ゼオギルドはピタリと足を止めた。

 ヘイグマンが居るであろう指令室に到着したワケではない。ゼオギルドは、突然降って湧いたように出現した魔力を感知し、思わず足を止めたのだ。その強度ときたら、魔力の余波に神経が干渉を起こしてチリチリとした感覚を呼び覚ますほどだ。

 「なんだぁ…!? この力…!?」

 疑問を口にしつつ、ゼオギルドはこの魔力の主こそ『クリムゾンコート』を叩き伏せた犯人であると確信する。

 この事象を見過ごせるワケがない。この魔力の主がヘイグマンでないとしたら、今でさえ死にかけの部隊に一瞬でトドメを刺されてしまう可能性がある。

 (クッソ、こちとら怪我人だっつーのにッ! ややこしい事に首突っ込んじまったなぁッ!)

 胸中で唾棄しつつ、ゼオギルドは魔力を感知した方角へと駆け足を向けた。

 目的地までは、かなりの距離を駆ける必要があった。魔力の強度から見て近い位置に主が居るものと判断していたが、どこまで行っても立ち歩いている人の気配を感じない。行けども行けども、床に叩き伏せられた『クリムゾンコート』の兵士達と破壊の痕ばかりだ。

 それの光景がようやく一変した時には、ゼオギルドは『バベル』の研究開発棟の中心部、巨大培養漕のあるエリアに辿り着いていた。

 このエリアも他の場所同様の破壊やら『クリムゾンコート』の倒れた体が見受けられる。だが違うのは、その合間に泡を立ててドロリと溶融した肌色の物体――おそらくは『バベル』破壊時のフィードバックの影響によって定義崩壊した研究員達の姿だろう――が広がっていること。そして、『クリムゾンコート』の機動装甲服(MAS)から漏れ出す血液が鮮やかな赤をしていて、ダラダラと流れ広がっていること。彼らが倒れたのは、ほんのつい今し方のようだ。

 そして何よりも違う点は、エリアの中央にある『バベル』の監視制御コンソール付近に、はっきりとした動きを見せる人物が数人存在することだ。

 その人物の中で特に目立つのは、1組の男女だ。彼らのどちらもが、この雑然とした光景に全く見合わぬ、瑞々(みずみず)しいほどに傷一つない身体を晒していた。

 男の方は、研究者の白衣と見まがうような裾の長い上着を身に着けている。体格は貧弱ではないが、恵まれているという程ではない。筋肉量は明らかにゼオギルドの方が上であろう。白い上着に映える輝くばかりの黄金の頭髪と、真夏の快晴を思わせるような蒼穹の瞳を持っている。その他には特に装飾品を身につけておらず、白々としたばかりの地味な印象を受けかねない。それでも彼が強烈な存在感を放っているのは、その表情だ。まるでネズミをいたぶるネコのような、残虐にして凄絶な愉悦の表情を剥き出しにしている。

 彼の隣に立つ女もまた、白っぽい印象を受ける。早春に咲く上品なサクラを思わせる頭髪を三つ編みにして、後頭部から胸元へと垂らしている。身につけているのはややベージュがかった厚手のコートで、男の衣装とは異なり細部にうるさくない程度の可愛らしい意匠が加えられている。頭の上にはフンワリと焼き上がったパンを思わせるような、コートの色と合わせた帽子を被っている。

 この女――少女と称した方が良いだろう――は、コートの上からでも分かる小柄で華奢な体格をしている。加えてその顔立ちは、どんなに神懸かった腕前を持つ人形師でも作り出せないような、正に玉のような美貌を呈していた。隣に立つ男よりも余程、この血(なまぐさ)い光景に不釣り合いだ。彼女は、大理石で四方を囲まれた荘厳な教会に描かれた宗教画の中の世界こそ相応しいであろう。

 この2人の他に、別に2人の人物がゼオギルドの目につく。

 1人は、白衣の男の肩に担がれて、褐色の肌の女性だ。身に着けているのは『パープルコート』の軍服であることから、ゼオギルド同様にアルカインテール駐留部隊の人員であると即座に分かる。加えて、彼女のメイクが崩れきった、焦点の合わない顔立ちは見覚えがある。

 (あいつ…チルキスじゃねぇか!)

 ゼオギルド同様、アルカインテール駐留になるより前からヘイグマンに付き従っていた武闘派としてよく覚えている。獣じみた感性と体術を有する優秀な狩人であると、ゼオギルドも評価していた女性隊員だ。

 戦場においても――願掛けなのか、あるいは趣味か――メイクを決めて出で立ちを綺麗に保っていた彼女であるが、今は男の肩の上で(よだれ)を垂らしながらブツブツと何事か呟いているばかりだ。そんな状態に陥ったのは『バベル』の破壊によるものか、それともこの男女の所業か、ゼオギルドは判断がつかないが――この男女がチルキスに何事かの用があり、何処(いずこ)かへ連れ行こうとしている事は確かだ。

 一方、最後の1人は男の足下にうずくまっている。男はその人物の背中を無慈悲にも足蹴にし、グリグリと弄り回している。その苦痛にうずくまる人物は、押し殺した悲鳴と嗚咽の混じった呻きを漏らしていた。

 この人物を見据えたゼオギルドは、ギョッとする。彼の身体は大部分を占める赤と所々に散らばる白で彩られていたが、それは衣服ではなかった。彼は衣服を身につけてはいなかった。それどころか、皮膚さえも身につけていなかった。赤と白の色は、剥き出しになった筋肉と腱の色であった。

 うずくまった筋組織剥き出しの人物は白衣の男に足蹴にされながらも、神にすがりつく盲信者のように足にガッシリとしがみついていた。そして、悲鳴と嗚咽の混じった震える声で懇願するように叫ぶ。

 「わしは…ッ! 成し遂げたではないか…ッ!

 『天国』を…ッ! 人の手によって…ッ! この地に、降誕させたではないか…ッ! それは、確実な実績ではないか…ッ!

 我が子(バベル)が破壊されたのは…ッ! わしの意志ではない…ッ! 大佐の私情が…ッ! 最短最善の選択肢を採らなかったことによる…ッ! わしの所為ではないではないか…ッ!

 わしは、成果を上げた…ッ! 不可抗力によって破壊されはしたが…ッ! 存在は世界によって記憶された…ッ! わしは、歴史に大きな足跡を残したではないか…ッ!

 だとうのに…だというのに…ッ! 何故(なにゆえ)貴方様は…ッ! わしを足蹴にするのか…ッ!」

 すると白衣の男は、ハッ、と鼻で笑い飛ばしながら、うずくまる男の背を足の裏でグリグリと踏みにじった。皮膚のない背中は用意に筋繊維が損傷し、ジワリと真紅の血液を滲み出した。

 白衣の男は語った、

 「確かに、お前の成果は興味深いものだったさ。人間、ひいては、意識が世界そのものに及ぼす影響力の可能性を広げたンだからな。

 出来たものが『天国』の紛い物だったってのは残念だが、オレはそこを気にしちゃいない。むしろ、あのエセ『天国』が世界のどのような性質を反映したものなのか? 他の異相世界においても実現し()るものなのか? そういった新たな議題を魔法科学に提示したという時点で、十分に評価に値するさ」

 「エセ…!? エセ『天国』…だとぉッ!?」

 うずくまる男が、声帯を壊さんばかりの音量で以て、驚愕の叫びを上げた。

 この声を聞いた時、ゼオギルドはうずくまる男の正体を(さと)った。

 (あいつ、ツァーイン・テッヒャーか!

 そうか、『バベル』破壊のフィードバックにやられて、あんなザマになったワケか!

 定義崩壊が皮膚程度で済んだってのは、流石に天才魂魄学者と呼ばれるだけのことはあるってことか)

 ゼオギルドの理解を余所に、うずくまる男――ツァーインと白衣の男の会話は続いた。ツァーインの叫びに、白衣の男が嘲りをたっぷりと含んだ声高の非難を浴びせる。

 「そう、それだ! エセ『天国』だと見抜けずに、無闇に研究開発を進めていた間抜け!

 それだよ、オレがお前を足蹴にしてバカにしてる理由は。

 天才魂魄学者なんて評価されてるなんざ、聞いて呆れるぜ。科学者たる者、先入観を捨て、事実を厳密に受け止めねばならない。それが大前提だってのに、お前ときたらまるで(めくら)だ。

 中途半端に結果が出ちまったもんだから、大成功だと勘違いしたってのか? それは理解できんでもないさ、人間なんだから興奮の一つもするわな。

 だがよ、興奮のみを原動力にして突進して大ポカやらかした理論家なんざ五万と居る。唯物論なんざその最たるものじゃねーか。

 そんな化石(くせ)ぇ脳ミソに投資しちまった腹いせなんだよ、この仕打ちはよ」

 「あら、腹いせだったんですか」

 隣でほほえむ美少女が、鈴の音のような美しい声でやんわりと言葉を挟んだ。

 「てっきり、失敗への制裁だと思いましたよ」

 「制裁なら、とっくにブッ殺してるさ。

 だが、今回は結構良い戦争になったし、オマケで面白いモンも見れたからな。失敗と切り捨てるには、惜しいさ」

 "面白いモン"と語ったタイミング出、白衣の男は担いでいたチルキスを振ってみせた。その間もチルキスは相変わらず焦点の合っていない視線で虚空を眺め、ブツブツと何かを呟くばかりであった。

 その次の瞬間――ゼオギルドは予期せぬ事態に驚愕し、硬直した。

 「なぁ、ゼオギルド中佐よ。

 お前もそう思うだろ、良い戦争だったってさ?」

 白衣の男が視線をゼオギルドに向け、話しかけてきたのだ。

 この時、ゼオギルドの胸中に真っ先に過ぎったのは、今更ながらの"あいつは何者だ?"という疑問であった。

 自分の名や階級が知られてることについては、特に疑問は覚えなかった。彼は『パープルコート』では結構名が通っているので、組織外の人間に知られていても驚くには当たらない。

 ゼオギルドが疑問を口にする前に、白衣の男が語る。

 「オレは、今回の戦争の出資者でプロデューサーってところだ。

 ヘイグマンのじじいと、このバカ博士を引き合わせたのは、オレだよ。

 で、昨日から今日にかけて派手な祭りやってたからな。出資者としてその出来を見に来たってワケさ」

 ヘイグマン。その名を聞いたゼオギルドは、白衣の男の名を訊くよりも、自身の上官について尋ねる。

 「…大佐はどうしたンだよ?」

 「質問に質問で返すのかよ」

 白衣の男はクックッと笑ったが、拒否することなく答えた。

 「ここに居るじゃねぇか」

 そして、肩に担いだチルキスを揺らして見せた。ゼオギルドはバカにされたと感じ、生来の血の気の早さに急かされるままにこめかみに青筋を浮かべた。

 「はぁ!? てめぇ、眼付いてンのか!? そいつ、女じゃねぇかよ!」

 「いやいや、別にバカにしてるワケじゃねぇんだよ、中佐。

 見てくれじゃねぇのさ。問題は中身さ、中身。

 形而上相から魂魄を視認してみな。オレの言った事が嘘かどうか、直ぐに分かるはずさ」

 形而上相を通しての魂魄の識別はかなり集中力を使う。魂魄の定義は非常に微細で複雑であるため、細部を照らし合わせるとなると脳の処理に多大な負荷をかけてしまうのだ。

 今のゼオギルドの体調では万全な識別は望めないものの、並の魔術使いに比べれば断然精度の高い識別が可能であるはず。そう判断したゼオギルドは、疑心暗鬼に半眼を作りながら形而上相視認を行った。

 そして――すぐに異常を見出すと、思わず「おいおい…なんだ、こりゃ?」と声を上げた。

 チルキスの身体の中に、ゴチャゴチャに絡み合った2つの魂魄を認識したのだ。混合によって細部がさらに複雑化しているために、個々の魂魄が何者であるかを断定することは出来なかった。しかし、容易に想像することは出来た――一方、身体の生来の持ち主であるチルキス。そしてもう1つは…白衣の男が言った通りに、ヘイグマンであろう。

 「枯れ木みてぇな見てくれだったクセに、業の深いじじいだよな、ヘイグマンって野郎はよ」

 白衣の男がせせら笑った。

 「"獄炎の女神"を憎んでる、なんて言ってやがったがさ。憎むどころか、憧れてたってのが本音だったのさ。

 そんで、"獄炎の女神"のようになりたくて、女への変身願望を抱き続けていたってワケさ。

 救いようのない変態野郎さ。

 だが、『バベル』の崩壊のお(かげ)で肉体が壊れた代わりに、この女の身体にまんまと潜り込んだのさ。見事に変態的願望を叶えられたってことさ。

 よく見てみなよ、中佐。変態野郎、男の身体のままだったら勃起じゃ済まねぇくらい興奮してンだろ?」

 ゼオギルドは感情まで確認できなかったので眼を(しばたた)かせたが、それの意図を読みとった白衣の男が言葉を次いだ。

 「あー、見えてねぇのか。残念だな。

 まぁ、とにかく、変態大佐殿はこの女の中で健在ってことだ。

 可愛そうなのは、この女の方さ。変態野郎に魂魄ごと犯されてンだ。必死に拒絶し続けてての、この有様だ。

 可愛く飾った顔が、この通りの酷い有様だ」

 「あら、チルキスちゃんはメイクしてなくても十分に可愛いですよ」

 白衣の男の隣で美少女が柔らかく言葉を挟んだ。それは同じ女性を(かば)う気遣い…という感じではなかった。化粧を施しているかと見紛うほどに可愛らしい桜色の唇を一舐めしてみせたその顔は、情欲に飢える雌豹(めひょう)そのものだ。

 そんな美少女の有様を白衣の男は呆れたように笑い飛ばした。

 「お前、見境無さ過ぎなンだよ」

 「そう言われましても…事実ですし。本能的欲求に正直なのが、私の取り柄ですし」

 「それ、取り柄なのかよ?」

 白衣の男はくっくっと笑った。

 (なんなんだよ、こいつらは…?)

 この2人のやり取りを見ていたゼオギルドは、まるで居ないもののように扱われた事に憤りを感じていた。普段の彼ならば、部隊の内外から尊敬だの畏怖だのの眼差しで見つめられ、それだけで気分の良さを味わっていたというのに。この時の彼は、まるで路傍に転がる小石のような扱いだ。

 だから彼は、無理矢理にでも2人の意識をこちらに釘付けにしようと、必要以上に気迫を込めて叫んだ。

 「オイッ!!」

 「ん?」

 白衣の男が、キョトンとして振り向いた。

 その間抜けなまでに無関心な表情に、ゼオギルドは(かえ)って憤りが萎えてしまいそうになった。加えて、叫んで呼びかけたものの、何を言うべきか咄嗟(とっさ)に頭に浮かばず、まごついてしまった。

 そんな緩慢な思考を叩き直すように、大仰に頭を左右に振ったゼオギルドは、真っ先に抱いていたはずの疑問を口にする。

 「テメェら、何者なんだよ!?」

 「だからさっき言っただろ、この戦争の出資者でプロデューサーだっつーの。耳ついてんのか」

 「違ぇッ、オレが訊いてンのはそういうことじゃなくッ!

 テメェの名前と所属だよッ!」

 「名前?」

 白衣の男は、心底意外と云った表情でキョトンとし、隣の美少女と顔を見合わせた。美少女もまた、不可思議なものでも見聞きしたかのように、キョトンとした表情を浮かべていた。

 一瞬、無言で視線を交わし合った後。2人は同時に破裂するように笑い出した。

 「アァンッ!? 何が可笑しいンだよッ!?」

 ゼオギルドがクッキリと青筋を立ててがなり問うと、白衣の男はヘラヘラ笑ったまま答えた。

 「地球圏治安監視集団(エグリゴリ)の佐官が、オレの名を存じ上げないなんてな! お前、モグリじゃねーの?

 それとも…あー、そうかそうか。 聞いたはずが、スッポリと脳ミソから抜け落ちちまってンだろな。

 カビ臭ぇお前の事だ、その筋肉脳ミソにゃビッシリと青カビが生えてンだろ?」

 あからさまの侮辱に、ゼオギルドが青筋をはちきれんばかりに盛り上げて、噛みついた。

 「ンだと、コラッ!

 オレの頭ン中に青カビだぁ!? なんでオレが、テメェなんざにそんな口叩かれなきゃなンネーだよッ!」

 「いやいや、スマンスマン」

 白衣の男は笑い続けたまま、手をヒラヒラと振って小馬鹿にするように(なだ)める。

 「別にお前をイジるつもりはなかったンだけどよ。あまりに期待外れだったモンだからさ、その腹いせについつい、毒を吐いちまった。

 オレは全くおべっかが使えねーからよ、勘弁してくれ」

 "期待外れ"!? その言葉に、ゼオギルドの憤りはマグマの爆発の如く(たかぶ)り、顔が烈火の真紅に染まる。

 「一々イラつく野郎だな、テメェはッ!

 初対面だってのに、ヒトの事を散々コキ下ろしやがって! 挙げ句の果てに、"期待外れ"だぁ!?

 何を勝手に期待してたンだか知らねぇが、ンナ事一方的に言われて気分良いワケねぇんだよ、ボケッ!

 出資者だかプロデューサーだか知らねぇが、この都市国家(まち)の祭りは終わったンだ! テメェのお楽しみは終わったンだからよ、とっとどっかに失せやがれよッ!

 それと、その女が大佐だってンなら、置いて行ってもらうぜ! 大佐はオレ達の上官だ、この先も指揮を取ってもらわにゃならねぇ! お前なんざにどうこうされる筋合いはねぇからよッ!」

 白衣の男は、ゼオギルドの口汚い台詞に全く動じず、笑いを張り付けたまま耳に入れていたが。やがて鼻で笑ってから、答えた。

 「ああ、もう失せるよ。

 もう見たいモンは全部見たからな、引き上げるさ。

 ただ、この()は連れてくぜ。これは立派な報酬だからな」

 「報酬だぁ?」

 聞き返すゼオギルドに、白衣の男はチルキスの身体を振るいながら答えた。

 「変態大佐との約束さ。今回の一件が終わったら、この()をダチにするってな。

 本人も同意済みだから、人(さら)いじゃねぇぜ? むしろ、オレらの所に来ることを大喜びしてたからな。

 ホントは、お前ともダチになる予定だったンだが…。ヤメだヤメだ。この娘と違って、お前は完璧な負け犬で期待外れだ。例えるなら…そうだな、青カビが生えて食えなくなったパン?」

 「ッザケンナッ!」

 白衣の男の最後の一言で、ゼオギルドの衝動の導火線が着火した。それまでよくも我慢に徹していた理性が吹っ飛び、胸中も思考も真っ赤な憤怒と憎悪に染まった。

 満身創痍であったゼオギルドだが、憤怒の力の助けも借りて、その身に負った怪我に全く似合わぬ機敏で暴力的な動作を見せる。大地を震わさんばかりの勢いで床を蹴り、左手を拳に握りしめて大きく振りかぶりながら、健在な水行の行玉を作動。他のいくつかの行玉が破壊されて五行の均衡が保てなくなっていたが、それが却って今回の攻撃には幸運に向いた。リミットの外れた機能で大気中の水霊を、瞬時に莫大な数量で集めると、巨大な津波を思わせる激流の渦を作り出した。

 (ブッ殺すッ!)

 五行的不均衡の所為で、左腕の神経にノイズが走って不快な鈍痛が走るが、意に返さなかった。激情の赴くままに白衣の男へと、一気に肉薄していった。

 一方で白衣の男は、浮かべた笑いを消しはしなかった。目の前で相変わらず足にしがみついていたツァーインをサッカーボールのように蹴り飛ばして退()け、何の障害物もなくゼオギルドと対峙した。

 彼の隣で、美少女が動き出しそうな気配を見せた…が。白衣の男は即座に手を出して、すさかず彼女を制した。すると美少女は寂しげに顔を曇らせたものの、素直にフワリと羽毛のように跳び退いた。

 

 こうして、2人の男は何の障害も挟むことなく、交戦へと移った。

 

 (ブッ飛べッ!)

 白衣の男の懐に潜り込んだゼオギルドは、激流をまとった拳を振るい、白衣の男の胸元に叩き込んだ。

 ――が。

 (…なんだァ!?)

 腕を伸ばしきっても、一向に拳から手応えが帰ってこなかった。

 白衣の男が身体が霊体で、攻撃がすり抜けた…というワケではなかった。

 単純に、"届いていない"のだ。

 白衣の男のゆらめく金髪も、悪戯(いたずら)の輝きを放つ碧眼も、目前の距離にあった。ならば首で繋がっている胸だって、すぐ目の前にあるはずなのだ。

 なのに…腕を伸ばそうが、拳にまとった激流を解き放とうが、一向に届かないのだ。

 (なんだァ!? おい、なんで…こんなに目の前にあるってのによッ!?)

 ゼオギルドは困惑した。その有様を嘲るように、白衣の男の笑みがギラリと歪む。

 その表情は、まんまと懐に飛び込んだ脆弱な餌にかぶりつかんとする肉食獣を思わせる、凄絶なものだ。

 同時に、白衣の男の外観が代わる。輝く金髪は、闇よりもなお暗い漆黒に。澄んだ碧眼は、凶悪な眼力を湛えるブラウンに。まるで水の中に絵の具を溶かし込んだような有様で、配色が一変する。

 2度目の驚愕がゼオギルドの胸中に沸き上がるよりも早く。彼の腹部に、爆発的な衝撃が深く、深く抉り込まれた。

 それが白衣の男による拳の一撃であると、ゼオギルドは(にわか)には認識できなかった。超強力な爆発物を至近距離で使用されたとしか思えなかった。

 何せ、ゼオギルドの巨躯は軽石のように吹き飛び、一瞬にして研究開発室の壁にめり込んだのだから。

 その間、内臓に突き刺さった衝撃でゼオギルドは盛大の吐血をしていたが。吐き戻した吐瀉物は、まるで爆風に煽られたようにゼオギルドの顔面やら胸部やらに浴びせかかった。

 ゼオギルドがクレーターのような亀裂にめり込んでようやく停止した時。彼は尋常ならざる腹部の激痛を得て、ようやく自分の身に何が起きたか覚った。が、彼は声を上げることも、ジェスチャーのために身動きを取ることもできなかった。満身創痍に加えて激痛を得たというのもあるが、最大の理由は激突の衝撃によって脊椎を損傷したためだ。

 ――もしも彼が身動きが取れたとしたら…白衣の男の暴力に対し、即座に反撃へと転じただろうか。

 …いや、できなかっただろう。

 何せ彼は、深く抉り込まれた拳の一撃によって、それまで持ち合わせていた傲岸不遜なまでの矜持(きょうじ)が、根(こそ)ぎ叩き折れてしまったのだから。

 

 白衣の男の拳撃は、あまりにも雄弁な一撃であった。

 とは言え、その一撃は、ゼオギルドの獅子のような気概を否定するものではなかった。

 ただ、獅子を野兎(のうさぎ)のように扱う怪物がこの世には居るのだと、文字通り痛感させたのだ。

 ネコが(まり)を扱うように獅子を片手で転がし、その戯れの力だけで、全身の骨を砕いてしまう――そんな強大で、強靱で、凶悪な怪物が存在するのだ、と。

 

 (…ヤベェ…)

 麻痺した全身がもたらす気だるさの中、ゼオギルドは全身の毛穴から全ての水分が奪い去られてしまうような怖気(おぞけ)を抱いて、胸中でポツリと呟いた。もはや、胸中とは言え叫ぶ気力は、なかった。

 対して白衣の男は、吹き飛ばしたゼオギルドに一瞥もくれず、殴りつけた拳を解いてプラプラと振りながら、清々しく語る。

 「やっぱり、この配色の方がシックリ来るな。

 金髪ってのはどうにも、印象が軽くてビミョーだ」

 「どちらも素敵ですよ。気になさらないで下さいな」

 隣で美少女がニッコリとフォローすると、彼女は続けてこう語る。

 「それにしても、この程度の男にわざわざお手を汚すことなんてありませんでしたのに。

 私に任せていただいて良かったんですよ?」

 「いやいや、それじゃツマランだろ。

 お前は加減ってモンを知らないからな。一撃で殺しちまうだろ」

 白衣の男が肩を竦めながら語ると、美少女は微笑みの中に血生臭い妖艶さを漂わせて、ペロリと赤い舌を出す。

 「だって、ご友人じゃなくて、カビなんでしょう? 駆除すべきですよ」

 「確かに、今は単なる青カビだ。

 だが、この先絶品のチーズに化ける可能性も捨てきれないぜ?」

 「もしも、チーズになれずにカビのままなら、どうするんですか?」

 白衣の男は、再度肩を竦める。

 「別に、何も。捨て置くだけだ。

 この程度で腐り切るような輩が、オレ達に楯突けるワケねーだろ?」

 「まぁ、それもそうですね」

 美少女がクスクスと笑う。

 ゼオギルドはこのやり取りを呆然と聞くばかりであったが、普段のように話に取り残されている事を怒ることはなかった。

 そもそも、取り残されていることについて、何ら意識は向いていなかった。

 ただただひたすら、今も体に麻痺を伴う鈍痛として駆けめぐる拳撃の雄弁さに怯え続けていた。

 だから、いきなり白衣の男が声をかけてきた時には、体中が雷撃に打たれたような衝撃を覚えた。ただし、脊椎損傷のために体はピクリとも動かなかったが。

 「まぁ、そういう事さ、ゼオギルド中佐。

 オレ達は、今のお前には全く興味がない。

 正確に言えば"あった"ンだがよ、ガッカリし過ぎちまって、興味が微塵も失せちまった。

 オレは、今の世においても五行なんてスタイルを貫くお前を面白いと感じてたんだぜ。そんな古い技術を駆使しながらも、敗死を(さら)す事なく戦争を生き抜いてきた矜持。お前は芳醇なワインとして熟成された技術の結晶体かと思ってたンだがよ。

 4人掛かりであの賢竜(ワイズ・ドラゴン)のガキにぶつかったってのに、見事なまでにボコボコされて気を失うなんてな。

 あの交戦は、オレの中でのあのガキの株を上げただけ。他に何も目新しい発見は無し。あのガキがスゲェってのは分かり切ってるっての。ホント、ガッカリだ。」

 ゼオギルドの意気が消沈していなければ、この男と賢竜(ワイズ・ドラゴン)のガキ――ロイとにどんな関係があるのか。ひいては、ユーテリアの星撒部とどんな関係があるのか、噛みついていたことだろう。だが、そんな余裕は毛ほども残ってはいなかった。

 白衣の男は「だからよ、」と続ける。

 「今、オレがお前の心に"種"を植え付けてやった。

 その種が見事に強靱な芽を吹いて、恐怖を越えてオレを憎み、立ちはだかるほどの大樹に育ったンなら。その時は、今みたいな加減なんてせず、全力で遊ぼう。

 そのまま腐るンなら、それはそれで良し。オレはお前の名前を未来永劫、忘れ去るだけさ」

 そして白衣の男は美少女に目配せすると。2人はほぼ同時に踵を返した。

 怪物どもは、ようやくこの場を去ってくれるようだ。

 そんな一抹の安心感を抱いたのもつかの間。踵を返す動作とともに(ひるがえ)る、白衣の男と美少女の上着にデカデカと描かれたマークに、ハッと息を飲んだ。

 そのマークとは、赤い円の縁を持つ、大きなハートであった。ハートの上下には円周に合わせて横延びした"I"と"W

AR"の字が配置されていた。このハートを"LOVE"に置換するとなると、このように読める――。

 「|私は戦争が大好きです《I Love War》」

 その言葉と男女2人組という光景がゼオギルドの意識の中にガッチリと組み合わさった瞬間。彼は全身から噴き出す冷や汗と共に、軽んじていた記憶を思い起こした。

 ――ある日の佐官級士官の研修において。地球圏における要注意人物について情報共有する話題で、進行役の将官が特に念を入れて紹介していた人物たち。

 「遭遇したら、単独では勿論のこと。貴官らの手持ちの部隊のみでの交戦も絶対に避けること!

 軍団司令部に指示を仰いだ上、対処するように!」

 当時、自身の力に絶対の自信を抱いていたゼオギルドは生欠伸(あくび)をしながら聞き流していた内容。その涙に滲んだ視界の中に映った、男女の顔。

 そいつらの顔が、丁度この2人だ!

 「じゃ、帰るぜ。紫音(しおん)

 「はい、賢人(セージ)さん」

 2人は肩を寄せ合って、気馴れたカップルといった塩梅(あんばい)で歩を進め、この場を去っていた。

 その背中を皮膚の剥がれたツァーインが慌てて、相変わらずの四つん這いで白衣の男の足にすがりつくように追った。

 「おお…おお…我が友よ…!

 ただの一度の失敗ではないか…! しかも、不可抗力による失敗ではないか…!

 だと言うのに、貴方は私を見捨てるのか…! おお、友よ…!」

 「うるせぇな。不可抗力じゃねぇだろ、お前が(めくら)で先見がなかったンじゃねーか。

 ただ、皮膚をヒン剥かれても付きまとえるその執念は、認めてやるよ。

 だからな…」

 「おお、友よ…!」

 「だから、そのままの格好でオレ達に着いて来れたら、友達でいることを続けてやるよ」

 そんなやり取りをしながら、白衣の男の一同はゼオギルドの視界から消えていった。

 ゼオギルドは脊椎損傷に加えて失意に閉ざされた視界をゆっくりと閉じてゆき――仕舞いには、意識と共に暗転した。

 

 ――その後、幾何(いくばく)の時間が過ぎたかは分からないが…ゼオギルドは『クリムゾンコート』によって捕縛という形で救出され、今に至る。

 

 (クソ、クソ…ッ!

 オレは、井の中の(かわず)だってのか…ッ!

 『現女神』との戦場にも立ったこのオレが…クソッ!)

 意識が現実に回帰したゼオギルドは、ベッドのシーツを(むし)り取る勢いでギュウッと握り締める。

 彼の体には今なお、白衣の男の一撃によって呼び起こされた怯懦が暴れ回っている。それは彼の憤りの感情を冷や汗で凍てつかせてしまう。

 ゼオギルドの没落した気迫は、元の姿を取り戻す(きざ)しが全く見えない。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 場はユーテリアのカレーレストランへと戻る。

 「何はともあれ、アルカインテールで任務に着いた皆は、ご苦労じゃったわい。

 特にノーラは、入部間もないというのに、先日に引き続いての重責の完遂! "よくやった"という誉め言葉は足りぬほどじゃ!」

 渚が声を張り上げると、ノーラは手にタンドリーチキンをそのままに、大きくはにかむ。

 「いえ…。むしろ私は、皆に迷惑をかけてしまった立場です…。

 栞ちゃんからの頼みを引き受けたものの、ほとんど何も考えてなかったですから…」

 「ホント、無計画にも程があったわよねー」

 紫が鶏の皮をパリポリ噛み砕きながら、ノーラをジト眼で睨む。

 「蘇芳さんに出会えたから良かったもののさ。アルカインテールが本当に廃墟ばっかりで、戦争も何もなかったとしたら、一体どうするつもりだったんだか…。

 蒼治先輩は策があるはず、とか言ってましたけど、今ならその策って浮かぶんですか?」

 いきなり話題を振られた蒼治は、苦笑いしながら眼鏡を直す。アルカインテールに到着したばかりの頃の彼の台詞であるが、あれは具体的な策があるというよりも、年長者として後輩の気を殺がないための方便に過ぎなかったようだ。

 その事実を口にするのが(はばか)られたらしい蒼治は、慌てて話題を変える。

 「そ、そういえば!

 今回の活動、何気に1年生勢ぞろいだったな!」

 「…あっ、ホントだっ!」

 蒼治から結構距離のあるナミトが指折り数えてから、声を上げた。加えて、彼女は続けてこうも告げる。

 「それに、部長が居れば男子部員全員集合だったんだ!

 なんか凄い! 何が凄いか分からないけど、とにかく凄い!」

 「まぁ、バウアーが居りゃ、1日で終わっただろうな」

 イェルグはそう語ってから、「つーか…」と前置いて渚に向き直る。

 「お前ら、オレたち後発組がアルカインテールに出てから、何してたんだ?

 難民キャンプで待機しっ放し、ってことはないだろな?」

 それについては渚ではなく、アリエッタが人差し指を立てて説明する。

 「勿論よ。

 明日、私とヴァネッサで訪問するつもりの介護施設用に、折り紙だとか歌の練習とかしてたのよ」

 「あれ、じゃ、渚は何してたんだ?

 っつーかお前、フリーならアルカインテールに来いよ。お前が居りゃ、ノーラ達も苦労しなかったろうが」

 「何を言っておる!」

 渚は腕を組んで居丈高な態度を取ると、キッパリと言い放つ。

 「要の指揮官は、ホイホイと前線に立つものではないじゃろうが!」

 「…指揮官…?」

 イェルグが首を傾げる。

 「まぁ、バウアーならそんな感じもするけどな…。

 お前が指揮官って云うのは…トンでもない爆弾に聞こえるぞ」

 「な、なんじゃとッ!」

 渚がイェルグに飛びかからんばかりの勢いで立ち上がった、その時。見計らったようにレストランの店主が口を挟む。恩義のある者達とは云え、店内で暴れられては困るようだ。

 「皆さん、おかわりはありますか?」

 すると渚はピタリと動きを止めると、ビシッと手を挙げる。

 「あ、わし、ハチミツナン一つ。

 あと、ほうれん草チーズカレー追加」

 そんな渚を口火に、部員が次々とオーダーを行う。その誰も彼もが口にしたのは、「ナン」というキーワードだ。ロイなど、「ナン5枚追加」とオーダーし、底知れぬ食欲を主張していた。

 そんな彼らの様子に、店主は思わず呆れの混じった苦笑いを浮かべて漏らす。

 「いやはや、よく食うね、あんたら…」

 

 宴はまだ、終わらない。

 

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