Dead Eyes See No Future - Part 10
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天空を覆う太陽色の輝き、および天を貫く光の柱が消えたのは、『バベル』が完全に破壊されて10分ほども経過した後のことだろうか。
柱が虹のように静かに掠れてながら姿を消す一方で、天空の輝きは曇天が幾つもの切れ目を得て晴れ渡るように、徐々に蒼穹に蝕まれながら消えていった。
アルカインテールから魂魄解放の魔術現象が完全に収まると。もはや天空には、『天国』の姿はなかった。
ノーラ達が入都した頃にみた、小さな小さな『天国』すら、見い出すことはできなかった。
『バベル』の消滅とともに『天国』が完全に消えてしまった事を鑑みると、あれは真の意味での『天国』ではなく、『バベル』の絶対安定と同様に世界に暗示をかけて作り出したものだったのかも知れない。
アルカインテールに、一陣の微風が駆け抜ける。土埃と煤の匂いを孕んだそれは、都市国家が受けた災厄の記憶を人々の鼻孔に届ける。
だが、その匂いはすぐに消える。そして風が止むと、天に冴え冴えと広がる蒼穹が運ぶ清々しさが、陽光とともに都市中に満ちてゆく。
その気配を深呼吸して肺一杯に飲み込んだのは、ノーラである。
彼女の大穴が開いた胸は、『バベル』の崩壊と共に心肺を取り戻し、塞がっていた。しかし、制服の方は戦闘中の激しい損傷もあったためか完全には復元せず、胸元にはそのまま穴が残り、滑らかな褐色の皮膚をさらけ出していた。
(終わった…んだよね?)
ノーラは大きく息を吐き出すと、周囲に視線を巡らす。先刻まで対峙していた巨大でグロテスクな怪物の姿は、もうどこにもない。
その代わりとでも云うかのように、彼女の周囲には大小様々の姿が満ちている。あるものは旧来の地球人と同様の二足歩行体だし、別のものは蟲型をしていたり、体の透けた霊体であったりする。
姿形は違えども、彼らの行動は概ね同じだ。即ち、現状が飲み込めずに、頭をキョロキョロと巡らせている。その動きがゆっくりしているのは、魂魄が解放されて元の定義へと回帰した際、脳を初めとする神経系に一種の:"酔い"のようなものが発生したからかも知れない。
初めは言葉も出なかった彼らだが、徐々に「ここは…?」「オレは何をしてた…?」「何がどうなったんだ…?」「『バベル』は、どうしたんだ…?」など口々に呻きながら、澄んだ都市国家の空気を吸い、徐々に眼に活力を灯してゆく。
その様子をみたノーラは、思わず顔を綻ばせながら、今度は確信を以て胸中で呟く。
(終わったんだ…!)
――そう、終わった。それは間違いない。
アルカインテールという都市国家を舞台にした『バベル』を巡る騒動は、その完全な破壊によって終結を見たのだ。それは誰の目から見ても明白な事実である。
だが――アルカインテールの抱く混乱の全ての終結という意味では、まだ"終わり"は迎えていなかった。
激闘の果てに得たノーラの安堵を踏みにじり、その混乱は俄に巻き起こる。
『バベル』から解放された人々は、まず、『バベル』の姿が消滅したこと、そして蒼空を覆う『天国』が消滅したことに目を丸くする。
直後、喜びに沸いたのは避難民達や、元々『バベル』に検体として融合させられていた人々である。彼らは『バベル』によって災厄を呼び込まれているので、その仇が消滅したことは素直に喜ばしい事実として受け入れた。中には、検体だった人物が顔見知りの避難民と久しぶりの再開を果たし、抱き合う姿もチラホラ見られた。
一方――『パープルコート』と初めとした戦闘部隊の一派は。護るべき、あるいは奪取すべき目標を見失い、途方に暮れたように呆然としていたが。自分たちのすぐ隣に敵対勢力が呆然と立ち尽くしているのを見ると、ハッと顔を危機の色に染めて、身構える。
戦闘の目的を見失った今、彼らの心にわだかまるのは、交戦時の応酬によって得た負の感情――憎悪や、憤怒や、怨恨といった衝動であった。
「なんだッ! なんで貴様等、こんな所にッ!」
そんな事を口々に叫びながら、彼らは手にした、あるいは内蔵された武器を構えると、早々と戦闘を開始した。
その発砲音は初め、喜びに沸く者達には祭りの爆竹のようにも聞こえていたかも知れない。さしたる混乱もなく、それどころか歓声がどっと沸いた程だ。
だが――逸れた凶弾や凶刃が無防備な彼らを傷つけ出すと。彼らの顔色はたちまちに青ざめ、歓声は悲鳴へと一変する。
瓦礫の街並みの中、人々は右往左往して遮蔽物を求めたり標的に躍り掛かったりと、大混乱が生じる。丁度、餓えたネズミの群の中に肉でも放り込んだような悲惨な有様だ。
ノーラの安堵は、一瞬にして消滅した。
青ざめ、冷や汗がドッと噴き出した顔は、ひたすら人々の混乱の様子を追うばかり。震える唇は、語るべき言葉を紡ぐことが出来ず、「あ…あ…」と力ない呟きを漏らすばかりだ。
やがて、ノーラの体に一人の中年女性の避難民(または検体かも知れない)がぶつかる。尻餅をついたノーラを、中年女性が構わずに四つん這いで踏み越えてゆく頃になって、ようやくノーラは言葉を取り戻す。
「や、やめてください…ッ!
落ち着いて下さい…ッ!」
しかし、彼女の声は乱戦の騒動の中に即座に消えてしまう。
それでも、行動を起こすきっかけを得たノーラは、立ち上がって駆け出すと、戦闘を始める者達に取り縋って説得する。
「やめてください!
もう終わったんです! 戦う必要なんてないんです!」
しかし戦士たちはノーラを乱暴に振り払ったり、もしくはノーラの事を見つめた直後に体を打ち抜かれて地に倒れたりする。
ノーラは思案する。力付くで以て、この混乱を制するべきだろうか、と。
彼女の状態が万全ならば、その方法も悪くなかったかも知れない。しかし、『バベル』を初めとした幾多の激闘をくぐり抜けた彼女は、疲れ切っている。取り縋って叫ぶくらいの勇気は振り絞れるが、混乱した多人数をねじ伏せるような戦力を発揮することは到底出来そうにない。
(なんで…なんで…!
終わったのに…! もう戦う理由なんてないのに…!)
ノーラたった一人の理性は、怒濤となって荒れ狂う混乱には届かない。
彼女は、無力に打ちひしがれる。
そんな時、ノーラが天を仰いだのは、"神"なるものに救いを求めようとしたからかも知れない。彼女は故郷を席巻する精霊信仰の信徒ではあるが、さほど熱心ではない。だが、自力が頼れないとなった今、彼女は天に願いを向けるしかできなかった。
高すぎて、願いが届くことなどなさそうな、天に。
しかし――ノーラの願いは、結果論的には実を結んだのだ。
とは言え、願いを聞き入れたのは"神"ではない。ヒトだ。
未だ結界に覆われた蒼空の一部に、巨大な蛍光色の転移方術陣が出現する。同時に結界がグニャリと渦を巻いて歪むと、その内側から巨大な塊が侵入してくる。
その第一印象は、"城"である。西洋の堅固な城塞を思わせる、巨大な直方体。その側面には、上空の風にたなびく真紅の垂れ幕が存在を主張している。
その垂れ幕の中央に堂々と描かれているのは、地球とそれを取り巻くハトの翼を持つリング。そのリングの色は、垂れ幕と同じく真紅を呈している。
そのマークを見て、ノーラは混乱で痺れる思考の中、出現したのが地球圏治安監視集団に所属するいずれかの――輪の色から鑑みるに『パープルコート』ではない――軍団の空中艦であることを理解する。また、規模からすると、旗艦等といった高位の軍務に就いている一隻であるだろうことも想像できる。
同時に、ノーラは目をパチクリさせながら疑問を呈する。
(真っ先に戦場に入ってきたのが、斥候や偵察じゃなくて…旗艦?)
その自問に対する答えを見つけるよりも早く、艦から何か小さなモノがフワリと落下するのを目撃する。目を凝らすと、それは爆弾といった兵器ではなく――人物である。トレードマークのリングと同じ真紅一色に染められたコートを着込んだ、小柄な人影。たなびく2本の金色の髪束に、それを結びつけるこれまた真紅色のリボンを見る限り、この人物が女性であることが想像出来る。
いくら地球圏治安監視集団に所属する人員とは言え、この混乱の中に唯一人降り立って何をすると言うのか? ノーラが届くはずのない疑問を人物に向けて投げかけた、その瞬間。
『鎮まりなさい』
直接意識に割り込む、静かながらも力強い女性の声。同時に、視界に浮かび上がる真紅の瞳を湛えた双眸。
その現象は、『バベル』出現時の魂魄干渉に多少似るところはある。しかし、その眼差しは『バベル』のように死に絶えたものではない。心を射抜くような生気と威厳に満ちた眼差しであり、『バベル』とは根本的に違う存在に由来するものであることを物語っている。
声と眼差し。その2つがノーラを含めた人々に浸透した、その瞬間。混乱の喧噪がピタリと止んだ。いや、喧噪という聴覚レベルでの静寂だけに留まらない。人々が皆、石に変えられてしまったように、動きを止めたのだ。
ただし、彼らは瞬きや呼吸による胸の上下だけは難なく行えている。つまり、この拘束を実行した人物――恐らくは空中艦から落下した女性――は、大規模な標的を一度に支配下に置くだけでなく、緻密な調整をも行える超絶的技能の持ち主ということになる。
(…た、助かったけど…。
私まで動けないのは…困るなぁ…)
ノーラが苦笑いの1つも浮かべたい衝動に刈られている一方で、羽毛のようにゆっくりと落下した女性が遂に着地する。
直後、アルカインテールの上空の状況が激変する。
結界下の蒼空に次々と転移方術陣が出現したかと思うと、先に現れた旗艦とよく似てデザインの、城を思わせる飛行艦が大量に出現したのだ。そして艦からは、崖から転げ落ちる岩のようにワラワラと鋼色を呈する者達が群れて落下してくる。
落下した鋼色は、土煙を上げながら瓦礫の大地を滑るように移動。動きを停止した人々の合間に入り込む一方で、先に落下した女性を始点にして一直線に続く、人の壁でできた通路を形成する。
その通路が至る先は――なんと、ノーラの目前である。
この時、ノーラは鋼色の人物の正体をも知る。彼らは西洋甲冑のような外観を呈する機動装甲服を着込んだ兵士達だ。彼らが手にしているのは、馬上槍に似た武器である。細長い円錐形の槍先の根本には4つの開口部があるが、ここは銃口のようだ。
ノーラへ至る通路を開いた兵士達が、一糸乱れぬ動作で槍を真っ直ぐ天に向けて胸元に引き寄せ、跪く。旧時代の地球における中世ヨーロッパの騎士道を思わせる動作だ。
(…映画の撮影みたい…)
壮大ながらも、どこか滑稽な光景にノーラは頬を歪めて苦笑する――そして、はっと気づく。身体の自由が戻っている!
パタパタと手足を動かしたり、キョロキョロと首を回したりしてひとしきり自由を確かめると。他の者達はどうでなのかと視線を投じるが、彼らは相変わらず石のように動けない状態だ。ただし、表情を作ることは許されたようで、不安がったり怒ったりしている面持ちを作っているものの、声は出ない。術者は発声を禁止しているらしい。
やがて、通路の向こうから悠然と、真紅のコートをまとった女性がやってくる。彼女の両脇には、そこら中に散らばる機動装甲歩兵とは格好が全く違う、真紅の礼服に身を包んだ人影が控えている。女性を姫君とするならば、彼らは近衛兵と言えよう。
この3者を見た時、ノーラの胸中に困惑と驚嘆が同時にわき起こる。中央の女性は両脇の人物に比べて、明らかに背丈が低い。両親に両脇を囲まれた子供だと説明を受けても違和感がないようなサイズ比である。両脇の人物がデカいのか、それともこの女性が小さいのか。
3者が間近にまで迫った時、ノーラは後者が正解だと覚り、そして絶句する。
身長は140センチもなく、非常に小さい。ノーラも小柄な方ではあるが、彼女をしても首を傾けねば顔を見ることができないほどだ。
加えて肌の色は、白磁にさっと赤みを差したような、深窓の令嬢を想わせる儚さを呈している。
――まるで、和紙だ。美しくも、ちょっと粗末に扱っただけでも千切れてしまうような印象。
そんなイメージの女性が、大量にひしめく混乱し切った人々を一瞬にして鎮圧してみせたのだ。そのギャップにノーラは目が白黒する思いである。
やがて、女性はノーラのすぐ手前でピタリと足を止めると。動脈の鮮紅をそのまま映したような赤の双眸でノーラの翠の瞳を真っ直ぐ射抜くと、フッ、と息を漏らしてバツが悪そうに微笑む。そして、コートの裾をスカートのようにつまみ上げながら、貴族然とした優雅な動作で頭を深く下げる。
「申し訳なかったわ。功労者である貴方まで拘束してしまうなんて。
聞き苦しいとは思うけれど、言い訳させて頂戴。いくら私の眼が『魔眼』と呼ばれていても、あんなにごった返していた人々の中から、瞬時にあなたを見つけだすなんて芸当は無理だったのよ。だから、一度全ての動きを止めさせてもらったのよ」
「そ、そうだったんですか…。
仕方ないですよね、あんな混乱ですから…」
王族の風格にも捉えられるような雰囲気をまとう人物に頭を下げられたノーラは、困惑しながらそう言葉を返していると。ふと、女性の両脇から自分に注がれる、痛々しいほどの鋭い視線を感じて身を竦ませる。
女性の両脇に居るのは、いずれも旧来の地球人とはほど遠い姿をした人物である。
右に居るのは、爬虫類然とした岩石質の顔面を持つ、幅の広い体格を持つ男。コートの下にある身体も、岩石質であろうと容易に想像できる。
左に居るのは、陽光を受けて鏡のように眩しく輝く髪と翼を持つ女性。顔立ちは端麗だが、凍り付いたナイフのような凄みのある表情が美貌を台無しにしている。
彼らの内、左の女性が堪らない、と言った様子で唇を震わせた後、声を張り上げる。
「いつまで頭を高くしている、学生風情がッ!
ユーテリアの学生ならば、名を耳にしたこともあるだろう!
こちらの御方は、我らが『クリムゾンコート』軍団総司令、ルミナリア・エルテシアス中将であらせられるぞ!」
女性の言葉に反して、ユーテリアの学生であるノーラはその名を耳にしたことはなかった。が、天下の地球圏治安監視集団の頂点に立つ者の一人であると知り、眼をパチクリとさせた後。慌てて跪こうとする。
「良いから、そのままで」
ルミナリアは即座に手で制すると、声を上げた左の女性に鋭い視線を向けて諫める。
「功労者に酷く無礼な物言いをするような指針を打ち出した覚えはないのだけど?」
「す、すみません…中将」
女性は腰ごと深々と折る礼で謝罪すると、チラリとノーラに避難めいた視線を送りつけてから、無表情に真っ直ぐ前を向いた。
ルミナリアは女性の振るまいを見届けてから嘆息すると。再び微笑みを浮かべてノーラに向き直る。
「出遅れてしまった責については、返す言葉もないわ。立花渚からの要請は昨日の段階で認識していたのだけれども。こちらも多少込み入った事情があってね。結果として、出遅れるどころか、お開きになった後の登場になってしまったわ。
重ねて、お詫びするわ」
「い、いえ…。
このタイミングで来て頂けたのは、幸いでした…。
私一人の力では、どうにもならなくて…。こちらこそ、混乱を収めて頂いた事に感謝いたします」
「この程度、本当に"ついで"よ。
『バベル』とか云う怪物を斃す役割は、本来私たちがすべき処だったのに。貴女一人で成し遂げてしまったのですもの。
その功績に比べれば、本当にちっぽけな助力よ。
…ところで…」
ノーラが更に身を退く言葉を重ねようとする気配を嗅ぎ取ったルミナリアは、すかさず話題を変える。
「この場での星撒部の責任者は、貴女…で良いのかしら? 『バベル』打倒なんて大役を果たしたのだもの。そうとしか思えないのだけれど?」
「いやいや、ハズレだぜ。吸血鬼の姫将軍閣下殿」
突然、横から入り込んで来たひょうきんな声。そして、機動装甲歩兵達の間から無理矢理ヒョッコリと姿を現したのは、空色と肌色の混じった身体を持つ青年――イェルグである。
『クリムゾンコート』の兵員達がアルカインテールを制圧したのに乗じたようだ。『影縫い』で拘束したエンゲッターのことは兵士に任せて、自分はノーラの元へやって来たのだ。
いつもは布で覆われて見えなかった空そのものの体部を目にしたノーラは、思わず目を見開いて、とっさに疑問を口にする。
「先輩…!? その体…!?」
「ああ、これ?」
当のイェルグは普段通りの笑みを浮かべたまま、黒髪の中に手を突っ込んでポリポリと掻く。
「そっか、ノーラにゃ初めて見せるのか。
まぁ、詳しい話は後でするとして。今は、アンタの肌の色が褐色なのと同じく個性だと考えといてくれ」
そうサラリとノーラの質問をいなすと、ルミナリアに向き直り、折れた話の腰を戻す。
「んで、責任者の件だが。蒼治・リューベインのこと、知ってるよな? 眼鏡かけた、辛気臭いヤロー。あいつってことになるはずだ。
この都市国家に入都した第一陣の中で、唯一の2年生だったからな。
ちなみにその娘、ノーラ・ストラヴァリは一昨日入部したばかりの新人で、1年生だ」
「あら」
そう返すルミナリアの口調は"意外"という意志を現してはいるものの、さほど感情の起伏が大きくはない。元々、感情を露わにするような性格ではないらしい。
「見たことない顔だったから、新しく入った娘だとは思ったけれど。まさか1年生で、しかも一昨日入部したばかりとは思わなかったわ。
そんな娘を単身、あの怪物にぶつけるような采配を取るなんて…流石は貴方達だと、呆れるべきか驚くべきか…」
「ウチは徹底した適材適所がモットーなんだよ」
「それなら、年功序列なんかで活動上の立場の序列も決めずに、適材適所でやる方が良いのではなくて?
果たした重責から言って、この娘を責任者と呼ぶのが適切じゃないかしら?」
「いやいや、戦闘技術だけで優劣を決めるモンじゃないだろ。
まぁ、ノーラがこの都市国家における勢力の相関関係を把握していたり、市軍とのパイプ役になってるってなら、アンタの言う通りだろうがね。
そこんとこ、どーなんだ、ノーラ?」
いきなり話題を振られたノーラは、ビクッと肩を竦ませてから、慌てて手をパタパタ振る。
「あの…重責を果たしたというより…私が単に『バベル』と相性が良かっただけで…。
全体的な取りまとめは、やっぱり蒼治先輩が束ねていますから…!」
「ふーん…」
ルミナリアは腕を組んで、伏し目を作る。
イェルグはルミナリアに対してかなり砕けた態度で接しているし、ルミナリアの方もそれを怒るでない。ただし、彼女のお付きは怒りの視線を向けていたが、かと言って文句を言うでもない。その様子からすると、2人は顔見知りのようだ。
そもそも、話によれば立花渚はルミナリアを名指しして連絡したようなので、星撒部自体が『クリムゾンコート』にコネを持っているのだろう。
さて、ルミナリアは数瞬黙した後、イェルグに向き直る。
「イェルグ、あなたじゃダメなのかしら?
私、正直言うと、蒼治って子が苦手なのよ。具体的にどうとは言いづらいんだけど…なんていうか、オドオドしたような雰囲気を感じちゃうから、気を遣うのよね。
あなたも2年生なのだし、あなたで済むなら話を進めたいのだけれど」
するとイェルグは舌をベーッと出して拒否する。
「残念、オレは今日ここに来たばっかりで、市軍にもコネなんか無いぜ。
素直に蒼治が来るのを待つんだな」
と…噂をすれば影が差す、という諺が具現化したように…蒼治の声が弱々しく響く。
「僕なら…ここにいますよ…」
声の方に顔を向けると、そこから現れたのは、ナミトに肩を預けた満身創痍の蒼治が機動装甲歩兵の合間を抜け出てくる。
「あら、『バベル』相手でもないのに、こっぴどくやられてるわね」
ルミナリアは毒を含んだ声を上げると、蒼治は痙攣するような苦笑いを浮かべてから、何か言葉を吐こうとする。…が、うまく発声できないようで、金魚のように弱々しく口をパクパクするばかりだ。
そんな時、ナミトが蒼治を抱えていない方の腕で頼み込むポーズを作って語る。
「スミマセン、先輩は中将さんの魔眼にやられちゃって、うまく動けないんです。
解除してもらえません…?」
「あら、それは申し訳なかったわ」
ルミナリアはそう発言するだけで、特に何するワケでもなかったが。蒼治の拘束は解けたようで、彼は糸が途切れたように体をグニャリと動かすと、大きく肩で呼吸する。
その様子を見たルミナリアは嘆息すると、ジト目で睨みつける。
「全く…一昨日入ったばかり、そして『バベル』を相手にしたノーラさんならまだしも。2年生でそれなりの経験を積んだあなたが、この程度の魔眼の影響も振り払えないなんて。恥を知りなさい」
「…そりゃあ…体調が万全なら、余裕だったでしょうけれども…。
この体を見て、察して頂きたいところです…」
「…いいえ、察せないわね。
だって、体調の万全だの不調だのは関係ないってことを証明する子が、すぐにここに来るもの」
と、ルミナリアが語った直後。ナミト達が現れたのとは別の方向を掻き分けて、小規模な集団が現れる。その先頭に現れたのは、避難民の長を努めていた市軍の蘇芳。そして、彼を両側から支えるユーテリアの学生レナと、もう1人はなんと満身創痍のロイである。
「おっ、ノーラもイェルグも蒼治達も! あと、吸血鬼のおばちゃんも此処に居たのか!」
ロイが声を上げて更に歩を進めると。3人の後ろには珠姫を肩に支えた紫の姿が続く。
蘇芳と珠姫はルミナリアの"魔眼"と呼ばれる力に完全に束縛されており、表情はぎこちなく動くものの、手足も動かなければ声も出せない状態だ。
ルミナリアはそんな2人を解放するより早く、蒼治を睨みながらロイを指差す。
「ホラ。こんなに傷ついても、私の魔眼の影響を跳ね返せてるわ。
貴方の力量が、単純に低いだけなのではなくて?」
そう問われた蒼治は、反論することも苦笑いすることもなく。気落ちした堅い表情を作ると、「…そうですね…」と認めてしまう。
先のチルキスとの戦闘を振り返り、思うところが色々とあったのだろう。
「そんなことより、おばさんよー」
気落ちする蒼治など気にも止めず、ロイが責めるように口を出す。
「こっちのおっちゃんとねーちゃんの方も、解放してやってくれねーかな?
用事あるはずだぜ?」
と、蘇芳と珠姫を親指で指差して促すと。彼に反応したルミナリアではなく、その脇に控えた岩石質の男である。
堅いこめかみにビキビキと青筋を浮かべ、鬼面のような憤怒面を作って怒号する。
「毎度毎度、無礼極まりないガキだな、貴様はッ!
そこの空男と言い、口の利き方を全く学習せん奴らだなッ!」
「ンだよ、岩面!? ヤるってのかよッ!?」
岩男とロイの間に視線の火花が散り始めると、その合間にすかさず、そして優雅にルミナリアが割って入ると。嘆息して岩男に向き直り、背をツッと伸ばして軽く小突く。
「器が小さいわよ、ギースロック。
私たちがすべき仕事を寡勢で成し遂げた功労者なのだから、もう少し敬意を払って、多少のやんちゃには目を瞑りなさい」
「し、しかし閣下! こいつは閣下のことを、"おばさん"などと呼び捨てに!」
「別に気にないわよ、私は。
吸血鬼種族である私は肉体成熟速度が遅いだけで、時間年齢で言えば"おばさん"、いえ、"おばあさん"と言われても仕方ないもの。もう慣れっこよ。
むしろ、外観で判断されて小娘扱いされるよりは、ずっとずっとマシだわ」
イェルグもロイもルミナリアのことを"吸血鬼"と呼んでいたが、それは事実だったようだ。彼女が言う通り、吸血鬼種族は肉体における加齢が酷く遅い。かと言って、代謝全般が遅いワケではないので、怪我や病気の治りが遅いワケではない。若さを求める者達からすれば、生まれながら夢のような能力を持つ者達である。
とは言え、旧時代の地球の伝承が伝えるように、吸血鬼種族には弱点も多く、訓練無しには昼間の地球をまともに歩くのも難しいという欠点もある。
そんな弱点だらけの種族でありながら地球圏治安監視集団の一軍団を統べる立場に就くルミナリアの努力と実力は、計り知れないものがある。
…それはさておき。ルミナリアはギースロックと呼んだ岩男を黙らせると、ロイ、そして蘇芳達に視線を向ける。そして、発言も無しに蘇芳と珠姫の拘束を解除すると、彼らは呼吸を我慢していたのを止めたように、大きく息を吐いて、グニャリとその場に倒れ込みそうになる。
「あら、申し訳ないわ。放置してしまって。
男性の方は、避難民のリーダーを勤めている倉縞蘇芳さんとお見受けするわ。
女性の方は…ちょっと思いつかないけれども、彼の副官かしら?」
「竹囃珠姫って…言います…。
副官…かどうか言われると…なんとも言えませんけど…」
珠姫が自己紹介していると、レナが「あれっ」と声を上げる。
「あたしの認識だと、サブリーダーなんだけど…あれ、違った?
じゃ、この場に連れてこなかった方が良かったかな…?」
「いや…珠姫に居てもらった方が、オレとしても心強い。
何せ、地球圏治安監視集団の一軍団の総司令様だって言うじゃねぇか…。市軍のトップってワケでもねぇオレなんか相手するんだ、独りだったら身が保たねぇよ。
気心知れる珠姫が居てくれるなら、一安心さ」
蘇芳が微笑んでレナ、そして珠姫をフォローする。すると珠姫は、顔を赤くしながらポツリと「勿体ないお言葉です」と呟いた。
――さて、これで星撒部とアルカインテール市の現在の責任者がこの場に集ったことになる。
ルミナリアはこれ以上の雑談を噤み、テキパキと業務連絡的な内容を語り出す。
「二人にはまず、私たちの初動が遅れたことについて謝罪するわ。
星撒部――つまり、蒼治・リューベイン達の所属する部活動の、現時点での長である立花渚から直接助力を請われたのだけれども。だからと言って、同じ地球圏治安監視集団の他軍団においそれと干渉することは出来なくてね。
渚のもたらした情報の真偽の確認は勿論、『パープルコート』に対処する立場として『クリムゾンコート』は適切に中立かどうか、会議が開かれてね。それで手間取ってしまったのよ。
大規模組織の呪われた宿命よね。だけれども、現地で苦しむ貴方達を横目に放置してしまったことは事実だわ。素直に、申し訳ないと、謝らせて頂きたい」
ルミナリアが深々と頭を下げると、蘇芳は「い、いやいやいやいや!」と手をパタパタ振る。1ヶ月の混乱の中、どっしり構えていた彼のイメージが崩れるような行動である。案外、権力差というものに弱いのかも知れない。
ルミナリアは頭を起こすと、切り替えてテキパキと話題を進める。
「まず、アルカインテールで暴れ回った『パープルコート』を始め、『冥骸』、サヴェッジ・エレクトロン・インダストリー、そして癌様獣達だけれども。
身柄は私達、『クリムゾンコート』が預からせて頂くわ。
星撒部にしてみれば、功績を掠め取られるようで気分が悪いかも知れないけれど。現実的な情勢を鑑みて、私達の方でそれぞれへの処置を行うのが適切だと判断したの。
異論が在れば、勿論聞くわ。罵声も甘んじて受け入れるわ。貴方達には、その権利があるもの」
その言葉に対し、顔を曇らせた星撒部の部員は誰も居ない。その代表として、蒼治が頷きながら答える。
「いえ、異論も何も在りません。
むしろ、こちらからお願いするつもりでした。
こんな大量の人々を捌くのは、いくら僕らでも手が余りに過ぎますから」
「ただし、無理、ってワケじゃねーからな」
蒼治の言葉の直後、ロイが言葉を挟む。
「オレ達、星撒部に不可能の文字は無ぇ。
だけど、今回は…面倒だからな! 任せるだけなんだぜ!」
そんな減らず口を毒を含めて鼻で笑い飛ばしたのは紫だったが、ロイは反論することなく口を噤む。普段の彼なら騒ぎの一つも起こしたかも知れないが、『暴走君』と云えども場の空気を読めるようだ。
蒼治の理解にルミナリアはコクリと首を縦に振ると。今度は蘇芳に顔を向ける。
「アルカインテールの復興、および避難民の今後の処遇についてです。
アルカインテールの復興については、地球圏治安監視集団のいずれかの軍団が主導し、アルカインテール市民と密に連携しながら推し進める方針です。
ただし、現時点ではどの軍団が主導を担うか、決まってはいません。決まり次第、軍団総司令から挨拶に伺うと思います。
一つ言えることは、『パープルコート』が主導する可能性は無い、ということです。他の、恐らくは地球近傍で活動している軍団が従事することになるでしょう。
私が任せられる可能性もありますので、その際にはお見知り置きいただきたいです」
「『パープルコート』みたいな不良部隊がやって来ないなら、どこでも良いぜ。キチンとやってくれりゃ、オレは勿論、住民のみんなも納得してくれるはずさ」
蘇芳が答えると、ルミナリアは「ありがとう」と理解への感謝を伝えた上で、話を更に進める。
「それで、避難民…正しくは、残留市民と言うべきかしら? その皆さんには、現在『オレンジコート』が運営している難民キャンプに合流して頂きたいわ。
そこには、今回の騒動でアルカインテールから脱出できた住民が暮らしているの。家族が離散してしまっている家庭も、一緒に暮らすことが出来るわ。
ただし…中には、あくまで愛着にある故郷に住み続けたいという住民もいるでしょうけど…。今回の戦争では単に都市機能が停止しただけでなく、何らかの術式的な汚染も有り得るでしょうから。除染が完了し、復興が進んで来たタイミングで、希望者の帰還を認めて行くつもりです」
「それについては、オレからは異論は無ぇよ。なんたって…」
蘇芳は後頭部を掻きながら、今まで見せたことのない、蕩けるような満面の笑みをニヘラと浮かべる。
「そこには、オレの娘も居るからな。
いい加減、会いたくて仕方ねぇんだわ」
それからすぐに顔を引き締めると、蘇芳の方から頭を下げる。
「こちらこそ、よろしく頼みたい。
移送を反対する者については、オレ達の方で説得する」
「素早いご理解、感謝の至りだわ」
ルミナリアが微笑む。
そこで会話が途切れそうな気配が漂ったが、いきなり蘇芳が言葉を滑り込ませる。
「ただ、ちょっと訊いていいか!?」
「何かしら?」
「『パープルコート』どもは今後、どうなるんだ? 何らかの処分が下されるのは、確実なのか?
そしてオレ達は、アンタらの決定や、奴らの末路について見聞きすることが出来るのか?
…いや、出来なきゃおかしいだろ。オレ達は当事者で被害者なんだ。ブラックボックスのまま事が運んで行くだけなんて、オレだけじゃねぇ、アルカインテールの全住民の理解が得られないと考えて構わないぜ」
途中から質問よりも脅迫の体を成して言葉であったが。ルミナリアは決して不快感を匂わせず、静かに耳を傾けていた。
かと言って、彼女の返答はすぐに得られるワケではなかった。
ルミナリアは暫し黙り込む。そして再び口を開くと、先の沈黙は悪い報せを言い渡すのを躊躇っていたワケではなく、純粋に考え込んでいたのだと云う事実が聞き手に伝わる。
「まず、初めの質問だけれども…。
『パープルコート』軍団全体について尋ねているのかしら? それとも、アルカインテール駐留部隊についてかしら?
それによって、返答は変わり得るわ」
「…場合によっては、全体も、だ。
今回の件、『パープルコート』という組織自体が企んだ事だってなら、全体に処罰が成されて然るべきだと、オレは思う」
蘇芳の言葉に、ルミナリアは小さく呼吸をしてから、答える。
「アルカインテール駐留部隊については、処罰は確実でしょうね。ただ、部隊所属人員の全てに懲戒が下されるとは限らないわ。今回の件について、誰がどれだけ関与していたか。それを客観的に明らかにした上で、各人へ処遇が通達されるでしょうね。
ただ、確実に言えることは、司令官であり首謀者であったヘイグマン・ドラグワーズ大佐は懲戒の上、除隊処分となるでしょうね。
懲戒の程度も、あまりここでは口にしたくない類の重刑になることは間違いないでしょう」
「そうか…」
蘇芳はひとまず、安堵の表情を見せる。彼自身のみならず大多数の家族を離散させた上に、非人道にも魂魄を利用してまで己の欲望を成し遂げようとした人物に確実な厳罰が約束された事は、単純に喜ばしいことである。それが客観的に見て不謹慎であると断じられても、身を切られた当事者としては当たり前の感情であろう。
「ただし」
ルミナリアの続く言葉に、蘇芳は安堵の表情を引っ込めて、真剣に耳を傾ける。
「『パープルコート』そのものが今回の計画に関与していたかどうかは、現時点では何とも言えないわ。今後の早い時期に、査問会議が開かれるでしょうから、その中で事実関係が明らかにされるでしょう。
『パープルコート』が解散となるかは、その会議の成り行き次第だけれども…。
私個人的には、『パープルコート』総司令の人物の性格的に、有り得ないと思っているわ。
万が一にも何か関与が認められたとしても、軍団所属の個々人全ての関与は有り得ないでしょうからね。よほどの事が無い限り、『パープルコート』の解散というのは有り得ないと思うわ。
有ってならば、総司令職の入れ替えでしょうね。ただし、本当に万が一、でしょうけれども」
「…アンタは、『パープルコート』には非はない、って立場ってことか」
ルミナリアは苦笑いして肩を竦める。
「同じく組織を指揮する身としては、全く非がない、とは言えないけれどね。監督不届きということで、何らかの咎めはあるでしょうけれども。
それでも、軍団自体に大きな非はないと云う立場であることは認めるわ。
悪く思わないで頂戴。貴方達の感情はよく分かるけれども、私にも私個人の感情があるわ。
それに、最終的な判断を下すのは、査問委員会だわ。私でもなく、貴方でもなく、ね」
そのルミナリアの言葉に蘇芳が食い下がって文句を言わなかったのは、判断を下す"査問委員会"について異論がないからに他ならない。
地球圏治安監視集団の査問委員会は、複数の外部機関から構成される客観的組織だ。しかも、会議ごとに参加が認められる機関はランダムに選出される。そのシステムおよび、被害者感情を最大限に尊重する姿勢は、世に広く知られているところである。
…さて、ルミナリアは蘇芳の2つ目の質問についても答える。
「『パープルコート』および、アルカインテール駐留部隊への処遇については、通常通り、地球圏治安監視集団の広報部から一般に公開されるわ。
それ以上の詳細な情報が、貴方達に対して特にもたらされるかどうかについても、査問委員会が決めるところよ。
私はそれについて、何も確約できないわ。
ただ、貴方達の苦渋を鑑みれば、貴方達には詳細を知る権利があると、私は思っているわ。
その実現のために、私個人として出来る範囲で努力する程度なら、約束できます」
「軍団総司令から、そんな言葉をもらえるだけで、心強いよ。
とにかく…この事件が、アンタらの汚点として闇に葬られることないように…それだけは、最低限、貫いて欲しい」
その蘇芳の言葉については、ルミナリアは極めて真摯な表情を作り、軽く開いた手をそっと突き出す。
「ええ。それは、地球圏の防衛を謳う組織に責を持つ者として、確約するわ」
その言葉に蘇芳は、トラにも似た凄みのある笑みを浮かべながら、ルミナリアの小さな掌をしっかりと握る。蘇芳としては脅しも込めてかなり力強く握ったものの、ルミナリアは顔色を変えることなく、真紅の瞳で真っ直ぐに蘇芳を見返すばかりであった。
蘇芳とのアルカインテールの今後についての話に一段落が着いたところで。ルミナリアは踵を返し、蒼治に向き直る。
「ところで、星撒部の神崎大和君は何処かしら? 姿が見当たらないのだけれども?」
「そう言えば…」
蒼治は眼鏡を直しながら、キョロキョロと周囲を見回す。
「あの軟弱チャラ男のことですから。中将さんの魔眼にやられて、動けなくなってるンじゃないですか?」
紫が毒をたらふく含めた陰のある笑いを浮かべて語ると、蒼治は苦笑い。
「いや…あいつだって、この約1年間、僕らと激務をこなして来た身だよ。
ズタボロに疲れ果ててるならともかく、そうでないなら、うまく抵抗してると思うけどね…」
「じゃ、ちょっと呼んでみよー」
ナミトが制服のポケットの内側からナビットを取り出し、大和に映像通信を入れる。
コール音を数回と待たずに、3Dディスプレイが展開。そして表示されたのは…頭の後ろで腕を組み、コクピットの座席をリクライニングチェアよろしくのほほんと寛いで寝そべる、大和の姿である。
「あ、ナミちゃん。どーしたの?」
何事もないように訊いてくる大和に、蒼治と紫が同時に、ハァー、と深い溜息を吐く。
そしてジト目で文句を吐いたのは、紫である。
「あんたねー。みんな集合してるってのに、なーに独りで余裕ぶっこいでンのよ。
部員の仲間のこととか、今回の騒動の結末とか、気にならないワケ?」
すると大和は、ハリハリとしたブラウンの髪の中に手を突っ込んで、ポリポリ掻きながら、ぼんやりと呟く。
「いやー、マズい事になってたら、連絡来るだろうからさ。何も無かったって事は問題無いって事なんだろーなーって、確信してたし。
実際、うまく行ってンでしょ?
もしうまく行ってないとしても、どーせオレじゃー、何ともしようがないしさー」
無責任にして、開き直り切った情けない発言に、紫は拳を握ってプルプルと震わせたが。怒鳴りつけそうな気迫を大きな溜息と共に吐き出すと、精一杯の苦々しい笑いを浮かべて、毒をぶつける。
「そんなんだから、アンタってば女の子から相手にされないのよ。頼りないっていう言葉は、アンタのためにあるような言葉よねー」
すると大和は縮めたバネのように跳ね起きて、3Dディスプレイに顔をドアップに近寄せる。
「いやいや、頼りないってのはないっしょ!
オレ、今回もちゃんと努めは果たしてるよ!? 前回のアオイデュアの件だってさ、初めから終わりまでしっかり面倒見たよ!?
ただオレが言いたいのはさ、世の中適材適所が肝心だってことだよ! 成果の上がらない事に無駄に力を尽くしたところで、手放しで喜ばれることなんてないわけで! 下手に同情されても、悲しくなるだけだし!」
「あー、はいはい。つまり…」
紫が更に突っ込もうとしたところで、ルミナリアがスッと手で紫の口元を覆って制する。
そして大和を正面に見据えて、語り出す。
「お久しぶりね、大和君。
今回は、紳士である貴方にお願い事があるのよ。
貴方にしか出来ない、貴方だからこそ頼みたいお願いよ」
外観には見合わぬ歳月を経験している吸血鬼種族のルミナリアは、男の心を手玉に取る方法にも詳しいらしい。大和と顔見知りらしいことも手伝ってか、彼女の言葉は絶大な効果を上げる。
大和は慌てて佇まいを直し、背筋を伸ばして座席に座ると。足を組み、髪を撫で上げると、紫の時とはまるで違うキリリとした表情を作り出す。
「何でしょうか、姫将軍様。
貴女の麾下という立場で無くとも、心の中では貴女様の騎士。この神崎大和めに、何なりとお申し付け下さい」
「良い子ね」
ルミナリアが姫の名に相応しい、宝玉の輝きのような笑みを見せると。大和は一瞬、顔をニヘラと崩してしまう。が、すぐに顔を戻し、ルミナリアの願いに耳を傾けるのであった。
彼らが話し合いをしている間のこと。蘇芳はずっと肩を貸してくれていたロイに目を向けると、慌てて飛ぶように彼から体を離す。
「おっと、スマンスマン! いつまでも肩を借りちまって!
…そんなズタボロの身でよ、本来ならオレの方でにーちゃんに肩を貸さなきゃならんってのに!」
ロイの満身創痍は、確かに、人々の目にかなり痛々しく映っている。『クリムゾンコート』の機動装甲歩兵の中にも、彼の姿を見た途端に息を飲んだ者が居たほどだ。
それでもロイは体をふらつかせることなどなく、腫れた顔でニッコリとヒマワリの笑みを浮かべて見せる。
「こんなのへーき、へーき! いつものことさ!
この程度で音を上げてたら、副部長にどやされちまうよ!」
その言葉に蘇芳は笑みを全く含まぬ苦い表情を作ると、レナの方を向いて尋ねる。
「…なぁ、ユーテリアって教育機関は、どんな教育してンだよ…」
するとレナは肩を竦めて苦笑いしながら、手をパタパタと振る。
「至極真っ当な教育機関だよ。戦闘訓練だって、安全にゃ十分配慮してるんだぜ。
こいつら、暴走部が特に別で過激なだけだ。こいつらの異常な常識をあたし達にまで当てはめんなよ…」
さて、もう一方では。イェルグがノーラに近寄り、労いの言葉をかけている。
「大役、ご苦労さん。
そして、無理矢理引っ張り込んじまって、悪かったな。
でも、ベストな結果になったからさ、チャラにしてくれると助かる」
「え、あ、はい…。
正直、戦いは厳しかったですけど…。あのまま泣き寝入りしたままで、最悪の結果になっていたら…とても後悔したと思いますから。あの時の私に必要だったのは、頬を叩いてくれる人だったと思います…。
先輩には、感謝の気持ちで一杯です…!」
「そりゃ、良かった。
ところで…それ、大丈夫なのか?」
「イェルグは空色に染まった腕で、ノーラの胸を差す。そこは丁度、『バベル』によって大穴を開かれた部分だ。未だに制服は穴が開いたままになっている。
ノーラはニコリと微笑むと、首を縦に振る。
「はい…。『バベル』の壊滅と一緒に、私の体もちゃんと元に戻りましたから。問題はありません」
「いやー、それだけじゃなくてな…。
その、言いにくいんだけどさ…」
「?」
首を傾げるノーラに、イェルグはコホンと咳払いを前置いてから、ポツリと語る。
「…恥ずかしくないのかな、ってな。
ヴァネッサなら、顔から火を吹いてると思うからよ…」
そう指摘されて、ノーラは改めて胸を見て…顔が、真っ赤になる。
制服に開いた大穴には、小振りな乳房の付け根辺りの部分が剥き出しになっている。
「あ…! あ…! ああ…!」
慌てて胸を隠すノーラの挙動に、イェルグはアハハ、と声を上げて笑うと。自分のボロボロの上着の一部を引き裂いて、ノーラに投げて渡す。
「そいつで隠しておきな」
「あ、ありがとうございますっ!」
早口に感謝の言葉を述べたノーラは、貰った布でそそくさと胸を隠すのであった。
ノーラの作業が終わった頃、丁度ルミナリアと大和の会話も終わったようだ。大和が上機嫌に声を張り上げる。
「いやー、そんな美味しい役目、もらっちゃって良いンスかねー!
なんだか、照れるなぁ!」
「勿論よ。
貴方達こそが功労者なのだもの。その権利は貴方達のものだわ。
それを掠め取っては、私の『クリムゾンコート』の名を貶めることになるわ」
そう語りながらウインクして見せるルミナリアは、外観の通りのお茶目な少女そのものであった。
◆ ◆ ◆
地球圏治安監視集団所属『オレンジコート』が運営する、アルカインテール避難民キャンプ。
そこでは丁度、陽が西の空に姿の大半を沈めている時間帯である。空は曇りがちなことも相まって、燃えるように赤い西空と濃い色の大理石のような灰色で染まっている。大火事の後の黒煙漂う空にも見えなくはない。
不気味にも神秘的にも見えるこの空の下に、キャンプで暮らす避難民達が集いって人混みを為している。
夕餉の準備に忙しくなる時間帯だというのに、何故に居宅を飛び出して集まらねばならないのか。その理由は、彼ら自身も知らない。彼らはただ、運営者である『オレンジコート』の者達に誘われるがまま、キャンプ郊外の平原地帯に集まったのである。
状況が飲み込めず、不安げであったり苛立った様子であったりする人々は、口々に疑問や不満を吐き合って落ち着かない。しかし、人混みの周囲に立つ、見守るというより威圧しているような『オレンジコート』の兵士に楯突く真似をする者はいない。アルカインテールを退去してから後、ほぼ不自由ない生活を営めたのは彼らのお陰であると理解しているからだ。だから、質問程度はすれども、食ってかかるような行動は見られない。
「なぁ…こんなに人を集めたってことは、何か大事があったってことだろう?
ヤバい事なら、さっさと教えてくれよ…神経をすり減らすような経験は、もう二度とごめんなんだ…」
そんな言葉を投げかけられた『オレンジコート』の隊員は、にこやかな微笑み――営業スマイルとも取れなくはない――を浮かべて、穏やかに語る。
「安心してください。悪いようにはなりません。
ただ、少々お待ち下さい」
隊員達はその一点張りで、避難民の中には首を振って諦める者がチラホラ現れていた。
そんな人だかりの先頭に、高さはデコボコながら綺麗に一直線に並んだ1団が居る。
その中央に居るのは、一際背丈の小さく、そして背丈に見合って年齢も幼い少女。倉縞栞である。
彼女の両脇に立つのは、『オレンジコート』隊員にしてキャンプの戦災孤児収容施設の責任者であるルニティ・エンケラドゥス。そしてもう1人は、星撒部の部長である立花渚だ。
「…いつまで立ちっぱなしでいないといけないワケ?
あたい、足が痛くなってきたんだけどさぁ」
輝きの曇った不満げな鋭い眼差しで交互に両脇の2人を睨みつけつつ、文句を口にする。
対して渚は、星が瞬くようなウインクを投げる。
「案山子は立ちっぱなしであるが、黄金の実りを真っ先に目にする特権の持ち主じゃ。
おぬしもその足の疲れに見合った…いや、それ以上の実りを必ずや手に入れることが出来るのじゃ。
まぁ、もう暫しの辛抱じゃから、少し我慢せいよ」
「…ってゆーかさ、なんでおねーちゃん達、また此処に来たの?
慰問って、一日で終わるようなモンじゃないの?」
栞が相変わらずのジト目で睨みつけながら渚に問う。彼女が「おねーちゃん"達"」と言った通り、このキャンプには渚だけでなく、アリエッタとヴァネッサも来ている。つまり、星撒部は今、総出の状態だ。
渚は栞のチクリと刺すような問いにも顔をしかめたりせず、飄々とした微笑みを浮かべて捌く。
「うむ、慰問は確かに昨日で終わりじゃ。
今回こっちに来たのは、別件じゃ。まぁ、なんというか、お膳立てした身の上として、此度の祭りの貴賓として参加しに来た、というところじゃな」
「…祭りぃ?」
栞は濁った輝きを浮かべる瞳を怪訝な陰で閉ざして訊き返す。これに答えるのは、ルニティだ。
「そう、お祭りだよ。
このキャンプに居る皆にとっての、とっても嬉しいお祭り。
勿論、栞ちゃんにとっても、ね」
「とっても嬉しいって…。みんな、文句ばっかり言ってるじゃん。
祭りは祭りでも、クレーム祭りなんじゃないの?」
そんな鋭い指摘にルニティは苦笑いを浮かべていると。そんな彼女に助け船が来る。
真っ赤な夕日の中から、ぼんやりと蜃気楼のように、幾つかの点が現れたのだ。
「うむ! ようやく来たようじゃな!
あやつらと来たら、たっぷり待たせおって!」
渚の言葉は文句を紡いでいるものの、その顔は清々しくも不敵な笑みだ。
夕日の中から現れた点は、やがて大きさを増して行き、栞を含めた人々の視界に映るようになる。
「あれ、なんだ…?」
「なんか、光ってるよな…?」
「飛行艦…みたいだぞ?」
人々が口々に言い合っている中に、点は更に大きさを増して、詳細が露わになってゆく。初めは丸かと思われていた形状は、徐々に四角くなってゆく。誰かが言ったとおり、その正面には幾つかの光源が張り付いている。
更に時間が経過すると、他の誰かが指摘した通り、点の正体が飛行艦であることが判明する。つまり、複数の点々の正体は、総勢20隻を越える大型飛行艦による艦隊である。
飛行艦の造形は、中世の西洋文化の砦や城を連想させるような凝ったものだ。その側面には、推力に靡く真紅の垂れ幕が見える。視力の良い者は、その垂れ幕の中央にデカデカと描かれた、地球とそれを取り巻くハトの翼を持つ輪のマークを見つけたことであろう。
この艦隊はつまり、アルカインテールから移動してきた『クリムゾンコート』のものである。
この艦隊の先頭には、他の艦とは明らかにサイズも造形も違う一隻がある。形は概ね四角であるが、もっと飛行機らしい姿をしたものだ。造形は流体力学に適うようなツルリとしたシンプルなもので、大きな翼を持っている。
「何…あれ…?」
文句を垂れていた栞も、思わず目を見開いて呆然と疑問を口にすると。その隣で渚がケラケラと声を立てて笑う。
「ビックリ箱じゃよ」
渚の言葉の真意を図りかねるどころか、考える暇もなく、大規模な艦隊の姿に圧倒される、栞。
そんな彼女に構うことなく、艦隊は粛々とキャンプへと接近。やがて人々の集い平原に至ると、微風と共に静かに着陸する。飛行艦はすべて風霊を主体とした精霊式エンジンを採用しているようで、静音と自在な昇降運動を見事に両立させている。
視界をあっと言う間に埋め尽くす、巨大な飛行艦の林立。その外観も相まって、まるで巨大な城塞都市の門前に立つ気分になった栞を始めとする避難民達は、目を白黒させるばかりだ。
そんな時、不意に渚が栞の背中を軽く、ポン、と押しやる。光景に呆然とするばかりだった栞は、「お…っとっと!」と口に出して転がりそうになる。なんとか踏ん張り、恨めしそうに振り向いた彼女に対して、渚とルニティのどちらもにこやかな笑みと共に艦隊の先頭にある飛行機型の艦を指差す。
「栞ちゃん、行ってみてごらん!
栞ちゃんが頼んだもの、運んで来てくれたんだよ!」
ルニティの声がけに栞はハッと目を見開いて飛行艦の方を振り向く。
彼女が頼んだもの。それは、彼女の父が作ってくれたクマのヌイグルミだ。
どうせ見つかりっこないと決めつけながらも、星撒部の2人――ノーラとロイに託した願い。それが実現され、こんな大規模な艦隊まで持ち出して運んで来たというのか!?
願いが叶ったという喜びよりも、大袈裟に過ぎる演出に、栞は再び目を白黒させながらも、ゆっくりと艦の方へと歩み寄る。
丁度その頃、先頭の艦の乗降口が開いてタラップが降りてくる。そして姿を現したのは――。
「よーう、元気だったか、栞ッ!」
右手を挙げて声高に挨拶するロイと、そのすぐ後ろに続くノーラである。
タラップをスタスタと降りて、栞の目の前に並んだ2人。彼らの格好をみた栞は、三度目を白黒させる。
身につけている制服が、ボロ雑巾と変わらないほどに損傷しているのだから。彼らの事情について何も知らない者からすれば、驚きを隠せずとも仕方ないであろう。
とは言え、ロイもノーラも交戦の傷は殆ど癒えており、激闘を物語るのは壊れた制服だけとなっている。移動中に『クリムゾンコート』の衛生班に治療してもらったのだ。髪型もそれなりに直している。流石に、体までズタボロの状態で会うのは気が退けたようだ。
「どうしたの、その格好…!?」
栞の問いは当然と言える。それをロイは大笑いして飛ばす。
「まぁー、細かい事は良いじゃねーか。階段でずっこけたようなもんだ」
「階段で転んでも、そこまでにはなんないよ…」
「まっ、気にすンなってことさ。
それよりも、だ。お前の願い、ちゃーんと叶えて届けに来たぜ!」
すると、ロイの後ろからノーラがスッと前に出ると、背中に回していた栞へ向ける。合わせた掌の上に置いてあるのは、ノーラの片手に収まる程度の小さなクマのヌイグルミだ。
「はい、栞ちゃん」
「え…っ」
栞の返答には嬉しさはなく、怪訝さばかりが目立つ。事実、彼女はすぐにジト目を作ると、ノーラの顔を睨みつける。
「…これ、あたいの無くしたヤツじゃないよ。大きさが全然違うもん。
それに、デッカいにヌイグルミを持ってくるって言ってたじゃん。話が全然違う」
鋭い突っ込みにノーラは苦笑いを浮かべてから、続ける。
「取りあえず、手に取ってみてくれないかな…。それでも気に入らなかったら、返してくれていいから…」
「…こんなヌイグルミ…。どうせ本物が見つからなかったから、どこかのお店で買ってきた…」
そこまで語った栞の口が、ピタリと止まる。そして、ジト目が一変して真ん丸に見開かれる。
それから栞は、引ったくるようにノーラの手からヌイグルミを取り上げると。両手で掴んで顔の高さまであげて、マジマジと見つめる。
顔とお腹が同じくらいの大きさの、ほぼ2頭身。手足は薄くてペラペラで、立つ事は出来なそうだ。目は黒いビーズを埋め込んで作ってある。
出来はあまり良くはない。むしろ、玩具屋に並ぶ商品としては失格だ。
それでも栞の目を引いたのは、ヌイグルミから漂う雰囲気、デザイン、そして縫い方だ。
そのどれもが、見慣れた懐かしさを喚起させる。いや、呼び起こすだけに留まらない…これは、懐かしい記憶そのものの具現化だ!
「これ…これ…!」
感極まり、吃音を交えながら栞が呟いていると。
「すまんなぁ。時間無ぇってのに、作れって言われたからよ。急いで作ったら、そんなのしか出来なかったンだよ」
「!!」
聞き慣れた声。低くて逞しい声。どこか間の抜けたような声。暖かくて優しい声。そして――望み焦がれながらも、もう二度と聴けないのだと諦めていた、声。
その声の主をタラップの上に認めた瞬間、栞はヌイグルミをポトリと落とすと、電撃にでも撃たれたような勢いで叫びながら走り出す。
「…パパ…ッ!!」
そう。そこには騒乱の中で別離した父親――倉縞蘇芳の姿があった。
「久しぶりだなぁ、栞ッ!」
蘇芳も叫び、タラップを一気に駆け下りると、駆け寄る娘へと一直線に向かう。
そして両者は、艦隊の陰から覗く夕日を背にして、しっかりと抱き締め合う。
「な? デッカいクマ持って行くって言ったろ?」
ロイがニカッと笑って語った言葉は、2人の耳に届いてはいないだろう。
栞は涙をボロボロと流しながらわんわんと泣き叫び出し、蘇芳も鼻をすすりながら滲んでは止まらぬ涙に目を赤くする。
絶望的な別離から、1ヶ月余り。互いを求め合いながらも、諦めの奈落に落ちかけていた末の、再会である。
どうして感極まらずにいられようか。
親子の再会を遠巻きに見ていた人々の顔に、笑いとも泣きとも付かない表情が浮かんでゆく。良い場面に巡り会えたという嬉しさのある一方で、自分もあの親子のように不本意に別離した親愛なる者と再会したいという羨望がこみ上げてきたのだろう。
このまま、彼らが傍観者となるだけならば、この集いはただの見世物で終わるだろう。
しかし、渚はこの集いを"祭り"と呼んだ。
親子の再会だけでは、終わりはしない。
「さーて! アンタみんなにも、クマのヌイグルミの大盤振る舞いだ!」
ロイの叫びを合図に、艦隊が次々にハッチを開いてゆく。その中からゾロゾロと津波のように現れたのは…人、人、人だ。
彼らはすぐさま駆け出して、平原に待つ人集りの中へと入り込んでゆく。
突然現れた大量の人々に、キャンプの避難民達はちょっと身を竦めたが。やがて、駆け寄ってくる人々の中に見知った者の顔を見つけると、一気に破顔して、自らも彼らの元へと駆け寄ってゆく。
そして、栞と蘇芳が見せた劇的な再会が、所々で巻き起こる。
『クリムゾンコート』の艦隊が運んで来たアルカインテールの残留市民、および『バベル』から解放された人々が、身内の元へ悉く帰った瞬間である。
ただ別れたのみならず、死別したとばかり思っていた者とも再会を果たした彼らは、熱い涙と抱擁なしに喜びを分かち合うことが出来ない状態である。
こうして、沈みゆく夕日に照らされる大地は、歓喜の輝きに満ち溢れるのであった。
「んんー、特等席からの良い眺め!
こういう場面に立ち会えると、この部に入って良かったなー、って心底思えるッスよ!」
艦隊先頭の飛行艦の操縦席に座る大和が、滲んだ涙を拭いながら笑う。彼は良い意味でも悪い意味でも表情に出やすい人間なのだ。
「それに、こんな大艦隊の先頭を飛べるなんて! 軍団長になった気分で、最高に気持ち良かったッスよー!」
そんな感想を張り上げながら、操縦席に五体を投げる、大和。その後ろに立つ『クリムゾンコート』軍団長のルミナリアは、クスクスと上品に笑いながら語る。
「普通、指揮官を乗せた旗艦は矢面に立たないものよ。
貴方の位置は、斥候か盾役が良いところね」
「え…!
ちょ、姫将軍様、良い気分のところ、腰を折らないで下さいよぉッ!」
大和が顔を歪めながらルミナリアに振り向くと。彼女は鼻で笑い飛ばした後、人差し指を立てて胸を張り、「ただし」と付け加える。
「凱旋飛行では、旗艦が先頭に立つものよ」
その言葉を聞いて、大和は歪めた顔に満面の笑顔を取り戻す。
「そりゃ、そうでしょうとも!
だから姫将軍様だって、ここに乗艦なさってるわけッスよね!」
大地に満ちる歓喜のざわめきに、栞と蘇芳の親子はハッと顔を上げると、首位を見渡す。自分たちの再会にばかり気が入っていて、周りのことは見えなくなっていたようだ。
だが、周りの人々の晴れ晴れとした涙や笑顔を見て、栞と蘇芳は顔を輝かせる。そして再び顔を見合わせると、こぼれるような笑顔を見せつけ合う。
「な? 約束、守ったろ?」
そんな2人の合間に滑り込んだのは、ロイの言葉だ。栞はバッと振り向いてロイ、そして彼の隣に立つノーラを見やると、興奮に突き動かされるままに首をブンブンと縦に振る。
「スゴい! スゴいね、お兄ちゃん、お姉ちゃん!
あたいの約束を守ってくれた…ううん、それ以上のことをやってくれた! しかも、それだけじゃない! みんなにも嬉しい事を運んでくれたなんて…!
スゴいよッ!」
するとロイは両腰に手を置いてエヘンと胸を張り、得意げな表情で語る。
「なんたって、オレ達は希望の星を撒く星撒部だぜ?
星ってのは、1つだけじゃねぇ。空を埋め尽くすくらいあるんだからな! これくらい運んで来て、当然だぜ!」
「いやはや…マジでアンタらスゲーよ。もう絶句するくらいにな。
これで学生だってンだから、職業軍属のオレ達はお手上げするしかないっつーの」
蘇芳が苦笑を交えて語るが、その苦々しさは照れ隠しの意味合いが強そうだ。何せ、人前で涙を晒してしまったのだから。
「気にすンなって、おっちゃん!
オレ達は天使だろうが士師だろうが殴り倒すのが日常茶飯事だからな!」
「…その話、最初は眉唾だと思ってたんだがな…。もう信じるしかねーぜ」
そんな風にロイと蘇芳が会話を交わしている最中のこと。ノーラは言葉を口にしなかったが、その代わりに栞の顔を見つめていた。
もとい、栞の瞳を覗き込んでいた。
そして、胸中でホッと一言、こう呟いていた。
(曇り…取れたね…!)
初めて会った時には、世界の輝きを恨みで塗り潰すような曇りに濁っていた、栞の瞳。
今では気配は微塵も感じられない。初夏の快晴を思わせるような、瑞々しく爽やかな輝きに満ちている。
空はこれから、陽が沈んで闇に閉ざされると共に、広がる雲によって星の輝きさえ奪われてしまうだろう。
それでも、栞の瞳に灯った輝きは、決して消えることはないだろう。
その活き活きとした瞳こそ、宵闇も曇天も突き抜けた向こうにある、これから彼女に訪れる未来や希望を映すことが出来る。
――死した眼では、決して未来を見ることは出来ないのだ。




