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Dead Eyes See No Future - Part 9

 ◆ ◆ ◆

 

 死。それは人類をはじめとする生物達に、どのような感覚をもたらすのであろうか。

 唯物論が席巻していた旧時代においては、この疑問はナンセンスの極みであった。脳の活動が停止した時点で意識は失われるので、感覚など存在し得ない。完全なる無に帰すだけであると、科学者たちは結論づけていた。

 存在の形而上相が科学的に実証された現在においては、脳とは魂魄と肉体をリンクさせる器官として定義されている。旧時代での所謂"死"――つまり肉体の活動停止が起こっても、魂魄は健在である。つまり、感覚が無に帰すとは限らないワケである。

 肉体とのリンクを絶たれた魂魄には、複数の選択肢が与えられることを魔法科学は実証している。それを大別するれば、選択肢は2つのタイプに分類される。

 すなわち、人生を継続するか否か、だ。

 継続することを選んだ者は、死後生命(アンデッド)として世界にもう一度生を受ける。つまり、"死"が同時に第二の誕生の場となるワケだ。

 対して、人生を終えることを選んだ者は、一体どうなるのか。

 観察によれば、魂魄は様々な変化を行うことが知られている。定義を維持したまま、何処かへと転移する。定義を変化させて、何処かへと転移する。もちろん、そのまま消滅してしまうこともある。

 転移した魂魄が向かう先は何処か。また、魂魄の定義が変化したり消滅したりした場合、感覚はどうなるのか。この問いについて、魔法科学はまだ解答を手にしておらず、科学者たちは躍起となってその答えを探している。

 特に、後者の疑問は"感覚の喪失"という生物の本能的恐怖に関わる可能性があるだけに、研究の熱意は非常に高い。

 

 ――さて。心肺の臓器を欠損したノーラは、旧時代で言うところの"死"に直面している。

 彼女は己の魂魄の現状がどうなっているのか――維持されているのか、変化しているのか、それとも消滅に向かっているのか――把握してはいない。それどころか、まともに思考を巡らせることすら出来ない。

 強烈な眠気に襲われた時のように、思考が鈍重だ。

 その一方で、彼女は"視覚"を知覚している。

 眼球に依存した視覚ではないらしく、全方位がくまなく視界に描画される。しかし、描かれた世界像は酷く曖昧だ。眩しいほどの白色が広漠と続き、その中を何らかの黒い模様のパターンが蠢いている。模様は水に溶けて(にじ)んだ墨字のように詳細が全く把握出来ない。

 そんな光景の中、ノーラの鈍重な思考は、暢気(のんき)にぼんやりと呟く。

 「死んでも、感覚ってあるんだね…」

 その時だ。彼女の言葉に合わせるように、『声』が現れる。

 (まだ君は、死んでないよ)

 『声』の音色を、ノーラは知覚できない。子供のようにも老人のようにも、男性のようにも女性のようにも聞こえる。音色は視覚と同様にぼやけていながらも、言葉の意味だけはしっかりと思考に刻み込まれる。

 しかし奇妙なことは、『声』はすれどもその主の気配が全くないことだ。

 「誰…?」

 ぼんやりと素直に尋ねると、『声』はクスリと笑う。肩があるならば、(すく)めているだろう響きだ。

 ("誰"という言葉は適切ではない。

 だから、その質問には答えられない)

 なぞなぞのような回答にノーラは思考を巡らそうとするが――鈍重さに阻まれたので、すぐに止める。気力が、全く湧かない。

 ノーラが『声』を聞き流していると、『声』が勝手に言葉を次ぐ。

 (君に、"権利"を引き渡す時が来た。

 受け取りなさい)

 そう告げられた直後、ノーラの鈍重な思考に鋭敏な刺激が入り込んでくる。

 「!!」

 肉体があるのならば、彼女は顔を上気させ、体を大きく仰け反らせたことだろう。それは甘美と激痛の両面を備えた、暴力的官能とも云える刺激である。

 (君に名前も返さなくては。役割を思い出してもらうためにも。

 君の名前は、)

 「止めてッ!」

 ノーラは、一方的な刺激を拒絶すると、思考で叫ぶ。肉体があれば転げ回っているところだが、どうやら魂魄だけとなっているらしい彼女も、"暴れる"と似た事象を起こしたらしい。

 『声』はピタリと刺激の挿入を停止すると、言葉を告げる。その時の『声』からは、はっきりとした驚愕と失意が聞き取れる。

 (万人が羨む権利だよ。何故、拒むんだい?)

 『声』の語る通り、それはノーラの本能――肉体を離脱している今、それが魂魄に起因するものか、それとも更に上位の定義に起因するものか、判断はつかない――は、刺激に対して諸手を上げて歓迎していた。それでもノーラの理性が本能を振り切って拒絶したのには、もちろん理由がある。

 ノーラの自己が、完全な他意によって無理矢理に書き換えられてしまう不快感。

 その電撃的な衝撃と共に、鈍重なノーラの思考が晴れ渡る。夢の世界に完全に没入している時はどんなに無茶な舞台設定でもすんなりと受け入れているのが、はっと我に帰って異様さを知覚する――丁度そのように、ノーラは自身の人生を、課せられた使命を取り戻す。

 (こんな所で呆然としてる場合じゃない…!

 戻らないと…! やらなきゃいけないことがある…!)

 意識が冴えると、夢の世界は急激に遠のき、知覚は現実世界へと引き戻される。それと同じく、このぼんやりした世界が急速にドロリと融解し、暗転こそしているものの明快な感触が存在する世界へと、ノーラの意識は帰順してゆく。

 『声』は己の世界から去ってゆくノーラを名残惜しむように語る。

 「君が"権利"の卓に付けば、もっと面白くなっただろうに。本当に残念だ。

 だがね、"権利"の椅子は永遠の存在だ。君は何時か必ず、そこに座る。君たち人類の言葉で言えば、それが運命と言うものだ。

 それまで1世紀程度待とうが、問題はない。もはや数億年を歩んだ身だ。待つのは慣れている」

 『声』が言及しているものは何か? "権利"とは何のことだ? そもそも、『声』の正体は何なのか?

 疑問は尽きないものの、ノーラは今この場で追求することはしない。一刻も早く、不快感を与えてきた『声』から離れたい…そんな激しい嫌悪感のままに、現実へと戻る。

 ――そう、今はやらねばならない事がある…! その種を撒いたのは、自分自身だ…!

 こうしてノーラは、不快なる死の世界から、現実へと舞い戻る。

 

 『バベル』、そしてそれを操るヘイグマンは、(よだれ)が垂れんばかりの卑猥は笑みを浮かべて、地に倒れたノーラの体を眺めていた。

 仰向けになり、五体が全く脱力した、美しい褐色の肌を持つ少女。その表情は捨てられた人形のように呆然とした失意に染まり、白目を剥いてる。そして何より目を引くのは、胸にポッカリと開いた大穴。

 背中にまで貫通する穴の断面からは、全く出血が見受けられない。傷口が中途半端な定義崩壊によりドロリと融解しているため、血管が塞がれているようだ。

 殺人鬼ならば、そんなノーラの肢体を詰まらなく感じたかもしれない。しかしヘイグマンは、勃起が止まらぬほどの興奮と共に満足していた。

 この凛然とした美しい少女が、血液などに汚れては(はなは)だ残念なだけだ。

 「凛々しく、美しい姿のまま、私に屈服するのだよ。戦乙女」

 ヘイグマンは唾液の糸を引きながらねっとりと語り、『バベル』の腕をノーラへと伸ばす。

 遂に、気高き女という存在を、偉大なる『バベル』の一部へと組み込む瞬間がやってきたのだ。

 ヘイグマンの枯れた胸を突き破らんばかりに、心臓が興奮で暴れ狂う。

 「いよいよですな! いよいよなんですな! 我が(バベル)が『天国』を手にするのですな!」

 3Dディスプレイ越しに、ツァーインが溶けた両腕を狂ったようにバサバサ振り動かしながら叫んでいる。しかし、ヘイグマンは彼の声を雑音としてすら認識していない。

 ヘイグマン、そして『バベル』が求めるのは、ノーラの肉体と魂魄のみ。

 (さあ、さあ、さあ…! 来るが良い、我が力の一部となるが良い、戦乙女!)

 震える『バベル』の手が徐々に加速し、ノーラに覆い被さってゆく。その巨大な掌がノーラの姿を完全に隠し、ヘイグマンはあと数瞬で触れるだろう甘美な感覚を想像し、はぁ…、と深いため息を吐く。

 

 ――もしもヘイグマンが、"凛々しく美しい戦乙女"という存在に執着を持たず、淡々と目的遂行のために動いていたのならば。思春期の少年のような興奮の衝動に駆られていなければ。

 『バベル』の中に起こり始めた異変を感じ取り、警戒することもできたかもしれない。

 しかし彼の眼は、思考は今、『バベル』の死んだ眼と同じように濁り曇っている。

 ――故に、まんまと『反撃』を喰らった。

 

 「は…?」

 ヘイグマンは、笑みのまま表情を固めて、間の抜けた声を上げる。

 同時に、3Dディスプレイの向こうでは、ツァーインが騒ぐのを止めて、顎が外れそうな程に大口を開けている。

 2人が見る先にあるのは…宙を舞う、『バベル』の巨大な五指。

 『絶対安定』という完璧な防御に護れているはずのそれが、見た目通りの病的に脆弱な肉塊として、易々と切断されている!

 そして、舞う指の影から飛び出した人物に、ヘイグマンもツァーインも更なる驚愕を喚起させられる。

 「馬鹿な…っ!」

 3Dディスプレイを隔てた二人が、見事に声をハモらせて、その人物を見入る。

 溶融して抉られた大地の上を、(かす)かな土埃を舞い上げながら、閃く銀の斬跡と共に現れたのは――ほんの数瞬前まで遺体同然の姿で地面に転がっていた、ノーラその人である!

 しかも、彼女の胸にはポッカリとした大穴が開いたままだ。

 「馬鹿な!? 何故だ!? 何が起きた!?」

 恍惚とした恍惚から一変、困惑の奈落に突き落とされたヘイグマンは、ブワリと冷や汗の噴き出る顔を両手で抑え、叫ぶ。

 彼の頭の中には、疑問がグルグルと激しく渦巻いている。――どうして『絶対安定』が破られたのか? 何故、心肺を失った戦乙女(ノーラ)が動き回っているのか?

 答えを見つけられず、ひたすら困惑に翻弄され続けるヘイグマン。そんな彼に同調した『バベル』が、ぼんやりと切断された掌を見つめるばかりでいる間に…ノーラが更に動く。

 身を翻しながら、手にした大剣を大きく、素早く振るう。今度彼女が狙ったのは、『バベル』の手首だ。

 濁った白色に染まった人体の接合で出来た禍々しい肉塊は、鋭い銀閃をすんなりと身の内へと受け入れる。斬撃は太い手首を切り落とすには至らなかったものの、パックリと深い谷間のような傷口を与える。

 一瞬の後、傷口から真紅の体液が間欠泉のように噴出する。

 この頃に至って、ヘイグマンはようやく『バベル』からの痛覚のフィードバックを知覚。切り裂かれた激痛そのものを味わい、絶叫すら出来ず歯を噛み砕かんばかりに食いしばり、腕を押さえてうずくまる。

 その腕の手首と五指には『バベル』の傷口と全くの同位置に、真っ赤な蚯蚓(ミミズ)腫れがクッキリと一直線に走っている。特に五指は、腫れから指先にかけた部分が屍を想わせるほど病的な白色に染まっている。『バベル』からのフィードバックが感覚のみならず肉体にまで影響を与えているのだ。

 絶句して悶えるヘイグマンと『バベル』を交互に見比べていたツァーインは、やがてハッと思い出したようにコンソールに向き直る。『バベル』の状態のモニタリングと状態の微調整を行えるその器具に、溶融して動きのままならぬ手でぎこちなくポチポチとコマンドを入力。『バベル』に何が起こっているのか、解析に取りかかる。

 ヘイグマンを映す3Dディスプレイの隣に、『バベル』の形而上相の構造を描画する3Dディスプレイを表示する。この情報は、『バベル』の体内に予め設置していた生体計器からの情報を視覚化したものだ。この計器もまた非人道的行為の賜物であり、数人の新生児の脳を連結して形而上相の認知演算能力を極大化したものである。

 その計器の"眼"を(もっ)てしても、『バベル』の形而上相の構造は高密度に過ぎる術式によって、点が面に見えるような有様だ。

 「我らながら素晴らしいものを作り出したと自分を誉めたくなる反面、個々の部位を紐解く手間にはうんざりするものだな…ッ!

 クソッ、せめて手が自由ならばッ!」

 ツァーインは舌打ちしながらコンソールと数分間、奮闘を繰り広げる。ようやく認識格子(グリッド)を非常に細分化し、集合および融合している魂魄間の結合の状態を目にしたツァーインは。

 「な…なんだ、これはッ!」

 個人的感情から起因する予想だけでない、魂魄物理学の観点からも予想だにしていなかった事象が、そこに存在する。

 その様相を例えるのならば…一つの動物を形作る細胞の一つ一つが多細胞生物として群体を形成する事を放棄し、単細胞生物の一個体として遊離を始めている…そんな光景である。

 「どうして、こんな綻びが出る!? 何が引き金(トリガー)になっている!? こんな自然則の定理に外れた事象が、存在し得るワケが…!」

 ツァーインは魂魄融合の破綻が激しさを増す方向へと計器の視点をスライドさせる。

 やがてツァーインが見つけたのは、よほど神経を尖らせて居なければ見過ごしそうなほどに小さな"発生源"である。

 それは、魂魄にしては小さな体積(形而上相で形而下相的な表現をするのはナンセンスであるが、人間の視覚的には"体積"と云う表現が一番しっくりくる)を持つものである。周囲の魂魄を成人とすれば、この魂魄は新生児ほどもないくらいだ。

 しかし、体積の小ささに見合わず、この魂魄は非常に強烈な主張を行っている。それが引き起こす干渉によって、群体として従順な魂魄が次々に遊離してゆく。そして遊離は伝搬し、緩やかなドミノ倒しのように『バベル』の全体へと波及してゆく。

 「なんだ、なんだというのだ、この魂魄は!? ちっぽけなサイズのくせに、これほどの大事を引き起こ――」

 ツァーインの罵声はピタリと止まったかと思うと、突然彼は「あっ! あっ! ああっ!」と声を上げて、(まなこ)を震わせる。

 ちっぽけなくせに、主張の強い魂魄。そして、『バベル』を傷つけた、胸に穴を開けた少女。その2つ、彼の中でしっかりとした線に繋がったのだ。

 「そうか、そうか、そうかぁっ!

 なんてヤツだッ! あれは戦乙女でも、女神でもないッ!

 あれは、鬼子だッ!

 こんなの正気の沙汰じゃないッ! 賭けにも程があるッ! ヒトの選択肢であるものかッ!

 鬼子でもなければ、成し遂げられるはずがないッ! 成し遂げようと決断できようはずもないッ!」

 

 ツァーインが慌て喚く間にも、ノーラは胸に穴を開けたまま、『バベル』の周囲を機敏に動き回っては、大剣を振るって斬撃を繰り出す。

 ノーラが手にする大剣は、士師と戦った時のようにゴテゴテと機関で武装したものでもなければ、分析に使っていた時のような分厚い刃を持つものでもない。肉切り包丁を巨大化したような、斬撃に特化しただけで内部機関など存在しない、シンプルな構造の逸品である。

 その刃が『バベル』の白い肉をスゥーッとなぞる度に、無抵抗にパックリと傷口が開き、真紅の体液が噴出する。その度にヘイグマンは歯噛みしたり、口角から泡を吹き出しながら無音の絶叫に大口を開いて悶えたりする。

 ノーラは心肺を失っているはずにも関わらず、風や雷のように『バベル』の周りを飛び回っては、呼吸を整える素振りさえしてみせる。まるで、穴の開いた胸部に、今も心肺が健在であるかのように。

 ――いや、"あるかのように"ではない。

 見た目通り、胸部には収まっては居ないが…ノーラの心肺は事実、健在であり、正常にガス交換および全身への血液循環を行っている。

 そんな彼女の心肺が何処にあるかと云えば――『バベル』の体内だ。

 先刻、『バベル』の指先に突かれて定義崩壊し、吸収されたはずの胸部。実際は吸収されたワケではなく、『バベル』の体内に"侵入"し、ノーラの体の"飛び地"として機能しているのだ。

 物理的距離としては離れていようとも、形而上相における定義としては両者の間に距離などない。ノーラが呼吸した空気は『バベル』の体内にある彼女の肺へと転送され、酸素をたっぷり含んだ血液は心臓からノーラの体へと転送される。そんな人体分断の手品のような事象が起こっているのだ。

 故に、ノーラの穴の断面からは血液が漏れることなどない。定義崩壊による溶融で傷口が塞がっているのではなく、形而上相の観点で言えば"傷口は存在しない"のだから。

 そして、このノーラの体の飛び地こそが、彼女が『バベル』に仕掛けた罠であり、絶対安定の防御を覆す鍵なのである。

 

 ノーラがこの方法を思いついたのは、『バベル』によって体細胞や血液を操作された時である。

 ヘイグマンは、その攻撃をノーラを絶望と矜持の葛藤に追いやる最適の手段として見なしていたが。彼にとって最大の不幸だったのは、ノーラが定義変換(コンヴァージョン)に非常に長けた戦士であったことだ。

 ノーラは、体内に送り込まれた『バベル』に操作された分子達が、如何にして自身の細胞――ひいては、それを構築するタンパク質分子に干渉するか、よくよく観察していたのだ。

 更には、自身の分子の魂魄強度を巧みに制御することで、『バベル』の体内に吸収された分子を"スパイ"として潜伏させることに成功。内部から『バベル』の形而上相的構造を――特に、絶対安定に関連する構造を探っていたのだ。

 その結果、ノーラは『バベル』の魂魄結合構造をほぼ完璧に把握したと同時に、胸中でこう評価した。

 (まるで…熱狂的信者で溢れる新興宗教だね…!)

 ノーラの言の詳細を説明するに先だって、魂魄のみならず万物に共通する"安定への志向"というものについて言及せねばならない。

 自然界において、原子が単独で存在し得るのは希ガス元素のみである。その他の原子は複数個が組み合わさった分子としてしか存在し得ない。それは何故か。

 希ガス以外の元素は、単独では量子力学的な安定を得られないからである。原子は最外殻軌道に電子が基本的に8つ存在せねば安定になりえないことを、旧時代の時点で量子力学が明らかにしている。しかし、希ガス以外の元素は最外殻軌道の電子数が安定個数を満たしていない。

 では、希ガス以外の元素は如何にして安定を得るか。答えは単純明快である、足りない原子(もの)同士が電子を共有し、最外殻軌道の電子数が8つになるように調整するのである。

 この事情はより小さなスケールである重粒子(ハドロン)の世界にも当てはまる。こちらは電子数の代わりにカラーと呼ばれる量子数が関わるが、それを補い合うことで安定となる規定値を実現する。

 『バベル』とは、これらのモデルを魂魄に当てはめた有機的装置である。

 魂魄もまた、原子や重粒子(ハドロン)と同様に、常に安定状態を求めて止まぬ不安定な存在である。この事実は高度な魔法科学が数学的に導くまでもなく、経験則から容易に理解出来る事実である。外的な刺激、つまり経験という名の事象を得ることにより、ヒトを初めとするあらゆる生物が感受性や思考パターンと言った魂魄由来の形而上的性質を変化させるからだ。もしも魂魄が安定した存在であるならば、いかなる刺激を受けようともこれらの性質は不変でなければならない。

 この観点に立つと、生物体とは魂魄をより安定なレベルに導くために経験を取り込むためのデバイスに過ぎない、と言うことが出来る。

 さて、完全に安定した魂魄とは何であろうか。経験を得ることでより安定に近づくというのであれば、それはありとあらゆる経験を得た存在――つまり、全知であると言えよう。全知からは直ちに全能を導き出すことが出来る――全知があらゆる手段の実現方法を導くからである。

 つまり、完全に安定した魂魄とは、全知全能の存在――つまり、"神"に他ならない。この結論を逆に辿(たど)れば、ヒトを初めとするあらゆる生物は"神"に至る事を生の目的としていると言える。

 魔法科学において、この理論を基底にして生命および魂魄の深淵を探求する一派は、"至天派"と呼ばれている。

 さて、これらの理論から、『バベル』の定義崩壊からの魂魄吸収および絶対安定の絡繰りを解き明かすことが出来る。

 『バベル』は人体を魔術的に結合することによって、魂魄の融合を実現した存在である。個々の魂魄は異なる経験を持つ。それらが、原子が分子構造内にて電子を共有するように、互いの経験を共有することで全知に近づき、安定性が増す。融合する魂魄の数が増えるほど共有される経験の数は増加し、安定性は高まってゆく。

 生物の魂魄よりも遙かに高い安定を実現したところで、『バベル』は自身の安定性を世界に主張する。すると、不完全な魂魄は安定を求め、『バベル』との結合を望むようになる。

 『バベル』が降臨した時に叫びや、ノーラとの戦いの際に巨拳にまとった漆黒の顔。それらは、『バベル』による世界への安定主張の手段に他ならない。

 新興宗教の教義に救いを見出し、盲信を始める純朴な白痴のごとく――(いたずら)に安定を求める魂魄は『バベル』に言いくるめられ、自らも安定の一員となるために形状を――つまりは、定義を変化させる。これが『バベル』による定義崩壊である。つまり、厳密には崩壊しているワケではなく、融合に適した構造へと変質しているワケである。

 こうして『バベル』は大量の魂魄をその身に集め、安定性を激増させる。その量がとある莫大な閾値を超過した時、『バベル』は烏滸(おこ)がましい主張を世界にぶつける。

 個の魂魄に対して、圧倒的な安定を誇るという事実。これを(もっ)て、絶対安定である、と主張したのだ。

 その強烈な主張は、知識の浅い幼子に百戦錬磨の弁護士が怒濤の理屈をぶつける有様に似る。『バベル』に比べて余りに脆弱な個々の魂魄は主張に反論することが出来ず、こぞって"絶対安定"を認めるようになる。

 やがて、世界もまた『バベル』の絶対安定の主張に屈してしまう。世界とは、魂魄の認識によって定義付けられた相対的な入れ子である。つまり、定義の根幹である魂魄がこぞって認識を固めてしまえば、世界はそれに従うざるを得なくなる。

 こうして、絶対安定という鉄壁の防御が実現したワケだ。

 この絡繰りを文字通りに身を削ることで知り得たノーラは、己の定義変換(コンヴァージョン)の技術を頼みに、即座と言っても過言でないタイミングで打開策を見出した。

 (『バベル』が魂魄の結合と同調によって絶対安定を生み出しているなら…!

 個々の魂魄の足並みを乱してしまえば良い…!)

 即ち、ノーラの魂魄の一部を『バベル』に送り込み、『バベル』の主張を内部から論破するという策略である。

 その実践は、ツァーインが言う通り、賭けとしては余りに分の悪いものである。『バベル』に送り込んだ魂魄が主張に取り込まれてしまうのではないか? そもそも…魂魄の一部を送り込むということは、体の一部を『バベル』へと差し出す必要がある。しかも、どこでも良いワケではない、生命を確立させるに重要な器官を含む部分でなければ、有効な魂魄の働きは期待できない――例えば、脳や心肺がそれだ。これらを身体から切り離した上で、ノーラ自身の身体であるという定義を維持したまま、生命活動を維持出来るのか? 想定されるリスクは致命的である。

 実際、心肺を差し出す結果となったノーラは、"死"を体感した――少なくとも彼女はあの白い世界での体験がそうであると考えている。

 しかし、あの不快な"死"の世界のやり取りが、ノーラに幸として働いた。

 『バベル』の主張に埋もれ欠けていた彼女の魂魄は強く自我を取り戻した。『バベル』内部に送り込まれた心肺はノーラの一部であるという認識を取り戻し、力強く機能を再開した。

 そしてノーラはすかさず、『バベル』内部の魂魄に向けて説得を始める。胡散臭い新興宗教にのめり込む者達に教義の矛盾や無為を突きつけ、目を覚まさせようと奮戦するが如くに。大量の盲信者の中、孤独に説得の声を張り上げた。

 それは、『バベル』にとっては小さな、小さな針に刺された程度の不快感であっただろう。

 だが、開けた穴がどれほど小さかろうと、針の傷口は出血を伴う。丁度そのように、ノーラの小さな働きは、確実な突破口として機能した。

 (やかま)しいノーラの説得に耳を傾ける魂魄が現れてゆく。その数は初めは、たった1つであったかも知れない。しかし、その魂魄は説得を受け入れたのだ。これを口火に、ノーラの説得の声は徐々に『バベル』へと波及してゆく。

 こうして結合した魂魄の足並みが乱れた『バベル』は、安定を失ってしまう。もはや世界も、絶対安定など認めたりしない。

 

 今や『バベル』は、見た目通りのグズグズに柔らかくなった肉の巨塊と成り果てた。

 

 (ザン)ッ! 鋭い銀閃が天へと向けて一直線に走ると、『バベル』の四つん這いになった右腿に深々とした裂傷が刻まれる。血液の噴出と共に腿は力を失い、『バベル』は倒れ込んで惨めな(うつぶ)せの姿を晒す。

 「んぬぅあああぁぁぁッ!」

 ヘイグマンは腿に走った激痛に青筋を浮かべて絶叫し、デスクチェアから文字通り転げ落ちて悶えて回る。軍服越しにはうっすらと塗れた赤色が滲んでゆく様子が見て取れる。『バベル』からのフィードバックが、遂に肉体的な実損傷として現れるまでになったのだ。

 「クソッ、クソッ、クソッ!

 あの小娘、小娘、小娘ェッ!」

 悶え回りながらもヘイグマンは罵声を上げつつ、『バベル』に指令。ノーラを捕らえて捻り殺すよう、暴れさせる。

 『バベル』はなんとか四つん這いの姿勢を取り戻すと、ノーラを探して死した3つの眼をカメレオンのようにギョロギョロ動かし、ズルズルと這い回っては視界に入ったノーラに拳を振り下ろす。

 しかし、悲しいかな――元々鈍重な『バベル』は、傷ついたとは言え機敏な動作を見せるノーラに、拳を(かす)らせることさえ出来ない。(かえ)って無茶な攻撃によって生まれた隙を突かれて、斬撃を食らうのが落ちだ。

 「クゥゥソォォォッ! アバズレがッ、アバズレがッ、アバズレがぁッ!」

 時と共に増してゆく激痛を燃料に、ヘイグマンは脳が湯立つほどに怒り狂い、やたらめたらに『バベル』を暴れさせる。

 そんな彼に、3Dディスプレイ越しのツァーインが慌てた声を上げる。

 「気をしっかり持って下さい、大佐殿! 核となる大佐殿が安定を欠いては、『バベル』の崩壊はますます進みますぞ!

 …ああっ、なんということだッ! 我が子よ、なんと痛ましい姿にッ!」

 ツァーインが嘆く『バベル』の姿は、安定などという言葉とは余りにほど遠いものへと成り果てていた。その姿を例えるならば、腐り切ったプリンとでも言うべきだろうか。新生児様の姿は溶けたアイスのようにグニャリと歪み、大振りに動く度に身体の端からビチャビチャと濁った白色の滴が零れ落ちる。『バベル』の存在定義が大きく揺らぎ、形而下的にも崩壊が始まったのだ。

 しかし、ノーラの攻撃の手は休まない。あくまでも苛烈に、絶え間なく、容赦なく、隙や死角を手厳しく突いては斬撃を嵐のように浴びせる。

 (まだ…! もっともっと…! 徹底的に…! 心が完全に折れるまで…! "痛めつける"…っ!)

 彼女が胸に抱く意志は凶暴とも言えるものだが、とは言え決して加虐的快楽だとか怨恨のためだとか云った理由に[[rb:因よ]]るものではない。そんなものは元より、眼中にない。

 彼女の行動理念は、単に『バベル』を(たお)すことを目的としていない。『バベル』に屈してしまった魂魄達を正常に解放すること…それだけが、彼女の真っ直ぐに向かう目的なのだ。

 ノーラの"殺さず"に"痛めつけ"続ける行動は、傍目からは陰惨な(いじ)めに見えることだろう。実際、彼女自身も己の行為に表情が歪む想いだ。それでも彼女は心を鬼にして、斬る、斬る、斬る――斬り続ける!

 その痛みに、不快感に、恐怖に、『バベル』を構築する魂魄達が現状を(うと)んじると共に、ささやかな安定を謳歌していた元の姿を求めるようにするために。その衝動こそ、魂魄達を『バベル』から解放し、元の姿へと戻すための鍵だ。

 「アバズレェェェッ!」

 ヘイグマンが痛みを噛み殺すように絶叫すると、『バベル』もまた歪んだ大口を開いて咆哮を放つ。しかし、その轟声はもはや、定義崩壊を呼ぶことはない。万物はすでに、『バベル』に羨望を寄せてはいない。

 『バベル』は未だに拳を振るい続ける。しかし、それは真闇の中を無闇に怖がる幼子が腕を振る舞わして強がるのと全く同様の行動だ。拳はもはや、ノーラを追っていない。

 むしろ、ヘイグマンはすでに、ノーラを『バベル』の感覚で追うことが出来なくなっているのだ。

 『バベル』の崩壊は更に進み、子供が作った泥人形のような醜悪な姿を晒している。先刻には体表を覆っていた不気味にして繊細は人体を模した突起物は、もはや影も形も見当たらない。崩れ果ててしまったのだ。体表の崩壊と同様に、『バベル』の体内の器官もドロドロに崩れ、正常に機能などしていない。

 辛うじて形を保っている眼球は、一斉にダラリと脱力して地面へと瞳を落としたまま、ピクリとも動かなくなる。死した眼は、本当の意味で、死に閉ざされたのだ。

 更に更にと、苛烈に斬撃を繰り出し続ける、ノーラ。その辛苦に耐えかねた『バベル』が――遂に、その身を小さく小さく縮めてうずくまり、動かなくなる。それは、崩れたババロアを無理矢理集めて山にしたような姿だ。

 一方で、ヘイグマンは床にうずくまり、ブルブルと震えながら「ひっ…ひっ…」嗚咽を漏らしている。腕で囲んだ顔は涙と(はな)でグッショリと濡れ、元は英雄だとか鬼だとか称された兵士とは思えないほど情けない泣き顔を浮かべている。

 「大佐殿…大佐殿ぉ…!

 もはや、もはや、もはや…その体たらくでは、我が子(バベル)はぁ…!」

 3Dディスプレイ越しに、ツァーインもまた泣き声を上げてつつ、デスクを叩いている。『バベル』と云う自身の最高傑作が、どうすることも出来ないほどに壊れ果ててしまった悔恨。そして、『バベル』を任せられると信じたヘイグマンが挫折した幼子のように惨めに縮んだ情けなさへの憤怒と怨恨。かと言って、いくら強く感情を向けたところで、どうにもならないという虚脱感。それが混じったツァーインの声も動きも、気怠く緩慢なものになっている。

 やがて、『バベル』の身体から――斬撃を受けてもいない部分から、ポトリポトリと白い巨大な滴が垂れて、地面をユルユルと滑り、『バベル』から遠のいてゆく有様が散見されるようになる。『バベル』という集合体を嫌い、個としての魂魄が自身の意志で逃げ出し始めた瞬間である。

 ――遂に、『バベル』は完全に安定とは無縁の、魂魄が混沌と蠢くばかりの塊へと成り果てたのである。

 

 ノーラが目指した、"トドメ"を与える瞬間が、遂にやってきた!

 

 ノーラは『バベル』の真正面へと飛び出すと、仁王立ち。表情が完全に死に絶えた『バベル』の顔面へ――力を失い、濁っただけの3つの眼に、鋭い視線を向ける。

 (そんな眼で、『天国』なんか…! 可能性溢れる未来なんか…掴めやしない…!)

 ノーラは愛剣を両手持ちすると、天を衝くように真っ直ぐに持ち上げる。その銀色の刀身が陽光を浴びて黄金の輝きを放った…その時、彼女は満を持して定義変換(コンヴァージョン)を行う。

 シンプルな銀色の大剣は、刀身がタイルをめくるようにパタパタと折り畳まれて姿を消してゆく。それに反して(つか)(つば)の部分の体積が膨れ上がり、複雑な機関を擁する機械部品へと変貌を遂げる。

 最後に、完全に姿を消した金属の刀身に代わって、太陽の如く(きら)めく黄金の炎柱が天高く延びる。その全長は、溶融してなお優に10メートルを越える体高を誇る『バベル』を悠然と越えるほどだ。

 揺らめきながら輝く刀身を"炎柱"と称したが、これは実際には炎ではない。形而下相的には高密度の電磁場の収束であり、荷電粒子によるビームブレードに似る。しかし、形而上相的構造は、ビームブレードよりも断然に複雑だ。そこには、物体を焼き切るための術式や定義は一切存在しない。代わりにあるのは、力強い"言葉"の渦だ。

 今や地獄の混沌と化した『バベル』から、個々の魂魄達を完全に説き伏せて解放へと引き上げるための万語のエネルギーが、形而下的には光熱の形で描画されているに過ぎない。

 (『天国』を…未来を手に入れたいなら…ッ!)

 ノーラはヒュッと鋭く呼気して後、続く言葉を声の(いかずち)と化して、叫ぶ。

 「曇った(まなこ)なんて、必要ないッ!」

 そしてノーラは、煌々たる巨大な刀身を『バベル』の脳天目掛けて一直線に振り下ろす。

 

 「やめろォッ!」

 声すら出せぬヘイグマンに代わり、ツァーインが拒絶の声を上げる。彼は溶けた手先で必死にコンソールをいじり続け、『バベル』の健在化に尽力していたが…。

 その甲斐は、全くなかった。

 『バベル』の濁った白いブヨブヨの肉は、すんなりと輝きの刀身を受け入れた。

 転瞬――まるで、堅い(つぼみ)が春の日差しを浴びて綻ぶように――刀身が沈んで斬り分けられた傷口から、フワリフワリと花弁のような白が浮き上がる。

 この白こそ、『バベル』に組み込まれていた魂魄達だ。彼らはノーラの万語の剣をすんなりと受け入れ、息苦しい『バベル』を次々と離れてゆくのだ。

 音もなく、輝きの刀身は『バベル』を切り裂いてしてゆく。同時に『バベル』は次々と肉体を散らし、その体積を激減させてゆく。頭が消え、胸が消え、腹が消え――。

 遂に『バベル』が完全に両断されると。残った股間から足先までの部分が渦巻きながら膨張したかと思うと、弾けて魂魄の花弁を盛大に散らした。

 『バベル』の結合が、完全に消滅した瞬間である。

 すると――『バベル』を維持するために内在していた形而上相的エネルギーが行き場を失い、爆発的に解放される。それは直径数キロもの半径を有する巨大な光の柱となり、天空を――蒼天を鷲掴みにするように覆う禍々しい『天国』へと至り、貫く。

 『天国』に、光の柱の色が乗り移ってゆく。それは真夏の太陽にも劣らぬ煌々たる(まばゆ)い光を放ち、蒼天を黄金に染めぬく。

 そして――輝く『天国』は音もなく、大小の細やかな亀裂に覆われてゆく。まるで、薄氷の上に一石を投じた時のように。やがて亀裂によって分断された『天国』の破片は光の滴となってゆっくりと地へ下りながら、宙空へと蒸発してゆく。

 『混沌の曙(カオティック・ドーン)』以後の史上では、全く観測されない事象だ。『天国』が消滅したという記録はあるが、それは蜃気楼のように不意に消え去ったと伝わる。今のように、破片へと砕け散ったという話は全く聞かない。

 もしかすると、この『天国』は、本当の意味では『天国』ではなかったのかも知れない。『バベル』が世界に主張することで絶対安定を実現したように、この天空の存在もまた、『バベル』の主張によって作り出された紛い物の『天国』であったのかも知れない。

 その真相はやがて、いずこかの世界的研究機関の手によって解明されることであろう。しかし今は、誰もその答えを得ることは出来なかった。

 大抵の者は真相を得るよりも先に、『バベル』と『天国』の崩壊に、感激やら感嘆、或いは悲泣の念を抱くばかりで、空を染める輝きに見入るのであった。

 

 「やっぱ、やってくれたよなッ、ノーラ!」

 ねじくれた林の中、5つ巴の戦いを制してなお、満身創痍で立つロイが、天空の輝きにも負けぬ満面の笑みを浮かべながら拳を打ち合わせ、光の柱の元に居るノーラを称えた。

 「ご苦労さん、その一言しか言えないよな。なぁ、"インダストリー"のロボットおっさん」

 空の身体を露わにしたままのイェルグが、身動きのとれぬエンゲッターのツルリとした機械の頭頂をポンポンと叩きながら、物言えぬ相手に同意を求めた。

 「うっひょー! 眩しいなぁっ!

 ノーラちゃんってばホント、太陽にも負けないくらい輝いてるぜッ!」

 巨大癌様獣(キャンサー)、『胎動』の上に完全にのしかかった巨大機動兵器のコクピットの中で、大和が眼の上に掌で(ひさし)を作りながら、瞼を半分閉じながら叫んだ。

 「ふぅー! これでもう、ケンカをする理由は完全になくなったね! じーちゃん、ばーちゃん!」

 呆然と空を仰ぐ死後生命(アンデッド)の群の中、ナミトが花のような笑顔を振り撒きながら語り掛けた。

 「まさか…ホントに、ブッ壊しちまうなんてな…!」

 定義崩壊を免れた者が寄せ集まる方術陣の中で、蘇芳が驚愕に引きつったような、小躍りしたくなる衝動に震えるような、微妙な表情でポツリと呟いた。

 「我々、市軍衛戦部の総力を以てしても敵わなかった相手を――更に盤石なった状態になったアイツを、たった独りの少女が撃破したなんて…」

 珠姫が地面にへたり込んだまま、呆然と呟く。

 「あんな大人しい雰囲気してても、やっぱり暴走部の一員ってワケか…! ハンパねぇなぁ! 化物(バベル)どころか、『天国』までバラバラにしちまいやがった…!」

 レナが、口角をヒクヒクと痙攣させながら、驚愕や賞賛よりも困惑といった様子で独りごちた。

 そんな3名の発言を一通り耳にした紫は、普段の嫌味を利かせた笑みをニヤリと浮かべてみせる。

 「ただブッ壊しただけじゃないわよ。

 あの娘は、救って、そして解放してみせたのよ。

 その証拠に、ホラ」

 紫は、珠姫の足首の方を指差す。

 珠姫の足首は、『バベル』の定義崩壊によって溶融し、失われていた…はずだった。しかし今、そこには何事もなかったかのように靴も衣服もまとまった脚が、しっかりとついている。

 それはつまり、『バベル』に囚われていた魂魄が、あるべき場所へと全く以て正常に還った事を意味していた。

 

 解放された魂魄の喜びに都市国家(アルカインテール)中が輝く一方で――。

 身内すら我欲のための駒として使い捨ててみせた元凶の2人――ヘイグマン大佐とドクター・ツァーインは、その報いを受けることとなった。

 まず、ツァーインの方である。彼は『バベル』の微調整および状況のモニタリングを行っていた計器を通して、『バベル』崩壊時のエネルギーの逆流を一気に浴びることとなった。

 計器は黒煙を上げる(いとま)もなく爆裂し、激しい勢いで部品を四方八方に吹き飛ばす。それらの物体はツァーインの肉体にめり込んだり貫いたりと、彼を散々に傷つけたが…ツァーインはその一々に悲鳴を上げる余裕などなかった。

 彼の身には、更に凄まじい障害が起こっていたのだ。

 太陽光の色彩を呈するエネルギーが、ダムの放水と見紛うような勢いで彼の身体に衝突した瞬間。彼の全身の皮膚、そして表層筋の一部が一気に溶融した。

 「あああああぁぁぁぁぁッ!」

 損傷した神経が剥き出しになったツァーインは、体表中の筋繊維の隙間からジンワリと染み出してくる血液を眺めながら、ジクジクと脈打つような激しいい疼痛に絶叫し、転げ回る。

 すると床に擦れる刺激が更に疼痛を煽り、ツァーインを更なる苦獄に陥れるのだ。

 「あああああッ! あああああッ! ああああああああああッ!」

 瞼が消え去り、ギョロリと盛り上がった眼球をビクビクと痙攣させながら、唇を失った口が顎の外れるくらい開いて、絶叫を垂れ流し続ける。

 その叫びが止まるのは、脳が疼痛に屈して意識が遮断される時か。はたまた、声帯が完全に破壊された時であろう。

 …しかし、ツァーインよりも惨憺(さんたん)たる被害を(こうむ)ったのは、『バベル』と生体器官でリンクしていたヘイグマンである。

 彼は、ツァーインのように絶叫する暇すら与えられなかった。

 『バベル』の崩壊と同時に、頭に埋め込まれた生体共振器官がピカッと激しく輝いたかと思うと。光の爆発は一瞬にしてヘイグマンを飲み込んだのだ。

 余りにも(まばゆ)い光によって網膜の細胞が死滅するのは、ほんの一瞬のことであった。その最期の瞬間、ヘイグマンが目にしたのは、溶けるどころか水の中で攪乱されて消えてゆくトイレットペーパーのように宙空に蒸発する、己の両腕であった。

 視覚が暗転したヘイグマンであったが、その一瞬後には酷く眩い世界に放り込まれていた。その場所が一体何なのか――旧時代から言われている"あの世"というものなのか。それとも、魂魄が属する形而上相の一層が知覚されたものなのか。それを知る術は、ヘイグマンにはない。

 そもそも、知ろうとする暇すら与えられなかった。

 彼は、全身を押さえつけるような、はたまた引っ張って引き裂こうとするような、激しい拘束感と激痛に苛まれたのだ。

 (なんなのだッ! なんだと言うのだッ!)

 叫ぼうにも、ヘイグマンから声は出ない。それもそのはずだ。彼は今、魂魄として形而上相の一層を漂う存在となり果てている。発声すべき肉体は、形而下世界においては煮凝(にこご)りのような姿となり果てて、床に薄く広がり染みのようになっているのである。

 今、ヘイグマンの身――というか魂魄に起こっていること。それは、真の意味での魂魄の破壊である。

 『バベル』という人為的存在を使い、超常的存在である『天国』を掌中に納めようとした事に、"神"なる存在の怒りを買ったのだろうか? その真相を解明することは出来ないが、とにかくヘイグマンの魂魄は世界によって八つ裂きにされようとしていた。

 (なるものか…ッ! やらせるものか…ッ!)

 ヘイグマンは必死で足掻く。魂魄だけになるという経験は初めてのことだが、自身の存在の消滅という危機に瀕しては、形而上的な本能が働いているようだ。彼は世界の腕を必死に振り払い、かい潜り、逃げまどう。

 (何か…ッ! 何か、逃げ込めるものは…ッ!)

 ヘイグマンは魂魄の視界で、形而上相の世界を見回す。そこには『バベル』から解放された多数の魂魄達が見受けられる。しかし、彼らの助けを求めることは出来ない。『バベル』に憎悪と拒絶を抱いた彼らは、『バベル』の気配をプンプンさせているヘイグマンを嫌悪している。彼らに近づけば、世界と同様にヘイグマンの魂魄を引き裂くことであろう。

 『バベル』にさほど負の感情を抱くことのない存在。出来れば、壮健な肉体という砦を持った、強靱な存在。そいつを探し出して、その身に(すが)らなくては…!

 ヘイグマンは必死に形而上相を飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ――!

 その足掻きが、彼に幸いを運んだらしい。彼の視界は、そして嗅覚は遂に、美しくも(かぐわ)しい、それでいて敵対心の薄い存在を見出したのだ。

 (寄らせろ、寄らせろ、寄らせろ――ッ!)

 ヘイグマンは、その存在へと一息に飛び込む。

 

 アルカインテールで奮闘していた星撒部の部員達の大半は、それぞれが勝利や勤めを果たし、輝きを謳歌していたが――。

 ただ1人、輝きを謳歌するどころか、暗澹たる敗北に屈する寸前に追い込まれている者が居る。

 蒼治・リューベインだ。

 『パープルコート』の凶暴なる狩人、チルキス・アルヴァンシェ中尉と文字通りの死闘を繰り広げていた彼だが、その戦果は全く(かんば)しいものではない。

 むしろ、惨死に(ひん)するほどに、窮地に陥っていた。

 (なんて…ことだ…ッ!)

 咽喉>(のど)がヒューヒューと鳴るほどに荒れた呼吸を繰り返しながら、重篤な披露と失血で朦朧とした思考の中で苦言を呈する。

 彼の身体は、至る所に深々とした刺し傷やら銃創やらに満ち満ちており、制服はパリパリに乾いた、もしくはネットリと塗れた赤黒い血で汚れきっている。紺色の混じった黒髪も血糊と脂汗でボサボサに固まっている。

 そして、顔も血糊や傷にまみれてボロボロの状態だ。特に酷いのは右眼である。上瞼がザックリと切れて腫れ上がり、視界が閉ざされてしまっている。

 蒼治は片膝を付いた格好のまま、動けずに居る。左腿の傷が大きすぎて、止血や痛覚遮断の身体魔化フィジカル・エンチャントを使ったところで、筋肉が言う事を聴いてくれない状態だ。一度は筋肉の強制活性化を試してもみたが、壊死が加速するばかりで益がないのを感じ取り、慌てて解除している。

 一方、蒼治の死闘の相手であるチルキスと言えば…。彼女もまた、数々の傷を得てはいるものの、蒼治に比べれば軽傷と言える。琥珀のような褐色の肌は疲労にくすむどころか興奮の紅潮を呈し、浅く早い呼吸を繰り返す唇からは甘い息が吐かれている。瞳は艶然と潤んで輝き、蒼治のような破滅的な印象は微塵も見えない。

 蒼治とチルキスの差。それは、チルキスの狡猾な戦闘技術が蒼治を上回ったということもある。しかしそれ以上に、蒼治の心に時代錯誤的なフェミニズムに近い感情がこびり付いていることが決め手となっていた。

 蒼治の相手が癌様獣(キャンサー)や"インダストリー"の機動兵器だったならば。彼は悲観的な表情を(たた)えながらも、もっと(うま)く立ち回ることが出来たはずだろう。

 しかし、蒼治の銃口はチルキスの頭や胸をまともに狙うことなど出来ず。戸惑いの隠せぬ弾道は、狂った肉食獣のように闘争を楽しむチルキスを捉えるには、あまりにも不甲斐がなかった。

 (動け…ッ! 動かなければ…ッ!)

 蒼治は辛うじて双銃を掴んではいるっものの、ダラリと垂れ下がったまま動かぬ腕に気合いの鞭を入れる。しかし、腕はプルプルと震える程度に動くばかりで、数センチも持ち上がってはくれない。

 そんな彼の脆弱な姿を嘲笑(あざわら)いながら、チルキスは赤い舌で返り血に染まる親指をペロリと舐めると。甘く熱い吐息の混じった上気した声を漏らす。

 「イノシシとしては物足りなかったけど…子鹿と思えば、結構楽しめたよ…眼鏡クン。

 命のやり取りをするのは最高だけど…いたぶるって云うのも、また一興だよね…」

 チルキスは手にした、手製のカスタマイズを重ねた猟銃の銃口を蒼治の額にポイントしたまま、軍服のズボン越しに股間をさする。

 それからチルキスは、銃口をそのままに、視線だけを輝きに染まる天空へ、そして天空を貫く巨大な光の柱に向けると。ふぅー、と冷たいため息を吐く。

 「あの枯れ木のじじい、ザマ無い程目論見を叩き潰されて、ご愁傷様だよねぇ。

 でも、退屈で死にそうだった私にこんな余興を()れたんだもの。感謝はしておこうかしら。

 …ま、死んじゃったかも知れないけど」

 独りごちた後、再び視線を蒼治に戻すと、彩りが剥げたものの艶やかなピンク色を呈する唇をペロリと舐め回しながら、引き金にゆっくりと力を込める。

 「お祭りはお開きみたいだからさ。

 こっちもお開きにしよっか。

 それじゃ、バイ――」

 チルキスが死出への送別の文句を言い終えようとした、その時。彼女の身に、突如異変が起きる。

 「…あ…?」

 間の抜けた疑問符が口から漏れた、その直後。チルキスの全身が一気に脱力する。全ての糸を一片に切り取られた、操り人形のように。

 それまで濡れるほどに[[r:昂>たかぶ]]っていたチルキスであったが。電気ショックを延髄に浴びたように瞳孔が収縮して見開かれ、手足が重力の為すがままにくずおれる。

 何が起きたのか見当が付かず、見送るばかりの蒼治の目の前に、チルキスの驚き惚けたような表情が降ってくる。そればかりか、チルキスは更に蒼治よりも頭を低く落とすと…そのまま瓦礫の大地に倒れ伏す。…そして。

 「あ…あ…あ…っ、ああ…あああ…っ!

 あああああああああああああっ!」

 初めは途切れ途切れでぎこちなく、徐々に拷問でも受けた時のようにハッキリと騒々しく、チルキスは喚き叫び始める。生理的な神経もおかしくなっているようで、涙やら鼻水やら唾液、果てには股間からは尿までもが(あふ)れ出している。

 「な、なんなんだ…」

 あまりの激変に思わず声を出してしまう、蒼治。

 彼が壮健ならば、形而上相を視認して解析することで、チルキスの異変を正確に読み解いたことであろうが。そんな気力も集中力もない彼は、ただただチルキスの無様な姿を見下すばかりである。

 

 チルキスの身に起こった惨事。それは、肉体に他者の魂魄が無理矢理侵入してきた事である。

 その"他者"とは、世界の罰を必死に逃れて来た、ヘイグマンだ。

 彼にとってチルキスは、『バベル』を退屈しのぎとして歓迎していた事に加え、意識が蒼治にばかり集中していた第三者の介入を警戒していなかったと云う都合の良い存在である。

 更に言えば、ヘイグマンが男性の身であるが故に『現女神』となる権利を先天的に失っていた事への不満を覆すための、恰好の的でもある。つまり、チルキスの肉体と適合する事により、女性としての二度目の生を授かろうとしているのだ。

 しかし、その実現は決して容易ではない。むしろ、困難を極めると評して過言ではない。

 元来、生物の脳とは、肉体に対応する固有の魂魄に特化したニューロン・ネットワークを形而下的には勿論、形而上的にも構築する。それは先天的多魂魄性多重人格者においても同様のことだ。

 そこに、非適合な魂魄が混入することは、壊れやすい容器の中に形の合わない物を無理矢理詰め込む様子に似ている。

 それは当然、拒絶反応を引き起こす。チルキスが留めなく体液を漏らし、体中が痙攣しているのはそのためだ。

 最悪、事態は更に悪化し、脳が破壊されて生命活動が停止することさえ有り得る。

 肉体を失ったヘイグマンにとっては、万が一のチャンスとしてメリットが有るだろうが…侵入された方のチルキスとはしては、破滅的なデメリットを背負うばかりの良い迷惑でしかない。

 

 「やめ…わたし…わ…し…このからだ…やめ…っ!」

 ブクブクと泡立つ唾液の合間から苦しげに譫言(うわごと)を呟く、チルキス。その様子を見下すばかりの蒼治は、自身の危機を脱した喜びよりも、把握できない状況に困惑した様子で立ち尽くしている。

 そんな時だ。蒼治の耳にエンジンの音と瓦礫をかき分けるゴトゴトというタイヤの音。そして、呼び声が聞こえてきたのは。

 「おーいッ、眼鏡の兄ちゃんよッ!

 無事かぁッ!」

 蒼治が鈍い身体に鞭打って首を回すよりも早く。彼の側に土煙を上げながら、金属の塊が驀進して来て横付けする。それは、アルカインテールの市軍の装甲車だ。

 そして、運転席の扉を開いて顔を出したのは、黒い肌にドレッドヘアが特徴的な運転手。レッゾ・バイラバンだ。

 彼は『バベル』起動後、蒼治がチルキスとの交戦に入った際に、蒼治からの指示で場を離脱していたのだ。実際、場に留まっても足手まといになるのが目に見えていたので、後ろ髪引かれる想いを振り切ってレッゾは退避したのである。

 それでも、蒼治のことは気にかけていたようで、装甲車のセンサーを使って逐一モニタリングしていたようだ。そして、交戦が停止したのを確認し次第、すぐに車を走らせたらしい。

 レッゾは蒼治の満身創痍を見るなり、「うっわ! よく立ってられるなッ!」と声を掛けながら駆け寄ると、すぐに肩を貸す。そして、装甲車の人員収納スペースへと運び入れると。備え付けの簡易ベッドを手早く組み立て、蒼治をその上に寝せた。

 「相当ヤバい相手だったンだな、あのねーちゃん…。

 癌様獣(キャンサー)だって楽々撃破してた兄ちゃんが、こんなザマになるなんてな…!」

 「楽々じゃ…ありませんよ…」

 蒼治は苦笑を浮かべようとしたが、顔中に走る痛みの所為(せい)で表情が酷く歪んでしまった。

 そんな蒼治の謙遜をレッゾが笑い飛ばした、その直後。運転席に向かおうと転身した彼は、地面に転がるチルキスを見つけて、ギョッとする。

 「げッ…あのねーちゃん、ピクピクしてるが生きてるじゃねーか…!

 さっさとトドメ刺してくるぜ!」

 レッゾは舌打ちしながらポケットの中から拳銃を取り出し、踏まれたイモムシのように気怠く悶えるチルキスへと歩み寄ろうとする。

 「い、いえ…! 待って…下さい!」

 蒼治が精一杯掠れた声を上げると、レッゾは顔だけで振り向き、太い唇を歪めて唾棄する。

 「おいおい、にーちゃん! そんなに若い身空で、時代錯誤のフェニミズム満開か!?

 このねーちゃんは確かに女だし、こんなにイカれてなきゃ相当可愛い顔してるンだろうよ!

 だがな、こいつは癌様獣(キャンサー)よりもずっとヤバい怪物だ! 野放しにしておいて、後ろから刺されたらたまったモンじゃねぇ!

 オレはただの運転手じゃねぇ、都市国家(まち)の戦闘を担う衛戦部の一員だ! その嗅覚が騒ぐんだよっ、トドメ刺せってよッ!」

 レッゾが更に歩を進め、チルキスへの距離を狭めようとすると。蒼治が「だったら、尚更の事です…ッ!」と傷を押して精一杯の騒ぎ声を上げる。

 「正直に言えば、僕はその女性(ひと)を倒してはいません…ッ! どんな理由かわかりませんが、彼女は勝手に倒れた…!

 でもそれは、もしかしするとあなたの接近を予感して、不意打ちするための演技かも知れません…!

 ここは余計な手を出さずに、この場を立ち去る方が賢明です…! もしも彼女が本当に傷ついているとしても…! 演技だとして暴れ回ったとしても…! 近い内にやってくる地球圏治安監視集団(エグリゴリ)の部隊が適切に対処してくれるはずです…!

 少なくとも、怪我人を抱えたレッゾさんよりも、断然安全に対応してくれるはずです…!」

 レッゾは蒼治の言葉を受けて、蒼治とチルキスを間を数度に渡って視線を行き来させる。挙げ句、レッゾはハァー、とやるせなく吐息すると、ジリジリと後ずさって装甲車の中へと乗り込んだ。

 幸いにも、チルキスは復活する兆しが全く見えず、何かブツブツと呟きながら、ゴロリゴロリと緩慢に転げ回っている。

 装甲車のドアを締めて密封したレッゾは、人員収納スペースで寝転ぶ蒼治にボソリと、棘のある言葉を吐く。

 「にーちゃん、あんたそんな目に遭っても、甘いんだな」

 すると蒼治は、咳込みながら笑う。

 「レッゾさんと違って、僕は戦闘なんて二の次以下の人間ですからね…。

 流血沙汰にならず問題が解決すれば、それが一番なんですよ…。例えそこが、戦場だとしても、です…」

 「…長生きできねぇ考え方だな」

 レッゾが肩をすくめながらアクセルを踏み込むと、蒼治はケホケホケホ、と盛大に咳き込んでから返事する。

 「それをポリシーにする部活に入ってしまったものですからね…。僕も死なないと直らないバカの類なんでしょうね…」

 そしてレッゾの装甲車は、踏まれたイモムシのようなチルキスを残して走り出す。向かう先は、天を貫く光の柱の根本。そこにならば、星撒部の者達が居るはずと確信してのことだった。

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