Dead Eyes See No Future - Part 8
◆ ◆ ◆
(どうなってる…!?)
眼を見開き、驚愕に打ちひしがれるまま、胸中で疑問を叫んだのは、『冥骸』の勇である亞吏簾零壱だ。
彼女が視線を投ずる宙空では、禍々しい『天国』をバックにして、4人――正しくは3人と1機と数えるべきであろう――が入り乱れて戦う光景がある。
乱戦は、決して4つ巴の戦いではない。2人と1機が一方的に、たった1人を標的に執拗なまでに攻撃を繰り出していた。とは言え、その3体は手を組んでいるワケではない。時折は連携行動のようなものを見せはするが、基本的には各々の勝手で攻め続けているだけだ。故に、攻撃が噛み合わず、互いの足を引っ張り合ってしまう場面も見受けられる。
しかし、標的となっている1体が有利になるような展開は、とてもでないが望めない。何より、彼が時間の経過と共に被る被害は尋常ではない。まるで、瓦礫を多分に含んだ渦潮の中に投じた布きれのように、見る間にズタボロになってゆく。
標的になっている青年――ロイ・ファーブニルは、その肉体の大半を強靱な漆黒の竜と化しているが、竜鱗は無惨に剥ぎ取られ、鮮血が飛沫く裂傷や、青黒い重度の打撲傷を幾つも与えられている。そして今なお、傷の数は増えている。
常人ならば――いや、常人で無かろうとも、その圧倒的不利な状況では、心が折れてしかるべきだ。虐待とも見えるような残酷な暴力よりも速やかな死を求め、眼を閉じて首を差し出すかも知れない。
しかし、このロイという男は違う。
どんなに叩かれ、斬られ、焼かれ、吹き飛ばされようとも――彼の金色の眼は、決して光を濁らせない。
それどころか、更に爛々たる輝きを湛えて、すかさず反撃へと転じるのだ。
そして、傷口が増えているはずなのに、疲労が蓄積しているはずなのに、痛みが激しさを増しているはずなのに――ロイの動きは加速し、振るう拳や脚、尾は鋭さを増してゆくのだ。
(なんなのだ、あの男は…!?
巴の戦を拒み、狙いを一身に引き受ける自殺願望者のようでいながら――その実は、真逆だ…!
あれは、どんな絶望であろうと生命にしがみ付く者の姿だ!)
亞吏簾零壱が地上から視線を投ずるばかりの一方で。宙空では、ロイを標的にする3体――ゼオギルド、『十一時』、そしてプロテウスが、しぶとい生命を刈り取ろうと躍起になっている。
「早くくたばれってンだよ、ガキッ!」
ゼオギルドが脚から巨大な金属塊と岩盤を生成し、ロイへと蹴り飛ばす。しかしロイはズタボロの体に似合わぬ鋭い烈風の動きでヒラリ、ヒラリとかわすと。竜翼をはためかせて加速し、ゼオギルドへと肉薄する。
そんなロイの体が突如、激しくブレて急降下する。彼の頭上からバーニア推進機関を全開にして飛び込んできた『十一時』が、加速に全体重をかけた蹴りを叩き込んだのだ。
しかも、『十一時』の攻撃は単なる物理的衝突に留まらない。彼が得意とする電磁場操作により、足からは槍のように鋭いローレンツ力が放出される。
「ぐが…ッ!」
身体を逆"く"の字に曲げ、鮮血を吐き出すロイ。彼の背中に新たなる黒痣が痛々しく浮かび上がる。
しかし、ロイもやられっ放しではいない。竜尾で以て『十一時』の脚を絡め取ると、身体を突き抜ける衝動を利用してグルリと転身。『十一時』をブン回す。
バーニア推進機関をふかして姿勢制御しながら、竜尾から抜け出そうと奮闘する『十一時』。その努力が功を奏するより早く、彼はガギンッ! と重い激突音を立てて、盛大にバウンド。その途端、ロイは竜尾の力を解いたものだから、『十一時』は弾丸のように上空へと吹き飛んでゆく。
『十一時』がぶつかった相手。それは、眼下からプラズマの刃を備えた槍を持って飛び上がってくる、プロテウス機である。刃の直撃を免れたことは幸いと言えるが、その代わりに槍の柄に激突したのである。お陰で、プロテウス機の進路がブレて、ロイに向けられていた槍先が大きく逸れる。
ここぞ好機とばかりにロイは羽ばたいてプロテウス機の懐を目掛けて飛び込んでゆく…が。プロテウス機は肩部装甲を展開し、複数の魔化が施された重機銃を乱射する。彩り様々な輝線を残しながら空を切る、一抱えもあるような弾丸の雨がロイを襲う。
しかし、ロイは回避に専念したりはしない。更に加速しながら、最小限の軌道修正で弾丸をすり抜けて、プロテウス機に確実に迫ってゆく。満身創痍とはとても思えない軽やかにして迅速、そして冷静な行動だ。
遂にロイの近接の間合いにまで両者が迫ると。ロイは竜拳を堅く握りしめ、同時に爆発的な火炎を纏うと、黒い烈風としてプロテウス機の開放された肩部装甲の下を狙って拳撃を繰り出す。
轟ッ! 鼓膜を聾する爆音と共に赤い閃光が走る。同時に、プロテウス機は盛大な黒煙を上げながら急降下してゆく。大きなサイズ差にも関わらず、ロイの小さな拳は大きいな人型機動兵器を脅かしたのだ。
爆煙の中、拳を繰り出した姿のまま、ロイの動きが数瞬止まる。やはりダメージは見た目通り蓄積されているようで、肩で呼吸して息を整えている。
そんな彼を地上から見つめるばかりだった亞吏簾零壱は、ハッと思い直し、五指の爪を青く縫った両手をロイに向けて伸ばす。
(…ド肝を抜かれている暇など、私にはない…!
私は、悲願のために、この戦いを制しなけばならないのだから…!)
亞吏簾零壱は騒霊を発動。転瞬、一息吐いていたロイが顔色を青くして、身体を硬直させる――いや、金縛りに襲われて身動きが取れなくなったのだ。
――さて、霊的人体発火で消し炭にでもしてやろうか。亞吏簾零壱が青い唇に嗜虐的な笑みを浮かべ、術式を練り上げた、その時。
「おっしゃあっ、サンドバッグだぜぇっ!」
騒がしく喚きながらロイに向かってゆくのは、ゼオギルドである。今度は各々の拳に爆炎と渦潮を纏い、まずはロイの顔面を上から殴り降ろすと、流れるような動きで今度は下から腹部を抉る。無防備なロイは木偶のように喰らい、開いた口の中から血反吐をドロリと吐き出す。
ゼオギルドがそこへもう一撃、蹴りを放とうとするところで、亞吏簾零壱が霊的人体発火を発動。ロイの右脚が一瞬にして業火に包まれる。焦熱が生む激痛にロイは顔を歪めるものの、身体は悶え回ることすら許されず、鉛のような麻痺の前にブルブルと震えるばかりだ。
生じた致命的な隙に一早く反応したのは、プロテウスだ。先の損傷による黒煙をそのままに、バーニア推進機関を全開にして素早く体勢を立て直すと、手にした槍の形状を変化。柄であった部分を展開し、幅広の歪曲次元の刀身を持つ許田な剣と成して、横薙ぎにロイの胴体を切断にかかる。
死が目前に迫る窮地。それを前にして、正に窮鼠がネコを噛むような衝動がロイの身の内に起こったかと言うのか――ロイの左腕が、騒霊の金縛りを振り払ってブンブンと動き回る。筋肉の支配を強引に振り払った為に、体表から糸のような出血が幾筋が飛び出すが、もはやその程度で顔を歪めるようなロイではない。
左腕が自由になったのを口火にして身体の硬直を一気に振り払う、ロイ。目前に迫る空間をも断する刃を螺旋を描きながら急上昇して回避する。
しかし、プロテウス機の腕間接の機構は慣性を感じさせない鋭い動きで方向転換。上昇するロイを下から両断しようと迫る。
対するロイは、あろうことか竜翼をいっぱいに広げてブレーキを掛け、上昇を急停止。大気分子を電離させながら接近する刃を鋭い視線で見下しながら、ヒュウッと大気を吸気。そして、牙がゾロリと並ぶ口腔を大きく開き――。
「呀ッ!」
叫びと共に吐き出したのは、青白い雷撃だ。しかし、ただの雷撃ではないようだ。電光の周囲はゆらぐ水面のように揺れている。
雷撃の竜息吹と歪曲次元の刃が衝突する。常識的に考えれば、空間に依存する物理的存在である電子の奔流は、歪曲した次元に呑まれて消えてしまうところである。しかし、電撃は刃に激突すると激しい青白の電光となって弾けたと思いきや、大剣を激しい勢いで弾き飛ばす。
ロイの竜息吹は、空間の歪曲をも吐き出す応用力を有しているようだ。
竜息吹はプロテウスの大剣を弾くだけでは勢いが死なない。そのまま広く四散すると、プロテウス機自体を撃ったり、近づこうと試みていたゼオギルドや『十一時』にも襲いかかる。
勿論、地上に留まる亞吏簾零壱とて、その牙から逃れられない。なんとか回避行動を繰り返していたが、一本の電流を避けきれずにまんまと直撃を喰らってしまった。
「あ…あ…あ…ッ!」
怨霊である彼女は、さほど発声に力を入れておらず、叫んだりするような行動は苦手である。それでも彼女は、全身を揺るがす激痛の前に、掠れ声ながらも、死後生命となって以降最大の絶叫を上げて、地に膝を付く。
(ここに至って、まだこんな力が…!)
胸中に驚愕が満ちるのを振り払い、慌てて視線をロイに戻す、亞吏簾零壱。隙を見せては、真っ先にやられてしまう可能性があるために、いつまでも激痛に打ちひしがれてはいられない。
しかし、亞吏簾零壱が慌てなくとも、ロイは彼女に次の一撃を与えることはなかったであろう。と言うのは、電磁場と空間歪曲のフィールドを巧みに利用して竜息吹を乗り切った『十一時』が、ロイの眼前に接近していたからだ。
『十一時』は、腕の周囲に離散させた尾の部位を3重の円状に纏わせた右拳を握り、ロイの顔面へと叩き込む。ロイは神懸かったと言っても過言ではない反射速度で直撃をやり過ごしたものの、『十一時』はローレンツ力による不可視の槍も発動していた。それ故に、ロイの頬の表皮がバシャンと爆ぜ、盛大な鮮血を噴き出す。
しかしロイもやらてばかりではない。握りしめ、そして暴力的な旋風を纏った竜拳で『十一時』の頬にカウンターを直撃させる。『十一時』の頸椎がゴキリ、と悲鳴を上げて、妙な方向に折れ曲がる。
ロイは更に『十一時』の腹部へと脚の鍵爪で斬撃を放つ。癌様獣の超回復能力を見越して、攻め手を緩めないのだ。ボロを纏った『十一時』の胸部に凄惨な3筋の爪痕が走り、透明な電解質の体液がビシャリ、と宙を舞う。
更に駄目押しとばかりに、ロイは蹴った脚の方向を転換して、後ろ回し蹴りで『十一時』を狙う――が、これは功を奏さない。
「何無視してンだよ、ガキッ!」
叫び、そしてロイの腕を掴んで行動を止めたのは、ゼオギルドである。声に振り向いたロイの額に自身の額をブチ当てると、激流が渦巻く拳で出血したロイの頬を抉る。
ロイの身体がその場でグルリと回るが、ゼオギルドは掴んだ手を離さない。そのまま翻弄されるロイに次なる一撃を加えようと、行玉を輝かせる。
しかし、やはりロイは足掻く。ゼオギルドの拳撃の衝撃を活かし、回転する力を脚に乗せて、ゼオギルドの後頭部に踵をめり込ませる。
「んお…ッ!」
苦悶の声を上げたゼオギルドは、たまらずロイを掴む手を離す。
一転してロイにチャンスが到来するが、そこへ弾丸の雨霰がゼオギルド、『十一時』ごと包み込むように放たれる。プロテウス機の魔化された機銃掃射だ。
ロイはゼオギルドや『十一時』を放っておき、弾丸の雨をかいくぐってプロテウス機へと向かう。
――そして激闘は、途絶える気配など微塵も見せず、延々と続くかのように進んでゆく。
一方で亞吏簾零壱は、再び傍観者に徹して、空中の激闘を眺めるばかり。騒霊等の遠隔作用を及ぼす攻撃を駆使してロイを窮地に陥れてやろう…と云う思考が、まったく芽生えないで居る。
もしかして、複数の実力者を相手に一歩も引かないロイの気概に、後込みを感じてしまったのだろうか?
――そうかも知れない。
どんなに傷つこうとも、どんなに激痛を被ろうとも、どんなに窮地に陥ろうとも――。鮮血の紅を浴びた漆黒の竜は、絶対に眼の輝きを曇らせず、疲労に負けて肩を落とすこともせず、嵐のように手脚や尾、牙を振るい続けるのだ。
底なしのように見える気力と体力は、不死身の超常生物を思わせる脅威を呈し、魂魄を震え上がらせる。その震撼は決して亞吏簾零壱だけでなく、他の3人の心にも植え付けられていることだろう。
だからこそ、彼らは躍起となってロイという存在を拒絶しようと、絶え間なく暴力を振るうのだ。
その拒絶行為に亞吏簾零壱がなかなか荷担できずにいるのは、ロイの姿からもう一つ、魂魄を震え上がらせる印象を得たからである。
それは――ロイの、表情だ。
傷つき、腫れ上がり、出血の絶えぬ痛々しい顔は、ずっと嗤いを浮かべていた。
苦痛を得て歪むとしても、ほんの一瞬のこと。すぐに嗤いを取り戻すと、翼を打って宙を掛け、拳やら蹴りやら、はたまた竜息吹やらをブチかますのだ。
その姿に、亞吏簾零壱は『冥骸』の同胞たる、古き死後生命の口にしていた言葉を思い出す。
「旧時代のある宗教では、地獄を6種に定義していたのだ。
その1つに、絶え間なき闘争が渦巻く場所がある。そこを修羅界と呼ぶ。
そして、修羅界には、永劫の闘争を悦しみ続ける魂魄どもがひしめているのだ。その魂魄は、修羅、と名付けられている」
その死後生命は言葉の最後に、"成仏した後に地獄に行くにしても、修羅界だけは勘弁だ。闘争なら、この現世で飽きるほど続けているのだから"と言って苦笑していた。
視界に移るロイと言う男こそ、竜ではなく、修羅そのものではないか。
5つ巴の足引っ張り合いであった闘争を、己1人を標的にした多対一戦を展開し、その上でなお嗤ってみせる。修羅でなくて、一体何だというのだ?
(それにしても…)
そこまで思考した亞吏簾零壱は、ロイの一心不乱な激闘に固唾を飲み込みつつ、胸中でポツリと呟く。
(なぜあの男は、修羅である事に徹することが出来るのだ…?
どんな理念があって、修羅であり続けようとしているのだ…?)
単に闘争が好きなのだ、と答えづけも出来るだろう。だが、それでは説明の付かないことは多い。
単なる戦闘狂ならば、昨日この都市に来た時点で、どのような相手であっても退くことなく戦いを続けていたはずだ。
先刻、集中攻撃を受けるはずだった彼女のことなど眼中に入れず、己の闘争のみを続けていたはずだ。
修羅は修羅でも、彼は修羅界の掟に従うだけの亡者ではない。浮かべた嗤いの裏には、燃え盛る理念がある。
――それはもしかして、策謀ではないか? 亞吏簾零壱は一瞬、そんな事を考えた。相反する関係の敵を一手に引き受けることで、相手が足を引っ張り合う事を見越し、隙を突いて一網打尽にする目論見があったのではないかと、訝しんだのだが。ロイの戦闘は隙を窺うような小賢しいものではなく、真っ直ぐな正面突破ばかりだ。そもそも、彼が相手にする実力者は簡単に足の引っ張り合いを起こすほど間抜けではない。
策謀でないとしたら…脳裏に浮かぶ答えは限られてくるが、有り得ない、認めることなどとても出来ない、と亞吏簾零壱の思考は叫ぶ。
(あの男は、この都市国家の住人でもない。故郷だというワケでもない。
"英雄の卵"だの呼ばれているが、突き詰めれば学生であって、地球圏治安監視集団のように世界の秩序を守護する職務を背負っているワケでもない…!
それでも…それでも、あの男が戦う理由は…!)
――ただ単に、護りたいのだ。もしくは、取り返したいのだ。
路頭に迷った幼子に声を掛け、親元へと手を引いて連れてゆくように。疲れ切った老人をおぶって、代わりに家路へと歩むように。
誰かの苦痛を己の身で受け止め、あるいは肩代わりし、笑顔を護る。護れなかったのならば、取り返す。
その挙げ句の果てに、感謝の言葉すらも貰えぬかも知れない。それでも全く構わないのだ。彼自身が満足すれば、それで構わないのだ。
――その受け入れ難き、合理性に全く欠けた事実を覚ったと同時に。亞吏簾零壱は、ロイの嗤いに込められた真の感情をも覚る。
確かに彼は、戦闘を楽しんではいる。
しかしそれ以上に、彼が楽しんでいるもの――いや、これから楽しもうとしているものがある。
己の拳が拓いた先に花開く、満開の笑顔。
それを絶対に手中に収めてやる――それこそが、彼の理念なのだ。
懐も暖まらねば、腹も膨れぬ、ささやかに過ぎる望み。
それを得るために必死になるロイを、亞吏簾零壱は決して笑えない。
むしろ、霊体が大きく揺らぐほどの畏怖を覚える。
彼女もまた、望み――悲願のために身も心も、魂魄すらも捧げた者ゆえに。
故郷である地球の民に請われるがまま、汚れた行為をも厭わずに尽くしてきたというのに。その挙げ句の果てに、故郷を追放され、陽の光も満足に届かぬ太陽系の辺境へと追いやられた。
その無念と憤怒を安穏と暮らす裏切り者の末裔にぶつけること。そして再び地球を己の大地として、堂々と足を踏み入れること。その悲願を掌中に納める執念を燃やし、血も涙も捨てて戦い続けてきた。
戦い続けてきた、はずだった。
――だが。と、亞吏簾零壱は、文字通り血を吐きながら戦い続けるロイの姿を見て、胸中で漏らす。
悲願だ執念だと叫んではいるものの、自分は本当に死力を尽くして戦いに臨んで居たのか、と。
本当に死力を尽くしていたのならば。がむしゃらに臨みにしがみついていたのならば。地球から追放されたあの日、追い立てられるがままに太陽系の外縁へと逃れたのではなく。魂魄を燃やし尽くす覚悟で自分たちの居場所を護るために、徹底的に抗戦したのではないか?
それをせずに、今頃になって怨恨を吐き、地球に横槍を入れている姿は――眼前の賢竜と比べて、あまりにも卑小だ。
そんな意気のない自分が――理論的に生命に限りがないくせに、影でコソコソ動くばかりの自分が、太陽のように意気を輝かせる相手に、果たして敵うのだろうか?
――亞吏簾零壱は、未だ動けない。青い唇を悔しそうにも、羨ましそうにも歪めながら、ひたすら死闘に視線を投じているばかりだ。
そんな彼女の目の前で――。
ロイの文字通り血の滲む努力が、遂に実を結ぶ瞬間が到来する。
轟ッ! 激しい閃光と共に爆音が響き渡ったその時、黒煙に紛れてパラパラと破片が降り注ぐ。雹にしては大きすぎるその破片は、金属製の装甲や機械が破砕したものである。
もうもうたる黒煙の中、飛び出して来たのは、プロテウスの機体である。その右腕はゴッソリと消滅し、無惨な破壊の断面からは電光と黒煙が巻き上がっている。
直後、プロテウス機を追って黒煙から飛び出したのは、ロイだ。彼は右拳を繰り出した格好のまま、翼の推力で前進している。
この光景から亞吏簾零壱は瞬時に覚る。ロイの攻撃が遂に、プロテウスの機体の腕をもぎ取り、爆砕したのだ。
プロテウス機は距離を取るべく、全身の推進機関を全開にして逃走を続ける。"インダストリー"には、転移換装の技術がある。十分な時間が稼げれば、失った腕を付け替えて修理することが可能だ。
ロイは、プロテウスの目論見を十分に理解している。故に彼はすかさず空を駆けて、追いすがるのだ。
その途中、横合いから飛び込んでくる者がいる。不可視の電磁場のブレードを携えた『十一時』だ。プロテウスに気を取られているところを斬り払いに来たのだ!
離散させて2本の尾から形成した、3つのブレード発生器が空を薙ぐ。同時に、不可視の刃がロイの首やら胸やら腹部やらの細胞を抉り、みるみる裂傷を創り出す…が。
「退けよッ!」
ロイは苦痛に立ち止まることなく、それどころか翼を打って更に加速し、『十一時』の懐に飛び込むと。鉤爪の輝く脚を振るい、『十一時』の身体に逆袈裟の斬撃を与える。
電解質の体液だけでなく、金属細胞の破片もブチ撒いた『十一時』は、思わずブレードを解除してその場で大きく仰け反る。
ロイはそんな『十一時』の腹に竜拳抉り込むと、『十一時』の身体ごと突進を継続。逃げるプロテウス機へと追いすがる。
プロテウスは装甲のあらゆる部分から弾丸やビームを発し、ロイに対抗する。が、ロイは速度を殺さず巧みに身体を左右に振ってやり過ごしながら、確実にプロテウスへと肉薄し――。
遂に、プロテウスのもぎ取られた右腕の付け根へと到達する。
プロテウスも、諦めない。残る左腕を振るって、ロイへ一撃を喰らわそうと動くが――。
もしもプロテウスが、逃げを第一の念頭におかず、ロイを迎撃するつもりであったならば、左腕は間に合ったかもしれない。
しかし、及び腰になってしまった彼は、一途に打破へ向かい続けたロイに比べて、遙かに鈍くて遅かった。
だから、ロイが『十一時』ごと抉り込んで来た拳を、まんまと傷口にブチ込まれてしまった。
「あああああッ!」
激しく漏電する機械回路に埋め込まれた『十一時』が、苦悶の声を上げて悶える。するとプロテウス機の傷口は更に掻き回され、ボロボロと部品を零しつつ広がってゆく。
そんな両者から、距離にして2歩ほど飛び退いたロイは、牙の生え揃った口で凄絶にニヤリと嗤い、そしてスゥー、と大きく意気を吸い込む。そして、
「寝てろッ!」
怒号と共に、大きく開いた口腔から飛び出したのは、電撃を纏った業火の巨大な奔流である。
電流は一瞬にして『十一時』、そしてプロテウス機の全身を駆けめぐり、その構成分子をイオン化させる。直後、灼熱のエネルギーがダメ押しとばかりに押し寄せ、構成物質は溶融あるいは昇華すらお越し、両者を激しく破壊する。
ついには、プロテウス機の動力機関である精霊式/核融合混合型エンジンを蝕むと、火霊と雷霊が暴走。生み出された巨大過ぎるエネルギーに絶えきれなくなったエンジンは、大爆発を起こす。
慟ッ! 衝撃波が空間を揺るがし、火霊の赤と雷霊の黄が混じり合いながら大気を暴れ回る、凶悪な花火が空を彩る。
これでロイの相手の内、二角が一片に消し飛んだ。
だが、戦いは終わりを迎えていない。
「ヒャアッハァッ!」
脳の血管が沸騰しているようなハイテンションな声を上げて、爆発の中から飛び出してくる者がいる。ゼオギルドだ。
彼は右手の火行の行玉を限界まで酷使し、爆発で生じた火霊を支配すると。巨大な業火の拳を作り出して、ロイに迫る。
対するロイは――爆風にも翻弄され、更に傷を増した身体ながらも、しっかりとゼオギルドを見据えていた。
そして、翼を打つと、真っ直ぐにゼオギルド目掛けて突撃する。
「遅ぇッ!」
ゼオギルドはロイに罵声をぶつけて、右拳と共に業火の巨拳を振り下ろす。彼の言葉通り、如何に満身創痍のロイが素晴らしい身体能力を発揮して高速で飛翔しても、業火の巨拳をすり抜けることは不可能だ。
間違いなく、頭から直撃を受けてしまう。
その程度の状況判断は、ロイとて把握しているに違いない。それでも彼は、怯むことなく、真っ直ぐに…ひたすら真っ直ぐに、業火の巨拳を――その向こうに佇むゼオギルドを目掛け、突進する。
故に、ロイは防御体勢を取る暇もなく、業火の中へと突っ込み――完全に、飲み込まれてしまった。
「バァーーーカッ!」
炎の中に消滅したロイを嘲り、ゼオギルドがベロリと舌を見せて叫ぶ。"インダストリー"の機体ごと、超回復能力を有する癌様獣を打破した爆炎の直撃だ。賢竜がいくら先天的に魔力に秀でた稀少人種と言えども、骨まで消し炭になったはずだ――そう確信し、勝利に色めき立つ。
――だからこそ、業火の中に人影が浮かび上がったのを目にした時は、顎が外れそうな程の驚愕に襲われ、絶句する。
そう――ロイは、生きている。
見事に、巨拳の業火を潜り抜けて見せて、だ。
とは言え、ロイの身体は無事とは程遠い。ところどころで竜鱗が無惨に剥がれた体表は、炭化したり、今なお炎を上げて燃えている部位すらある。ロイは業火の中を進む最中、何らかの身体魔化を使ってはいただろうが、殆ど気休め程度であったことだろう。
彼は、己の身体と力を信じて、がむしゃらに業火を突っ切ったのだ。
そして今、驚愕するゼオギルドの前に、"してやったり"と訴える嗤いを浮かべて、肉薄する。牙がゾロリと輝く凄絶なその表情は、竜の名に恥じぬ迫力を持つ。
「ちっくしょ――」
ゼオギルドは慌てて足の行玉を黄色に輝かせる。金属塊を生成して、ロイを迎撃するつもりだ。
しかし、今度遅かったのは、ゼオギルドの方であった。
ロイは、金属塊の生成が始まったばかりの行玉に、業火を纏った拳をブチ当てる。その業火は、先に突っ切った巨拳の魔力を拝借し、更に増幅したものだ。
「火剋金、だったけなッ!?」
ロイが叫んだ、その瞬間。ゼオギルドの金行の行玉がバキンッ! と痛々しい音を立てて破砕。硝子質の破片と共に、噴水のような血の奔出が宙に躍る。
「ああああぁぁぁあああッ!?」
ゼオギルドがビクンッ! と身体を硬直させて、叫ぶ。彼の身を苛むのは、行玉という器官を完全破壊された激痛だけではない。その身に五つの強力な行玉を宿していた彼は、五つの属性の均衡を保つ事で身の内の魔力を制御していたに違いない。その均衡が崩れたことで、体内の魔力が暴走を始めている。その衝撃もまた、ゼオギルドの身に強烈な負担を掛けている。
「そんでもって――」
叫ぶゼオギルドの真正面に到達したロイは、業火の拳を再度構えると――。
「木生火、だったよなぁッ!」
捻り込みながらの拳撃を、露出したゼオギルドの胸部に埋め込まれた木行の行玉に直撃させる。
転瞬、轟、と爆音が響く。同時にゼオギルドの身体はジェットエンジンに炙られたような炎の奔流に包まれた。暴走した木行が火霊を受け入れ、その勢いを際限なく増加し、ゼオギルドの身を焼いたのだ。
もはや、ゼオギルドは声も出せない。
胸の行玉も破砕され、胸腔に収まる内臓の一部までも殴り潰され、更には体表を黒煙が上がるほど焦がし尽くされた彼は、白目を剥いて糸の切れた操り人形のようにダラリと五体を投げ、重力の為すがままに大地へと落下した。
遂に三角目が、崩れる。
残るはただ一角――亞吏簾零壱、ただ1人。
倒れて動かぬ3体が散る大地に、ロイは黒い稲妻の如く急降下して降臨した。
その身体の惨状は、見る者が息を呑むほどの有様だ。立っているのが不思議に思えるほどの満身創痍。翼には大きな穴が開いているし、焦げて縮れた紅の髪の中から生えた角は2本ともポッキリと折れている。
それでもロイは、脚を振るわすどころか、猫背にすらならず、堂々と大地に直立する。
そして、亞吏簾零壱に向き直り、剣呑な限りの眼を鋭く吊り上げて、視線を投じてくる。それに触れただけで、肉体も魂魄も貫き通されてしまうような、凄みを含んだ視線だ。
亞吏簾零壱は、震撼する。どう見ても瀕死とすら形容できそうな姿をしたロイに、魂魄がさざ波立つ怯懦を覚える。
ロイが、折れて不揃いになった鉤爪の並んだ両足をゆっくりと、だがしっかりと交互に動かし、歩み寄ってくる。一歩ごとに地面が揺らぐような威圧が、その姿から沸き上がっているかのようだ。
亞吏簾零壱は、青い唇が歪むのを抑えきれない。霊体の輪郭がぼやけるのを抑えきれない。
しかし彼女は、胸中で怯懦を必死に押し込めるべく、自身を奮い立たせる。
(こいつにも理念があるように…!
私とて、叶えたい悲願がある…!
その口火が私自身の惰弱から生まれたものであろうとも…!
今の私にとっては、紛れもなく悲願そのものだっ!)
亞吏簾零壱は、歪めた青い唇を堅く引き結ぶ。
同時に、ありったけの霊力を練り上げると、大気中に漂う思念を強制的に実体化。彼女を中心に漆黒の影が円形に広がり、粘っこい溶岩が噴き出すようにヌラリと持ち上がると、各々が骸骨やら腐乱死体の姿を持ち、手に手に武器を構える悪霊と化す。その数量は、優に20を越える。
(こいつは、ボロボロだ…!
畳み掛ければ、必ず、斃せる!)
亞吏簾零壱は大きく口を開くと、金切り声を上げて号令と成す。転瞬、悪霊達は滑るようにロイへと一斉に接近する。
悪霊が夜の帳の如くバッと広がり、ロイを包み込むようにして各々の武器を振るう。
――その光景と、ほぼ同時だった。ロイが動いたのは。
彼は、声を上げなかった。駆け出しもしなかった。拳も握らなかった。むしろ、その場で歩を止めてみせた。
そして、漆黒の竜翼だけをバサリと大きく広げると、力強く一羽ばたきしてみせた。
瞬時に巻き起こった、一陣の颶風。それは瓦礫やプロテウス機のバラ撒いた部品を激しく巻き上げながら進み、悪霊の群に激突する。
悪霊の群ははじめ、颶風に絶えて拮抗状態を成していた。だがやがて、悪霊達の体が紙きれのようにメリメリと翻弄されながら持ち上がると、颶風の渦に飲み込まれて吹き散らされてゆく。
遂には、悪霊達は一陣の煙も残さず、大気の奔流の中に消滅してしまった。
――翼のたった一打ちで、攻撃を無効化してみせた。
その愕然とした事実に、亞吏簾零壱の表情が色を失い、五体がダラリと脱力する。
思わず作り出してしまった隙に滑り込むように、ロイが大地を蹴って一気に加速。「あ」と言う声を発する間もなく、亞吏簾零壱の眼前まで接近する。
彼女が本能的な抵抗を見せるより早く、ロイは彼女の霊体の顔面をガッシリと掴むと、後頭部から大地に叩き伏せる。
形而下に実体化した霊体の感触や質量は、真綿に似ている。故に、亞吏簾零壱の体の激突によってだけでは、大地は抉れない。だから、ロイの腕が生み出した衝撃によって、彼女の頭の周囲の大地がガゴンッ! と派手に陥没し、その頭をめり込ませる。
霊体に食い込む竜掌の合間から、ロイの紅に染まった凄む表情が見える。
「どうすンだ?」
ロイが、尋ねる。
「もっとやり合うか?
もしも、やり合うってンなら――」
ロイは牙の合間から、熱い呼気と共に強く言い切る。
「オレは、絶対に負けねェ」
亞吏簾零壱は、逡巡する。
怯懦に飲み込まれながらも、彼女の理性が遠く叫んでいる。
悲願はどうするのか、と。
お前だけの悲願ではない。『冥骸』に所属する全ての死後生命の悲願なのだ、と。
手強い競合相手は、もはや悉く沈んだ。目の前にいる相手も、弱り切っているはずだ。
あっと一歩で、手が届くはずだ!
…それでも、彼女は動けなかった。
遠く叫ぶ理性の声を聞いてはいても、そちらに向かうことは出来なかった。
――もう終わりだ。
いや、既に終わっていたのだ。
彼女は、理性の――いや、妄念の声に静かに蓋をする。
目前に居るこの賢竜の青年の姿に、理念に、衝撃を受けたその瞬間には、既に終わっていたのだ。
彼女は、ロイ・ファーブニルに感服していたのだ。
その事実を受けれた瞬間、亞吏簾零壱のこわばった青い唇が、柔らかさを取り戻す――。
「私の、負けだ」
蝋燭の灯火のようでありながら、いかなる風の中にも紛れて消えてしまうことのない、小さいながらもはっきりとした声。
それが世界にポツリと漏れた瞬間。最後の一角がポッキリと折れると共に、壮絶な五つ巴の激闘に幕が降りる。
ロイ・ファーブニルは、堂々たる勝者となった。
亞吏簾零壱の言葉を耳に入れたロイの顔は、凄みの表情から一転して向日葵のような笑顔が咲くと。竜掌から彼女の顔面をすんなり解き放つと、真っ直ぐに立ち上がる。
激闘の終結に気が緩んで脱力することなく、あくまで満身相違の体をビシリと正し、真っ直ぐに天を衝いて立つ。
そして、握った拳を高く、高く持ち上げると。
「ッシャアァッ!!
終わったぜェッ!」
未だ牙の収まらぬ口を大きく開き、都市国家中に響き渡るような轟声を張り上げた。
まるで、都市国家中に散らばった己の仲間達の耳と届けと言わんばかりである。
それからロイは、拳を引いて脇腹に置くと、視線をとある方向に向ける。
ゼオギルドが完全に沈黙するも、未だ青々と茂る異形の林が広がっているが、ロイの視線が見つめるのはその先に広がっている光景だ。
その方向には丁度、ノーラと『バベル』が居る。
賢竜という種族は、先天的に魔力の扱いに秀でるのみならず、魔力の感知についても鋭敏であるようだ。ロイは戦闘の最中でも、『バベル』とその膝元で戦うノーラの魔力を感じ取っていたようだ。
(今度はお前の番だぜ、ノーラ)
ロイは胸中で、視線の向こうに居るはずのノーラに語りかける。
彼は今、ノーラの魔力が急激に萎んだことも感知している。それが十中八九、彼女にとって良からぬ事態が起きたことを示すだろうことも把握している。
それでもロイは、表情を曇らせることなく、むしろ清々しい表情さえ見せている。
(お前なら、絶対にやれるさ。
同じ戦いを潜り抜けて仲だからな、それくらい分かる。
だから――)
ロイは、遠いノーラを鼓舞するかのように、胸元の高さまで拳を持ち上げる。
(勝て!)
――と、一通りノーラを応援したところで。
ロイは乱れた紅の髪をボリボリ掻きながら、地に倒れたまま動けずに居る亞吏簾零壱へと、まず視線を向ける。
続いて、ゼオギルドや肉塊のようになった『十一時』、ゴミの山となったプロテウスの機体と視線を巡らして、再び亞吏簾零壱に視線を戻す。
そして、ポツリと呟く。
「また暴れられると、厄介だもんな…。
紫のヤツ、近くに居るみたいだからな。コイツらを確保するの、手伝ってもらうとするか」
そう独りごちると、もはやボロ布になった上着に辛うじて残った内ポケットの中からナビットを取り出したのであった。
ロイからの通信を受けた紫は、レナと共に大騒ぎを起こしたことは言うまでもないことである。




