Dead Eyes See No Future - Part 7
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相川紫、レナ・ウォルスキー、そして倉縞蘇芳を中心とした、避難民達の集まりでは。幸運にも定義崩壊を免れた市民に加えて、"パープルコート"の生き残りまでもが身を寄せて、レナの作り出した防御方術陣の中に座り込んでいた。その数、ざっと50名を数える。
「全く…! 私たちの命を弄ぼうとして馬鹿者まで、泣きついてくるとは…!
それをまんまと受け入れている私たちもまた、馬鹿者と言うべきなんだろうな…!」
明らかに苛立った口調で文句を唱えているのは、アルカインテール市軍警察官にして蘇芳の片腕のような立場にいる女性、竹囃珠姫である。
彼女のギラつく半眼もまた、"パープルコート"の隊員達を刺し貫いている。その視線の先では、交戦時に浮かべていた残忍な笑みを薄っぺらいヘラヘラした愛想笑いに置き換えて、ペコペコとお辞儀したり、自らの所業への言い訳を語ったりしている"パープルコート"隊員の浅ましい姿がある。
「あんな奴ら、尻でも蹴っ飛ばして、『バベル』の餌にしてやれば良かったものを…!」
ブツブツと文句を言う珠姫の頭に、ヌッと大きな掌が乗ると、ワシャワシャと髪を撫でしだき始める。珠姫が慌てて掌の主へと視線を向ければ、そこにはニカッした笑いを浮かべた蘇芳の顔がある。
「確かに、オレ達は敵対していたが、だからといってオレ達は奴らをブッ斃すのが目的なワケじゃない。
いがみ合わずに済むようになるなら、それに越したことはないさ。
それに、この状況じゃオレ達だろうが"パープルコート"だろうが、他の勢力だろうが、皆等しく避難民みたいなモンさ。それなら、防災部のオレとしちゃ、助けてやるのが本筋さ」
「…私は、白黒つける衛戦部の所属ですから。そういうどっち付かずな考えは、気持ち悪くて理解しかねます…」
唇を尖らせながら反論する珠姫だが、激情がさほど目立たないのは、相手が蘇芳だからであろう。これが別の防災部の人間であったなら、烈火のごとく食ってかかったはずだ。
「そんじゃ、衛戦部的な利害主義に則って言えばだな、」
蘇芳は納得いかぬ様子の珠姫に、更なる説得を試みる。
「奴らを蹴っ飛ばして『バベル』に突っ込んだところで、『バベル』の力が増すだけさ。オレ達の立場は更に厳しいものになっちまうし、戦ってるユーテリアの学生にも負担になっちまう。
それなら、目の届くところに置いといて、居心地悪い思いをさせてやる方が、気も晴れるってモンさ」
それでも珠姫は完全に納得していない様子だったが、やがて大きな溜息を一つ吐き、両手を上げて観念した。
「…それにしても、話に出てきた『バベル』ですけど。随分と大人しいですよね?
さっきまでは、あんなに体中がビシビシ言ってたのに、今じゃ何にも感じませんし。
ユーテリアの学生が、斃してしまったとか?」
「いやいや、流石にそれはないだろ」
蘇芳は手を振って否定する。
「天災規模の定義崩壊を引き起こすような代物だぜ? 破壊されたなら、余波による結構な規模の魔法現象が目視でも確認出来ると思うぜ。
単に、レナの作った結界が優秀ってことなんじゃねーのか?
なぁ、レナ!」
突如話題を振られたレナだが、蘇芳と珠姫の会話に耳を傾けていたらしい。狼狽することなく、至極自然な動作で2人に向き直ると、首を傾げる。
「まぁー、確かによ、あたしの結界は一級品だぜ。ちょっとやそっとの定義崩壊なら、完全に遮断してみせるぜ。
それはそうなんだけどよ…さっきから全然、結界に引っかかるような魔法現象が検出されないんだよな」
「つまり、定義崩壊自体がこっちに及んでないってことか?」
蘇芳の問いにレナは頷いてから、Vの字に人差し指と中指を立てた右手を見せる。
「考えられることは2つだ。
1つは竹囃大尉さんが言う通り、『バベル』がブッ斃されて機能が停止している。だけど、あたしも蘇芳さんに同意見さ。外的に破壊されたなら、その痕跡を形而上・形而下問わずに派手にブチ撒けるだろうぜ。
それがないってことは、もう1つの可能性に該当するだろうな。
つまりは、誰彼構わずに定義崩壊を振りまく余裕がないほど立て込んでる、ってことさ」
「あの化け物相手に、良い勝負をしてるってことか。
流石はユーテリアの学生さん、ってところか。もはや"卵"じゃなく、本物の英雄だな」
「と言うより、『バベル』と同じく化け物、と言った方が適切ではないですかね」
珠姫がちょっと苦々しく語る。本来なら都市国家を守るのは自分達の役目であるのに、そこに加担できず他人に――しかも未成年に任せっ放しにしていることに心苦しさと、妬みをも感じてのことだろう。
蘇芳はそんな珠姫の胸中を推し量ったのか、今度は諫めるような言葉を口にしなかった。代わりに、結界の端に独り座り込んだまま、黙然と外界に眺めている紫に向き直る。
「なぁ、星撒部のお嬢さん?
あんたのお仲間さんが善戦してるって思って良いんだよな?」
紫は静かな動作で振り返ると、「恐らくは」と答える。
「戦ってるのって、えーと、名前はノーラって言ったっけ? 肌の色の濃い、物静かな感じの娘だったよな?」
レナの問いに紫が首を縦に振ると。レナは怪訝そうに眉根に皺を寄せて問いを次ぐ。
「あの娘、ホントに大丈夫なのかよ? あんたら暴走部には珍しく、覇気がないじゃねーか。
昨日のトンネルの中での戦いは、結構スゴかったけどよ。でもあれは、暴走君の熱に当てられたからなんじゃねーの?」
すると紫は、普段の部活で見せる陰を含んだ嫌味な笑みをニヤリと浮かべて反論する。
「見た目で能力を判断するなんて、先輩って旧時代的なんですね。
あの娘、確かに物静かですけど、初の実戦で士師を倒す実力の持ち主ですよ。私たちのクラスじゃ、『霧の優等生』って呼ばれていて、一目置かれてます。
先輩より、ノーラちゃんの方がよっぽど強いと思いますよ?」
毒を含んだ物言いに、レナはあからさまにカチンと来て表情に険を孕むと、拳を震わせながら反撃する。
「暴走君と言い、お前と言い…星撒部の奴らは、目上の人間に対する接し方ってのが分かってない奴らが目白押しらしいな…」
すると紫は、ますます自身が含む毒を強め、口元に手を当てて、プププ、と笑う。
「そういう物言いが旧時代的だって言うんですよ。
地球圏治安監視集団を始め、現代の主たる有力組織は年功序列なんて言うバカバカしいシステムは放棄して、実力主義が主流ですよ? 1年早く生まれた程度でデカい顔するなんて、旧時代でも通じないんじゃないですかね?」
「ンだと、この…ッ!」
レナの激情の琴線がプツンと切れ、勢いよく立ち上がった、その時。すかさず蘇芳が両腕を広げて彼女の前に立ちはだかり、「まあまあ、落ち着けって」と宥める。
続いて、紫の方にも視線を向けて苦笑いを浮かべると、そちらにも宥めの言葉を口にする。
「アンタも、いい加減にしろよ。
同じ部活の仲間の事を心配してピリピリしてンのは分かるけどよ、だからってこっちの仲間に八つ当たりするってのは感心しねーな」
「…っ!」
紫が笑みを消し、怪物に出会ってパンパンに総毛立ったネコのように、目を丸くして顔を強ばらせると共に、赤く染める。蘇芳の言葉は図星だったようだ。
とは言え、蘇芳でなくとも、よっぽど鈍感な者でなければ、紫の心の内は容易に知り得ただろう。紫と来たら、視線を向けている方角が決まりきっているのだから――即ち、ロイの激戦によって盛大な土煙が上がっている方角、である。
「まぁー、気になる男子が文字通りに命を懸けて戦ってるンだものな。心配しない方がおかしいさ」
「なっ…! なっ…! なっ…なんですか、それ…っ!」
蘇芳の言葉に、紫はますます顔を真っ赤にし、そんな顔を隠すように両腕を上げて、しどろもどろに語る。そんな様子に蘇芳はハッハッハッ、と大きく笑い、レナは険を解いた代わりにニヤニヤとした厭らしい笑みを浮かべる。
「へぇ~、なるほどなるほど。
確かにぃ~、動物的に考えればさぁ~、引く手数多でも可笑しくないようなぁ~、暴走君って」
「い…っ! いや、いやいや、いやいやいやいや! そ、そんなんじゃないからっ!」
紫は真っ赤に火照った顔を慌てて冷まそうとブンブン左右に振りながら、強く否定する。
「た、確かに、ロイの事は気に掛かるけど! 同じ部活の仲間って意味以上のことはないから!
そ、それに! 苦戦してるのはロイだけじゃなから! イェルグ先輩も蒼治先輩も、大和のバカも、『バベル』と交戦中のノーラちゃんだって勿論! 気に掛けてるわよっ!」
その言葉を耳にした蘇芳は、ピクリと眉を跳ね上げて笑みを消し、一変して堅い真剣な表情を作ると、おどけを一切含まぬ調子で尋ねる。
「あの物静かな娘が、ホントに戦ってるってのか?
ってか、アンタ、この位置から部活の仲間の状況が把握出来てるのか?」
紫はこれ以上からかわれない事に安堵して首を止めると、まだ赤みの取れない顔で唇を尖らせながらゴニョゴニョと語る。
「まぁ…大まかに、ですけど…。
魔力のぶつかり合いが少ない所は流石に、なんかやってる、程度しか把握できないですけどね…」
植物読を初めとした、環境からの状況把握能力に優れる紫には、そんな特技もある。
そんな紫に、蘇芳は掴みかからんばかりの勢いで迫り、質問をぶつける。
「教えてくれ! 『バベル』との交戦の首尾は!? 他の勢力の動きは!? この状況、なんとか収まりが付きそうなのか!?」
「え、えーと…。収拾が付くのかどうかは、私たちより、市軍のみなさん次第のような気もしますけど…。
と、取り敢えず…『バベル』とノーラちゃんの戦いは、結構な拮抗状態にあるようですね。定義崩壊を無差別に振り撒かなくなったのは、蘇芳さんの予想通り、『バベル』はノーラちゃんの相手に手一杯だからのようです。とは言え…『バベル』由来の術式の強度は下がっていないので、ノーラちゃんは有効な一手を下せていないみたいですね…。むしろ、ノーラちゃんの術式強度が弱まってるので…苦戦してるかも…」
「助けに入る方が良いか!? 今なら、結界の外に出ても定義崩壊に晒される心配はないんだろ!? それなら、人手が多いに越したことは…!」
「いや…下手に割って入っても、足引っ張る結果になるだけですよ。市軍のみなさんのフォローをノーラちゃんがやる羽目になってしまって、却って戦力が落ちるのは目に見えてますから。
それに…近くでイェルグ先輩が加減なしに能力をブチ撒いてますので、巻き込まれたらたまったモンじゃないですよ」
イェルグを知らぬ蘇芳が、一体どんな能力なのか、と追求するより早く。レナが苦笑いを浮かべて語る。
「うっわ、そういえば、あいつもこの都市に来てるんだけっか…。援軍ってより、国家破壊しに来てる感じじゃねーか…。
蘇芳のおっちゃん、無理無理、絶対近寄っちゃいけねーよ。つか、そもそも、近寄れねーと思うけどさ。
イェルグって奴は、どういう仕組みか分からねーけど、自分の体の中から自由に天候を取り出せンだよ。しかも、地球上のものとは限らねー、あらゆる惑星環境の天候を使役出来るンだ。
音速を超える風速の嵐だの、絶対零度近くまで冷え込む寒波だの、放射線バリバリの太陽光線だの、浴びたくねーだろ?」
その話を聞いて、蘇芳はゴクリと固唾を飲む。しかし、怯懦よりも職務への責任感が勝ったようだ。「し、しかしよ…」と怖ず怖ずと声を上げる。
「そのイェルグって奴がスゲェ力を使えるのは分かったが、相手にゃ癌様獣も"インダストリー"の機動兵器も居る。あいつらは地球外環境でも活動可能なんだぜ?
そいつらの群れとたった1人で戦り合うなんてよ、無謀にも程があるだろうが…!
指咥えてここでのほほんとしてるより、ほんの些細な事でも助けに行くべきだろ…!」
「いえいえ、ご心配なく。
それむしろ、厳しい言い方しますけど、要らないお節介ですから」
紫がパタパタと手を振って、蘇芳の決意を蹴る。
「イェルグ先輩、単に強力な能力を操れるだけの人物じゃないですよ。一時期は、学園で最強の一角を争っていたほどの実力の持ち主ですから。一対多の非正規戦闘も、ウチの怪物部長に負けないくらい得意なんです。
それに、先輩の能力で、地球外環境でもへっちゃらだって言う癌様獣がバッタバッタ[[rb:斃>たお]]れまくってるみたいですよ? そんな所にノコノコ出掛けて、無事に帰って来れると本気で思います?」
紫の言い方は毒を含んではいないものの、あまりにも素っ気も容赦もないものである。その口調から内容が真実であると覚った蘇芳は、再びゴクリと固唾を飲むと、もはや援軍の申し出を口にはしない。代わり、ただ一言、苦々しくこう漏らす。
「…ユーテリアってのは、英雄ってより、化け物育成機関じゃねぇかよ…」
その言葉に紫は苦笑いを浮かべるだけだったが、レナが噛みつくように言葉を割り込ませる。
「いーやいやいや! 暴走部の連中と、あたしら一般生徒を一緒にすンなって!
化け物なのはほんの一部の例外だっつーの、れ・い・が・い!」
「…そうかぁ? オレにしてみりゃ、レナ、お前も十分化け物だぜ? その歳で、オレら市軍じゃ及びも付かない方術陣をサラッと作っちまえるんだからよ」
「あたしは暴走部の連中と違って、人を助けて活かす技術を磨いてンだよ!
"化け物"なんて人聞き悪い言い方すンなよなッ!」
蘇芳とレナが2人でギャーギャー騒ぎ始めたところで、紫はフッと小さく笑みを残すと、すぐに視線を逸らす。そして見つめた先は、会話に加わる前に眺めて方角…ゼオギルドの能力によって生み出された異形のタケ科樹木の林の向こう、盛大な轟音と土煙を上げる一画である。
紫の感覚は、そこにロイの存在を明白に感じ取っている。同時に、そこに入り乱れるその他4つの強大な魔力も。
(助けが欲しいのは、ノーラよりイェルグ先輩より、アンタの方でしょ…。
分かってンだからね、アンタったら5つ巴の状況を利用するどころか、他の4人を一手に引き受けてるでしょ…? それってもう、暴走じゃないわよ、無謀って言うのよ…!)
正直に言えば、紫はロイの事を多大に気に掛けている。彼女は普段、ロイに毒をぶつけては居るが、その実はいつでも恩義の念を抱いているのだ。――ロイには恐らく、その意識は全くないだろうが。
そんなロイが単身で苦境に立ち向かっている一方で、自分は安全地帯でぬくぬくと座り込んでいる。そんな事で良いのか、と何度も自問している。
しかし、約1年間、部活を通じてロイと行動を共にして来たからこそ、気持ちを素直に脚に伝えることが出来ない。
(私が割って入って、ピンチを救ったとしても、アンタは怒るだけなんでしょうね…。
無謀だって言われれば言われるほど、独りで乗り越えることを楽しむような馬鹿なんだからさ…)
――それに、自分にはいざと言う時に避難民を守り抜く最後の砦になるという、大事な役目がある。そう自分に言い聞かせ、唇をキュッと堅く結ぶと、駆け出したくなる衝動を必死に抑え込む。
もしもそのまま放っておかれたのなら、紫の思考は苦悩に食い荒らされて、多大な心労を抱く羽目になった事だろう。
そんな事態を回避してくれたのは、紫のナビットが高らかに奏でる着信音だ。女性ヴォーカルが唱うテンポの早いその曲は、部員の誰かから映像通信が入った事を示している。
――通信に集中すれば、気持ちも切り替えられるだろう。そう判断した紫は、すぐに制服のポケットに手を突っ込んでナビットを取り出す。タッチディスプレイに浮かぶ発信相手の名前は…神崎大和だ。
「はぁ…? なんで、大和が…?」
予想していなかった名前を目にして、眉根に皺を寄せながら紫は映像通信を開始する。
宙空に展開された3Dディスプレイには、ゴミゴミした機械で上下左右を囲んだ狭い空間――コクピットだ――と、その中央に座す大和の姿がある。
大和は紫の顔を見た瞬間、泣き出すとも笑い出すともつかない表情で破顔し、諸手を上げて騒ぐ。
「あーっ! 良かった、紫ちゃんが出てくれてーっ!
これで寂しくないーっ!」
「寂しいって…何情けない事言ってンのよ。
自分の役目はどうしたのよ? ちゃんとやってるワケ?
それにアンタ、イェルグ先輩と話してたンじゃないの? 先輩はどうしたのよ?」
紫の問いに、大和は顔の前でパタパタと手を振りながら、まず後者の質問に対して答える。
「先輩がどうしてるかって、オレより紫ちゃんの方が把握してるでしょ!?
もう、オレは先輩と会話なんてムリムリ! 首尾よくノーラちゃんと会って、なんとか説得して、2人して『バベル』とか癌様獣と戦うってところまでは把握してたンだけどさ!
先輩ったら、癌様獣の大群を独りで引き受ける役目を買って出たモンだから、相当なお天気を作り出したみたいで! もぉー、鼓膜破れるかと思うくらいの騒音鳴りっぱなし!
ラジオどころなんて話じゃない! 反射的に通信切っちゃったよ!
でもさ、独りでシーンとしてるのって、オレの性分じゃないじゃん? そこで、会話できそうな人は居ないかなーと思って、消去法で考えたら、紫ちゃんがベストってことになったワケ!
そしてら案の定、紫ちゃんがすぐ通信に応じてくれたってワケだよ! いや~、ホント良かったー!」
「…消去法って…。それって、私が一番暇人だって言いたいワケ?」
眉を跳ね上げ、露骨にイラ付きながら問う紫は、大和は慌てて手を振る。
「いやいやいや! そういうつもりじゃなくて!
えーと、その…他はみんな、戦闘中だしさ、ナミちゃんは以前の通信にも混じってなかったしさ。それなら、紫ちゃんしかいないって判断しただけで…!
別に他意が有ってのことじゃないんだよっ! ホントホント!」
「…フーン」
半眼で睨みつけながら、素っ気のない返事をする、紫。
しかしその表情とは裏腹に、胸中では舌とチロリと出していた。
(まぁ、確かに…こっちは一段落着いてるし、実際に私は補欠であること以外に抱えてる作業はないんだけどね…)
ただ、いつでも軽いノリでいる大和を真摯に相手するのは、なんだか癪に障るので、意地悪をしてみたのである。
そんな事情を知らぬ大和は、バツの悪い会話の流れを変えようと、残るもう1つの質問に答える。
「ところで、役目はどうしたのか、って質問だけどさ。
も・ち・ろ・ん! 完遂さっ!」
大和は態度を一変し、鼻を高くして胸を張って叩くと、足下を指差して言葉を続ける。
「前回の通信の時、相撲取ってた癌様獣のデカブツだけどさ、今はオレのケツの下に敷いてるよ!
他にも、デカブツを助けるためなのか、癌様獣がちょいちょい現れてたけどさ…みーんな、空間に張り付けてやったのさ!」
大和の言葉は、強がりでも見栄でもない。全く以ての真実である。
彼が操縦する巨大な人型機動兵器は、定義崩壊によってほぼ平坦になった大地の上で、癌様獣の巨大個体である『胎動』を完全に組み敷いている。『胎動』は大和の機動兵器の重量に伸し掛かれているほか、その身の半ばが地中にめり込んで身動きが取れない状況である。
『胎動』と大地の接地面を見ると、輪郭をなぞるように極細の輝線が見える。明滅する銀色のそれは、人工の亜空間が呈する色彩だ。つまり『胎動』は、大和が作り出した亜空間の落とし穴にはめ込まれた格好になっているのである。
そして、両者の周りには、大和の言の通り、『胎動』に比べてスケールの随分小さな――大体、地球人類の成人程度のサイズである――蟲型の癌様獣が30を超える数で姿を見せている。しかし、彼らも皆、『胎動』と同様に体の半ば以上を亜空間に呑み込まれおり、身動きが出来ない状態に陥っている。
なんだかんだとウダウダと文句を語る大和であるが、星撒部に籍を置いた上で、めげずに約1年を過ごしてきた身。その実力は確かなものである。
紫は大和の所業を目にしたワケではないが、彼の言を疑うことはしない。同じ星撒部として時間を共有してきた身同士ゆえ、どれほどの事なら成し遂げられるか、理解しているつもりである。
代わりに紫は両腕を組むと、普段の陰を含んだ笑みをニヤリと浮かべると、フッと鼻で笑って語る。
「それじゃ、一番暇人なのは、アンタなんじゃん。
一仕事終わったならさ、他の人のヘルプに行こうとか思わないワケ? 特に、ノーラとかさ。入部して日が浅いのに、今度は『バベル』なんて代物を任されてるンだから」
すると大和は、バツが悪そうに後頭部をポリポリ掻きながら答える。
「いやー、そうしたいのは山々なんだよね。ノーラちゃんが大変だってのはよく分かってるしさ、オレなら定義拡張でイェルグ先輩の強烈な天候に対抗出来る機体を作れるだろうしね。
でもねぇ…一見暇して見えるとは思うんだけど、実は今も、結構気を遣ってンだよ。
癌様獣の奴等って、多少なりとも空間操作能力を持ってるからさ。放っておくと、脱出されちゃうワケ。そうならないように、亜空間の構成をちょくちょく微調整してるワケだよ」
「そんな体の良いこと言ってさ、ただ単にこれ以上戦闘に関わりたくないだけでしょー?
ホントにやる気なら、癌様獣達をチャッチャと斃して、駆けつけることだって出来るでしょ?
あんたが怠けてる間にも、ノーラは勿論、ロイだって苦戦してるンだからさ…」
紫は語尾をゴニョゴニョと小さく語っていたが、大和の耳にははっきりと聞こえたようだ。
「紫ちゃん、まさか、ロイのことなんて心配してンの?」
「そ、そりゃあ、さ…。私たちの避難所の近くで、各勢力のトップクラスの実力者相手にしてるし…。負けられると、こっちが大変なことになるから…」
紫は顔に熱が帯びるのを感じながら、赤みが差したであろう顔を大和に見られないよう、俯いて答える。
すると大和は、紫の顔色については言及しなかったものの、プッ! と吹き出して語る。
「いやいや! ロイが負けるのを心配するとか、有り得ないって!
紫ちゃんだってよく分かってるはずじゃんか! あいつがどんな奴なのか!」
そして大和は、頭の後ろに手を組んで、鼻歌でも歌うような調子で言葉を継ぐ。
「"暴走君"の呼び名に恥じない、副部長にも匹敵する勝負バカ! 苦境になればなるほど燃えるタイプの、究極的命知らず!
それでいて、無茶を覆して勝ちをもぎ取る、無敗のバカ野郎!
そんな奴を心配したって、損するだけだって!
それならノーラちゃんか、慎重な割に意外と詰めの甘い蒼治先輩を心配した方が、千倍もマシだと思うよ!」
「…無敗じゃ、ないわよ」
大和の軽さとは真逆に、紫は苦々しく、重苦しく反論する。
「あいつ、前に言ってたもん…よくボコボコに負けてたって。
確かに、部活での仕事本番では今まで一度負けたことはないけどさ…訓練中だと、部長にはいつも負けてるし…。
賢竜なんて大層担がれてる人種でも、万能ってワケじゃないよ…」
普段の毒気がすっかりと消えて、しおらしくなった紫を見て、大和はきょとんとして表情を作ると2、3度パチクリと瞬きする。それから、ニヤッと笑うと、瞼を閉じて声高らかに語る。
「いやー、紫ちゃんにもそんな可愛らしい一面があるンスね~! そんなレアな紫ちゃんの想いをもらえるなんて、ロイの奴、妬けるッスね~!」
その物言いに、紫は一気に真紅に染め上げ、何事か叫ぼうと口をパクパクさせると。大和は瞼を開き、身を乗り出して、紫より早く発言する。
「確かに紫ちゃんの言う通り、あいつは万能じゃないさ。
でも、ここでむざむざボコボコにやられる姿ってのは、オレには想像できないね。
仲間を残して、独りだけ敗北に埋もれて甘んじるような、無責任な奴じゃないって、オレは知ってるからね。
紫ちゃんだって、知ってるでしょ?」
「そ、そりゃあ…うん…」
そう語った紫が、「でも」と言葉を継ごうとするのを、大和は先回りして言葉を挟む。
「だったら、紫が知ってる無責任なんかじゃないロイの奴を信じてやればいいじゃんか。
魔術が普及してるこの時代、精神は物理に影響を与えることを科学が保証してるんだ。祈りや願いだって、実質的な力に繋がるのさ。
紫ちゃんの信じる力が、ロイを助ける力になってくれるはずだって!」
そう語られてもなお、紫はしばらく反論のために頭を巡らせ、言葉を探していたが…。やがて観念し、フッと笑みを浮かべる。
「…大和、アンタって案外イイ男なんだね」
「そりゃ、勿論! 今頃気付くなんて、遅いなぁ!」
素直に照れ笑いを浮かべて、賑やかな笑みを浮かべて後頭部を掻く、大和。
そんな彼を見て安心したのだろうか、紫に普段の毒気が戻る。紫は浮かべた笑みに厭らしい陰を含ませると、今までの話題とは全く方向を異にする意地悪を口にする。
「ところでさー、アンタのそのコクピット、すんごいキモさねー!
機械工学の求道者だとか、数学的な美しさがどーのこーのと言っておきながら、なんなのそれ?
それとも、アンタの言うところの美しさって、そーゆーグロさに行き着くワケ?」
すると大和は、「な…っ!」と何事か叫ぼうとして絶句したかと思うと。バンッ! と――恐らくはナビットを置いているであろう、デスク型コンソールだろう――叩きながら、身を乗り出して3Dディスプレイに顔をドアップに近づけて言い訳する。
「こ、これは、不可抗力と現実主義の賜物なの!
『バベル』のヤツの定義崩壊で、オレの機体も大、大、大の大ダメージを受けてさぁ! 力押しするくらいしか出来なくなかったんだよ! だから、この巨大癌様獣と相撲取ることになってたワケ!
それじゃあサッパリ埒が明かないからさ! 急拵えで装備を調えたら、こうなっちゃったワケ!
そりゃあ、手間暇掛けられる時間さえあればさ、もっともっと美しいものが出来たさ! 理論は数学的に美しく、器具は幾何学的に美しく! それがオレのモットーであることには変わりないッスよ!
でも、何よりも成果が優先される時は、そんな事言ってられない事もあるでしょ!?」
すると紫は口元を押さえて、プププ、と笑って更に意地悪する。
「何だかんだ言って、結局アンタの実力はその程度ってワケよね。
本当の実力者なら、手間暇かけられないなんて見苦しい言い訳、死んでも口にしないでしょうしね」
「いやいやいやいや! 本当の実力者だろうがなんだろうが、出来ないものは出来ないって!
紫ちゃんは機械工学のことをよく知らないから、そんな事言えるんであってさー! どんな実力者でも、カミサマじゃないんだから、真の意味での完璧なんて実現できるワケが…」
あれこれと身振りを加えて言い繕う大和は、紫は相変わらず笑いながら眺めつつ、幾分も軽くなった心をロイを始めとする、未だ戦い続ける仲間達へと投げかける。
(私たち星撒部は、これまでどんな状況だって、漏れなく打開して来たんだもの!
今回だって、きっとやれる!
そうだよね、ロイ! イェルグ先輩! 蒼治先輩! そして…ノーラちゃん!)
紫の赤みがかったブラウンの瞳は、禍々しく成長を遂げる『天国』を挑戦的に睨みつけるのだった。
◆ ◆ ◆
「テンメェッ! ノミ屑の分際でヨォッ、しつこいにも程があるンだよッ!」
口角泡飛ばして独り叫ぶのは、口元だけが生身で残りの全身を機械化した"インダストリー"の操縦適応者、エンゲッターである。
イェルグの作り出した海王星の極寒嵐の地獄の環境の中、なんとか転移換装を完了した機体を鬼のように操り、サイズで遙かに下回るイェルグを滅多打ちに追い詰めようと躍起になっている。
エンゲッターの機体の特徴である長大な腕が金属の鞭となって濁った青の嵐を引き裂きながら、イェルグの体を執拗に捕らえ続ける。一撃一撃が生み出す激突の感触は、機体からのフィードバックによって把握している。しかし、決定打たる、骨身を抉る痛快な感触は全く得られない。
重金属装甲に覆われた両腕に響くのは、乾いた金属の感触ばかり――つまりは、イェルグが手にしたナイフの刀身の感触である。
しかも、ナイフの刀身がポキンと折れたような手応えは、全くない。硬化の魔化が施されていたにしても、数十度もの絶え間ない大質量攻撃に晒されて無事でいられるナイフなど、よほど異相世界中に名の知れた職人による逸品でも無い限り存在しない。――つまり、攻撃を捌き切っているのは、純然たるイェルグの技量によるものだ。
しかもイェルグは、攻撃を防御するだけに留まらない。ほんの数瞬の隙があれば、その間にナイフの斬撃を腕部の間接に確実に滑り込ませて来る。極寒の環境に適応するため発熱しているエンゲッター機の内部機関は、その熱ゆえに多少なりとも硬度が下がっている。万が一の可能性とは言え、ナイフによってスッパリと斬り捨てられてしまうことも考え得る。
「アリの顎で、象の骨が噛み砕かれちまうってのかぁッ!? ふざけんじゃねぇよッ!」
コクピットに怒声を響かせながら、その威勢を機体への暴力的なフィードバックに乗せ、イェルグを更に攻める、攻める、攻める。精度が若干下がりはしたものの攻撃は加速したが…それでもイェルグの骨身には、届かない。イラつくほどに、乾いたナイフの刀身の感触を覚えるばかりだ。
そして何よりエンゲッターを苛立たせるのは…イェルグの表情である。
その顔は、普段の彼に比べて幾分か凄みを含んではいるものの、和やかな雰囲気を醸して笑っていた。
「余裕だってンのか、ええッ!? これくらいの攻撃、幾らぶつけられても、そよ風程度だって言いてぇのかよッ!?
だがよ、だがよ、だがよ…! その余裕ブッこいた態度、もうすぐグッチャグチャに吹き飛ばしてやるぜ!」
独りごちた直後、エンゲッターは通信で繋がっているアルカインテール拠点の整備班に連絡を取り、噛みつくように尋ねる。
「"まだ"なのかッ!? オイッ、そんなにめんどくせぇ細工じゃねぇだろうがッ! ガキでも出来る工作だぞッ!
いつまで手間取ってンだよッ、オイッ!」
すると、エンゲッターの顔の右隣に小さく浮かび上がった3Dディスプレイ越しに、汚れた作業着を着込んだ整備責任者がボリボリと頭を掻きながら答える。
「あなたが思うほど、簡単な作業じゃないですよ。そっちの極端の環境下で正常に動作するかとか、あなたの機体自身に損害が出ないかとか、色々考慮することがありますから」
「ンなのテキトーで良いだろッ、テキトーでッ! テメェらプロなんだから、職人の勘ってヤツでなんとかしてみせろよッ!」
「そんな不確定要素に頼るなんて、我が社の理念に反しますよ。
それに、テキトーやってあなたに死なれでもしたら、責任取らされるのは私なんですからね。地獄に落ちたいなら、独りで落ちて下さいよ」
「それが現場で命削って戦ってるオレらに言うことかよッ!?」
整備責任者の飄々とした態度に、エンゲッターはこめかみに青筋でも浮き上げたいところだ。…ただし、大半が機械化した彼には無理な話であるが。
"インダストリー"の整備班の人間が飄々としているのは、今エンゲッターと会話している人物に限った話ではない。"インダストリー"は有機的な倫理観よりも、無機質な成果主義を尊ぶ。自社の同僚ですら、開発実験のための試料と割り切るような人物揃いである。
エンゲッターもそんな事情は、理性において十分承知済みではある。しかし、個人の性格として感情に走りやすいがために、無駄だと分かりながらがなり立てないと気が済まないのだ。
「あああぁぁぁっ! ちっくしょうッ! 御託は分かったからよぉッ! 全速力で"準備"を整えやがれッ!」
「言われなくとも」
整備責任者は極短く返答すると、サッサと通信を切ってしまう。成果のみに勝ちを見出す彼にとっては、この会話自体が無駄であると感じていたことであろう。
それはともかくとして。エンゲッターには、しぶとく凌ぐイェルグを完膚なまでに叩き伏せる――いや、"爆散"させるための一案がある。そのために、いけ好かない開発責任者とは今回のような確認を何度か続けてきたのだ。
そして、その策を見事に成し遂げるためには、イェルグを十分に引きつけておかねばならない。
その点を鑑みれば、イェルグが接近戦に律儀につき合ってくれるのは好都合と言える。このまま近い間合いを保ってくれるのならば――絶対に、逃げられない。
この拮抗状態を続けていれば、イェルグは自動的に悲惨な結末に陥ってくれる。…そう認識している一方で、エンゲッターは機械の体に似合わぬ不安を抱いて止まない。
(なんであいつ、落雷を使わなくなった…?)
超絶的な再生能力を有する癌様獣すら一瞬にして灰燼に帰す、イェルグの落雷。ナイフを突き立てるという行動をトリガーにして発動させているようだが、だとすれば何度もナイフを浴びせられているエンゲッター機は、何度落雷に見舞われても不思議ではない。
なのに、イェルグは接近戦を始めてからというもの、全く落雷を使わない。
(使う余裕がねぇんだと判断してぇところだが…あの薄ら笑い、気に入らねぇ…!)
もしかすると、余裕がないところを強気に笑って見せてエンゲッターの心を攻め、隙やミスを誘おうとしているのかも知れない。
それとも、純粋なる余裕を見せつけて、こちらを見下しているのかも知れない。
はたまたは、何らかの機を待っているのか。
電子化した頭脳の高速演算能力を以てしても答えは導けないが、ただただ分かることは、目の前の青年がどこまでもイラつく存在であるということだ。
(早く、早く、早く――消し飛ばしてぇッ!)
そんなエンゲッターの気持ちが通じたのだろうか。彼の頭の右隣に小さく3Dディスプレイが出現すると、見慣れた整備責任者の感情に乏しい顔が現れる。
何事か、とエンゲッターがまくし立てるより早く、整備責任者は手身近に用件を伝える。
「準備完了です。第一陣、いつでも転移可能です」
「おっしゃぁっ!」
エンゲッターは思わず金属製の拳を打ち合わせてガチンと鳴らすと、間髪入れずに続ける。
「すぐ転移換装始めろ!
第二陣は、オレが信号で合図する! そしたら、確認なんざ要らねぇから、ソッコーで転移換装しろ!」
「はい」
整備責任者が短く返事をする。
折しも、イェルグはエンゲッターの両腕をナイフの刀身で受け止め、そのまま滑るようにかいくぐり、機体の懐に飛び込んで来たところである。これが普段の戦闘ならば、エンゲッターは焦燥と苛立ちで舌打ちをしたことだろうが、今は違う。
ニンマリと、白い歯を見せて厭らしく笑う。
「残念ッ! 終わりだッ、ガキッ!」
エンゲッターは、装甲下に"罠の種"が転移されて仕込まれたことをフィードバックで確認すると、トリガーを引くイメージと共に起動信号を発信する。
転瞬、エンゲッター機が膨張。同時に、嵐の音を掻き消すような爆音が響き渡る。
…いや、"膨張"という表現は正しくない。正確には、エンゲッター機の装甲が一斉に爆発的に飛び出し、体積が膨張したように見えただけである。
飛び出した装甲はそのまま、砲撃もかくやという勢いで極寒の嵐の中を一直線に飛翔。その直ぐ後ろを追うように広がるのは…紅蓮の爆炎である。
エンゲッターが整備班に転移換装させたもの。その正体は、爆薬だ。氷点を遙かに下回る極寒の環境でも化学反応可能な起爆物質および着火機構を一式作らせたのだ。
この爆炎によって、イェルグの作り出した海王星の大気は直ちに紅蓮を帯びると、連鎖的に大爆発を起こす。海王星の大気の大半を構成する水素が、爆薬に含まれる酸素と反応し、強烈な爆鳴を引き起こしたのである。
鼓膜を聾する爆音と、網膜を焼き尽くすような閃光。その中にイェルグの小さな姿が一瞬に飲み込まれる様子をしっかりと確認したエンゲッターは、ゲラゲラと哄笑する。
「バァーカッ! バカバカバァァァカッ!
大気組成に水素が含まれてる時点で思い付くっつーの!
ここは巨大氷惑星じゃなくて、地球なんだよッ! 反応は止まらねぇぜ!
ド派手に自爆して、月まで吹っ飛んで死ね! いや、吹っ飛ぶ前に消し炭になっちまうか!? まぁいいや、とにかく死ねッ!」
ところで、水素はエンゲッター機の周囲に濃密に満ちていたのだから、爆発が起これば機体も衝撃と爆炎に晒されるはずだ。しかも、起爆時にエンゲッター機は装甲を投げ捨てており、今や内部機関が剥き出しになっている。自爆であるとイェルグを罵っているが、エンゲッターもまたその例外ではないのではないか?
その疑問に、否、と回答を与えるのは、エンゲッターの起爆機構に仕組まれた"安全装置"にある。起爆直後、機構はエンゲッター機の周囲に高圧の不燃性ガスを展開し、爆炎とその衝撃を相殺しているのだ。これで彼は自爆の憂き目から逃れられるという寸法だ。
とは言え、いつまでも内部機関を剥き出しのままに甘んじるのは危険である。そこでエンゲッターは、信号を発して整備班に第二陣の転移換装を行うように指示する。
エンゲッター機の周囲に、空間転移反応が発生する。そしてパーツ単位に分解された新たな装甲と武装が、虹色に輝く転移ゲートを潜ってエンゲッター機へと吸い込まれながら、次々と形状を組み上げてゆく。その作業の速度は非常に高速で、2分もすればエンゲッター機は新品同様の外観に生まれ変わることだろう。
――まるで、仕立て卸したばかりのスーツを清々しい早朝に纏うような気分だ! エンゲッターは機械化する前の記憶を掘り起こしながら、今の自身を楽しませる快感をそのように形容した。
…しかし、エンゲッターの快感は、一瞬にして驚愕へと取って変わる。
ニヤケた口元が脱力し、ポカンと呆けた半開きへと変わる。
「…冗談だろ…」
絞り出すように掠れた声を上げる、エンゲッター。彼の完全機械化された視覚が機体のセンサーを通して捕らえたのは…轟々たる爆炎の中から飛び出してくる、1人の男。
イェルグ・ディープアーである。
(何で、焼け死なねぇッ!? 水素はあいつの体から出てただろうがッ! なんで、爆散しねぇッ!?)
瞼があればパチパチと瞬きを繰り返したくなる衝動に駆られながら、ちっとも焦げの見当たらぬイェルグの身体に見入る。
その時、エンゲッターは気付く。イェルグの身から出て、彼自身を纏う大気が、もはや海王星のそれではない事を。同じく青色を呈してはいるが、うっすらと透き通った静かなもので、嵐どころか完全なる凪のように見える。その大気が爆炎を掻き分け、イェルグを守っているのだ。
エンゲッターの視覚には、大気組成の分析結果が速やかに表示される。その実に9割を構成するのは、不燃性機体である窒素。その温度は、海王星よりも更に低い、40ケルビン程度。
その大気組成を持つ環境は、旧時代のさらに古き時節、太陽系最遠の惑星と扱われていた天体のものである。
その天体とは――冥王星、だ。
「この、ゴキブリ野郎がぁぁぁッ!」
水素の爆鳴をも乗り越えた憎き相手を前に、エンゲッターは顎が外れるほど大口を開き、叫ぶ。
同時に、中途半端に装甲を纏った両腕を動かし、イェルグの身体を叩き落とす事を試みる。転移換装中に激しい動作を行うことは、作業を失敗に追い込む愚行である。しかし、機体を大破させられ敗北するよりも、断然にマシだ。
装甲が剥がれている分、間接を担う機関の見事な動作を露見させながら、両腕は上下から挟み込むようにイェルグに肉薄する。
対するイェルグは、まずは逆手に持ったナイフの刀身で上から振り下ろされた腕を受け止める。直後、下から持ち上がってきた腕に両足をトンと乗せると、腕が延びる方向へ沿うように蹴り出す。ナイフが腕の表面をカリカリと音を立てつつ這い、それに導かれるようにしてイェルグが更にエンゲッター機の胸部へ接近する。
「だからッ! 生身の分際で、機動兵器とガチンコ勝負すんじゃねぇよ、クソガキィッ!」
巧みに過ぎるイェルグの戦いぶりに、エンゲッターは声帯を痛めんばかりの絶叫を上げる。
一方でエンゲッターは、電子化された頭脳で、イェルグの行動を阻止する策を捻出するべく奮闘する。転移換装が終わりきっていない今、十分な武装は備わっていない。それでも何かないかと自機を走査しまくると、丁度イェルグの真正面に当たる位置に、実弾兵器である重機銃が備え付けられている事を把握する。
この武器は、装備としては完全ではない。魔化を施すための機関が一式不足している。しかし、弾丸を発射するだけならば、十分にその機能を果たせる状態だ。
――こいつだ! エンゲッターは即座に制御信号をこの重機銃に送り込み、起動させる。照準は大体で良い、標的は自分からこちらに飛び込んで来ている。そして射出される弾丸は、成人でも一抱えするような巨大なものだ。撃てば、よほどの奇跡がない限り、絶対に命中する。
「死ねやッ!」
短い怒号と共に、エンゲッターは弾丸を発射。射出された凶器の鋼鉄は、疾風の速度で迫り来るイェルグの胸のド真ん中へと吸い込まれ――。
貫く。
弾丸の螺旋運動によってイェルグの制服は暴力的にねじ曲がり、引き裂かれ、無惨な布屑となって宙に吹き散らされる。その様たるや、満開の桜が暴風によって花びらを浚われるが如し、だ。
直撃を確認したエンゲッターは、怒号を吐き出した大口をそのままに、してやったりと勝利の哄笑を上げる――はずであった。
しかし、彼の咽喉からは、笑い声どころか掠れ声すら出てこなかった。
代わりに大口が、顎が外れそうなほどに更に大きく開く。同時に、胸中に広がるのは、電撃的な驚愕。
(なんだよ…そりゃ!?)
機体のセンサー越しにエンゲッターが認識した視界の中で。胸に痛々しい大穴を開かれたイェルグは、着弾の衝撃で吹き飛ぶことがなかった。それどころか、まるで煙か幽霊であるとでも言わんばかりに、ポッカリと穴を残す以外は微動だにせず、何事もなかったかのようにエンゲッターへ接近を続ける。
凄惨に飛び散るはずの肉片は、砂粒程度すら見受けられない。
代わりに、エンゲッターはイェルグの身体に未曾有の構造を見出す。
胸に開いた大穴。そして、弾丸によって巻き散らされた制服と、顔面の半分を初めとした体部を包帯のように覆う民族衣装的な布がはだけた向こう側。そこにあるのは――空虚ながらも澄み渡った、青一色である。
それは、地球上で快晴を謳歌している時に、天上を仰いだ時に目に映る色そのものだ。
つまりは――イェルグの体には、"空"そのものが人の輪郭に沿ってはめ込まれているのだ。
そして弾丸は、イェルグの胸に位置する青空を虚しく貫いただけなのだ。
"空の男"を自称する青年、イェルグ・ディープアー。
その呼称は、単に彼の趣向を表しただけではない。彼自身の体構造を正しく表現した言葉でもあったのだ。
(どういう生き物なんだよ、こいつ…!? こんな構造した人種、オレは聞いたことねぇぞ!?)
狼狽を隠せぬ、エンゲッター。その表情がまるで見えているかのように、顔半分を青空で埋めたイェルグが、大きくニッコリと笑う。
直後、イェルグが五指を広げた右手を真っ直ぐにエンゲッター機に向ける。その右腕も、人の形をした輪郭に縁取られた青一色の快晴空である。
その空模様が、転瞬、澄んだ水に絵の具をドバリとブチ込んだように、濁った黄色の雲に閉ざされてゆく。それは右腕だけでなく、胸の穴、そして顔半分を占める空にも広がってゆく。
雲は、イェルグの体中の空に広がり切ると、その程度の体積ではまだ足りぬとばかりに、勢いよく右掌から奔流となって放出される。
イェルグの天候を操る能力の要は、彼自身の体に埋め込まれた空だ。
その空こそが、彼に世界中のあらゆる気象を運んでくれる。
そして今、イェルグの空を満たした気象は、やはり地球外の天候である。
太陽系中で最高の気温を持ち、その温度は約800ケルビンと水の沸点を遙かに超える。地球上の90倍という莫大な気圧を持ち、大気の主成分を温室効果によって高熱を孕んだ二酸化炭素を占める。そして濁った黄色を呈する分厚い雲は、腐食性の高い二酸化硫黄で構成されている。
硫酸の雨が降りしきる、灼熱地獄の惑星――金星の天候である。
怒ッ!
莫大な気圧が地球の大気中で爆発的に膨張した爆音を轟かせながら、灼熱地獄の奔流がエンゲッター機を一瞬にして包み込む。
装甲が不完全なエンゲッター機は濃密な二酸化硫黄の雲に晒されると、見る見るうちに内部機関がボロボロと腐食し、暴風に煽られてボキンと折れては吹き飛ばされてゆく。
大破し、機能不全に陥りゆく、エンゲッター機。そのフィードバックを一身に受けるエンゲッターは、ガクガクと痙攣しながら生身の口元から血の混じった唾液の泡を吹き出しつつ、言葉にならない絶叫を上げる。
激痛のノイズまみれの思考の中、エンゲッターは消え入りそうな理性をなんとか振り絞り、機体との神経ネットワーク接続を遮断した。これによって脳活動による機体の操縦は出来なくなってしまうが、損傷のフィードバックによる激痛の豪雨から逃れられる。危うくショック死するところであった。
「チクショウッ! チクショウッ!
やられたのかよッ! ゾウがアリ風情に、やれたってのかよッ!」
口元に残る唾液の泡をそのままに、エンゲッターはコクピットで地団駄を踏んで悔しがる。そんな彼の心中を更に煽るように、コクピットの全周囲を囲むディスプレイはぶつかり続ける雲の嵐を捕らえ続け――やがて、ノイズにまみれたかと思うと、プッツリと映像が途絶える。
そして、コクピットは漆黒の闇に閉ざされる。機体の送電系統もやられたらしく、コクピット内は照明すら作動しない。
エンゲッターは直ぐに視覚を赤外線視モードに切り替えながら、整備班に信号で通信。コクピット内に人用の銃器と、耐極限環境用の防御装備一式を要求する。そんなものを何に使うのか、と言う旨の信号が整備班から帰ってくるが、
「早くしろッ!」
自らも叫びながら、整備班に信号で返答すると。目前に護身用の小型低反動機銃と、結界を発生させるベルト状の装置が転送された。
これらをいそいそと身に纏ったエンゲッターは、黒と緑の二種類で配色された暗闇の世界を素早く歩き、コクピットのハッチまでたどり着く。
外に出て、イェルグに一矢報いる構えなのだ。
冷静に考えれば、機動兵器を使わぬ交戦などエンゲッターにとって圧倒的に不利なだけだ。彼の全身は機械化されているとは言え、機動兵器の操縦用に特化されているのであり、白兵戦は考慮されていない。対してイェルグは、生身でも機動兵器と渡り合うほどの戦闘能力を持つ。
それでも、自機を沈黙させられて激情に荒れ狂うエンゲッターは、理性などかなぐり捨てて、復讐の怨恨に突き動かされるままに行動するばかりである。
慣れない手動でのハッチ開放を舌打ちしながら行い、格闘すること約2分程度。ガタン、という無機質な音と立てながらハッチが全開になると、エンゲッターは結界を発動させ、拙いフォームで機銃を構えながら外に飛び出す。
「オラァッ! どこに居やがるッ、クソガキッ!」
叫びながら視界を激しく巡らせ、索敵する。
機体の外の様子は、既に穏やかな凪に包まれている。金星の灼熱地獄も、海王星の極寒地獄も、そこにはない。済んだ大気は視界を阻むことなく、イェルグの所作によって更に破壊の進んだ街の残骸をクリアに映し出す。空は疎らな白雲と、禍々しく成長した『天国』が浮かんだ深い蒼穹が広がるだけだ。
そんな光景の中でも、イェルグの姿をなかなか見つけられないのは、彼が隠れているからか。それとも、エンゲッターの吹っ飛んだ理性が眼を曇らせているのか。
「何処だッてンだよッ、クソガキャァッ!」
もう一度叫び、胸中でますます膨らむ激情を解放するように機銃を一発、ぶっ放した――その直後。
「ここだよ」
和やかな若々しい男の声は、エンゲッターのほぼ真後ろから聞こえた。慌てて振り向くエンゲッターだが…その動作が突如、ピタリと止まる。
(な、なんだっ!?)
疑問を口にしようとするが、口までもまともに動かない。必死に動かそうとおするとプルプル震えてはくれるものの、それ以上の動きは全く起こらない。
――またも異様な天候操作による影響か!? その可能性が頭を過ぎると、エンゲッターの激情は冷たい不安へと転落する。ようやく以て、体一つで外に飛び出したことへの危機感が鎌首をもたげたのだ。
「またお天気の操作と思ってるようだが、違うぜ。
あんたの影を縫い付けさせてもらっただけだ」
エンゲッターの胸中の疑問に答えながらスタスタとした足取りで現れたのは、イェルグである。間近にして見ると、彼の体を蝕む青空の異様さがますます際立つ。
――ところで、"影を縫い付けた"と言っていたが、これは『影縫い』と呼ばれる有名な魔術の一つで、その名の通り、影を固定させることで影の発生元の動きを縛るというものだ。行動の動機を影に転化するという一種の定義変換を行うため、名の通りに反して高度な技術である。
イェルグの言葉の通り、エンゲッターから延びる影の丁度頸に当たる部分に、ナイフがスッパリと突き刺さっている。
「それにしてもアンタ」
イェルグはエンゲッターの真正面で立ち止まると、鼻で笑いながら首を傾げて肩を竦める。
「体をそんなに機械化してる割には、脳だの中枢神経の管理機関は生身の時と同じ所に配置してるんだな。
試しに頸椎を縫ってみたンだけどさ、まんまと全身麻痺になってくれたもんだ」
「…ど………す…!」
エンゲッターが気力を振り絞り、咽喉の奥から言葉を絞り出す。"オレをどうするつもりだ"を尋ねるつもりであったのだが、口の麻痺の所為でうまく発声できない。
しかしイェルグはエンゲッターの意志を汲み取ると、屈託ない笑みを浮かべる。
「大丈夫。取って食いやしねーし、処刑だのもしねーよ。
この事件が解決するまで、そのまま静かに待っててもらうだけさ。
オレは殺し屋でも兵士でもない。希望を振り撒く星撒部の部員だからな」
その台詞に、エンゲッターは生身の口を吊り上げ――少なくとも、そうしたいと努力した――また何事か言い掛ける。
「おま………よ………た……」
「"お前、よくもそんなことが言えるもんだな"ってところか?」
イェルグが聞き直すが、エンゲッターは肯定したくとも首を縦に振ることすらできない。
「だとすりゃ、あー、そっか、癌様獣達のことを言ってンのか。
あいつらを粉々にブッ壊しておいて、今度は良い子ちゃんぶってンじゃねーよ、ってな。
大丈夫、オレは1人も、いや、1匹も殺してやしねーよ」
イェルグは手をヒラヒラさせながら語る。
エンゲッターは"何ふざけたことヌかしてンだよ!"と反論したくてたまらぬ衝動を覚えるが、麻痺した体は動いてくれない。しかしながら、イェルグはまたもその意志を汲み取ったようで、早々と答えを返す。
「ビジネス柄、癌様獣とは接点が多いって聞く"インダストリー"だけど、ビジネス敵の生態にゃ興味ないのかね?
あいつらの本体、つまり魂魄は、本拠である巣窟のクラウドサーバーと常にリンクしていてね。肉体が破壊されても、魂魄だけは巣窟に待避することが出来るって寸法さ。
超再生能力の他、そんな延命システムを持ってるもんだから、"不死身"なんて呼ばれることもあるくらいさ。
…まぁ、尤も」
そこでイェルグは笑みに凄絶な険を宿して、言い切る。
「殺す方法がないワケじゃない。
オレだって、殺す気ならそれなりの方法を採っていたさ」
そんなイェルグの剣呑な姿を見たエンゲッターは、苦笑の一つも浮かべたい気分になる。――お前、殺し屋でも兵士でもないなんて台詞、よく吐けたモンだな――と。
今回ばかりはイェルグはエンゲッターの意志を汲み取らず、すぐに笑みを普段の穏やかなものに戻し、独り言葉を続ける。
「何はともあれ、オレの仕事はこれで終わりさ。
アンタが水素爆鳴を起こしてくれたお陰で、最後まで踏ん張ってた癌様獣の皆さんも一匹残らず吹っ飛んでくれたしな。
男と2人きりになる趣味はないが、この際は仕方ない。ノーラが『バベル』をブッ倒すところを、アンタと一緒に見物と洒落込みますかね」
イェルグは踵を返して、視線を投じる。
大群を相手にしたひっきりなしの戦闘行為の挙げ句、ノーラと分かれた地点からは随分と離れてしまったようだ。『バベル』の巨体が親指程度の大きさにしか見えない。勿論、ノーラの姿は視認できない。この距離で彼女らの戦闘状況の詳細を把握するためには、紫のように魔力の余波から解析するしかないだろう。
しかしイェルグは、特に検知行為を行わず、微妙な格好のまま固まるエンゲッターの直ぐそばにどっかと腰を下ろし、ぼんやりと『バベル』の巨体を眺めるばかりだ。
『バベル』が斃れたなら、相当の魔法現象が発生するはず。それが起こる瞬間を見届ければいい。
そんな事を思うイェルグの胸中には、ノーラの敗北など考慮に入っていない。
(なぁ、ノーラ。
お前になら、出来るよな。
…見せてもらうぜ)
そしてイェルグは、瓦解した街を走る微風に長い黒髪をたなびかせながら、ノーラの勝利の瞬間を待つ。




