表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/38

War In The Dance Floor - Part 4

 ◆ ◆ ◆

 

 星撒部の援軍の登場により、地上の乱戦の様相がますます混沌の色を深めてゆく最中…。

 アルカインテールの地下における、避難民達の逃亡劇もまた、苛烈な様相を呈していた。

 倉縞蘇芳が指揮する避難民の一団と、"パープルコート"の魔術部隊が生成した水霊との軋轢は、"ホール"内部から地上へ向かうトンネルの中へと舞台を移していた。

 人工の太陽光のライトが点る閉鎖空間の中、装甲車を始めとした車列は全速力で地上への上り坂を驀進している。そのすぐ後ろでは、車列の尻を追い立てるように、トンネルの天井一杯まで至るような体積の水霊の群が、津波のように押し寄せている。

 最後尾の車両の上には、ロイとレナを主力とし、市軍警察官達が遠巻きに援護を行う防衛線が築かれている。と行っても、市軍警察官達はロイ達の激しい動きに対して誤射してしまうことを恐れて、手にした機銃をなかなか発砲できないでいる。故に、防衛線を実質的に死守しているのは、前線で激闘を繰り広げるたったの2人である、と行っても過言ではない。

 「ホンット、しつこい水どもだなぁっ!」

 ロイは津波の中から飛び出してきた騎士型の水霊に対して転身、尻尾で叩き飛ばすと、そのままクルリと正面を向き直って氷と風の混じりあった竜息吹(ドラゴン・ブレス)を吐き出す。極寒の地の冬に吹き荒れる吹雪のような、光すら飲み込むようなブリザードが水霊たちの下部を凍り付かせる。

 しかし、水霊の後続は凍り付いた部分を即座に乗り越えて溢れると、何事もなかったように車列の真後ろに迫ってくる。

 そこで、レナが無反動砲を担いで飛び出すと、即座に屈んで発射。狙いはロクに定めていないが、この閉鎖空間で近距離では、どこに向けてぶっ放そうが当たる。

 ズンッ! トンネルを揺るがすような爆音と共に、無反動砲から飛び出した氷霊をたっぷり含んだ弾頭が暴れ回り、水霊による津波の土手っ腹に放射状の氷結を作り出す。しかし、水霊の動きはロイの攻撃を受けた時と同様だ。氷を砕くより早く、氷結の及ばぬ隙間からゴボゴボと一気に流れ込むと、やはり何事もなかったように追い立ててくるのだ。

 「チックショウ、全然キリがねぇじゃん!」

 レナが舌打ちして喚きながら、間近に迫った獣型の水霊を砲身でブッ叩く。砲身には対暫定精霊(スペクター)用の物理系魔化(エンチャント)が施されており、純然たる液体の性質を持つ水霊も堅くなった餅のようにベシャンと潰れながら吹っ飛ぶ。

 「なぁ、『暴走君』よっ!」

 レナがチラリとロイに視線を走らせて叫ぶ。

 「ああ!? なんだ…よっ!」

 ロイはなだれ込んできた騎士型や獣型の数匹の水霊を、竜の鉤爪が生えた脚の斬撃で斬り飛ばしながら、大声で聞き返す。

 「この戦い、不毛過ぎだと思わねーか!? 術者…いや、術者"ども"だな! 奴らをハッ倒さねーと、いつまで立ってもキリなんてねーよな!?」

 言葉尻と同時に無反動砲をぶっ放し、再び水霊を氷結させるものの、やはり水霊は隙間をついて一気に押し寄せてくる。

 そこに合わせてロイが竜息吹(ドラゴン・ブレス)によって極寒のブリザードを吐き出し、水霊達を横倒しになった極太の氷柱(つらら)のような形で凍結させることに成功する。水霊の前進が一時的に止まり、2人は「ふぅ」と一息を吐くものの、座り込むような真似は絶対にしない。水霊がすぐに凍結を解除して追いすがってくることを知っているからだ。

 現に、固まった水霊はブルブルと激しく揺れ動き、凍結した表面に亀裂を走らせている。長く()って十数秒、その後はまたも何事もなかったように津波となって押し寄せてくるだろう。

 しかし、前線を支えて動き続けている2人には、貴重な休憩の機会だ。ゆっくりと深呼吸して息を整えながら、会話を続ける。

 「まぁ、それが正論だってのはよくわかるンだけどよ」

 ロイが先のレナの質問に答える。

 「術者(ヤツら)をぶん殴るにしても、此処(トンネル)の外に出ねーと手の打ちようがねーよ」

 そう言ってから、ロイは視線を宙に泳がせながら「あ、そういやぁ」と言葉を続ける。

 「蒼治やノーラなら、暫定精霊(スペクター)の魔力供給を逆進して、呪詛返し出来るかも知れねーな。

 なぁ、レナ、あんたも魔術得意じゃねーか? そういうこと、出来ないのか?」

 レナはまたも年下のロイに呼び捨てされたことに眉を曇らせながらも、その突っ込みを入れる余裕はないので、質問にだけ答える。

 「出来るなら、とっととやってるっての。

 それに、この水霊は複数の術者によるものだからさ、魔力供給を逆進しようにも、こんがらがってどうしようもねーって。

 蒼治ならどうか分かんねーけど、ノーラって一年女子には無理だろ」

 そしてレナは、「それはそうとよ」と話題を変える。

 「水霊達(あいつら)の動き、なんか妙だと思わねぇか?

 "パープルコート"の奴らは、あたしらが地球圏治安監視集団(エグリゴリ)本隊に駆け込まれるのを嫌がってるんだろ? それなら、ここであたしらを一気に仕留めて口封じをすりゃ良いはずだ。

 こっちの戦力は、はっきし言って、[[rrb:芳>かんば]]しくない。市軍警察官どもの練度は低くて、あたしらじゃとてもじゃないがカバーしきれねぇ。相手(パープルコート)がその気を出しゃあ、すぐに捻り潰せるだろうぜ」

 「そんな事、オレが絶対にさせねぇけどなっ!」

 バシンッ! と拳と手のひらを打ち合わせ、ロイが牙をギリリと噛みしめながら即座に反論する。が、レナはすぐにパタパタと手を振って、"そういう事を言いたいんじゃない"と意志表示する。

 「まぁ聞けって、暴走君よ。

 あたしが何を妙だと思ってるかと言えば、相手(パープルコート)が仕留めに掛からずに、あたしらを地上に追い立ててるような動きを見せてることだ。

 あたしらが地上に出て、てんで散り散りバラバラに逃げたら、捕まえようったって簡単にはいかなくなるだろ? そしたら立場が悪くなるのは、"パープルコート"の方じゃねーか?」

 と、同意を求める言葉を口にしたレナだが、すぐに発言を撤回するように口を(つぐ)むと、両手を肩の高さに上げてヤレヤレと首を左右に振る。と言うのは、同意を求めるロイが、理解が追いつかないようにポカンとした表情を見せているからだ。

 「ゴメンな、暴走君。そういやおまえ、見るからに脳筋だもんな。物事の裏を考察するより、とにかく殴ってブッ倒すことしか考えてねーよな」

 毒舌の紫に劣らぬ言い方をしたレナであるが。ロイは頭にカチンとすることなく、平然と聞き流した…だけでなく、飄々(ひょうひょう)とこんな事を言ってみせる。

 「やっこさんたち、オレ達の排除よりも『バベル』って奴の起動を重視してンだろ?

 オレ達も地上の戦場に引きずり出して、エントロピーを上げたいって魂胆なんじゃねーの?」

 この発言に、レナはパチクリと何度か瞬きをしてみせる。

 "暴走君"として有名なロイの口から、知的な正論が飛び出すなどと、レナは予想だにして居なかったのだ。

 「…おまえ、ちゃんと物事を理論的に考えられるんだな…。

 てっきり、行き当たりばったりを力業で押し通ってるモンだと思ったぜ」

 その台詞にロイは、ちょっとムクれながら苦笑いを浮かべる。

 「オレだってユーテリアで勉強してる身だっての。

 確かに座学って奴は退屈だし苦手だけどよ、それでも筆記試験で赤点取ったことはねーンだよ、オレは」

 「へぇ…そりゃ素直に感心したぜ。

 おまえ、どー考えても体で成績稼いでるタイプ――」

 そう語ってる最中、ヒュッ! と鋭い風切り音が会話に割り込んで来る。レナはその音に反応できず、胸中で何の音かと疑問符を浮かべることしかできなかった。

 しかしロイは銃撃もかくやと云うほどの速度で握りしめた拳を放ち、レナの眼前に烈風を起こす。レナがギョッとするより早く、バシャンッ! と盛大な破裂音。同時に、レナの顔に冷たい飛沫が降りかかってくる。

 飛沫の正体は――水だ。

 そして風切り音の正体は、水が弾丸のように打ち出された音だったのだ。

 それをロイは会話しながらも機敏に察知し、拳を竜鱗で固めた上で水の弾丸を叩き壊してみせたのだ。

 「お…おわぁ…」

 ようやく声を絞り出し、現実を確かめるように何度も瞬きする、レナ。そんな彼女に対して早々と(きびす)を返したロイは、レナの前で身構えては手足を烈風のように振るい、バシャンバシャンと水の爆ぜる音を発生させながら語る。

 「お(しゃべ)りはいいけどよ、今は戦闘中ってこと、忘れンなよ。

 いつでも神経研ぎ澄ませておかなねーと、冗談じゃなく、命を無くしちまうぜ?」

 水の弾丸を次々と破壊するロイの背越しに見ると、凍り付いていた水霊に幾つもの亀裂が盛大に走り、その合間から消防自動車の放水を思わせるような激しい水流が吹き出ている。この水流が小さな槍のような形状となって、こちらに飛来してくるのだ。

 この有様を暫く呆然と眺めていたレナであるが、視線の先で凍結した水霊の彫刻がいよいよバキバキと砕け、小さな激流が溢れ出て来るところを目にした瞬間、電撃的に体が動く。無反動方を構え、再び氷霊と風霊をミックスした術式砲弾を形成すると、ズドンッ! という轟音と共に撃ち放つ。

 流れ出たばかりの激流と激突した術式砲弾は、早速激流を凍結させたが…。氷の塊は即座にブルブルと大きく震えて、今にも砕けそうになる。大した時間稼ぎにはなりそうもない。

 「チックショウ! つまり、暴走君が言うことが正しけりゃ! あたしらはこのままうまく進んでも、ヤバヤバな戦場の真っ只中に放り込まれちまうってワケかよ!」

 その悲鳴にダメ押しをするかのように、氷結した水霊が一気に瓦解。津波のような有様で車列へ即座に追いすがって来る。

 「無駄口叩いてる暇あるなら、とにかく水霊(あいつら)を吹っ飛ばせ!

 "パープルコート"どもはオレ達を地上に引きずり出したがってるみてーだが、全員無事に出してくれるとは限らねーからな! 何人か殺して発破をかけてやろう、なんて思ってるかも知れねー!」

 「分かった、分かった! 何はともあれ、ここを切り抜けねーとどうしようもねーよな!」

 ――この後、ロイとレナの2人はロクに会話も交わさず…かと言っててんでバラバラに動くでなく、むしろ更に連携を取り合って、水霊の猛攻を凌いでゆく。

 

 一方。車列の先頭でも、現状について疑問を抱いている者がいる。先頭車両の上に立って前方の確認および誘導の指示を出している、紫である。

 運転手の動揺が手に取るように分かるようなグラグラとした横揺れに苛まれる他、通信機のスピーカーからひっきりなしに聞こえる運転手の恨み言や祈りの言葉にウンザリしながらも、彼女は冷静さを保って現状を分析していた。

 (私たち…完全に誘導されてるわね…)

 そのように考える根拠を紫は、最後尾に居るロイ達以上に、確信として実感している。

 その理由は、主に2つ。

 1つは、分岐路についてだ。アルカインテールの地上部と地下の"ホール"をつなぐトンネルには、幾つもの分岐がある。この分岐地点に差し掛かると必ず、一方のみの通路を残して、全ての通路が幾重もの岩盤の壁によって閉鎖されてしまうのだ。上下左右からせり上がる直方体の形をした岩盤が重なりあって形成された行き止まりは、おそらく数メートル単位の厚みを持っているだろう。時間を掛ければ穴が開けられないワケではなさそうだが、全速力で走る車をスムーズに通過させることは不可能だ。むしろ、行き止まりに激突して惨事を招くことになるだろう。

 そこで、塞がれていない唯一の経路を選択する以外に道はなくなるのだが、ここに第2の根拠の理由がある。唯一口を開いている経路の路上には必ず、小川のような水流がチョロチョロと一直線に走っているのだ。

 この水流は、形而上相から視認せずとも、はっきりと異様が認められる。トンネル内の照明の反射とは明らかに異なる、青白い魔力励起光が見て取れるのだ。そして実際に形而上相から視認を行うと、高密度の術式で満たされていることが分かる。

 (私たちを襲撃している暫定精霊(スペクター)の、発生源ね)

 その結論はトンネル内部に入った瞬間から、紫の胸中に刻まれている。

 同時に紫は、疑問符を頭に浮かべている。

 (もしも私たちを倒すつもりなら、車列をトンネル内に誘導した時点で、車の真下を流れるこの水でスパイクみたいなトラップを作って、行き足を止めるはず。

 なのに、ひたすら暫定精霊(スペクター)を操って、煽るだけ煽りまくってる。

 つまり、私たちを地上に出したがってる)

 その思考まで辿りついた紫は、ロイと同様の答えを導き出す。

 (私たちも戦場に引きずり出して、『バベル』ってヤツの(エントロピー)に荷担させるつもりか…!

 …でも、地上に出た私たちが一気に散り散りになったら、"パープルコート"は分が悪くなるはず。

 それでも敢えて地上に誘導してるってことは…地上には、私たちを確実に逃がさないための罠を張ってるってことか…!

 一体、どんな手を使ってくるつもり…?)

 紫が頭を捻って考えていると、スピーカーから運転手の「今度はどっちに行けば良いんだよーっ!」という情けない叫び声が響いてくる。まるで思考を頭に張り付けるように、皺を寄せた眉間に親指をグリグリと押しつけた紫は、運転手から見えやしないのに腕を大きく右に振って喚く。

 「右よ、右! 左は塞がって来てるじゃん、見て分かんないの!?」

 今、紫たちはちょうど分岐地点に差し掛かるところであった。前方の左側の道は、紫が言う通り、岩盤の壁がメキメキと上下左右から幾つも飛び出して、道を塞いでしまっている。どう考えても右にハンドルを切るしかないのだが、運転手のパニックは正常な思考を完全に奪うほど酷いようだ。

 「…ホントにアンタ、職業軍人なの!? いい加減覚悟決めてさ、学生なんかに指図されてる身を恥ずかしいと思わないワケ!?」

 もう何度も口にしている悪態であるが、運転手は「こんな経験ないんだよっ! パニクっても仕方ないだろ!」とお決まりの言い訳をするだけだ。こんなやり取りするのは精神健康を害するばかりで虚しいばかりだと理解しているが、グッと(こら)えられるほどに紫は大人びてはいなかった。

 (…どんな罠が待ってても良いや、とりあえず外に出れば閉塞感が消える分、少しはマシになるわよね…)

 そう考え直した後、車列が驀進を続けること十数分。分岐路を一つ経た後に、前方にトンネル照明とは異なる色彩豊かな光が見て取れる。

 ――トンネルの出口だ!

 (鬼が出るか、蛇が出るか!)

 両手に握った魔装(イクウィップメント)の大剣を柄をギュッと握り直すと、ヒィヒィと泣きじゃくる声を上げている運転手を怒鳴りつけながら励ます。

 「ホラッ、前見て! もうちょっとで外だから! アクセル全開にして、一気に突き抜けるわよ!」

 運転手からは何の返答もなく、装甲車も速度が上がった様子はない。おそらく既にアクセルを一杯一杯に踏んでいるのだろう。紫はそんな事は見越してはいたが、今にも(くじ)けそうな運転手をどうしても鼓舞せずには居られなかったのだ。

 

 出口の光はだんだんと大きくなり、やがて灰色の瓦解した建造物や、その合間に見える青空などが見えてくる。不気味な魔力励起光に輝く水流は相変わらず路上を流れているものの、何の妨害もなく、すんなりと出口が近づいてゆく。

 最後の最後で岩盤の壁に阻まれるかとも覚悟していた紫であったが…その心配は杞憂に終わり、ついに車列の先頭は都市(アルカインテール)の地上部に飛び出す。

 

 アクセル全開の勢いに乗り、紫を乗せた装甲車はトンネルを出たと同時にビョンと宙に飛び出した。

 疾走感と浮遊感を同時に得る中で、都市(アルカインテール)を取り巻く結界越しの自然光に満ちる世界を五感で目一杯享受する。空間歪曲によってひしゃげたレンズのような有様になりながらも、深く吸い込まれそうな蒼穹を呈する快晴の空。そのど真ん中に、上から下へ向かってそびえ立つ無機質な細長い直方体が数個集まって構築された、小さな天国。その下に広々と広がるのは、爽やかな天空とは打って変わった瓦解した建築物群。そして、その合間から垣間見える、彩り豊かながら禍々しい術式ビーム砲や爆炎などの交戦の要素たち。

 (うっわ、ホントに派手にやらかしてるんだなぁ…!

 蒼治先輩もノーラちゃんも、そしてイェルグ先輩たちも、この中で必死に戦ってるんだろうなぁ…!)

 そんな思考を胸中に過ぎらせていた、束の間のこと。ふいに浮遊感は激しい震動へと取って変わる。装甲車が着地したのだ。

 運転手はアクセルを踏みっぱなしなので、着地後は多少のバウンドしながらも、即座に一直線に前進する。

 「おい、ここからどっちへ向かえばいいんだ!?」

 そんな運転手の叫びがスピーカー越しに耳をつんざくが、紫は自らを包む開放的な光景に暫し見とれてしまっていた。

 紫が無反応に間にも、後続の車両が次々とトンネルから飛び出し、ドスン! バウン! と着地音を響かせてから、キュルキュル! とタイヤを急回転させて紫達のすぐ後ろを追って来る。瓦礫を踏みつけるゴトゴトと言うタイヤの音に混じって、ガサガサと草むらが掻き乱される葉音がそこから中から発せられる。

 (――葉音…!?)

 紫は、ハッとして装甲車上から眼下を見下ろす。そして、丸く見開いていた赤みがかったブラウンの瞳が、驚きとも困惑ともつかぬ感情によってギュッと収縮する。

 トンネルの外は、元々は資源運搬車用の主幹道路だったのか、かなり広々とした平らな土地が広がっている。しかしその土地を覆う色は、アスファルトの呈する黒や灰色ではない。土地中をみっちりと覆う、膝ほどの高さもある草々が呈する新緑一色に染まっていたのだ。

 「何…これ!?」

 紫は思わず声を上げて、眼に宿った驚きと困惑が混じった感情を露わにする。

 植物読プラント・リーディングなどの環境系技術や知識に長けた彼女は、この状況の異常さを瞬時に理解したのだ。

 まず、瓦解して人の手が入らなくなり荒野と化しとは言え、人工物がまだまだ大地を覆っている元市街地が、長くて一ヶ月放置されたからと言って、ここまでの草むらになることなど有り得ない。そして、草むらを構築する植植生もまた可怪(おか)しい。単一の植物しか生えていないのだ。自然に生成された草むらならば、多種多様な野草が入り乱れているのが当たり前だと言うのに。

 ――明らかに、人工的な光景。

 その感想を抱くと同時に、紫は頭を捻る。この光景を作り出したのは、自分たちをおびき寄せた"パープルコート"に違いない。しかし、この光景が彼らにとって、どんなメリットがあると言うのだ?

 (普通に考えるなら、この草の性質に戦略的なメリットがあるんだろうけど…。

 見たところ、何の変哲もないタケ科の植物よね…。魔法的性質は、特に感じられないし…)

 相変わらず耳元では運転手が叫びまくっているが、紫は頑としてそれを鼓膜で跳ね返しながら、考えを巡らす。

 

 そうこうしている内に、車列はやがてロイ達を乗せた最後尾が地上に姿を表し、蘇芳の率いる"ホール"の避難民たちは全員地上に到着したことになった。

 地上に飛び出した瞬間、ロイは真っ先に眼下の光景に反応し、

 「おお!? なんだなんだ、このモッサモサの草は!?」

 と声を上げた。

 最後尾の装甲車が姿を現した直後、トンネルの中からは津波のような暫定精霊(スペクター)がドバドバと雪崩込み、姿を現した…その直後。

 緑一色の大地に、異変が起こる。

 

 異変の引き金は、水の暫定精霊(スペクター)によって起こされる。

 それまで百鬼夜行を思わせる複雑怪奇な様相を呈していた津波であったが、トンネルを出た途端、灼熱した鉄板の上に置かれた氷のごとく、直ちに形状をドロリと溶融すると、静かに薄く広がって緑一色の大地に浸透してゆく。

 「なんだってんだ、いきなり…?」

 ロイが首を傾げた、その途端。大地がゴゴゴ、と重低音を上げながら激震。全速力で突っ走り続けていた車列は、突然の横揺れによって大きくバランスを崩されてグラグラと激しく揺れ動く。

 「水の次は、土かよ!?」

 ロイの隣でレナが叫ぶが、彼女の言葉は全くの的外れであった。その証はすぐに、ロイ達の眼前に呈される。

 ゴガガガッ! 土と瓦礫を割る轟音が響いたかと思うと、車列に所属する者達は皆、天を衝く急激な浮遊感に襲われる。

 「わあ…っ!」

 車上にいた市軍警察官の幾人かは突き上げる衝撃に踏ん張りきれず、車の上から吹き飛ばされる。そのまま緑一色の大地に激突するかと思いきや――着地するより早く、彼らは節くれだち、曲がりくねった"柱"に激突する。

 ――いや、"柱"ではない。深い緑色の表面をしたそれは、植物の幹だ。これらが突如としてそびえ立った為に、車列は上に突き飛ばされたのだ。

 「な、なんだってんだぁ!? こいつぁ!?」

 車列のほぼ中央、通信用装甲車の中で待機していた蘇芳が、人員収納スペースの壁に描画された外界の様子を目にしながら叫んだ、その時。運転席の方から悲鳴が上がる。何事かと思って振り返ったその時、彼が目にしたのは、大蛇のようにくねりながらこちらに延びてくる、植物の幹だ。

 「おおおっ!?」

 驚愕の声と共に屈み込み、植物の幹を頭上にやり過ごした、蘇芳。植物の幹はそのまま収納スペースの壁に激突すると、幹から沢山の枝を伸ばしながら、メキメキと音を立てながら太さを急激に増加させる。

 「うっわ、なんだってんだ!

 ベッ! ベッ! 葉っぱが口ン中に…!」

 蘇芳が騒ぐ通り、延びた枝からはワサワサと細長い形をしたタケ科の葉が延びる。その密度たるや、手つかずのまま数年もの間放置された藪の中のようで、うまく身動きが取れない。

 「ヤメロ…この…いい加減にしろ…!」

 全身を荒々しく撫で回す不快感に対して、反射的に身を揺する蘇芳であるが、葉の密度はますます増すばかり。それどころか、鋭い葉の縁が手の皮膚をザックリと切りつけて、出血してしまったほどだ。

 「こんなんじゃ、指揮するどころか…!」

 悪態を吐いてる最中、収納スペースをギチギチに満たすほど成長した植物は、車体にメリメリと悲鳴を言わせながら、ゴゴンッ! という音と云う音と共に激しく傾ける。フロントが重力方向に向いた今、装甲車は逆立ちするように有様になっているようだ。

 加えて、上昇する緩やかな加速度も感じられる。――つまり装甲車は、まるでこの植物の果実であるかのように幹に捕らえられ、空中に持ち上げられていることになる!

 この状況は、蘇芳の乗る車両に限った事ではない。車列に属する全ての車が幹に押し上げられては隙間から侵入され、宙に持ち上げられてゆくのだ。

 ここの今、車を実として持つ果樹園が誕生しつつあった。

 「おわわわっ!」

 車上では市軍警察官達が傾きに対応できず、装甲の表面を滑ってそのまま眼下へと落下してゆくばかりだ。落下の途中に幹に捕まって事なきを得るものも居たが、そのまま瓦礫の大地に激突して悲惨な目に遭う者も続出する。

 車内では運転手も避難民も、わーわーぎゃーぎゃーと喚き声を嵐のように巻き上げ、阿鼻叫喚の有様を呈している。

 この混乱の中、車列先頭の紫はうまくバランスを取って落下を免れながら、彼女を捕らえるように延びてくる幹を大剣でもってことごとく斬り飛ばしている。

 (これか! このための布石が、さっきの草か…!)

 紫は顔面めがけて迫る幹の先端を両断しながら、舌打ちして胸中で毒づく。

 車列を絡め取った樹木は、先刻トンネルの外の大地を覆っていたタケ科の植物が急成長したものだ。幼年期は草の形状を取り、成熟すると樹木の体を成すこの植物は、本来ならば通常のタケ科に(なら)い、天上めがけて真っ直ぐの延びる。現状のように蛇のごとく曲がりくねることなど有り得ないのだが、それを成したのは植物を急成長させた水霊系の魔術によるらしい。

 そして、その魔術は植物の形状を歪めるだけでなく、その物性強度も高めている。紫が自らの魔装(イクウィップメント)で作った大剣が幹をザクザクと斬り捨てられるのは、刃が熱震動を帯びているためだ。これ無しに単なる刀剣で幹の切断を試みたのならば、間違いなく刃こぼれするどころか、刀身がへし折れてしまうことだろう。

 (全く! 面倒なことやってくれるわねっ!)

 空間を埋め尽くす植物は、毒を帯びているワケでも、先端が鋭利になっているワケでもないので、ぶつかっても打ち所が悪くない限りは命取りにはなり得ない。だが、視界内に多数の死角を作り出し、密度によって動きを制限してくるのは困り者だ。

 この緑の混沌の中に紛れて、"パープルコート"の兵力が襲いかかって来たらどうなるか。練度の低い市軍警察官達は、あっと言う間に全滅の憂き目を見ても可笑しくはない。

 (…とりあえず、動けるように空間を確保しないと!)

 取り急ぎ自分の周囲の木々を斬り捨てた紫は、次に自らが乗る装甲車を木々から開放すべく、運転席から内部へと侵入している太い幹へと向かう。

 この幹を切断したところで、車内に充満した枝葉が直ちに枯死することはないだろうが、成長を食い止められる。後は紫の腕部装甲に格納された電極様武装でうまく電撃を流せば、枝葉を炭化させて車内の者達を解放することが出来るはず。

 その目論見を実行に移すべく、車上から跳び出した紫は、大剣の切っ先を真下に向けて、未だに太さを増大させている幹へと刃を突き立てるために落下する。

 熱震動によって(まばゆ)い橙色に染まる刃が、節くれた幹へと潜り込む――その直前。

 「やらせんっ!」

 突如、木々の間に木霊(こだま)する、生真面目な叫び。同時に、紫の着地点に小さな独楽(コマ)にも見える空気の渦が生じる。直後、渦は急激に体積を増し、空気中の砂塵を取り込んでか帯電しながら紫の全身を包み込む。

 (なっ!)

 体に激突する烈風のみならず、皮膚上でバチバチ小さく爆ぜる電光の痛みに苛まれる紫は、大剣を抱えたまま顔面を守るように腕を引き上げて防御態勢をとる。そんな紫の体を、渦はグンッと持ち上げて、車両より数段高い位置へと放る。

 (なんだっての!?)

 ようやく颶風(ぐふう)から解放され、頭を下にして自由落下する紫は、即座に体勢を立て直しながら周囲の状況を確認する…と!

 ドドドドンッ! 連続する発砲音と共に、魔力励起光の尾を引く弾丸が四方八方から紫の元へと迫り来る。

 「ああっ、もう!」

 紫は声を荒げながら、大剣の峰に内蔵されたバーニア推進機関をふかし、高速で落下。弾丸をやり過ごしながら、木々の幹が乱立する大地へ着地する。

 文字通り地に足が着いたところで、改めて周囲の状況を確認した紫は…思わず額や頬をジットリと冷たい汗で濡らす。

 木々の合間から、魔化(エンチャント)の気配がバリバリする外套を羽織り、軍服と軍帽に身を包んだ者達がゾロゾロと顔を出していたのだ。彼らの手には銃剣があり、先ほどの銃撃はこの武器によるもののようだ。

 軍服や軍帽のデザインは、市軍警察のものと全く異なる。そして、胸元にハトの翼を持つ紫色の輪をまとった地球のマーク…地球圏治安監視集団(エグリゴリ)のマークである。

 避難民の一団を地上に誘い出した"パープルコート"の部隊が、交戦をしかけて来たのだ!

 しかも、単にこちらを殲滅しようとしている気配は全くない。それが真意ならば、トンネル内でとっくにやらかしているはずだ。加えて、彼らの面立ちもまた、それを否定している。理由もなくやたらに他人(ヒト)に因縁を仕掛けて楽しむような、粗暴で下卑た(わら)いが張り付いている。

 地球の守護者というよりも、ならず者の集まり、と云った表現がしっくりくるような連中だ。

 "パープルコート"の連中は、紫に銃口を向けてニヤニヤと威嚇している者も居れば、木々に捕らわれた装甲車に弾丸を当てて、中で身動きが取れないでいる避難民たちの恐怖を煽り立てて悲鳴を耳にしては、ヒャハハ、と下品な爆笑を上げている者もいる。正に、外道の所行である。

 (こいつら…!)

 紫は大剣の柄をギリリと握りしめ、火を吹き出しそうな視線で"パープルコート"の不良部隊を睨みつけると、彼らを撃破すべく跳び出した。

 ――が、その瞬間。ドンッ! と発砲音と共に、紫に体に的確に迫る弾丸。紫は即座に反応して大剣の腹で弾丸を防いだが、着弾の瞬間、弾丸は強烈な衝撃波と騒音をまき散らす。紫の体は宙を転がりながら吹き飛び、脊椎反射的に両手が大剣を離れて耳を塞いでしまう。

 こうして大剣を取りこぼした数瞬の後、紫は"しまった"と目をハッとさせた…直後、背中が木の幹に激突。

 「カハッ!」

 肺から絞り出される空気が咳となって飛び出し、紫の体は瓦礫の大地に転がる。

 それでも紫は、豊富な戦闘経験の賜物か、思考はほんの一瞬の寸断をもってすぐに回復する。

 (早く剣を…!)

 衝撃がまだ背骨を軋ませる中、紫は体に鞭打って四肢を踏ん張り、立ち上がろうとする。

 しかし、その試みは激痛と、彼女自身の絶叫と共に阻止されてしまう。

 「ぐぅあああぁぁぁ…!」

 思い切り叫びながら、激痛の源である右手を見れば…手のひらにグッサリと刺さった銃剣の切っ先がある。

 そして、銃剣を辿って視線を上げれば…そこには、"パープルコート"の軍服に身を包んだ1人の兵士が仁王立ちしている。その顔はオオカミのそれで、彼が獣人属であることを物語る。その表情はほかの"パープルコート"隊員とは異なり、(いわお)のように堅苦しい生真面目面だ。

 

 彼こそ、ゼオギルド・グラーフ・ラングファー中佐の副官であるオルトロン・ラゴット大尉である。

 

 「恨みは、ない」

 オルトロンは犬歯ばかりの口を動かして、面持ちに見合った堅苦しい声を出す。

 「だが、これが命令だ。

 私はこれから、君を思いきり痛めつける」

 「あっそ…!」

 紫が脂汗まみれの顔でニヤリと反抗的な笑みを浮かべて答えた、その瞬間。オルトロンの靴底が紫の顔面をめがけて振り下ろされる。

 右手を固定されながらも、紫は痛みを(こら)えて体を動かし、オルトロンの足をなんとかやり過ごす。しかし、その行動は(かえ)って彼女に悲劇をもたらすことになってしまう。

 虚しく地を踏んだと見えたオルトロンの足が、滑るように動くと。固い革靴の先端が、紫の鼻の辺りにドガッ! と突き刺さったのだ。

 「あうっ!」

 悲鳴と共に宙を舞う、痛々しい鮮血。反射的に瞼をギュッと閉じたまま動きを止めてしまった紫の顔面に、再びオルトロンの靴底が襲う。今度は回避できず、紫は焦土の匂いがこびりついた靴底で頬を踏みつけられ、グリグリと(こす)られる。

 「私とて、女子にこんな行為をするのは本意ではないが…」

 語るオルトロンの表情は鏡面のように無表情だが、黒々としたオオカミの瞳の奥には苦々しげな輝きが鈍く灯っている。

 「命までは取らない。君には、エントロピーの足しになってもらえれば、それで良い」

 このような屈辱的暴力を身に受けながらも…しかし紫は、彼女の強靱な精神力は、決して折れない。

 「命までは取らないから…黙って足蹴にされてろ…っての!?」

 靴底で頬を抉られているが為に声をモゴモゴとくぐもらせながら、紫は反抗的な声を上げた…その言葉尻にて、紫は左手で拳を作ると、足蹴をするオルトロンの足首を殴りつける。

 体勢が十分でない拳撃など、屈強な地球圏治安監視集団(エグリゴリ)の士官には脅威となり得ない…はずであった。

 しかしオルトロンは、拳撃ギョッとすると、思わず後方に大きく跳び退(すさ)る。

 直後、紫の顔面の上、オルトロンの足が置いてあった空間に、烈風の勢いで銀閃が走る。紫の右腕部の装甲に内蔵されていたパイルバンカーが炸裂したのだ。オルトロンは跳び去られねば、足首から先をゴッソリと抉り取られていただろう。

 「こいつっ…」

 紫の起死回生の一撃を回避したオルトロンは、反撃すべく右手に魔力を集中。黒味がかった青色の魔力励起光を放つエネルギー体を作り出し、それをぶつけるべく紫へと再び接近する。

 一方、紫も自らの力でこじ開けた好機をみすみす逃しはしない。ギュッと唇と閉じて決心すると、銃剣の刃が刺さる右手を一息に動かし、骨肉を切り裂かれながらも引き抜く。中指と人差し指の間から掌まで至る深い斬り傷が刻まれ、鮮血と共に激痛が走るが、悶えている(いとま)などない。左手で右手の傷口を合わせるように握り込み、得意の治療魔術を発動させながら地面を転がる。そして3転したところで、勢いのまま跳び出すように立ち上がった。

 その時には既に、オルトロンが肉薄しており、暗く輝く右拳を紫の脇腹へと放っていた。が、紫は左脚を振り上げて応戦、オルトロンの肘をピンポイントに蹴りつけて、その軌道を逸らしながら自らも転身。まるで闘牛士のようにオルトロンの攻撃をかわす。

 傷つきながらも見事な身のこなしに、傍観している"パープルコート"の部下たちから口笛が漏れる。

 「くそっ…!」

 オルトロンの唾棄は紫に対してだけでなく、自分を(ないがし)ろにする部下達――性格にはオルトロンの直属ではなく、ゼオギルド直属の部下達だ――への苛立ちも含まれている。

 一方で紫は、握りしめた右手にいまだ治療魔術を発動させながら、脂汗の絶えない顔に精一杯の強がった笑みを浮かべる。

 「ったく! こんな美少女になんて仕打ちすンのよ! 右手に(あと)が残ったら、どうしてくれるワケ!?」

 「…そんな心配、二度としなくても良いようにしてやろう…!」

 苛立つオルトロンは、素早く右腕をサッと上げる。その合図で、下卑た笑いを浮かべていた部下達が次々とと、木々の枝から跳び出して着地したり、幹の裏側から姿を現したりし、紫をあっという間に囲んでしまう。彼らの手には漏れなく機銃が握られており、指はトリガーに置かれていて、いつでも射撃が出来る状態だ。

 「ユーテリアの女子学生君、元気が無駄なくらいに有り余っているようだね。少し、大人しくなってもらうよ」

 そんなオルトロンの台詞に、紫は脂汗を浮かべたままながら、プクク…と笑いを漏らして…ついには、アハハハ! と声を上げて笑う。

 「今時聞かないよ、そんなテンプレな悪役の台詞!

 まぁでも、女の子一人に寄って(たか)るような腰抜けには、そんな台詞で十分かー! 下手に決まった台詞言われてもさー、間抜けさが際立つだけだもんねー!」

 そんな減らず口を叩かれたオルトロンは、黒々とした眼に憤怒の炎を(たた)え、牙を剥き出しにしてグルルル、と唸る。オオカミの毛並みに覆われているお陰で顔色は分からないが、毛並みの下では皮膚が烈火の如き真紅に覆われていることだろう。

 部下達にすらヘラヘラと笑われる中、オルトロンは耳元まで避けた口で叫ぶ。

 「徹底的にやれっ!」

 その瞬間、減らず口を叩き続けていた紫であったが、正直に言って脳裏では焦燥に駆られていた。武器の大剣は手元にないし、有ったとしても右手の状態は万全とはいえないので扱えない。この窮地を打破するには防御と回避に専念する必要があるが、治癒魔術と防御魔術を併用出来るほど紫は魔術に長けてはいない。となると、魔装(イクウィップメント)の装甲強度と自らの身のこなしに頼るしかないが、向けられた20を越える銃口を前にどこまで耐えられるであろうか。

 (…んもうっ! 強がったっちゃんだからさ、やるしかないって!)

 覚悟を固めた、その時。彼女の意志が天に届いたとでも言うのか、好機が訪れる。

 ズガガガガガッ! 甲高く響く掃射音に対して、弾道を見極めるべく神経を尖らせた紫であったが…転瞬、集中はポカンとした弛緩が取って代わる。何せ、掃射音の生み出した魔力励起光を帯びた弾道が襲ったのは、オルトロン達"パープルコート"隊員なのだから。

 「!?」

 オルトロンだけでなく、その部下たちも流石に笑みを消して掃射音の方へと一斉に振り向くと…そこに居たのは。

 「地球の守護者を(うた)う男達が、なんとも卑劣で情けない姿だな!」

 そんな鋭い台詞を発したアルカインテール市軍警察官、竹囃(たけばなし)珠姫(たまき)だ! そして彼女の周囲には、多少緊張した面持ちをした、同僚および部下の市軍警察衛戦部の隊員達が機銃を構えて、"パープルコート"の部隊を牽制している。

 

 車列が木々の異常成長による混乱が発生した当時、珠姫は状況に驚きながらも、すぐに思考を切り替えて状況の打破に頭を巡らせた。

 "パープルコート"の隊員の仕業であると即座に理解した彼女は、急成長する木々の間を駆けめぐる"パープルコート"隊員を見つけては、得意とする射撃で次々に撃破。成長し切った木の幹を切り倒して車を解放することは出来なかったが、車内の避難民たちを勇気付けた上で、車上から振り落とされて混乱している衛戦部の隊員たちを片っ端から引っ叩いて冷静さを植え付け、統制を持ち直した。

 その後、蘇芳の乗る指揮車両に来訪。蘇芳が無事ながら、身動きが取れない状態を確認すると、数人の衛戦部の隊員を護衛に残し、車列先頭の紫の元に向かった。職業軍人としては悔しいが、経験も技術も豊富なユーテリアの学生なら、うまく蘇芳を解放出来ると考えたからだ。

 蘇芳を解放さえ出来れば、彼のカリスマ的な指揮能力によって、避難民たち全体の統制を取ることが可能になるだろう。

 そう判断した珠姫は部下達と全力疾走し、今こうして紫の窮地に駆けつけたのである。

 

 (市軍警察官(アヒル)風情が…!)

 オルトロンはこめかみに青筋を浮かべると、チラリと周囲を見回して部下達に目配せする。ガラの悪い部下達も自らより遙かに練度に劣る市軍警察の兵力に裏をかかれて苛立っており、オルトロンの号令なしにも彼らに弾丸をぶっ放す寸前の有様だ。

 (なんとか指揮系統を取り戻したところで、分はこちらにある!

 全員まとめて、『バベル』の(エントロピー)にしてくれる!)

 オルトロンが号令を出すべく右腕を上げた――その瞬間。ゴキリッ! と痛々しい打撃音が響く。同時にオルトロンは舌をダラリと出して白目を剥き、派手に吹き飛んだ。

 なにが起きたのかと言えば――"パープルコート"の意識から完全に外れた紫が、いまだ右手が治療中にも関わらずオルトロンの背後へと驀進すると、跳び膝蹴りを後頭部に抉り込んだのだ。

 「な…!?」

 予想だにしなかった奇襲に、"パープルコート"隊員が目を剥いて紫に視線を向ける。

 ――この瞬間こそ、市軍警察達の絶好の好機だ。

 「行けっ!」

 珠姫の号令が響くよりも早く、市軍警察官たちは手にした機銃を発砲。"パープルコート"達に弾丸を雨霰と浴びせる。

 「クソッ!」

 "パープルコート"達は魔化(エンチャント)によって強化された軍服のお陰で、直ちに落命するようなことはなかったが、後手に回って木々の間を逃げまどう。そこを珠姫が自らも機銃を構えて走り回りながら鋭く指示を飛ばし、"パープルコート"の追撃に出る。

 さて、白目を剥いて意識を寸断されていたオルトロンであったが、案外早く覚醒すると、思考の調子を(うかが)うように首を左右に振り、モゾモゾと起き上がる。

 …が、その途中で、彼の目の前に、ドスッ! と巨大な刃が壁のように立ちはだかる。ギョッと目を剥いたオルトロンが視線を上げると…そこには、右手の治療を終えた紫が、奈落のような悪意の陰を帯びた嫌味ったらしい嗤いを浮かべて、仁王立ちしている。

 「よくもやってくれたわねぇ…ワンちゃん…。

 この借りは、倍返しじゃ済まないからねぇ…!」

 数瞬の前に立場が入れ替わってしまったオルトロンであるが、彼は職務に忠実で生真面目な軍人だ。任務の放棄は毛頭考慮に入れず、最後まで戦い抜く決意を瞳の奥に灯す。

 「我々(エグリゴリ)がこの程度で終わると…!」

 語りながら両手に一気に魔力を集中。エネルギー体をまとった拳を振り上げて紫の顎を狙う。

 そこを紫は大剣を大地から引き抜きながらヒラリと転身し、華麗に拳撃をかわすと、その勢いのまま後ろ回し蹴りをオルトロンに見舞う。

 しかし、オルトロンも一度奇襲を受けて学習している。拳撃のモーションもそこそこに跳び退(すさ)り、紫の蹴りを鼻先でかわしてみせる。

 ――こうして両者は対峙すると、周囲で銃声が木霊(こだま)する中、改めて一対一の交戦を開始する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ