War In The Dance Floor - Part 1
◆ ◆ ◆
「てめぇら、いい加減にっ! しやがれぇっ!」
火を吹くような怒号が響き渡った、その直後。叫びは大気に寒々しい白い蒸気を生じさせる冷気の奔流と化し、一直前に驀進する。
冷気は一瞬の間を開けた後に、眼前に扇状に展開する大群を――水霊系の兵器系暫定精霊の一軍に激突。派手な氷粒の飛沫を爆発的にブチ撒けながら、強烈な冷気を叩き込む。騎士や暴獣の姿をしていた暫定精霊たちは一瞬の内に凍り付き、煌めき透き通った大規模な氷の彫像と化す。
「よっし、今だ! 前進させろ!」
叫びと共に氷結の竜息吹を吐き出した主、ロイ・ファーブニルは、首だけ背後に振り返りながら号令をかけ、同時に自らも両脚と竜尾で地を叩いて後方へ跳躍。彫像の群れから一気に数メートルの距離を作る。
「心配すんなっ! もう前進してンぜ!」
そう叫んだのは、輸送車の荷台の上で無反動砲を担ぎ、いつでも発射できるようにスコープを覗いてトリガーに指を置いているユーテリアの女生徒、レナ・ウォルスキーだ。
ロイとレナの2人は、"ホール"より脱出する避難民の一団の殿として、"パープルコート"が操る暫定精霊の大群の足止めを努めているのであった。
「それにしてもよ…!
オレは確かに、"相手になってやる、掛かってこい"とは言ったがよ…!」
疾駆する輸送車の荷台に手をかけ、離れて行く氷の彫像どもを睨めつけながら、ロイは唾棄するように呟く。
「こんなにシツケーの相手に、護りながらの戦闘をやらされ続けるのは、勘弁だぜ!」
そんな文句を口にしている一方で。氷の彫像からピキピキと音が立ち、細かい亀裂が幾筋も走る。そして、ゆで卵の殻を荒く剥いた時のような有様で、氷の表面がピンッ! ピンッ! と吹き飛び、直後に細い水流がプシューッ! と噴出する。
変化はそれだけに止まらない。氷の彫像のすぐ目前の地面にも、異変が生じる。まるでスポンジを絞ったかのように、ジワジワと水が土壌の中から染み出して来ると…。やがて土壌は泥から濁流へと代わり、グニャリと硬度を失って陥落。その場に巨大な穴を出現させる。
穴の向こう側には、"ホール"の地下に広がる排水路が剥き出しになっている。多量の泥が混じって濁った水流は、ザザザッ、と耳障りな音を立てながら渦巻くと…。そのまま水飴細工のように竜巻型に持ち上がり、鎌首を上げた大蛇が獲物に急襲するが如き勢いで大地に急降下。派手な水飛沫を上げながら、小規模な津波を引き起こす。
同時に、津波の向こう側では氷の彫像がバキンッ! と音を立てて破砕。その内側からゾワゾワと大量の水が溢れ出し、津波に合流。ここに、大地の上に蜷局巻く大蛇のごとく渦巻く水の奔流が現れる。
そして奔流は、重力に逆らっていくつもの突起を作り出すと…その一つ一つが騎士や獣の形を取り、殺意に満ちた爛々たる真紅の眼でロイやレナ、そして彼らの追い越した先に位置する避難民の車両一団を睨み付ける。
「…クッソ、まだ懲りずに来やがるのか、あの水どもっ!」
ロイが牙だらけの口から辟易の悪態を吐きつつ、輸送車の荷台の側面を蹴って竜翼を広げ、一気に暴水の群れへと肉薄する。
一方で、暴水の群れは雫が滴る牙の生え揃った口腔を大きく開き、ギオオオッ! と絶叫すると。ロイを目掛けて一斉に溢れ襲い掛かる。
(観念しろってンだよっ、水どもっ!)
ロイが胸中で叫びながら、鉤爪輝く両足を振るい、三日月状の斬撃の衝撃波を十字に放つ。斬撃は水の群れに巨大なバツ印が刻むが、液体に物理的な加撃は役に立たない。分断された部位はすぐに合流してしまう…はずだが。
いくら本能的な戦い方をするロイと言えども、劇場に駆られて無為な攻撃を放つほど愚かではない。先の斬撃には、しっかりと術式が練り込んである。
分断された水は、合流するより早く、断面からピキピキと音を立てて凍結を始める。――そう、斬撃には凍結事象を発現させる術式が練り込まれていたのだ。
「おっしゃ、レナ! 一緒に吹っ飛ばしてくれっ!」
ロイは振り向かずに後方のレナへ指示を飛ばしながら、竜翼を思い切り一羽ばたき。直後、強烈に渦巻く颶風が出現。分断されて凍り付いてゆく水の群れに激突すると、特に大地に接していない部分を一気に後方へ吹き飛ばす。
「だから、目上の私にゃ"先輩"って付けろって言ってンだろーがっ!」
指示を受けたレナはそう非難しながらも、担いだ無反動砲のトリガーを引き、砲撃を実行。射出されたのは、緑色の魔術励起光の尾を引く砲弾だ。それは水の群れが接地している大地に着弾すると爆音と共に、業火の代わりに烈風を振りまく。ロイの斬撃によって氷結した部分は粉砕されて吹き飛ばされるし、氷結していない液体の部分も激しくさざ波立って、薄く広く後方に散らされて行く。
一瞬にして視界に映る敵影が一掃されたことに、レナは片手でガッツポーズを取って、凄絶にニヤリと微笑む。
「おっしゃあっ、ざまぁみやがれっ!
これで当分の時間は稼げ…」
勝ち鬨を上げていたレナだが、その言葉がピタリと止まる。と言うのも…吹き散らした水が急速にザザザッ、と音を立てて集結し、山のような塊を作り出したからだ。
「おいおい…! さっきの術式、風霊の離散属性を思いっきり高めてたんだぞ…! なんでこんなに早く、集結出来ンだよっ!」
驚愕混じりの悪態を吐いている間にも、山状に集結した水は形状を変えると…再び小規模な山、というか突起に分かれ、何事も無かったかのように暫定精霊の形を取る。
この有様には、宙を舞い飛んで状況観察していたロイも苦笑い。
(レナの術式は、決して弱くねぇ。それをこんなにアッサリと凌駕するなんてな…! "パープルコート"ってヤツにゃ、相当の実力を持った魔術師が居るのか、それとも莫大な数の魔術師で力任せに事象をねじ伏せてンのか…。
まぁ、どっちにせよ、もっと本腰据えて足止めしなきゃならんって事かっ!)
ロイは黄金色の瞳をギュッと収縮させ、眼下の蠢く水塊を睨みつけると…胸が風船のように膨らむほどに、大きく息を吸い込む。同時に、竜翼を限界まで引っ張ったバネのように後ろへと引いて…!
轟ッ! 体を"く"の字に曲げ、暴風の如く純白の冷気の竜息吹を吐き出すとともに、翼を一気に羽ばたかせて烈風を作る。烈風は一瞬にして、煌めく霧氷が舞うブリザードと化して、冷気の息吹と合流。暴力的な凍気の乱流となり、水の塊に激突する。
慟ッ! 大地を揺るがす轟音が鳴り響き、一帯に真っ白な凝結した霧と、肌を粟立てる冷風を振り撒く。
この強烈な冷気の奔流によって、水塊はもちろん、周辺の大地も派手な霜柱がザクザクと立つほどに凍り付き、周囲は冬の世界と化す。
(これでどうだってンだよっ!)
挑むような笑みを浮かべて、再び両足と竜尾で地面を叩いて飛び退った…が。十分に距離を稼がぬまま、予想以上に早い段階で背中にガツンッと衝撃を感じ、ギョッとする。
慌てて振り返れば、そこにはピタリと動きを止めた輸送車両がある。
「お、おい、レナ! なんで止まってンだよっ!」
噛みつくような勢いで問い質すロイに、レナの方も噛みつき返すような激しい勢いで答える。
「あたしが知るかよっ! 前の方が詰まってンだよっ!
クソッ、こんな時に何やってんだがさ…っ!」
そしてレナは、制服の上着からナビットを取り出して、音声通信のための操作を行う。連絡先は、避難民の一団の先頭に居るはずの相川紫だ。
コール音は、たっぷり十数回も続いた。その間、レナのイラ立ちは時と共に募り、眉は鬼のごとくつり上がって、歯軋りせんばかりの勢いで歯茎を見せながら、なんとか無言を保って待っていた。
ようやくコール音が終わり、小さなプツッという電子音が通信開始を告げると。レナは稲光の如く怒声を上げる。
「おい、何ですぐに出ねーんだよっ! 車は止まっちまってるしよっ!
何かあったのかよっ!」
しかし、スピーカーから直ちに紫の回答が返ってくることは、なかった。ザザザッ、とか、ビシビシッ、と言ったノイズばかりが流れ込んでくる。レナは釣り上げた眉を思わずひそめる。
深く考えなくとも、何かトラブルが発生しているのは明らかだ。
とは言え、先頭で起こっているトラブルを把握せずに通信を終えるのは、レナとしても不本意だ。怒鳴り声を抑え、「おーい、どーしたんだー!? 何が起こってンだー!?」と尋ねた、その直後。
「あーもぉっ!」
マイクから離れた位置からの発言と思われる、少々ぼやけた叫び声が返ってくる。声の主は、明らかに紫だ。ただし、先刻のレナと同じか、それ以上にイラ立ちを募らせているのが明白な口調である。
「おっ、無事だったンだな! 今、先頭じゃ何が…」
レナが言い終えぬ内に。
「説明は後っ! こいつだけっ! 何とか…っ!
そぉりゃああっ!」
マイク越しに、大気を派手に分断する振、という轟音。そして、派手に飛沫が爆ぜるビシャビシャッ! という音。
これらの音声は、レナが現状を把握するのに十分な材料となった。先頭でも、水の暫定精霊を相手にした戦闘が行われている!
そう、紫は今、避難民を乗せた車列の先頭で、装甲車の上に立ち、巨大な腕型の暫定精霊を相手に立ち回っていた。
彼女は既に全身を魔装による紅白の鎧で覆い、両手には生成した機械機関付きの大剣を握り締めて、烈風のごとく振るっている。
巨大な水の腕が大きく仰け反ったのを確認している最中、彼女の耳の穴に埋まった通信機から激しい動揺が聞き取れる男の叫び声が聞こえてくる。
「おいっ、どっちなんだ! どっちに向かえばいいっ!?」
叫び声の主は、先頭の車両を運転している市軍警察の男性隊員である。
職業軍人である彼が、"英雄の卵"とは言え学生に指示を仰ぐような恐慌状態にあるのは、情けないながらも、無理のないことである。
アルカインテールのような地球圏治安監視集団の庇護下にある都市国家では、交戦専門である衛戦部を設けてはいるものの、圧倒的な戦力を持つ地球圏治安監視集団に依存している場合が多い。それでは衛戦部はどんな任務をこなしているかと言えば、都市隔壁の近傍に現れた危険性の高い野性生物の討伐が主であったりする。
そんな彼らは、明確な殺意を持つ兵器系暫定精霊との交戦など想定しておらず、この隊員のように恐慌状態に陥ってしまうことは多々あることであった。
(まぁさ、地球圏治安監視集団に頼り切ってるバカ都市国家じゃよくある事だって分かってたつもりだけどさー。実際足を引っ張られると、ムカついて仕方ないわねーっ!)
紫は小さく舌打ちしながら、車上から素早く視界を巡らし、地上を覆う暫定精霊の群れの切れ目を探し出そうとすると。
「左だ、左っ! オラオラ、アクセル踏み込んで、一気に突っ込めっ!」
紫が回答を返すより早く、通信機越しに別の男の声が進路を指示する。声の主は、この避難車列の指揮官である、倉縞蘇芳だ。
彼が冷静である理由としては、指揮官の責を負っていることも勿論であるが、アルカインテールの場合は採掘場所における事故への対応を彼が所属する防災部が一手に引き受けている、という事情も大きい。過酷な状況下での活動なら、圧倒的に防災部の方がこなしている。
「で、でも、左にもかなりの数が…」
オロオロと口答えする、運転手。今にも泣き出しそうなその声に、紫は破裂させんばかりに青筋を立てながら、手にした大剣を大振りに横薙ぎに構えると。そのまま巨大なブーメランを投擲するように、吹き飛ばす。大剣は峰の部分に接地されたブースト推進機関から炎を噴出させながら、高速で回転しながら地上へと降下。そのまま水の大群をバッシャバッシャとブッた斬り、ずぶ濡れの道を作り出す。
「ホラ、さっさと行った、行った!」
紫は耳に手を当てて運転手へと声をかける。同時に、地上から飛び上がってきた大剣をガッシリと右手で握り締め、再び水の腕の方を向く。
余分な行動を取って隙を作った分、水の腕が体勢を立て直し、即座に追撃してくると考えたのだが…。向き直った視界には、水の腕の姿は消え去っていた。穴の奥、排水路の中へと引っ込んだらしい。
(…今の隙、わたしらを叩き伏せる絶好のチャンスだってのに…退却した?
なーんか、ヤな感じね…!)
ともかく、正面の窮状を打開した紫は、背後で闇雲に暫定精霊へ魔化された弾丸をブッ放している衛戦部隊員の肩をグイッと掴み、ギョッとしている彼の耳元で怒鳴る。
「わたし、ちょっと連絡するから! この場はお願いするからね!
どうしても手に負えなかった時だけ、呼んでよ!
大丈夫、すぐ終わらせるつもりから!」
隊員の是非も聞かずに踵を返した紫は、通信状態のまましまい込んでいたナビットを取り出すと、マイクの向こう側に居るレナへ声をかける。
「お待たせしました!
えーと、何の用でしたっけ!?」
イラ立ちの勢いのまま、怒鳴り声でマイクに語りかけると。スピーカーからレナのギクシャクした声が返ってくる。
「あ、いや、いきなり車列の前進が止まったから、先頭で何があった聞いてみようと思ったンだけどさ…うん、もういいや。今ので大体分かったから」
「あ、そうですか! そんじゃ!」
紫は即座に通信を切り上げようとするが、レナが慌てて言葉を滑り込ませてくる。
「ちょっ、ちょっと待てよ!
確認してーことが有ンだけどよ!」
「手短にお願いします!」
イラ立ち全開の紫の態度に、スピーカーからレナの苦笑い混じりのため息が一瞬、滑り込む。
「…えーと、確かよ、こっちに攻撃されないようにするために、蒼治たちは地上に行ったんだよな?
どうして、こんな事になってんだよ?」
「わたしが知るワケないじゃないですかっ!」
紫は噴石のごとく唾をマイクに叩きつけながら、本気で怒鳴りつける。
先輩であるレナに対して失礼極まりない対応ではあるが、実際、紫は戦闘状況が始まってから蒼治とは連絡していない――する暇が全くない――ので、正論ではある。
「そんなに聞きたいのなら…!
先輩、ロイと一緒に居るんですよね!?」
「ああ。今、ほんのちょっと余裕が出たから、暴走君に任せてお前に連絡、」
言い終わらぬうちに、紫が怒鳴りつける。
「だったら、ロイにもう少し踏ん張ってもらって、自分で蒼治先輩に訊いて下さい!
私は余裕が、」
――と、語っている側から、紫は先程持ち場を任せた隊員から思いっきり肩を叩かれる。彼はギャーギャー騒ぎながら宙空に群れを成して飛び回る、鳥とも蝙蝠とも似つかぬ暫定精霊を指差している。群れの密度は、確かに、戦闘が始まって以来の酷く高いもので、恐慌状態の人間の精神を辛く抉るような光景を作り出している。
紫は思いっきり、チィッ! と舌打ちすると。
「通信終わります! そんじゃ!」
と口早に叫ぶが早いか、ナビットの通信切断。暫定精霊の群れへ向き直りつつ、大剣を横薙ぎに構える。
「ったくっ! 量は増えてるけどさっ、牽制してるだけじゃんっ!
これくらいなら、掃射で蹴散らすだけで十分じゃんかっ!」
紫は涙目な隊員を叱責しながら、イラ立ちをぶつけるように紫は大剣をブーメランのように飛ばして、暫定精霊どもを叩き斬りに掛かる。
さて、車列の殿の方では。
「…うっわー、あのお嬢ちゃん、おっかないわー…」
紫の剣幕に驚きを隠せないレナが、通信が切断したナビットに向かってポツリと呟いていた。
(まぁ、それはそうと…)
レナはパチパチと数度瞬きながら気持ちを切り替えると。紫から言われた事を客観的に鑑みて、彼女の意見に同意し独り頷く。
(そうだな、蒼治のヤツに訊いてみっか。
自信満々で囮を引き受けやがった割りに、こんな体たらくに陥れやがったことへの文句も言いてーしな)
「おい、暴走君!」
レナがクルリとロイの方へ振り返ると。そこには、早くも大部分の形状を取り戻した暫定精霊の軍団と、停止した車列に押し寄せようとする彼らを孤軍奮闘して押し留めるロイの姿があった。
「あ!? 何か用か!?」
ロイは紫のようにイラ立って荒げた声を上げはしなかったものの、余裕のなさがヒシヒシと感じられる声を返してくる。口早な返答の最中、チラリともレナの方に視線を走らせなかったのもその片鱗と言えよう。
(うっわ、頼みづら…)
レナは苦々しくひきつった笑みを浮かべたが。一瞬考え直した上でも、現状打開の糸口を見つけるためにも現状把握は必要と結論付けると、後ろ髪引かれる思いを振り切って叫ぶ。
「忙しいところすまねーけど、あたし、今から蒼治に連絡するぜ! 任せて大丈夫か!?」
「ああ!」
ロイは、迫ってきた水の騎士どもに冷気の烈風をまとった大振りの拳撃を見舞いながら、即答する。次いで、凍結した敵どもが吹き飛んで、後方に控える水の獣の群れに盛大に突っ込み、派手な飛沫が上がったのを確認すると、ロイはチラリとレナを振り返り、こう付け加える。
「下手にあんたに手を出されると、やりにくいからな! 独りにさせてもらえるなら、願ったりだぜ!」
「…あ、そ…」
ロイの言葉は、レナにとって完全に余計な一言であり、カチンとせずにはいられなかったが。怒鳴りつけたくなる衝動を何とか抑えると、ロイの(ムカつくが)頼もしい言葉に甘え、ナビットによる音声通信を開始する。
耳障りなコール音が、紫の時より倍以上続く。
(何してんだよ、あの野郎…! 居眠りこいてんじゃねーだろうな!)
ロイへのイラ立ちをも、中々連絡の付かない蒼治にぶつける、レナ。そのまま執拗に、無機質なコール音を耐え続けていると…ようやくプツッ、という小さな電子音が発生し、通信が開始されたことを物語る。
スピーカーから蒼治の声が入り込む余地なく、レナは速攻で怒鳴りつける。
「おい、蒼治ッ! 何やってンだよッ! 地上の状況把握はどうなってンだよッ!
こちとら、暫定精霊どもに襲われててんてこ舞いだってンだよッ!」
対して蒼治は、暫く答えを返さない。どころか、スピーカーからは静かなサーッ、というノイズが漏れるばかりだ。
――いや、よくよく耳を澄ますと、ノイズに紛れるように、鈍く低い、多種多様の雑音が聞こえてくる。
とは言え、この音声から把握できる情報など、殆どないに等しい。レナは怪訝げに眉を跳ね上げると、少し声を抑えて、もう一度呼びかける。
「おい、蒼治! マジで居眠りこいてんじゃねーだろうな!?
おい、なんか一言…」
そう語った瞬間。
「黙ってくれッ!」
恐ろしいほどの剣幕で、蒼治が鋭い声を上げる。声をぶつけられたレナは、思わずビクッと体をすくませたほどだ。レナが授業の範疇で知る限り、蒼治がここまで剣呑になっていたところを見たことがない。
そして同時に、レナは瞬時に覚る。地上も、地下に劣らぬトラブルに見舞われているということを。
暫し沈黙が続いた後。スピーカーが、離れた位置に立っているらしきノーラの「来ましたッ! 8時の方角です!」と言う声を拾う。そして、転瞬。
「レッゾさん、側の路地に入るように回避して下さいッ! 僕が相殺に乗じて攪乱しますからッ!」
その後、スピーカーはレッゾの了解の声を拾うことなく、急駆動するエンジンの騒音を拾う。それから、蒼治のものらしき舌打ちに似た音を拾ったかと思えば、続いて鼓膜を痛めるような銃撃音の連続が響く。レナは驚きのあまり、手にしたナビットを取り落としそうになったほどだ。
(おいおい…! この都市国家に来て、ヤバい状況は飽きるほど見てきたつもりだったけどよ…! こりゃ、ヤバ過ぎにも程があるんじゃねーの!?)
レナが生唾を飲み込みながら、頬に冷たい汗を数筋垂らす。
そのうちに、銃撃音は止み、スピーカーはデコボコ道を走るエンジン音と振動音を拾うばかりになった。
「…先輩、クリアです…! 迷彩の方術陣、もう一度掛けますね…!」
「ああ、お願いするよ。
僕はレナから通信が入ってるから、対応させてもらうよ」
そんなノーラとのやり取りの後、蒼治は通信のタイプを音声から映像へと切り替える。突如、宙空に展開したホログラム・ディスプレイの中には、中央にデンと立つ蒼治の姿が見える。
この時、レナは蒼治の姿を見て、酷くギョッとする。爆発の近傍にでも立っていたかのように、身につけた白いローブは激しく煤にまみれ、髪の毛は突風に乱されたようにグチャグチャになっていたからだ。この状況下で眼鏡のレンズが割れていないのが不思議なくらいだ。
「お、おい、どうしたってんだよ!
こっちもヤベーことになってるけどよ、そっちもかなりヤベーことになってンのか!?」
蒼治は眼鏡をクイッと直しながら、苦々しく呟く。
「ああ、端的に言えばそんな感じだ。
それにしても…やっぱり、そっちも襲撃されていたか…。
すまない、僕の技量不足によるものだ。大きな口を叩いておいて、こんなザマになってしまうなんて…クソッ!」
蒼治は拳をギュッと握り、唇を噛み切らんばかりに歯噛みしてみせる。
蒼治は自身に落ち度があると信じて疑っていないようだが、レナはその詳細を知る由もないので、オドオドしながらも頭上に疑問符を浮かべる。
「いや…何をそんなにミスったのか、分かんねーんだけどさ…。一体、何が起こってンだ?」
この質問を耳にした蒼治は、ハァー、と深く息を吐いて胸の内を冷やすと。態度を幾分落ち着けて、薄い唇から普段の冷静さが読みとれる言葉を発する。
「順立てて話したい。
レナは、僕の話を聞いてて平気なのか? やらなきゃならない任務とか、特に無いのか?」
「いや、任務っつーかさ…あたしも世話になった恩もあるし、バリバリ手伝うつもりだったんだけどさ…」
レナは語りながら、ムッとした様子で立てた親指を背後に向ける。蒼治がカメラ越しに視認出来ているかは分からないが、指差した先には孤軍奮闘するロイの姿がある。
「暴走君のヤツがさ、あたしは邪魔だっつーからよ。文句言いがてら、アンタからの状況報告を聞こうと思ったところさ」
そんなレナの言葉に、蒼治は呆れたような苦笑い浮かべる。
「ワンマンプレイはロイの得意スタイルだからな…。あいつも悪気はないんだ、あんまり気にしないでやってくれ。
…それはそうと…」
蒼治は眼鏡をクイッと直すと同時に表情を引き締めると、堅く、そして苦々しい言葉を吐き出す。
「早速、地上の状況と、今に至る経過について話すよ」
◆ ◆ ◆
所は変わり――こちらは、蒼治が乗り込んでいる装甲車。
人員収納スペースに居るのは蒼治だけで、ノーラの姿はない。彼女は装甲車のルーフに上がり、片膝をついて大剣を構えている。大剣は既に定義変換済で、ペン先を長くしたような、一対の細長い直角三角形が向き合ったような形状になっている。この剣は接近戦では大剣として斬撃を繰り出せる一方、対になった刃の間に術式の弾丸を作り出し、射撃を行うことも出来る優れ物だ。
何時、敵に襲撃されても対応出来るように、神経を研ぎ澄ませて待機しているノーラに対して…装甲車は、倒壊した高層建築物が作り上げた狭く薄暗い路地の中でエンジンを切り、息を殺して潜んでいる。運転手のレッゾは装甲車の気持ちを代弁するように、時折息を止めながら、ハンドルを掴んだままジッと静止している。
この中で沈黙を破っているのは唯一、映像通信中の蒼治だけである。
蒼治は、ホログラム・ディスプレイに映るレナに対して、頭を深々と下げる。
「まず、地下への襲撃をまんまと許してしまった、僕の至らなさを謝罪したい。
言い訳するつもりじゃないけど…僕は、出来る限り繊細な検知用方術陣を張り巡らせていたんだけど…敵は、僕の方術陣を易々と潜り抜けていたらしい。
気付いた時には、二十人以上の魔術師と思われる人員が、暫定精霊構築用の術式を次々に生成しているところだった…」
この言葉を聞いて、レナがギョッと目を丸くする。
「アンタの方術陣を、二十人以上もの団体様が易々と凌駕したって…!? それマジか!?」
レナは蒼治とクラスメートであるだけでなく、同じ魔術系の授業を受けたことが多々ある。それゆえ、蒼治の非凡な実力は重々承知している。だからこその反応だ。
蒼治はレナの激しい反応を目にしても謙虚な態度を崩さず、苦々しい表情のまま悔しげに頷く。
「決して舐めて掛かったつもりはないんだけどね…流石は地球圏を背負うと自称する地球圏治安監視集団というところだね。
やはり僕ら学生風情が、職業として実戦に従事している人々を相手にするのは荷が重いのかも知れない」
「…いや、そうとは限らねーって。
事実、この都市国家の軍警察のヤツらと来たら…申し訳程度に銃をぶっ放す程度で、パニクりまくってるったらありゃしねーよ」
レナはガックリと肩を落としながら、頬をヒクつかせて苦笑いする。彼女も紫と同様、アルカインテールの市軍警察衛戦部の腰抜け加減には呆れ果てているのだ。
「…すまんな」
レッゾが恥ずかしそうに、運転席からボソリと謝罪するが、それは果たしてレナの耳に届いたかどうか。
「まぁ、つまり、敵さんの方が一枚上手だったってことだろ? それはそうとして、だ」
調子を取り戻したレナは、ちょっと責めるような調子で唇を尖らせて尋ねる。
「敵さんのこと見つけたンなら、なんでソッコーで叩きに行かねーんだよ? あたしら、そいつらの暫定精霊どもにひでぇ目に遭わされてンぞ!」
すると蒼治は、「本当にすまない」と頭を下げながら前置きしてから、事情を説明する。
「端的に言えば、手が回らなくなってしまったんだ。
彼らが僕の検知方術陣にひっかかった――恐らく、意図的に迷彩を解いたんだと思うんだけど――それとほぼ同時に、地上の状況が急変したんだ。
地球圏治安監視集団の空中戦艦が次々に空間転移して来たんだ。空はあっと言う間に、戦艦だらけさ。そして、戦艦は手当たり次第に…恐らくは、他勢力を引きずり出すためだろうけど…空爆を開始したんだ。
僕らも空爆の標的にされてね、逃げ回るので手一杯だったんだ。
流石は地球圏治安監視集団、空爆の弾頭は暫定精霊で構築された疑似意志弾頭ばかりでね。お陰で装甲車の防御能力が全然当てに出来なくてさ、僕とノーラさんで全力で対応しているところさ」
「それじゃ今は、地上じゃ"インダストリー"だの『冥骸』だの癌様獣だので溢れかえってる感じなのか?」
レナの問いに、蒼治は嫌気が差したようにフッ、と自棄気味に鼻で笑い、首を左右に振ってから答える。
「溢れかえってるって言うか…そうだな…週末戦争みたいな様相だよ。
これは話すより、実際見てもらった方が良いな」
そう語るが早いか、蒼治はレッゾに外に出る旨を口早に伝え、装甲車の人員収納スペースから飛び出す。そして瓦礫で満ちた狭い路面を掻き分けて小走りに進み、傾いたビルディングの物陰からソッと半身を出して、ナビットのカメラを空に向ける。
こんな感じだ、と蒼治が話しかけるより早く。ナビット越しにレナの「げっ!」という驚愕の声が出る。
この日のアルカインテールの天気は、快晴とは言わないまでも、青空の広がる晴れである…そのはずだった。
しかし今、空には黒々とした濃密な煙が幾つも漂っており、曇天のような有様だ。
この煙の正体は、一概には言えない。空中戦艦の砲撃から発生した煙であったり、攻撃を受けた空中戦艦その他の存在から噴き出す炎のものであったり…実に様々だ。
そして、煙の合間には空中戦艦の他に、蚊柱のように見えるほど群れて飛び回る一団――恐らくは癌様獣であろう――や、ポツリと浮かび上がる巨大な点――恐らくは"インダストリー"の機動兵器だ――の姿もある。彼らは激しく交錯したり、大小多様な術式で構成されたビームを放ったりして、空を所狭しと暴れ回っている。
煙に映える術式ビームの鮮やかなフラッシュを見ていると、まるで自然科学系ドキュメンタリー番組が見せる、原始惑星の濃密で苛烈な大気を思わせる。
「うっわ…こりゃ、何の終末戦争だよ…」
レナが呟いた直後、蒼治はサッとナビットを引くと共に、元来た道を足早に戻って装甲車の中へ入り込む。
装甲車の床に尻餅をついて座った蒼治は、ナビットに越しにレナと相対すると、眼鏡を直しながら気難しく眉をしかめる。
「"パープルコート"は『バベル』を確実に叩き起こすために、かなりのエントロピーを集めるつもりだろうとは思ったけど…ここまでやらかすとはね。予想外、ってワケじゃないけど、こっちも色々と目論見が崩されちゃったからね。対応に四苦八苦してるところさ」
「あんたら暴走部がいくら実力者揃いっつっても、たった2人じゃ流石に手が回らないってのは、十分理解したぜ。
だけどよ…」
レナは頷いてみせたものの、怪訝そうに片眉を跳ね上げる。
「アンタらが呼び出したって言う加勢は、まだ来ねーのか!?
地上も地下もてんてこ舞いですー、じゃあたしらジリ貧のまんま、『バベル』って野郎のお目覚めのスイーツにされちまうじゃねーか!
どこで何してンだよ、お仲間どもはよぉ!?」
非難じみた物言いで迫るレナに対して、蒼治自身も首を傾げる。
「数分前に連絡した時には、そろそろ到着するって言ってたんだけどな…」
「もしかして、この都市国家を囲んでる空間隔壁が突破出来ないってオチじゃねーだろな!?」
「いや、それはあり得ない。イェルグが同行してるんだ、彼が居るなら絶対に…」
蒼治が言い終わるよりも先に。突如、装甲車の上からノーラの声が会話に割り込んでくる。
「先輩…! 暫定精霊の弾頭が2発、こっちに来ます…!」
蒼治は言葉を引っ込めて、小さく舌打ち。そしてレナへ一方的に、口早にこう告げる。
「すまないが、話はここまでだ!
加勢を確認したら、出来るだけ早く連絡する!
それじゃあ!」
「あ、おいっ!」
レナが叫ぶも、蒼治はナビットの通信を即座に終了したのであった。
一方的に通信を切断されてしまったレナは、ノイズまみれになったホログラム・ディスプレイを暫く呆然と眺めた後、苦笑を浮かべてポツリと呟く。
「忙しねーっつーか、なんつーか…。相当キてるみてーだな、あっちの方も…。
なんか…あたしも頑張んねーと相当ヤバい気がしてきたわ…」
そしてレナはナビットを制服のポケットに仕舞い込むと。脇に置いた無反動を肩に担ぐと、差し当たっては近場で激闘を繰り広げているロイヤルに加勢への加勢を試みるのであった。
さて、蒼治達の方へ視点を戻す。
「くそっ、また2発かっ!」
蒼治は舌打ちしながら苦言を吐くと。レッゾが座る運転席へと振り向くが早いか、稲妻のような早口で指示を出す。
「後部ハッチ、開けて下さい! 僕も出ます!」
「ああ! そういうだろうと思って、もうスイッチは入れておいた!」
レッゾの言う通り、蒼治が指示を口にしている最中には、重厚な駆動音を立てながら後部ハッチが開いて行く。
「それにしてもよぉっ!」
レッゾが振り向き、忙しない様子で早くもハッチへと足を運ぶ蒼治の背中に声を飛ばす。
「もう何度目だっけなぁ、こっちに暫定精霊が飛んで来るのは!」
「8回目です!」
振り向かずに答えた蒼治に、レッゾは自嘲とも自暴とも取れる苦笑を、ハッ、と漏らす。
「もうそんなに来てンのか!
こりゃマジで、兄ちゃんの言う通りみたいだな!
流れ弾じゃねぇ、ピンポイントにオレ達を狙ってやがる!」
この言葉に対して、蒼治は何のコメントも返さない。ハッチが人1人が抜け出すのに十分な隙間を開けたからだ。全開を待たずに蒼治は隙間の中に身を入り込ませ、走行中の装甲車から外へと飛び出す。
ちょっと無茶な体勢で飛び出したので綺麗に着地…とは行かなかったが、崩し気味のバランスを前転して整えると。即座に身体魔化を付与して、速度を落とさず疾駆を続ける装甲車に全力疾走して追いすがり、跳躍。背の高い装甲車の車高を悠然と跳び越え、車上に着地する。
車上には、片膝を付いた状態で身体を固定し、定義変換済みの大剣を大砲のように構えたノーラの姿がある。
ちなみに今回のノーラの大剣は、細長い直角三角形が直角部を向き合わせた、中央に一筋の空隙が走る鋭角三角形の刃を持つものである。この刃は両刃になっており、接近戦では苛烈な斬撃を見舞うことが出来る。一方、空隙は術式を弾丸様に成形して形而下に具現化させると共に、弾丸を加速させる銃口の役割を担っている。つまり、この武器は近・遠距離両用の武器になっているワケだ。
蒼治の登場に、ノーラはチラリと視線を走らせたが…すぐに視線を元の場所へと戻す。その先に在る――いや、居るのは、勿論、先に彼女が報告した2体の暫定精霊である。
蒼治はノーラの視線に合わせて振り向きながら、身につけた白いコートの内側から双銃を取り出しつつ、口早に尋ねる。
「どうだい、同じ術者のものかい?」
「はい…間違いないです。
解析は、気を付けて下さい…例によって、"罠"が仕掛けられてますから」
蒼治は頷きながら、焦点を暫定精霊に合わせる。
卓越した魔法技術を有する蒼治に対して、たったの2体の暫定精霊を差し向けるというのは、通常の感覚で考えると少な過ぎる。ノーラ1人でも、十分対処出来る数量であろう。
しかし、わざわざ2人で対応に当たるのには、当然ながら理由がある。
飛来してくる暫定精霊の構造がとんでもなく複雑かつ強靱で、非常に厄介な性能を持つものばかりなのだ。
今回の2体も、その例に漏れない。色彩こそ、一方は赤、他方は紫の一色と単調なものであるが、形状は悪夢に出るようなほど凶悪にして奇っ怪、そして複雑だ。
赤色の方は、巨大な鳥…もっと言えば、鳳凰のように見える。翼を広げた幅が優に3メートルを超えるその怪鳥には、翼や銅に戦闘機を思わせるような小型ミサイルやミニガンを思わせる器官が備わっている。まるで、戦闘機と鳥のハイブリッドだ。
紫色の方は、胴長の東洋の龍を思わせる姿をしている。赤色のように機械的な器官は有していないものの、際立って目立つのは巨大な棘のように発達した大きな鱗である。これらの鱗の一つ一つが、まるで魚のヒレのようにさざ波立つような有様で蠢いており、大気中を水中のごとく泳いでるような有様である。
この2体は装甲車から約10メートルほど手前まで接近すると、攻撃を開始する。赤い鳳凰は翼に装着されたミニガン様器官から堅固な塊とかした火霊の術式の弾丸を、強烈な騒音と共に掃射。他方、紫の龍は鱗をハリセンボンのように逆立てたかと思うと、それら一つ一つを体から切り離した。宙に解き放たれた鱗は瞬時に形状を返ると、球形に猛獣の如き険悪な顔を張り付かせた小型の暫定精霊の群れとなり、雨霰と装甲車へと降り注ぐ。
「僕が防御するっ! ノーラさんは、狙撃してっ!」
蒼治は言うが早いか、即座に対抗術式を解析して構築し、防御用方術陣を展開。装甲車は六角形のパーツが集合したドーム状の方術陣に囲まれた――直後、赤い鳳凰の掃射弾丸と紫の龍の小型暫定精霊群が激突する。
ガギギギギィィィンッ! ドドドドドドドドドッ! 連続する耳障りな跳弾音と爆音。方術陣は強烈に揺さぶられ、みるみる間に術式構造が歪んでゆく。そのままでは数瞬のうちに方術陣は破壊されてしまうところだが、そこは魔法技術に長けた蒼治。片っ端から術式構造を修復し、防御力を保ち続ける。
とは言え、敵の攻撃の速度と威力は非常に大きく、修復のための魔力錬成作業は脳に大きな負担をかける。蒼治も気付かぬうちに、脳へと急激に流れ込む血液の衝撃に耐えられずに鼻孔の血管が破裂し、彼の右鼻からツツーと赤い筋が流れる。
一方、ノーラは炎と煙、そして飛び散る激しい火花の合間を覗き見るようにして、2体の暫定精霊の運動を瞬きせずに追跡。そのうち、頭上を通過してゆく赤い鳳凰を標的として定めると、手にした大剣の切っ先を鳳凰の未来位置へ素早く向けて、術式弾丸を構築。蒼治の作り出した方術陣を破壊せずに透過すると共に、鳳凰に打撃を与えられる"であろう"構造を作り上げる。
――"であろう"、と云う消極的な表現に留まってしまったのは、何を隠そう、ノーラは2体の暫定精霊の構造を十分に解析出来ていないからだ。
彼女は車上でずっと索敵に当たっており、今回の2体を確認した時点ですでに、解析作業自体は行ったのだが…ここで、彼女が前述した"罠"が作業を阻んだ。
2体の暫定精霊を形而上相で視認した瞬間、ノーラは激しい頭痛に襲われた。何せ、脳の認識処理を遙かに超過する勢いで、超高密度の術式が滅茶苦茶に動き回っていたからだ。その個々の術式は大した意味を持たないものであるが、それを過密に編み込むことによって解析者の脳活動にダメージを与えるという"罠"なのである。俗に『コンフューザー』と呼ばれる措置である。
それでもノーラは、ある程度の構造をなんとか把握した上で、術式弾丸を形成し、そして発射したのである。
発射したのは、たった1発の弾丸である――数多く作るには時間が掛かりすぎるのだ――が、射撃は見事に鳳凰の胴体に命中する。鳳凰は赤い色をしているものの、その属性はなんと氷霊寄りである。故にノーラは火霊をメインとした弾丸を叩き込み、派手な爆炎で鳳凰の体をぐらつかせた。鳳凰は憎々しげに、ギィアアッ、と甲高く鳴いた――しかし、すぐに体勢を立て直して回頭。装甲車へと再び肉薄する。
(今の手応えから、術式をちょっと修正して…もう1発!)
ノーラが再び術式を大剣の刃の中で生成を始めた…その時。急に視界が、眩い紫に染まった。
(何…!?)
思わず術式構築を中断し、視界を巡らせた、ノーラ。ほぼ真逆の方向に視線を向けた時、彼女は視界を閉ざした紫色の正体を知る。紫の龍が、サメのように多重に牙が生えた口腔から、自身の体色と同じ色彩の龍息吹は吐き出したのだ! その威力は蒼治の方術陣が防いでくれたものの、龍息吹はその表面を滑って全方位を包み込んでしまったのである。
(これじゃあ、未来位置の予測が…出来ない…!)
焦燥でブワッと冷や汗が顔面から吹き出したのと、ほぼ同時に…! ズドォンッ! ズドォンッ! 雷鳴のような爆音が頭上で2発、発生した。爆発の衝撃によって一瞬、吹き散らされた龍息吹の合間から見えたのは、既に頭上を通り過ぎようとしている鳳凰だ。恐らく、胴部のミサイルによる爆撃を行ったのだ。
蒼治の鉄壁の方術陣により、装甲車およびノーラたちは鼓膜をつんざく轟音に苛まれた程度で、そよ風ほどの打撃も被らなかったが。状況は好転したワケではない。すぐに方術陣の周囲は紫の龍の龍息吹に覆われ、再び視界は閉ざされてしまう。まるで首を引っ込めたまま、手も足も出なくなってしまったカメのような状態だ。
(だからと言って…手をこまねいていても、仕方ない…!)
ノーラは小さく首を振って気持ちを切り替えると。完全に輝きに帳の向こうを飛び回る鳳凰を追うことを止め、帳を作り出す龍の撃破に取りかかることにした。
方術陣の周囲はほぼ完全に龍息吹によって覆い尽くされているが、ただ1点、異質なものが見えている箇所がある。それは、龍の口腔だ。
ロイの例に寄れば、竜は強烈な魔力の奔流である龍息吹を体内から直接吐き出さない。体内では術式を十分に練り上げるだけで、実際に破壊事象へ転化するのは体外に吐き出してからである。さもなくば、自身の内臓を傷つけかねないからだ。つまるところ、口腔の近傍は龍息吹が具現化していない領域なのである。
暫定精霊の龍にもこの事情が当てはまるのか、はたまた別の事情があるのかは、ノーラには判断できない。ともかく、龍の口腔が露わであることは、この場合において幸いと言えよう。
しかし、初めから龍の口をめがけて攻撃しなかったことにも理由はある。具現化はしていなくとも、口腔の近傍は強烈な術式が存在する。それは非常に強力な魔力の結界として作用することになるため、突破するのが大変困難であるのだ。実際、ノーラは一度解析した上で、その手間をかけるよりは鳳凰を追撃する方が容易いと判断していた。
(…でも、この状況で私が出来ることは、これくらいしかない…!)
ノーラは、ゆっくりと動き回る龍の口腔にめがけてピタリと剣先を向けると、龍の口腔近傍の形而上相を解析しながら、術式を練り上げてゆく。やはり龍の口元の術式は非常に厄介で、突破を実現するためには十分時間をかけて、着実且つ堅固な構造を作り上げねばならないようだ。その間に再び鳳凰が爆撃に戻ってくる可能性はあるが、それを防ぐ手だてはノーラにはない。この懸念は、蒼治の実力に頼るしかない。
(龍を破壊できなくとも…せめて、竜息吹を途絶えさせることが出来れば…!)
ギリリと奥歯を噛みしめ、先行しがちな焦燥を抑え込みながら、注意深く、そして緻密に術式を錬成してゆく…。
その最中…ノーラ達を襲ったアクシデントは、鳳凰による爆撃ではなかった。
ガゴゴゴゴ…! 突如、真下から響く地鳴り。そして、装甲車を激しく揺らす振動。
(え…!? なんで、下から…!?)
思わず術式を練り上げる作業を中断して、ノーラが車上から地面に視線を投げた、その時。
ガゴォンッ! 岩盤が激しく軋み動いた音と共に、大地が隆起。装甲車はボコンッ! と小高い丘の上に盛り上げられた…かと思うと、丘がメキメキメキ、と岩を掻き分ける音を立てながら猛スピードで動き出したのだ。
こうして装甲車は丘によって運ばれて、路地の中を元来た方向へと連れ戻されてしまうのであった。
当然、操縦者のレッゾはこの状況を黙って指を咥えて見過ごすワケがない。アクセルを目一杯踏んで丘から脱出しようと試みる…のだが。
「クッソッ! 車輪が…回らねぇっ!」
レッゾは分厚い唇を歪めて唾棄し、ハンドルを両拳でドンッ! と強打する。
――そう、装甲車の車輪は丘の一部が形成した岩石の棘によってガッチリと捕縛され、全く動けなくなってしまったのだ。
一体、何が起こったというのか? その経過を冷静に把握しているのは、この場ではただ1人…蒼治だけである。
(さっきの爆撃だ!
あれで、地霊系の暫定精霊を生成したんだっ!)
蒼治は方術陣を制御していることもあり、防いだ攻撃の特性をかなり詳しく把握している。鳳凰による先刻の爆撃は、激しい爆発を伴ったものの、爆発の性質としてはさほど注目すべきものがなかった。ただし、妙だったのは衝撃の伝わり方だ。2発の爆発によって生まれた衝撃波は、塊のように纏まって大地に伝搬したのだ――非常に高密度の術式を伴って。
(竜の鱗と言い、怪鳥の爆撃と言い…! 暫定精霊を介して暫定精霊を作り出すなんて…! 術者は、相当の技術力を持った手練れだっ!)
蒼治は舌打ちを漏らすほどの悪態の混じった感心を覚える一方、即座に状況の打開策を考える。
そして思い浮かんだのは…"悲観主義者"と評されやすい彼にしては非常に無茶な作戦だ。だが、他に即効性のある手段は、考えつきそうにない。
蒼治は独りで小さく頷いて決心すると、流れ続ける鼻血を右袖で乱暴に拭い取ってから、鋭く叫ぶ。
「ノーラさん!
そのまま龍を狙って、氷1、雷3、火4、風7の比率で、幾何学パターンA63で術式を構築! 僕が合図したら、射撃して!
それから、レッゾさん!
そのままアクセル全開で踏み続けてください! そして、ノーラさんと同じ合図のタイミングで、無音の魔化を切って、全魔力を注いでタイヤの修繕を行って下さい!」
指示を受けた2人は、各々が即座に了解の声を上げる。蒼治の意図は明白であるため、問い質すような無駄な真似はしない。
蒼治は2人の声を背に受けながら、車上から飛び降り、驀進する丘の形をした暫定精霊の背に着地する。瓦礫まみれだけでなく、いくつもの鋭い岩石の棘にまみれたその部位は、激しく身をよじらせるイモムシのように絶えず蠕動を続けており、非常に足場が悪い。蒼治は片膝を立てた他に、左手に持った拳銃を、銃口を接地させる形を取り、ようやく身を支える。
続いて蒼治は、右手に持った拳銃をやや上方に構える。とは言え、銃口が向いた先には、特に何があるワケでもない。龍の口腔はかなり離れた位置にあるし、鳳凰の位置は相変わらず不明だ。強いて言えば、彼自身が作り出した方術陣があるだけだ。
この状態で蒼治は、術式の錬成に取りかかる。この作業は、並の魔術師にとって極めて困難なものであろう。何せ、防御用の方術陣を維持したまま、ノーラの術式弾丸の構築の進行状況も把握しながらの作業だ。脳や魂魄への負担は多大なものになる。事実、蒼治は鼻血のみならず、眼は真っ赤に充血して視界がぼやけるし、脳が直接締め付けられるような鈍くて強烈な頭痛に苛まれることになった。
加えて、彼に更なる辛苦が襲いかかる。足下の暫定精霊の自衛のためか、蒼治の存在を認識すると、棘を生成して蒼治の脚を数カ所、貫いたのだ。
「ぐあ…っ!」
思わず言葉を吐き出す、蒼治。しかし彼は、痛覚遮断の身体魔化を施すことなく、歯茎が血が滲む程に歯を食いしばって、ひたすら耐える。そもそも、身体魔化にまで魔力を回す余裕がないのだ。
焼け付くような激痛も加わった地獄の中でも、蒼治は決して挫けない。混濁する意識の中で、氷のように研ぎ澄ませた精神でひたすらに術式を構築し続ける。
拭った鼻血が再びダラダラと零れて顔に一筋の川を作り、足下には脚の傷口からの出血が薄い真紅の水溜まりとなって広がった頃。蒼治は合図するように、ギリリッ、と激しい歯軋りを鳴らし、行動に出る。
ガチンッ! 響いた引き金の音はたった1つであったが、それは蒼治が同時に双銃を発砲したからである。――そう、彼は結界に向けた右手の銃だけでなく、体の支えに使っているように見えた左手の銃にも、強力な術式弾丸を装填していたのだ。
ガォンッ! と大気を震わせる音と、ガギュィンッ! と大地を轟かせる音が同時に響く。
結界に向けて発射されたのは、透明度の高い薄黄色の、大人が一抱えするような大きさの弾丸である。それは弾丸にしては非常にゆっくりした速度で、高速回転しながら結界の方へ一直線に進んでゆく。
一方、蒼治の足下では眩い緑色の閃光が爆発的に発生していた。射出された弾丸が即座に丘型の暫定精霊に着弾したのである。
転瞬、丘型の暫定精霊に異変が発生する。まるで強打されたイモムシのようにブルリと全身を揺るがしたかと思うと…次いで、堅固な岩盤の体が、水っぽいゼリーのようにグンニョリと歪む。同時に、装甲車のタイヤや蒼治の脚を貫いていた棘が、気の抜けた風船のようにクニャンとしなだれながら、ズルリと傷口から抜けてゆく。解放された蒼治の脚からは、栓の抜けた血管からバシュッと真紅が噴き出し、アクセル全開のまま捕まっていたタイヤは急回転を始め、タイヤを派手に破裂させた。
こうして自由になった装甲車が、パンク状態でガタガタになりながら前進を始めた――その瞬間。
「今だっ!」
蒼治が雷鳴のように合図を口にする。
その叫びに当てられたレッゾとノーラは、各々雷光に当てられたように、迅速な行動に出る。
レッゾは流れるような手つきでスイッチをいじり、無音の魔化を停止させ、タイヤ修繕用の術式を起動させる。ガタガタのタイヤがブヨブヨになった岩盤を擦過するギュルギュルギュル、と言う耳障りな音が響きわたる中、タイヤが青白い魔力励起光に包まれて再生を始める。
そしてノーラは、刃の中で電光様の励起光が飛び散るほど魔力を充足させた術式弾丸を、ギュゥンッ! と言う大気を切り裂く音と共に射出した。
ノーラの弾丸が方術陣に到達するより早く、蒼治の球形弾が着弾を果たす。すると、球形弾は蕩けたゼリーのようにフニョリと形を崩して、方術陣と同化してゆく。そして、完全に形が消滅した瞬間――ヴィィィンッ! と鼓膜を聾する甲高い振動音が発生。同時に方術陣が霞むような有様で激震すると――バシャァンッ! と大量の水をぶちまけたような音と共に、龍の吐き出す竜息吹を一気に弾き飛ばしたのだ。
今、結界の向こう側に見えるのは――ガラスのように輝く紫色の魔力片と、竜息吹を吹き飛ばされてなお、虚しく口を開いてこちらを睨みつける紫色の龍、そして高空で位置を知らせるように旋回している鳳凰である。
(…そっか、あの鳥、あんな場所に…)
ノーラが薄紫色の見開いて、クルリクルリと円を描く鳳凰に視線を注いだ頃。彼女が射出した弾丸が、龍の口腔の中に潜り込んだ。
先の蒼治の術式による方術陣の激震は、具現化した竜息吹だけでなく、口腔近傍の魔力も吹き飛ばしたらしい。
多重の牙の列の上をすんなりと通過し、咽喉の奥へと達した弾丸は、何の抵抗もなく竜の術式で出来た体の中に潜り込み――爆裂する。
轟ッ! 爆音と共に、龍が長大な体を仰け反らせる――いや、勢いがつきすぎて、その場で2、3度激しく回転する。その遠心力の当てられたかのように、龍の体から鈍い紫色に輝く大量の破片が吹き散らされる。それらをよくよく見ると、奇妙な形状をした文字の群であることが分かる。龍を構築していた術式が、弾丸の爆裂に当てられて安定を失い、暴走気味に具現化したものだ。
こうして破片をぶち撒けた龍は、1周りも2周りも体積が縮み、剥き立てのゆで卵を思わせるようなツルリとした体表を呈する姿となる。凶悪さを失い、美麗さと共に脆弱さが強調された姿である。
この姿を、射抜くような強烈な視線で睨めつけている者が居る。蒼治だ!
彼は双銃を龍に向けて照準を定めながら、"神速"と評しても過言でない速度で術式構造の解析を始める。先には『コンフューザー』によって保護されていた術式構造であるが、ノーラの加撃によって保護をほぼ完全に剥ぎ取られていた。――そう、先程宙にぶち撒けられた魔力片は、『コンフューザー』のものだったのである。
丸裸同然の龍の構造を完全に把握した蒼治は、銃身内部に次々に術式弾丸を形成して装填。そして片っ端からトリガーを引き、フルオートで連射を開始。ガガガガガッ! と騒々しい銃声が連続し、多様な色彩のマズルフラッシュが閃くと、色とりどりの魔術励起光の尾を引いた術式弾丸が龍の身体に接近。次々に着弾すると、ドォンッ! ドォンッ! と小爆発を起こす。
龍の身体に突き刺さる弾丸は、それぞれが構造を緻密に調整された術式であり、同じものは1つして存在しない。それらが順繰りに龍の身体に突き刺さることで、発動した魔法現象の効果は雪だるま式に強化されてゆく。爆発に翻弄され、焼けた鉄板の上に放り込まれたミミズのごとく激しく身をくねらせる龍は、身じろぎ1度ごとにバラバラと術式の破片を振り撒きながら、崩壊してゆく。
そして、遂に――。蒼治の掃射音が止まり、最後の術式弾丸が龍の身体に抉り込まれると。龍は断末魔を上げるように、顎が外れるほどに口腔がガバァッと開いたかと思うと、全身にパルスのようなノイズが走り――直後、強烈な静電気が爆ぜるようなバチンッ! という音を立てながら、紫色の術式片の花火となって、散華した。
厄介な暫定精霊をようやく1体、葬った瞬間である。
「ぃやったぜっ!」
装甲車の操縦席でレッゾがガッツポーズして叫んだ…が。
「レッゾさん! アクセルを踏み続けて!」
蒼治が雷光のように指示を飛ばす。厄介者を撃破した歓喜に加え、蒼治をその場に放置することを気にしたレッゾは、車体下の丘型暫定精霊がしぼんだ時点でアクセルから足を離していたのだ。蒼治はこれを諫めたのである。
「だ、だがよ、兄ちゃん! それじゃアンタが…」
レッゾが懸念をそのまま口に出すが、蒼治は皆まで言い終えぬうちに叫ぶ。
「良いから! 前進してっ!」
有無を言わせぬ勢いにレッゾは遂に屈し、分厚い唇を一文字に引き結びながらアクセルを目一杯踏み込む。タイヤは既に完全に修復されており、装甲車は急加速を得てグニャグニャになった暫定精霊の上を走り出す。
これを認めた蒼治は、去ってゆく装甲車への餞別とでも云うかのように、今度はノーラに向かって叫ぶ。
「鳥に向かって、雷、気持ち氷と土! 幾何学パターンB27、微量属性はオルトに配列!」
それが新たな術式弾丸の構造であることを悟ったノーラは、即座に刃の間隙に魔力を集結させる。
一方、上空を旋回しているばかりであった鳳凰は、龍の撃破を検知すると行動パターンを変更。急旋回して装甲車の方に頭を向け、一目散に接近。同時に、翼に装着された機銃様器官が小さく駆動音を上げて回転し、発射準備に入る――。
(やらせるか!)
蒼治は方術陣を解除すると、重傷の両脚に対して全意識を集中して痛覚遮断と筋力強化の身体魔化を付加する。今や魔術を多重同時操作する必要がなくなった彼の意識は既に冴え渡っており、この程度の魔術発動ならば造作がない。
1秒も掛からず強化された脚を駆使し、蒼治は跳躍。急降下しつつ装甲車に肉薄する鳳凰の進路上に浮かび上がると、双銃を真っ直ぐに構えて鳳凰の顔面に照準を合わせる。
暫定精霊は感情を持たぬ疑似魂魄ゆえに、蒼治の行動に対して動揺しない。冷静に迎撃ルーチンを起動させ、輝く嘴を開いて何らかの攻撃を放とうとする。
しかし、攻撃ならば蒼治の方が早かった。
双銃を同時斉謝すると、ドドォンッ、と大砲が炸裂したような音が轟く。次いで、赤と青の魔力励起光をまとった術式弾丸が互いに絡み合う螺旋を描きながら一直線に鳳凰の顔面に肉薄し、着弾。
慟ッ! 純白の閃光が爆ぜたかと思うと、鳳凰の頸が大きく仰け反り、赤い魔力片を派手に吹き散らす。『コンフューザー』の術式が瓦解したのだ。
この瞬間を、地上のノーラは決して見逃さない。
(今ッ!!)
刃の中に形成した弾丸を射出すると、電光をまとった黄色の魔力励起光の尾を引いて弾丸が高速で飛翔。そのまま、仰け反った鳳凰の顔面を寸分違わず打ち抜いた。
ビクン、と鳳凰が身震いしたかと思うと。砂の建造物に水をぶっかけたように、形状がグシャリと崩壊。粉雪のような赤い魔力片と化して、瓦解し街並みにフワリフワリと降り注いだ。
同時に、装甲車が足蹴にした丘型の暫定精霊も、融解したアイスクリームのようにベシャリと広がって崩壊。瓦礫と土の混合物となって、路地の上を覆うばかりとなった。
この時点を以て、ようやく蒼治達の激闘の幕が下りた。
「フゥ…ハァー…」
ゆっくりとした深呼吸しながら自由落下する、蒼治。意識の混濁や激痛に耐えながらの術式構築作業は相当な負担であったことだろう。その疲弊からか、彼は落下速度を減じる魔化も施さず、四肢をグッタリと脱力させた状態で、重力の為すがままに瓦礫の大地へ吸い込まれてゆく。
もし、このまま何の助けも来なければ、彼はどうなっていたであろうか。無慈悲な大地に受け止められ、無惨に骨格や内臓が破砕してしまっただろうか。それとも、そこは実戦経験豊富な蒼治のこと、間一髪で気力を取り戻し、何らかの対策を取っただろうか。
しかし、その結果を確かめる術はもはやない。と言うのも、レッゾが慌てて装甲車をバックさせて蒼治の真下で待機し、車上のノーラが刃の間隙で作り上げた浮遊の効果をもたらす"優しい弾丸"で蒼治を撃ち抜いたのだ。蒼治は羽毛のようにフワリフワリと落下して、音もなく装甲車の上に仰向けの体勢で着地した。
「大丈夫ですか…!」
ノーラが慌てて蒼治の元に駆け寄り、即座に鎮痛と回復促進の魔術を使おうとする。…が、蒼治はフラフラと掌をノーラの顔に向け、その動きを制する。
「大丈夫…とは、正直、言えないけどね…。
でも、僕のことは…気にしないで。装甲車の救助キットで、自分で治療出来るから…。
ノーラさんは、魔力の回復に勤めながら、引き続き索敵を続けてほしい」
そう言うが早いか、重傷のためにおぼつかない足取りで装甲車の最後部、ハッチへと向かう、蒼治。ノーラは咽喉元まで引き留めの言葉がこみ上げて来たが、それをグッと飲み下すと、代わりにこう尋ねる。
「また…今回みたいなのが、襲ってくるんでしょうか…?」
「イェルグ達の加勢が来ない限りは…ほぼ確実、だろうね」
そう即答した蒼治は、そのままズルズルと装甲車の最後部に到着すると、鈍い動きでトントン、とハッチとの接合部分の近傍を叩く。レッゾへ"ハッチを開けてほしい"という合図だ。音は周辺に内蔵されたマイクを通して操縦席に伝わり、レッゾは蒼治の意志を通りにハッチを開く操作を行う。
人1人が転がって入れるほどの隙間が開いた途端、蒼治は倒れ込むような動作でその隙間に身体を滑り込ませる。傾斜がまだまだ急角度なハッチの蓋の上を転げ落ちた蒼治は、着地の寸前で浮遊の魔術を発動させ、人員収納スペースの床にフワリと落下。大の字になって五体を投げて倒れたまま、暫く浅い呼吸を続けるばかりであった。
「…大丈夫か? もう少し、車、止めとくか?」
数秒の後、レッゾが気遣いの言葉をかけると。その言葉に突き動かされたように、蒼治はユルユルとした動作で四つん這いになり、ズルズルと操縦席側へと進み始める。救助キットが設置されているのが、その辺りだからだ。
道すがら、蒼治は浅く荒い呼吸の合間に、レッゾへの返答を口にする。
「いえ…進んで下さい。
あまり留まっていると、また攻撃されてしまいますから…。
迷彩はすぐに施せませんけど…回復し次第、出来るだけ早く方術陣を展開します…」
「いや、そんなに急がなくていいから、ゆっくり休んでくれよ」
レッゾの気遣いに、自嘲にも似た乾いた笑いを返しながら、救助キットが入った金属製の箱を開く。
救助キットの中身は、魔術的な治療器具が大半を占めている。体組織回復の高等魔術を込めた液体触媒の入ったアンプルや、鎮痛などの魔化が施された包帯などである。非魔術的な道具は、包帯などを止めるテープくらいなものだ。
ちなみに、世間一般的な治療器具は、非魔術的な器具や薬品も多数ある。いくら異相世界と結合した現在とは言え、魔術を扱えない一般人は多数存在するのだから。
さて蒼治は、ボロボロの制服のズボンを恥ずかしげもなく脱ぐ――もとより、恥ずかしいなど言っている場合ではない――と、体組織回復のアンプルの中身を両脚に振りかける。アンプルの中身はドロリとした粘性の液体で、ゆっくりと脚の表面を滑って広がってゆく。その上に手をかざした蒼治は、液体に向かって魔力を集中、液体に込められた魔術効果の解放と効果の促進を行う。
出血はピタリと止まったものの、悲惨な傷口は"見る見る間に回復する"とはいかないが、徐々ながらも着実に体組織が再生を始める。回復魔術に長ける紫ならば、もっと高速で確実な体組織再生が見込めたであろうが、居ない者強請りは出来ない。
「フゥ…」
蒼治は一息吐いて背中を操縦席との間を隔てる壁に預け、冷たくなった汗で塗れた暗紺色の髪を掻き上げた、その時。操縦席の方からレッゾの声が遠慮気味に滑り込んでくる。
「…備え付けの救助セット程度で、大丈夫なのか…その傷?」
「ああ…はい。もうちょっと時間を掛ければ、大丈夫ですよ」
掻き上げた髪からポタポタとこぼれた汗の滴で塗れた眼鏡を外し、コートの内ポケットから取り出したハンカチで拭きながら、蒼治が答えた。
蒼治の声の調子は疲労の色が濃いものの、苦痛を耐えているような苦々しい響きではない。その事に安堵したレッゾは、戦闘後の重い雰囲気を和らげる目的か、軽口を叩く。
「兄ちゃんの部活、結構こういう状況に巻き込まれてるんだろ? …学生があんまりこんな状況に首突っ込むのは、感心できないが…それはともかく、よくもまぁ眼鏡なんて愛用してるな。壊れたり、破裂して顔に突き刺さったりしたら大変だろ?
視力に不安があるなら、矯正の術式を刻み込む手術すりゃ良いんじゃないのか?」
この問いに蒼治は、薄い笑みを伴って返答する。
「実はこの眼鏡、伊達なんですよ。
身に着けてなきゃならないってことは、無いんですけどね…。
なんていうか、これは僕のスイッチみたいなものなんですよ。願掛けの鉢巻みたいなもの、ですかね」
「兄ちゃんほどの使い手でも、願掛けに頼りたくなることがあるのか?」
レッゾが意外そうな声を上げると、蒼治はアハハ、と声を上げて小さく笑う。
「僕は、部の仲間たちから言わせれば、悲観主義者だそうですからね。何かに縋ってないと、不安なんじゃないですかね」
「あんな戦い方、悲観主義者がやるモンかよ」
レッゾは白い歯を見せて笑う。そう、さっきの暫定精霊2体を相手にした戦い方は、いかなる艱難辛苦にもめげずに活路を見い出す者の姿そのものだ。
「まぁ、僕も"希望の星を撒く"をスローガンにしてる部活の一員ですからね」
レンズを吹き終わった眼鏡を掛け、クイッと直しながら蒼治は語る。
「戦闘と言えば、だがよ」
レッゾが口調を固くして、蒼治に尋ねる。
「今回はまた、一段と恐ろしい暫定精霊に襲われたモンだがよ…。競合勢力が4つ巴になってる前線じゃ、あのレベルの暫定精霊がゴロゴロしてるってことなのか?
今はオレ達、逃げ回ってるけどよ…兄ちゃんのお仲間が加勢に来たら、戦闘の中に突っ込むんだろ? かなりヤバくねーか?」
対して蒼治は、首を横に振る。
「いえ…さっきのも含めて、今まで8回襲撃してきた暫定精霊は全部、間違いなく僕ら用に特別生成したものでしょうね」
この答えを聞いて、レッゾはギクリとして思わず人員収納スペースを振り返る。
「何ぃ!? あれは、流れ弾がたまたまこっちに反応してたワケじゃねーってのか!?」
レッゾは振り返ったものの、人員収納スペースへの覗き窓には蒼治の姿は見えない。彼は覗き窓のすぐ下に座り込んでいたからだ。しかしレッゾはすぐに視線を戻さず、姿の見えぬ蒼治を探すように人員収納スペースを見つめ続ける。
蒼治はそんなレッゾの視線に答えるように、首を縦に振りながら答える。
「初めに攻撃を受けた時から、ほぼ確信していたんですけどね。さっきの戦いで『コンフューザー』は剥ぎ取って、確信が100%になりました。
あいつらの索敵ルーチンは、僕らに特化したものを使っていました。術者が所属している"パープルコート"は、昨日僕たちが混戦を切り抜けた実力を鑑みて、非常に強力な暫定精霊をぶつけて来ています。
恐らく、僕らを混戦の場に引きずり出して、『バベル』へのエントロピーの足しにするつもりでしょうね」
ゴトンッ! と大きく荒い振動が装甲車を襲う。タイヤが大きな瓦礫を踏みつけたらしい。そこでハッとしたレッゾは、視線を進行方向に戻しながらも、更に蒼治への問いを掘り下げる。
「こっちは、たった装甲車一台分の戦力なんだぞ!? なんでそんな特別製を、直近の敵がウジャウジャしてる前線でなく、ちっぽけなオレ達にぶつける必要がある!?
それなりの威力の暫定精霊で煽った方が効率的だろう!
そもそも、前線の状況を見ていないのにあれが特別製だと、どうして判断出来るんだ!? 天下の地球圏治安監視集団の戦力なんだ、さっきのレベルが標準でもおかしくないだろ!?」
「地球圏治安監視集団だって、万能の部隊ってワケじゃありませんよ。
全隊員の練度が怪物並、ってことはありません」
かなり回復してきた脚の具合を確かめるようにさすりながら、蒼治は語る。
「さっきの暫定精霊を作り出した術者は、はっきり言って、怪物並の練度の持ち主です。暫定精霊をトリガーにして、別の高度な暫定精霊を生成するだけのロジックを編み出すなんて、恐ろしい労力です。並の術者なら、脳に負荷が掛かりすぎて失神するかも知れません。そんな代物を2体同時に創り出すんですからね、怪物と言って差し支えないですよ。
とは言え、地球圏治安監視集団もそんなレベルの怪物をゴロゴロ抱え込む必要がある部隊もあるでしょう。『女神戦争』に介入してる部隊なんて、その良い例だと思います。
ですが、一都市国家に常駐してる部隊にそんなレベルの隊員を多数配属するのは、宝の持ち腐れです。ましてや、このアルカインテールは情勢がさほど差し迫っていたワケじゃありませんからね。強力な戦力が配備されていたとは考えにくいです。
もしも配備されていたとしたら、アルカインテールの混戦はここまで長引くことなく、地球圏治安監視集団の圧勝で幕を閉じているはずです。
恐らく、たまたま部隊が擁した隊員の中に、突出した実力の持ち主が居たんでしょうね。僕たちが相手にしているのは、間違いなく、その人物でしょうね」
レッゾがゴクリと固唾を飲み込む。
「そんな厄介なヤツが、なんでオレ達なんかにそんなに目を付けるのか…ますます分からねーぜ」
「レッゾさんは、貧乏クジを引いてしまったんですよ」
蒼治がバツの悪い笑みを浮かべながら、肩を竦める。その動作はレッゾには見えていないが、気配は伝わったようだ。彼が怪訝そうな声を上げる。
「貧乏クジ?」
「はい。
昨日、僕たちは4人だけでも、この都市国家の状況を滅茶苦茶に掻き回した事実がありますからね。『バベル』の開発者にとっては、僕らくらいコストパフォーマンスの良いエントロピー供給材料はないと判断したことでしょう。
ましてや今回、"パープルコート"は限られた時間の中で確実な成果を上げなければ後がない状態です。何ともしても僕らを引きずり出したいと思っても当然でしょう。
レッゾさんは、僕らと行動を共にしたが故に、その被害に巻き込まれてしまっているワケです」
「…なるほどな。そう解説されると、貧乏くじ、って言葉も納得出来るな」
レッゾは短く苦笑したが…すぐに、声を固くする。
「ってことは、9回目の攻撃も来るってことだよな…!?
今までの傾向から見て、暫定精霊の力は確実に強化されてるし…今回、兄ちゃんがこんな被害を受けてるってことは、次は相当ヤバいんじゃねーのか!?」
「確かに、今回も僕らが状況を打開しましたからね。術者がもっと強力な[[rb:暫定精霊]]を用いてくるのは、当然でしょう。
ですが」
蒼治はようやく傷が気にならない程度まで脚が回復したのを確認すると、ズボンを穿きながら言葉を続ける。
「さっきの戦闘で、ノーラさんの的確な協力のお陰で、僕は暫定精霊の構造をしっかり把握出来ました。
加えて、今までの戦闘で得たデータがありますからね。この2つを併せて鑑みることで、術者の傾向がある程度予測できました。今回よりは優位に戦えると思いますし、迷彩ももっと的確なものが構築できます」
「もし、相手が今までの傾向とガラッと変わった暫定精霊を仕掛けてきたら、どうするんだ?」
衛戦部の人間らしく、決して無責任な楽観視をせずに問うてくるレッゾに対して、蒼治は眼鏡をクイッと直しながら答える。
「確かに、その可能性も考えられます。しかし、それを実現するとなると、術者は相当な手間を強いられますからね。次の攻撃まで、かなりの時間が開くことでしょう。その間、僕らは身を隠す時間も迷彩を多重に張り巡らす時間も十分に取れますから、そうそう簡単に発見はされないと思います。
まぁ、発見されてしまったその時は…」
蒼治は肩を竦める。
「その時、ですね。
それまでには、僕らの仲間が加勢に来てくれるとは信じてますけどね。不幸にも間に合わなかったら…また根性入れて対応するしかないですよ」
正論ではあるものの、最終的に根性論に落ち着いてしまった結論に、レッゾは不快感を隠せぬ苦笑いを浮かべる。
「不幸にならないことを、カミサマだかメガミサマに祈ることにするよ」
――ここで会話が一息ついたところで、蒼治は早速迷彩を施し直し、次回の暫定精霊の襲撃に備える。一方レッゾは、アクセルを強く踏んで、入り組んだ瓦解した街並みの更に奥へと装甲車の姿を隠すのであった。




