Drastic My Soul - Part 4
◆ ◆ ◆
一方、こちらはアルカインテールの地上部。
プロアニエス山脈と高層建築物の陰に覆われて薄暗い、瓦解した街並みの中を、一台の装甲車が砂煙を上げながら走っている。この車両は、蘇芳らの避難民グループに所属しているものだ。
この車両に乗っているのは、星撒部の蒼治・リューベインにノーラ・ストラヴァリ、そして市軍警察の衛戦部所属の運転手、レッゾ・バイラバンである。蒼治が乗り込んでいることから、この車両が今朝の会議で言及された斥候であることは自明である。
ガラガラの人員収納スペースに乗り込んだ蒼治とノーラの2人は、軍警察官から借り受けた魔化が施された双眼鏡を用いて、覗き穴から各々逆方向の様子を眺めていた。
蒼治においては、勿論、双眼鏡だけに頼らず、探索用方術陣を密かに展開して広範囲に探査も行っている。
一方、ノーラは双眼鏡を使うだけでなく、自前のナビットの回線を開きっぱなしにして、地下からの通信、または本日加勢に来る予定のイェルグ、大和、ナミトらとの相互連絡を行う役割も担っていた。
しかしながら、双眼鏡からも方術陣からも、都市国家中で何らかの動きが起こっているような状況は探知できず。地下からも連絡はないので、装甲車内は静寂に満ちた街並みに飲み込まれたかのような沈黙に満ちていた。――とは言え、完全な沈黙ではなく、装甲車のエンジン駆動音は絶えず響いているが。
ともすれば"退屈"と形容できる状況に陥ったことに音を上げたのかも知れない、蒼治がポツリと運転席に向けて声を上げる。
「…すみません、レッゾさん。
昨日も大変な目に遭わせてしまったというのに、今日も斥候に付き合わせてしまって…」
するとレッゾは、外ばかりを眺めている蒼治に見えるワケもないのに、パタパタと手を振って答える。
「気にするな。
オレの考えも、蘇芳と同じだ。学生さんたちばかりに今回の事態の打開を押しつけたくはないし、第一、オレ達の都市国家での問題だ。オレ達がケリを付けるのがスジってもんだろう」
語るレッゾの調子は、相変わらず沈着冷静だ。どんな状況でも人の命を運ぶ職務が為に精神的に鍛え抜かれているのか、それとも単に本人の性格なのか。出会ってまだ丸一日と経っていない程度の付き合いでは、蒼治もノーラもそれを推し量ることは出来ない。
何はともあれ、渋々という様子でなく、進んでこの役目を買ってくれた事実だけはよく分かるので、蒼治もノーラもその点だけは安心出来る。
「…それにしても、本当に静かだな。気味が悪いくらいだぜ」
先に言葉で堰が切られたように、レッゾは太い唇から言葉を紡ぐ。実は彼は沈着冷静な態度を取りながらも、静まりかえった沈黙は苦手なのかも知れない。
そんなレッゾの言葉に、今回返答を返したのはノーラである。
「昨日、私たちが入都した時も、遠くから砲撃か爆音かの音がしていましたけど…。この都市国家では、交戦状態下にあるのが、普通なんですか…?」
レッゾは質問に対して、ドレッドヘアをワサワサと揺らしながら首を縦に振る。
「概ね、そうだな。
"パープルコート"どもの拠点、特に"バベル"の格納場所はオレ達含めて、知られてなくてな。それを探しだそうと、他の勢力が躍起になって探索してるんだが、その最中に衝突が起きることはしょっちゅうだな。
それに、昨日みたいに"パープルコート"の外部からの物資輸送部隊が入都してきたり、何らかの任務で小隊もしくは中隊規模の部隊がこの都市国家に姿を現した時なんかは、奴らを捕縛して情報を搾取しようと必死になる。
おかげで、"バベル"起動時には極一部といっても差し支えない範囲だけだった壊滅地域が、今じゃ都市国家中さ。
例え、首尾良く今日明日に地球圏治安監視集団の本隊が事態を収拾してくれたとしても、この都市国家で暮らすのは難しいだろうな…」
「でも…地球圏治安監視集団は優秀な復旧用の暫定精霊を持ってますから…案外早く、復興が終わるかも知れませんよ…。
私、一昨日別の都市国家で、その過程を実際に目にしたんです…。無から有を作り出してるんじゃないか、って思えるくらいの勢いで…凄かったですよ…」
ノーラが言及しているのは、一昨日"獄炎の女神"による求心活動で壊滅的被害を被った都市国家、アオイデュアのことである。あの時、復興作業に勤しんでいたのは、地球圏治安監視集団の中でも"ビリジアンコート"と呼ばれる軍団であった。
「へぇ…。そりゃあ、心強いこった…と、言いたい所だがな…。
ウチの"パープルコート"どもを見ていると、今一信用とか期待とか寄せられないんだよな…」
率直で実に訴えるレッゾの言葉に対し、ノーラは苦笑を浮かべて、「そういう気持ち、分かります…」と同情を含んだ同意を口にするのだった。
こうして会話が一段落を迎えた、その直後。待ち受けていたかのように、ノーラのナビットがコールを立てる。ノーラは双眼鏡を片手に持ったまま、ぎこちなく右手一本でナビットを操って応答しようとすると、向かい側から蒼治が「良いよ、通信に集中して」と語る。そこでノーラは言葉に甘えて、双眼鏡を置いて顔を車内に引っ込め、ナビットを操作した。
すると、ナビットからホログラム・ディスプレイが展開され、そこにドデカく映ったのは…制服越しにも山のようなボリューム感が分かる、豊満な胸である。
「あれ…? あれれ…? 変なトコにカメラ行ってる気がする…。
おーい、ノーラちゃーん、見えてるー?」
緊張感に欠いた明るい声の主は、星撒部のキツネ型獣人の少女、ナミト・ヴァーグナである。
ノーラは見せつけられるようにカメラに迫り、プルプルと揺れるバストを苦笑いで見やりながら、指摘してやる。
「ナミトちゃん…胸しか映ってないよ…」
「おわっ! マジで!?
うっわー、蒼治先輩、鼻の下延ばしてガン見してたでしょ!?」
「…そんな事してないよ。そもそも、ディスプレイすら見てないってば…」
蒼治が双眼鏡を覗いたまま、やるせなく苦笑しながら言い返していた。
一方でナミトはナビットをいじって、カメラの位置を調整する。ガチャガチャゴトゴト、という音をナビットのマイクが拾い、やたらと大きな騒音となって装甲車内に響き渡ること数秒の後。ようやくディスプレイには、キツネの耳が髪の毛の中からピンと立った、童顔の少女を映し出す。
「あー、これで大丈夫そう?」
「うん…ちゃんと顔が見えてるよ」
「よっしよしよし!
それじゃ、改めまして、ノーラちゃん、ヤッホー! 元気してるー?」
ナミトは、アルカインテールが置かれている深刻な状況には全くそぐわない、底抜けに明るい調子で手をパタパタ振ってくる。
「今の所、何も問題はないし…綿は元気かな。
でも、都市国家の様子は…嵐の前の静けさって感じで…不気味な雰囲気だよ」
「それじゃ、まだドンパチは始まってないワケだねー!
良かったー! 朝一番で出発するはずだったんけどねー、色々あって遅れちゃってさー。今、ようやくプロアニエス山脈の上空に入った所だよー」
ナミト達、星撒部の加勢一同は、大和が定義拡張で作り上げた飛行艦による空路でアルカインテールを目指すことになっている。
「遅くなったのは、お前が朝寝坊したからじゃんかよ…」
ディスプレイの視界の外側から、苦笑いを交えた突っ込みを入れたのは、イェルグである。ナミトはその言葉にツツーッと頬に一筋の汗を垂らして固まったが、すぐにぎこちない笑い声を「ナハハ…」と上げて誤魔化すのであった。
そんなナミトをフォローするつもりではないようだが、蒼治が結果的にはそうなる言葉を告げる。
「まぁ、あまり早くこちらに入都してしまって、好戦的な勢力を刺激するのは得策じゃないし、結果的にはオーライじゃないかな」
「ですよね!? ですよね!」
ナミトは頬の汗を吹き飛ばす勢いで首を上下にブンブンと振ってみせる。蒼治はその有様を目にしているワケではないが、音声だけでも様子が如実に想像できたらしい、"やれやれ"といった溜息を吐いてみせた。
それから蒼治は声を真剣さで固めて、別の話題を振る。
「今、プロアニエスに入ったばかりって話だけど、アルカインテールまではどれくらい掛かりそうなんだ?
それに、アルカインテールの周囲には空間汚染を装った結界がある。これをどう突破して入都するんだ? 一度降りて、僕達と同じように結界の一部を解除するつもりかい?」
その問いに対する答えを何も持っていないナミトが視線を泳がせながら「えーと、えーと」と答えあぐねていると。ディスプレイの端からヌッと黒のロングヘアに民族衣装的な布を身体の各所に纏った青年が顔を見せる。星撒部2年生のイェルグ・ディープアーである。
「そうだな、今の速度のまま進めば、15分足らずで到着ってところだろうな。
それと、入都はこのまま入るつもりだ。オレが、こっち側の空とそっち側の空を直接繋げて、回廊を作るよ。
せっかく空を飛んでるってのに、無駄に陸に降りるなんて、勿体なくて仕方ない」
「そういえば、イェルグ、君が居たんだね。進入方法の確認なんか、愚問だったか」
「そうでもないさ。何にせよ、確認は必要だろうよ」
肩をすくめて答えるイェルグに、蒼治は双眼鏡を覗いたまま、初めて苦さを含まない微笑みを浮かべたのだった。
だが蒼治はすぐに表情を引き締めると、入都後の手筈についての確認を始める。
「さて、入都後の君たちの仕事だけど。事が起こるまでは、上空から様子を探っていてくれ。何か見つけても、何もなくても、5分置きに連絡を取り合おう。
それで、事が起こってからだけど、僕らは地下に居る避難民の皆さんが移動するまでの間、地上の勢力を引きつける囮の役割を担うことになる。
そこで、誰がどの勢力にぶつかるか、なんだけど。個人の能力を鑑みて、こんな風に考えてみた」
蒼治は一息置いてから、続ける。
「まず、ナミトは『冥骸』の連中に当たってくれ。君の卓越した練気技術は、霊体にも有効だしね」
「オッケー! 死後生命のじっちゃんばっちゃんは、ボクが懲らしめてやるよー!」
豊かな胸に固めた拳をグッと寄せて、ナミトは元気一杯に了承する。
「次に、イェルグには"パープルコート"の駐留軍を抑えて欲しい。
彼らは地上戦力として機動装甲歩兵も有しているけど、昨日交戦してみた様子から鑑みると、飛行戦艦や『ガルフィッシュ』と言った空中戦力の方に重きを置いているみたいだ。
だから、空中戦が得意な君に、是非とも抑えてほしいんだ」
その依頼に、イェルグは眉をひそめるどころか、愉しげとも余裕綽々とも取れる薄ら笑いを浮かべながら、首を縦に振る。
「空が舞台だってンなら、異論はないさ。
何なら、機動装甲歩兵の方も引き受けるぜ。どうせ、大和には一機、オレ用の戦闘機を造ってもらうつもりだったからな。地上を爆撃できる装備を搭載するように、調整してもらうよ。
なぁ、頼むぜ、大和」
イェルグは画面外に居るはずの大和の方へ顔を向けて声をかけたが…相手からの返事は、ない。操縦に集中でもしているのだろうか。
しかしイェルグは、返事がないことを大して気にした様子はなく、ちょっと肩を竦めて見せただけだった。
次に蒼治が指示を出した相手は、そんな返事のない大和である。
「大和、君には"インダストリー"の連中の相手をしてもらいたい。
君の定義拡張なら、彼らの機動兵器に対抗できる兵器を作れるだろうからね。
出来るだけ、派手な大型の兵器を造ってもらえると、相手の目をひきつけやすくなるから、有り難いんだけど。それで頼めるかな?」
そう問いかけるものの、大和はイェルグの時と同様、一言たりとも返事を返さない。これに対し、蒼治はイェルグのように気にせずに見過ごすことはできなかったようだ。怪訝そうに眉根を寄せながら、思わず双眼鏡を眼から離してノーラのナビットのディスプレイに視線を向ける。
「大和、聴いてるのか?
これは多くの人の命が懸かってる仕事なんだ、身を入れて動いてくれないと困るぞ!」
ちょっと怒気を絡めた強い語気をぶつけると、ディスプレイの向こうからようやく大和の声が返ってくる…が、その声ときたら…。
「はい…ちゃんと聴いてましたよ…了解ッスよ…。
大型の兵器ッスね、はいはい…」
徹夜明けでボロボロになり、やる気が尽き果てたサラリーマンを思わせるような、惨め極まりない声であった。
これには蒼治も怒りを崩して、ギョッとした態度を取る。
「大和、どうしたんだ? 体調でも悪いのか?」
その質問に対して大和は、「はぁ~…」と深く、長い溜息を前置きにしてから、ウジウジと答える。
「いえ…病理学的には健康そのものッスよ。
いや…唯物論時代から、精神衛生って医学の範囲ッスよね…? だとすれば、不健康だって言っても間違いじゃないッスかね…。
………ハハハ、何独りで妙に深淵で無駄な事を語ってるンスかね、オレ…。相当キてるな、こりゃあ…」
画面外で独りで語り、独りで突っ込む彼の有様は、道化と表現するにはあまりにも荒み煤けていた。
「…どうしたの、大和君…? 何かあったの…?」
ノーラが本気で心配して、眉を寄せながら尋ねる。それに対して、ナミトやイェルグは白々しいジト目を作ると、ほぼ同時に気の入っていない薄ら笑いを浮かべて、「…フッ」と鼻で笑う。そんな冷徹と形容できる反応にノーラが首を傾げていると、岩の隙間からナメクジが這い出してきたかのようなジト~っとした声を、大和が咽喉の奥から絞り出す。
「…ノーラちゃんは、新入部員だって言うのに、平気なんスか…?」
「え? な、何が、ですか…?」
聞き返した、その瞬間。ドタドタドタッ! と激しい足音を立ててディスプレイの視界外から大和が全力疾走で登場。ナミトとイェルグを押しのけ、度アップでカメラに顔を寄せてきた。その表情は、今にも大粒の雨がこぼれそうな黒雲に似た、暗く、悲哀に満ちたものである。
「お、おい、大和、操縦放り出して平気なのかよ…!」
大和の背後でイェルグが突っ込むが、大和は答えない。大和が彼自身の定義拡張で作り出したはずの飛行艦には、オートパイロットも完備されているのかも知れない。
それはともかく、大和はディスプレイに噛みつかんばかりの勢いで、目尻に涙を溜めながら叫ぶ。
「一昨日も、ほぼ一日中、『現女神』の戦力相手に過酷な労働を強いられたンスよ!? そして今日すぐに、地球圏治安監視集団だの"インダストリー"だの、物騒な連中がワンサカしてる戦場の中に叩き込まれるンスよ!?
何が悲しくて、オレの青春、こんな重労働ばっかりに塗りつぶされなきゃならないンスか!!」
大和がずっと暗かったのは、短期間で立て続けに物騒な任務に十時させられた事に対して不満を感じていたからのようだ。
蒼治が苦笑いを浮かべながら踵を返し、双眼鏡を手にとって再び外界の様子の監視作業に戻った頃。大和は更にカメラに顔を近寄せ、ボロボロと涙を零しながら訴える。
「星撒部って言ったら、レベルの高い女の子の巣窟じゃないッスかぁ!
オレはそこで、女の子に囲まれてキャッキャウフフなバラ色の青春時代を謳歌するつもりだったのに…!
来る日も来る日も、泥臭い仕事ばっかり…! オレは便利屋として、ひったすら機械だの車両だの作らされまくって…! オレは工場の作業ロボットじゃないンスよ!?
理不尽だーっ! 理不尽過ぎるーっ! 今からでも改善を要求してやるーっ!」
喚く大和の肩を、背後からポンと叩いたのは、イェルグだ。えっぐえっぐと嗚咽(演技ならばまだ救いようがあるが、これが本気ならばドン退きだ、とノーラは密かに思った)を漏らしながらイェルグの方を振り向く、大和。するとイェルグは、爽やかな笑いをニコッと浮かべながら、こう語った。
「そんなにふてくされるモンじゃないさ。
オレだって、お前と同じだろ。一昨日はアオイデュア、今日はアルカインテール。同じじゃないか。
それに、ノーラなんて、一昨日から昨日、今日にかけてずーっと物騒な中に居るんだぜ?
お前だけが、理不尽な状況に陥ってるワケじゃないさ」
「…イェルグ先輩とオレは、状況が全然違うッスよ…!」
大和は強く肩を振るって、イェルグの手を肩から弾き飛ばすと、両の拳を握りしめて腕をプルプルさせながらイェルグに向き直り、言葉で噛みつく。
「先輩は、ヴァ姐さんっていう心の支えがあったじゃないスかぁっ! アオイデュアの時、始終一緒に任務に就いてッスよね!?」
「いや…始終ってのは違うだろ。
オレは地元の防災部と一緒に消火活動で走り回ってたし、ヴァネッサのヤツは避難場所の確保で待機してたじゃんか。
それに、同じ任務に就いてるからこそ、気が休まらないってこともあるんだぜ? 現にオレは、ノーラと一緒に居たってだけで、睨まれまくったしな。あいつの変な嫉妬深さにゃ、参ったモンだよ」
苦笑いを浮かべて諭すが、大和は全く納得した様子はなく、イェルグを恨めしそうに睨みつけ続けている。
「嫉妬される時点で、オレには羨ましすぎるッスよっ! 女の子の嫉妬なんて、構って欲してすり寄ってくる子犬みたいなモンッスよ、可愛いモンじゃないスかぁっ!」
そして大和は、イェルグが更に何か諭すより早く、ナミトにわっと抱きついた。これが並の女子なら、気のない男子からこんな事をされれば気を悪くしてふりほどく所だろうが、ナミトはちょっとビックリした顔を作った程度で拒絶的な反応は示さない。それどころか、よしよし、と大和のハリハリしたブラウンヘアーが繁る頭を撫でてさえ見せた。
アリエッタも物腰柔らかだが、彼女らのように豊満なバストを持つ女子は、母性が高い傾向にあるのかも知れない。
「ナミちゃあああん! ナミちゃんだけだよ、今のオレには!
ナミちゃんがいなけりゃ、オレは今頃、任務の過酷さに干されて、とっくにミイラになってたよーっ!
ああ、オレの大天使、ナミちゃーん!」
「おおー、よしよしー、可哀想にねー」
そう言いながら撫で撫でするナミトの顔は、本気で同情してる顔ではなく、どう見てもからかいの色の濃い、含みのある笑顔である。
そして、笑顔が含んでいた"毒"を、ナミトは吐き出した。
「でもねー、大和くーん。
星撒部の活動は、ナンパでもイチャイチャでもないからねー。
ボク達の活動は、困ってる人たちに希望を与えるために奮闘することだからねー。
そういうヨコシマな考えばっかり、四六時中考えてるようならー…副部長に、注意してもらうよ?」
最後の一言は、笑顔のままながら、全く笑っていない鋭くて堅いトドメである。
すると大和は、ビクン、と身体を震わせたかと思うと、身の危険を感じた昆虫のようにサササッ! と素早い動作でナミトから離れる。
「ちょっ…いやいやいやいや、副部長だけは勘弁!
あの人、ハンパじゃないから…! ホント勘弁ね、お願いだよ、お願いします、本当にお頼み申し上げます!」
語るにつれて徐々に頭を低くした大和は、最後には土下座をする形になってしまった。それほど彼にとっては、副部長の渚からの注意は恐ろしいものらしい。
ナミトとのやりとりで徐々にいつものテンション――女の子の尻に敷かれがちな情けない部分も含めて――に戻ってきた大和の様子に、蒼治は双眼鏡を覗いたまま苦笑いを浮かべながら小さく嘆息すると。笑いが尾を引く声音で大和に確認する。
「それで、大和、頼めるんだろうな? "インダストリー"の相手。
僕は君を立派な戦力として認めた上で、今回の戦略を立てたんだけどね。もしも本当に無理だって言うなら、戦略を直ぐに修正しなきゃいけないからね」
すると大和は、眉根に皺を寄せて、顎に手を置き、ムムム、と唸りながら難しい表情を造る。とは言え、その表情は真剣というには、かなり演技臭い。
「いやー、簡単に言ってくれますけどね、実際はヒッジョーに手強いですよ、"インダストリー"は。
蒼治先輩の話では、今回は短期決戦で一気に"バベル"ってヤツを奪取しに来るって話ッスよね? ってことは、奴ら、惑星内戦闘とは言え"タイプD"装備で根こそぎ敵勢力を沈黙させて、戦況を一気に自分たちの優位に傾ける可能性が高いッスよ。
"タイプD"装備は本来、宇宙空間に用いられる空間歪曲兵器を初めとした、超大威力兵器ッスからね。ただデカくて堅いだけの囮を造っても、ソッコーで素粒子分解されちゃうのがオチってことになるッスから…」
「――つまり、大和。冗談抜きで、君では"インダストリー"の相手は無理だと?」
そう尋ねる蒼治は、弱気に聞こえる大和の言葉を聞いた割には、心配の色など一片も混じっていない。それどころか、結論を含まぬ答えに、少々苛立ちさえ含んでいた程だ。手にした双眼鏡を放して今一度ディスプレイの方に振り向くなど、全くしない。
何故そこまでぞんざいな対応を取るかと言えば…蒼治は、大和の性格から今後の展開を読み切っているからである。
そして、蒼治の心配のない態度を肯定するように、大和はニヤリと得意げな笑みを浮かべてみせた。
「いや、無理だ、なんて一言も言ってないッスよ。
ただ、相手が一筋縄じゃいかないどころじゃないって事を、知っておいて欲しかっただけッスよ。
そんでもって…」
大和は親指を立てて自身の顔を指さし、これ以上ないほど得意極まりないドヤ顔を作って、強気に言い放つ。
「正義の"機械工学の求道者"たるオレが、外道な"インダストリー"の連中に負けるワケないッスよ!
任せといて下さいッス! その役目、見事果たして見せるッスよ!
だから…」
更に大和は、精一杯恰好をつけた、歯から今にも星形の輝きが放たれそうな表情を作ると、姫に対して騎士がやるようなうやうやしい礼を見せて、こう語ってみせる。
「ナミちゃん、そして、ノーラちゃん。
この作戦が終わったら、オレの事、物凄く褒めちぎって、抱きついてくれて良いんだよ?」
この台詞にナミトとノーラの女子勢はきょとんとする一方、イェルグと蒼治はどちらも"やれやれ"といった苦笑を浮かべる。特に蒼治はそこに加えて、大和の得意げな鼻面をへし折ろうとするかのように、ボソリと付け加える。
「それじゃあ、紫にもそう伝えておくよ。花は2つより3つの方が良いだろう?」
すると大和は、笑みを一転、青ざめた顔を作って「うげっ…!」と声を上げる。
「あ、そっか…! あの小姑も、昨日からこっちに居るンスよね…!」
「ああ。今はロイと一緒に、僕らとは別に動いてるけどね」
蒼治がそう答えると、大和は恐ろしい怪物に遭った記憶をフラッシュバックさせたように、額に掌を置いて、戦慄き始める。
「うっわ…なんでいつもいつも、あの小姑はオレの楽園を邪魔するようにチームに入り込んでくるンスかね…!
…はっ! まさか、副部長、それを見越してオレをナミちゃんやノーラちゃんの元に…!?
あああああ! 鬼だっ! 副部長は女神なんかじゃないっ! 鬼そのものッスよぉっ!」
大和は一人で頭を抱えてくずおれ、グネグネと身体を揺らして叫び動くのだった。その有様は、熱々のたこ焼きの上に載せられたカツオブシが揺らめく様に似ていて、ノーラもナミトも笑わずにはいられなかった。
さて、蒼治は大和との無用な時間を食ったやり取りがようやく終わったことに溜息を吐いた後に。最後にノーラへと役割を告げる。
「最後に、ノーラさんだけど、君には癌様獣の対処をお願いしたいんだ」
そう告げられた瞬間、大和のことを笑っていたノーラの表情がギクリと強ばる。
「え…私が、癌様獣の相手…ですか…!?」
非常に心許ない様子で聞き返すノーラであるが、それは彼女の性格上無理からぬことと言える。彼女は自分に対する自信がない故に、自分のことに対して悲観的なのだから。
蒼治もそんな彼女の性格のことは、この2日間の行動から読みとってはいる。しかし、同時に、彼はノーラの本番に強い性格も知っている。だからこそ、入都時に癌様獣と交戦した際に真っ先に打開方法を見つけたり、トンネル内でロイに『十一時』の攻略法を伝授したり出来たのだ。
だから蒼治は、今回の役割をノーラに任せることに一片の不安も感じていない。強いて弱点を上げるとすれば、自身に対する自信のなさであるが、これを出来るだけ解消するべく、蒼治は双眼鏡を目から離してノーラに向き合うと、微笑みを携えて勇気づける。
「大丈夫。ノーラさんには、事態に臨機応変に対応出来る機転があるし、卓越した魔法技術もある。そして、定義変換という力強い武器もある。
君のその力を活かせば、定義が変わる霊核を相手にしても、十分に渡り合えるはずさ。
それに僕は、君に癌様獣の殲滅をお願いしてるワケじゃないよ。足止めしてくれさえすれば良いんだ。
それでも大変な仕事だっていうことも、十分知ってるつもりだけど…その上で、この役割の適任者は、君だと思う。頼まれてくれるかな?」
そうまで説得されては、ノーラは相変わらず自信を持てずとも、首を縦に振らざるを得なかった。
「…分かりました。出来るだけ、やってみます…」
「うん。お願いするよ」
ひとしきり役割を伝え終えたところで、大和が演技ぶって挙手しながら声を上げる。
「ところで、蒼治先輩は、何をするンスか?
まさか、オレらの戦いを見物してるだけ、ってワケじゃないッスよね?」
「勿論だよ」
蒼治は肩を竦めて笑うと、双眼鏡を眼に当ててディスプレイに背を向けて外界の監視を再開しつつ、答える。
「僕は、ルッゾさんと一緒にみんなのところを回りながら、蘇芳さん達の方に状況を逐次報告するよ。それと、危なそうな場所にはヘルプに入るつもりさ」
その言葉に、ノーラが目をパチクリとさせて、背を向けたままの蒼治に心配と同情を交えた視線を向ける。
「…凄く、忙しそうですけど…大丈夫なんですか…?」
蒼治の語った仕事の内容は、離散している現場の状況把握と指揮に勤めながら、必要に応じて現場の手助けすらしてみせるということに他ならない。通常は指揮だけで手一杯になるところを、他の役割までこなそうと言うのだから、その気苦労は大変なものだ。
しかし蒼治は、ノーラの心配に視線を返すでなく、肩を竦めてみせるだけだ。
「仕方ないさ。僕の外部通信で、今回の状況を作ってしまったんだからね。責任は取らないとね」
「…別に兄ちゃん1人が背負い込む責任じゃないってのに…。
外部への通信に賛同して兄ちゃんに頼んだのは、蘇芳やオレを初めとした、市軍警察官一同だぜ。責任があるとすれば、オレ達の方にこそあるってモンじゃないか?」
レッゾがそうフォローするものの、蒼治は反論するでも賛同するでもなく、背中で笑いながら有り難く言葉を受け取るだけであった。
「…とにかく。作戦の内容は、皆把握したかな?」
蒼治の問いに、ノーラおよびディスプレイ越しの加勢一同が肯定の返事をすると。蒼治は続けてこう語って、作戦伝達を締める。
「それじゃあ、イェルグ達はアルカインテールに入都したら、ノーラさんのナビットに連絡を入れてくれ。僕達と一度合流するか、それともそのまま現場に向かってもらうかは、その時の状況を見て指示するよ。
今回の外部通信も、十中八九、地上の勢力に関知されているはずだ。これがどれだけの影響を生むかは分からないけど、あまりに変化が激しかったら、その時もノーラさんに頼んでイェルグ達に連絡を入れることにする。
入都して早々に撃墜された、とか洒落にならないからね」
「当たり前ッスよッ!
ちゃんと連絡入れてくださいよッ! マジで死活問題ですからッ!」
大和がそう喚きを残すと、そのまま小走りでディスプレイの視界外に消えていった。操縦の方に戻ったようである。
残ったイェルグとナミトは、ちょっとおどけた様子で敬礼の真似事をし、「そっちも気をつけて!」と言葉を残すと、映像通信を切断した。
途端に、車両の中に静寂が広がる。
すると、これまでの騒がしさを惜しむように、レッゾがすかさず声を上げた。
「援軍の連中、賑やかな奴らばっかりだな。あんたらの部活って言うのは、ああ云う賑やかな奴らが揃ってるのか?」
「まぁ…そうですね…。
副部長の立花渚先輩からして、凄いですから…」
ノーラは語りながらナビットを制服の上着のポケットにしまい込むと、手早く双眼鏡を目に当てて、外界の監視任務に戻るのであった。
レッゾの愉快そうとも苦々しいとも取れる笑いが、小さく短く、車両の中に響きわたった。
- To Be Continued -