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Drastic My Soul - Part 3

 ◆ ◆ ◆

 

 機械整備音やら大群の蠢く喧噪に彩られた一夜が過ぎ、アルカインテールに朝がやってきた。

 

 アルカインテールの早朝は、影で満ちている。

 この都市国家を囲む険峻なプロアニエス山脈が、早朝の高度の低い太陽の光を遮ってしまうために、長く延びた山々の影が都市国家を覆ってしまうからである。これが冬の季節ともなると、正午近くになっても太陽が山脈から抜け出せず、地上は密度の高い摩天楼と相まって薄暗い状態が続いてしまう。故に、アルカインテールでは午前中も、そこかしこで人工照明が灯ることになる。

 しかし、約1月も続く戦争状態によって瓦解してしまった街並みでは、そんな人工の光は望むべくもない状態だ。灯りがあるとすれば、地上を蹂躙して止まぬ"パープルコート"を初めとした勢力の拠点くらいのものだ。しかし彼らの照明の使い方は、戦争前の都市国家の状況に比べれば非常に慎ましいもので、都市を覆う影をはね飛ばすほどの明かりには到底至らない。

 また、一夜明けたアルカインテールでは、夜間には絶えなかった雑音がピタリと止み、不気味な静寂に支配されている。正に、"嵐の前の静けさ"という言葉がピッタリな状況だ。

 この静寂は、地上部を占領している各勢力が夜通しの作業で疲弊したための沈黙…というワケでは、決してない。そもそも、常に実戦に身を晒している人員達が、一晩程度の徹夜で(こた)えるワケがない。

 彼らは夜の内に準備を完全に終えた後は、来るべき口火が切られる瞬間を虎視眈々と待っているのだ。まるで、号令を待ってスタートラインに一列に並び、いつでも走り出せるように万全の体勢を取るマラソンランナーのように。

 沈黙は重苦しくはあったが、滲み出る号令への渇望によって、ジリジリとした熱を帯びていた。

 

 ――一方、地上部とはありとあらゆる意味で対極の状態になるのは、地下の"ホール"である。

 まず、"ホール"の早朝は爽やかな人工の陽光に満ちている。人工気象を司るシステムが曇りや雨を選択しない限り、険峻な山もなければ、超高層と呼べる建築物も皆無な"ホール"には、隅々にまで優しい明かりが届くのだ。

 アルカインテールの真なる住民である市民よりも、地下に追いやられている難民の方が爽やかな朝を迎えられるというのは可怪(おか)しな状況であるが、こういった要素もこの都市国家が『難民の楽園』と呼ばれる一端なのかも知れない。

 また、沈黙に閉ざされている地上部とは対照的に、"ホール"は忙しないざわめきに満ちていた。

 夜間は避難民、市軍警察ともに穏やかな安眠を享受していたのだが。市軍警察は朝日が昇ると同時に行動を開始。普段よりも数段も早い朝食の準備と平行して、(たた)めるものから次々にテントを解体したり、車両を整列させて資材を積み込む作業に打ち込んでいた。

 一方、避難民たちは軍警察官に叩き起こされるような真似はされずに普段通りの時間帯に起床したものの、朝食の場で軍警察官たちに鋭く急かされるような調子でこう指示される。

 「朝食が終わったら、すぐに荷物をまとめて、車両へと積み込んで下さい!

 今日は、拠点を移動します!

 移動の開始は状況に応じて行うので、何時から始めるかは今の段階では名言できませんが、正午よりずっと前に開始する可能性もあります!

 今回の移動は、急を要する致命的なものになるでしょう! 迅速に移動が開始できないと、我々みんなが危険に晒される可能性があります!

 皆さん、落ち着いた上で、手早い作業をお願いします!」

 就寝の前には、繁忙の予兆などみじんも感じられなかったというのに、急で重大な指示に避難民たちは勿論、困惑する。

 「一体、どうしたって言うんだ?

 まさか、地上の奴らが攻めてくるって言うのか!?」

 そんな風に尋ねる避難民たちに対し、軍警察官は極力刺激を与えぬよう、可能な限り抑揚を殺した物言いで返事する。

 「その通りです。特に、"パープルコート"が我々を脅かす可能性が高いです。しかも、徹底的に、です。

 ですから、皆さん、真剣に指示に従って、混乱のないように作業を行って下さい」

 "混乱のないように"とは言うものの、非常に物騒な返事の内容に、危機的状況に対する精神的鍛錬を行っていない避難民たちが動揺しないはずがない。彼らはサーッと顔に青色を浮かべ、朝食を口に運ぶ動きを早めたのであった。

 

 そして、"ホール"の指揮系統の中枢と言える、市軍警察拠点の指揮官用テントの中では。倉縞(くらしま)蘇芳(すおう)を初めとした市軍警察の指揮官クラス数名とと、星撒部の代表格である蒼治・リューベインが、サンドイッチを口に放り込みながら気難しい顔を付き合わせている。

 彼らがこの場で語り合っている内容は、勿論、今日の拠点移動作戦と、襲撃が予想される"パープルコート"への対策だ。

 この会議には、幽霊のように朧気な輪郭と半透明の身体をした、3つのグループが参加している。蘇芳らと同様の制服に身を包んだ彼らは、他の"ホール"で避難生活を送っているグループの指揮官クラスの者たちである。こういったグループは実際には、蘇芳たちを含めて軽く20を超える規模で存在しているはずだが…マトモに通信できたのが、このたった3グループだけだったのである。

 蘇芳と蒼治は彼らに対し、今この場で初めて外部への通信を行ったこと、そしてその刺激によって地上部の勢力が激しい行動に出るであろう予測を、彼らに打ち明けたのであった。

 「…そういうこったからな。

 一番マークされてるのは、彼らユーテリアの学生と合流したオレ達のグループだろうが、アンタらの方に手を伸ばさないとは限らない。

 警戒するに越したことはねぇ。アンタらもいつ、変事が起こってもいいように、拠点移動の準備は整えておいた方が良い」

 蘇芳の言葉を聞いた他"ホール"のグループの代表たちは、皆一様に気難しく表情をしかめた。特に、グループでも最上位の指揮権を持つリーダー格は、腕を組んだり、口元に手を当てたりして、極力感情を排して蘇芳の言葉を飲み込もうとしているようであった。

 そんな最中、幅広で背丈の低い体格をした壮年間近の軍警察官が、こめかみにクッキリと青筋を立て、戦慄(わなな)く拳を胸元に当てながら、憤って喚き出す。彼はこの場に居る者達の中で一番年齢が高いものの、組織の中での立場は蘇芳たちより低いため、グループの中でのリーダー格とはなっていない。組織のサイズが小さくなった今、その歯がゆさが益々自覚された為に、感情的になりやすくなっているのかも知れない。

 「そんな大事を招く行為を! 蘇芳君! 君は何故、我々に一言も相談せずに独断で実行したのかね!

 十分に議論してからでも、遅くはなかっただろうに!」

 そんな壮年軍警察官の物言いに、隣に立つ彼の年下の上官は、目を伏せてゆっくりと頷く。面長で厳つい顔をした彼は、蘇芳と同じく防災部所属の中佐で、険が読みとれるような顔立ちに反して非常な慎重派であった。

 彼はよく通る低い力強い声で、言葉を継ぐ。

 「影響が君たちだけに出るのならば、我々とて文句はない。

 しかし、寝耳に水の状態で、そのような大事を突如知らされ、即時対応せよと言われる我々の身の上も察してもらいたかった。

 何らかの理由で事前の議論が出来ないのならば、事後に即座に情報を共有することも出来ただろうに」

 「…いや、私は蘇芳中佐の行動を支持する」

 防災部の中佐に対して、蘇芳を擁護する言葉を口にしたのは、別のグループを率いる衛戦部に所属する女性中佐である。ナイフのように鋭い目つきに、パッチリとしたメイクが合わさって、氷で出来た花を思わせる女性である。

 「どうせ、事前に議論をしたところで、結論はまとまらず無駄に時間を費やした結果になったことだろう。

 ならば、遠くない将来に資源的にも頭打ちになってしまう現状を、いち早く打開できる可能性に賭ける方が有意義だ。

 我々は既に、1月もの間耐え(しの)いできた。あと数日耐えるだけで現状から脱出できるのならば、安い話だろう?」

 「マリエーナ中佐の言う事は、僕も理解出来る。けどねぇ…」

 3つ目のグループのリーダーである、地域部(所謂"おまわりさん"の任務を統括している部門である)の男性中佐が、癖のついた前髪をクルクルといじりながら語る。

 「事後の報告くらいは、欲しかったなぁ。デンゼウ中佐が言うように、いきなり急遽準備に取りかかれと言われても、心構えってモンが整わないからねぇ。部下たちも避難民の皆さんも、うまくモチベーションを持てずに、(いたずら)に作業をすることになっちゃうからねぇ。

 そもそもさ、何故地上の連中が僕らにちょっかい出してくるのさ?

 "パープルコート"はもう、外部に情報が漏れることを恐れる必要なく、堂々と"バベル"を起動させるだけだ。それに"インダストリー"その他の勢力だって、目的は"バベル"の奪取であって、僕たちの排除じゃないだろう?

 このまま地下でジッとして、地球圏治安監視集団(エグリゴリ)の本隊の救助を待ってれば良いんじゃないの?」

 「確かに、オレもそう思ったんだがよ…。それが、そうもいかねぇらしいんだわ。

 なぁ、ユーテリアの兄ちゃん?」

 蘇芳が首を傾げながら、隣に立つ蒼治の肩をポンと叩く。蘇芳は事前に、蒼治から事情の説明を受けていたのだが、あまり内容を理解できていない風である。

 だから蒼治は、蘇芳に託されたままに理由について解説する。

 「地上の勢力、特に"パープルコート"が僕たちを引きずり出そうとする理由。それは、場の混乱を更に増幅させるためです」

 「…なんだね、その理由はぁ!?」

 最年長の幅広低身長の軍人が、こめかみの青筋を引っ込めぬまま、怒気をはらんで抗議する。

 「君は、ユーテリアの学生だったね!? あの学校では、"英雄の卵"を育てていると言うわりには、戦場での実践的判断などを授業では全く取り扱わんらしいな!

 戦場が混乱するということは、自軍も危険に晒すということだ! だから、戦場でこそ厳格な規律や指揮系統の下で、整然とした対応が必要なのだ!

 自軍に破滅を手繰り寄せるような真似をしてどうする!」

 自分個人ではなく、学校の悪口まで言われて蒼治はカチンと来たのだが、フゥー、と長い吐息と共に不快感の熱を吐き出して気を落ち着かせる。

 (この場にロイが居たら、間違いなく喧嘩になって、話が滞っただろうな)

 そんな想像をしてクスリと苦笑いを浮かべられるまで落ち着いた蒼治は、眼鏡をクイッと直して雰囲気を堅くすると、キビキビと答える。

 「"パープルコート"の目的は、他勢力を打ち倒すことではありません。あくまで、"バベル"を正常に機能させることです。

 しかし、彼らはこの1月という長い期間の中、"バベル"を一度も起動させていません。部隊全員が懲戒処分になるリスクを負った身の上で、本隊を納得させられるような成果を残したいのであれば、"バベル"を何度か試験的に起動させて調整する方が合理的なはず。ですが、彼らはそれをしなかった。何故でしょうか?

 その答えとして予想できるのは、彼らは起動しなかったのではなく、"起動"できなかったから、ということです」

 「…なるほど、君に言うことには一理あるな」

 厳つい面長の慎重派の中佐が顎に手を置いて、ゆっくりと首を縦に振る。

 「あんな巨大で、しかも『天国』を呼び出すような代物だ。電力を使っているか何かは分からないが、その起動には相当のエネルギーが必要なはず。

 公的なインフラがほぼ壊滅し、その扱い手も激減した今の状況では、"バベル"に巨大なエネルギーを供給するのは、難しいだろう」

 これに対して蒼治は首を縦に振るが、彼の微妙に眉をしかめた表情は、全面的に発言を肯定したワケでないっことを物語っている。

 「あなたの言葉はほぼ的を得ています。そう、今の状況では、"バベル"は起動のためのエネルギーを得られない。

 ですが、そのエネルギーとは電力や精霊力のような、発電装置で生成する代物ではありません。その程度なら、暫定精霊(スペクター)の生成と操作を得意とする地球圏治安監視集団(エグリゴリ)なら、暫定精霊(スペクター)達を人手代わりにして作業させ、エネルギーを作ることができますからね。

 僕が思うに――これは、蘇芳中佐から聞いた話から"バベル"の性質から予想したことですが――"バベル"を作動させるのに必要なエネルギーとは、事象的エントロピー…つまり、この都市国家がどれだけ混乱に満ちているか、という形而上的エネルギーが必要だと思うんです」

 この言葉を聞いて、立体映像で参加している3グループの人々は、皆一様にキョトンとしていた。中には蘇芳に説明を要求する視線を投げかける者のいたが、蘇芳は肩を(すく)めて、蒼治に視線を走らせるばかりである。

 混合魂魄を実現した生体機関"バベル"を起動させる…つまり、混合魂魄を"生誕"状態に励起させるためには、事象的エネルギーが必要である――この結論を導き出すには、"阿頼耶識(あらやしき)的天国論"の観点に基づいた魂魄物理学の知識が必要となる。しかしこれを理論的に説明したところで、この場に居る人々に理解させるのは困難だろう。

 いかにして、この内容をうまく解説するべきか。蒼治は眼鏡をクイッと直して暫し思案すると、こう切り出す。

 「"バベル"というのは、赤ん坊に似た機械だと思って下さい。

 赤ん坊は母親の胎内で、外部からの情報からほぼ遮断された状態においては、あまり激しい動作を行いません。五感への大量の情報に溢れる外界に産み落とされて初めて、大きな産声を上げて激しく動き回ります。

 これと同様のことが"バベル"にも言えます。"バベル"は外部からの情報刺激が多くないと、動き出すためのモチベーションが上がらないんです」

 この説明は、魂魄物理学的には非常に乱暴な内容であるが、この場にいる者達はそこを指摘するだけの知識などあるワケもなく。"はぁ、そういうものなのか"という態度で、蒼治の言葉を半ば聞き流していた。

 そんな中、癖のある髪の毛をいじっている中佐が首を傾げながら尋ねてくる。

 「…えーと、ということは、我々を戦場に引きずり出してワーワー騒がせる方が、エントロピーが増大して"バベル"を起動させやすくなる…という事情で、良いのかな?」

 「はい、そういうことです」

 蒼治が頷くと、発言主の中佐はちょっといい気になって笑みを浮かべると、手を挙げて"理解しきった"と言う意志を表明する。

 この中佐の発言で、他2つのグループの参加者たちも、原理はともかく自分たちにまで火の粉が降りかかる事情を理解したようだ。怪訝な表情がスッキリと晴れ渡ったかと思うと、厳格な指揮官の表情に引き締まる。

 直後、発言したのは最年長の軍人だ。勿論、こめかみに青筋を立てて、憤りを露わにした状態である。彼は怒りながらでないと発言できないのではないか、と蒼治は勘ぐって、思わず吹きだしそうになるのをグッと堪えた。

 さて、最年長の軍人はこう喚き立てる。

 「ならば、なおのこと! 昨晩のうちに我らに事情を説明するべきであっただろう!

 "パープルコート"どもが何時襲ってくるのか、分からないのだろう!? 襲撃されてから逃げ出す算段を整えていては、遅すぎるであろう! 昨晩一夜を押してでも、退去の準備をするべきであったろうに!」

 これに対して蘇芳が反論するより先に、女性中佐が語る。

 「我々が抱えているのは、訓練された軍警察官だけではない。文民も含まれている。彼らに馴れぬ徹夜作業を強いても、作業効率が芳しくないだけでなく、必要以上に不安と恐怖を煽り、精神的な負担まで抱え込ませることになる。そんな状態で、いざ行動に出る時になって体が動かなくなってしまっては、元も子もないだろう」

 「そ、それはそうだが…」

 女性中佐の正論に、最年長の軍警察官は悔しげに一言吐くと、口を一文字に結んで黙ってしまう。やはり彼は、自身の憤りで(もっ)て会話の主導権を握りたがっているようだ。その証拠に、(つぐ)んだ口の中をモゴモゴさせ、なんとか反論を形にしようと必死になっている。

 そんな彼の意志を汲んだというワケではないだろうが、彼の上官たる面長の中佐が切り返す。

 「なるほど、昨夜の内に情報を共有しなかった理由は理解できた。

 が、やはり部下のみならず文民の命を預かる身としては、蘇芳中佐の方法を最善策としては受け入れ難い。

 もはや結果は巻き戻せないゆえ、直ぐに退避の準備を取らせると共に、こちらから通信可能な"ホール"の避難チームにも連絡を入れよう。

 しかし、我々が準備を終えぬ間に、"パープルコート"が我々に手を出して来る可能性は考えられよう? 君らの話を鑑みれば、彼らが夜通しで今日の為に準備を整えたことは自明だろう。

 十分な対策を立てられぬまま襲われては、我らは甚大な被害を被ることになるだろう。多くの命が失われることになった場合、蘇芳中佐、君にどう責任が取れるのだね?」

 「…責任を取る以前に、命を失わせやしないさ」

 蘇芳は不適に笑って、頭を振って見せる。その様子に、面長の中佐は凛々しい眉をピクリと跳ね上げ、挑むような調子で蘇芳を睨む。

 「…ほう。何か具体的な策でもあるのだろうね?」

 すると蘇芳は、ブイサインを作るように人差し指と中指を立てて、立体映像の参加者たちに突きつける。

 「まぁ取り敢えず、2つ、考えてることがある。

 って行っても、1つはこの兄ちゃんの受け売りで、策と言うよりは予測だけどな。だが、もう1つは正真正銘、体を張った作戦さ」

 「…聞かせてもらおう」

 面長の中佐が、眉根に(しわ)を寄せて、問うてくる。その表情からは、"ロクでもない策だったら、ブン殴る"とでも言いたげな凄みがある。

 額から鬼の角でも生えてきそうな気迫に対し、まず答えを口にしたのは、蒼治である。蘇芳の語った"策と言うよりは予測"についての解説だ。

 「まず、"パープルコート"の活動、つまり"バベル"起動のためのエントロピー稼ぎですが、これが開始されるのは、早くとも正午近くではないかと考えています。

 ですから、皆さんが準備に使える時間は十分に取れるのではないかと思います」

 「勿論、根拠があるんだよね?」

 癖毛の中佐が挑むようにして蒼治を指差して問うと、蒼治は臆することなく、しっかりと首を縦に振って頷く。

 「なぜなら、"バベル"に早々とエントロピーを与えてしまっては、"バベル"の魂魄構造が崩壊してしまう可能性が高いからです。

 僕はさっき、"バベル"は赤ん坊のようだと言いました。外界からの多くの情報に刺激されることで、産声を上げることが出来る、と。

 しかし、外界からの情報があまりに多すぎると、赤ん坊の脳が情報を処理を仕切れずにパンクしてしまうように、"バベル"の混合魂魄もエントロピーに過剰に引きずられて、離散してしまうからです。

 機能、この都市国家(まち)は…僕の口から言うのは(はばか)られますが…僕ら星撒部が入都し、それを口火とした混戦が発生したことで、大きなエントロピーを得ました。"バベル"にとっても、かなり大きな刺激になったはずです。

 僕は"バベル"の詳細は魂魄構造を知りませんので、予測的な概算でしかありませんが、昨日得たエントロピーの刺激が落ち着くまでには、もう少し時間がかかると見ています」

 「なるほど。それは確かに、策ではなく、単なる予測だな」

 面長の中佐が、見下した苦笑を浮かべて吐き捨てる。その言い方に蒼治は内心、カチンと感じるのを禁じ得なかったが、正論ではあるので言い返せない。

 その渦巻く無念さをぶつけるように、蒼治は次の策――蘇芳の言った"正真正銘、体を張った作戦"について、声高らかに語る。

 「もう1つ、僕たちが皆さんに対して出来ること。それは、端的に言えば(おとり)です。

 外部通信を行った当人として、僕には皆さんの命を背負う責任と義務があります。

 僕自身と、部員をもう1人、それと蘇芳さんから運転出来る方を1人お借りして、斥候として地上に出ます。"パープルコート"が動くとすれば、地上を拠点にしている他勢力に対しても睨みを利かせるでしょうから、目視できる大規模な戦力を動かすはずです。地上で変化が起こったら、僕達がすぐに蘇芳さんを通じて、皆さんに連絡を入れます。同時に、僕達で地上の戦力をなるべく引きつけて、地下への侵攻を遅らせます。

 今日は、外部から僕たちの仲間が加勢に駆けつける予定になっていますから、十分皆さんのお役に立てると思います」

 勇壮に語る蒼治の様子に、立体映像の軍警察官たちは多少なりとも感心した様子であったが。代わりにとでも言うように、蘇芳に対して非難めいた苦笑を向ける。

 そこで真っ先に声を上げたのは、やはり最年長の軍警察官である。

 「蘇芳君、君は動かないのかね?

 学生ばかりを矢面に立てて、君は後方に隠れているつもりかね?」

 そんな嫌味にも、蘇芳は自嘲の笑みを浮かべてすら見せながら、軽々と答える。

 「ホントは、オレも斥候で出たいって言ったんですがね。周りにスゲェ引き留められちまったんで、渋々後方に残ることにしたんですよ。

 要となる指揮官が不在になっては、不足の事態に対面した時にどうするだって、部下に怒られちまったんですよ」

 「それは、正論だな。

 頭が無くては、身体はうまく動けないのは道理だ」

 フッと笑って頷くのは、女性中佐である。彼女は他の2人の中佐と違い、慎重さや責任論よりも実益と現実性を第一に考える性格の人物のようだ。

 「まぁ、そういうワケでさ」

 蘇芳は浮かべた自嘲の笑みを消すと、会議の締めだと宣言するようにパァン! と小気味よく手を打ち合わせる。

 「皆さんにゃ、朝食が終わり次第、文民の皆さんに指示を出してもらいたい。それと、通信可能な他のグループへも状況を説明して欲しい。

 決して楽な道じゃないが、うまく行けば今日中にも事態を打開できるかも知れない。そう希望を持って、ここは一つ、お願いされてくれないか!?」

 合わせた手をそのままに、蘇芳は頭を下げて懇願してみせる。

 これに対して真っ先に声をかけたのは、面長の中佐である。

 「成ってしまったを、これ以上文句を言ったところで変えようはない。君の言う通りに動くとしよう。

 "願う"という行為は、私はあまり好きではないが――今回は、君の言う希望が見事に実現するよう、願わせてもらうよ」

 「それじゃ、解散ってことでいいかな? 早く仕事に取りかかりたいんでね」

 癖毛の中佐の問いに、蘇芳は「ああ、解散だ」と答えると、彼は片手を上げて別れを示すと、立体映像を消去した。

 続いて面長の中佐が、別れの挨拶もなしに消え去ると。最後に残った女性中佐は、蘇芳に向けて敬礼を取る。

 「検討を祈るぞ、蘇芳中佐」

 そう語った直後、彼女らの立体映像も消え去り、テントの中の緊張感は一気に霧散した。

 圧迫感から解放された蘇芳は、ふぅー、と溜息を吐くと、隣に立つ蒼治に疲れ切った半眼の視線を向ける。

 「兄ちゃん、頭の固い軍警察官(ポリコー)ども相手の解説、お疲れさん」

 すると蒼治は苦笑しながらクイッと眼鏡を直しながら、「蘇芳さんこそ、お疲れさまでした」と(ねぎら)うのであった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 蘇芳の指揮する"ホール"で朝食が終わってから、暫く経った頃。

 避難民居住地区と化した繁華街の郊外に整列した装甲車両に、避難民たちがアリのように列を成して、次々に荷物を運び込んでいる一方で。

 ほぼ手ぶらで入都した星撒部のロイは、繁華街のとあるビルの屋上に寝っ転がって、白い雲がゆっくりと流れる人工の青空を眺めながら、大きな欠伸を上げていた。

 「んあ~ぁ、ツマンネーなぁ…」

 欠伸によって零れ出た涙を人差し指で拭きながら、ぼんやりとぼやいていると。不意に影が、彼の上に多い被さる。

 「そんなにヒマなら、下の皆の手伝いでもしたらどうなのよ?」

 影の招待は、紫だ。両腰に手を置いて仁王立ちし、刺すようなジト目でロイを見下している。

 そんな紫の顔に視線を向けたロイは、気怠そうな動きで上体を起こすと、眠たげとも不愉快そうとも取れる半眼を作って、紫に視線を走らせる。

 「手伝おうはしたさ。

 だけどよ、皆"いいよ、いいよ、自分の荷物だし、何処に置いたか分からなくなると困るから"って言うからさ、やることなくなってさ。

 お前だって、こんな所にいるってことは、何もすることなくて暇なんだろ?」

 すると紫は、フッ、と優越感に満ちた笑いを浮かべ、両手を肩の高さまで持ち上げて反論する。

 「わたしは、ちゃんと手伝いしてたわよ? レナ先輩と一緒に、応急処置用だとか緊急避難用だとかの術符を作ってたもーん。今は先輩と一緒に休憩中なだけよ。

 アンタみたいなナマケモノと一緒にしないで欲しいわね」

 「…術符造りは得意じゃねーって、知ってンだろ? 下手に造って、術失態禍(ファンブル)なんか起こしちまったら、それこそヤバいじゃんか」

 ロイがふてくされたように答えると、紫は笑みに皮肉の陰をたっぷり込めて諫める。

 「術符造りが出来なくとも、なんか自分でやれること見つけなきゃ。ただ指示を待ってることしか出来ないんじゃ、ロクな社会人になれないわよ?」

 「…だから、オレは自分のやれることとして、斥候の役割をさせろって蒼治に頼んだんだよ。

 だってのに…蒼治のヤツ、オレを置いて、ノーラと地上に行っちまうし…」

 口を尖らせて零す、ロイ。斥候として地上に行けなかったことが、余程気に食わないようだ。

 そんな彼の様子を見た紫は、腰においた手を胸元で組むと、皮肉の陰りを消して真面目な表情を作って言い聞かせる。

 「蒼治先輩がアンタを守備としてこっち側に置いたのは、アンタの実力を高く評価してのことよ?

 戦いってのは、自分の身一つだけ守るだけより、多くの命を守りながら行う方が、段違いに難しいんだから。そんな難しい役割にアンタは選ばれたなんだから、信用を得てると思って胸を張りなさいよ」

 そう言われても、ロイの気怠げな表情は晴れない。またゴロリと寝転がり、(いびき)でもかくような調子でボソリと呟く。

 「信用されようが何だろうが良いけどさ、今がツマンネーってことには変わらねーじゃんか。

 このままじゃかったるくて、身体が鈍りきっちまうよ…」

 そして、過ぎゆく白雲の映像を眺めながら、こんな物騒な呟きまで漏らす。

 「あーあ…攻めて来るンなら、サッサと攻めてこねーかなぁ…」

 「…アンタね、不謹慎もいい加減にしないさいよ」

 紫がうっすらとこめかみに青筋を縦ながら、苛立ちを交えて(いさ)める。

 「私たちは、希望の星を振り撒く星撒部でしょーが。

 絶望を振り撒かれるような事態を願っちゃダメでしょ!

 アンタは暴れられて満足かも知れないけど、避難民の方々には命に関わるような迷惑なんだからね!」

 それに対してロイは、別に何か反論を口にするでなく、独りごちるように不機嫌そうな言葉を口にする。

 「後方に残るなら、ノーラの方が断然適任だったじゃねーか。あいつは強いし、気が利くし、術符造りだって得意そうだしさ。

 なのに、オレと来たら、こんな口うるさい毒袋と一緒に後方かよ…」

 これには紫は、こめかみに浮かんだ青筋をビキビキとクッキリ浮き上がらせると、火が噴き出すような怒気に満ちた低い呻きを漏らす。

 「…そっか。わたしと一緒に居るってのが、アンタの最大の不満なワケか…」

 そんな怒気にロイは注意を払うでなく、過ぎ行く白雲を注視しながら、ぼんやりとした調子のまま続ける。

 「まぁ、毒を吐かれていい気分はしねーからな。けど、最大の不満ってヤツは別だ。

 昨日、トンネルでオレやノーラをボコってきやがった、癌様獣(キャンサー)だの死後生命(アンデッド)だのに、オレがキッチリと引導を渡してやれそうにないってのが、心残りっつーか、そんな感じなワケで…」

 と、語っている矢先のこと。ロイは突如、右腕に走った強烈な激痛に「いっ!」と噛み殺した悲鳴を上げた。反射的に激痛の発生点を見やれば、彼の右腕を思いきり踏みつけている紫のスニーカーが見える。

 「な、なんだよっ! いきなり…!」

 何故紫に踏まれる結果になったのか、ロイは全く理解できずに抗議の声を上げると。紫はますます怒気を強め、怪獣のようにギロリとロイを見下したまま、グリグリと踏みつけた右腕を痛めつける。

 「こンの…ッ! おっ()ね、バカァッ!」

 そう叫んだ同時に、弾けるようにロイから脚をどけた紫は、素早く踵を返して走り去って行く。その挙動の最中、ロイは紫の目尻に涙が光っているのを見逃さなかった。

 「お、おい…」

 痛む右腕をさすりながら上体を起こしたロイは、急速に小さくなる紫の背中におずおずとした声をかけたが、紫は足を止めることなく屋内へのドアを激しく開け閉めして、姿を消してしまった。バタンッ、という扉の激突音が雷鳴のように辺りに響く。

 一人残されたロイは、ポリポリと頬掻きながら、大きな疑問符を頭上に浮かべる。

 「…なんだってんだ、あいつ…?

 オレ、そんなに気に障るような事、言ったか…?」

 その間の抜けた疑問は、真紅の髪を揺らす微風の中に即座に溶け込んで消えてしまった。

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