Drastic My Soul - Part 2
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――一方。星撒部一同が穏やかな時間を過ごしている最中、剣呑と言っても差し支えないほどに張り詰めた一夜を迎えている集団が在る。
戦災前、"パラダイス・ザ・18"と呼ばれていた一大歓楽街を中心とした円状の広範囲地域を丸ごと工場地帯に改造し、そこを拠点に"バベル"の奪取を狙っている勢力。『サヴェッジ・エレクトロン・インダストリー』の一団である。
彼らは本日の混戦の中、他の勢力を出し抜いて"パープルコート"の輸送部隊を捕縛したことで、アドバンテージを得た…はずだった。
しかし実際は、夕食の時間を返上して緊急会議を召集するほどに、彼らは焦燥に苛まれていた。
拠点地域の中央に位置する、"インダストリー"のアルカインテール支部本棟とも言うべき施設。その一画にある大会議室に、"バベル"奪取プロジェクトの交戦チーム総勢16名が集められていた。
彼らは様々な種族で構成されているが、共通することが1つある。それは、大なり小なり身体を機械化していることだ。彼らは操縦適応者と呼ばれる、機動兵器の操縦に特化したサイボーグである。機動兵器の制御系と自身の神経系を直接リンクさせることで、生体反射反応と変わらぬフィードバック速度で機体を操ることが出来る、謂わば"生きた兵器部品"である。
整然と並べられたデスクに思い思いの格好で座した彼らの正面には、大型のホログラム・ディスプレイを背にした1人の女性が立っている。彼女は操縦適応者ではない、生身の人間だ。厳冬の深雪を思わせるような真っ白のロングヘアに、その色彩に合わせたような純白のベレー帽と白衣様のコートを身につけた、悪戯っぽい笑みを浮かべた少女――実際、彼女はまだ二十歳を迎えていない。しかし彼女は本社から"バベル"奪取プロジェクトの指揮を任せられた才女であり、1つの都市国家並みの人員がひしめく開発部の中で名を轟かせる超絶技巧のエンジニア。名を、イルマータ・ラウザーブと言う。
イルマータが鼻歌を交えながら会議用のデータを取りまとめている間、操縦適応者の大半がヘラヘラと緊張感のない駄弁りに興じていた。普段は分散して任務に当たっており、コミュニケーションと言えばウェブによる遠隔通信ばかりな彼らにとって、リアルで顔を付き合わせる機会はかなりの新鮮な刺激であるようだ。
会議室を満たす喧噪が耳障りなほどに膨れ上がった頃。ようやく準備を終えたイルマータは、パンパン、と手を叩いて操縦適応者を制しにかかる。
「はーい、皆さん! ちょっとお待たせしちゃいましたけど、緊急会議を始めますよー!」
"緊急"の接頭語が霞むほどの軽い言葉遣いでイルマータが大声を張り上げると。最前列に座る1人の操縦適応者がだらしなく挙手しながら文句を語る。
「なあ、緊急だってンならよ、なんでこんなアナクロな会議を開かにゃならんのさ。
ウェブでチャットルーム作って、思考データ共有しながらやり取りした方が断然速いじゃねーかよ」
文句を語ったのは、16名のうちでももっとも機械化の激しい男性の操縦適応者である。人間らしい部分と言えば、ヘルメット状の頭部から申し訳程度に露出した口元くらいなものだ。
この重度に機械化した、粗暴な言葉遣いの人物の名は、エンゲッター・リックオン。彼は実は、星撒部と面識のある人物である。
癌様獣と共に星撒部一同を執拗に追跡していた、腕長のロボット兵器を操縦していたのが、彼だ。
エンゲッターの言葉に、イルマータは場違いな場所に咲いたタンポポのような笑みをニンマリと浮かべて、反論する。
「だって私、皆さんのように身体を機械化していませんもの」
「だからよ、オレはお前さんも機械化すべきだって言ってんだよ。
頭脳労働専門の開発部だって、神経を光ファイバー化して思考速度を高速化すりゃ、仕事の効率も上がるってモンじゃねーか」
嫌味混じりで食い下がるエンゲッターに、イルマータは相変わらずニマニマとした笑みを浮かべたまま、更に反論する。
「私が機械化だなんて、冗談にも程がありますよぉ。
私は、他人をいじくり回すのが好きでも、他人にいじくり回されるのは大嫌いですもん。医者だってさえ、私の身体はいじられたくないですから」
そして、人差し指を立てて「それに、ホラ」と前置きをして、イルマータは続ける。
「人体で言えば、皆さんは泥の中に突っ込む手足であって、私は脳ミソです。
脳ミソは頭蓋骨に守れた不可侵の領域で仕事をするのであって、欠損の危険と常に向き合いながら単純労働をこなす手足とは、定義レベルで異なる存在です。
同じ立場になんて、到底立てませんし、立つべきじゃありませんよぉ」
この言葉に、エンゲッターは唯一露出した口元を思い切り歪めると、ガタンッ! と椅子を強かに跳ね飛ばしながら立ち上がる。彼の顔面がヘルメット状の器具で覆われてさえいなければ、間違いなくこめかみに浮き出た青筋が見えたことだろう。
「なンだと、ゴルァッ!? テメェのその物言い、オレ達のことをバカにしてのか、おいゴルァッ!?」
巻き舌気味にドスの効いた低い声を出して迫るエンゲッターだが、イルマータのニマニマ笑いは一向に崩れない。
「いえいえ、バカにしているワケじゃありませんよぉ。
ただ私は、全く異なる立場を、あなたの視野狭窄的な偏見によって一緒くたにされたのが不愉快だったので、反論してるだけです」
「…テンメェ、マジでケンカ売ってンのかよ!?」
エンゲッターが大股でイルマータの元へと進もうとする所を、慌てて隣の席に座る女性操縦適応者が引き留める。
「ちょっと止めなって! そんな無駄なことに時間使うために集まったんじゃないでしょ!」
「うるせぇッ! オレは、前々開発部の頭デッカチどもを一発ブン殴ってやりたかったんだよッ!
現場の実状をデータ共有ですら体感しねぇで、都合の良いことばっか並べ立ててきやがるコイツらを、よぉッ!
そこに、減らず口まで叩いて来やがると来たモンだッ! 黙ってられっかってンだよっ!」
女性操縦適応者の腕を乱暴に振りほどき、イルマータへ更に接近しようとした、その時。
「待て、と言っている」
2列目のデスクの列の中央から、平静ながらも、巨大な鋼鉄の塊のごとき重圧を伴う声が、エンゲッターにぶつけられる。その途端、エンゲッターは身体の動きをピタリと止め、声の主の方へと身体ごと向き直る。
「…ンだよ、プロテウス…! テメェも、こいつの肩を持つのかよ…!」
プロテウスと呼ばれた声の主は、16名の操縦適応者の内でもっとも全身の機械化率が低い男性である。実際に彼はデータ共有と思考速度の加速、および記憶力強化のために脳髄とその周辺のみを機械化しただけで、胴体も手足も生身だ。
しかし、彼――プロテウス・クロールスは、"バベル"奪取チームの中どころか、"インダストリー"全体でもトップクラスの実力を有する操縦適応者である。
ちなみに、先刻"パープルコート"のゼオギルドが言及した"インダストリー"の代表的人物が、彼である。
「別に、肩を持っているワケではない。
私とて、イルマータ女史の不適切な挑発的表現には不快感を覚えているし、女史はこの点については謝罪する必要があると思う」
プロテウスはデスクの上に肘を乗せて、組んだ手の近くに口元を寄せた格好で、淡々と語る。彼は頭部や頸部にうっすらと走る人工皮膚の接合面さえ無ければ、青い瞳に金色の短髪を蓄え、健康的に身体を鍛え込んだ一白色人種の青年としか見えない。しかし、彼の全身から立ち上る重苦しい存在感は、粗暴な勢いに任せてわめき散らしていたエンゲッターをピタリと押さえ込むほどの迫力を持っている。
その気迫は、エンゲッターの激怒を受けてもニマニマし続けていたイルマータの笑みをも、乾ききった紙粘土のように硬直させてしまう。ぎこちない歪んだ表情を張り付けたイルマータは、そのままギクシャクと深く頭を下げると。
「スミマセン、プロテウス主任…」
と叱られた子猫のように謝罪する。プロジェクト・チームの組織図上ではプロテウスに対する指揮権を持つイルマータであるが、彼の凄みのある客観性にはどうにも頭が上がらない。
イルマータが頭を下げたことで、ニヤリと口の端をつり上げたエンゲッターであったが。その笑みが存続できたのは、ほんの一瞬のことだ。
「しかし」
と前置きをおいて、ギロリと睨んでくるプロテウスに、エンゲッターは固唾と共に笑みを咽喉の奥へと流し込んでしまう。
「元を辿れば、この無用な諍いの発端を作ったのはエンゲッター、貴殿の軽口に原因がある。
我々が召集されたのは、リアルの接触によるリラクゼーションを行うためではない。その事を理解した上で、適切で効率的な行動を取るように努めるべきだ」
中世の欧州地域における騎士のような堅苦しい物言いは、プロテウスの個性である。その言い方が一向に滑稽に聞こえないのは、彼が常に纏っている気迫と、音に聞こえる実力のためである。
エンゲッターはガクンと肩を落とすと、ゴテゴテした後頭部を指の太いマニピュレーターで撫でながら、「…すまねぇ」と素直に謝罪を口にした。
この一連のやり取りで、会議室内の喧噪はすっかりと鳴りを潜め、堅くて重い沈黙の帳が降りた。
そのまま事態が進行せずに数秒経過したところで、プロテウスが再び声を上げる。
「イルマータ女史、速やかにブリーフィングを開始してもらいたい。
事態は急を要するが故に、我々は夕食の時間を潰してまでここに集まったのだろう?」
するとイルマータは、雷に打たれたようにビクッと身体を震わせながら、ぎこちない吃音を交えて答える。
「は、はいっ、その通りです、プロテウス主任!
そ、それでは、早速ブリーフィングを開始させていただきますっ!」
直後、イルマータはホログラム・ディスプレイをいじりながらブリーフィング用の映像ファイルの展開作業に取りかかると、次第に表情にニマニマとした笑みが戻ってくる。
遂には、ディスプレイ中に所狭しと映像を広げ切ると、イルマータは態度はすっかり元通りになる。大仰な動作で指示棒を鞭のようにピシャリと自分の手のひらに打ち付けると、それが合図であったかのようにペラペラと語り始める。
「皆さん、既にデータ共有によって周知のことでしょーが、"パープルコート"の補給部隊とは別に、このアルカインテールに入都した闖入者がありました。
はい、この4人がその闖入者ですねー」
イルマータはディスプレイの一画にある、癌様獣達と入り乱れて交戦する星撒部の一同が撮影された画像を指示棒で示す。
「彼らが状況をかき回しまくってくれたお陰で、まぁ、わたしらも多少翻弄されてしまいましたが、結果的には"パープルコート"の隊員を捕縛できたワケです。
…が! ハッキシ言って…うーん、人力頂いた皆さんには申し訳ないんですけど…これ、あんまり意味が無かったんですよねー。
今も解析班が彼らに記憶搾取機を使用していますが、有益な新規情報が得られる見通しはハッキシ言って…ゼロ、です」
嘆息をついて肩を竦めながら、自身の無益な労苦を労うようにイルマータは指示棒で自分の肩を叩く。
――ちなみに記憶搾取機とは、神経系を有する知的生物から強制的に記憶を搾取するための機械である。脊椎や脳を初めとする中枢神経に魔化を施した電極を突き刺し、術式を練り込んだ大電流を流すことによって、末梢神経細胞だけでなく全ての体細胞に蓄積された感覚記憶を取り出す。
それは紫が入都時に見せた植物読の動物版とも言える所作だが、しばしば死に至る致命的な刺激を与え続ける本作業は非人道行為とされ、数々の公的機関が禁止を訴えている。
しかしながら死の商人たる"インダストリー"においては、社の発展のためには社員や、時には顧客の生死すらネジのごとき消耗部品としか認識されない。彼らの辞書には、"人道"などという言葉は記されていないのである。
…さて、イルマータは更に話を続ける。
「そんで、ですね。私たちが綿密にして無益な"パープルコート"の捕縛作戦を展開している間、"パープルコート"の駐留部隊を含めた他勢力は、こぞって彼ら(と、言いながら指示棒で星撒部4人の映像を示す)を追い回していたワケですね。
"パープルコート"からは3個空中戦艦部隊が、癌様獣からは『十一時』が、そして『冥骸』からは亞吏簾零壱と涼月を含めた中隊が出撃し、彼らを攻撃しました。
これだけの戦力が揃っていたならば、いくら名高いユーテリアの学生と言えどもあの世行きだろー! ってことで、わたし達は彼らを敢えて放置していたのですが…ハッキシ言って、見通しが甘すぎました。
彼らは今も健在で、どうやら残留市民と合流しているようです」
「どの勢力も、そんだけの戦力を雁首揃えたってのに、学生どももブッ斃せねーなんて、情けねぇ話だな」
鼻で笑いながらエンゲッターが言うと、その隣に座る女性操縦適応者が、先に受けたとばっちりのお返しとばかりに鋭く泣き所を突く。
「だけどエンゲッター、あんたもヤツらと遭遇しながら、まんまと逃してるじゃないか」
「ま、まぁ、そりゃそうだけどよ」
エンゲッターは唯一の生身である口元をタジタジと歪めてから、口早に反論する。
「あの時は、癌様獣どもが足を引っ張ってきたこともあって、なかなかうまく事を運べなかったんだよ。
それに…あの学生ども、まぁまぁヤるヤツらだったしよ…」
「そーです! エンゲッターさんの言う通り、彼らは非凡な実力の持ち主です!」
イルマータが"うんうん"と首を縦に振りながら同意する。
「それも今回、わたし達が直面している脅威の一環ではありますが、重要なのは彼らの非凡な実力という点ではありません!
彼らが健在でいること、それ自体がプロジェクトに取っての最大の障害なのです!」
「…全然ピンと来ないわね。
彼らが"バベル"の所在や実現理論を得たというなら、分かるけど」
エンゲッターの隣の女性操縦適応者が腕を組みながら、薄紅色のルージュで彩られた唇で疑問を紡ぐと。イルマータは彼女に注目するでなく、静かに傾聴に専念しているプロテウスの方へ視線を注ぐ。
「プロテウスさーん、どうです? 彼らの中にあなたが、そしてわたしもまた見知っている顔がありませんかー?」
そう話を振ると、プロテウスは即座に頷いて、淀みのない言葉を口にする。
「青みがかった黒髪の少年、彼とはイルマータ女史と共に、とある新規技術の開発プロジェクトで一緒に活動した。
ユーテリアの2年生で、名は蒼治・リューベイン。星撒部という名の部活動に所属している。出身はアルギニア世界の惑星セーレムと言っていた。
当時は、この映像とは別のメンバーと行動を共にしていたな」
プロテウスの詳細な回答に、イルマータは至極満足げに数度首を縦に振ってみせる。
一方で、プロテウスの言葉を聞いたエンゲッターは、拳で手のひらを打って得心したように「なるほどな!」と声を上げる。
「アルギニア世界って言やぁ、方術系魔法科学を地球圏に持ち込んだ異相世界じゃねぇか。
道理で、あんなに方術の扱いに長けているワケだ」
「いや、単に出身地による恩恵では、あれほどの実力は発揮できない。
彼個人の鍛錬の積み重ねによって得た技量の賜物だ」
プロテウスがそのように蒼治を評価すると、エンゲッターは「あ、そう」とどうでも良さげにサバサバと返事をした。
プロテウスからの返答が一段落したところで、イルマータは言葉を続ける。
「そう、彼らはユーテリアの星撒部の一団なのですよー。
そんな彼らが、少し前に外部へ通信を行っていたと、監視班から報告がありました。通信の内容は、ユーテリア独自の通信端末の高度な暗号化が、彼らの魔術によって更にアレンジされていたため、判然とはしないんですけれども。
状況から鑑みて、この都市国家の現状を記録した各種データの送信と、それを証拠にして地球圏治安監視集団本隊に通報するよう指示したものと考えられますねー。
これは、ヒッジョーに由々しき事態ですよー!」
するとエンゲッターが、ヘッ、と鼻で笑って反論する。
「ユーテリア所属とは言え、高々学生の通報だろ?
地球圏治安監視集団本隊が真に受けて、即座に行動に移すとは思えんね。
現に、ユーテリアの学生は今日のヤツらが入都する以前にも一匹、入り込んでいやがる。ヤツだって、ユーテリアの通信端末を使えば、外部への通信が可能なはずだろう? なのに、外部の地球圏治安監視集団どもはピクリとも動いていねぇじゃんか。
まぁ、ヤツが通報していない可能性もあるがよ」
エンゲッターの突っ込みに、イルマータは素直に頷く。
「確かに、以前に入都した学生――たしかレナとか言う個体識別名の持ち主だったと思いますけどー――彼女が通報したところで、地球圏治安監視集団はそうそう腰を上げないでしょうねー。
でもでも、今回の星撒部の場合は違います。
彼らの場合、地球圏治安監視集団に対して太いコネクションを持っているのですー!」
「あぁん? OBが地球圏治安監視集団の上層部に入り込んでるとか、かよ?」
エンゲッターの考察に、イルマータは白い髪をブンブンと振り乱して首を左右に振る。
「いえ、星撒部が結成されたのは今年のことです。卒業生は存在しません。
ですが、彼らはこの約1年の間に、非常に多数の複雑な世界情勢に携わり、問題の解決に寄与してきた実績があります。その経過の中で、地球圏治安監視集団と共に活動をし、成果を残してもいます。
そんな彼らが、詳細な状況証拠を御揃えて、内部の不穏分子について通報するワケですよ? 動かない道理がありませんよー!」
この解説の内容に、会議室内からは複数の苦笑が上る。
「おいおい、いくら"英雄の卵"だとか言われるからって、学生の身分で地球圏治安監視集団と活動を共にするなんて、いったいどんな部活だよ…。
身体動かしたいなら、球蹴りやってりゃいいいだろ…」
そんな旨の苦言を吐いた操縦適応者も居たが、イルマータもまた同意を示す苦笑を浮かべつつも、首を左右に振る。
「開発部の同僚の卒業に寄れば、ユーテリアの学生は在学中でも、かなりガチで世界情勢に関わるような活動をしている人物がチラホラいるそうですよー。
他校と違って、与えられたカリキュラムをこなすでなく、自分たちで活動を組み立てて実践することで、成績評価されるというシステムなんだそうですから。バケモノみたいな天才…というかトラブルメーカーというべきか…そんな人物がいれば、学生身分なんてかなぐり捨てて即座に世界と関わろうとするでしょうよ」
「末恐ろしい"卵"もあったもんだ…」
「全くですよー。
私も、ケチケチした地元の進学校なんて通わずに、ユーテリアに入学してれば良かったと、本気で後悔してますよー」
そう反応してから、イルマータは突き刺すようなプロテウスからの視線を感じて、ハッとすると。コホン、と芝居がかった咳払いをして脱線した話を締める。
「…とにかく、ですねー。彼ら星撒部が通報した以上、地球圏治安監視集団は迅速に行動を起こして、この都市国家に査察団を派兵してくることでしょー。
そうなれば、この都市国家に駐留している"パープルコート"の不良軍団は、すぐに"バベル"を取り上げられてしまう。そして、明らかに各種公法に違反した存在である"バベル"は、その実現理論ごと即時に廃棄されてしまいますー。
こうなってしまっては、地球圏治安監視集団本隊による我々への制裁を除いても、我々のプロジェクトはアウトとなりますー」
「元よりオレ達は、地球圏のヤローどもの公的機構の枠組みにゃ入ってねーからよ、制裁なんざ怖くもねーけどよ。
ここまで出張って約1月も従事してきたプロジェクトがオジャンになるのは、気に喰わねーな」
エンゲッターが頭の後ろで手を組んで体重を椅子の背に預けると、ギコギコと椅子を鳴らしながら揺らして語る。
「ということは、」
別のデスクに座る操縦適応者が、重金属マニュピュレーター状の右手で顎を触りながら言葉を口にする。
「地球圏治安監視集団本隊がこのアルカインテールに到着するまでが、勝負というわけだな?」
対してイルマータは、眉根に皺を寄せて頭を振る。
「いえいえ、事態はもっと緊迫しているのですよー。
可能ならば、今すぐにでも行動を起こしたいくらいですー」
「それって、どういうこと?」
赤褐色の髪を2本の三つ編みにした女性操縦適応者が問うと、イルマータは眉根に皺を寄せたまま、指示棒で肩をトントンと叩きながら答える。
「"パープルコート"駐留軍は立場上、私たち以上に情報が外部へ漏れることを恐れているはずですー。今回の星撒部の方々の通信だって、当然ながら、察知しているでしょうねー。
とは言え、通信の内容は私たち同様、解析できてはいないでしょうけどー。…まぁ、それはともかく。
彼らがこのまま黙って、数年の歳月をかけて結実した成果を手放すような真似をするなんて、ほぼ確実にありえないでしょーね。
それでは今後、彼らは自分たちの成果を守るために、どのような行動を取るでしょーか?
ボトルネックとなるのは、本隊の意向です。逆に言えば、本隊を取り込みさえすれば、彼らが幾つもの公法に違反していたとしても、本隊がありとあらゆる手段で正当化してくれることでしょー。
つまり、彼らは本隊に成果を封殺される前に、本隊を納得させる成果を出そうとするワケです。
そのために彼らは、出来るだけ速く行動に出ることでしょーね。もう、明日の朝一にでも、ですー」
「そして、"パープルコート"の駐留部隊どもが着実な成果をあげてしまった時点でも、我々のプロジェクトがアウトになってしまうワケだな」
黙ってイルマータの言葉に耳を傾けていたプロテウスが、腕を組みながらそう言葉を挟むと。
「その通りです!」
とイルマータは指示棒でプロテウスをビシッと指し示して肯定する。
そこにエンゲッターが首を傾げながら疑問を差し挟む。
「なんで、そのタイミングでアウトになる?
いや、そのタイミングで地球圏治安監視集団の本隊が到着してたってンなら、分かるけどよ。到着してないなら、横からカッ浚っちまえばいいだけじゃねーか。
"バベル"の起動チェックを"パープルコート"どもがやってくれる形にもなるし、一石二鳥だと思うんだがなぁ」
するとイルマータは、深い考えのない子供を諫めるような困った苦笑を浮かべる。
「まぁ、確かに、そういう手段を取る方法はありますけど、それは最悪の中の最悪の手段ですよ…。
成果が出た時点で、"パープルコート"はほぼリアルタイムで本隊に報告を入れますよ。そして"本隊"が、これはスバラシー! と喝采してる時に、わたし達がドロボーなんてしてみたら、どうなります?
怒り狂った地球圏治安監視集団と、わたし達サヴェッジ・エレクトロン・インダスとリーの間で全面戦争が起きてしまいますよー!
"バベル"を手に入れても、我らが会社が無くなってしまっては、全く意味ないじゃないですかー!」
するとエンゲッターは、露出した口元をニヤリと険悪な笑みの形に歪める。
「何、オレ達が負ける前提で話してンだよ。
オレ達は地球圏治安監視集団どもにも武器一式を提供してる、大兵器メーカー様だぜ?
ヤツらへの供給をストップして戦力を激減させて、オレ達の全戦力を叩き込めば、白旗上げてくるだろ?」
「いや、エンゲッター、それは大きな見誤りというものだ」
プロテウスが静かにエンゲッターを諫める。それによって、肩を怒らせて反論しようとしていたイルマータは、気の抜けた風船のようにチョコンと気迫を抜いてしまう。
プロテウスは抑揚すら抑えた、極めた冷静な声音で続ける。
「客観的に見て、物量、戦力規模ともに地球圏治安監視集団に軍配は上がる。
それに、我々が武器供給を停止したところで、彼らに対しては致命的な痛手とはならない。彼らへの武器供給を我々が独占しているならばいざ知らず、彼らは他にも十数の兵器メーカーとの取引を持っている。
更に言えば、仮に首尾良く戦争に勝利したとしても、我々は甚大な被害を被ることになる。その状態から、現在の規模にまで復興するには、相当の歳月が必要となろう。加えて、他の顧客からは同情を得難い理由で戦争を行ったことで、市場は我々への不信感を抱くことになる。復興の道のりは更に遠いものになる」
理知的な理由を並べ立てられたエンゲッターは、面白くなさそうにチッ、と舌打ちをして肩を竦める。
「はいはい、オレの考えが浅はか過ぎましたよーっと。
…んで、そうなると、理想としては、オレ達"はパープルコート"が"バベル"を起動させるより速く、"バベル"を奪取しなきゃならんってこったよな?」
「はい、そーゆーことです」
イルマータはあっさり頷いたが、エンゲッターはゴテゴテした後頭部をガリガリと掻きむしって見せる。
「現時点でさえ、所在が掴めてねー"バベル"を、どうやったら起動前にカッ浚えるってんだよ…?」
「その点については、ちょっとした保証がありますので、ご心配なくー」
イルマータはディスプレイに投影された、1つの動画データを指し示す。それは、過去に"インダストリー"が捕縛した残留市民から摘出した、約1ヶ月前に"バベル"が初めて起動した時の記憶の光景である。
林立する摩天楼の中、上空には神の光臨を讃えるかのように輪を描いて旋回する"パープルコート"の飛行艦が幾つも見える。その眼下で、摩天楼の合間の道路に濛々たる土煙が火砕流のごとく噴出し、その褐色の帳の合間には死人よりなお色白な体表を持つ巨大な人型の生体機関の姿がある。この生体機関こそ、初起動した"バベル"だ。
記憶摘出された対象者は、当時全力疾走でもしていたのか…激しく上下に揺れる視界の中、"バベル"はナマケモノのようにゆったりとした動きで摩天楼の合間をノソノソと四つん這いで這い回っている。その光景は、現代の魔法科学の最先端を駆使した、地獄のような戦場を経験したことのない一般市民ならば、即座に発狂してしまう程の恐慌状態を引き起こすであろう。
しかし、記憶をじっくりと観察する"インダストリー"のプロジェクト・チームのメンバーは、誰一人顔色を変えることなく、肉眼または高度な機能を備えた義眼で、冷徹なほどに静かな眼差しで光景を見やっている。
そして、戦闘に参加しないイルマータもまた、顔色を変えるどころか、相変わらずの幼子のようなニコニコ顔を見せながら、ディスプレイの操作パネルに手を伸ばすのだった。
「あー、ここから長いので、早送りしますね」
イルマータの言葉通り、動画は急加速を始める。加速の最中、ノイズに由来する縞やモザイクの模様が現れないのは、"インダストリー"の技術力の高さを示唆している。
現実の時間で数分、動画内の時間で約50分が経過。ここでイルマータは早送りを停止した。
視界の提供者は車に搭乗しており、かなりの早さで"バベル"から遠のいている。その最中、"バベル"の身体が網膜を灼くような眩い青白色の魔術励起光を放つ。周囲の土煙と合わせると、巨大な積乱雲の雲内放電を思わせる光景だ。
直後、"バベル"を中心として、波状に青白色の衝撃波様の光が空間を疾駆する。危険な輝きを秘めた輝きは幸いにも、視界の提供者の居たところまでは到達しなかったものの、搭乗していた車より十数台後方までの地点では、奇妙な異変が起こる。疾走していた車たちが急にコントロールを失って次々に玉突き事故を起こしたかと思うと、その中から濃密な水蒸気に似た外観をした不定形――いや、どことなく翼の生えた人型に見える――の気体が浮かび上がったのだ。まるで、玉突き事故で失われた命が、一斉に昇天するかのように。
事実、この不定形の気体は、形而下で物質化した魂魄である。
これらの魂魄は、一路、"バベル"に向かって一斉に飛び集まってゆく――その光景が表示されたところで、イルマータは動画を停止した。
「えーと、これでお分かりですか?」
「いや、分かんねーよ!」
イルマータの確認に即座に突っ込みを返す、エンゲッター。するとイルマータは、出来の悪い学生に呆れたような態度で、ハァー、と溜息を吐くと、動画を指示棒でトントンと指し示しながら語る。
「"バベル"は、家電製品のようにスイッチを捻れば即座に起動するワケではなく、ある程度の予備動作を経てからでなければ起動しない、というワケですー。
この情報は、この記憶の提供者たる一般の残留市民たちから搾取した情報からのみならず、今まで捕縛した"パープルコート"隊員からの記憶からも導き出された、確実な情報ですー。
というのも、"バベル"は起動のために莫大な事象的エントロピーを必要とするのですよー。ですから、この動画の中でも"パープルコート"は、無防備な"バベル"が露出する危険性を冒しながらも、敢えて"バベル"を衆目に触れるようにして、エントロピーの更なる増大、および極力減衰しない状態でのエントロピーの供給を狙っているワケですねー」
イルマータの説明は、生体電子頭脳を持つものの科学者向きに最適化しているワケではないエンゲッターには理解し難い内容であったようだ。腕を組んで見せたものの、彼は口元を歪めると。
「ああん? つまり、何が言いてぇんだ?」
と、尋ね返した。
その回答を示したのは、イルマータではなくプロテウスである。
「つまり、我々があくせくと"バベル"を捜索せずとも、"パープルコート"の方から"バベル"を我々の目に見える形で出現させてくれる、というワケだ」
イルマータはプロテウスに意見について肯定を示して頷くが、こう付け加える。
「ただし、"バベル"が出現したと言うことは、起動までの時間的余裕が非常に切迫した、ということでもありますよー。
従って我々は、速やかに他勢力を排除し、"バベル"を奪取しなくてはなりませんー」
「で、そんな難度がクッソ高過ぎる任務を、オレ達現場の努力で完遂してくれってことで、リーダー殿が激励の音頭を取りに来たワケか?」
エンゲッターが嫌味タラタラで毒づくと、イルマータは機嫌を損ねることなく、アハハ、と笑い飛ばす。
「そーんな成果に寄与しない根性論の周知に、徹底的実益主義の我らが本社が無駄に時間を費やすワケがないじゃないですかー」
そしてイルマータは、虫をいたぶって楽しむ残酷な幼子のような嗤いを、白い歯をニィッと覗かせて浮かべる。
「本社からの言伝は、こうです――。
"タイプD"装備を用いて、対抗勢力を着実に排除し、"バベル"を絶対に入手すること」
"タイプD"。その単語がイルマータの可憐にして陰惨な唇から漏れると、会議室内でざわめきが沸き起こる。
"タイプD"とは、"インダストリー"の私設軍隊中において、最大戦力装備のことを示す。"D"は破壊(destruction)や歪曲、次元兵器(dimensional arms)と云った物騒な単語の総称である。そんな忌まわしい名称を持つ"タイプD"が通常用いられるのは、天文学規模の戦場である。惑星内で用いられるなど、常識的には考えられない。
「…この地球ごと、ブッ飛ばせっての!? そんなことしたら、有機体装置である"バベル"まで破壊しちゃうじゃない!」
とある女性操縦適応者が、ガタッと席を立ってまで興奮しながら訴えると、イルマータは彼女の激情を冷まそうとするかのようにヒラヒラと掌で扇ぐ。
「いえいえ、さすがにそれじゃマズいですからね。
現在、整備班が急ピッチで、惑星内戦闘用に"タイプD"装備の各種兵器の出力を調整しています。
とは言え、各種次元兵器も一式使用可能ですから、皆さん、思いっきり暴れられますよー。
本社は、"バベル"以外のものは素粒子分解してしまって構わない、と言ってます。
どーせ、この都市国家は対外的には空間汚染によって壊滅してるんですー。誰も問題にしないですよー。
地球圏治安監視集団だって、我々を非難しようとすれば、自らの醜聞を世間にさらすことになりますからねー。汚点が素粒子レベルで消滅したとなれば、黙認してくれるでしょーから」
イルマータの恐ろしい言葉に呼応するように、それまで彼女に対して嫌味を浴びせてきたエンゲッターが、ゲラゲラと小気味良さげに嗤い悶え始める。
「おーおー、良いね、良いねーっ! 惑星内での"タイプD"たぁっ、痺れるねぇっ!
この一月の間、こンッな狭ッ苦しい場所でチマチマ小競り合いを繰り返しまくっててよぉ、息が詰まりそうだったんだよっ!
いっちょ、派手にブッ放して、こんなゴミ溜めからはオサラバかッ! あーっ、スッキリするねぇっ!」
ガンガンッ! と機械製の両手を叩き合わせて、早くも戦場での武働きに逸る、エンゲッター。そんな彼を、相変わらず沈着冷静なるエース・操縦適応者、プロテウスが諫める。
「あくまで目標は、"バベル"の確保だ。排敵は二次的な目的に過ぎないことを忘れるな」
「分かってるっつーの!
つーか、そもそもオレは、確保だの奪取だのっていう繊細な作業にゃ向かないからな、そういうのはプロテウス様々に任せるぜ。
オレは、奪取を邪魔する虫ケラどもを排除しまくる役を買ってやるぜ!」
そう語るエンゲッターに、イルマータは同意するように、うんうん、と首を縦に振る。
「役割分担したチームプレイは、今回の任務では非常に重要ですよー。16名の"タイプD"でみんな一斉に"バベル"確保、みたいな非効率極まりないことは絶対に止めてくださいねー。
戦闘部隊の統制は、プロテウス主任に一任します。くれぐれも最善の適材適所をお願いしますねー」
「了解した」
プロテウスは静かに頷き、承諾する。
それを確認したイルマータは、続けてこう語る。
「それでは皆さん、整備班から搭乗機体の調整完了の報告が届きましたら、随時機体とのマッチングを行ってくださいー!
特に、今回は人型しか使用されませんから、これまでの任務で多足歩行戦車を操縦してきた方々は、制御ルーチンの調整を徹底して下さいねー!
それと、明日は何時、"パープルコート"が活動開始するか分かりかねますから、皆さんにはマッチングの完了後からコクピット内で待機してもらいますー。窮屈で申し訳ありませんけど、これもプロジェクト完遂のためですー! 我慢して下さいねー!」
この指示に対して、操縦適応者達からは一切の不満は漏れない。彼らにとって、任務遂行のために、何日でも機体に搭乗したまま時間を過ごすことなど、ザラにあることケースなのだから。
「それでは皆さん! 後日、本社でプロジェクト成功パーティーを笑顔で迎えられることを願いまして!
今回の会議は解散といたしますー! 皆さん、夕食の時間を潰してのご参加、ありがとうございましたー!」
底抜けに明るい声でイルマータが会議終了を告げると、操縦適応者達はゾロゾロと立ち上がり、会議室を後にする。この後、彼らは食べ損ねた夕食を取りに食堂へ向かうであろうが、その後は大半の操縦適応者達が整備班からの報告を待たずに自機の元へと足を運ぶことだろう。彼らにとって、機械化した自身の運動神経と直接連結して動作させる自機は、自分の身体も同然である。自分達の目が届かないところで、予期せぬカスタマイズを施されては気に障るのだから。
さて、会議室を満たす人々の姿が続々と消え、室内には片付け作業を行うイルマータの鼻歌だけが残った頃。彼女はふと、未だにデスクに残っている1人の操縦適応者に気付く。"インダストリー"が誇るエース、プロテウスである。
プロテウスは座したまま腕を組んでイルマータに視線を投げていたが、その眼差しには特に不平不満が混じっているワケではない。もっと無機質で、無感情なものである。しかし、彼の瞳孔は着実にイルマータを追っているので、彼女に何用かあるには間違いないようだ。
「どうしたんですかー、プロテウスさん? 夕食、採らなくていいんですかー?
あまり遅く食堂に行くと、食事を温めてもらえなくなりますよー?」
「用事というほどではないのだが、君と話したかった。
今回の任務において、交戦の対象になり得る相手に、以前職務で行動をともにした蒼治君が含まれている。その事について、君は何か思うところはないのかと思ったのだ」
プロテウスの問いを、イルマータはアハハと軽く笑い飛ばしながら、手をパタパタと振る。
「つまり、彼らに対して何らかの感慨を感じないか、ということですよね?
まっさかー、感じるワケないじゃないですかー。
わたしたち商人にとっては、昨日の協力者が今日の敵に成ることは十分あり得ますからねー。その辺はドライにやらないと、特に兵器メーカーなんてやってられませんってばー。
それにー」
イルマータは人差し指をピンと立てて、続ける。
「わたしは、今回のプロジェクトのリーダーに選出されるような身ですよー?
リーダー足りえるための資質というのは、人情だの感情だのに流されず、数学のように淡々とした客観性で物事を判断する、合理的な思考ですよー。
昨日の友達が今日には敵になっているのなら、敵としての対応を考慮するだけですってばー。他の思考は一切無駄なだけですよー」
そう語り終えると、イルマータは可笑しそうに口元を抑えて、フフフ、と笑い声を上げる。
「いやー、それにしても、なんか皮肉な感じですよねー。
頭脳を初めとした中枢神経系を機械化したプロテウスさんが感傷的になっていて、全くの生身のわたしは徹底的に感情を排除出来ている。
本来なら、逆じゃないですかー」
「別に感傷的になっているというワケではない」
プロテウスは反論を口にしたが、別にイルマータの口振りに不快感を感じたワケではなく、単に事実を告げたという感じだ。
「しかし、たまに感情に重きを置きたくなることがあるのは確かだ。
魂魄と肉体のフィードバックを行う器官を機械化したが故に、自分が単なる物体ではなく、生命体であることを確認したいのかも知れない」
プロテウスは腕組みを解き、感触を確かめるように右手を握ったり開いたりしながら、そう語る。するとイルマータは、再びアハハ、と軽く笑い飛ばしながら手をパタパタと振る。
「形而上相が科学として全面的に認められた時勢に、そんなことを確認したがるなんて、プロテウスさんは面白い人ですねー!
でも、こんなプライベートな接触時には、そういう感傷的な部分も面白がれますけど…」
直後、イルマータの表情がガラリと変わる。会議中も終始、幼子のようにニマニマしていたというのに、能面のような無表情へと急変したのだ。
彼女にとって、ヘラヘラとした態度はプロジェクトのメンバーと円滑に物事を進めるための"ツール"に過ぎない。本来の彼女は、身体を機械化した操縦適応者よりも遙かに機械的にして数値的な人物なのである。
「明日の任務には、そんな余分は交えないで下さいね。
そんなことしたら、いくらプロテウスさんでも、懲戒措置を取ります」
するとプロテウスは、イルマータの本来の顔を引っ張り出したことに優越感でも感じたように、薄い笑いを顔に張り付けながら、やんわりと断りを入れる。
「心配するな。
我とて、職務として戦士であることを選んだ身だ。公私の区別は付く。
彼らが"バベル"の前で立ち塞がるなら、コンマ数秒も逡巡せずに、次元歪曲砲の引き金を引く」
「はい、そう言ってくれると思いました」
そう返事するイルマータの顔には、再びいつものニマニマした大輪の笑みが戻っている。
「それでは、我も失礼するとしよう。
夕食のメニューは…なんだったか」
プロテウスがデスクから立ち上がりながら語ると、イルマータが人差し指をピンと立てて指摘する。
「ビーフシチューですよー。
冷めちゃうと、せっかくのトロトロの牛肉がブヨブヨのゼラチンプリンになっちゃいますからねー。食堂に急いだ方が良いですよー!」
「そのようだな」
プロテウスは手を挙げてイルマータに別れの挨拶を示すと、踵を返して一直線に会議室の出入り口へ早足で進むのだった。
――以後、サヴェッジ・エレクトロン・インダストリーでは、一部の用務員を除く全ての人員が、激動が予測される翌日に向けての絶え間ない準備行動に勤しむことになる。
しかし、この一夜を一睡もせずに過ごすのは、何も"インダストリー"だけに限った話ではなかった。
翌日に本当に一大行動を起こす算段である"パープルコート"は勿論、万全に事を運ぶために万全の準備を尽くしている。
加えて、癌様獣達も『冥骸』の連中もまた、"インダストリー"ほどの理論的分析と合理的コミュニケーションは取らずとも、各々が星撒部の外部への通信を検知し、それが極近日中に大きな渦を作り出すであろうことを予測していた。どちらの勢力もこの事態を決して楽観しすることなく、迅速にして大規模な戦力増強に勤しむのであった。
…こうしてこの夜、アルカインテールの地上部は、不夜城と化したのであった。
- To Be Continued -