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ANGER/ANGER - Part 2

 さて、涼月の相手を止めたノーラは、装甲車の縁に沿って足早に駆け回っていた。

 わざわざ隅を走っているのは、蘇芳や蒼治達が比較的中央に近い位置で戦っているので邪魔にならないように、という事情もある。

 加えて、ノーラは形而上相の解析によって、怨場の発生源が装甲車の縁の方に存在することを突き止めたからである。

 装甲車の外装に視線を注ぎながら走り続ける、ノーラ。途中、彼女に気づいた影様霊(シャドウ・ピープル)が総じて2体、蒼治たちの攻撃をかいくぐって襲いかかってきたが、ノーラは相手にせずにヒラリと身を交わし、発生源の特定に勤めた。

 もしも発生源が存在の重きを形而下相に置いたモノ――つまり、通常の物体――であるならば、体積がよほど小さくない限り、外装の一辺に対して一瞥するだけで見つけることができるだろう。しかし、相手は霊体である。旧時代の地球において彼らの存在が認識されなかったように、彼らは形而下のみならず魔術的な迷彩や偽装が得意である。常によくよく感覚を研ぎ澄まさねば、発見は極めて困難であろう。

 そして、ノーラがついに――蘇芳が"お姫様"と、涼月が"御方様"と呼ぶ死後生命(アンデッド)を見つける瞬間がやってきた。

 それは、非常に唐突なものであった。ほんの一歩、足を踏み入れたその瞬間。ノーラの目先僅か2、3メートルの距離に、まるでコマ落ちフィルムを再生した時のように、"そいつ"の姿がパッと視界内に描画された。

 もしも"そいつ"が一切の迷彩・偽装を用いていなければ、その姿は遠目からでもすぐに目についたであろう。それほどに、人工太陽光の照明に溢れるこのトンネルの内部において、"そいつ"の姿は異様な程に目立つ。何故ならば、"そいつ"は全身の大半は、ヌラリとしたビニール系の光沢に輝く漆黒の衣装に身を(まと)っているのだから。

 "そいつ"――いや、その姿はある意味、"お姫様"という言葉が相応しい――の外観は、150センチにも満たない身長の小柄な痩躯を、漆黒のゴシック・パンク系の衣装で身を包んだ少女の姿をしている。衣装の合間から見える肌の色は、ホルマリン漬けの生物標本のような病的に過ぎる気味の悪い白色だ。左手首から先が徐々に霞がかったように薄れて消失している点を鑑みると、レッゾの左腕に重なっている左手が彼女のものであることが確実視される。

 確証を更に裏付けるのは、彼女の右手だ。消失しておらず、ビニール製「のゴシック・パンク・ジャケットの裾から延びたほっそりとした手の五指の爪は、全てが覚めるような青のマニュキアで塗られている。この点も、レッゾを(さいな)む左手の特徴と一致する。

 白い肌を彩る青は、爪だけのものではない。髑髏にコウモリの翼の骨が生えたトレードマークを中央に張り付けた漆黒のベレー帽をかぶった頭部、その蒼白にして恨みがましいような、面倒臭そうな表情を作った顔面において、薄い唇もまた青一色で塗りつぶされている。黒一色の虹彩や、濡れて乱れたようなボブカットの黒髪と合わせると、病的な顔立ちがますます暗く陰って見える。

 そんな少女が、まるで重力を無視したように、装甲車の外装を足場にして、路面に対して水平方向に直立しているのだ。服も髪の毛も路面の方へ垂れ下がることがないものの、風を受けてパサパサと揺れている様子はあまりにも奇妙な光景であった。

 (…この死後生命(ヒト)が、怨場の発生源だ…間違いない…っ!)

 "お姫様"の姿を目にしたノーラは、桜色の唇をキュッと結んで、緊迫の表情を作る。"お姫様"の姿を見るに、その歳の頃はノーラより年下のように見える。しかし、安堵や憐憫といった気の緩みを誘発する感情は全くわき上がってこない。何故ならば――この"お姫様"が発する気迫は、まるで空間ごと穴を開けて奈落に引きずり込むような、強烈な重苦しさを伴っているのだから。

 それは単に感覚的な問題だけでなく、形而上相に描かれる魔法科学的要素からも客観的に認識される事実だ。"お姫様"を包み込むように、並の脳処理では詳細が知り得ないほどに高密度の怨場および関連の術式が嵐のように渦巻いている。

 (すぐに対処しないと…みんなが、本気で危ない…!)

 漆黒の瞳でこちらをじっと見つめている"お姫様"が、何らかの迎撃行動に出るよりも早く、ノーラはタンッ! と装甲車の床を蹴って車外へと身を踊らす。

 次いでノーラは、自らの両足裏に方術陣を展開。蛍光色に輝く、足のサイズより2周りほど大きな2つの方術陣が出現したのと同時に、ノーラは宙で身体をクルリと回転させる。そして体勢を立て直すと、"お姫様"と同じく装甲車の外装を床にして立っていた。彼女もまた、身につけた制服も髪の毛も路面の方向へと垂れ下がってはいない。重力の方向が大地に対して水平になったかのようだ。

 方術による重力方向制御術、『崩天』。それが、ノーラが使用した方術である。空間中に単に個体の定義を強制的に生成する『宙地』よりも、事象の制御範囲も広く難度も高い、中級に分類される方術である。

 こうして、ノーラは黄金に輝く愛剣を油断なく両手で構えながら、"お姫様"と対峙する。身体魔化フィジカル・エンチャントによって怨場への耐性を強化しているというのに、発生主を間近にすると、体表近くの神経電流がピリピリと影響を受け、厳冬の吹雪の中に叩き落とされたような酷い寒気に襲われる。――いや、実際、物理的な冷気に襲われているのだ。その証拠に、ノーラの吐く息は綿飴のように真っ白である。

 どう攻めるか? ――凍えて震えそうになる両の五指をギュッと握り締めて愛剣の柄を握り直しつつ、形而上相から"お姫様"の存在定義を解析しながら策を練らんと頭を捻らす…その時。

 「あなたは…部外者」

 ボソボソ、とパン屑でも落ちるような繊細で不気味な声を、真っ青に塗られた唇から漏らす、"お姫様"。

 「退いて」

 続いての"お姫様"の台詞と共に、彼女の右手がフラリ、と上がる。緩慢なその動きは、旧時代に描かれた幽霊に相応しい儚さとぎこちなさを兼ね備えている。

 しかし、その行動によって引き起こされた現象は、不可視ながら恐ろしく激しい。

 ノーラは突如、重力とは逆方向にグイッと引き上げられる浮遊感を得る。実際、彼女の身体は数センチ浮いていた。同時に、無重力状態に曝されたように三半規管が機能不全に陥り、ノーラは本能的な焦燥に駆られて足をバタつかせる。

 次いで、三半規管が急激な加速を検知した、と思いきや、視界の端に高速で過ぎゆく路面が映る。浮き上がったノーラの身体は、そのまま路面へと叩きつけられようとしているのだ。

 (マズい…っ!)

 ノーラは即座に自身に発生した現象を形而上相から解析。それが、人体を対象とした騒霊(ポルターガイスト)現象であることを瞬時に覚ると、急いで三半規管に対して身体魔化フィジカル・エンチャント。三半規管に直接作用する怨場由来の電磁波を打ち消し、三半規管の機能を取り戻すと、間近に迫った路面に深々と愛剣を突き刺す。そして剣を支えにグルリと回転するように体勢を立て直すと、弾けるようにして大剣ごと路面から跳躍。装甲車の外装へと帰還する。

 帰還しながら、黄金に輝く大剣の刀身を大きく振りかぶり、"お姫様"のベレー帽を被った頭部へと振り下ろす。

 (ザン)ッ! 鋭い風切り音と共に、大剣は装甲車の外装に切っ先をズブリと埋める。この結果だけを鑑みれば、"お姫様"を一刀両断したかのようだが…そうではない。

 手応えが、全くない。

 事実、ノーラの眼前では、砂細工が風に吹かれて土埃となって舞い散るかのように、水蒸気様の粒子群となってその場から消えゆく"お姫様"の姿がある。

 とは言え、"お姫様"に斬撃が効かないことは、ノーラの予想の範疇である。形而上相に存在の重きを置き、電磁場的性質を持つ体構造をした霊体には、単純な物理攻撃は通じない。それでもノーラが敢えて一撃を加えたのは、"お姫様"の反応から、彼女の存在定義の解析を行うためだ。

 装甲車の外装にめり込んだ愛剣を引き脱ぎながら視線を巡らせ、消えた"お姫様"の行方を追う――居た! 丁度ノーラの背後に、蚊柱が立つような有様で飛散した霊体が集合し、元の小柄な女性の形態を取ろうとしている。

 (とりあえずは…セオリー通りに!)

 ノーラは愛剣に魔力を込めて、定義変換(コンヴァージョン)を発動。パタパタとパネルがめくれるような変形過程を経て形成された愛剣の新たな姿は、蛍光色の過電粒子ビームの刀身を持つ、騎馬槍(ランス)にも似た長剣である。

 電磁場性生命に対抗するには、電磁場を発する武器を用いる。対霊体戦闘の基本である。

 「ハッ!」

 鋭く短い息吹と共に、ノーラは大地を蹴って"お姫様"へと突進。ビーム刀身の切っ先を、敵の中心めがけて突き出そうとする。

 対して、上半身の実像化を完了した"お姫様"は慌てる様子もなく、刀身を受け入れるように静かに立ち尽くしている。その表情も焦燥を押し殺している様子はなく、鏡のように凪いだ海面のように閑寂だ。

 ゾクッ…ノーラの背筋に悪寒が走る。しかし、今から方向転換しようにも切っ先は"お姫様"の腹部まで僅か数センチにまで迫っている。

 (…! とりあえず、やってみるしかない…!)

 背筋を走る悪寒を振り払いながら、ノーラは更に踏み込みを速め、切っ先を"お姫様"の腹部に突き立てた――。

 転瞬…グニャリ、とビームの刀身が大きくカーブを描いて大きく湾曲し、"お姫様"の体から逸れてしまう! "お姫様"が発する強烈な怨場、それが誘発する電磁場によって、過電粒子があらぬ方向へ誘導されてしまったのだ。

 「!!」

 受け止めるでも、回避するでもない対応を、ノーラは想像だにしていなかった。ゆえに、彼女の顔には雷に打たれたような純粋な驚愕が浮かぶ。

 その感情の衝撃が作り出した決定的な隙を、"お姫様"は見逃さない。涼月のようにノリの良い無駄口を叩くこともなく、静かに、そして迅速にノーラの懐深くへと潜り込むと…貫手(ぬきて)にしてはあまりにも五指がダラリと脱力した手先で、ヒュウッと不気味な風を切りながらノーラの首を狙う。

 勢いはさほど感じられない攻撃だが、ノーラの氷水を背筋に垂らされたような悪寒を感じ、バッと体を(ひるがえ)して回避行動に出る。だが、"お姫様"の手先は突然加速し、ノーラの肩の端にチッと(かす)った。

 その途端――。

 「んぐぅっ!」

 ノーラはブワリと冷や汗を吹き出しながら、眉間に思い切り(しわ)を寄せて顔をゆがめる。同時に、パチンッ、と電撃が爆ぜるような音が響き、ノーラの肩を覆う制服が風船が割れるように破裂する。そして剥き出しになったノーラの肩には…強く鷲掴みしたような赤黒い手の痕がクッキリと浮かび上がっている。

 怨場を駆使した生体器官損傷現象『霊障』の一種、『(うら)(あざ)』。手や足、歯などを媒体とし、それらの攻撃的な定義を対象の魂魄へと投影させ、体組織を壊死させる。

 壊死の規模や、壊死の際に引き起こされる痛みの度合いは霊体の発する怨場の強度に比例する。ノーラの受けた激痛は、大型獣の剛力でもって肩がもぎ取られるかと思うほどであった。そして、痣を刻まれた肩はひどく痺れて、うまく腕が動かない。壊死は相当深くまで浸透しているようだ。

 この時、ノーラは"お姫様"が単なる霊体でない事を覚る。

 (この死後生命(ヒト)怨霊(レイス)だ…!)

 霊体の中でも最も自我が強く、強大な怨場を伴い、兵器的な破壊力を持つ危険種族。それが、怨霊(レイス)

 (下手な電磁場や過電粒子の攻撃は、無意味…! だったら…!)

 ノーラは肩の痛みを押して"お姫様"から距離をとりつつ、愛剣に対して再び定義変換。またもやパタパタと音を立ててパネルがめくれるような変形過程を辿ると…今度作り上げたのは、シンプルな形をした、白銀に輝く片刃の大剣である。

 一見すると何の機構も備えていないようであるが、形而上相からこの剣を見れば、真っ黒に塗り潰れるほどに高密度の術式を(まと)っていることが分かるだろう。怨霊(レイス)の形而上相的定義に損傷を与えるために、形而上相に重きを置いた剣を作り出したのである。高密度の術式は、操者であるノーラの意識をくみ取って、状況に応じた術式構造を作り上げるための、いわばパズルのピースである。

 (性質を解析するにも…まずは、剣を交えないと!)

 定義変換(コンヴァージョン)の完了後、ノーラは左右に体を振りながら、"お姫様"へ肉薄。ゆっくりと貫手を下ろして、呆然と立ち尽くす彼女の胴をめがけて、横薙ぎに剣を繰り出そうとする…が。

 「あ…ううっ!」

 ノーラの足が突如、止まったかと思うと、再びその顔に冷や汗がブワリと吹き出した。そしてやはり眉間に深い皺を刻み、ギリリと歯噛みをする。何か強烈な力に対して、力で抗うかのように。

 実際、ノーラは剛力に対して抗っている。彼女の右腕は、ギチギチと筋肉繊維の悲鳴を上げながら、ねじ曲がりながら背中の方へひねり上げられている。この剛力に捕まったが故に、ノーラは足は止まってしまったのだ。

 ひねり上げられた右腕の手首をみると、そこには爪を青一色に塗りつぶした白い手がある。対して、"お姫様"の右手は、左手同様に霞んで消失している。ルッゾにやってみせているように、ノーラにも手を重ねて生体電流を操り、筋肉に自滅的な無茶な運動を取らせているのだ。

 「くうぅ…っ! こ、こんなもの…!」

 苦々しく抵抗の言葉を口にしながら、ノーラは残る左手を右腕にかざすと、方術陣を作り出す。"お姫様"の手の霊体を害して引き剥がす魔術を発動しようと試みているのだ。

 しかし、魔術が十分な発動を見せるよりも早く、"お姫様"が静かな、しかし凶悪な攻撃行動に出る。彼女の漆黒の瞳がキラリと青い輝きを灯したかと思うと…装甲車の後部で、未だに繰り広げられているロイと『十一時』の爆発的激戦によって瓦解し、剥離されたトンネル壁の破片の群れに、ビリビリッと青い電流が走る。直後、破片の群れは弾丸の速度で飛翔し、ノーラへと肉薄してゆく。"お姫様"による、物体に対して騒霊(ポルターガイスト)である。

 「っ!!」

 もはや、方術陣の完成を待つ余裕はない。ノーラはひねり上げられた右手からポロリと大剣を落とし、その柄を左手でキャッチすると、宙に痛々しく固定された右腕をそのままに飛来する瓦礫群に対峙。同時に、両脚に体表組織硬化の身体魔化フィジカル・エンチャントを付加すると、剣撃と蹴撃で(もっ)て瓦礫の迎撃に当たる。

 ガンッ! ガキィッ! ガゴンッ! 雨霰と絶え間なく飛来する瓦礫を、不自由な右腕を抱えながらも、竜巻のような動きで次々と撃破してゆく、ノーラ。窮地は技術と気迫で乗り越えたかに見えたが…そこに、新たな危機が襲いかかる。

 グギギッ…! 再び骨と肉が軋む音が響き、ノーラの顔が更なる苦痛と苦悩で歪む。今度は左脚が蹴りを放った形のまま停止したと思うと、ひねり上げられたのだ。そんなノーラの左脚の足首には、ラメの入ったヒールの高い漆黒の靴を履いた左足が重なっている。"お姫様"の左足だ。

 (そんな…っ!)

 身体の自由を大幅に奪われたノーラは、辛うじて自由の効く左腕一本で高速で飛来する瓦礫群に対処せねばならなくなる。

 ノーラは右利きであるが、幼い頃より利き腕が傷ついた時の対応を叩き込まれていた経験が幸いした。左手一本で非常に器用に大剣を振り回し、瓦礫群を次々に切断したり、叩き伏せたりと奮闘する。

 だが、その努力も徐々に苦しみの色が濃くなる。"お姫様"はノーラが破壊した瓦礫に再び騒霊(ポルターガイスト)を作用させつつ、ロイ達が新たに作り出す瓦礫と加えて、攻撃の手を一行に(ゆる)めない。

 それでも必死の抵抗で瓦礫を振り払い続ける、ノーラ。その有様を遠巻きに眺めていた"お姫様"が、氷のような無表情にひび割れるような不快感を浮かび上がらせる。

 「…部外者のくせに…ウザ過ぎ…」

 毒づいた直後、先っぽが霞んで消えた右腕をスゥッと上げ、ノーラの固定された右腕へと向ける。そして、まるで腕にギュッと力を込めるかのように、眉間に皺を刻んで力む。

 同時に、ノーラは右腕に異変を感じた。無理矢理にひねり上げられた筋肉の悲鳴とはまた別の、熱い不快感を得たのだ。――そう、形容ではなく、物理的に"熱い"。まるで、筋肉の内部が直接炎で(あぶ)られているような、そんな感覚。

 (…マズいっ!)

 ノーラは左腕を振るい続けながらも、顔をギクリと引きつらせる。そして、チラリと右腕に視線を走らせると、直ちに形而上相の解析を開始。その直後…彼女の表情の歪みは、更に大きくなる。

 形而上相が彼女にもたらした情報によれば、彼女の右腕の生体電流が異様な信号を成して、細胞を刺激している…エネルギーを過剰燃焼させろ、と細胞に促している!

 (これは…霊的人体発火(インフレイム)…!)

 旧時代の地球において、"人体自然発火"と呼ばれた祟り現象だ。細胞を異常刺激し、ATP燃焼回路を過剰機能させて不自然な高温状態を作り出し、発火を引き起こす。

 ノーラは慌てて、右腕の細胞活動を沈める身体魔化フィジカル・エンチャントを練り上げようとするが、その行動が仇になった。瓦礫への集中が(おろそ)かになってしまい、非情にもその間隙に殺意に満ちた瓦礫が滑り込んでくる。

 (あ…っ!)

 気づいて視線を戻した時には、額の間近にまで瓦礫が迫っていた。当然回避など間に合うワケなく、ガツンッ! と頭蓋を震わす直撃を受ける。大幹を大きく崩す一撃が脊椎を揺るがすが、右腕と左脚が固定されているために、その場にくずおれることはなかった。しかし、首がもげるそうなほどに大きく反り返り、額からはドバッと鮮血が噴き出す。

 (痛…っ!)

 打撃への呻きを胸中で漏らすのも束の間。今度は右腕の温度が急激に上昇。溶鉱炉の中に突っ込んだかのような灼熱を感じた…と思ったその直後、ジリジリとした激痛と、ゴウゴウと顔を炙る熱気に苛まれる。衝撃と鮮血で混濁する視界を巡らせて見れば、そこには赤々とした火を噴く右腕の姿がある。――ついに、狂乱した細胞がエネルギーを過剰に燃焼させて、発火したのだ。

 (そんな…っ! なんとか、しないと…っ!)

 高熱を伴う痛みも()ることながら、視界の中で見る見るうちに水(ぶく)れが形成され、それが破けると共に黒々と炭化してめくれ上がってゆく皮膚を目にして、ノーラの胸中の焦燥がはちきれんばかりに膨らみ上がる。このままでは、右腕はますます炎上し、骨も残らずに炭化してしまうかも知れない!

 一刻も早い身体魔化フィジカル・エンチャントによる細胞機能の回復が必要だが、そこにいざ集中しようとすれば、今度は高速で飛来する瓦礫が彼女の集中を阻む。瓦礫もまた、ご丁寧に切っ先の鋭い方向をノーラの方へ向けて肉薄してくるのだから、激突されるがままに無視して魔術への集中を行うのは困難だ。そんな事をすれば、下手をすれば瓦礫が身体を貫通するかも知れない…!

 なんとか脳裏で術式を組み立てながらも、左腕で大剣を操って瓦礫を打ち落とし続けるノーラであるが…時間が経てば経つほど、酷使する左腕は筋肉がパンパンになるほど疲労するし、右腕の燃焼も激化してゆく。それゆえに、折角苦労して汲み上げた術式も煙のようにかき乱されて消えてしまい、体勢の回復は遅々として進まない。

 (なんとか…なんとか…っ!)

 それでも粘り続けるノーラの身体に、再び異変が起こる。フワリとした浮遊感を得たかと思うと、無重力下に置かれたように三半規管の機能が不全になり、上下の感覚が失せる。半ば反射的にバタバタと四肢を動かすと、固定されていた右腕も左脚も解放され、自由に動かすことが出来るようになっていた。――ただし勿論、右腕は相変わらず、我が身から噴き出す炎に包まれているが。

 身体の自由を取り戻したノーラだが、これを好機ととらえることは出来ない。方向感覚も平衡感覚も完全に消失した為に、酷い船酔いにあったような不快感が消化器を駆けめぐる。加えて、理性を振り絞って状況確認のために足下を見やれば、床であった装甲車の外壁からグングンと離れてゆく自分の身体を知覚する。

 "お姫様"が再び、ノーラの全身を対象にした騒霊(ポルターガイスト)を実行したのだ。

 今度はどこに激突させられるのか!? 狂った方向感覚の中、ノーラは必死に視界を巡らせると、トンネルの壁がグングンと近づいてくるのが見えた。これに対処すべく、身体を縮こめて受け身の体勢を取り、衝撃に備える…が、衝撃はなかなか来ない。

 と、思った矢先、全く予想だにしなかった頭頂にゴツリッ! と頭蓋を砕かんばかりの堅く重い衝撃が走る。"お姫様"はノーラの運動方向を巧みに変化させると、トンネルの天井にノーラの頭を叩きつけたのだ。

 「あぅ…っ!」

 鼻血を噴き出しながら、たまらず苦悶の声を上げる、ノーラ。視界にチカチカと星が回り、意識に必死にしがみついていた理性が脳裏から吹き飛んでしまう。

 この直後から、ノーラの凄惨な悲劇が本格的に始まる。

 一体、自分の身体の何処を、トンネルの何処にぶつけられているのか、全く把握できない。まるで、渦潮の中に叩き込まれたかのように、方向感覚がグルグルと回り、全身のどこもかしかにも激痛と衝撃が走る。

 ノーラは今、"お姫様"の騒霊(ポルターガイスト)によって、滅茶苦茶にトンネル内を吹き飛ばされては激突して跳ね返り、またあらぬ方向へ吹き飛ばされる…という、絶え間ない暴力に曝されていた。時折、炎上している右腕以外の体部にも熱い激痛が走るのを感じるが、それは壁に押しつけられてザリザリと(こす)られている時の摩擦熱のようだ。

 そんな厳しい状況の中でも、ノーラは愛剣を唯一の拠り所だと言わんばかりに決して手放さず、そして衝撃が身体に走る度に体勢を立て直そうと身体を回転させることを試みる。だが、何度も、何度も、何度も…吹き飛ばされては叩きつけられているうちに、全身の筋肉が厳しい打撲による悲鳴を上げて動かなくなり、狂った平衡感覚が激しい嘔吐感を誘発する。

 (…もう…やめ…て…)

 ついに、ノーラの気丈な精神が折れ、全身の筋肉がグッタリと脱力した頃。振り回され続けてきたノーラの身体が、ピタリとその動きを止めた。同時に、三半規管も機能不全を脱し、方向感覚が取り戻される。重力を右手方向に感じながらも、装甲車の外装が足下に見えることから鑑みるに、重力制御方術『崩天』の効果が切れた状態で、路面と平行に直立させられているようだ。

 身体が、一指たりともピクリとも動かない。筋肉が痛みで疲れ切っているから、というのも理由の一因であろうが、それよりも全身をくまなく巡るビリビリした痺れが要因として強い。――これは間違いなく、怨場による金縛りだ。全身の運動神経を走る電気信号が遮断されてしまっている状態である。

 「あ…あうぅ…」

 舌も唇も動かず、半開きになった口から、苦悶の呻きを漏らしていると。腫れた瞼によって狭くなった視界の中で、滑るようにしてスゥーッと近寄ってくる"お姫様"の姿が見える。彼女は相変わらずルッゾの元に置いているらしい左手以外の体部が定位置に戻っているところを見ると、ノーラの体を霊体で直接抑えつける行為は止めたようだ。

 呼吸がかかる顔にかかるほどの距離にまで詰め寄った"お姫様"は、相変わらずの氷のように冷たい無表情に、漆黒の瞳の奥にだけ気怠(けだる)げな怒りの輝きを(たた)えると、真っ青な唇を無愛想に動かす。

 「在処も知らない、無価値な異物」

 そして、怒りに輝く瞳をスッと動かすと、ノーラの胸元で視線をピタリと止める。そして、ゆっくりと右腕を引き上げて、くだけた貫手を作る。"お姫様"の目と指先が狙っているもの、それは…ノーラの、心臓だ。

 心臓に霊障を引き起こし、ノーラを死に至らしめるつもりなのだ。

 「排除」

 青い唇が無情な言葉を紡ぎ、"お姫様"の手先がユルリと加速しながら、ノーラの心臓を目指す。

 

 一方。装甲車の後方の宙空にて。

 ロイと人型癌様獣(キャンサー)『十一時』の交戦は、苛烈さを全く失わぬ爆発的な衝突を繰り返していた。

 ロイが竜の拳や脚、尾、または鉤爪で『十一時』の体を叩き壊し引き裂けば、『十一時』は傷を高速再生に任せると痛みも衝撃も感じないかのように、即座に反撃に転じてくる。体の各部に内蔵された銃火気や金属製の拳を振るうだけでなく、ロイの死角から飛翔物体を密着させると、至近距離でのローレンツ力の槍を炸裂させたりもする。『十一時』と違って再生能力を持たないロイは、ダメージを受ける度に一々表情に苦悶が浮かぶが、すぐに凄絶な嗤いで上書きすると、翼を強く打ち振るって体勢を立て直し、再び打撃や斬撃を叩きつける。もしくは、竜息吹(ドラゴンブレス)をビーム砲のごとく吐き出し、発生させた強烈な電磁場で飛翔物体を破壊しながら、『十一時』の身体を欠損させたりもする。

 まるで、装甲車のすぐ後ろに巨大な積乱雲が存在し、爆発的な雲内放電を繰り返しているかのような、目まぐるしい激戦である。

 しかし…時を経るにつれて、徐々に分が悪いなってゆくのは、ロイの方だ。彼は行動すればするほど疲労とダメージが蓄積してゆくが、一方で『十一時』は再生能力のほか、異相次元に存在する癌様獣(キャンサー)共有のエネルギー貯蓄空間からエネルギーをたぐり寄せることで、疲労すらも回復することが出来る。

 この激しい攻防の中で、『十一時』は今やロイの放った[[rb:竜息吹]]によってゴッソリと失った下半身を大凡(おおよそ)取り戻し、2本の尻尾や脚部からの銃撃を攻撃の手段に用いている。

 (戦ってて、スゲー面白ぇ相手だけどよ…!)

 嗤いの裏側で、ロイは熱い汗の中に冷たい焦燥の汗を交えながら、胸中で呟く。

 (いつまでもこうやって戦いっ放しってワケには、いかねぇよな…!)

 ロイが抱いた危機感。それは確かに、『十一時』の無尽蔵の体力と回復力にも向けられている。しかし同時に、ロイは目まぐるしく動き回る交戦の最中に、視界の端にチラリチラリと映る、仲間の苦戦の様子を苦々しく思い、ギリリと奥歯を噛みしめている。

 影様霊(シャドウ・ピープル)を相手にしている蒼治、紫、レナの3人は、怨場による体調不良が酷く、思うように敵を蹴散らすことが出来ずに押し込まれ気味だ。地縛霊の涼月(れいげつ)と戦う蘇芳は舌戦でなんとか相手の隙を突いているものの、怨場の中で霊体の損傷を即座に回復してしまう涼月を前に、滝のような汗を流して荒い息を吐いている。

 そして何より、怨霊(レイス)と戦うノーラの、無惨な有様――その光景がロイの胸を深く刺し貫いて、たまらない。

 瓦礫の群に防戦一方になったかと思いきや、霊的人体発火(インフレイム)騒霊(ポルターガイスト)に曝されて、見る見るうちにズタボロになってゆく姿に、ロイの黄金の瞳が曇る。

 (あのままじゃ、ノーラ、マジで命に関わっちまうぞ!)

 激しい交戦の最中にも、おもわずチラチラと視線を走らせしまう、ロイ。その隙を見逃すような『十一時』ではない。

 ピトッ――ロイの脇腹に、6つの突起物が接触した感覚が芽生える。円陣を組んだ飛翔物体に触れられたと知覚した時には、もう遅い。ゼロ距離からのローレンツ力の槍が筋肉を、内臓を(ドン)ッ! と貫き、ロイはまっすぐにトンネルの天井に叩きつけられる。

 「ぐはっ!」

 吐血と共に肺の中の空気が全て押し出され、ロイの呼吸が停止する。窒息状態に陥ったロイは口をパクパクさせながら、痙攣して麻痺してしまったらしいい横隔膜を回復させようとするが…そこへ、バーニア推進機関を全開にした『十一時』が一気に肉薄。表面に十数センチ程度の鋭利な針状突起を生やした2本の尻尾で、ロイの身体にまとわりつく。

 「…ッ!」

 呼吸が止まったままのロイは無言の悲鳴をギリリと噛み殺しながら、全身を貫く激痛に抗い、尻尾を振り払おうと全筋肉を総動員させて力む。

 しかし、ロイの努力が功を奏するよりも早く、『十一時』は尻尾をブンッ! と思い切り振り回すと、ロイの身体を今度はトンネルの壁に叩きつける。衝突地点には丁度証明器具があった為、破砕した強化ガラスの破片や電気回路のスパークがロイの身体を苛む。

 「ごほ…っ! ちっ…くしょう…っ!」

 衝撃によって横隔膜の麻痺が回復し、呼吸を取り戻したロイは黄金の瞳に爛々と憤怒を灯すと、鉤爪が輝く竜脚を思い切り蹴り上げて、『十一時』の尻尾を両断。透明な電解質の体液がボタボタと噴き出す中、『十一時』は体勢を万全に整えるためかバーニア推進機関を巧みに扱って後退する。

 だが、ロイの激情はみすみす『十一時』を逃す真似はしない。ヒュッと素早く深く吸気すると、(ガァ)ッ! と短く叫び上げながら電撃を主体とした竜息吹(ドラゴンブレス)を射出。今度は『十一時』の方が防御できずにまともに直撃を喰らい、反対側のトンネルの壁へと吹き飛ばされ、派手に瓦礫を巻き上げながらめり込んだ。

 僅かながら余裕を得たロイは、壁にめり込んだ身体を即座に引き起こすと、『十一時』への追撃へ…は、出ない。代わりに、気掛かりなノーラへと視線をチラリと走らせた。

 そして、彼の黄金の瞳が丸くなり、漆黒の瞳孔が縮みあがるようにギュッと収縮する。

 彼が見たのは、ボロボロになって脱力しきったノーラが宙に固定された姿。そして、"お姫様"が彼女の元へスーッと近寄ってゆく場面である。

 ロイの胸中に、即座に最悪のケースが思い浮かぶ。彼は"お姫様"がやっかいな霊体種族である怨霊(レイス)だということを、感覚的に覚っていた。故に、彼女が恐ろしいまでに強力な霊障を操るであろうことにも予想をつけていた。

 組織を壊死させる霊障によって、心臓や肺、脳といった重要期間が壊死させられたてしまったら。ノーラの命の炎は、強風の前に儚く消え去る蝋燭の火も同然となる。

 (助けに行かねーとっ!)

 思うが早いか、ロイの体はすぐにノーラの方向へ飛び出そうとするが、その行動に理性が急激なブレーキをかける。視界の端に、体勢を立て直した『十一時』が急速接近してくる姿を捉えたからだ。

 ノーラにばかり気を取られては、自分の命が危うい。かといってノーラに手を貸さなければ、彼女はほぼ確実に命を落とすだろう。

 どうする!? と、疑問符を浮かべた、数瞬の後。物事をあまり深く思案しないロイに対しては奇妙な表現であるが――ともかく彼は、一計を案じた。

 そして、自案を一瞬たりとも不安視するような躊躇(ちゅうちょ)を一切抱くことなく、ロイは竜翼を羽ばたかせて、『十一時』に真っ向から接近する。

 ――もとより、躊躇するだけの余裕など有りはしないのだが。

 「ッオラァッ!」

 ロイはトンネルの隅々にまで響き渡れと言わんばかりに雄叫びをあげながら、大きく右腕を振りかぶって『十一時』に肉薄する。

 その所作を一見した実力者は概して、無駄の多い大振りであると判断することだろう。『十一時』もまた、その例に漏れない。

 ――疲労とダメージの蓄積を、気力で振り払おうと言うワケか。ロイの嗤いを浮かべながらも満身創痍の姿を見れば、『十一時』でなくともそのような意見が頭に浮かぶことだろう。

 そして『十一時』は、この隙を相手を叩き伏せる好機と見て取り、迅速にして無駄のない動きで攻撃行動に出る。飛翔物体を死角から素早くロイの腹部に潜り込ませ、接触させると。ロイの顔が"しまった"と歪む間もなく、ローレンツ力の槍をぶっ放す。

 (ドン)ッ! 賢竜(ワイズ・ドラゴン)の強靱な肉体が、激しい衝突音を奏でる。転瞬、ロイは上下の半身が分断されるかと思うほどに体を深い"く"の字に曲げて、流星のように吹き飛ぶ。

 「げはぁ…っ!」

 内臓を揺さぶる強烈な一撃に、たまらず苦悶の声と共に吐血する、ロイ。だが…その苦しげに歪んだ表情の端で、口元がニヤリと釣り上がる。

 

 これこそが、ロイの骨身を削る一計である。

 

 ロイが吹き飛んでゆく先…そこにはノーラと、彼女に凶手を向ける"お姫様"の姿がある。

 ロイはわざと翼を羽ばたかせて吹き飛ぶ速度を加速すると、巨大な砲弾となって"お姫様"の頭上へと降下してゆく。

 ノーラの心臓めがけて手先を突き出していた"お姫様"は、頭上にかかる影にピクリと反応すると、ギラリと嗤いながらぶつかってくるロイの姿に漆黒の瞳をまん丸くすると。激突を嫌って、慌てて身体を煙のように散らして姿を消し、ノーラより十数歩離れた地点へ転移する。

 霊体には生物体の体内に潜り込む『憑依』という現象を扱うことが出来るが、この行動を行う直前に彼らは入念な準備を行う。でなければ、生物体と元々リンクしている魂魄の間に存在する強固な免疫的構造に阻まれ、霊体がダメージを被るからだ。その事情ゆえに、"お姫様"はロイと体が重なることを避けたのである。

 "お姫様"が転移した直後、ロイは超人的な反射神経と運動能力で旋風のように体勢を立て直すと、装甲車の外装に両足の鉤爪を深く立てて、無理矢理水平方向に立つ。

 一方、"お姫様"が慌てた回避行動を取ったことで、ノーラの金縛りは解除された。しかし方術『崩天』の効果が切れてしまった彼女は、重力のなすがままに路面へと落下してゆく…そこをすかさずロイがしっかりと抱き止め、力強く自分の身近に引き寄せる。

 ノーラの疲れ果てた、そしてキョトンとした表情をのぞき込みながら、ロイはニカッと意地悪げな太陽の笑みを浮かべる。

 「だいぶ苦戦してるようじゃねーか」

 ノーラが何か答えようと口をパクパクさせるものの、疲労と激痛でうまく言葉が出てこない。ロイはそんな彼女を急かすでなく、笑みをまっすぐに向けたまま、炎上するノーラの右腕に己の左手を置いてさすった。身体魔化フィジカル・エンチャントによって電磁場を纏ったロイの竜掌は、ノーラの細胞を害する異常な生体電気信号を沈めながら、炎を握りつぶしてゆく。

 炎がようやく収まり、ノーラはハァ…と安堵のため息を吐いた頃。ロイはノーラの右腕にチラリと視線を走らせた。そこには、表皮が黒焦げになってめくれあがった、無惨な重傷がある。それを目にしたロイは思わず笑みを消し、剣呑な激怒と曇天のような憂慮が同居する表情を浮かべる。

 「くそ…っ! あの怨霊(レイス)の女、ひでぇ事しやがるな…っ!」

 「わ…」

 ここでようやくノーラが、咳き込むようにか細い声を上げる。

 「わ…たしが、悠長にぶ…んせきなんてしなが…ら、戦ってた…から…」

 「それがノーラのスタイルなんだろ。悠長ってワケじゃねーさ。

 むしろ、オレが考えなしに突っ込み過ぎるんだろーな」

 ロイは笑みをちょっと取り戻して優しくフォローする。その直後、表情をキュッと引き締めると、怨恨を込めてこちらを睨みつけ"お姫様"に真っ向から視線をぶつけながら、磨き抜かれたナイフのような堅く鋭い言葉を口にする。

 「とにかく、この怨霊(オンナ)と…」

 語りながら、チラリと背後上空に視線を向ける。そこには、早くもこちらに向かって飛行する『十一時』の姿がある。

 「『十一時』(アノヤロー)の両方をブッ倒さねーと、オレたちの方が参っちまう。

 …そこでオレ、1つ考えたんだ。あの2人をまとめてブッ倒す方法を、さ。

 ノーラにも…こんな状態でキツいだろうけど…手伝って欲しいんだけどサ…大丈夫か?」

 ノーラは両足先に『崩天』を再付与しながら、苦々しく微笑む。

 「やる以外に…選択肢は、ないもんね…」

 答えながらノーラは、重度の火傷を負った右手を愛剣の柄に置くと、左手と共にギュッと握りしめる。右腕の筋肉は幸いにも、物をつかめるほどには熱変成が進んでいなかったようだ。

 その気丈な姿を見たロイはニッコリと微笑むと、ノーラの耳に牙が生え揃った口を近づけ、ゴニョゴニョと自案を伝える。

 それを効いたノーラは、一瞬眉を八の字にひそめて、気難しい表情を作る。聞いたロイの策は、決して不可能というワケではないが…。

 「こんな状態の私に…そんな器用なことが、出来るかな…?

 ロイ君とも知り合って、まだまだ日も浅いのに…」

 桜色の唇を頼りなさげに震わせて語ると、ロイはノーラの薄紫の髪の中にポンと竜掌を置き、ワシャワシャシャと撫でて再び笑む。

 「大丈夫、大丈夫。ノーラなら出来るって。

 それに、オレのことを"絶対に負けない"って言ってくれたのは、ノーラだろ? そのオレが自信満々で考え出した策なんだぜ? 負けるワケねーよ。

 オレの事が信じられないなら、オレを信じてくれたノーラ自身を信じろよ」

 「で、でも…」

 ノーラはまだ何か言い返そうとしたが…すぐに言葉を飲み込んだ。視界の端で、奈落の深淵のように暗い憎悪を(たぎ)らせた"お姫様"が、身にまとうゴシック・パンクの衣装をなびかせながら、滑るように急接近して来たからだ。

 それに、"お姫様"と丁度反対側の上空には、飛翔物体を攻撃用陣形に万全に整えた『十一時』が迫ってくる姿がある。

 ――自分に有効な案がない以上は、ロイの策に乗る以外に選択の余地などない。

 それに、ロイの案を実行する際に一番の障害と成りうるのは、敵より何より、ノーラ自身の度胸だけだ。

 「…うん、分かった」

 ノーラは遂に、腹を(くく)った。力強く、素早く首を縦に振った。

 するとロイは、ギラリと牙を見せて凄絶に、そして満足げに嗤うと。クルリと踵を返してノーラに背を向け、『十一時』に対峙する。

 そして、ノーラに視線を走らせることはないものの、軽く拳でノーラの肩を小突く。

 「それじゃ、頼むぜ…相棒ッ!」

 そしてロイは、(ダン)ッ! と装甲車を揺るがす足踏みすると、翼で颶風(ぐふう)を巻き起こしながら、漆黒の砲弾となって飛び立った。

 一方でノーラは、万全に発動した『崩天』によって完璧に重力を制御すると、軽やかに、そして力強く外装を蹴って疾走。両手でギッチリと掴んだ愛剣を突撃槍のごとく切っ先を正面に向けて構え、"お姫様"に真っ向から立ち向かう。

 

 かくて、戦闘は壮絶な決意に彩られた佳境へと入る。

 

 装甲車上では、誰も彼もがうんざりと疲れ切った中で、半ば自棄になりながらそれぞれの戦いを繰り広げている。

 「くっそーっ! キリがねぇってのっ! いい加減、くたばりやがれよっ!」

 口汚く罵りながら、腰だめに機銃を構えて魔化(エンチャント)した弾丸を掃射しているのは、レナである。一応、弾丸には対霊体用に調整した術式を付与しているのだが、強烈な怨場の中での影様霊(シャドウ・ピープル)にはほぼ功を奏さず、霧に向かって(いたずら)に発砲して弾丸を無駄にしているに等しい、虚しい行動と化している。

 「もう相手はくたばってますって、レナ先輩さん」

 心底ダルそうな声を上げるのは、レナの足下でうずくまりながらも、右手にだけ纏った魔装(イクウィップメント)の電極様武装から、荷電粒子の弾丸を細々と撃っている紫だ。彼女の攻撃は影様霊(シャドウ・ピープル)に着弾すると、ほんの一瞬だけ、酷い水疱状の損傷を与えるのだが、怨場がすぐに傷を回復してしまう。そんな虚しい努力の空回りを見て、紫は蒼白の顔に弱々しい苦笑を浮かべて、鼻で笑っている。

 「無駄口なんか叩いてるな! 諦めずに、抵抗を続けるんだ! きっと道が開ける!」

 蒼治は字面だけ見れば楽観的とも言える言葉を喚き立てているが、その表情は寄り集まった3人の中で一番悲壮感に満ちている。濃紺の髪は冷や汗でグッショリと濡れているし、それがピッタリと張り付く面長の顔は、死人のように蒼白で、失意の影に満ちている。女子に囲まれている中、男子の面目を保とうと気丈に振る舞おうとしているようだが、星撒部部長の渚が評価する通りの悲観的な性格は、薄っぺらい言葉だけで塗りつぶせるものではないようだ。

 蒼治は説得力に欠ける励ましを口にしつつも、双銃を重機関銃のように激しく連射しているが、彼の攻撃もまた女子2人と同様、(かんば)しい効果をあげているとは言えない。

 それでも3人の精一杯の抵抗は、影様霊(シャドウ・ピープル)の行動の牽制と言う点では十分な効果を上げていると言えよう。事実、影様霊(シャドウ・ピープル)は手にした銃剣を存分に振るう機会をなかなか手に出来ないでいる。

 しかし、このまま怨場に曝され続けて自律神経失調が続けば、体力を加速的に消耗し、腕も上がらないほどにへたり込んでしまうことだろう。そんな悲惨な結果に陥るのも、時間の問題だ。

 

 一方、蘇芳の方では…。相変わらず、骸骨武士の形状をした地縛霊、涼月(れいげつ)と舌戦を交えた激闘を続けている。

 蘇芳の練気の技術は、独学要素が強いものの相当なレベルを誇り、下手な軍警察衛戦部の戦闘員よりも余程高い戦闘能力を発揮している。巧みな会話によって隙を誘い、すかさず気力を込めた一撃を叩き込むと、涼月は何度も「うお!」だの「ぬう!」だの声を上げて、無様に吹き飛ぶのだった。

 だが、いくら涼月の魂魄に直接打撃を与えようとも、"お姫様"の強力な怨場が健在である限り、影様霊(シャドウ・ピープル)の戦闘員同様、損傷も疲労も即座に回復してしまう。

 「やりおるなっ、流石はこの都市国家を背負う武士(もののふ)よっ!

 じゃが、わしらが郎党の悲願を背負うわしとて、負けてはおれぬわぁっ!」

 涼月は何度も何度も立ち上がると、炎に包まれた全身やら、炎と鞭と化した長槍を嵐のように振り回し、蘇芳の体を叩きのめしてゆく。打撃と焦熱を同時に喰らう蘇芳の体では、程なく軍服が焼け焦げてボロボロに引き裂かれ、露出した皮膚は火傷による真っ赤な水(ぶく)れを呈する。

 怨場による体調不良こそ免れている蘇芳であるが、即座には回復できない体に、時が経つほど蓄積する疲労の(かせ)からは逃れられない。攻める動きも避ける動きも段々と勢いを失い、心臓は爆発しそうなほどに荒れ狂った鼓動を打つし、肺は酸素を渇望して肩を大きく上下させる。

 (くっそ…! 早く何とかしてくれねぇかな、あの女子学生…!)

 "お姫様"の対処を任せたノーラの顔が脳裏を過ぎるが、彼は自身の戦いに精一杯で、彼女の苦戦の様など知ろうはずがなかった。

 (このままだと、持たねぇぞ…!)

 滝のようにビッショリと汗をかいて、身構えたまま遂に動きを止めてしまった蘇芳。それを見た涼月が、顎骨をニヤリと歪め、長槍を肩に担いで優越感に満ちた出で立ちを取ると、ケラケラ笑いながら挑発してくる。

 「なんじゃ、こんなもんか!

 若く、活き活きとした肉体を持っておるというのに、枯れ木同然の体をしたこのわし相手に、もう息が上がってしもうたか!

 情けない小童じゃのう!」

 「ぬかせってんだ…!」

 蘇芳は強がった笑みを浮かべて答えつつ、胸中で苦言を付け加える。

 (こっちは、てめぇと違ってスタミナも何もかも有限だってンだよ!)

 その苦言が涼月に届いたワケではなかろうが、涼月は蘇芳の苦悩を再びケラケラと笑うと、長槍の切っ先を蘇芳の心臓に向けて身を低く構える。

 「ならば、強がりが口先だけでないことを、見せてみよ。

 見せられねば、わしの槍に魂ごと貫かれて、死ぬぞい?」

 「上等…! かかって来やがれってんだ…!」

 威勢良く叫んで見せる蘇芳だが、自分から動かず涼月に"かかって来い"と語ったのは、走る体力すら惜しんでいるためだ。

 (マジでなんとかしてくれよ…!)

 他力本願な自分の態度を情けないと思いながらも、強く願わずにはいられない、追い込まれた蘇芳であった。

 

 そして、装甲車の運転席では。未だにレッゾが"お姫様"の左腕による支配に抗おうと、こめかみに青筋を浮き上がらせながら全身に力を入れていた。

 「動けっ、動けってんだよ…! このクソッタレな腕めが、脚めが…よっ!」

 罵声を受ける腕や脚は、注がれた力を受けてプルプルと震えるものの、アクセルを全開に踏みつける脚も、ハンドルを握る手も、根が張ったように微動だにしない。

 奮闘中の最中、レッゾは視界の上端を過ぎってゆく"とある物体"を発見し、ハッと視線を上げた。そうして視界のど真ん中に飛び込んできたのは…トンネルの天井に設置された、標識である。

 "第57区画出口まで、残り…"と書かれてある標識の表面を見たレッゾは、ドレッドヘアが総毛立つような感覚を得た。

 地上が、近いのだ。

 「やべぇ…もうこんな所まで来ちまったのかよ…っ!」

 額からダラダラと湧き出し流れる、冷たい汗。第57区画と言えば、『冥骸』所属の死語生命(アンデッド)達が拠点を設けている地域である。そこに飛び出してしまえば、現状より遥かに強烈な怨場の中で、現在の十倍以上の戦力を相手にする羽目になる。

 間違いなく、助からない。

 「クソッ、クソッ、クソッ! 動け、動け、動けってんだよぉ、オレの腐れ腕めっ! 腐れ脚めぇっ!」

 烈火のごとく叫べども、手足はプルプル震える程度で、全く聞く耳を持たずに淡々と全速力前進を維持するだけ。

 

 誰も彼もが、胸の内に重苦しい絶望を抱え、奇跡のような希望を渇望している。

 そんな最中、瞳に遙か彼方の希望の星の輝きを映し、それを手繰(たぐ)り寄せんと奮闘するのは、2人の男女。

 ロイと、ノーラである。


- To Be Continued -

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