Borderland - Part 5
◆ ◆ ◆
地球圏治安監視集団の登場により、星撒部一同は安堵するものの、その他の勢力の尖兵たちはギクリとしたように硬直し、ジットリと上空の戦艦に視線を注ぐ。
流石は地球圏最大の戦力を持つ組織、睨みを効かせるだけでも相当の威圧感を与えるようだ。
「おーいっ! こっち、こっちだよーっ! 多勢に無勢で困ってたのよーっ!
すぐにコイツら、蹴散らしちゃってよーっ!」
紫がバタバタと大きく腕を振って叫ぶ最中も、多足歩行戦車も癌様獣も、影様霊も微動だにしない。紫の行動などより、飛行戦艦の動向が気になるようだ。
星撒部一同の周囲以外、凍り付いたような緊張の空気が支配する中で。ついに飛行戦艦が動きを見せる。船底の装甲を数カ所開いて、砲門を出現させる。穴の開いてない、魔術篆刻がビッシリと刻まれた判子面のような砲口がキュインキュイン、と小さな駆動音を立てながら細かく射撃方向を微調整する。
その砲口が星撒部一行の方にも向いていても、部員たちは誰一人として表情に不安を張り付けたりしない。発射されるのは、地球圏治安監視集団お得意の暫定精霊を利用した"意志ある砲弾"であろう。彼らならば保護対象をキチンと識別し、敵勢力だけを的確に捉えて攻撃するはずだ――そう、星撒部部員たちは確信していた。
そして遂に――飛行戦艦の砲口が、連続で盛大な火を吹く。
轟ッ! 轟ッ! 轟、轟、轟――! 連続する爆音と共に、赤、青、そして白い火炎状の砲弾が判子面のような砲口から飛び出す。砲弾は星撒部一同が予想した通り、暫定精霊を利用したものだ。燃えさかる巨大な火球の表面には、肉食獣というよりホラー映画に出てくる怪物のような、剣山のような牙を林立させた凶悪な顔が張り付き、ゲラゲラゲラと嗤いながら空を疾る。
暫定精霊の弾丸は宙に自らの魔術励起光の尾を長く引きながら、グルリと宙に大きな円を描く。その最中で、黒々とした双眸で眼下の標的を補足すると、一気に急降下。多足歩行戦車を放り出して、慌てて回避行動を取り始めた癌様獣どもを執拗に追い詰め、ついに着弾して爆裂する。慟、と激震する大気を振りまきながら盛大な積乱雲状の炎塵を巻き上げて自爆した暫定精霊に、癌様獣どもの大半が完全に炭化した身体が思い切り蹴り飛ばされた小石のように吹っ飛ぶ。当然、体勢の立て直しなど出来るはずもなく、無造作に大地に落下した癌様獣どもは、中途半端に踏みつけられた昆虫のようにピクピクと身体を小刻みに震わす。再生が始まらないところを見ると、暫定精霊を構成していた術式は的確に癌様獣の霊核構造を欠損させているようだ。
暫定精霊の弾丸は、癌様獣の群から解放されて間もない多足歩行戦車の上にも容赦なく降り注ぐ。慌てて跳び退こうと脚を踏ん張ったところで、車体上面に数匹の暫定精霊が直撃。慟、慟、慟、と鈍く痛々しい激突音が響き、多足歩行戦車は激しい衝撃にガクンガクンと身体を揺らして大地に腹部を擦り付ける。
『畜生…っ! このままじゃ、このボディが持たな…』
爆音の中、女性の声で口汚く状況を罵っていた多足歩行戦車であるが、その言葉が突然プッツリと停止。直後、キィン、と喧しい耳鳴りのような音を立てたかと思うと、空気を入れすぎた風船のように内部から破裂。派手に金属片をブチ撒けながら、真紅の火柱を上げて大破した。
さて、暫定精霊たちの一部は地面スレスレまで降下して超低空飛行しながら、星撒部の一行の方にも迫る。しかし初めは、一行のうちの誰もこの光景に対して危機感を抱かなかった。
地球圏の平和を維持する地球圏治安監視集団にとって、自分たちは保護されるべき民間人。攻撃される理由など、全く見あたらない。暫定精霊が狙っているのは、自分たちを越えた向こう側にいる影様霊の一団であり、うまく自分たちを避けて進んでくれることだろう…そう、確信していたのだ。
だが…やがて、彼の顔に一筋、二筋、と不安の冷や汗が伝い始める。暫定精霊たちはなかなか進路を変えず、ゲラゲラ嗤う大口の中の炎の牙を見せつけて、ズンズン迫ってくるのだ。
「ねぇ…ま、まさか…あの暫定精霊って…」
紫がギクシャクと、誰ともなしに呟いた、その時。暫定精霊はキュンッ、と急激に方向転換して3メートルほど上昇した。そのまま放物線を描いて背後に突撃してくれれば、万々歳だったのだが…あろうことか、暫定精霊の険悪な嗤い顔はグルリとこちらを見下したのだ。
――ヤバい。星撒部一同の胸中に、一斉に焦燥が沸き上がる。
「みんな、避けろっ!」
と、蒼治が叫ぶまでもなく。一同は慌ててその場から跳び出した。ノーラはロイも抱えているので急な動きを起こすのは非常に辛かったが、自身の太股に鞭打って大地を蹴り、麻痺したままのロイを庇って彼の上に覆い被さった状態で跳び、地に伏せる。
その場を跳び出した一同の背後で――慟ッ! と耳を労する爆音が発生し、チリチリする攻撃術式の残滓が乗った烈風が吹き抜けてゆく。
「くぅ…っ!」
制服越しですら背中の皮膚に灼熱を近づけたような疼痛を覚えたがノーラが、必死に歯噛みして悲鳴を押し殺す。
「ひゃ、ひゃいびょぶひゃ…!?」
ロイが気遣いらしき声を上げるものの、呂律の周り口では間抜けな言葉しか形作ることが出来ない。
それでも、彼の心遣いはノーラには十分に通じた。烈風が止んだところですかさず上体を起こしたノーラは、未だに疼く背中の痛みに表情をひきつらせながらも、出来るだけ穏やかな笑みを浮かべる。
「うん…ロイ君こそ、怪我はない…?」
ロイは喋らずに首を縦に振って肯定の意を表す。そんな彼の表情には、今にも泣き出しそうな幼子のような、非常に申し訳なさそうな表情が浮かんでいた。
2人が視線を絡み合わせていると、背後から雷鳴のような叫びが飛んでくる。
「2人とも、早くそこから逃げて!
また来てるって!」
それは、紫の悲鳴だ。そして彼女の言葉の通り、2人の頭上には青と白の輝きを呈した暫定精霊の砲弾が急降下して来ている。
「ロイ君、行こう…っ!」
ノーラはロイを左肩に負って立ち上がろうとしたが…途端に、左足にズキンッ、と激痛を感じ、その場にくずおれてしまう。何事かと痛みの元へと視線を向けると…尖った瓦礫が、ふくらはぎをザックリと貫通していた。
痛々しい事実を認識した途端…滝のような大量の冷や汗が顔中にブワリと噴き上がり、焼け付くような痛みがふくらはぎから脊椎を通って脳天へと突き抜ける。これでは、とてもではないが素早い行動など取れない。
そんな無惨な状況にもお構いなく、暫定精霊はグングン距離を詰め、炎の牙で2人を貪ろうと大口をグワァッと開ける。
「ノーラちゃぁんっ!」
紫の悲鳴が、鼓舞するものから最悪の事態の拒絶へと色彩を変える。残酷な結末が、すぐ目の前まで近づいてきている。
だが――残酷の牙が2人に食い込むような事態は、幸いにも、起こりはしあかった。
悲劇を回避した功労者は、蒼治だ。急降下する暫定精霊に双銃の銃口を向け、フルオートで術式弾丸を連射。魔術の扱いに長ける彼は、極短時間の間に暫定精霊の定義構造を解析し、それを消滅させる対抗術式を練り上げたのだ。次々に着弾する弾丸は、まるで波に波をぶつけて凪を作るように、暫定精霊の激しい術式構造を鎮め、最終的には霞のような無反応性の術式へと蒸発させた。一気に術式構造を破壊して爆裂させる方が遙かに手っ取り早いのだが、直下にいる2人への影響を考えて、一手間加えた形である。
おかげでノーラ達は新たな損害を被ることなく危機を回避することが出来た。
しかし…それで問題が片づいたワケではない。ノーラもロイも怪我や麻痺でろくに身動きが取れない。そして、頭上には殺意に満ちた砲口を向ける飛行戦艦が健在である。連続した砲撃のために魔力を大きく消耗したためか、飛行戦艦は攻撃の手を休めているものの、また何時攻撃を加えてくるか分からない。
この僅かな平穏の時間の間に、出来るだけの対策を取らなくては。
真っ先に行動を起こしたのは、紫だ。背中のバーニア推進器を全開にしてノーラたちの元へ接近すると、ノーラが左肩に担いでいたロイをひったくるように抱き寄せる。
「いつまで休んでんのよ! そろそろ働きなさいってのっ!」
毒づきながら、紫は左手をロイの額にかざすと、掌に魔力を集中。すると、掌からは春の日差しを思わせるような暖かな光が放たれ、ロイの額の中へスゥー…と染み込んでゆく。紫が魔装と並んで特技としている、回復魔術だ。影様霊のことを知っていた彼女は、彼らがロイの身体に植え付けた症状のこともよく知っているらしい。ロイの身体の中から、症状の原因であるらしい黒い影がモワモワと飛びだして行く。
この治療を施しながら、紫は電撃のような叫びを上げる。
「先輩っ! 早く来てくださいよっ!
女の子のノーラちゃんにロイなんか背負わせてたから、こんなことになってんですからっ! 責任取って、ノーラちゃんのことを、お願いしますねっ!」
「ぼ、僕が悪いのか…!?」
謂われのない非難へ困惑したような声を上げた蒼治は、すでにノーラの背後に接近している。そして瓦礫が貫通した痛々しい患部と向き合うと、真っ先に瓦礫を引き抜く。栓が外れた傷口からは、ドクドクと真紅の血液が噴き上がってくるところへ、すかさず方術陣を塗布。回復魔術ではないため、患部周辺の組織が高速再生することはないが、強力な鎮痛と止血の効果が発揮され、ノーラの冷や汗だらけの顔に少し安堵の表情が浮かぶ。
「ノーラさんの応急処置は、なんとかしたよ! ロイの方は…」
蒼治が首を回して紫の方へ向き直りつつ、確認の言葉を口にしている最中。頭上に色彩豊かな強烈な輝きが出現する。確認もそこそこに蒼治が視線を上げると、そこには…遂に砲口から射出された、暫定精霊の砲弾が数発、まっすぐこちらへ向けて急降下してくる。
「くそっ…!」
蒼治が慌てて双銃を構えるが、暫定精霊の術式構造の解析が間に合わない。徒に引き金を引いても虚しい抵抗に終わることを理解している彼は、引き金を引くのを躊躇ってしまう。
(早く…早く解析しろ、僕の頭…! あの術式は火霊と水霊が不連続結合したもので、あっちの術式は火霊と雷霊が相乗混合したものだから…!
くそっ、やっぱり、間に合わないっ!)
虚しくとも、発砲するしかない!――決意して、引き金に触れる指先に力込めた、その時。
「蒼治ッ、防御の方をよろしくっ!
あの火の玉どもは、オレがぶっ飛ばすッ!」
噴火のごとき絶叫が聞こえた、その転瞬。ヒュウゥッ、と風を切る吸気の音が響いたかと思うと――。
轟ッ! 大気を破裂させる轟音とともに、真紅の火炎の奔流が点へと向かって驀進する。その激烈なる暴力は、降下してくる暫定精霊を一直線に貫き、その術式構造を一瞬にして歪曲、破壊。不安定化した魔力は暴発し、激しい爆発と衝撃波を大気中にブチ撒ける。
「くっ!」
蒼治は頼まれた通り、大型の防御方術陣を展開。歪な球状に広がった爆炎と衝撃を堅固に受け止める。
受け止めながら、蒼治は苦笑い――と言っても、つり上がった広角には安堵の緩みが見て取れる――を浮かべながら、窮地を過激に回避した功労者に文句を語る。
「お前、今まで動けなかった分のウサ払しのつもりなんだろうけどな、こっちは怪我人を抱えているんだぞ? もう少し、静かでスマートな方法で対応できなかったのか?」
「うるせーな、蒼治! お前がやれそうになかったから、オレがやってやったってのに! 文句言うンじゃねーよ!」
返事の主は語気こそ荒いものの、本気で怒っているワケではなく、牙をゾロリと見せる口元を爽快にニンマリと笑みの形にしている。
やがて、頭上の爆炎が収まると…。寄り添う星撒部一同の中央で、凛とした活力に満ちた態度で直立する、一人の少年が目立つ。拳と掌をパァンッ! と豪快に打ち合わせ、剣呑な嗤いを浮かべて頭上の飛行戦艦を睨みつける彼こそ、麻痺から完全に立ち直ったロイである。
「よっしゃあっ! 完全復活だぜ!
サンキューな、紫!」
足下で内股でへたり込む紫にニカッと太陽の笑みを浮かべて感謝を述べると、彼女は力なく広角をつり上げて薄く笑ってみせる。彼女の出来うる最速にして最高の回復魔術を使用したために、かなりの精神疲労を得たようだ。普段なら、感謝の言葉に乗っかってチクリとする減らず口の一つも叩いてくるところだが、言葉は一言たりとも口から滑り出ることはなかった。
その代わりと言うべきなのだろうか、紫の浮かべた薄い笑みには、とても誇らしげな輝きに満ちていた。
その表情を見て満足げに首を縦に振った、ロイ。直後、グルリと首を回して視線を前後、そして上空に満ちる敵勢に走らせると――視線だけで相手を燃え上がらせるような、烈火のごとき憤怒の表情を浮かべる。
「てめぇら、オレがロクに動けねぇ間に、よくも仲間たちを好き勝手にしてくれやがったな!」
そして大股を開き、竜尾をビタンッと大地に叩きつけ、竜翼を夜の帳のように広々と展開して身構えると、それは竜というよりも漆黒の戦神を思わせる出で立ちとなる。
「蟲どもだろうが、影どもだろうが、[[rb:飛行戦艦:エグリゴリ]]だろうがっ! ついでに、粘着ロボットどもも!
まとめて相手して、ブッ飛ばしてやんよ! 掛かってこいよっ!」
鋭い牙の合間から放たれた、業火のごとき絶叫。混沌とした戦場の大気をビリビリと震わせると共に、仲間たちすら皮膚が泡立つような闘気を烈風として周囲に振り撒く。
ロイは、本気で激怒している。
彼の激情に、よもや臆したのではるまいか…。
大破した多足歩行戦車の周囲に群がり、こちらに充血した視線を送っていた癌様獣どもが、突如、クルリと方向転換。蜘蛛の子を散らすように、一斉に退散して行ったのだ。未練がましくチラリとでもこちらに一瞥をくれる個体は、1匹もいない。ものの数秒で、アリの大群にも似た重金属の蟲たちは瓦礫の街並みの中に完全に姿を消したのだった。
変化があったのは、癌様獣だけではない。星撒部一同挟んで向かい側に位置していた、影様霊にも動きが現れる。と言っても、初め彼らは、飛行戦艦からの砲撃を免れていたこともあり、この状況でさらに星撒部一同を追いつめようと漆黒の銃を構えていたのだが。突然、縦列の中央の個体が、通信でも受けたようにハッと首を動かす。そして、その直後…。
「…退却…せよ…」
地の底から沸き上がるような低音と、微風にもかき消されそうな掠れが同居した、いかにも亡霊らしい声があがると。影様霊どもは溶けたアイスクリームのようにドロリと形を失って、大地に広がる影の中へ沈み込んで、消えてしまった。
「おいおい、なんだなんだぁ? これから反撃しようって時に、こぞって逃げ出しやがって…」
突然の光景に拍子抜けしたロイが、キョトンとした様子で声を上げる。折角、全身に充満していた激怒の活力が、冷や水にジワジワ浸食されたように見る見るうちに[[rb;萎>しぼ]]んで行く。
しかし、完全に脱力するには、まだ早い。
頭上にはまだ、殺意を漲らせた飛行戦艦が浮かんでいるのだから。
ロイも当然、その存在を忘れるワケがない。
「まぁー、やり場が減っちまったモンは、仕方がねぇ。
それならそれで…逃げ出したヤツらにお返しする分まで、てめぇらに思いっ切りぶつけさせてもらうだけだっ!」
ギロリと頭上を睨みつけるロイの顔には、萎んだはずの激情が油が注がれた炎のように激しく猛る。
全身に燃え上がる激情に突き動かされるままに、ロイは広げた竜翼をバサリと大きく羽ばたかせると、急降下するハヤブサを逆さまにしたような姿で急上昇。一気に飛行戦艦へと肉薄する。
飛行戦艦のサイズは、"船"ではなく"艦"であるだけあって、かなりの大きさを誇る。全長は100メートル単位あるし、幅だって優に数十メートルを有する。ロイと比べると、ネズミとゾウにも等しいサイズ差がある。
それでもロイは、一片の怯懦も見せることなく、その顔には凶悪な[[rb:嗤>わら]]いすらギラリと浮かべて、鋼の巨体へと立ち向かって行く。
そんな様子を地上から見送る蒼治は、心配そうな表情を顔に張り付けていたが…それはゾウに踏み潰されるネズミを気遣うものではなく、威厳あるゾウを叩き伏せてしまうネズミを諫める種類の心配だ。
「おいっ! 相手は地球圏治安監視集団なんだぞっ! 下手に手を挙げると、星撒部どころか、ユーテリアそのものが睨まれることに…!」
「散々やられて、命まで取られそうになって、実際に仲間まで傷つけられてんだっ! 黙ってられるか…よっ!!」
ロイの反論の語尾は、艦底への拳撃と共に轟然と響き渡る。空を暴風のごとき速度で疾る漆黒の竜拳は、瞬く間もない刹那の間に艦底に激突した…と思いきや、艦の装甲板に接触するほんの数センチ手前の地点で、正六角形のタイル状の方術陣が密集した防壁に阻まれる。弾力性のある強化プラスチックを強打した時のような、ガイィンッ、と云う揺らめきを伴う衝突音が大気に響きわたる。
流石は、『戴天惑星』地球を狙う侵略者と激しい戦闘を繰り広げている地球圏治安監視集団。その装備は、敵勢力に無力感を植え付けるほどの強力さを誇っている。
しかし、ロイの戦意は挫けない。竜翼をバサリと翻し、拳撃の動作で生まれた勢いを更に加速させながら転身すると、今度は竜脚による激しい蹴りを浴びせる。が、この2連撃をもってしても、飛行戦艦の鉄壁の方術陣は破れない。
それでもロイは諦めことはなく、更に竜翼をはためかせて加速すると、今度は竜尾による一撃を見舞う。今やロイは、漆黒の旋風――いや、漆黒の竜巻だ。
そして、この3度目の攻撃が、ついに功を奏する。方術陣が無惨に破砕したガラスのようにバリバリという音を立てて粉砕されたのだ。
この結果を可能にしたのは、ロイが単なる打撃を繰り返していたからではない。これまでの彼の一撃一撃には全て、爆発的な魔力と闘気が帯びていたのだ。そしてロイは一撃をぶつける度に、理屈ではなく野獣的な勘で魔力と闘気の構成を修正し、方術陣の術式構成の突破を試みていたのだ。
端から眺めるだけの解析にはてんで向かないロイだが、実戦の中での洞察では超絶的と言っても差し支えないセンスを発揮する。
「行っけぇっ!」
方術陣を突破した勢いのまま、ロイは竜尾を飛行戦艦の金属製の艦底に叩きつける。対する飛行戦艦は、防御用方術陣が突破される事態も想定した設計がなされており、重金属製の装甲の表面には魔術篆刻がビッシリと刻み込まれており、その物理的強度を飛躍的に高めている。砲撃を食らったとしても、装甲は貫通されるどころか、凹むことすらないだろう。
ロイの一撃も、残念ながら、飛行戦艦の装甲に損傷を与えるには至らなかった。だが…彼の渾身の一撃が与えた衝撃は、巨大な艦体をグラリと大きくグラつかせることに成功した!
「ついでにこいつも…おまけだっ!」
ロイは更に転瞬、今度は裏拳で艦底をブッ叩くと。艦体はゴギンッ、と悲痛な金属の悲鳴をあげながら、上方へと数メートル吹き飛ばされる。
賢竜の暴力、まさに恐るべし、だ。
その一部始終を見守っていた蒼治は、前髪をクシャクシャとかきむしりながら、自棄気味の苦笑を浮かべて呟く。
「全く、あいつは…いつもいつも、後先考えないで、無茶苦茶なことばっかりする…!
後で尻拭いさせられる僕のことも、考えてほしいものだね…!」
そう文句を語る蒼治の態度からは、隠しきれない爽快感がにじみ出ている。先には世間体を考慮してロイのことを諫めたものの、個人的には今回の地球圏治安監視集団の暴挙に不満を募らせていたようだ。
そんな蒼治の態度に応えるかのように、ロイは更なる攻撃行動を取る。吹き飛ばした飛行戦艦を見上げると、ヒュウゥッと素早く、そして力強く吸気。吸い込んだ大気に呼吸器内で暴力的な魔力を付与すると、牙だらけの大口をガバッと全開にして、息吹の奔流を噴き出す。
轟ッ! 網膜を灼き焦がさんばかりの眩い青白の奔流が、破壊された防御方術陣を隙間を驀進し、艦底に激突。飛行戦艦は光の飛沫を撒き散らしながらガタガタッと、まるで巨人の手に弄ばれたかのように激震する。
やがて竜息吹の火線が消滅すると…露わになった艦体は、魔術篆刻の有効限度を越えた加撃によって、酸化を呈する黒々とした大きな班と、ベッコリと凹んだ歪みを植え付けられていた。凹みをよく見やると、小規模の亀裂が走っており、その内側からは風霊エネルギーがシュウシュウと音を立てながら薄緑色の上記となって漏れ出している。
一方、竜息吹発射の反作用で一気に地上まで押しやられていたロイは、損傷を被った飛行戦艦に"してやったり"の意を含んだ凄絶な笑みをニヤリと浮かべると、グッとガッツポーズを取って勝ち鬨を上げる。
「思い知ったかってんだよッ、盲戦艦ッ!」
◆ ◆ ◆
一方、こちらは地球圏治安監視集団所属のゼオギルド中佐の執務室。
相変わらず入室したまま、現地の交戦の様子を眺めていたオオカミ顔の下士官は、あんぐりと大口を開き、そして滝のように冷や汗をブワリと噴き出す。
「ちゅ、中佐…! あの猛攻の中で、彼ら、抵抗して来ましたよ…!
そ、それどころか、我々の飛行戦艦に反撃まで加えてきて…! なんの戦術装備も用いずに、防御魔化を突破して、損傷まで与えてきましたよ…!
流石は、ユーテリアの学生…というところなんですかね…! 我々の兵力にも引けを取らない、凄まじい実力者です…!」
この下士官は、自身の部隊の飛行戦艦に生身で損傷を与えてくるような存在を全く想定していなかったようだ。英雄譚の超人がそのまま飛び出してきた姿を目撃したような激しい動揺と驚愕を露わにしている。
しかし、デスクの上に足を置いてだらしなく座ったままのゼオギルドは、特に驚いた様子もなく、ただただ面白そうに「ハッ」と短い笑い声を漏らす。
「いやいや、ユーテリアの学生どもがいくら、英雄の卵だか何だかだと言っても、ここまでの実力者はそうそう居ねぇだろ。
紛れ込んで来たネズミはネズミでも、鋼鉄の壁もブッ壊すような化け物ネズミだったってワケか!」
それから、ふといかつい顎に手を置くと、大仰な動作で眉をしかめつつ視線を額の上へギョロリと向ける。
「そう言やぁ、聞いたことがあるな。ユーテリアにゃ、やたらバカ強ぇ実力者ばかりが集まって、お節介にも色んな事件に首を突っ込んでは引っ掻き回してる部活動があるってな。
名前は…なんだっけな…ナンタラマキ部、だと思ったんだが…あーっ、あそこの部活動の名前はややこしいのが多過ぎンだよっ!」
独りで騒ぐゼオギルドの滑稽な様子を見た下士官の胸中から、映像から受けた動揺が減じる。少し落ち着きを取り戻した彼は、自身の精神状態を確かめるようにコホンと咳払いをしてから、尋ねる。
「それで…いかがしますか?
暫定精霊砲弾による攻撃はあまり意味を成さないようですし…これ以上、彼ら4人だけとの交戦に戦力を投入するのは、得策ではないかと思いますが…。
どうせ、彼らは我々の"真の目的"を知りませんし、ここは他勢力への攻撃に巻き込んでしまったという体裁を取って、引き上げてはいかがでしょうか…?」
「いや! いやいやいや! その選択肢だけは、絶対にあり得ねぇ!」
下士官からの提案を、ゼオギルドは即座に一蹴する。
「ヤツらが噂通りのナンタラマキ部だとすりゃ、絶対に、オレたちの事情に首を突っ込んでくるぞ!
そうなりゃ当然、あの目障りな"マチネズミ"どもと接触することになるだろうな。そんなことになって、ヤツらがオレたちの事情を聞き知ってみろ。声を大にして、喚き立てるに違いないっつーの!
そうなっちまったら、オレもお前も、それどころかこの隊全部が消されちまうぞ! それはマズすぎるだろ!」
「そ、それでは…?」
ゼオギルドは目深に被った帽子の下から火を吹くような激しい視線を向けながら、雷撃のような激しい号令を飛ばす。
「クラウス隊が搭載している全戦力を投入して構わねぇ! ネズミどもを速やかに、塵すら残さねぇ勢いで殲滅しろ!
機動装甲歩兵だろうが、"ガルフィッシュ"だろうが、何を使っても構わねぇ! ともかく、一秒でも早く、死人に口無しを実現しろ!」
その威勢に脊椎が焦げるほどの衝撃を受け、ビクッと身体をすくませた下士官は、慌てて3Dディスプレイの通信先を変更し、飛行戦艦内のオペレーターへとつなげようと、手にしたタブレット端末の操作を始める。そこへ、勢いのベクトルを急転換したゼオギルドが、ごつい顎を撫でながらぼんやりと呟く。
「そういやぁ、イミューンの部隊はどうなったンだよ? あいつら、結局この都市国家に入都したのか? 連絡、来てねぇのか?」
下士官はタブレット端末の操作をピタリと中断すると、怖ず怖ずと答える。
「はい…今のところ、イミューンたちからも連絡は来ていないようです…。何か、あったんでしょうか…?」
「人目が厳しくて、なかなかこっち来れないでいるのか。それとも、実は入都したが、敵勢力どもに速攻でやられちまったのか…。
まぁー、いいや! どうせ、それほど宛にしてない、予備戦力だ! 連絡が来るまで、迎えの部隊は一切出さなくていいぜ!
…それよりも、問題はユーテリアのクソネズミどもだ! 必ず、ぶっ殺せ、ぶっ殺せ、ぶっ殺せッ!」
「は、はいっ!」
ゼオギルドの殺意満々の語気に当てられ、心臓をギュウッと鷲掴みにされたような緊張を得ながら、下士官は必死になってタブレット端末を操作し始める。
一方でゼオギルドは、叫びに癇癪を思い切り乗せて解き放ってスッキリしたのか、目深に被った帽子の下で夢見心地にも見える笑みをニヤリと浮かべる。
そして、厚い唇の合間から、弾むような愉快さと、骨をも噛み砕くような険悪さを交えた呟きを漏らす。
「いざって時には、オレ自らが動かなきゃならんか。
まぁ、それもいいな。
あの、賢竜らしい、活きの良い小僧…あいつをブッ倒して顔踏みつけたら、さぞかしキモチイイこったろうなぁ!」
"地球圏の守護者"という肩書きとは全く相容れない、好戦的にして狂戦士的な言葉であった。
◆ ◆ ◆
ゼオギルドとその下士官のやり取りがあってから、ものの数秒の後のこと。
星撒部の上空に展開していた3隻の飛行戦艦は、ゼオギルドの希望通り、搭載している全戦力の解放を始めた。
艦底に設置された大型ハッチを一斉に開くと、そこからまず現れたのは、飛蝗の群のごとき飛び回る小型兵器だ。"ガルフィッシュ"と命名されているそれは、"魚"の名前を冠している割には、形状は鳥に似る。1対の翼を兼ね備えた赤子ほどの大きさを有する、総金属製の小型飛行攻撃機だ。操者は魔力で増幅した脳波を用いて、同時に複数機を遠隔操作できるというものだ。同時に操作可能な機数は、操者の技量による。
"ガルフィッシュ"の群に紛れて、ハッチから続々と自由落下する人間サイズの兵器の姿も見て取れる。――いや"人間サイズの兵器"ではなく、人間そのものだ。兵器のように見えるのは、全身に装着した物々しい機動装甲服に因る。パラシュート無しで降下する彼らは、着地寸前で背部バーニア推進器を噴射し、ほぼ衝撃ゼロで着地を終える。直後、バーニア推進器と脚部のホバー機関を組み合わせた、摩擦係数がほぼゼロの滑らかにして高速の動きで、星撒部の部員たちの方へ接近してくる。もちろん、その道中で手にした機銃を構えることも忘れない。
大群で攻め寄せる地球圏治安監視集団の戦力を目にした蒼治は、ズレた眼鏡を直すこともせず、グシャグシャと前髪を掻き毟る。
「くっ…なんてことだっ!
ロイ、お前が向こう見ずに突撃した所為で、彼らを怒らせてしまったじゃないかっ!」
「怒るってレベルじゃねーだろっ!」
蒼治の動揺に満ちた非難を、ロイの怒声が塗り潰す。
「あいつら、オレたちのことを殺る気満々じゃねーかっ!
最初の砲撃も、絶対に間違いとかじゃねぇ! オレたちを本気でぶっ殺すつもりで撃って来てたんだよっ!」
「そ、そんな…! でも、僕たちが彼らに何をしたって言うんだ!? 全然、思い当たる節がないぞっ!」
「オレたちが思い当たらなくても、あいつらにはあいつらの事情があるみたいだなっ! この都市国家に、見られちゃ困るものでもあるかも知れねぇ。
ンな理由はともかく! 今は、この状況を切り抜けることを考えねーと! ボヤボヤしてると、殺されちまうぞっ!」
「…な、納得できないけど…! 切り抜けることを考えなきゃならないのは、確かだな!」
男子部員2人は口早のやりとりを終えると、即座に迫り来る敵勢に向かって突撃する。背後に残した2人の女子部員は、疲労と怪我でまともに動けそうにない。彼女らを庇いながら多勢に対抗するのは困難と判断し、突撃することで敵を引きつける算段だ。
双銃による精密な遠距離攻撃が出来る蒼治は、ツバメのごとく高速にして自由自在に飛び回る"ガルフィッシュ"へ。圧倒的な破壊力の肉弾攻撃を得意とするロイは、機動装甲歩兵へ。それぞれ示し合わせたように役割分担すると、嵐のごとく絶え間なく動き回り、敵の撃破に勤しむ。
"ガルフィッシュ"は術式を収束させた高出力魔力のビームで、蒼治の身体を蜂の巣にせんと、雨霰と打ちまくってくる。蒼治は身につけた純白のマントに対ビーム用の魔化を付与した上で、マントをヒラリヒラリと烈風の中でも華麗に舞う蝶のように翻して確実に攻撃を回避しつつ、双銃をフルオート射撃でガンガンぶっ放して"ガルフィッシュ"を撃ち落としてゆく。あるものは黒煙を上げながら、あるものは急所を破壊されてその場で小規模の爆発を起こして、路上に転がる瓦礫の一員となってゆく。しかし、数が減っている感じは、まったくない。飛行戦艦の内部でリアルタイムに製造されているのか、と疑いたくなるほどに、次から次へとハッチの中から"ガルフィッシュ"が湧いてくる。
「くそっ! 数が多すぎるっ!」
普段から悲観的な立場で戦闘をこなしている蒼治であるが、終わりが全く見えない戦況にその表情が霜がつくほどの蒼白に染まっている。
一方、ロイは飛行戦艦をもぶっ飛ばした拳足を漆黒の烈風のように動かしながら、機動装甲歩兵の射撃や腕部ビームブレードを潜り抜け、強烈な一撃を見舞い続ける。拳や蹴り、または尾撃を食らった機動装甲歩兵どもは、総重量200キロ近い身体を小石のように空高く浮かび上がって吹き飛んでゆく。中には、通りの左右にそびえる建築物の壁に激突する者まで出るほどだ。
だが、彼らは装甲がベッコリと凹むほどの衝撃を受けたにも関わらず、吹き飛んだ直後からムクリと起き上がり、機動装甲服を巧み操ってすぐに戦線に復帰してくる。ロイが相手の命を奪わないよう、手加減しながら戦っていることも一因なのかも知れないが、それにしても回復が早すぎる。機動装甲服の内部に痛覚を遮断したり、意識を覚醒しやすくする薬物を注入する装備でも存在するのかも知れない。
「さっきの蟲どもよりは、手応えもあるし、だいぶマシだけど…よっ!」
ビームブレードを携えて左右から急接近してきた2人の機動装甲歩兵の斬撃を身を屈めて交わしつつ、転身しての強かな蹴りと尾撃で吹き飛ばしながら、誰ともなしに文句を告げる。
「ゾンビみてぇに起きあがってくるのは、気持ち悪ぃな…!」
そう語る傍から、吹き飛んだ機動装甲歩兵がムクリと立ち上がると、何事もなかったかのように地を滑るようにしてこちらへと接近してくる。
そんな彼らがロイの間近に迫るより早く、別の方向に展開していた機動装甲歩兵どもからの射撃に遭い、ロイは下手なダンスを無理に踊り狂うような格好でワタワタと足を動かして射撃を避ける。
「ったく、調子付きやがって…ッ!」
こめかみに青筋をビクリと盛り上げたロイは、胸の内に生じた苛立ちが膨らむ様を体現したように、思い切り吸気。呼吸器内で魔力を練り上げ、竜息吹を放とうとするが…。ハッと思い直し、吸気のために全開にした大口をガシッと閉ざして、魔力を体内深くへと飲み下した。
相手が単なるテロリストなら、相手を殺傷することも厭わずに暴力的を一撃をブッ放したであろうが…。相手が地球圏の平和を守る職務も持つ組織の人間だと思うと、さすがに気が引ける。
しかし、敵はロイの躊躇いを汲んではくれない。容赦ない機銃掃射と近接斬撃の攻撃で、着実にこちらを追いつめてくる。
「くっそーっ! どうすりゃ良いってんだよっ!」
男子2人が激闘を繰り広げている後方で…。彼らの戦う様を寄り添って眺めていた女子部員2人であったが、やがてノーラが堅い声を紫に投げかける。
「相川さん…お疲れのところ、悪いんですけど…お願いがあるんです」
「…あ、うん? 何?」
男子2人の苦戦の様子を心に在らずといった深い心配を抱いて眺めていた紫は、ノーラの声でようやく我に返り、慌てて尋ね返す。
「私の脚の怪我、治してくれないかな…。
このままじゃ私、単なるお荷物だし…。
それに、怪我さえ治れば…すぐにでも、ロイ君たちのことを助けに行ける…!」
蒼治に鎮痛と止血の魔術を付与されていたとは言え、ノーラの怪我は物理的に回復したワケではない。仲間を助けに行きたくとも、深く傷ついた脚の筋肉が言うことを聞いてくれないのだ。
「だ、大丈夫なの? ノーラちゃんだって、ずっとロイを背負いっぱなしで歩いてたし、かなり疲れてるんじゃ…」
ロイ達の苦戦の様子を目の当たりにして弱気になってしまったのか、普段の毒袋はどこへやら、純粋な気遣いを口にしてくれる、紫。そんな彼女に、ノーラは一瞬だけ薄く笑みを浮かべてみせてから、顔を引き締めて語る。
「大丈夫、休ませてもらったから…。それに、疲れてるのは皆同じだし…。
何より…このまま黙って、みんなの辛い姿を眺めてる方が、イヤだもの…!」
怪我人には到底似つかわしくない気丈で真摯な言葉に、紫はハァー、とため息混じりの苦笑いを浮かべて答える。
「オッケー、オッケー。
確かに、あの男子2人だけには任せてられそうにないしね。
よっし、ここは私ら女子2人で、一丁助けに行きますか!」
そして紫は早速、ノーラの貫通傷に手をかざすと、小春日和の陽光にも似た爽やかで暖かな回復魔術の励起光を当ててやる。見た目もさることながら、光の触感は上等な絹のように滑らかで心地良く、ちょっとジンジンとした疼きを呈しながらノーラの組織を急速に再生してゆく。
治療は、時間にして数十秒で完遂する。傷の突っ張りも微塵もなく吹き飛んだノーラは、即座にスクッと両足を踏みしめて大地に立つ。すぐさま黄金の刀身を持つ愛剣を構えて敵勢を睥睨する有様は、気力充分だ。
対して、高速治療を終えた紫は…穴が開いた風船のようにへたり込み、肩で息をしている。ただでさえ高等技術であり、なおかつ膨大な魔力を消費する回復魔術を、ほぼ立て続けに行ってみせたのだ。疲れ果てるのは当然と言える。
それでも彼女は、魔装の大剣を杖代わりにしてググッと立ち上がると、光る汗にまみれた顔を敵勢に向けて、やや疲れが残るものの剣呑な表情を浮かべる。
「相川さんは、無理しなくていいんだよ…? 魔力を、相当消費してるんだから…」
ノーラが少し顔を曇らせてそう制するが、紫は首を左右に振る。
「私だけのんびり、ってのは性に合わないからね!
大丈夫、心配しないで。ノーラちゃんよりは、修羅場潜り抜けてきたつもりだからさ」
こうして2人の女子が、意気揚々と戦場へ飛び込もうかと言う、その時。
状況を一気にかき乱す、まさに"一石"が戦場に投じられる。
ヒュン――甲高い風切り音を立てながら、女子2人の頭上を飛び越えてゆく、小さな影。
何事か、と2人が視線を注ぐと、その影の正体が握り拳より2回りほど大きな金属球であることが確認される。球の表面中央にはグルリと小さな溝が走っており、まるで2つの半球を合わせて球を作ったかのような印象を受ける。それ以外にも球の表面には、円形の穴がポコポコと開いている。
砲弾にしては、形状が奇妙だ――そんな感想を女子2人が抱いているうちに、球はゆるい放物線を描きながら、ロイと蒼治が激闘を繰り広げる戦場の真っ只中へと進入してゆき――。
ポンッ! 圧縮された空気が噴出した時のような音が、球から発されたかと思った、その瞬間。
ギュミイイイィィィンッ! 突如、耳障りな金属音が空間に木霊する。鼓膜を痛めるような種類の音ではないが、思わず顔をしかめてしまうような音だ。
「なんだよっ、うるせーぞっ!
地球圏治安監視集団どもの新兵器か何かか!?」
ロイが、眼前の機動装甲歩兵の斬撃を跳び退りながら、音の発生源の方へ険悪な視線を向ける。
今、ロイの視界のど真ん中には、中空で停止し、表面の穴から淡い黄色の光を放つ、件の球体がある。面倒ごとになる前に破壊してしまおうと、ロイがヒュッと吸気をして竜息吹に備える。
が、咽喉の奥で練り上げた暴力的な魔力の奔流は、日の目を見ることなく飲み下された。
というのは、突如身の回りの視界に、壊れたモニターがそうなるようにモザイク状のノイズが走り始めたのだ。ノイズの数は時と共に増してゆき…遂には、視界全てが放送のないテレビチャンネルのノイズのようなモノクロの砂嵐模様に変わる。
「うわっ、うわっ!? な、なんだこりゃ!?」
突然の変化にワタワタと視線を巡らせる、ロイ。視界の大部分は混沌としているが、その中で明確な輪郭を伴って浮き上がって見えるものがある。それは、同じ星撒部の仲間たちや、機動装甲歩兵や"ガルフィッシュ"ども、そして相変わらず上空に位置する飛行戦艦だ。
そして、この異様な視界を眺め続けていると、異常が発生したのは視覚だけに留まらないことを覚る。と言っても、ロイ自身は"異常"の被害が及んではないし、彼とおなじように困惑してキョロキョロしている仲間たちにも同様のようだ。
被害に遭っているのは、地球圏治安監視集団の機械兵器どもである。
"ガルフィッシュ"は寿命を終えた羽虫のようにボトボトと大地に落下し、ピクリとも動かない。機動装甲歩兵どもも、これまでの軽快かつ力強いはどこへやら、木偶のようにくずおれて運動を停止している。その身体が小さくビクッビクッと震動しているのは、どうやら内部で装着者が暴れているかららしい。
そして、頭上の飛行戦艦にも影響を免れない。風霊エンジンが魔力励起光を発しておらず、機能していないことを示している。このために浮遊のためのエネルギーを失った飛行戦艦どもは、重力がなすままにゆっくりと加速しながら、瓦解した建築物群の中へと落下してゆくのだ。
「あん…? ヤツらの新兵器じゃ、ないのか?」
突如、悉く無力化してしまった敵勢を前に、キョトンと肩を落として立ち尽くしたロイが、ポツリと疑問を口にする。
その言葉が風に紛れて消えてゆくより早く…。
「おーっしゃっ! 今度こそ、大・成・功ぉっ!
見たか、見たかッ! ユーテリアの学生の底力ッ!」
空高くまで弾み上がるような威勢の良い声が、戦場に張り上がる。その声音は、男勝りな若い女性のそれであった。
次いで、女性の声に覆い被さるかのように、生真面目な低い男の声が響き渡る。
「自慢は後だ!
民間人の救助を最優先にするぞっ!」
男の声が終わらぬうちに、エンジンが焼き切れるのではないか、という急激な自動車の加速音が響く。
◆ ◆ ◆
一方、地球圏治安監視集団所属の中佐、ゼオギルドの執務室。
突如、3Dディスプレイの映像が途絶え、モノクロのノイズだらけになったことを受けて、オオカミ顔の下士官がワタワタとタブレット端末を操作している。
そんな彼の様子を見て、ゼオギルドはバカバカしそうに「ハッ」と声を出して鼻で笑ってから、誰ともなしに付け加える。
「とうとう、"マチネズミ"どものお出ましか…。
大佐に報告せにゃいかなくなっちまたなぁ…!」
◆ ◆ ◆
視覚的ノイズまみれの光景の中、ギュルルルッ、と無茶に駆動するタイヤの急回転音が、ザリザリと音を立てながら戦場へと接近してくる。
まず真っ先に、駆動音が迫ってゆくのは…戦場の最外縁に位置するノーラと紫の元だ。
「今度は一体、何だってのよ?
もうここまできたら、何でもござれ、って言いたくなるわねー」
毒と共に諦めモードで両手を上げながら、フゥーとため息を吐いた紫が、ゆっくりと振り向く。その頃には、いち早く生真面目に状況確認を試みたノーラはとっくに駆動音の方へ振り向いている。
モノクロの、網膜に全く優しくない激しい砂嵐模様の中、鈍い地味な色の色彩を伴って浮いて見えるのは…1台の装甲車両である。明らかに軍用で、大きなタイヤは完全なオフロード仕様のゴツい作り。砂地の色を呈する表面装甲には、よくよく目を凝らすと、ビッシリと魔術篆刻が施されている。装甲の防御性能強化のほか、ステルス機能や光学迷彩機能も有していそうだ。
そんな万全な防御構造の割に、そのコンセプトに全くそぐわない点が1つ、明らかに見て取れる。それは、操縦席も、後部の収納部位も、屋根のないオープン仕様になっていることだ。これでは折角の防御仕様も台無しである。
それとも…意図があって、わざとオープンにしているのか。
この車両については、どうやら、後者の事情のようだ。
轢き殺しに来たのか、と思えるほど減速もせずに接近してくる装甲車両に、紫とノーラはそれぞれの武器を構えて、いつでも迎撃行動が取れるようにと備えていたところ…。
「オレ達はあんたらの敵じゃねーよ、お嬢ちゃん達!
さっさと乗りな! ズラかるぜっ!」
後部の収納スペースから顔を出した、青灰色の軍服を着込んだガタイの良い中年軍人男性が叫ぶ。
彼の声がノーラたちの耳にすっかり届く頃には、車両は彼女らのすぐ隣に来ていた。すると、叫んでいた軍人のほか、もう1人乗っていた若い女性もこちらに手を伸ばして"こっちへ来い!"と誘う。
紫は逡巡してノーラに相談の視線を送ると、ノーラは即座に首を縦に振る。"彼らの招きに応じよう"という合図だ。
冷静に状況を鑑みれば、連戦の疲れも溜まり、多勢に無勢の状況で苦戦を強いられ続けるよりも、とにかくこの場を離れて体勢を立て直す方が余程良い。
ノーラら2人の間近に迫って、少し減速してくれた装甲車両に対し、2人の少女は伸ばされた手を掴むでなく、軽やかに跳躍して車両の後部に乗り込む。
重度の疲労の中、連戦に跳びこまなくて済んだ紫が安堵のため息を吐いている頃。ノーラは座り込むまもなく、先の中年男性の軍人に詰め寄り、頼み込む。
「向こうに、私たちの仲間がいるんです…! 彼ら2人も、回収していただきたいんですけど…!」
すると中年男性は、ノーラの気概を落ち着かせるように、ゴツくて大きな手を外観に似合わなぬ優しげな動作でポン、と肩を叩くと、首を立てに振る。
「大丈夫だ、把握してる」
ノーラに言い聞かせるが早いか、彼はオープンな運転席に向き直ると、素晴らしい反射速度で運転を行っている、肌の黒いドレッドヘアの男に声をかける。彼もまた、青灰色の軍服に身を包んでおり、軍人であることが分かる。
「レッゾ、恐竜っぽい兄ちゃんと、銃使いの兄ちゃんを回収するぞ!」
「言われなくても分かってるっての。 すぐに向かうから、ちょっと待ってろ」
レッゾと呼ばれたドレッドヘアの軍人は、厚い唇から冷静な言葉を紡ぎながら、ハンドルをグルグルと急回転させながらアクセルを目一杯踏む。
再び、ギュルルルッ、と瓦礫を激しく擦過するタイヤ音が響いたかと思うと、装甲車は車体後部を大きく振り回しながら急激に方向転換。搭乗してすぐのノーラや紫は、状況の急変に目の色を変えて慌てて収納スペースのにしがみつき、吹き飛ばされないようにする。
「ちょっ! 運転、荒過ぎ!
これなら、うちの大和の運転の方が数万倍もマシよっ!」
救出してもらった感謝もそこそこに、紫は毒気たっぷりに非難を叫ぶ。すると、運転席のドレッドヘアの軍人はこちらを振り向くことなく、淡々と返事する。
「悪かったな、お嬢ちゃん。その大和ってヤツは余程腕の良い運転手らしいが、オレは凡人なモンでな。勘弁してくれよ」
そんなやり取りをしている内に、車両は戦場の真っ直中、ロイと蒼治が奮戦している地点の近くへと向かう。
車両はどちらかというと、蒼治に近い位置へと前進していた。ロイの竜系の体型を見て、彼なら多少距離が在ろうとも強靱な足腰や翼を駆使して車両と合流できるだろう、と考えたようだ。
そして、運転手の判断は全く以て正しい。
「乗れ、野郎どもっ!」
ゴツい体格の中年軍人が叫ぶと、ロイは無力化している敵勢に一分の未練も残さず、サッサと転身すると烈風のごとく瓦礫の大地を疾走。勢いをつけたところで、竜尾をビダンッ! と大地に叩きつけると共に、宙に跳び上がる。この跳躍だけでも、一瞬にして優に5メートルの距離を前進したが、ここで更に翼を打って一気に車両へと到達する。
「スゲェな、兄ちゃん!
その姿、まさか賢竜ってヤツなのか?」
着地したロイを目の前にした中年軍人が興奮気味に尋ねると、ロイはケラケラと笑って胸を叩き、肯定する。
「まぁ、そういうこった。
…ンなことより、蒼治のヤツを拾わねーと。あいつ、見かけ通りにスタミナないヤツだからなぁ」
そう語ったロイと共に中年軍人は、車両の進行方向の先で必死にこちらへ向かって走っている蒼治へと視線を向ける。彼のヒョロリとした長身痩躯は、ロイの言う通り、激しい運動には向かないらしい。身体魔化を使用して身体能力の底上げはしているようだが、それでもこれまでの連戦で底上げした体力もギリギリのようだ。顔は滝のように汗が流れ、眼鏡は蒸気で曇っている。
このままでは、ある程度減速しようとも、疾走したままの車両に飛び乗るどころか、よじ登るのもままならなそうだ。
そこでロイは体を車両から乗り出すと、両腕を目一杯伸ばして蒼治に叫ぶ。
「蒼治、オレに掴まれ! 引き上げてやるから!」
蒼治は肯定の頷きを見せる余裕もないほど疲れているようで、ひたすらこちらに走り続けている。ほんの数瞬の後、車両は蒼治のすぐ傍を通り抜ける――瞬間、蒼治が力を振り絞り、脱力寸前に間接を曲げた腕をダラリと上げると、そこをすかさずロイがガッシリと掴む。蒼治の腕は大量の汗で滑っていたが、ロイは掌に細かな竜鱗の凹凸を生成することで摩擦係数を引き上げていた。お陰で蒼治はズルリとロイの手から滑り落ちることなく、グイッと思い切り引き上げられて、無事に車両に乗り込むことが出来た。
「た…助かりましたよ…。
このままじゃ…量に押されて…危ないところでした…」
金属製の床に尻餅をつき、脚を投げ出してハァハァと荒い息を吐きながら、蒼治が礼を述べる。すると中年軍人はフフッと得意げに笑って答える。
「民間人を救助するのは、オレ達、市軍警察の立派な職務だからな。気にするこたぁないさ」
「…約一名、市軍警察じゃないのがいるけどね」
そう名乗ったのは、車両の奥の隅に位置する女性だ。彼女は車両から身を乗り出し、肩に無反動砲を担いで地球圏治安監視集団の戦力が怨嗟を上げながら転がっている方へ体を向けている。そのため、顔立ちや体格を明確に見ては取れないが、1点、あまりにも明快な特徴が見て取れる。それは、彼女が身につけている上着は、星撒部の一同が身につけているユーテリアの制服と同じそれだということだ。
そんな彼女は、こちらを振り向くより早く、かなり攻撃的な口調で喚く。
「ほぉーらっ、ダメ押しだっ!
喰らいやがれ、不良軍人どもっ!」
叫びと同時に無反動砲の引き金を退くと、ドシュンッ! と大気を激震させる轟音と共に砲弾が飛び出した。旧時代の無反動砲のように砲身の後部から激しい爆煙が出ることはないので、同乗者はなにかしらの害を被ることなく、無力化した地球圏治安監視集団の頭上へと飛行する砲弾を見送ることが出来た。
放物線を描く砲弾がちょうど頂点へ達した、その瞬間。丸い弾丸はパァッと真夏の太陽のような閃光を上げとかと思うと、ドズンッ! と巨象が足踏みしたような鈍い轟音を上げる。一見すると、大気ごと大地が激震して、灰色のノイズまみれの背景に浮かびあがる地球圏治安監視集団の戦力達の輪郭を大きくブレさせたように見える。この現象を形而上相から術式方面で確認すると、生体神経および機械センサーを含めた"知覚器官/機関"の信号を激しく掻き乱す魔法現象が観察されることだろう。
「よっしゃっ、これも大・成・功ぉっ!
レッゾのおっさん、もう屋根閉じていいぜっ!」
叫びながら振り返る、女性――いや、女子生徒。カールがかった柔らかな栗色の毛が美しいその顔立ちは、ともすれば餓えたオオカミのようにも見える激しい気性が剥き出しになっている。女の子、と云う言葉を使うのが躊躇われるような、凄絶な面構えだ。
そんな少女の凄絶な表情をみた蒼治は、声は出さなかったものの"あっ"と言わんばかりに目を見開いて彼女の見つめる。
どうやら蒼治は、この女子生徒のことを知っているようだ。
しかし、彼が女子生徒に何か言葉を語りかけるより早く。車両からパタパタパタパタ、とドミノ倒しの音をバカデカくしたような耳障りな音が響く。同時に、オープン仕様の装甲車の縁から正方形のタイル状の金属が展開し、あっと言うまに運転席を、そして後部の人員収納スペースを包んで、屋根を形成する。今や装甲車は、軍務でよく見かけるような四方上下をガッシリとした装甲で覆われた姿となった。
「よし、それじゃこのまま術式迷彩しつつ、"潜って"ヤツらを一気撒くぜ」
運転手の黒い肌の男は、相変わらず冷静な調子で語りながら、ハンドル近くにある魔術装置のスイッチを幾つか操作する。すると、後部の人員収納スペースの壁が一瞬、モザイク状に彩り豊かになったかと思うと、今度は壁など存在しないかのように外の光景が映し出される。装甲外部に設置されたカメラによる映像を投影しているのか、はたまた装甲自体が外の光を透過しているのかもしれない。辛うじて、四隅に壁のつなぎ目が見て取れるので、ここが閉鎖空間であることを思い出させてくれる。
外の様子がスケスケに見て取れる一方で、運転手の男の言葉によれば、この装甲車は様々な迷彩によって視覚のみならずその他の五感でも認識困難な状態になったことだろう。加えて、先に女子生徒が放ったあらゆる感覚を混乱させる攻撃によって、地球圏治安監視集団の戦力は完全にこちらの足取りを見失ったことだろう。
車両は女子生徒の魔術攻撃の範囲を突破したらしく、外界の様子を映す壁には無惨に瓦解した街並みが映っている。動いているものの姿は殆ど見えず、見えたとすれば風に吹かれて転がる紙屑やビニールの破片といった程度である。
哀愁をそそるような無惨は光景がどこまで続くように見えたが、突如、外界の風景が一変する。視界が灰色一色の壁で遮られ、頭上も同様の無機質な色の天井で閉ざされる。どうやら、トンネルに入ったようだ。とは言え、暗さを感じないどころか、かなり視界が明るく見えるのは、天井スレスレに設置されている細長い長方形状の照明のお蔭だ。光は疑似太陽光らしい、蛍光灯のような無機質な感じではなく、もっと自然な柔らかみのある光が降り注いでいる。
トンネルの中は結構急な下り坂になっており、角度のキツいカーブと相まって、なんだかジェットコースターにでも乗っているような気分になる。
しかし、車両に乗る者は誰一人としてスリルを感じたりはしない。それどころか、中年男性の軍人などはフゥー、と大きな安堵のため息をついて脚をダランと広げ、くつろいでみせる。
「ここまで来りゃ、一段落だな。
…それにしてもよぉ…ったく、地球圏治安監視集団どもの増援が来るって情報を掴んだもんだから、遠巻きに観察するだけの予定だったのによぉ…。
まさか、お前さんの同輩が来て、しかも役者総出に襲われてると来たもんだ…!
いやぁ…さすがのオレ達も肝が潰れたぜ」
語る中年軍人の言葉中の"お前さん"とは、ユーテリアの制服を着込んだ少女の呼びかけだ。そして呼びかけられた当人は、頬をぷっくりと膨らませながら、微妙な表情を作って口を一文字に結んでいる。こうしてみると、先の凄絶な表情とは全く異なった、柔らかさと活気の良さが同居した愛嬌のある顔立ちが見て取れる。
「いやー、あたしだってビックリしたっての。あたしの他に、見た目がクッソ詰まらないこんな都市国家に足を運ぶ生徒なんて居るわけないって、確信してたかんね。
でも…こいつらの顔ぶれ見て、あり得ないことも起こるモンだなって、納得したよ」
そして女子生徒は、深い海のような色濃い碧眼を細めて、蒼治、そしてロイの順に視線を走らせて言葉を続ける。
「我らが秀才同級生の蒼治・リューベインに、学園名物の"暴走君"ロイ・ファーブニルに組み合わせと言ったら、もう暴走部しかないっしょ」
「暴走部じゃなくて星撒部だよ、レナ・ウォルスキー」
蒼治が疲れの残る顔で出来るだけ平然を装いながら、眼鏡をクイッと直して訂正する。
すると女子生徒――レナと呼ばれた――は、"はいはい"とおざなりに返事するように両手を挙げてヒラヒラさせた。
「ん? なんだ、レナお嬢さん。やっぱり、この民間人と知り合いなのか? 同じ制服を着てるから、まさかとは思ったんだけどな」
中年男性の軍人が尋ねると、肩をすくめてみせたレナに代わって、蒼治が彼の問いに答える。
「ええ。僕、蒼治・リューベインは彼女、レナ・ウォルスキーとはユーテリアの2年F組の学友です。
とは言っても、同じ授業に出席したことは、あまりないですけどね」
「それで、君の他の3人もみんな、ユーテリアの生徒なんだよな?
地球が誇る"英雄の卵"達が、こんな狭い装甲車の中にひしめているなんて、スゲェ話だ!」
「いやいや、ユーテリアは確かに有名ですけど、僕らは単なる一生徒に過ぎませんよ」
「いーやいやいやいや! さっき戦いを見せてもらったが、魂消たぜ! 地球圏治安監視集団の大群相手にガチンコ勝負してるんだからな!
そっちの髪の赤い兄ちゃんなんて、素手で飛行戦艦をブッ叩いて吹き飛ばしちまうもんだから、ビビったの何のって!」
中年男性の軍人がロイを褒め称えると、ロイは得意げにニヤリと笑って見せた。ちなみに彼は、戦闘形態をすでに解いており、賢竜の証は臀部から生えた尻尾だけが明らかとなっているのみとなっている。狭い装甲車の人員収納スペースに竜翼だのゴツい竜腕だのを納めるのは他の人々の迷惑になると思ったようだ。
「ホント、流石は"暴走君"だよ。あたしはアレを見て驚くより、呆れちまったけどな」
レナは得意げなロイをジト目で制しながら語ったが、ロイはどこ吹く風という様子で満面の笑顔を消すことはなかった。
そんな様子を見て小さなため息を吐いたレナは、視線をロイから逸らして2人の女子部員の方へ向ける。
「ところで蒼治ー、そっちのカワイイ女の子2人も暴走部のメンバーなワケ?
暴走部って立花と暴走君ばっか目立ちすぎて、他のメンバーの影が薄くてさー、把握出来ないんだよねー」
「暴走部じゃなくて、星撒部な」
蒼治は再び訂正しながらも、その顔はレナの言葉に同意する苦笑を浮かべていた。
「そう。彼女らは、星撒部の後輩だよ。1年生の相川紫と、ノーラ・ストラヴァリさん。
ノーラさんは昨日入部したばかりの新人さんだ」
「うっそ!? もう年度も終わりそうなこの時期に、よりにもよって暴走部に入部するなんて!?
おとなしそうな顔して、実は"暴走君"顔負けの爆弾抱えてたりするワケ!?」
「…君は僕らの部活を何だと思ってるんだ、失礼だな…」
蒼治がハァー、とため息を吐くと、ノーラがアハハ、と小さく笑ってみせる。
そんな和気藹々とした学生達の語らいの中に、グイッと割り込むようにして中年男性が声をねじ込む。
「お若い人たち同士の紹介が終わったみたいだから、オレたちオジサン勢の紹介もさせてもらうぜ。
まず、オレは倉縞蘇芳。この都市国家で市軍警察をやってる。所属は防災部だ。
で、」
中年男性――倉島蘇芳は、背にした運転席の方に親指を指し、運転手を紹介する。
「こいつが、レッゾ・バイラバン。同じく市軍警察だが、オレの同僚ってワケじゃない。こいつは軍の花形、衛戦部の所属で、そこで見ての通り運転手をやってたんだ。
オレたちが2人がこうやって組んで働くようになったのは、今回の戦争が始まって、行政部が機能停止して都市機能がオシャカになった頃からさ」
「オッサンの自己紹介なんか、興味ないっつーの」
レナがパタパタを手を振って嫌みを垂れると、「うるせーよ、不良ギャル!」と蘇芳は食ってかかる。一見するとウマが合ってないようにも見えるが、実際はその逆である。深い信頼関係が築いてあるからこその悪ふざけだ。
レナ、蘇芳、そしてレッゾの3人は、かなり長い時間を共有して行動を共にしているようである。
一体どれほどの時間を過ごしているのか、という疑問を含め、蒼治はこの都市国家の実状についてレナに尋ねる。
「レナ、君は一体何時からこの都市国家に居るんだ?
それに、外の話じゃこの都市国家の戦争は終わってるって聞いたんだが…物騒な輩が暗躍しているどころか暴れ回ってるけど、これはどういうワケなんだ?」
すると、レナが彼女自身のことを説明するより早く、蘇芳が口を挟んでこの都市国家の状況について答える。
「戦争が終わってる!? トンでもない話だよ! この都市国家の戦争状態は、もう1ヶ月半以上もずーっと続いてやがるよ!
殺し合いたいなら、"奴ら"だけでやってりゃ良いものを…オレたちにまで言いがかりを付けて、ちょっかいかけて来やがる!
オレ達はホント、何も知らねーってのによ!」
「"知らない"ってのは、正しくないな」
運転席で淡々とハンドルを捌きながら、振り向きもしないレッゾが相変わらず冷静に、安定感のある太い声で訂正する。
「オレ達は、"奴ら"が狙ってる"アレ"の存在を認知しているし、その概要も把握している。
ただ、"アレ"の本質や所在の情報に限って言えば、何も知らないというのは正解だがな」
「レッゾ、お前さんはホント、細かいよなぁ。軍人なんかより、国語の先生でもやった方が良いんじゃないのか?」
蘇芳がケラケラと笑いながら茶化すが、レッゾは気を悪くした様子を一切見せず、淡々と運転を続けるだけだ。
今の軍人2人の会話に、レナだけはついていっているようだが、アルカインテールに入都してまだ大した時間を過ごしていない星撒部一同にはサッパリだ。"奴ら"というのは、自分たちを襲ってきた勢力のことを指す言葉であると何となく想像はつくが、"アレ"という言葉が一体何を示すのかは全然思い至らない。
眉根を寄せて顔を付き合わせる部員たちの様子を傍で見ていたレナは、先に自分に振られた質問の中から彼らが取っつきやすそうなものを選んで答える。
「蒼治、アンタさっき、あたしが何時からこの都市国家に居るかって、聞いたよな?
大体、1ヶ月前からだよ。外じゃ丁度、この都市国家の戦争が空間干渉兵器の使用によって終結した、って話が流れ始めた頃さ。
あたしがこの都市国家に来たのは、戦争行為と空間汚染に関する実体験レポートを作成して、成績点をもらう為だったんだよ。あたしは卒業後、地球圏治安監視集団か、どこぞの都市国家の軍警察で防災関係の仕事に就きたいと思ってたからね。それに有利になるような体験をして起きたかったのさ。
そんで、この都市国家に来てみたワケだけどさ――そこで、運悪く、見ちゃったんだよなぁ…」
レナはうんざりした様子で顔をしかめながら、腕を組んで視線を宙に泳がしつつ、言葉を続ける。
「さっき、星撒部を襲ってた地球圏治安監視集団。あいつら、"パープルコート"って部隊の一部らしいけどさ。あいつらの一派が、空間汚染の中を潜り抜けて、この都市国家に入都して行くのを見ちまったんだよ。
あたし、てっきりあいつらが空間汚染の除染作業か、もしくは取り残された戦災被害者の救助にでも来てるんだろうと思って、コッソリ便乗して入都したんだよ。
そしたら、空間汚染は偽装だったわ、入都先で合流した部隊とは救助活動どころか、バリッバリの戦闘用兵器の物資を受け渡ししてるわで、どうにもきな臭い気配がプンプンして来たワケよ。
あっ、こりゃマズい、早いトコずらかろうとしたら、偽装障壁は破れないわ、"パープルコート"には見つかるわで、大目玉くらったのサ。この都市国家には見ちゃいけないものでもあるみたいでさ。目の色変えて、"目撃者を消せー!"って勢いで全力で襲いかかってくるんだよ。
あたしはもう、必死で逃げまくったね…アレは一生のトラウマものだわ…」
「で、こいつが騒ぎを起こしてるのを聞きつけたオレ達が、助けてやったワケさ」
レナの言葉を継いで、蘇芳がドンッ! と得意げに胸を叩きながら語る。
しかし、レナはそんな蘇芳に感謝の意を表すどころか、避難がましいジト目を送る。
「確かに、助けちゃもらったけどさ…。
そのお蔭で、この1ヶ月間、外に出らず仕舞の地下生活を送る羽目になっちまったじゃんか…」
「なんだよ、文句あるのか? 命在っての物種だろーが。
それとも、あそこでお前を放っといて、瓦礫の中に墓を立ててやりゃ良かったか?」
「いや…そりゃ勘弁だけどよ…」
話が再び、アルカインテール勢の内輪話へ方向が進んで来た頃。会話への興味が薄れたロイがトンネルの光景に視線をやりながら、誰ともなしに問いを掛ける。
「なぁ、レナ。さっき"地下生活"って言ってたけどよ、このトンネルは地下に続いてるよな? この先に居住区でも在ンのか?」
これに対して答えたのは、運転席のレッゾである。相変わらずチラリと一瞥すらくれず、運転に集中しながら淡々と返す。
「その通りさ。
この都市国家は元々、居住区の約半分は地下にあるんだ。
この都市国家は険峻な山地に囲まれてるから、横方向に拡張するのが難しい。だから開発の方向は常に下へ向かってるんだ。
地下居住区には鉱業労働者として受け入れられた難民たちが住んでたんだが、今じゃ地上の戦災を逃れた正規住民たちも混ざって暮らしてるよ」
「へー。
じゃ、地下はあのムシどもとか、裏切りロボットどもとか、影人間どもとかから手は出されてないんだ?」
ロイが確認の意を込めて聞き返したが、ルッゾは首を横に振って否定する。
「いや。"奴ら"はいつでも、オレ達住人を狙ってるよ。
"奴ら"はオレ達が"アレ"の在処を知ってると思いこんでるのさ。だから、度々地下にも侵攻してくる。
だからオレ達、軍警察の居残り組はトンネル内にトラップや警報装置をつけて"奴ら"を攪乱しながら、定期的に避難場所を移動して、"奴ら"の手が届かないようにしてる」
「その…さっきから"奴ら"とか"アレ"とか言ってますが…」
蒼治が不明瞭な言葉に堪らなくなったらしく、身を乗り出しながら問い質す。
「一体、何のことなんですか?
"奴ら"というのは、僕達を襲ってきた勢力のことを指していることだと分かりますが、彼らが狙ってる"アレ"っていうのは、全然検討が着かないんですが…?」
「そこントコを説明するなら、ちょっと順序立てて説明しねーといけねぇな」
そう前置きをして、蒼治の質問に答え始めたのは蘇芳である。
蘇芳は、長い話になることを示唆するように[[rrb:胡座>あぐら]]をかいて身を落ち着けると、ゆっくりと話し始める。
「まず、この都市国家の戦況について説明するぜ。
現在、この都市国家の中じゃ、4つの勢力が互いに競い合って争ってる。
1つは、君らも知っての通り、地球圏治安監視集団。そのうちの"パープルコート"って軍団が、この都市国家で暴れ回ってる。
元々、"パープルコート"はこの都市国家に常駐部隊を置いている軍団だったんだ。難民が多く流入してくるこの都市国家の治安を監視するため、って名目で部隊が配置されてたんだが…実は、別の目的があったんだよ。
その目的については、また後で話すとして…まずは、他の勢力について言及しておくぜ。
2つ目の勢力は、癌様獣の巣窟。あんたらが入都した際に真っ先に出会った、気持ち悪ぃ蟲どもの集まりさ。
ちなみにこいつらは、真っ先にこの都市国家に侵攻してきた勢力でもある。ある意味、今回の戦争の口火を切った勢力と言えるな」
癌様獣の巣窟という呼び名は、厳密には組織の名称ではない。本来の意味は、彼らが根城としている星雲領域のことを指す言葉である。この星雲は地球とは別の宇宙に存在しており、超絶的なエネルギーを持つ高密度の素粒子の雲の中では、癌様獣達が生体洞窟にも似た天文単位規模の巨大構造を作り上げて生活している…と"言われている"。
"言われている"と云う言い方をしているのは、癌様獣の巣窟を明確に観測したデータが存在せず、断片的な情報から導き出された結論だからである。
癌様獣がいくら貪欲な存在であるとは言え、彼らの所属する宇宙はまだまだエネルギーで溢れている。しかしながら、彼らが多大なエネルギーを消費してわざわざ地球圏に来訪する理由は、不明だ。有力な説は、彼らもまた地球の持つ『天国』を狙っていると言うものだ。しかしその説においては、史上においては侵攻という形で地球人類と初遭遇した彼らが、どうやって『天国』の存在を認知したのか、という点が問題として挙げられている。
…しかしながら、今は癌様獣についての言及はこの程度にしておいて…。蘇芳の言葉の続きに話を戻すとしよう。
「3つ目は、サヴェッジ・エレクトロン・インダストリーの連中だ。
機体にカミナリを掴んだ拳のマークを張り付けた機動兵器を見かけただろ?」
そこまで蘇芳が話した時、蒼治が雷光にでも打たれたように「あっ!」と声を上げる。
「そうか、『インダストリー』か! 思い出したぞっ!
道理で、どこかで見たことがあるマークだと思ったんだ!」
「知ってるんですか…蒼治先輩?」
尋ねるノーラに対し、眼鏡を直しながら顔を向けて蒼治が頷く。だが、サヴェッジ・エレクトロン・インダストリー――通称、『インダストリー』――についての解説は、収納スペースの隅に立て膝を付いて座るレナが引き受ける。
「優等生クンの蒼治が忘れてるってのは意外だけどよ…ともかく、サヴェッジ・エレクトロン・インダストリーってのは、間違いなくこの異相世界中で最大の軍事企業だよ。
なにせ、規模が半端ねーんだよな。社員数が億単位だしよ。ここまで来ると、会社っつーより、もはや国だぜ」
レナの説明をもう少し補足しておく。
サヴェッジ・エレクトロン・インダストリーは、地球とは別宇宙に本社を置く超巨大軍事企業である。元々は宇宙航行・軍事技術の開発を担っている企業で、宇宙船開発のために小惑星上に建築した工場からスタートした。順調に業績を伸ばしながら少しずつ規模を拡大していたこの企業は、[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]による異相世界交錯以降、魔法技術開発分野で大成功を納め、爆発的に躍進。本社の規模は今や小惑星を全て飲み込んだ、"機械仕掛けの惑星"といった外観をしている。
サヴェッジ・エレクトロン・インダストリーは"死の商人"として兵器の供給を行っているだけでなく、自社商品のデモンストレーションを兼ねた傭兵兼私設軍隊"ブルータル・エレクトロンズ"を運用しているのも特徴である。
「僕は、」
と、蒼治が言葉を挟む。
「彼ら、"インダストリー"とは1年生の頃、バウアーと渚と一緒にやった課外授業の時に知り合ったんだ。その時は、彼らの開発部と人間と協力し合っていたんだけどね。
まさか…昨日の友は今日の敵、っていう関係になるなんてね…」
「あの…その、"インダストリー"って組織が軍事企業…ということは…」
ノーラが顎に手を置きながら、発言する。
「この都市国家の持つ鉱物資源を狙って、侵攻をしかけて来た…ということなんでしょうか?」
「違う」
運転席から、相変わらずチラリとも振り向かないレッゾがノーラの意見を一蹴する。
「ヤツらの狙いも、他の勢力と同じ、"アレ"だ。"アレ"の開発技術を手に入れようとしてる」
またもや出てきた"アレ"という言葉だが、星撒部たちはやがて必ず来る蘇芳の説明を待ち、その解説をせがむことはしない。
そして蘇芳は、最後の勢力の正体について言及する。
「最後の一派、それが『冥骸』さ。
影様霊その他、死霊どもばかりで構成された過激派集団だよ。
ヤツら、元々はこの地球で暮らしていたらしいが、今はその過激な思想を危険視されて、エッジワース・カイパーベルト宙域の準惑星に追いやられてる。で、いつの日か、母なる地球に大手を振って帰還するために、日々決して褒められない努力を続けてるって話だ」
地球圏の最外縁宙域、冥王星をはじめとした準惑星が密集するエッジワース・カイパーベルト宙域には、地球圏治安監視集団その他の地球統治系組織から地球に降り立つこと禁じられた勢力達の太陽系内拠点がひしめいている。先に出てきた癌様獣の巣窟も、その飛び地とも言うべき巣がとある準惑星内に存在している。
――と、これで蘇芳によるアルカインテール内で抗争を繰り広げている組織の紹介は全て終わった。残るは、戦争の引き金となった存在wを示す代名詞、"アレ"のみ。
蘇芳の色の薄い、荒れた厚い唇が、満を持してその言葉について言及する。
「そんではお待ちかね、"アレ"について説明するぜ。
"アレ"とは、"パープルコート"どもとこの都市国家の公営研究機関が共同で開発した、胸糞悪くなる半生体機関。
そして、おそらくは、史上初の『握天計画』の成功事例の立役者。
その名は…」
蘇芳が芝居がかった口調で語る、その最中のこと…。
運転手のレッゾが、視界に入ってきた"或る物"を見つけると、身につけたゴーグル状の眼鏡の上で眉毛をひそめる。
トンネル壁に寄り添うように、1つの物体――いや、人影だ――がポツンと立っている。
人影は、虫食い穴が無数に開いてボロボロになったような、褐色がかかった白い外套を羽織って、俯いた状態で、立ち尽くしている。その様子だけを見ていると、物乞いする浮浪者か、自失呆然とした亡霊のようにも見える。
(なんだ、あいつは…? なんでたった独りで、こんなところにいる…?)
レッゾの脳裏に真っ先に過ぎったのは、そんな疑問である。
人間の姿をしているからといって、この都市国家の避難民であるとは限らない。人型の人員ならば"パープルコート"に数多く存在するし、亡霊ならば『冥骸』の構成員であることも考えられる。つまり、この人物が敵である可能性も充分に考えられるのだ。
その可能性を加味した上でなお、レッゾは疑問を頭に浮かべていたあ。アルカインテールを蹂躙する敵勢力の一員だとしても、単体行動しているとは考えにくいからだ。敵勢力同士は決して協力関係を結んでいない、むしろ4つ巴の敵対関係となっている。単体でフラフラ出歩いていた場合、避難民たちに対しては脅威になり得としても、他の勢力と遭遇した場合には苦戦を強いられることだろう。
――では一体、この浮浪者然とした人物は、何なのか?
その疑問に答えが出るより早く――と言っても、答えは出そうになかったが――レッゾの運転する装甲車は、この人物のすぐ真横まで到る。
このまま何事もなく、通過できるか――と思いきや。
レッゾの視界の中から、人影の姿がパッと消える。
装甲車が急加速して、人影を後方へと引き離した…というワケではない。確かに人物の存在にイヤな予感を感じてアクセルを思い切り踏みつけたが、人影は視界の端へと流れてゆくより早く、その姿を消したのだ。
(な…!?)
困惑した、その直後。
ガゴンッ! 巨大なハンマーででも横から殴りつけられたような衝撃が、装甲車を襲う。大きくブレた車体を必死になって立て直そうと、必死にハンドルを捌いたものの、努力は空しく車両はトンネルの左側の壁に激突。ザリザリザリッ! と耳障りな音を立てて壁を激しく擦りながら、数秒間、走り続ける。その最中、ドアミラーがメキリと破壊されて、トンネルの後方へとすっ飛んでしまった。
運転席の後ろ、人員収納スペースからは、「うわあああっ!」とか「きゃあああっ!」と云った阿鼻叫喚の怨嗟が上がる。そこに搭乗する蘇芳やレナ、そして星撒部の4人は派手に吹っ飛び転がって、もみくちゃになっている。
「い、いってぇーっ! 頭、壁にブツけちまった…!」
「う、うわっ、どこ触ってンだよ、"暴走君"!」
「おわっ! す、すまねぇっ、レナ! 不可抗力なんだっ!」
「ってぇか、"暴走君"よ! おまえさっきから先輩に対してタメ口過ぎだろ! ちゃんとレナ先輩、って言えよ、コラッ!」
「今はそんな細かいことにこだわってる場合じゃないと思うんですけど、レナ先輩様…!」
「えーと、紫とか言ったか? おまえは嫌みったらしく"様"まで付けなくて良いっつーの!」
「一々突っ込むなよ、レナ!
そんなことより…みんな、この車両の上に、何か乗ってるぞ…!」
騒ぎの中、大きくズレた眼鏡を直しながら場を諫めつつ、頭上を指差した蒼治。彼の伸ばした人差し指の先には…そう、1人の人物が車両のブレにも動じず、平然と直立している。
「くそっ…!」
それまで冷静でいたレッゾが、初めて不快感を露わにしながら唾棄しつつ、ようやく車体のコントロールを取り戻すと。蒼治の言葉を確かめるべくチラリと頭上に視線を走らせた途端、目を丸くして、ギリリと歯噛みした。
「おいおい、なんてこった…!
こいつは…この野郎は…! 畜生、だから悠々と単体行動してたってワケか!」
レッゾが恨み言を語る頃、アルカインテールの事情に通じる蘇芳もレナも、体勢を立て直しながら、頬にジットリと剣呑な冷たい汗を走らせる。
車両の上に取り付いた"そいつ"は、さっきレッゾが見たトンネル端に立っていた人物そのものである。
その姿を間近にしたことで、"そいつ"の異様なディテールが衆目に晒される。
まず第一に、"そいつ"は浮浪者ではない。羽織った外套は確かにボロボロで汚らしいが、その下にあるのは汚れが殆ど見当たらない、軍服に似たデザインのシンプルな衣服である。それに、露わになっている頭部の色白の皮膚も、濃い色の金髪も、汚れが全く見当たらずツルリとしている。
第二に、"そいつ"は亡霊でもない。亡霊ならば重力や慣性の作用を受けずに走行中の車両に取り付くことが可能だが、"そいつ"の場合、直立体勢を維持しているのは足だけでなく、装甲車の上部装甲に深々と突き出さした2本の金属製の尻尾である。刺さった尻尾の周囲では、外界の風景を投影する能力を失った壁が、無機質な漆黒を映していた。
――そう、"そいつ"は単なる人間種族ではない。臀部から飛び出した、先端が四角錐の槍のようになった2本の尻尾が、そのことを物語っている。しかし、それ以上に雄弁に"そいつ"の種族を物語るのは、色白の顔面にはりついた大きな左眼だ。上下の瞼を持たず、剥き出しになった眼球は、真っ赤に充血してブヨブヨと腫れ上がっている。ちなみに右目は、旧時代の地球人類にも珍しくない濃いブラウンの瞳である。
癌様獣――その単語がアルカインテール勢のみならず、過酷な交戦をくぐり抜けてきた星撒部の脳裏にも駆けめぐる。
車両内の一同が慌てて体勢を立て直し続けている一方、"そいつ"は車両に突き立てた尻尾の表面から、何か小さな物体を十数個、解き放つ。一見するとそれは、尻尾に巣くっていたノミが一斉に飛び出したようにも見えなくはない。
だが、それらは決してノミでないことが、すぐに明らかになる。
飛び出した物体は無駄のない曲線を描きながら、6つ1組で円陣を組んで飛翔すると…コツッ! コツッ! コツッ! と、堅い金属に軽く釘を突き刺すような音と共に、車両の装甲に取り付く。直後、円陣の内部にぼんやりと雷光の黄色が灯った…その瞬間。
厳ッ! 厳ッ! 厳ッ! ――缶を思い切り捻り切るような強烈な音が響き渡ったかと思うと、装甲が内部に向かって膨張、破裂し、トゲトゲしい花弁のような金属片で縁取った穴が幾つも幾つも開く。
しかも、円陣を組んだ飛翔物体は、単に接触部分に穴を開いただけではない。
「危ねぇっ!」
ロイが叫びながら、開いた穴の延長線状で体勢を立て直していたノーラを、乱暴に突き飛ばす。咄嗟のこと、且つ、予想だにできなかったロイの行動に、受け身を取る間もなく肩から強かに壁にぶつかる、ノーラ。
「ちょっと、ロイ! 女の子には優しく…」
紫が早口に抗議を口にしかけた、その途端。
ボゴンッ! 大質量のハンマーで思い切り装甲をブッ叩いたような音が響き、ノーラがついさっきまで立っていた床に大きな凹みが生じる。この暴虐的な現象を引き起こした不可視の力によって、車両はガタンッ! と大きく震動する。
「お、おいっ!? なんだ、なんだよ、こりゃっ!?
装甲上の高密度魔術篆刻の作用を突き破るってのは、どんなパワーだよっ!?」
蘇芳が眼を白黒させながら驚愕と困惑の混じった叫びを上げていると…。厳ッ! 厳ッ! 厳ッ! 次々に悲惨な重金属の悲鳴が上がり、装甲に穴が開くと共に、その延長線上の床や壁に大きな凹みが生じる。
「うひぃっ! なんだよ、こりゃっ!」
「くそっ…! 皆、気を付けろ! 当たったら、只じゃ済まないっ!」
レナと蒼治の2年生組が声を上げる一方で、一同は身を屈めたり、身体を反らしたり妙な方向に曲げたりして、装甲を突き破る不可視の暴力を回避する。しかしながら、その最中、不可視故に完全に避けきれずに、髪や制服の一部を抉り取られることもある。特に蒼治においては、身につけたマントの端が何度も暴力に曝され、ズタボロの無惨な姿となってしまっている。
「あの野郎っ! 調子に乗りやがってぇっ!」
突然の暴挙を前に、こめかみに青筋を立てたロイが、固めた拳を漆黒の竜腕に変化させ、臨戦態勢に入った頃。装甲車の外では、飛翔物体が新たな動きを見せる。
6つ1組の編成で動き回っていた物体たちが、円陣の編隊を解散したと思えば、装甲車の側面のほぼ中央ラインに沿って、一定間隔を保って取り付いたのである。
ジジジッ…。漏電するような小さな雑音が、装甲車の内部にわき上がる。同時に、装甲車内部に飛翔物体を結んで作った平面に沿って、淡い電光色の靄めいた発光が出現する。
「みんなっ! 運転手のオッサンもっ! 伏せろっ!」
賢竜の持つ獣性の勘とでも言うのか、危険を察知したロイが鋭く叫びながら、自らが率先してうずくまるようにして身を屈める。ロイの尋常でない様子の勧告に突き動かされた一同が、彼を真似て一斉にうずくまる。運転手のレッゾはうずくまれなかったものの、ハンドルから手を離して出来るだけ頭を低くした。
転瞬――噸ッ! 車両を全体を揺るがす、激震が発生。次いで、メキメキメキッ! と重金属がひしゃげる悲鳴。
うずくまった体勢のまま、ノーラがチラリと視線を上に向ける。すると、そこから見て取れた光景は――まるで強靱な紐で締め上げられたかのように、内部に向かって沈み込む、装甲車の側面中央ライン。やがて、ミシッ…と言う雑音と共に、沈み込んだラインが展性の限界を越えて破壊。その後は席を切ったようにミシミシミシッと音を立てて亀裂が大きく、そして装甲車をグルリと囲み…そして遂には。
ガゴオォンッ! 盛大な断末魔と共に、装甲車の上半分がフワリと浮き上がり、慣性と気流に翻弄されてゆっくりと回転を始める。しかしすぐに、トンネル天井に接触すると、ギャリギャリギャリッ! と耳障りな音を立てながら火花を散らしつつ、天井の摩擦に手を引かれるがままに車両の後方へと流されてゆく。
今や装甲車は、缶切りで力任せに剪断されてしまったような、不格好なオープンカーに成り果ててしまった。
「うっは…尋常じゃねー…」
恐る恐るといった動作で頭を上げる一同の中、レナが装甲車の惨状を前に震え声を絞り出す。
そんな最中、オープンになった人員収納スペースのほぼ中央に、フワリと白い外套を翻して降り立つ、人影。たなびく外套は、ともすると、悠々と羽ばたく天使の翼に見えなくもない。ただし、"そいつ"が天使だとすれば、神の計画のためには無実な民をも無慈悲に虐殺してのける、非情の天使に違いない。
ストン、と着地した"そいつ"は、装甲車に取り付く直前、トンネルの端に突っ立っていた時のような、脱力したような出で立ちをしている。その姿はやはり、浮浪者を連想させるに相応しいものであるが…。手の届く範囲にまで接近した"そいつ"から放たれる気迫が、その印象を一気に打ち消す。
亡霊のように脱力した姿をしているというのに、まるで巨大な岩石を目にしているかのような、強烈な重量感。
「『十一時』…!」
苦々しく呟いた、蘇芳の言葉。それは、時刻について言及したものではない。事実、現在は正午をとっくに過ぎた時間だし、日付が変わるような深夜の時間帯でもない。
星撒部の一同は、一瞬の間を置いた後に理解する。"十一時"とは、眼前にした白い外套を羽織った人型癌様獣の個体識別名称なのだ、ということを。
"十一時"は瞼のない充血した眼球でギョロリと一同を睥睨した後、皮膚の色と見分けが付かないほど色の薄い唇から、無機質にして冷酷な響きの言葉を紡ぎ出す。
「疾く答えろ。
"バベル"は、何処に在る?」
- To Be Continued -