EP95 最後の召喚陣
気まぐれ投稿
薄ら明かりが照らす小部屋にて、数人の人物が奇怪な紋様の魔法陣を取り囲んでいた。小部屋と言っても数人が入るには十分すぎるほどの広さであり、窮屈さは感じない。
そこにいる一人は壮年の男であり、衣服は豪華に飾られている。とは言っても下品なほど煌びやかに飾り立てているわけではない。深紅に金の刺繍が織り込まれた上着を着て魔法陣をジッと見つめている。部屋に5つほど配置されている魔法灯で照らされている顔には厳しい表情が浮かび上がっていた。彼の名はルクセント・レイシア・ルメリオス。人族の王である。
その隣に立っているのは光神教会のトップであるパトリック・アルバイン大司教だ。白を基調とした司祭服を纏った彼はまさに聖職者のオーラを放っているのだが、ルクセントと同じく表情は優れない。『聖導師』とも呼ばれ、回復魔法を得意とする彼は慈愛に満ちた表情で人々を癒していることで有名であり、このような顔つきになっているのを見れば驚く者がほとんどだろう。
そして魔法陣を挟んでルクセントとパトリックの対面にいるのは、この部屋で唯一の女性だ。薄暗い部屋であるが、それでも思わず見とれてしまうほどの美貌が見て取れる。もしも日の下に出れば、陶磁のような滑らかな白い肌、絹のようにきめ細かい光沢を放つ金髪で道行く人々を魅了することだろう。派手なドレスが彼女の豊かな双丘を強調しており、元から完璧なスタイルを余すところなく引き立てている。キリリとした吊り目と整った鼻、ぷっくりとした小さな唇は誰の目も引き付ける魔力を放っているのだが、何よりも目を引くのは彼女の耳だ。先の尖った長耳はエルフの象徴。
彼女こそ、エルフの女王にして精霊王と契約するエヴァン唯一のハイエルフ。
ユーリス・ユグドラシルだった。
「準備は十分よ。いつでも召喚陣は起動できるわ」
「そうか。では頼む」
「任せなさい」
ユーリスはたった一人で魔法陣に魔力を流し始める。
だが本来この召喚魔法陣は莫大とも言える魔力を必要とし、魔力を溜めておく魔道具や、その材料となる魔石を大量に準備する必要があった。初めての召喚ではそれを知らずに起動させてルクセントに仕える筆頭王宮魔導士を初めとした数人に犠牲者が出てしまった。二度目の召喚で初めて魔道具を使用したのだが、それでもギリギリであり、危うく王女アリスを失うところだったのだ。
しかし今回はユーリス一人で魔力を供給しており、魔道具を一つも使っていない。これは自殺行為に値することなのだが、この部屋に連れて来られたユーリスの護衛はピクリとも動かなかった。彼女の後ろに控える二人の護衛のエルフは、ただユーリスが魔力を流している光景を当然のように眺めているだけで、心配する様相すらも見せない。
だがそれもそのはず。
ユーリスは精霊王と契約しているハイエルフなのだ。精霊の王であり、同時に大樹ユグドラシルの王でもある精霊王の加護を受けている彼女には《精霊同調》の固有能力がある。これは精霊と同調することによって、周囲の精霊から無尽蔵に魔力を供給して貰えるという破格の能力。そればかりか《精霊魔法》の効果を何倍にも上昇するというおまけ付きだ。
精霊王は基本七属性全てを司る精霊であり、ユーリスは基本属性の魔法を十全以上に扱えるということになる。ちなみに精霊とは自然を司る存在であるため、回復、結界、時空間、付与、召喚の特殊属性を司る精霊は存在しない。それはともかく、基本属性精霊魔法を無限とも言える魔力で放つ彼女は世界最強の魔法使いなのだ。護衛のエルフたちの心配は寧ろ不敬となる。
「ほう……これは……」
「噂に聞いたエルフの女王がこれほどとは……」
死を齎すほどに魔力を吸っていく魔法陣に顔色一つ変えずに魔力を送り続けるユーリスに驚くルクセントとパトリック。声には出さないが、二人の後ろに控える護衛の近衛騎士も驚いていた。
彼女がルメリオス王国に来訪したのは数百年前に女王就任した際だ。王都にある教会の地下……『聖なる光の石板』を参拝した時だけだ。本来は司教以上の者しか見ることは出来ないのだが、エルフの女王だけは別である。光神シンを心から信仰するエルフの長が就任するときだけは参拝を許されていた。
だがそれも人からすれば遥か昔の話だ。エルフのように長寿ではないため、ルクセントどころか誰もユーリスの姿を見たことのある人はいなかった。
息を飲むような美貌、溜息の出るような魔力……エルフたちがユーリスを誇りに思っているのも頷けるというモノだ。溢れるばかりのカリスマ性に同じ王であるルクセントは自信を失いそうになる。
(だが彼女の協力を得たのは幸運だった……)
本当ならば滅多に表には出ない(実はお忍びで各地に抜け出しているのだが)ユーリスがルメリオス王国の王都に来てくれるとは思わなかった。それが偽らざるルクセントの感想である。
光神シンをこの上なく信仰しているエルフに、勇者召喚の神託に関する情報と協力を求める書簡を送ったのだが、まさか女王本人が来るとは思わなかったのだ。元は魔力を溜める魔道具に使う魔石を融通して貰う程度のつもりだったのだが、知らぬ間にかなりの大事になっていたのである。
しかし無限の魔力を扱うと言われるエルフの女王の協力があるのなら魔石を集める必要もない。エルフ側も大した対価を求めてこなかったので安くついたと喜ぶべきだ。一応国家間の取引として処理するので、形ばかりの対価は支払ったが、魔石を集めるのに掛ける予定だったお金と時間は大幅に節約できたのだった。
「…………」
無言で魔力を送り続けるユーリスだが、その顔には喜々とした表情が見て取れる。ルクセントやパトリックとは正反対な態度だ。
だがこれは人とエルフの思想の違いに起因する。
そもそも人という種族はそれほど信仰厚くないのだ。信じてはいるのだが、それは親やそのまた親、そして祖先から信じているからに過ぎないという理由である。寿命が短いゆえにあっと言う間に形骸化してしまったのだ。それでも教会に仕える聖職者たちは強く信仰しているが、エルフには敵わない。
千年近くを生きる彼らはいつまでも信仰に厚い。何故なら強く信仰していた世代がまだ生きているからだ。そして象徴となる大樹ユグドラシルの存在もある。一部のエルフは、もはや狂信者とも呼べるほどなのだ。SSSランク冒険者のレインが良い例である。
そして異世界から勝手に呼び出してしまうことを心苦しく思う人族としての思想に対し、エルフとしては「光神シン様のために働けるとは何と光栄で祝福されたことか!」と考えるわけである。
『…………』
誰もが沈黙して魔法陣を見つめること数分。MP換算すれば万単位で魔法陣へと魔力が注がれているのだが、未だに召喚の兆しは見えない。尤も、この場にいる者の中で召喚に立ち会ったことがあるのはルクセントの護衛をしている騎士二人だけである。
彼らは前回アリスが召喚をしたときに共にいたのだ。倒れる彼女を支えてMP回復ポーションを飲ませたたのがその片割れである。
彼らは凄まじい量の魔力が注がれている魔法陣を見つつ、少し困惑していた。彼らの記憶が正しければ、既に召喚陣が起動してもおかしくないほどに魔力が注がれているのだ。それでも起動しない魔法陣を見れば不安に感じてしまう。もしや何かの不具合が起こっているのでは? そう思ってルクセントに進言しようかと顔を見合わせた時、遂に召喚陣が激しい光を発した。
「これは!」
「おお……」
「ええ……遂に来るわ!」
魔法陣は青白い光を点滅させながら部屋を照らす。
ルクセント、パトリックは目を見開いて魔法陣を凝視し、ユーリスも自慢げに魔法陣から手を放す。ユーリスが手を放して魔力供給を止めても魔法陣は点滅を続け、その点滅速度は徐々に速くなる。
部屋でユーリスに手を貸していた精霊たちも騒ぎ出し、顔色一つ変えなかったユーリスの護衛二人もキョロキョロと周囲を見渡す。精霊を感じ取れないルクセントたちも何かの変化が起こっていることだけは理解できた。
莫大な魔力を喰らった魔法陣は激しい点滅を繰り返し、やがて部屋全体が白い魔力光に包まれる。世界の壁を越えて勇者を呼び出す理解不能の魔法が発動した―――――
「え?」
「は?」
魔力光が収まったとき、召喚陣の上に立っていたのは二人の男。
一人はブレザータイプの学生服を着た高校生と思しき少年。肩にはカバンを掛けており、右手にはコンビニチェーン店のレジ袋が握られている。少々癖があるもののスッキリとした髪型で、片耳にイヤホンを差したまま唖然とした顔になっていた。
もう一人はコンビニの制服を着たメガネの似合う青年で、少年に数枚の硬貨を渡そうと手を伸ばしているところだった。こちらも同様に困惑と不安に満ちた表情をしている。
チリーン
メガネの青年の握っていた硬貨が落ちて魔法陣の上をコロコロと転がっていく。普段ならばすぐさま拾い集めるのだろうが、今はそれどころではなかった。そのまま転がった硬貨の一枚がユーリスの目の前まで行って倒れる。薄暗い部屋の中で見えた硬貨の紋様は何かの建物のように見えた。
平等院鳳凰堂……
つまりそれは十円硬貨である。
「ほう……銅貨か?」
ユーリスは目の前まで転がってきた十円玉を拾い上げて眺めてみる。彫られているのは非常に緻密な模様であり、素材がもっと高価ならば芸術品としての価値を持っているように思えた。
現在、人族の間で使用されている共通硬貨は全てドワーフ製であり、人やエルフには再現できるものではない。銅、銀、金、ミスリル、アダマンタイトを銅貨、銀貨、金貨、白金貨、黒曜貨に加工するのだが、一番簡単な金の加工でさえもこれほど精巧な造りにするのは難しい。
異世界の技術に驚愕しながらも、ユーリスは十円玉を持って青年の元に近づく。
「……っ!」
息を飲むような美貌の持ち主が近寄ってきたことで思わず目を泳がせる青年だが、チラチラとその胸元に視線が行っているのがユーリスにも分かった。お忍びで出かけている時にも似たような視線を向けられるユーリスにとっては慣れたもので、特に気にした様子もなく青年に十円玉を差し出して口を開く。
「落としたわよ?」
「……あっ、はい。ありがとうございます?」
戸惑いながらも受け取る青年。
だが今度はもう一人の高校生の少年がユーリスを見て呟いた。
「……エルフ? いやいや……そんなアホな……うぐっ!?」
ブツブツと呟いていた少年は突然右手で頭を押さえて顔を歪ませる。激しい頭痛と共に、何かが流れ込んでくるような感覚を覚えて思わず膝を着いた。
嘗てクウがこの世界に召喚された時、頭痛と共にユナ・アカツキを思い出したのと同様に、彼も忘れさせられていた記憶を取り戻したのだった。
(―――そうやったな。なんで空と優奈のことを忘れとったんや? 僕の大事な友達やったはずやのに……)
彼の名は鷺宮 煉。
クウとユナの親友である。
クウの親友がようやく登場。
彼の記述はプロローグから出していたのですが、EP95にしてようやく出てきました。えらく回収に時間のかかったフラグですね。
鷺宮 煉は関西弁キャラです。
そしてもう一人の青年はまだ名前を出しません。
この二人の話はしばらく飛んでからになります。
次回から新章スタートです。
お楽しみに!