EP93 神種トレント討伐④
長かった……
今回で決着です。
木の化け物というよりも根の化け物という方が相応しい神種トレント。何度もファルバッサにバラバラにされたおかげで、広範囲に渡って千切れた根や枝、葉が漂っていた。一体どれほどの細胞を今までにストックしていたのか分からないが、恐らくボロロートスの犠牲となったのは並みの量ではないのだろう。植物でも動物でも関係なく生き物から養分や肉体を吸収してしまう《無尽群体》の犠牲となった者たちから得た細胞を使ってボロロートスは今までにないほどの再生を繰り返していた。
”吾輩がこれほどまで苦戦するとは……それにこの奇妙な空間では根を土中に隠すことも出来ぬ”
ボロロートスは憎々しい視線をクウとファルバッサへと送る。先ほど破壊された幹は再生が完了しており、憎悪に満ちた顔の模様を映し出していた。クウとファルバッサもボロロートスの憎しみを帯びた気配を感じ取って気を引き締める。
”弱い割に面倒な相手だ。実につまらぬ”
「そう言うなよ。俺だってわざわざこんな危険で面倒な術式の魔法を組みたくないんだから」
”……暴発させるなよ?”
「そう思うならしっかり守ってくれ」
根本的な実力ではボロロートスを大きく上回っている二人には若干の余裕がある。単に殺せないだけであって、死闘を演じるほどの相手ではない。単に面倒なだけの敵である。それでも一般人にとっては極めて危険な存在でもあるのだ。その能力を利用すれば一国を簡単に落とせるほどの凶悪さである。面倒だからといった理由で放置はできない。
”グオオオオオオオオオオオ!”
口は無いのだがボロロートスは咆哮を上げて無尽蔵とも思える木の根をクウへと伸ばしていく。真っ白なハズの世界が木の根の影で覆われ、クウとファルバッサを包み込むようにして展開されている。このまま放っておけば二人の体はボロロートスの養分として吸収されるのだろうが、当然ながらファルバッサはそれを許さない。
ファルバッサは魔力を翼に覆いながら激しく羽ばたかせる。
”切り刻むがよい『魔風刃』”
ファルバッサが羽ばたかせる度に青白い刃が回転しながら周囲に放たれていく。それも一つや二つでは済まない。一度の羽ばたきで数十もの魔力の刃が放たれ、迫ってくる数多の木の根を次々と切り裂いていく。
これは《魔力支配》に内包されてた《魔力操作》《魔装甲》《魔弾》を組み合わせた技だ。《魔装甲》で翼を覆った魔力を《魔弾》の要領で飛ばすのだ。その際に《魔力操作》を使って刃の形状に変化させる。
威力はそれほど高くはないのだが、木の根を斬り飛ばすには十分だ。それに消費魔力が少ないのもメリットである。ただ、逆にそれほど魔力を消費しないので《魔力感知》ができるボロロートスへの陽動としては使えなかった。故に広範囲攻撃でありながらも使えなかったのだが、ボロロートスがクウに気づいた今ならばそれも気にする必要はない。
”まだまだ行くぞ! 『魔風刃』”
ファルバッサは後ろに控えるクウには当たらないように調整しながら回転する魔力の刃を飛ばしていく。十回も羽ばたけば、数百もの魔力の刃が飛び交うことになるのだ。質量を感じさせたボロロートスの木の根も無残に切り裂かれていく。それでも再生を繰り返して攻めよっていた。
『魔風刃』と木の根……物量と物量の戦いが激しさを増す。
”グルォォォォォォォォ!”
”オオォォオオォォオォ!”
互いに叫び声を上げながら力をぶつけ合う。
ここがファルバッサの幻術空間だからまだ良いが、これが現実世界だったとすれば辺り一帯を更地にするほどの攻防がなされていた。それはファルバッサもボロロートスも一国を危機に陥れるほどの存在だからこそだ。ファルバッサの魔力の刃には一撃で城壁を切り裂くほどの威力は持っているし、ボロロートスの木の根も岩を粉砕する程度の力がある。
そしてそのような激しい攻防の真っ只中でクウは演算を続けていた。
(エネルギーの中心位置固定。それを原点として三次元極座標空間を展開。指定範囲は幻術空間系全てを含むと定義する。距離の変数をrとして重力をニュートンの方程式に従って距離の二乗に反比例すると設定。角度の変数をθおよびφとして球状に重力場形成……完了! 力の向きをベクトル解析して関数化。質量変換公式より質量をエネルギー換算して力の関数と複合し、微分解析してエネルギー流束を関数状態で求める……確定。ダイバージェンスをゼロ固定し、中心位置だけ負に設定する。消滅プロセス設定完了)
膨大な演算で求められた魔法の構成はほぼ完了した。しかしクウも詳しくは理解していない物理法則や数学的解析を利用した術式設定であるため、このままではまず間違いなく発動しない。ここで必要となるのだが詠唱だ。
まず魔法とは一般的に3段階のステップを踏んで発動される。
一つ目が魔力を用意することだ。ここで魔法に必要な魔力を体内で練り上げてより分けるのだ。単純に魔力を増やすほど威力は上がるのだが、その分制御が難しくなっていく。上級魔法とも呼ばれる高威力の魔法では、ここの制御が上手くいかずに失敗するパターンも多い。だが《魔力支配》も持ち、圧倒的なセンスを有するクウならば問題なく行使できる。それでも30分かけて魔力を練り上げたことから、今回の魔法で使われる魔力の多さと制御の緻密さが窺えるだろう。
そして二つ目が演算となる。これが魔法を発動させる上で最も重要な要素となり、正しい法則を使った明確なイメージであるほど魔力の魔法への変換効率や発動速度にも大きく影響を与える。現象に対する正しい知識を持って魔法をイメージし、強く発現を願うことが発動においてはキーとなるのだ。
最後に三つめが詠唱だ。これは二つ目の演算が強力ならば必要のないプロセスなのだが、詠唱の有る無しで魔法の安定性に大きく影響を与える。謂わば詠唱とは演算で賄いきれなかった分を補完することなのだ。言い換えれば、演算がプログラミングだとすると詠唱はデバッグのような位置づけになる。
つまり詠唱によって曖昧な演算を自動的に補完して魔法発動の助けとするのだ。その日の気分や感情も演算には反映されるのでその日その時によって魔法の威力が違う……といったことが起こらなくなる。
演算が完了した今、クウは設定された魔法術式を詠唱によって完全な状態に纏め上げる必要があった。
「『黒き世界の終着点
崩壊する事象の境界
全てを飲み込み、塵と為す―――』」
詠唱を始めた瞬間、不完全なまま魔力だけが世界に干渉された状態だった魔法術式が起動をし始める。クウが初めに指定した中心点が大きく歪んでいき、強大な重力場を形成し始める。
平面閉空間内で不思議な挙動をしていた千切れた枝や葉がピタリと動きを止め、そして新たに出現した巨大な重力場に飲み込まれていく。行きつく先はある一点の場所。木の根をひたすらにクウとファルバッサへと向け続けていたボロロートスも違和感に気付き始めた。
だが魔法はまだ完成していない。
「『―――法則破る異端の黒点
この地に顕現せよ』!」
ここで詠唱は完了する。
完全な状態になった魔法が準備を整えた。後はクウが発動の意思を見せるだけである。
ボロロートスも往生際悪く木の根でクウを捉えようとするが、時すでに遅し。大地を枯らし、村人たちを吸収しつくした醜悪なトレントを滅ぼす魔法は完成した。
「『《特異消失点》』!」
その言葉と共に重力の中心位置の空間が大きく歪む。
そこに現れたのは闇。
光すらも容易に飲み込む最強の闇だ。
超巨大恒星が自らの重力に耐え切れずに崩壊したとき形成されると言われる超重力の天体を元にした超範囲殲滅魔法《特異消失点》。「矛盾」と「重力」を組み合わせて作った伝説クラスの効果を持つ魔法である。通常は既存の物理法則すらも崩壊させる重力によって全てを飲み込むのだが、さすがにそれほどの超重力を発生させるほどのエネルギーは用意できない。そこで考えたのが「矛盾」に含まれる「消滅」の特性を使った疑似ブラックホールだ。重力の中心には触れるとエネルギー保存則すらも無視して消滅させるエネルギー体が設置してある。
つまりすべてを消失させる物体に周囲の物を引き寄せて滅ぼすのがこの魔法の正体なのだ。
”グオ……グオォォォォォォッ!”
《特異消失点》が現れたのは丁度ファルバッサの『魔風刃』とボロロートスの木の根がぶつかり合っていた場所だ。近くにあった木の根は問答無用で吸い込まれ、何も言わさず消滅させる。そして周囲に漂って、収拾がつかない状態になっていたボロロートスの破片も次々と吸い込まれては消えていく。重力に囚われれば逃げ出す術はほとんどない。特に空も飛べず、俊敏値も極端に低いボロロートスではどうしようもないだろう。
叫び声を上げながら抵抗するものの、すでに結果は見えている。
「勝ったな」
”うむ。凄まじい威力だ”
そんな中、激しい重力の奔流にも拘らず涼しい顔をしているクウとファルバッサ。まるで重力など感じられないかのように平然としている。
だがそれもそのはずで、二人には重力が作用していないのだ。
ファルバッサがこの世界を《幻想世界》で創りだした際に、クウとファルバッサだけには重力が働かないように法則を弄ったのだ。もともと空中を飛んでいたので重力がなくても意味がないのだが、普段は感じている力がないのはかなり違和感があった。だからこそ初めに飛翔の調整をしたのだった。
そして重力が変な要素を絡めて挙動してしまうこの閉鎖世界でまともに動くためにも重力は無い方が都合がよかったのだ。普段ならば厳密に世界設定をして現実世界の法則に近づけるのだが、今回は特殊な設定をしたので、それができなかった。これも前日のクウとファルバッサの能力実験で判明したことである。
ともかく全てを巻き込むような超範囲魔法にも拘らず、クウとファルバッサだけには効果がないという非常に都合のよい状態が展開されているのだった。これこそがクウが提案して狙っていた状況。ボロロートスを細胞一つ残さずに滅ぼし、且つ周囲に被害は与えない。
”制御は必要ないのか?”
「問題ないよ。使った魔力が切れるまで発動し続ける。俺が命じない限りは10分ほどで停止すると思うけど……それで十分だろうな」
”ふむ……そうであるな”
二人の視線の先には重力に必死で抵抗しようとするボロロートスの姿。何度もファルバッサに攻撃されて散らしていた体の破片は既に吸い込まれて消滅している。直径がたった一メートルほどしかない中心点だが、それこそが今のこの空間を支配する特異点と化しているのだ。超重力の起点であり、それと同時に「消滅」特性を備えた黒い球体は問答無用でボロロートスを引き込んで存在諸共消していく。
予測不能な法則の働きによって一直線に特異点まで吸い込まれることはないのだが、どちらにせよ特異点で重力が収束しているので逃れることは出来ない。10分もあれば、余裕を持って空間中に存在する物体を喰らい尽すことが可能だった。
”グオオォォォォ! 吾輩は! このような所で!”
ボロロートス自身も理解している。
特異点に吸い込まれたら確実に死ぬのだと。
それは魔物としての本能的な理解だったが、理解できたからと言って抵抗する術などない。防御不可能、抵抗不可能の攻撃なのだから。もしも抵抗するならば《時空間魔法》や《結界魔法》スキルを高レベルで習得している必要がある。空間断絶をして重力を無効化するなどするしかない。そして結界を展開したとしても、しっかり空間固定しなければ結界ごと吸い込まれるので意味がないのだ。
発動段階からして魔力の練り上げと演算に時間が掛かり過ぎて全く使えない魔法だが、逆に発動さえさせてしまえば確実に相手を滅ぼせると考えても良い。尤も、今回のように特殊な状態で発動しなければ自滅してしまう欠点だらけの魔法なのだが……
”グアァァァァァッ! 止めろおぉぉぉぉ!”
超重力によって体を崩壊させながら特異点へと吸い込まれるボロロートスは絶叫を上げながら必死に逃げ出そうとしている。空間を覆いつくすほどに展開されていた根は9割以上消滅しており、本体も半分は吸い込まれて消滅している。《無尽群体》による再生もしているのだが、消滅速度の方が圧倒しているので焼け石に水にしかならない。
そして止めろと言われて魔法を停止するハズがないのだ。もはやボロロートスに消滅する未来しか残されてはいなかった。
”―――――――――――――っ!”
最後に耳を劈くような絶叫を上げるボロロートスだが、その音すらも吸い込まれてクウとファルバッサには聞こえない。そしてそのまま特異点へと吸い込まれていった。
細胞一つ残さない徹底ぶりで完全消滅したのだ。クウの《幻夜眼》で肉体も魂も消滅しないという原則を書き換えたので、《幻想世界》解除後も復活は有り得ない。前日のオーガで実験したので、それは確実だった。
あれ程まで幻術世界を覆いつくしていたボロロートスの木の根はすべて消え去り、真っ白で静かな世界が戻る。ボロロートスを喰らい尽して尚、発動し続けている《特異消失点》が凄まじい重力波を放っているのだが、視覚で認識できるものではないので効果を発揮しているのか疑いそうになるほどだ。この世界では重力無効となっているクウとファルバッサには超重力空間でさえ、そよ風一つ分ほどの力を感じ取ることすらない。
そんな沈黙の空間の中、クウはポツリと呟く。
「出るか」
”そうであるな”
クウの言葉にファルバッサも同意する。
凄まじい量の魔力を消費してしまったため、クウもファルバッサもすっかり疲れ果てていた。本音を言うならばすぐにでも休みたいという思いだったのだが、村での後始末をする必要もある。この後に控える面倒に憂鬱さを感じながら、クウは《特異消失点》を停止し、ファルバッサも《幻想世界》を解除する。
真っ白な世界に亀裂が入った。
今回は物理法則系や数学解析系の話を使いましたが、普通は高校生がそんなことできるわけないです。完全に大学生の基礎範囲ですので、クウは天才だということにしてください。(というかそう言う設定ですし)
ちなみにダイバージェンスは微分解析用の演算子を使った手法の一つです。今回はエネルギーの流れを記述するのに利用しています。
div E=0 ならば、流れているエネルギーが勝手に増えたり減ったりしないということです。これが負の値になると、勝手に減ることになります。つまりエネルギーの消失です。
二次元平面閉空間系の話は適当知識で勝手に考えた設定なので説明しろと言われても難しいです。どこかに似たような話の論文があったので勝手に設定付けてみました。専門家の方が居れば逆に教えて欲しいぐらいですね。