EP90 神種トレント討伐①
村の中央に聳える大樹……例のトレントに向けて歩き出すカバラの背中を見つめながら、リアはクウに小さく声を掛けた。
「やってから言うのは意味がありませんが、ギルドカードの本来の表示を見せては本末転倒ではありませんか? せっかく偽名まで使って、さらに兄様の能力に関する口止めまでしましたのに」
「まぁな。初めは警戒して身分を偽装していたけど、もう面倒だし意味もないからな」
「どういうことです?」
元は追われているクウの所在がバレないように細工することを目的として偽名を騙ったのが始まりだった。何が起こってもどうにでも出来る自信はあったが、トラブルは無いに越したことはない。面倒事が嫌いなクウは、そういった理由も含めて偽装工作をしていた。
だが事情が変わったのだ。
この村に神種トレントがいなかったならば、偽装したままだったことだろう。だが今すぐにでも討伐しておかなければ危険な存在とあっては無視することは出来ない。そして力を隠したまま倒せる敵でもないし、偽装などに余計な精神力を割きたくない。
だからこそ意味が無くなったのだとクウは説明し、さらに言葉を続ける。
「それに俺の能力を言いふらしたら村を滅ぼすってのも嘘だしな」
「そうなのですか? 私は本気なのかと思っていました。クウ兄様は過激ですし」
「いや、やる時はやるかもしれないけど、今回の場合は村長たちに対価を意識させることが主な目的だよ」
「対価?」
リアは不思議そうに尋ねる。
そして同時に昨日の会話を思い出していた。
クウが提案した3つの内容のうち、選ばれたのはクウがボロロートスを討伐するというもの。そしてクウの能力に関する情報を秘匿することだ。
そこまで考えて、リアはクウが返答する前に答えに辿り着いた。
「そういうことですか」
納得した表情を見せるリアにクウも頷き返す。
「そうだ。何もなしにあのトレントを討伐するってのは話が上手すぎるからな。それにそう言っておけば、俺も見た目で実力を判断されないだろうと思っただけだ。何か秘策でもあるように聞こえるだろ?
俺の情報を秘匿するという対価があるように見せかけて、村長たちが3つの提案から討伐を選ぶように誘導してたんだ。初めから俺が討伐案だけを出していたら間違いなく反対されてたと思う」
クウの見た目はとても強者には見えない。
顔つきも幼めであり、背も低いことから女と間違えられることも多々あるほどだ。討伐すると言い出しても粋がった子供の戯言だと一蹴される可能性が高いとクウは考えた。
だが条件をいくらか出して、向こう側に選ばせれば問題ない。
「それに囮の話だって選びやすくさせている効果がある。一見するとリスクを語っているようにも見えるけど、逆に言えば確実性も暗示している。大丈夫だとかいう不確定な言葉よりも、囮と言う形で討伐に自分たちが参加できると分かれば、何となく信用できる作戦な気がしてくるものだよ。
とくに切羽詰まっている状況ではな」
「兄様も以前と変わっているようで変わっていませんね……」
リアはクウの説明に呆れた声を出す。
かつて【ヘルシア】で二人が初めて出会ったときも、クウは今と似たような感じではあった。何も考えていないようで、何十手も先を見据えている。冷たいようで相手に気遣っている。
ファルバッサの試練を乗り越えて迷宮を攻略したことで多少は丸くなっているのだが、本質は変わっていなかった。いや、良い方向にはなっているのだが……
「そんなことは今はどうでもいいさ。それよりもそろそろ始める。リアは念のため村の中で警戒しておいてくれ。こっちは討伐に時間が掛かると思うから」
「わかりました」
リアは自身のアイテム袋から愛用の杖を取り出し、クウは虚空リングから魔剣ベリアルを取り出す。
クウが手慣れているのは刀だが、今回に限っては魔剣ベリアルの凄まじい切れ味を必要としていた。神刀・虚月にも概念切断能力があるのだが、発動には納刀する必要があるのでどうしてもタイムラグが生じてしまう。血を吸って切れ味を強化させていく魔剣ベリアルは、精神値が5,000なければまともに扱えないような呪いの武器なのだが、クウならば余裕で使いこなせる。そして何度も迷宮で魔物たちの血を吸わせてきたおかげで、下級竜種のワイバーン程度なら一刀両断出来るほどに成長していた。単純な攻撃力ならば伝説級の装備品である。
「きたか……」
クウの《気配察知 Lv6》がカバラとボロロートスの接触を感知する。そしてそれと同時に両足に力を込めて飛び上がった。
クウのステータスならば天使の翼を出さずとも超人的な跳躍が可能である。地面を陥没させないように気を遣いながらボロロートスの上空30mあたりを目指したのだった。
◆◆◆
カバラは一歩ずつボロロートスの元へと向かっていた。
もちろん恐怖がないわけではない。だが、それと同時に安心感もあった。
尊大な態度で3つの提案をしてきた冒険者を名乗る少年クウ。いや、名乗った当初はソラと言っていたが、今はどうでもいいだろう。ともかく彼の提案は現実的でないようでありながら、どこか希望を感じさせてしまう要素を持っていた。それも確実性のない夢物語のようで、現実性があるようにも感じられるという不思議なものだった。
残念ながら見事にクウの策に嵌っていたカバラなのだが、結果的には正しい選択をしたのだ。クウが誘導していたとしても、それは誘導でしかない。最悪はカバラが別の案に乗る可能性もあった。
しかし彼は選び取ったのだ。今を歩く勝利への道を……
「トレント……」
”吾輩はただのトレントではない。そして吾輩の名はボロロートスだ。覚えておけ。まぁすぐに吾輩の養分としてやるのだがな”
ガサガサと枝を揺らしながら嗤っているのが件のトレントだ。
神種トレント、その名をボロロートス。《無尽群体》という【魂源能力】を保持し、村を恐怖のどん底に陥れた張本人である。
木の表面に顔のようなものが浮かび上がっており、それが動くことで表情を見て取ることが出来る。だが口は動いているわけではなく、どのようにして声を出しているのかは不明だ。魔物学者たちもトレント種が声を出す要因を研究しているのだが、未だに解明はされていない。
だがカバラにとっては今はどうでもいいこと。問題となるのは討伐できるかどうかでしかない。
そして自分は囮役だ。
カバラは存分にその役目を果たすつもりだった。
「私が今回の生贄だ。煮るなり焼くなりするといい」
そういって堂々と告げるカバラを見たボロロートスは一瞬キョトンとした表情を浮かべる。少しの間だけ沈黙が流れたが、すぐにボロロートスの笑い声が木霊した。
”ふはははははっ! これまでの養分共は吾輩を見て恐怖を浮かべるだけの軟弱者ばかりだったが、貴様はなかなか肝が据わっている。おもしろいぞ!”
ボロロートスは笑い声と共に激しい気配を撒き散らす。神種トレントという謎の種族であり、さらに高レベルのステータスであるボロロートスが放つ気配は並みではない。これが威圧だったならばカバラはそのまま気絶してしまっていたことだろう。
だがカバラはしっかり……いや、何とか耐えていた。
(大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ……)
そう呪詛のように連呼しながら必死で恐怖の心を押さえつけつつ表情を保つ。
それが村長としての辛うじての威厳だった。
そうやって表面上は平静を見せているカバラに、ボロロートスは自らの根を伸ばしていく。普段は地中に張り巡らせているのだが、一週間に一度のこの瞬間だけは全ての根を一度この場所に戻していた。
”さて、では遠慮なく貴様をいただこう”
カバラの周囲を取り囲むようにして地面から木の根が出現し、鳥籠のようにカバラを覆っていく。そして絶対に逃げられないように拘束してから生贄となる人物に根を巻き付け、一週間かけてじっくりと養分を吸収していくのだ。
だからこその一週間という期間。
そしてクウが囮役に危険がないと判断した要因である。
一瞬にして吸収しつくすのだとしたら、危なくて囮役などさせられない。
”では穴を掘るとしよう”
ボロロートスはカバラに巻き付けている以外の根を使って器用に穴を掘り始める。この場所に木の根を巻き付けた生贄を埋めておくのだ。今までの被害者もボロロートスの周囲に埋まっている。尤も、彼らの骨すらも吸収しつくされて残ってはいないのだが。
今回もいつも通り。
何やら強者と思しき存在が村に入っているようだとボロロートスも気づいてはいたのだが、いくらでも再生をする自分は無敵だと信じていた。多少の強者など《無尽群体》にかかれば問題なく処理できると考えていた。
魔物としては知恵のある方であるトレント種でも、力に驕って真の強者を見抜けなかった。そしてそれと同時に油断もしてしまっていた。
その強者は只者ではない。
レベル差も圧倒的でありながら凶悪な【魂源能力】を2つも保持し、ボロロートスよりも遥かに知恵の回る天人。それがクウ・アカツキだ。
「行くぞ、ファルバッサ!」
”了解だ”
上空からそんな声がして初めて気づく。
普段のボロロートスならば感知を全開にして周囲に気を配っていたため、クウが上空へと飛び上がった時点で存在に気付いていただろう。だが今は目の前の生贄に夢中になって感知を怠っていたのだ。
そして簡単に接近と最恐の竜の召喚を許してしまった。
”包まれよ! 《幻想世界》!”
ファルバッサの声と共に白銀色の光が放たれ、周囲を一色に染め上げる。その光を浴びた物を選別してファルバッサが創造した幻術空間に閉じ込める【魂源能力】。
光に飲まれたボロロートスは幻術世界へと引きずり込まれ……
後に残っていたのは茫然としたカバラだけだった。





