EP88 秘策の準備
村長であるカバラの家を出たソラは、そのまま村の出入り口へと足を向ける。昼前にも拘らず、活気のない物静かな様相を見せているが、それは収穫が終わった冬だからというわけではないだろう。主な原因は村の中央部に聳える厄介な魔物のせいだ。
一般に冬の農家には仕事がほとんどなく、春に向けた準備をしたり、家畜の世話をしたり、暇ならば狩りをしたりと気ままに過ごすことが多い。それでも家に篭っているわけではないので、これほど閑散としているのは異常だった。
「まぁ、明日も引きこもってくれているのなら目撃者も減らせるから問題ないんだけどな」
そう呟いて視線を前に向けると、既に村の出入り口の門が見えていた。初めて村に来た時と同じく見張役の男が二人ほど立っている。辺境にある村だけあって、魔物が寄りついてくることも少なくない。彼らはDランクまでの魔物程度なら3人ほどで仕留められるくらいには鍛えていた。
現にゴブリンを仕留めたところらしく、3体分の死体が転がっている。そこから採取した魔石はコルテの一族が売りに行って資金源にしたりもするのだ。尤も、神種トレントのボロロートスのせいで村から出ることは出来ないのだが、それでも長年こなしてきた作業を止める彼らではなかった。
門番の二人は近づいていくソラにも気づいたらしく、ゴブリンを解体する手を止めて立ち上がる。
「見ない顔だな。昨日村に来たとか言う客人か?」
「そうだ」
ソラとフィリアが村に来たのは昨夜であり、この二人とは面識がない。ソラも軽く会釈しつつ男の質問に答える。するとその二人は表情を崩しながら気の毒そうに口を開いた。
「それは災難だったな。まだ若いってのに……」
「村から出ようってんなら止めとけ。奴からは逃げられんよ」
ソラのことを詳しく知らない二人からしてみれば、まさか目の前の人物が世界最高峰の強さを持っているとは思わないだろう。幼さの残る顔立ちに、低めの身長をしたソラはどう見ても子供だ。偽装している身分であるCランク冒険者という肩書も信じるに難い。
この世界に来て見た目で判断されることにも慣れてきたソラは、面倒だとは思いつつも、彼らなりの優しさで忠告しているのだろうと考えて頷く。少し能力の実験をするために村の外に行く予定だったのだが、門番がいるのなら目立った事は出来ないので、素直に戻ることにした。
(いっそのこと村からかなり離れた場所まで行ってみるか? 適当なところで幻術使って姿を隠せば翼を使ってもバレないだろうし)
ソラが素直に村の中へと戻って行ったことに安堵して再び魔石の採取を再開する門番の二人だが、ソラの中では着々と脱出計画が練られていたのだった。
「このあたりでいいか……」
ソラはキョロキョロと辺りを見渡し、《気配察知 Lv6》と《魔力支配》に含まれる魔力感知能力で誰も見ていないことを確認する。今からしようとしているのは幻術による姿隠し。世界すらも騙してしまう《幻夜眼》の幻術能力ならば、空間に作用させて姿を見えなくさせるぐらいは造作もなかった。それでも《気配察知》や《魔力感知》のスキルがあれば見破ることも可能なのだが、村人がそのようなスキルを高レベルで持っているはずもないので気にする必要はない。
「姿を隠せ《幻夜眼》」
本来は口述する必要のない言葉だが、口に出した方がイメージを固めやすいので声に出してスキルを発動する。幻術の内容はソラのイメージに大きく左右されるので、中途半端なイメージでは幻術も中途半端になってしまうのだ。
それでも【魂源能力】である《幻夜眼》はソラの魂からの願いと性質を具現化させたスキルであり、通常の幻術と比べると性能が各段に高い。ソラが望めばその通りの光景を創りだしてしまうのだ。落ち着いた状況で幻術を使うこと程度ならば全く問題ない。
そしてソラの望み通り、その姿は掻き消えて周囲からは知覚できなくなった。いや、感知スキルがあれば知覚できるのだが、それが可能な村人は一人もいない。
「とりあえず10kmほど南に行ってみるか……」
南を選んだことに、特に理由は無い。何となく南の方が暖かそうだと思っただけである。
ソラは意識を背中に集中して3対6枚の翼を顕現させる。銀色に近い灰色の粒子を振りまきながら、ソラは一気に上空まで飛び上がった。後には僅かに輝く粒子が残っていたのだが、ソラの幻術で隠されたそれを見た者は誰もいない。高レベルの感知スキルを所持しているボロロートスは何かが上空へと飛び上がったことに気付いたかもしれないが、空を飛ぶ存在への手出しは不可能だ。
およそ100m程まで上昇したソラは、そこで一旦停止して下を見下ろす。100人そこそこの小さな村は、眼下により小さく映っているだけであり、その周囲には死んだ大地が広がっている。上空からでも観察できる例のトレントもハッキリと見ることが出来たが、今は無視した。どうせ明日には対峙するのだから、今気にしても仕方ないのだ。
ソラは体の正面を南へと向けて翼をはためかせ、一気に加速した。そして南方10km地点を目指しつつ、ソラは再びファルバッサと連絡を取る。
(ファルバッサ、今いいか?)
”どうしたクウよ? 一日に二度も念話をしてくるとは珍しいな。例のトレントの件か?”
(そうだ。ちょっと奴を倒す方法を思いついたんだけど、お前の協力が必要だ。今から説明するから出来るかどうかも判断して欲しい)
”ほう。話してみよ”
(それはな――――)
ソラは……いや、クウは思いついた作戦内容をファルバッサへと伝えながら高速で飛翔する。既に姿隠しの幻術は解除しているので、もし空を見上げれば一条の銀閃が見えたことだろう。飛翔には微量の魔力を消費しているのだが、《魔力支配》に含まれている魔呼吸能力で回収しているので、実質の消費はゼロなのだ。そして物理法則ではなく魔法で飛んでいるので、かなり自由な機動も可能となっている。それに翼と言っても銀に輝く粒子を固めただけなので、伸縮も操作も自由自在である。
そんな物理法則を無視した亜音速飛行によって一分もしない内に10kmを飛行してしまったのだが、ファルバッサへの説明も丁度そこで終わったところだった。
(――――という訳だ。どうだ?)
”ふむ……どうであろうな。恐らく可能だとは思うが修正も必要だ。詳しい話は実験の時にしてやろう。ともかく我を召喚するがよい”
(わかった)
クウは右手の甲に描かれた小さな魔法陣に魔力を流して意識を集中する。かつて迷宮都市【ヘルシア】で召喚して以来の二度目となる召喚だが、今回に限っては誰もいない平原だ。気兼ねなく召喚することが出来る。
「出てこい! ファルバッサ!」
その声と共に右手の魔法陣が拡大して空中に描かれる。そして直径8m程まで拡大した魔法陣からクウの翼と同じ色をしたドラゴンが這い出てきた。煌めく竜鱗は凄まじいプレッシャーを放ち、知性あるその瞳は強く輝いている。100年に一度だけ出現するかしないかとも言われる真竜すらも遥かに上回る、虚空神ゼノネイアの使いの天竜。呪いで弱体化していても、その威風を浴びただけでゴブリン程度をショック死させる程度には威圧を放っている。
「ファルバッサ、威圧を抑えてくれ。実験に使う魔物が周囲からいなくなる」
”む? そうであるな。普段は迷宮で休んでおるから気付かなかったのだ”
「あー、すでに俺の感知範囲からは逃げ切ったみたいだな……」
”悪気は無かったのだ。赦せ。その代わり我の《万能感知》で獲物を見つけて見せよう”
そう言ってファルバッサは意識を沈めて集中する。途端に荒れ狂うようだったファルバッサの威圧が収まり、周囲は凪のようになった。その変化に最も驚いたのはクウだ。凄まじい存在感を放っていたファルバッサの気配が一般人レベルまで低下したのだ。《気配察知》で十分に感知できる程度だが、目を瞑っていればドラゴンだとは判断できない可能性が高い。クウの場合は《魔力支配》があるので、ファルバッサの保有する潜在魔力からドラゴンだと判別できるのだが……
”見つけたぞ……南西に少し行った場所に反応がある”
「オーケー。俺が行って捕獲してくるからお前はくれぐれも動くなよ。せっかく見つけた獲物が逃げてしまうからな」
”心配するな。同じ過ちは繰り返さぬよ”
クウは念を押すが、ファルバッサは問題ないとだけ言って地上に降りていく。本当に理解しているのかは謎だったが、アレでも1000年を軽く生きている古代の竜なのだ。そしてゼノネイアの使い魔をやっているだけあって知性も優れている。気配も小さくしたままであることから大丈夫だろうと考えて、クウはファルバッサに指示された方へと飛翔した。
魔法の力で飛翔しているクウは一気に加速して銀に近い灰色の粒子だけが残っている。今更ながら完全に人間を卒業しているクウであった。
だがそんなクウも同じ化け物クラスであるファルバッサに悪態をついていた。
「ちっ……少し行ったところにいるんじゃないのかよ。あの天竜の距離感覚は絶対におかしい」
音速飛行をするファルバッサの少しはかなり遠い。
獲物を見逃さないように時速60km程に抑えて飛行しているクウは、なかなか目標の獲物を見つけることが出来ずにイラついていた。それでも元からクウの肉体では音速飛行に耐えられないので、どちらにせよ亜音速までに速度を抑える必要があるのだが……
天使となっても元の体は人である。ファルバッサのように竜鱗で包まれているわけではないので、オーバースペックな動作はクウの体を崩壊させることになる。この辺りもステータスには反映されていない要素だと言えた。
それでも飛翔すること約5分。
遂にターゲットらしき魔物を発見した。
「やっとか。あれはオーガの群れだな。さすが辺境だけあってオーガクラスのCランク魔物が群れを作っているのか」
魔物は基本的に本能で活動している。周囲が自分より弱いならば独立しているが、強い魔物で溢れているときは群れを作ることが多い。最弱魔物の代名詞であるゴブリンが群れを作っているのはそのような理由があるからだ。ちなみに上位種のゴブリンキングでも普通のオーガに負けることがある。
ともかくそのオーガが群れを作っているということは、オーガ以上の強さを持った魔物がそれなりにいると言うことだった。
「まぁ、俺には関係ないか」
今のクウのステータスはかなり異常なことになっているのだ。群れを成しているとしても、ただのオーガ程度に負ける要素は無い。
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クウ・アカツキ 17歳
種族 天人 ♂
Lv147
HP:31,829/31,829
MP:30,241/30,241
力 :27,977
体力 :27,842
魔力 :29,431
精神 :36,512
俊敏 :29,961
器用 :29,855
運 :40
【魂源能力】
《幻夜眼》
《月魔法》
【通常能力】
《剣術Lv7》
《抜刀術 Lv8》
《森羅万象》
《魔力支配》
《気配察知Lv6》
【加護】
《虚空神の加護》
【称号】
《異世界人》《虚空の天使》《精神を砕く者》
《兄》《到達者》《指名手配犯》
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迷宮で巨人種のGORILLAを倒したことや、SSSランク冒険者のレインと戦ったことで大幅にレベルアップしているのだが、元から異常なステータスなので変わった気がしないというのがクウの感想だった。
また【称号】で《指名手配犯》というのが追加されていたことだけは納得がいかない部分だったのだが、自らそのように演技したのだから仕方ないと諦めている。
「取りあえず3体ほど確保しておくか……」
バジィッ!
クウがそう呟いた途端に、眼下のオーガの内の3体へと雷が落ちる。もちろん《幻夜眼》による偽りの落雷なのだが、肉体は電気ショックを受けたように痙攣して3体のオーガは難なく気を失った。そして落雷に驚いた他のオーガは驚いて一目散に逃げ出す。
「さてと、じゃあこいつらを運ぶか」
クウは虚空リングから丈夫な縄を取り出して倒れたオーガを縛り、ステータス任せの力技でファルバッサの元まで3体のオーガを空輸するのだった。
そして世界最強クラスの存在達による密かな能力実験が夜まで行われていた。





