EP81 枯れた大地
「一体どうなっているんだ……」
コルテは茫然として呟いた。
丘陵地から見下ろした先に見えたのは、緑豊かな草木が生い茂る中にポッカリとくり抜かれたようにして広がっている茶色の大地だった。恐らくは円状になっているとは分かるのだが、その全容は見渡すことが出来ない。目算では半径だけで数kmはあると思えた。沈みかけの朱い太陽の光に照らされて不気味さが増している。
季節も冬にさしかかり一部の木や草は枯れているのだが、この辺りに分布しているのは常緑樹や常緑草がほとんどなのだ。あれほど広範囲に枯れているのはどう見ても不自然である。
「大規模な火事でもあったのか?」
「まさか……それにしては焼け跡が綺麗すぎますよ」
「だよなぁ」
クウことソラの呟きにコルテは冷静に返す。
いや、コルテは冷静な口ぶりではあるが、内心では大きく動揺していた。
炎が燃え広がったことが原因ならば、焼け跡が円状になることはまず無い。風の動きなどによってかなり歪な形に出来上がるはずだ。あるとすれば、大規模な炎系統の魔法によって一瞬で焼き尽くされた場合のみになる。魔力によって制御されている魔法の炎ならば、燃え広がる前に消すことができるからだ。
「とにかく近寄ってみましょう。どちらにせよ私たちの村もあの方向なのですから」
「ああ、そうだな。俺も周囲を注意しておく。フィリアとリックは一度馬車に戻ってくれ」
「はい」
「……わかりました」
リックはフィリア……つまりリアと共に馬車へと戻っていくが、その目には不安が見て取れた。だがそれもそうだろう。1年弱ほど留守にしている間に故郷の近くで大きな異変が起こっていたのだ。まだ14歳でしかないリックは動揺でいっぱいだった。
コルテの予想より早く、あと少しで目的地である村に到着するところまで来ることが出来たため、暗闇の中を走ることを承知で今日の内に村まで辿り着いていしまおうとしていたのだが、目の前の光景を見て増々その気持ちを強くしていた。
恐らく村も枯れた大地の中に……
村の家族はどうなっているのか? そもそも村自体が無事なのか? 確かめたいことはたくさんあるが、今リックに出来ることはなかった。
「っ!」
そんなリックの気持ちを察してか、フィリアはリックの頭に手を置いて微笑む。歳は近いハズなのだが、リックは母親のような温かみを覚えたのだった。
二人は馬車へと戻り、再び出発する。
先程よりも慎重に、ゆっくりとした速度で問題の場所へと近づいていく。まだ近くに見える木は緑色の瑞々しい葉をつけているのだが、遠くに見える枯れた大地の木は見るも耐えないほどに干からびているのが分かった。どう考えても自然現象では説明が付かない光景にソラも眉を顰める。
そして徐々に近づくにつれて不自然さが増していったのだった。
「おい……若草すら1本もないぞ……」
「大地もひび割れていますね。あの土地だけ水分が抜き取られているみたいです」
「炎魔法で再現しようとすると……草の根ごと焼き尽くして、かつ水分も蒸発させるほどの火力が広範囲で必要になるな。とすると人族の魔力ではまず無理だ。エルフでも不可能だろうな。というか魔族でも無理だと思う」
「とするとSSS級の魔物でしょうかね? この辺りは魔族領にもそれなりに近いですし、強力な魔物が侵入してきたという可能性も……」
コルテはそこで言葉を止めて身震いする。
もしSSS級の災厄クラス魔獣が出現したのならば、彼の村は絶望的といえる。一番当たって欲しくない予想だと言えた。
だが、ソラは首を横に振りながら否定した。
「恐らくだがそれはない。周囲の魔力を感知してみたけど、そんな強力な魔物がいた痕跡はないみたいだ。それにあの大地は焦げてはいないだろ? とすれば炎系の魔法ではないと言うことだ。植物の根すらも焼き尽くすレベルの炎魔法なら大地がガラス化してもおかしくないしな」
「え……? ガラス化? とはなんですか?」
「あー、そうだな……土の中にある水晶の成分が高熱で溶けだして、それがゆっくりと冷え固まることで結晶化することだった気がする。ともかくかなりの高温になるとそういった物が見えるハズだ」
「なるほど。よく理解できませんが、原因は他にあると?」
「いや、魔物という線は有り得ると思う。ただ魔力の残滓を感じ取るというのはかなり繊細なんだ。A級程度の魔物ならば残滓が弱すぎて感じ取ることが出来ないから、もしいるとすればそれ以上のやつだとは思うんだが……」
魔物は総じて体から魔力粒子――魔素――を自然放出している。魔物は体内に魔石を保有しているだけあって、空気中の魔素濃度よりも体内の魔素濃度の方が高く、自然と体外に流出してしまうのだ。魔素も濃度が高い方から低い方へと流れる性質を持っている故に、である。
だがその流出量も極微量であり、かなり強力な魔物でなければ魔力感知をすることは出来ない。ちなみにこの性質を利用して、高ランクの魔物の移動ルートなどを割り出して旅の安全を確保する技術が確立していたりする。
「ともかく日も沈みかけで時間もない。冷静に急ごう」
「ええ、分かっています」
馬車は慎重に枯れた大地へと近づいていき、遂にはその境界までたどり着いた。見れば見るほど不気味な様相を見せる干からびた領域には生きた植物が一つもない。
ソラは馬車を降りて境界に歩み寄り、注意深く観察していく。常に《森羅万象》を意識させつつ、《魔力支配》による魔力感知や《気配察知 Lv6》も併用している。
だが予想通り反応は無い。
「どうですか?」
「何も感じないな。だが分かったこともある。やはりこの枯れた大地は炎が原因ではないようだ。それに魔法が使われた痕跡もない。ということは何かしらの魔物の持っている特異な能力だと思う」
ソラは冷静に分析しながらコルテに情報を伝えていく。
やはり草の根ごと焼き尽くす炎で焼かれたという可能性はなく、どちらかと言えば自然に土地が痩せていったという印象を覚えるソラ。大魔法を使用された形跡もないため、やはり魔物が原因だと結論付けた。
「考えられるとすれば植物系の魔物か……」
「植物系……トレントなどですね」
「ああ、まぁトレントではないと思うけどな」
ソラもトレントとは戦ったことがある。迷宮の50階層からは森林が広がるフィールドダンジョンだったので、そこに生息していたトレントと戦ったのだ。枝を鞭のようにしならせて強力な打撃を放ってきたのだが、大地を枯らすような能力は持っていなかったのだ。
「ともかく魔物が潜んでいる可能性がますます高まった。これほど見晴らしがよかったら見つけやすいだろうけど、注意しておいた方がいいだろうな」
「ええ、もう1時間もすれば周囲も完全に暗くなるでしょうし、気を付けつつ一気に村まで駆け抜けたいと思いますが……その……」
「ん? どうした?」
歯切れの悪いコルテにソラは振り返りつつ聞き返す。見るとどこかバツの悪そうな顔をしており、右手で頭を掻きつつ口を開いた。
「その……ソラさんはどうしてそこまで気にかけてくださるのですか? 話を聞く限りはソラさんの目的地はさらに先のようですし、わざわざ怪しい場所を通過せずとも迂回すればよろしいでしょう?」
コルテの言葉は尤もであり、魔族領を目指しているソラは不気味な枯れた大地を無視しても問題ない。それに最悪はファルバッサを召喚して空を飛んでいくという手段もある。コルテはそのことを知っている訳ではないのだが、確かにソラが気に掛ける必要はないのだ。
だがソラは首を横に振りつつ答えた。
「問題ないさ。単純にこの現象が気になっているだけだしな。それに……きちんと調べた方がいいと俺の勘が言っている気がしてな」
「勘ですか?」
「勘だ」
ようするに何となく気になっているだけなのだが、勘というものあながち侮れない。勘というものは人生で積み上げてきた様々な経験から無意識に判断していることが多いからだ。つまり本能に近いレベルで枯れた大地に警鐘を鳴らしているということになる。
「もう少しだけ確認してから先に進もう。時間もないからな」
「ええ、お願いします」
いつの間にか護衛のようなことをしているソラだが、今更だと考えて目の前の案件に集中する。どこか近寄りがたい雰囲気を纏っている空間と化しているが、ソラは思い切ってその地へと足を踏み込んだ。
歩いた感触は干からびた土地そのもので、土の感触がいきなり堅い乾燥した土へと変化していた。周囲だけでなく足元にも注視ながら1歩ずつ前へと進む。嫌な感じはするのだが、一向にその気配はない。
そしてその感覚は正しかった。
「っ!!」
突然《気配察知 Lv6》に何かが反応してソラは一気に飛びのく。
ガガッ! と音がして見てみると、ソラが立っていた位置から木の根のような何かが突き出していた。もしそのまま立ち尽くしていたら、いとも簡単に貫かれていただろう鋭さが見受けられる。
感覚を最大限まで鋭敏にしていなければ地面から生えてくる攻撃に気づかなかっただろうと考えて、ソラは少しだけ背筋が冷たくなった。
だが木の根の攻撃はそれだけでは終わらない。次々と地面から攻撃の気配がして慌てて回避をしていく。
「ソラさん!」
「大丈夫だ! 少し下がってろ!」
ソラはそう言いつつ魔力を集中させる。
このままコルテの場所まで下がると、馬車ごと木の根の標的にされかねないので撃退するしかない。かと言って得意の刀術は効果がなさそうなので魔法を使用することにしたのだ。《幻夜眼》と双璧を為すもう一つの【魂源能力】であり、ソラだけに許されたユニーク属性【月魔法】。「矛盾」「夜王」「重力」の特性を持つ強力な魔法属性だが、ここでソラが選択したのは「重力」。闇魔法だったころに何度か使ったことのある効果であったため、無詠唱でも十分に発動できた。
「『《圧潰》』」
バゴッ!
通常の10倍近くの重力へと突然変化し、ソラの周囲にある地面が大きく陥没する。急激な変形に耐え切れずに、乾燥して固まった大地が割れてヒビが蜘蛛の巣のように大きく広がった。それと同時に襲い掛かる木の根も尽く潰され、ソラへの攻撃は一瞬で鳴りを潜めた。
「……何とかなったな」
固体は急激な圧力の変化に弱い。
通常の重力をいきなり10倍ほどにされれば、その変化に耐え切れずに圧潰する。深海数千メートルを巡行する潜水艦も、下降する水流に乗って海面から一気に潜水すれば潰れることになるのだ。潜水艦はそういった水流に気を付けながら運航している。
《気配察知 Lv6》に何も反応していないことを確認してソラが馬車へと戻ると、規格外の魔法を見せられてコルテが口をあんぐり開けているのだった。





