EP78 商人の親子
「ふう……」
クウは鋼の長剣に付着した血液を振り払い、静かに納刀する。外敵を駆除した以上は武器を携帯しておく意味もないので、クウはそのまま虚空リングに収納した。
「意外と何も感じないものだな」
「何がですか?」
クウが盗賊相手に無双している間、出番もなく立ったままだったリアが聞き返す。クウとしては独り言のつもりだったのだが、リアには聞こえていたようだ。特に隠すことでもないのでクウもそれに答える。
「いや、実は人を殺すのは初めてなんだよな。もっと嫌悪感とか禁忌感とかあるかと思ったけど、何も思わなかったな。相手が盗賊だってのもあるけど……」
「そうだったのですか? 意外ですね。クウ兄様は見た目に反して過激ですので、人殺しは経験済みなのだと思っていました」
「盗賊は二度目だけど、あの時は俺が殺した訳じゃないしな」
クウが初めて盗賊に出会ったのは王国馬車で【ヘルシア】に向かっていた時だ。その時はBランク冒険者の『風の剣』が居た上に、クウ自身は幻術を使って盗賊たちを同士討ちさせたに過ぎない。直接クウが手を下して殺害したのは今回が初めてだった。
リアもその時の話を聞いて納得する。
「それに俺の元居た世界では……というか国では戦争も盗賊もいなかったからな。散発的に強盗が出没することはあったけど、この世界ほど活発じゃなかったよ。それに魔物もいないからな」
「不思議な世界ですね」
「俺からすればエヴァンの方がよっぽど不思議だ」
魔法という地球には存在しない概念が浸透している世界など、小説やゲームの中にでも入ったような気分だ。それが召喚された当初のクウの本心であったが、すぐに現実世界だと思い知らされた。
魔法も法則の一つ。
魔物は危険生物と同じ。
そう割り切っていなかったら、ゲーム気分で油断して致命的なミスをしていたかもしれない。セイジたちはまさにそのような状態だったのだが、【アルガッド】でアーサー王子に諭されたことで大事に至る前に現実を認識することが出来たのだった。
「まぁ、この話はまた今度にしよう。それよりも野営道具を片付けて移動するぞ」
「どうしてですか?」
「こんな盗賊たちの血で溢れ返ったような場所で寝泊まりするつもりか? それに魔除けの簡易結界があっても、血の匂いにつられて寄ってくる魔物がいるかもしれないぞ?」
「……それもそうですね」
冬の時期だけあって既に空は暗くなっている。少し前までは赤い光が僅かに残っていたが、今では月と星だけが頼りだ。今から移動するのは気が滅入るが、それでも血の匂いが充満した空間で寝泊まりするほど酔狂ではない。リアは素直にクウの言った通りに従った。
とは言っても虚空リングにテントや簡易結界陣などをしまうだけだ。作業にはほとんど時間がかかることはない。すぐに荷物を収納して《光灯》を頼りに移動を開始した。
「それにしても星が綺麗だな」
「そうですか?」
「俺の居た世界では真夜中でも明かりが煌々と輝いていたからな。星の光が塗りつぶされてほとんど見えなかったよ。こんな星空は田舎にでも行かないと見えなかったな」
見上げれば空を埋め尽くすような星の数々。
こうしてみると、やはりクウの知っている地球の星とは違うと思い知らされるのだが、宇宙の神秘は世界が変わっても共通らしい。
異世界の夜空に感動しつつ、リアに地球のことについて語りながら道を進むこと1時間。クウの時計では午後8時を差しているので、そろそろ野営の道具を出して休もうかと話し始めたところ、前方に微かな明かりが見えた。
「兄様……」
「ああ、分かっている。警戒しながら近づこう。相手が誰とも分からないまま寝るのは下策だからな」
クウは虚空リングから再び鋼の長剣を取り出して装備する。先ほど盗賊に襲われたばかりであるため、警戒は怠らない。
クウとリアの視線の先にある明かりは弱々しく、ユラユラと揺らめいている。光魔法による明かりではなく、松明のような光源だと予想できた。焚火にしては火が小さいため、野営の光ではないことは確実だ。クウたちが言えたことではないが、このような時間帯に野営の火を熾していないというのは不審極まりない。
「……向こうもこちらに気付いたようだな」
クウはポツリと声を漏らす。それを聞いてリアが前方を注視すると、松明らしき明かりが機敏に動いていた。恐らくクウの出している《光灯》の光に気付いたのだろう。実際にクウの《気配察知 Lv6》でも相手がそわそわしているのが感じ取れていた。気配の絶ち方が曖昧なことから、戦闘が得意ではないことが見て取れる。
徐々に近づいていくにつれ、馬車が一台止まっているのが見え始めた。月明りと松明の僅かな光源しかないため、はっきりとは見えないのだが、男が二人で何かの作業をしているようだ。
「誰だっ!」
もう少しで顔が認識できるかどうか……というところで向こうの一人が声を張り上げる。その声を聞いてクウとリアは立ち止まった。
気丈に振舞っているようだが、少しばかり声が震えている。だがそれも当然だろう。クウが感じ取った相手の力量程度では盗賊にも負けると思われる。こんな夜に近づいてくる存在に恐怖を覚えるのは当然だった。
クウは落ち着いた様子で静かに答える。
「俺たちは旅の途中の冒険者だ。お前たちこそ何者だ?」
「私たちは商人だ。といっても私と息子で細々とやっているだけだがね」
商人だと言った男の隣には10代前半と思しき身長をしたもう一人が立っており、パッと見た様子では嘘を言っているようには見えない。実際には《森羅万象》で嘘を見抜くことが出来るので、クウだけは男が本当のことを言っていると理解していた。
「リア、お前の冒険者ギルドカードを貸してくれ」
「? いいですよ」
クウは商人を名乗った男には聞こえないようにリアに語り掛け、ギルドカードを受け取る。そして自分のカードも取り出して一瞥してから男の方へと投げつけた。カードはヒュルヒュルと風を切る音を立てて男の足元に突き刺さる。
「それが俺たちのギルドカードだ。確かめてみろ」
男は未だ警戒をしつつも足元に突き刺さったカードを手に取って松明の明かりを頼りに確かめた。
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ソラ 17歳
種族 人 ♂
ランク C
パーティ 夜空の星
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フィリア 15歳
種族 人 ♀
ランク C
パーティ 夜空の星
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クウは咄嗟に《幻夜眼》でギルドカードに幻術をかけて内容を誤魔化した。世界すら騙す究極の幻術能力を使えば、この程度は造作もないのだ。
【ヘルシア】で色々とやらかしてしまった以上は指名手配されている可能性が高い。クウは元の漢字から取ってソラという名にし、リアはフィリアリアから取ってフィリアとした。ランクも本当はSSだが、それほどの高ランクだと目立ってしまうのでCランクに変えておいた。パーティ名は先ほど星が綺麗だと話をしていたので、適当に考えたものだ。
男がクウとリアの偽装済みカードを確かめているうちに、クウは改変した内容をリアに伝える。リアも納得してソラとフィリアという設定に合わせることにした。
「これで俺たちが何者か理解できたか?」
「ああ、済まないな」
男はそう言ってクウとリアの方へと近づいていき、二人のギルドカードを返す。それを受け取って改めて男を見ると、痩せ型で口元に髭を生やしており、どちらかと言えば優男という印象を受ける。身のこなし方からも戦闘能力は低いと感じ取れた。尤も《森羅万象》を使えば全ての能力を見ることが出来るのだが、そうするまでもないとクウは判断した。
「私の名はコルテ。こっちは息子のリック」
「リックです」
コルテに促されてリックと呼ばれた少年も近づいて挨拶をする。それを見てクウとリアも口を開いた。
「俺はソラだ。Cランク冒険者をしている。こいつは俺の妹だ」
「フィリアです。同じくCランク冒険者です」
二人は堂々と偽名と偽の身分を名乗る。嘘を吐くときは相手を疑わせないことが重要だ。クウもリアも表情を崩すことなく真顔でコルテの目を見つめた。
コルテもギルドカードを見た以上は特に疑っていなかったのだが、二人の態度を見て簡単に騙される。基本的にギルドカードを偽装することは出来ないとされているので、まさか相手が指名手配犯だとは夢にも思わない。
「それで俺たちはここに不自然な明かりが見えたから確認に来たんだけど、何かあったのか? 商人を名乗っているにしては護衛もいないし、野営の準備もしていないみたいだが?」
クウがここに近づいてきた理由を告げると、コルテは肩を落としながら溜息を吐いてこれまでの経緯を話し始めた。
野営の準備をしていたところを盗賊に襲撃されたこと。
咄嗟に馬車に飛び乗って逃げてきたのだが、速度を出し過ぎて馬が疲れてしまったこと。
何とか盗賊は撒いたが、現在は周囲を警戒しながら馬を休ませていること。
そしてクウとリアに出会って今に至る……と。
「なるほどな」
「ええ、ですが盗賊から逃げていく時に同じく野営している旅人の側を通り過ぎたものでね。こちらも必至だったのでよく見ていないのだが、もしかすると彼らが盗賊に襲われているのかもしれない」
「ん? 馬車で通り過ぎる……?」
ここでクウは記憶から盗賊襲撃直前に目の前を通り過ぎた馬車がいたことを思い出した。そしてその馬車の御者台に乗っていた男とコルテの姿は似ている……いや、同一人物だ。つまり盗賊を擦り付けられた旅人というのは自分たちのことだったのだと理解した。
「なるほどな。その旅人とは俺たちのことだ。盗賊は全員殺したからもう安全だぞ。さすがに死体の近くで眠りたくないからこちらの方へと移動してきたんだ」
「そういえば襲われる直前に馬車がすごい勢いで通過していましたね。あれはコルテさんの馬車だったのですか」
リアもクウの言葉に納得して大きく頷く。
だがコルテは驚いて聞き返した。
「あの盗賊を倒してしまったのかい? ……いや、君たちはCランクだし有り得るな」
Cランクと言えば冒険者の中でもそれなりに上級者といえる位置づけだ。成人したばかりの年齢であるクウとリアのギルドカードにCランクと記載されていることに少しだけ驚いていたコルテだが、自分たちを追っていた盗賊たちを倒したという話を聞いて納得する。
あの時は必死だったが、今になって思い出してみれば少し見えた旅人の姿は目の前に少年少女と同じだったと気付く。内心では盗賊を擦り付けたことで少しばかり罪悪感を感じていたのだが、こうして無事な姿を確認して安堵する。
そしてこれはチャンスだとコルテは考えた。
「あの、ソラさんにフィリアさん。もしよければ私たちと一緒に野営しませんか? それと実は私たちは盗賊に襲われたときに野営の道具を捨てて逃げてきたのです。幸い失ったのは火関連の魔法道具とテントなのですが、できれば共に野営をしていただけると心強くて……」
もちろんクウとリアがこれに頷くメリットはないに等しいのだが、別に断る理由もない。二人からすれば盗賊を擦り付けられた相手ではあるのだが、大した脅威でもなかったため気にしていなかった。
「別に俺はいいぞ」
「私も構いません」
「そうですか! ありがとうございます」
「ありがとうございます」
コルテは安堵の息を吐いて礼を言う。息子のリックも慌てて腰を折りながら礼を述べた。商人の息子だけあって、そのあたりはしっかりしている。
その日はクウの魔法の光を頼りに4人での野営をしたのだった。





