EP70 日常の終わり
迷宮を脱出した翌日、クウとリアは魔族の領域を目指す旅の準備をするために食料や道具類を買い揃えていた。伯爵令嬢で冒険者としては迷宮攻略しかしたことのないリアや、王国馬車の旅しかしたことのないクウはテントを初めとした冒険者の必需品を何一つ持っていなかったのだ。
「こっちの魔物避け簡易結界魔法陣は必要だな。2人の旅になる以上は夜の見張も難しいし」
「空間拡張が付与された水筒も持っておいた方がいいですね。私たちは水魔法が使えませんから、水の備蓄も必要です」
迷宮攻略を売りにしている都市だけあって、この手の道具を取り扱う店は少ないのだが、それでも1店ぐらいはある。普通よりも少し高い値段設定ではあるのものの、迷宮攻略で荒稼ぎしたクウとリアならば問題なく買うことが出来た。
「一応だけど調理道具も買っていくか? どうせ虚空リングにいれたら荷物にならないしな」
「そうですね……自分の保存食や水筒は私のアイテム袋に入れておきましょう。その他の基本的な道具類は兄様が収納してください」
「ずっと一緒にいられるとは限らないからな。何かの事故で離れることもある可能性もあるし、最低限のものはリアが持っていたらいいだろ。大きな荷物や生の食材は俺が保管する」
クウはそう言いつつ、金を払ったばかりのテントや魔除けの道具、ランタンなどに手を触れて虚空リングに収納していく。その際それを見た店主は大いに驚いていたのだが、クウが迷宮で手に入れた収納系魔法道具だと説明すれば納得していた。
商人としてその手の魔道具は喉から手が出るほど欲しいものだが、この街では有名なSSランク冒険者に手出しするつもりはない。冒険者のSランク越えという存在はそれほどに圧倒的なのだ。
そんな店主に見送られつつ店を出た二人は、再び商店が立ち並ぶ通りを歩き始める。
「後は何か必要なものはあったか?」
「服や着替え類も十分ですし、基本的な道具も買いましたからね……」
「じゃあ、残った時間は遊ぶか? ずっと迷宮攻略ばかりだったし、リアだって少しは羽を伸ばしたいだろう? 丁度これから昼時になるし、屋台で買い食いしながら露店でも見て回るか?」
「え?」
リアは驚いたような顔をする。
もともと迷宮にも街の外にも行く予定のなかった今日の二人の服装は、昨晩に着ていたゆったりとした私服だ。その状態で街を練り歩くと言われれば、それはデートなのではないか? と考えてしまう。
リアとて元は貴族の令嬢だ。その手の恋愛小説は幾度となく読んだことがある。
「どうした? 嫌か?」
固まったまま顔を紅くするリアに、クウは怪訝そうな表情で尋ねた。リアは慌てて取り繕うようにしながら答える。
「い、いえ。そんなことを言われたのは初めてですので……」
「ん? そうか。リアも貴族だったし、庶民の街で遊んでまわるって経験はないのか」
そう言いながら、クウは早速とばかりに近くの屋台でクレープのような食べ物を買ってリアに手渡す。小麦と豆を使った生地に野菜と香ばしく焼いた鶏肉を挟んだ食べ物で、買い食いの経験がないリアとしては新鮮なものだった。
クウも同じものをもう一つ買って見本とばかりに齧り付く。
シャキシャキとした野菜と香辛料の効いた鶏肉の旨味が口いっぱいに広がり、次いで生地の香りが鼻を突き抜ける。食べた瞬間から後味まで計算されたそれは、あっという間にクウの胃袋に収められた。
「ふーん、鶏肉を一旦漬け込んでから焼いているのか。しかも焼き鳥の要領で遠赤外線を利用した完璧な焼き方だな。中までじっくりと火を通したことで、柔らかさが増している。生地にも癖の強い豆を使うことで具材に負けないように工夫しているな。しれっとヨーグルト風味のソースが幅を利かせている。
リアも食べてみろよ」
「あ、はい」
プロも顔負けの感想を言い放つクウに唖然としながらも、リアは勧められるままに一口。
ナイフとフォークを使ってテーブルマナーに気を遣いながらする食事をすることになれているリアとしては違和感のある食べ方なのだが、ここ数か月で庶民慣れしてきたために抵抗自体はない。
クウの言った通り、肉も柔らかく味付けも満足できる一品だ。
おいしそうに食べるリアを見て、それを売っていた屋台の店主も嬉しそうに二人に話しかけた。
「どうだい? ウチのトーリャは? うまいだろう」
「トーリャ? ですか?」
「ああ、この料理の名前さ。俺のオリジナルで自慢の一品なんだ」
胸を張りながら自慢げに語る店主を見て、クウはふと悪い顔をしながら話しかけた。
「この鶏肉……4種類のハーブと3種類の香辛料が使われているな。焼き方も気を遣っているみたいだが、この下味がおいしさの秘密のようだ。そしてハーブと香辛料の名前は……」
「待て待て待て待て! お前さんはちょっと黙れ。企業秘密だから……な?」
「もう一つサービスしてくれ」
「分かったから誰にも言うなよ?」
店主は冷や汗を流しながらクウにもう一つトーリャを手渡す。
ちなみにクウはハーブと香辛料の名前までは分かっていない。ただ香りからそれだけの種類のものが使われていると判断しただけだった。相変わらず無駄に高いスペックをどうでもいいことに使うクウに、リアはすっかり呆れかえった。
「クウ兄様も悪戯はほどほどにしてくださいよ?」
トーリャの屋台から離れつつ、リアはクウにジト目を送る。
一方のクウは気にした様子もなくサービスで貰ったトーリャを頬張るのだった。
◆◆◆
街の広場にあるベンチに腰かけて休憩する二人。
3時間ほど通りを歩きながら街を見て回った先にあったこの場所には、光神教の教会が建っている。地方の教会は司祭を中心として活動しており、多くの信徒が祈りのために訪れていた。
そんな教会を出入りする人々を眺めながら、クウはふと考える。
(結局のところ、光神シンってのは何がしたいんだ? ゼノネイアだって悪神だとか呼ばれているけど、実際は普通だったしな。何かしらの嘘をついているのだとしても、迷宮攻略を推奨する意味がわからない。もし攻略してしまったら真実がバレる訳だしな……)
実際に史実では約1000年前から迷宮攻略はされ続けている。
だが、3つある内のどの迷宮も途中から攻略させる気がないとしか思えないほどの難易度になっていくのだ。
虚空迷宮ならば幻術の効果でまともに攻略できず、武装迷宮にしても武具の献上で要求される品が難しくなっていく。HPを吸収する運命迷宮も徐々に吸収速度が上がっていくので攻略どころではなくなるのだ。
あらゆる強者がこの壁にぶつかり、諦め、そして世代交代していく……
それの繰り返しなのだ。
(神は見込みのある者に仮の加護を与えて【固有能力】を発現させると言っていた。そして俺の例からすると、その【固有能力】こそが攻略の鍵になる可能性が高い。つまりは光神シンも加護を受けていない一般人では攻略不可能だと分かっていて攻略を推奨している……?
訳が分からんな……《光神の加護》を持っている清二に迷宮攻略させるのは自分の天使を作るためだろうけど、清二の挑んでいる武装迷宮って光神シンの迷宮じゃないよな。どちらかと言えば武神テラの迷宮っぽい)
真実を知ったからこそ見えてくる矛盾点。
一日経って落ち着いてきたが、相変わらず分からないことだらけなのだ。虚空神ゼノネイアの言った通り、情報の制限がない神界を開いて全てを聞くしかないのだろう。
ますます魔王に会わなければ、とクウは意気込みを高める。
一方のリアはそんなクウの内心に気付くことなく話しかけた。
「クウ兄様、そう言えばギルドには顔を出さないのですか?」
「ん? ああ、ギルドか……」
思考の海を漂っていたクウは意識を引き上げる。
二人は迷宮から帰還して一度もギルドに行っておらず、ギルドカードも見せていないのでクウが100階層まで到達したことにはバレていない。もっとも有名人の二人が迷宮から出てきたというニュース自体はギルドまで伝わっているのだが……
「ギルドに行ったら100階層まで攻略したことに気づかれるから止めておこう。多分だがあそこで見たり聞いたりしたことを話したところで信じて貰えないだろうしな」
「私はすぐに信じましたよ?」
「リアの場合はファルバッサの話も聞いていたからな。それに俺のステータスも見せたんだから素直に信じられたんだろ? ギルドで俺のステータスを開示したら『悪神の手先だ!』とか言われて面倒に巻き込まれる未来が見えている。今日は宿に泊まったら、明日の朝にはこの街を出ようと考えているぞ?」
なるほど、とリアは頷く。
クウのステータスを見せて天使だと証明できれば、迷宮の真実を多少は信じてくれるかもしれない。だが問題は虚空神……つまり悪神と呼ばれる虚神ゼノンの天使であるということだ。下手をすれば真っ先に捕獲、もしくは討伐対象にされかねない。
せめて善神の天使だったならば良かったのだが、そのようなことを言っても仕方がないだろう。
真実を隠すにしても、一般的には迷宮を攻略することで封じられている善神が解放されることになっているのだ。作り話の報告をするくらいなら、いっそ最初から報告に行かない方が労力も少ないというものだ。
「だからリアも【ヘルシア】に心残りがあるのなら今日の内に片付けておけよ? なんなら俺も付き合うしな」
クウはそう問いかけるが、リアの返事は首を横に振るだけだった。
リアとしては最後に母親や、長く世話になった女騎士のステラ、メイドのアンジェリカとレティスにも挨拶ぐらいはするべきかと思ったが、今の自分は平民の冒険者だ。契約書まで書いて伯爵家と縁を切ったのだから会いに行くことは難しい。
それなら今の家族であるクウと二人の時間を過ごす方を選ぶのだった。
「そうか……それならもう少しこうしてゆっくりしよう」
「はい」
まだ空は赤くなっていないが、日は傾き始めている。クウが召喚当初から身に着けている腕時計を見ると、針は10時を差していた。
(そうだった。ファルバッサの幻術空間にいたときに止まってしまったんだった。夕刻の鐘が午後6時を表しているみたいだし、その時になったら合わせるか……っ!?)
クウが時計から視線を戻そうとした時、ふいに高速で迫る魔力塊を感知した。
「ちっ! 魔障壁!」
咄嗟に魔障壁を張って飛来する魔力の塊から身を護る。
ガガッ!
クウの張った魔障壁にぶつかった途端に白っぽい光を散らしながら飛散したそれを見てクウは呟く。
「魔弾……か?」
「その通りだよ」
クウの言葉に答えるように聞こえていた声の方へと目を向けると、そこにはひょろりと背の高い緑髪の男が立っていた。いや、雰囲気からは男と分かるのだが、その見た目は中性的な美貌を誇ると言ったところか……
男はクウの方へと右手を突き出しながら笑顔で立っていたのだ。
「えっ?」
何が起きたか分からずにクウとその男を交互に見るリア。クウとしてはいきなり攻撃してきた目の前の男は敵として認識していたのだが、リアはまだ理解できていなかった。
口を開こうとしたリアを遮るようにして緑髪の男は話しかける。
「クウ・アカツキだね?」
「……ああ」
マイペースながらもどこか油断ならない雰囲気を放つ男に、クウは警戒心を露わにしつつ答える。あからさまに警戒された男は肩を竦めるが、すぐに元の笑顔に戻って口を開いた。
「僕の名前はレイン。SSSランク冒険者、『覇者』のレインだ。
君を捕まえに来たんだよ。虚神ゼノンの使者君!」
「っ!?」
レインは街中にも拘らず腰のレイピアを抜き放ってクウへと刺突する。
最強の冒険者、『覇者』のレイン。
彼の牙が今、クウへと向けられようとしていた。
運命迷宮の特殊効果はHP吸収だけに変更しました





