EP68 動き出す世界
王の執務室。
煌びやかな豪華さよりも実用性を重視した造りであり、ルクセントが長時間仕事をしていても疲れることのないように配慮がなされている。執務机には大量の書類が山積みにされており、各部署から寄せられた必要書類に許可や不許可の印を押していく。ただそれだけの作業ではあるのだが、王国にまつわる全ての事項をルクセントが一人で判断しなければならないというのは精神的な負荷が大きかった。
だからこそルメリオス王国の宰相であり、ルクセントとも友人関係であるアトラスの補佐は必要不可欠だった。
「アトラス、この軍事関連の書類なのだが経費がやけに多くないか? 特に武器の新調はしていなかったはずなのだが?」
「どれですか? ……ああ、これは少し前に騎士団の訓練場を修繕したからですね。ここの欄に経費の詳細説明が抜けています。軍事課に書き直させましょう」
「そう言えばそうだったな。セイジ殿たちの訓練で随分と損傷してしまったのだったか?」
「ええ、主に魔法使いの……リコ殿の魔法のせいですね」
アトラスはため息を吐きながらその書類をルクセントに返す。ルクセントは手早く修正箇所を記して隣へ置いた。この書類は再び軍事課に返却されたのちに、正しい書類になってルクセントへ届けられることになる。
ルクセントは次の書類を手に取って目を通し始めた。が、そのとき、ふいに執務室の扉がノックされた。
コンコン
その音を聞いてルクセントも手を止めてアトラスの方へと目配せする。アトラスもそれに頷いて扉の方を向きながら声を張り上げた。
「何用か?」
「はっ、自分は城門の警備を担当している衛兵であります。実は光神教の大司教であられるパトリック様がお見えになっておられます。陛下と宰相閣下だけで機密の話をしたいと……」
ルクセントはその言葉に眉を顰める。
光神教のトップであるパトリックが直々に王城までくるというのは神託に関する場合だけだ。以前も3つの召喚陣に関する神託で王城まで訪れたことがある。
しかも機密の話ときたのだ。ここまで来れば、厄介な事を持ち込まれたと予想ができる。
どうします? と目で問いかけるアトラスに、ルクセントもこめかみを手で押さえつつため息を吐く。当然ながらパトリックをこのまま帰すわけにはいかないのだ。迎えるしかない。
仕方ないと思いつつルクセントが答える。
「すぐに執務室へ通せ!」
「はっ!」
衛兵の身に着けた鎧がガチャガチャとたてる音が遠ざかっていく。
そしてルクセントはすぐに執務机に設置してある呼び出しの魔道具を使ってメイドを呼んだ。メイドは30秒もしない内に執務室へと到着し、扉をノックしてから入室する。
「失礼します」
洗練された動作で一礼するメイド。
だがルクセントは目もくれずに書類仕事をしながら指示を出した。
「これから執務室に来客がある。3人分のお茶の用意をしておいてくれ。あと執務室を出ていく時に周囲の人払いも頼む」
「はい、かしこまりました」
メイドはピンと背筋を伸ばしたまま執務机の手前にある応接セットを整えていく。執務室ゆえに簡素な机を挟み込むように黒革張りのソファがあるだけなのだが、王室の品だけあって白金貨数枚はするような高級品だ。
初めに軽くホコリをぬぐい取ってからソファの皺を伸ばし、机も一通り拭いていく。そして執務室に備え付けてあるお茶のセットを机に並べる。新鮮な水を作りだす水差しの魔道具から湯沸かしの魔道具へと水を注ぎ、魔道具を起動させる。お湯が出来るまでの間、メイドは茶葉と3つのカップを用意しておいた。
数分してお湯が沸くと、それを一旦冷まして60℃ほどにしてから茶葉に注いでいく。もちろんメイドには正確な温度は分からないのだが、そこは慣れと勘で見極めるのだ。
低温のお湯でじっくりと茶葉の風味が染み出るのを待って、準備しておいた3つのカップに同じ量だけ注いでいく。そしてメイドがお茶を丁度準備し終えた時、執務室にパトリックがやってきた。
「陛下、パトリック様をお連れしました!」
「入れ!」
ルクセントはそう言いつつ手早く目の前の書類を処理してペンを置く。そして入ってきたパトリックの方へと顔を向けて立ち上がりながら出迎えた。
「パトリック大司教、王城まではるばるご苦労。まずはソファに腰かけてお茶でも飲みながらくつろいで欲しい」
「うむ、ではお言葉に甘えましょうかの」
パトリックはお茶を用意したメイドに案内されて来客用のソファへと座る。ルクセントも執務机から離れてパトリックと向かい合うように腰かけた。宰相のアトラスもルクセントの隣へと座る。
本来は国王の隣に座ることは許されないのだが、今は公の場ではないために友人として接していたのだ。ルクセント自身もお茶を3人分用意させたところから、国王公認であることも窺える。
その光景にメイドも、パトリックを連れてきた衛兵も思うところはあるのだが、それに口出し出来るはずもない。2人は大人しく執務室を後にした。
執務室にはお茶の香りが漂っており、それにつられてパトリックはカップに口をつける。大司教と言えども貴族のような生活をしているわけではない。滅多に飲めないような芳醇で香り高いお茶に驚いたような顔をする。どこか焦っていたような険しい顔も緩み、それを見てルクセントも話を切り出した。
「それで大司教。今日はどのような案件で参られたのだ? 話を聞いた限りでは緊急かつ機密性の高い内容だとは分かるのだが?」
ルクセントがそう聞くと、パトリックは再び険しい顔つきになってカップを机に戻す。そして真っすぐにルクセントの顔を見つめながら口を開いた。
「先ほど光神シン様より神託が降りました」
「やはりか」
「それもかなり深刻な内容のようですね」
予想はしていたが、こうして直接聞いてみると厄介な香りがする。それがルクセントの今の気持ちだった。チラリと執務机に積まれた書類の山に目を向けてため息を吐く。
パトリックもそんな王の姿を気の毒そうに眺めるが、それでも今回の神託の内容は伝えないわけにはいかない。
「陛下は巻き込まれて召喚されたという少年を覚えておりますかな?」
「うむ、覚えておるぞ。彼には悪いことをした」
「神託は彼に関するものなのです」
「……なんだと? もしや異世界への帰還方法か!?」
ルクセントは身を乗り出してパトリックへと問いかける。
クウが地球への帰還方法を探すために一人で旅に出たというのを覚えていた。何故か上級迷宮として知られる虚空迷宮で異常な攻略を見せてはいるが、元は勇者でも何でもない少年だった。と、ルクセントは思っている。
だが興奮して問いただすルクセントに、パトリックは首を横に振りながら答えた。
「いいえ、今回の神託は恐ろしい……いや、信じられないような内容だったのです。国を揺るがしかねないような神託であったため、信徒たちにも発表しておりませぬ」
「……どういうことだ? 国を揺るがしかねないだと?」
先ほどとは打って変わって険しい顔つきのルクセント。
パトリックもどこか躊躇いつつも、教会地下で見てきた内容を口にした。
「聖なる光の石板に書かれていた神託はこうです。
『召喚者、クウ・アカツキを捕らえてこれを処刑せ
よ。
彼の者は悪神である虚神ゼノンの手先である。彼
の者は魔の領土へと向かい、裏切りの召喚者である
ユナ・アカツキと共にこの地に災いをもたらすだろ
う。
すぐに3つ目の召喚陣を起動するのだ。』」
「バカな!」
「どういうことです!?」
ルクセントとアトラスは同時に叫んで立ち上がる。
2人共、召喚を実行した日にクウのステータスは見ている。平凡な能力値にスキルは《剣術 Lv2》だけだったのだ。悪神の使いだとは思えないほどに弱い。
だがここでルクセントは少し前に見た報告書の内容を思い出す。
(確かクウ・アカツキは虚空迷宮の80階層を突破したのだったか……もし、王城を出た後に何かしらの力に目覚めていたのだとしたらそれも納得できる。そしてそれが虚神ゼノン由来の力だとすれば……)
実際にはステータスを偽装していただけなのだが、ルクセントはクウが何かしらの力を虚神ゼノンから得たことで凄まじい迷宮攻略を見せているのだと確信した。
そしてユナ・アカツキの存在。
実は密かに関係性を疑っていたルクセントなのだが、クウの普通すぎるステータスを見てその心配も彼方へと忘れ去っていたのだ。
(もっと慎重になっていれば……)
後悔しても既に遅い。
ルクセントはこめかみを押さえながらソファに座り直す。それを見て一緒に立ち上がっていたアトラスも腰を下ろした。
クウの処刑。
勝手に呼び出しておきながら、都合が悪くなった途端に掌を返すというのはルクセントには許容しがたいことだった。だが、放置しても国に災いをもたらすという。
人としての決断をするべきか、王としての決断をするべきか……
悩む意味はないと分かっていながらも、ルクセントは悩まずにはいられなかった。
「……アトラス、確か『覇者』のレインは王都に来ていたはずだな?」
「は、はい。しかし陛下、まさか……」
「うむ。世界に1人だけのSSSランク冒険者、『覇者』の二つ名で知られるレインを派遣する」
SSSランク冒険者の派遣。
ルクセントの言葉にアトラスもパトリックも絶句する。
何を大袈裟な! という思いの2人なのだが、ルクセントだけはクウがSSランク冒険者にまで上り詰めているということを知っていた。そしてわざわざSSランク冒険者ではなく、SSSランク冒険者を派遣しようとしたのには別の理由もある。
「出来ればクウ殿のことは捕らえておくだけにしたい。それにクウ殿が魔族の領土に行くことによってこの国に災いが訪れるのだとすれば……言い聞かせてこの国に留まらせることで神託の内容を回避できるかもしれぬからな」
これが最大限の譲歩だった。
それに神託にも『捕らえて処刑せよ』とある。つまりクウを捕獲してから話をすることぐらいは許容範囲であるというのもある。
(それにクウ殿は虚空迷宮を攻略しているという。善神を開放するような行為をしているのだから、虚神ゼノンの手先として何かをしているわけでもないだろう)
神の力と迷宮の真実を知らないルクセントだが、その勘違いが彼に穏便な手を取らせる決断をすることを助けていた。
そしてもう一つの神託の内容も国にとって重要な案件だった。
「3つ目の召喚陣の起動……これも目下の問題だな」
「そうですね。すぐに準備をしても1か月はかかります」
召喚陣の起動。
これには莫大な魔力を必要とするのだ。
1度目の召喚では、それを知らずに当時の宮廷魔導士筆頭が起動し、魔力どころか生命力すらも削ってしまうという事態に陥った。結果として召喚は成功したのだが、宮廷魔導士筆頭は衰弱死してしまった。
2度目は前回の反省を活かして魔力を魔石から取り出して使う魔道具を、王女のアリスを初めとした近衛騎士15名が全員使用してギリギリ召喚することが出来た。
召喚魔法陣を起動するにはその魔道具の準備をする必要がある。
「とすれば、冒険者ギルドに連絡してSSSランク冒険者レインに指名依頼を。それと召喚に使用する魔道具と魔石の準備をするために書類を作成せねばならんな」
「その前に貴族たちに3つ目の召喚陣を起動する旨を伝えなければならないのですが……」
「うむ……そうだな……」
ルクセントは腕を組みながら思案する。
他の貴族に断りなく召喚陣を使ったところで、王であるルクセントに意見できる道理はない。だが、だからと言って勝手に起動させるのは貴族の面子が許さないだろう。もしそうすれば、ルメリオス王国で自分たちが軽んじられていると捉えられるのだから。
「仕方ない。神託で召喚陣を起動するように言われたのだと説明しろ。クウ殿の件についてはここにいる3人だけの極秘事項とする。よいな?」
「はっ!」
「承りました」
「王都からクウ殿のいる【ヘルシア】までは1週間ほどかかる。アトラスはすぐに冒険者ギルドへ連絡して指名依頼の調整をしてくれ。報酬はある程度向こうの要望を聞いても構わん」
「すぐに取り掛かります」
3人は頷き合って互いに行動を始める。
ルクセントは召喚陣起動のための書類づくりを。
アトラスはレインを雇うために冒険者ギルドへ連絡を。
パトリックは信徒たちのもとに戻っていつも通りの活動を。
誰も気づかないところで、世界は動き出そうとしていた。





