EP66 リアの加護
「遅いですね……」
”リアよ。そう焦るな”
この会話もとうの昔に10回を超えた。
気が長く、我慢強い性格のファルバッサでもさすがに飽き飽きしてくるほどに繰り返した問答だ。心配性のリアにファルバッサもすっかり呆れかえっていた。
ここは虚空迷宮の90階層。乾いた大地と火山のフィールドフロアであり、攻略者に最後の試練を与える場所でもある。つい1時間ほど前までクウもファルバッサの試練を乗り越えたところだ。そして100階層のゼノネイアの待つ空間まで行くことを許されたのはいいものの、リアだけは留守番することになった。心から慕っているクウが帰ってこないのはリアの精神を著しく不安定にさせていたのだ。
(ふむ、このままではクウと同じような道を辿りかねないな。リアは自分の本心を理解し、クウもリアの想いを察してやれば良いものを……)
長きを生きるファルバッサは、リアのクウへの感情が兄を慕う気持ちだけではないことに気付いている。デリケートな問題ゆえに、あえて口出しはしないのだが……
(……っ! 来たか!)
その時、ファルバッサは空間が湾曲したのを確認した。この特別領域で空間を弄れるのはファルバッサの主である虚空神ゼノネイアのみ。つまりそれはクウの帰還を示していた。
ファルバッサはおもむろに首を動かして異常を示している空間の方へと目を向ける。つられてリアも同じように目を向けると、次の瞬間には光と共に黒い何か……クウが姿を現した。
「っと、帰ってきたか」
空間転移の浮遊感から解放されて少しだけバランスを崩すクウ。それでも倒れることなく持ち直して顔をリアとファルバッサの方へと向けながら口を開く。
「ただいま」
「おかえりなさいです、兄様」
”ふむ、力は得てきたようだな。遂に我の《竜眼》ではお主のステータスを見ることは叶わなくなってしまったか”
リアは帰ってきたクウのもとへと走り寄ってその体に抱き着く。突然のことで驚いたクウだが、それでもしっかりと抱きとめて頭を撫でた。
美しい栗色の髪をサラサラと触りながらクウは内心で苦笑する。
(リアもすっかり俺に甘えるようになったな。90階層に入る前はそうでもなかったのに)
クウはそう思いつつ《森羅万象》を発動してファルバッサとリアを視認する。世界のあらゆる情報を開示する最上位スキルは今までクウに隠してきた内容を映し出した。
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ファルバッサ 1744歳
種族 天竜 ♂
Lv122 (弱体化)
HP:16,890/16,890
MP:20,450/20,450
力 :12,599
体力 :10,372
魔力 :12,281
精神 :18,957
俊敏 :11,762
器用 :9,872
運 :48
【魂源能力】
《幻想世界》
【通常能力】
《竜息吹Lv7》
《竜圧Lv8》
《竜眼》
《万能感知Lv8》
《自己再生Lv6》
《魔法反射》
《魔力支配》
【加護】
《虚空神の加護》
【称号】
《虚空神の使い》《幻想竜》《迷宮の守護者》
《到達者》
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《幻想世界》
白銀のオーラを放出し、触れた存在を幻術
世界に閉じ込める。その幻術世界において
は魂も体も滅びることが無く、ファルバッ
サが許可を出すか、予め設定された幻術世
界の崩壊方法を実行しなければ脱出するこ
とは不可能となる。
弱体化
レベルダウン、ステータスダウンの呪い。
この状態異常が掛けられている間はレベルが
半分になり、レベルアップをしなくなる。ま
た基礎ステータス自体も低下する。
解除するためには呪いをかけた本人が効果の
消失を願うか、同等以上の解呪スキルが必要
となる。
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リア・アカツキ 15歳
種族 人 ♀
Lv119
HP:6,714/6,714
MP:7,412/7,412
力 :5,014
体力 :5,156
魔力 :6,003
精神 :6,169
俊敏 :5,741
器用 :6,222
運 :31
【固有能力】
《治癒の光(神による下位変換化)》
【通常能力】
《礼儀作法Lv4》
《舞踊Lv4》
《杖術Lv5》
《炎魔法Lv7》
《光魔法Lv7》
《回復魔法Lv7》
【加護(神による秘匿)】
《運神の加護》
【称号】
《運神の使徒(神による秘匿)》《元伯爵令嬢》
《魔法の申し子》《妹》《到達者》
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(なるほどな。確かにゼノネイアの言った通りだったようだ)
クウはファルバッサの【魂源能力】を確認し、ついでに弱体化についても情報を得る。レベルダウンとステータスダウンという聞いたこともない呪いにクウは驚いた。
呪いとは付与属性魔法に属するのだが、普通の魔法でそのような呪いを再現できるとはとても考えられない。つまり……
(【固有能力】だな……)
高位の存在からの加護によって得ることの出来る借り物の能力。だがその力は余りに強大だ。クウ自身も体感しているのだから間違いない。
つまりファルバッサに弱体化を掛けた者の背後には神か、それに準ずる存在がいるということだ。ゼノネイアの口ぶりからすれば敵対しているのは間違いないと分かる。
(だがそれよりも問題なのはリアのほうだよな)
クウは思い出す。
ゼノネイアがリアの加護は神によって秘匿されていると言っていたことを。
その理由は禁則事項であったために知ることは出来なかったが、何かしらの理由で加護が隠されていることは間違いない。
(この件についてはリアにも保留だな。魔王に会って神界で詳しい話を聞くまでは俺の心の内に秘めておくことにしよう)
運神アデルの加護。
それがリアに与えられたものだ。つまりリアも真名の加護を受けることによって天使化するということになる。
ゼノネイアの言葉から察するに、神々は仮の加護を与えた者たちに迷宮へと挑戦させたがっているという節があった。だが、加護を隠してしまうと迷宮及び神と自分との関係性に気付かないまま一生を終えかねない。つまり迷宮へ挑む可能性が著しく低下するのだ。
「そのリスクを負っても尚、秘匿することを選んだ理由は……」
「クウ兄様?」
思考の海に浸りながらブツブツと呟くクウを不審に思ってリアは声を掛ける。だがクウは集中しているのかリアの声にも気づかない。
リアは仕方なく顔を近づけて掌でクウの頬を軽く叩きながら呼びかけた。
「クウ兄様、どうかしましたか?」
「……だがその可能性は……ん? 何でもな……って顔が近い!」
クウは驚いてリアから離れる。
もともと身長が160㎝程しかないクウはリアといい勝負をしていた。その状態で顔を近づければ当然ながら唇も近くなるわけで……
リアの息が掛かるほどの距離まで近づいていたことに、ようやく気付いたクウが驚くのも無理はないだろう。
そんな二人にファルバッサは呆れ顔で口を開く。
”お主たちは何をしておるのだ。イチャつきたいなら宿にでも帰るがよい”
「いや、待てファルバッサ……」
”そもそもお主がリアに心配を掛けたのが悪いのだぞ? お主は我の試練を乗り越えるのに1週間もかかったのだからな。その上で一時間近くも再び姿を消していたのだ。まずはリアに心配をかけたことを謝るべきではないのか?”
「う……」
痛い所を突かれて反論できないクウ。
この手の争論は得意ではあるが、正論を言われては言い返すことができない。それにファルバッサ自身も1700年以上を生きる竜なのだ。文字通り年季が違う。
クウにもやはり思うところがある以上、ファルバッサの言うことに従うしかなかった。
「リア……まぁ、その、心配かけて悪かったな」
ポリポリと頬を掻きながらそっぽを向いて謝罪の言葉を述べるクウ。素直に謝れないクウにファルバッサは大きなため息を吐くが、リアは嬉しそうに答えた。
「はい、赦しますよ。こうして戻ってきてくださったのですから」
”全く……リアもクウには甘い”
そう言いつつも嬉しそうな声のファルバッサ。彼にとってクウとリアの関係はどこか微笑ましいものがあったのだ。かつては戦うことだけが楽しみだったファルバッサにも、いまや別の楽しみがある。その変化をファルバッサ自身も感じ取っていた。
微笑みあい、どこか和んだ空気になった二人と一匹だが、ここでクウは真面目な顔になって話をし始めた。
「そろそろやるべきことについて話し合おうか」
そう言うと、リアとファルバッサも大きく頷く。それを見たクウも頷いて話を続けた。
「俺にはやるべきことが出来た。これから魔族の住む土地……暗黒地帯へと行こうと思う。それも出来るだけ早くにな。迷宮をでてすぐに準備をしたい」
「突然ですね。ですが魔族領は多くの高ランク冒険者が向かって行って、誰一人戻ってこなかったという領域ですよ? 私は余り乗り気ではありませんね」
リアが珍しくクウに反対意見を述べる。だが、この世界に生まれたリアは、幼い時より魔族の領域について言い聞かされてきたのだ。それこそ「悪い子は暗黒地帯に放り込む」というように。そういった意識から魔族領というのは一種の不可侵な場所というイメージがあった。
だがクウは首を横に振りながら口を開く。
「リア、今から俺が迷宮の100階層で聞いたことを話す。そして俺のステータスや出自についても全てこの場で話そうと思う。恐らく今までの常識がひっくり返るようなことも話すと思うが、話し終わるまでは黙って聞いて欲しい」
そう言ってクウは話し始めた。
この世界に召喚されたこと、加護のこと、そして天使、神のことを……





