EP56 試練③
虚空迷宮の90階層。
枯れ木や岩が視界いっぱいに広がる不毛の大地に、灰銀色の竜鱗に覆われた1匹の真竜が横たわっていた。そしてその首元には、白いローブを身に纏った少女が一人。
もしこの光景を目撃する人がいれば、間違いなく悲鳴を上げるだろう。何故なら真竜とは一国を相手に出来る存在なのだから、その上に乗るなど自殺行為なのだ。
だが当然このような場所に目撃者などおらず、そして一人と一匹、リアと幻想竜ファルバッサの会話は平和そのものだった。
「この辺りでしょうか?」
”うむ、上手いぞ。お主は竜の世話をする才能でもあるのではないか?”
「……それは喜んでもいいことなのでしょうか?」
クウがファルバッサの《幻想世界》によって創られた幻術空間に閉じ込められて試練を受けている間、残されたリアはファルバッサと2人きりになってしまった。普通ならば竜とマンツーマンという状況は絶望的なのだが、理知的なファルバッサはリアに襲い掛かることはない。
そして今ではリアがファルバッサの竜鱗を磨いてやるほどには仲が深まったのだ。元はファルバッサがどこからともかく持ってきた食材をリアが調理したことがきっかけだった。冒険者として活動するために料理技能をそれなりに身に着けていたリアの食事はファルバッサの胃袋を見事に掴み取ったのだ。
”そう言えばお主は何も言わぬのだな”
「何がですか?」
”お主の兄を問答無用で幻術空間に閉じ込めたことをだ”
「そうですね……」
リアはピタリとファルバッサの鱗を磨く手を止める。
義理とは言えども、リアのとってのクウは頼れる兄に変わりない。多少は捻くれたり意地悪な一面もあるのだが、それも含めてクウの魅力だと考えていた。
血が繋がっていなくとも実の父親より家族らしいクウを愛しているのは事実であり、突然どこか分からない場所に閉じ込められて胸が張り裂けそうでもあった。
だが……
「私は何よりクウ兄様を信じています。試練と言うのでしたら、乗り越える方法も用意してあるのでしょう?」
”そうだな。我の言ったことに嘘偽りはない”
「でしたら信頼する兄を信じることが私に出来ることです。ファルバッサ様を責め立てることでも、攻撃することでもありません」
そう言い切って、リアはファルバッサの鱗を磨く作業を再開する。灰銀色の鱗には土や火山灰が付着しており、リアが磨くたびに輝きを取り戻していく。
ファルバッサは満足そうに眼を閉じて僅かに微笑んだ。
(あの少年は信頼されているようだな。だが我の用意した試練の幻術世界は生半可ではない。脱出することも死ぬことも出来ぬ……心を映すあの空間でどこまで耐えることが出来るのだろうな……)
クウが幻術世界に囚われてから既に5日。
ファルバッサは夢見心地になりながら、気持ちよさそうにしているのだった。
◆◆◆
クウは仰向けに寝転がって闇を見つめていた。
何も見えない、何も聞こえない、何も分からない空間に閉じ込められてからどれほどの時間が経っているのかは腕時計を見れば分かる。だがソーラー式である故に、充電分のエネルギーが無くなれば止まってしまうのは間違いないだろう。そうなれば、もはや本当に何の情報も無くなってしまう。
そして遂にその時は来てしまった。
秒針は動きを止めて、もう時間を知らせなくなる。
だがクウはそれに気づくことなく、闇を見つめ続けていた。既に時間などには興味が無かったのだ。
空腹もなく、喉の渇きもない。
生きているのか死んでいるのかも分からず、ただ暗闇の空間に存在し続けるだけ。クウの頭の中では、これまでにあった記憶が逆再生のようになって流れていた。
(ここしばらくは迷宮攻略ばかりやっていた……
俺の能力のお陰で厄介な迷宮効果が効かなかったし、リアという仲間も出来た。たまにバウンドたち『風の剣』のメンバーと宴会染みたことをやったな。
そう言えばバウンドとの出会いはいつだったか……そうだ、10階層のボスを倒そうとした日にギルドで出会ったんだっけ? それでパーティにならないか誘われて俺が断ったんだ。その後『風の剣』と出会って紹介したのが始まりだったな。『風の剣』の4人に関しては王都から【ヘルシア】に来るときの王国馬車で乗り合わせたのがきっかけだった)
知り合いも知識も少ない異世界で出会ってきた人たち。
出会うたびに様々なことを教わってきた。もちろん王城の書物庫で得た知識もあるのだが、その中には生活の知恵などというものはない。歴史や地理、学術書ばかりだった。
(そう言えば清二たちはどうしているだろうな……勇者って言われてたぐらいだから優遇された生活でもしているに違いないな。清二は甘ちゃんだし、他二人は女子だから魔物を殺せているのか不安だが……まぁ、半年も経てば慣れているだろうな。風の噂では武装迷宮にも行っているらしいしな)
召喚当初は本当に困惑していた。
突然、記憶から消えていた幼馴染のことを思い出し、ステータスを見れば悪神の加護が付けられている。本当に悪意を感じる状況だったが、おかげで王城を離れて好きに行動することが出来た。国王のルクセントも善政をする平民にも理解ある人だったため、問題なく城を脱出できた。一応は冒険者ギルドを通してクウの動向をチェックしているらしいが、それもクウの身を心配してのことなので気にしていなかった。
(そういえばあいつ……優奈はどこにいるんだろうな。生きているのか? それに異世界に召喚されて、どうしていきなり思い出したんだ? まぁ、この状況で考えても仕方ないか……)
元はと言えば、早く地球に帰って幼馴染で色々世話にもなった朱月 優奈を探すために帰還方法を探していたのだ。どうして召喚をトリガーに記憶が蘇ったのかは不明だが、どちらにせよクウがここに閉じ込められたままでは考えても仕方のないことでしかない……と思い始めていた。
クウ自身は気づいていなかったが、既に思考や感情が希薄になって、半分植物のようになり始めていたのだ。これはある意味で人の適応力であり、クウの脳が感情を制御し始めていた。
(この感覚……どこかで覚えがあるよなぁ。いつだったか……)
クウの思考は極限まで減速され、その意識ごと闇の底へと沈めていく。まるでこの世界のように真っ暗で何も聞こえない……そんな場所に――――
『やはりお前は表面だけで、中身は空っぽのようだな』
「っ!?」
何も聞こえなかったはずの世界に聞きなれた声が響く。
今までクウがどんなに叫んでも闇に吸い込まれていた声が、この時だけは空間中に響き渡っていた。
意識の底へと沈みかけていたクウの感覚は、一気に引き上げられて覚醒する。カッと目を見開いてみると、暗黒だけだった世界が真っ白に染め上げられていた。
さっきとは真逆の空間に戸惑いながらも、クウはゆっくり体を起こす。数日間寝転がったままで固まった体が悲鳴を上げているが、それでも何とか立ち上がって周囲を見渡した。
「くっ……なんだ? どうなった? それとも今度こそ俺は死んだのか?」
『そんなに死にたいのか?』
独り言のつもりだったが、クウの背後から返答が帰ってきたことに驚いて振り返る。凝り固まった体のせいでバランスを崩しかけたが、クウの視線の先に映るものに身体を支えられる。
『おいおい……ずっと寝転がってたんだから無理な動きはよせよ』
「ああ、悪い……な……っ!」
クウは自分の身体を支えている者を見て動きを止める。
その目には「ありえない」「嘘だ」と言いたげな感情が宿っていた。
「おい……お前は……」
『なんだよ、そんな目で見るな。お前は俺の身体なんて17年も見てきたじゃないか』
クウの視線の先にいたのは……呆れた顔をする空だった。
幼めの顔つきに長めの黒髪、服装は日本に居た頃の道着と袴だったのだが、確かにそこには自分自身が立っていた。
「お前は誰だ?」
『バカな質問をするなよ。俺はお前だ』
小馬鹿にしたような、呆れたような顔をする目の前の存在は確かにクウそのものだ。だが、鏡でもないのに自分の姿を見せられ、あまつさえ会話をするという現象にクウは混乱を隠せない。
もう一人の空は朱月流抜刀術の道場で身に着けていた道着姿であり、その左手には当時使っていた愛用の刀を持っている。この世界にきてからも何度か、それがあれば良かったのに、と考えた物だった。
『ここは面白い世界だな。俺が深層心理まで出てくるのは1年半ぶりぐらいか? お前が過去を遡って思い出していったおかげで出て来れたが……』
しみじみとした様子で語るもう一人の空だが、本物のクウは話について行けずに茫然として固まったまま動けない。そんなクウにお構いなく、目の前のもう一人は話を続ける。
『お前の精神は空っぽの暗闇だ。お前自身が体験したから分かりきっているだろうが、優奈を失ってからのお前は何もない。かつて両親を失ったときに出来たあの世界を埋めたのが優奈一人だったからだ』
「な……に?」
『お前は類稀なるセンスを以て色々なことをしたな。勉強したり料理をしてみたり裁縫をしてみたり……色々とな。だがそれはお前の精神の表面を覆っていっただけで、暗闇の空間を埋めることは出来なかったんだよ。まぁ、その中でも朱月流はそれなりの地位を占めていたみたいだがな。だからこうして俺が出て来れたわけだし……』
クウは思い出す。
優奈がいなくなっていた地球での生活が何か物足りなかったことを。
そして無意識に他人とも壁を作って、深層心理へと踏み入れさせなかったことを。
例え、記憶が無かったとしても、クウの暗闇の世界を照らして埋めていたのは幼馴染たった一人だったからこそ、あれほどの空虚感を感じていたのだ。
『理解したか?』
「ああ」
あまりに不安定な、空っぽな自分だったからこそ他人にも興味が薄かったし、召喚されてこの世界エヴァンに来た時もどこか他人事だった。そして思い出した幼馴染の記憶こそが全てにおいて無意識で優先されていたのだ。
『力を持つ者は自分の精神を理解しろ。何のために力を得るのか答えをだせ。これは朱月の親父さんの言葉だ』
「そうだったな」
『今からお前を全力で攻撃する。お前は俺を――――』
「分かっている」
クウは空を見据えて左手に樹刀の鞘を持つ。腰を落とし、右手を木刀ムラサメの柄に手をかけて《魔纏Lv6》で刀身を覆った。
「お前を倒して俺自身のものにしてやる。何、心配するな。もう大切なものは優奈だけじゃないさ」
クウと空はニヤリと口元を歪めた。
今回は主人公の二面性の話ですね。
両親が殺されたときに作った暗闇の深層心理を照らした太陽が幼馴染という設定になってます。後々で重要になるので覚えておいて欲しいです。
そして今まで心の表面だけを覆ってきた記憶や技術が道着と袴姿の空ですね。彼を倒して取り込むことで暗闇の世界を埋めていきます。
今までどこか冷たかったり、第三者視点のように物事を見てきた主人公の性質はここからきていました。





