EP552 超越者の世界③
エーデ・スヴァル・ベラという超越者は最も神に近い存在だ。
単一で完結し、単一の世界を有する。
権能【存在思考】とはエーデ・スヴァル・ベラの在り方。権能とは与えられた力ではなく、絶対的に魂へと潜むもの。この運命の支配者は、最弱クラスの神すら討ち滅ぼすだけの性能を秘めていた。
「こいつ……」
クウは攻撃のほとんどを月属性で行っていた。
エーデ・スヴァル・ベラの運命を操る系統の攻撃はほぼ通用しない。クウが《月界眼》で運命を切り離したからである。幻術と現実を入れ替えるクウの能力ならば問題なく使えるが、それはエーデ・スヴァル・ベラに対して確実な効力を期待できない。なぜなら、あの水クラゲは「感覚消失」という概念を内包しているからだ。
「感覚消失」という特性は、幻術によって与えられた感覚すら自在に消すことができる。
クウの《神象眼》と《幻葬眼》は互いの感覚による錯覚を基点に発動する運命の操作であり、感覚を消したエーデ・スヴァル・ベラは通用しなくなっていた。一応、世界に対する事象改変は通用するのだが、そもそもこの世界は怪物が生み出した海となっている。事象改変も即座に修正されてしまい、意味がない。
(我が創造、異常あり)
月属性の最も強力な力は「矛盾」の特性だ。
対立する二つの事象を同時に成立させ、その境界を変動させることができる。攻撃が当たったという事象と、攻撃を回避したという事象が同時に成立することもある。それゆえ、エーデ・スヴァル・ベラは回避すると同時に攻撃があたるのだ。
これはエーデ・スヴァル・ベラにとって創造の外のことであり、異常であった。
(我が世界の敵、我が存在の病巣、排除)
自身の世界を構築するエーデ・スヴァル・ベラからすれば、クウとは異世界からの侵略者に他ならない。支配を受け付けない邪魔者だ。
(最優先、排除)
故にエーデ・スヴァル・ベラは、まず自分の世界で溺れる奴らを排除することにした。
すなわち権能【存在思考】の運命に囚われた哀れな超越者たちだ。ユナ、リア、セイジを含む超越者たちは《思考の海》によって情報次元と意思次元の奔流に飲み込まれている。反撃しようとしても《自動反撃》によって返されるだけだ。
とはいえ、そのためにエーデ・スヴァル・ベラが意思力を割いているのも確か。
そしてクウを倒すにはその意思力も注ぎ込まなければならないと気付いた。
奇しくもクウのせいで引き寄せられたエーデ・スヴァル・ベラだが、そのクウのお蔭で他の超越者は助かったのであった。
◆◆◆
ミレイナが戦うアシュートは、ある意味で究極の破壊である。
破壊神の加護を受けたミレイナは周囲にその力を振りまくことができる。彼女の権能の性質は滅びの拡散だ。一方でアシュートは自身に全てが収束した破壊といえる。質量と速度を限界まで増加させることで、保有するエネルギーを無限大に増幅させる。
互いの破壊を秘めているが、拡散と集約という対極の存在でもある。
だが一対一において優れているのはアシュートの方だ。これはミレイナも認める所だった。
「お前は、私と同じ力を持つからこそ……全力で叩き潰してやる」
世界は徐々に侵食されていき、やがて世界は赤く染まった。
紅蓮はミレイナの意思。絶大な意思力はミレイナ自身とアシュートを包み込んだ。速すぎる敵は結界で囲ってしまえばいいという考え方である。
ただ、彼女の使う結界は普通とはまるで違った。
結界とは領域を区切るための術式であり、相応の準備か強大な空間認識能力が必要だ。また結界とは独自の世界を構築する術式でもあるため、高度で繊細なものとなる。残念ながらミレイナにその技能はない。
しかし彼女は力業で完成させた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおあああああああ!」
気に変換した意思力で世界を区切り、その内部に権能を満たす。
また意思力そのものもミレイナの影響を受け、ある形状へと変化する。長い首の先には鋭い牙と角を誇る頭部、そして巨大な胴体は引き締まっており、背からは全長にも匹敵する三対六枚の翼がある。小惑星ほどもある巨大なドラゴンが出現した。
ミレイナとアシュートはその紅蓮の気で構成されたドラゴンの腹に収まった形である。
「このあたしを閉じ込めた? いえ、突破するわ」
アシュートも一瞬戸惑ったが、所詮は結界だと一蹴する。
この運動エネルギーの怪物は力づくでミレイナの世界を突破しようとした。権能【連環星域】は加重と加速を無制限に増加させていき、時空を歪める砲弾となって結界の境界へと衝突した。
無限にも及ぶ運動エネルギーはあらゆる結界を引き裂き、引き千切るはずだった。
しかしアシュートはその結界で止められてしまう。
「なんですって!?」
「そこか!」
そして止まった敵を見逃すミレイナではない。
軽く腕を振るう。
するとアシュートは全方位から無数の黒い糸によって貫かれ、その場で固定された。更にミレイナがギュッと掌を閉じると、糸も連動するよう動いてアシュートを切り裂いた。
だがアシュートは再生し、また加速加重して結界を破ろうとする。しかしまた止められた。結界の表面は糸のように編み込まれており、伸縮することでエネルギーを抑え込む。また気にミレイナの意思力と権能が込められているせいで、あらゆるエネルギーが破壊されてしまうのだ。
「切り刻め!」
ミレイナは次々に両腕を振るい、結界内部に破壊の概念で構成された糸を放つ。糸は敵対者の情報次元を容易く破壊するほどの密度であり、結界内部ならばどこでも生成可能で、どの向きに動かすこともできる。
気と権能の糸で編みこまれた世界は伸縮自在であり、あらゆるエネルギーを破壊する。突破しようにも伸縮にとって時間を稼がれ、その間に絶対的な破壊の力でエネルギーを消失させられるのだ。勿論、転移などの時空移動を試みようとしても無駄である。この糸は結界内部で自在に生成され、何かをする前に破壊されてしまう。
まさにドラゴンに飲み込まれ、死を待つだけというわけだ。
このミレイナの世界侵食、《竜腹結界》からは逃げられない。
「敵の腹の中ってわけね。燃えるじゃないの!」
「逃げられると思うな!」
「もう逃げるつもりなんてないわ。正面からぶつかってあげる!」
アシュートは逃げることを諦め、音すら置き去りにして加速する。残念ながら結界内部はそれほど広くはない。普通に戦う分は充分な広さが確保されているものの、超越者ほどの戦いにおいては狭い方である。しかしアシュートは亜光速を維持しつつ何度も屈折し、《竜腹結界》の内部を飛び回った。
残念ながらミレイナではギリギリ感じ取れる程度であり、追えているとは言えない。しかし世界侵食を発動した以上、ざっくりとした感知さえできていれば何とでもなるのだ。
「捕えたぞ」
ざっくりとした感知を元に網を生み出し、アシュートを捕獲する。
《竜腹結界》はミレイナの権能の弱点を補いつつ、強みを引き出した技だ。結界によって拡散性のあるミレイナの権能を留め、内部に破壊の概念を満たす。そして集中すれば破壊は糸として具現し、自在に敵を破壊するのだ。
母より受け継ぎ、師より教わった糸の戦い方。
普段は使わないが、これは彼女の中で確かなアイデンティティとなっていた。
アシュートは糸で絡めとられ、切り刻まれた。
◆◆◆
エーデ・スヴァル・ベラの世界から追放されたユナたちは、元の宇宙空間に戻っていた。権能【存在思考】が生み出す想像の世界と裏世界は同一世界でありながら別空間だ。別空間というより、位相が異なるせいで観測できないという方が正しいが。
ともかくエーデ・スヴァル・ベラが取り込もうとしない限り、その世界に入ることはできない。その世界は世界侵食のようなものなのだから。
「くーちゃんがいない!?」
「落ち着いてください姉さま」
「うん……リアちゃんの力であの空間に戻れないの?」
「はい」
あのクラゲの怪物はユナも良く知っていた。
かつて魔王オメガが召喚し、苦戦させられた凶悪な超越者だ。あらゆる攻撃を自動的に反射してしまうため、ユナのように直接攻撃ばかりをするタイプの天敵であった。
どちらにせよ、あの世界に乗り込んだところでクウの助けにはならない。寧ろ邪魔になってしまうだろう。しかしユナはそれでも危惧せざるを得なかった。
「朱月さん、あれを知っているの?」
一方でエーデ・スヴァル・ベラを初めて見たセイジは茫然とした様子で尋ねた。
ただ空間に存在するだけで否定され、世界に同化させられようとしていたのだ。圧倒的な力は光神シンすら思い出すほどである。
「前に戦ったことがあるんだけど、攻撃が通用しないんだよ。くーちゃんの話によると、運命を操って世界を好き勝手に作り変えているって」
「そんなの反則じゃないか……」
そういうセイジの能力も反則級なのだが、それは言わないが吉だ。
エーデ・スヴァル・ベラの有する想像を現実にする能力は同等の能力を持たない限り抗う術がない。因果系能力に有効な法則系能力を用いても、意思力によって法則すら塗り潰される。また「感覚消失」という特性により大抵の攻撃は通用しない。意思次元を強制的に破壊しない限り、エーデ・スヴァル・ベラは倒せないだろう。
「姉さま! クウ兄様のこともですが、私たちもまだ囲まれています」
「そう、だったね」
そしてユナたちも悠長にしている暇はない。
水の世界から放り出されたのはユナたちだけでなく、領域にいた裏世界の超越者もなのだ。つまり、元の囲まれている状況に戻ったということになる。
超越者の戦いは数がものを言う。
いや、超越者に限らず同格の戦いは数で勝る集団が勝利する。
戦いを終わらせるためにカグラ=アカシックとも戦わなければならないが、そのためにはクウを取り戻さなければならない。何とか集中して後一体の超越者を倒し、カグラ=アカシックまでの道しるべを完成させる方法も使えない。
「ミレイナちゃんを何とか探そう。戦いは防御中心で、リアちゃんを軸にやるよ。いいね?」
「わかりました」
「僕も力を尽くすよ」
新たに分断され、戦いは激化しつつあった。





